青春18きっぷ

永遠の未成線・名松線を全駅訪問~独特のダイヤに苦戦必至

家城駅では必ず列車交換がある

2013年3月15日7時15分

青春18きっぷでの全駅訪問に向け松阪泊

朝の松阪駅。今や全国でも貴重な存在となった「JRと大手私鉄の中間改札のない共同駅」。三重県には津、松阪、伊勢市がまだ残っています。立派なJR側と比べ、かわいい近鉄側の駅舎。ただ列車の本数と利用客は近鉄が圧倒しているあたりがおもしろい

本日は名松線の全駅訪問を達成するため、松阪からスタート。前日、名古屋で用事があったので、松阪まで移動して宿泊しました。水曜日の朝7時過ぎなので、駅はにぎわっています

手には青春18きっぷ。名松線はJR東海が週末に販売している青空フリーパスのエリアでもあるのですが、水曜日ということに価値があるため、青春18きっぷの使用となりました

昨秋から2度にわたり、沿線を訪れています

昨秋は名松線と近鉄大阪線の乗り換えをどうしてもやってみたくなり、一志駅→川合高岡で乗り継ぎ体験。寝過ごすてしまって、一足先の伊勢八太駅から川合高岡まで歩くという余話までついてしまいました

もう1回は年明け早々で、この時は終点の伊勢奥津まで行って前回、乗降のなかった一志駅で下車。再び川合高岡から近鉄に乗車しました

年明け1月8日のことです

この時は廃駅の池の浦シーサイドを訪問した翌日でした。伊勢奥津には過去何度か訪れていて、台風による被害で2009年から2016年まで家城~伊勢奥津間が長期運休する前にも足を運んでいます

伊勢奥津といえば、この給水塔ですね

名松線とは

名松線は松阪と伊勢奥津の43・5キロを結ぶローカル線です

松阪を出るとしばらく近鉄と併走。その後、山中へと入っていきます。名松線の「松」は松阪ですが、「名」は名張です。名張といえば近鉄大阪線の駅で、三重県と奈良県の県境付近の都市。元々はこちらを目指していたため、名松線と名付けられたものの、1935年に線路が伊勢奥津に到達した時点で工事は中断。現在に至ります

なぜ工事が中断したかというと近鉄(当時は参宮急行電鉄)が先に松阪からの線路を敷設したため。名松線は計画段階では「桜松線」。名張を経て奈良県の桜井までつなげる計画でしたが、その桜井までも近鉄によって敷設されたため、工事をする意味がなくなってしまいました

地図を見ると、名張へ向けては近鉄の線路が真っ直ぐ進んでいるのに対し、名松線は随分と山中へと入っています。地図だけ見ると、こんな調子で名張までたどり着くのかと思ってしまいますが、これには現在の津市と伊賀市の間にある青山峠の存在が大きい。分水嶺があるような峠を避けて名張に向かった国鉄に対し、近鉄は長大トンネルを完成させることで名張に到達。このまま名松線の延伸工事をしても近鉄の方が圧倒的に有利になることは分かっていたため、伊勢奥津から先は工事すら行われていません。つまり名張の名前は残されているものの「永遠の未成線」となったわけです

ラッシュ時のないダイヤ

全駅訪問を決めたのは、1月に車窓を見てから。特に家城~伊勢奥津の車窓には強くひかれるものがありました

ただダイヤがなかなか難関で

これは松阪から1駅目の上ノ庄の時刻表ですが、上りも下りもほぼ2時間おきの運行となっていることが分かります。1日に8往復あるダイヤで、こういう均等パターンは珍しい。同じ8往復でも朝の通勤通学時間帯に本数を増やして、お昼は休みというのが多くの形。早朝のまだ暗いうちから宿を出て駅巡りをするのは、比較的本数の多い朝の時間帯を狙ってのもので、このダイヤはちょっと困ってしまう。しかも松阪からの始発が7時32分と結構遅い

時刻表を眺めて困ってしまいましたが、とりあえずは作戦を考えて始発で出発です

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奥羽本線を行く~明治生まれの駅舎で18きっぷを買う

川部駅の駅名標

2023年3月3日10時30分

乗客の多さにビックリ

川部駅に到着しました

駅名標が分岐しているように奥羽本線と五能線の接続駅となっています

ここまで車内が混雑していたことにまず驚いていたのですが、多くの人がこちらでドッと降りて二度ビックリ。その点は考慮していなかったのですが、本数が多いとはいえない五能線の接続電車だったのです

跨線橋を渡った方々はどんどん五能線の列車に吸い込まれていきます。そこで現在は青春18きっぷの期間でもあることに気付きました。もちろん私が使用している東日本パスも期間内。昨秋は両者が重なることはなかったのですが、今回は重なるのですね。それは人も多いはずです。私が七戸十和田から乗車したはやぶさが東京からの始発で、こちらにきっちり間に合う。今日は金曜日で3日間有効の東日本パスは今日さえ休みをとれば、うまく土日に重なるわけです。なるほど、と納得。今日からは他の列車も混雑しそうだと身構える

五能線の案内がありました

五能線の終点を告げる案内標

ただ私の目的は五能線ではないので改札に向かいます

間もなくお別れとなる明治の駅舎

今回の旅でのミッションは3つあって、未訪問だった東北新幹線駅訪問はすでに達成。2つ目が川部駅の訪問でした

開業時からの駅舎が残る川部駅。雪がよい風情をプラスしてくれていますね

財産票も当時のものだと告げています

ただこの駅舎はこの時点で改築が決まっていて、JR東日本の発表では旧駅舎の面影を生かした改築とのこと。そしてもうひとつの大きな変更は3月18日から無人駅となることで、訪問時は健在だったみどりの窓口はなくなります

そこで「今期の青春18きっぷを川部駅で購入する」とのミッションを付け加えます

ただ私が改札を出た時は駅スタンプを熱心に押して入場券を購入するグループの方がいたので、私は先に写真撮影をすることにしました

ギリギリだった18きっぷ購入

駅舎内です(きっぷ購入直後の写真)。ストーブがいい感じ。人もいなくなったので早速、ミッションに移りましょう

そこであるものに目がいく

時刻はすでに10時35分。これは気付きませんでした。危ない危ない

ということでミッションも無事達成

ビューカードで購入すると駅名が入るはずです(要確認事項)。これで5回の旅は「川部駅発行」の文字を見ながら旅ができます

ついでに入場券も購入しました

駅スタンプとかわいい駅の模型

「村」のみどりの窓口

まだ時間はあるので駅の向かいで恒例の100円コーヒータイム。身体が暖まる

こちらは仮設トイレ。すでに工事は一部始まっているのでしょうか

駅舎内に戻るとすでにカーテンは閉ざされていました。私の前で窓口が開くことは、もうありません。駅の住所は青森県の田舎館村。「村」にあった貴重なみどりの窓口でした

年季の入った跨線橋はしばらく保たれそうです

JR東日本の発表では新駅舎の利用開始は5月27日となっています

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リベンジ岩徳線最終項~錦帯橋を眺めながらゴールへ

バス車窓からの錦帯橋

2022年12月28日12時20分

全駅訪問は分岐駅で

両端(岩国と櫛ヶ浜)を除く岩徳線の全駅、13駅目となった川西に到着しました。1日約1000人の乗降があり、13駅の中では最も利用者の多い駅(正確には岩徳線の単独駅ではなく錦川鉄道との共同駅ですが、管轄はJRです)。大きく寄与しているのは駅からすぐの岩国高校で、イメージ的にはいつも高校生でにぎわっています。学校は冬休みのはずなのに、お昼過ぎのこの時間、降りた私と入れ違いに多くの高校生が乗っていきました

ここから錦川鉄道と分岐するので0キロポストがホームに設置されています。当駅と柱野駅の間の山中にある信号所が正式な分岐点

駅名標は分岐駅のものとなっていますが「清流新岩国」が補強された形となっているのは駅名が御庄から変更されたため

ホームの名所案内。錦帯橋の最寄りは西岩国のようなイメージがありますが近いのはこちらで十分に徒歩圏内。今日は錦帯橋には行かないのでゴールの西岩国を目指します

川西~西岩国は1・9キロしかないのですが、錦川を渡らなければならないので歩くと遠回りする必要がある。ただ次の列車までは1時間あるので余裕もあるし、この時間帯は気温12度という天気予報通りのポカポカ気候になっていたので30分の徒歩は苦痛でも何でもありません。ちなみに錦川を渡った所のコンビニを西岩国駅とは逆方向に行くと錦帯橋はすぐ

最多利用者で錦帯橋の最寄りとは、とても思えない川西駅の全景。バリアフリーもなく山の斜面に設けられた単式ホームに階段で上がります。駅舎もありません

メインストリートである県道までは車がなんとか通れる細い道で結ばれていて駅前ロータリーもありません

幸運のち不運

西岩国を目指し歩き始めます。すると幸運が舞い降りました

バス!

実は事前に調べて川西駅から歩いていく道中のバス停で列車到着から6分後に西岩国駅近くを通って岩国駅に行くバスがあることは分かっていたのですが、駅からバス停まで5分ほどかかる上、駅で写真など撮っていたら、とても無理だとあきらめていたのですが、バスに遅れがあった様子。駅到着から10分以上経っていましたが、もしかして遅れがあるかな、とチラチラ振り向きつつ歩いていました。これはラッキー。もちろん乗ります

バスは一度錦帯橋に向かい、そこからUターンするような形で岩国駅へと向かいます。観光需要もあるのでしょうが、錦帯橋付近が旧岩国町の中心部だということも大きい。私も思い違いをしていたのですが、川と橋の写真だけを見て山中の秘境にある橋だと信じ込んでいる人は多い。考えてみれば岩国城はすぐそこだし、誰もいない山中にこんな立派な橋を造る必要はないですよね。錦帯橋の住所は岩国市岩国1丁目です

とにかく10月の経験が生きました

コースの逆を進んでいるのですから東錦見の停留所で降りればいいのです。バス停から5分も歩けばゴールです。これでこそリベンジだ、と意気込んで歩いていくと、屋根部分が先に見えて結果を知りました

あ然

今日は12月28日ですよ。工期はとうに終了していますが…

ふれあい交流館は開館日だったので話を聞くと、工事が遅れているとのこと。これだけはどうしようもないですが、結論からすると西岩国駅の立派な姿を見るというリベンジは達成できずに終わりました

中の部分の写真だけ撮って帰るとします。ただ全駅訪問というミッションは果たせたので、そちらについては良かったとしておきましょう

岩国までは錦川鉄道で。たった1区間ですが同社の観光仕様の列車に乗れて良かったです

岩徳線で惜しいのは、西岩国から川西に至る際、錦川の蛇行のおかげでギリギリ錦帯橋の姿が見えないこと。ほんの少しでいいので北側を走れば車窓から錦帯橋の勇姿が見られるし、駅から徒歩10分圏内で観光利用者も多かっただろうな、と思います。現状では錦帯橋観光は岩国駅からのバス一択に近い状況となっています

山陽新幹線の新岩国駅を設置する際、西岩国駅を通るルートも検討されましたが、すでに街ができていて工事が難しい上、遠回りになるとの理由で案は消滅したそうです

いろいろな意味で悲運だった岩徳線ですが、全駅訪問を終えた今は、いろいろな歴史を体感できた有意義なものだったと感じています

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リベンジ岩徳線その7~ハイライトは思わぬ形で

柱野駅の駅名標

2022年12月28日12時

無人駅中の無人駅での問い合わせ

柱野駅からの側道?かどうか分からない。真っ直ぐ行くと、かつては貨物ヤードだったかもしれない場所に行き着いて終わります。そんな雰囲気たっぷりの駅近くで写真を撮っていると、背後から「ちょっと聞きたいんだけど」との声。振り向くと明らかに70代以上と思われる男性。「どうしました?」と言うと

「ここで新幹線の切符は売っているんかな?」

絶句してしまいました

前回の記事でも紹介しましたが、いわば「無人駅中の無人駅」。駅舎もない。こんなところで新幹線のきっぷはおろか、きっぷなんて販売しているはずもない。そもそも「無人」なんですから

大変申し訳ないのですが、一瞬「大丈夫か?この人」と思ってしまいました

だが、ゆっくり話を聞いていくと、そうではないことが分かりました

この方、もともとは地元の出身なのですが数十年前に町を出て、今ははるか離れた都市に住んでいます。本当に久しぶりに里帰りをしたため、変わりすぎた沿線の様子が分かっていないのだとか

個人情報になるので詳細は記しませんが、車のナンバーを見ると、この付近では絶対見ることのないものです。車があるのに、なぜ新幹線のきっぷなのかというと、あまりにも遠いので業者に依頼して車だけを別に運んでもらい、帰りもそのようにする、という。確かにこのナンバープレートの所まで車で行こうとすると現在正午の今、出発しても日付変更線前に到着できるかどうか怪しい

ようやく会話の中身を理解した私。「玖珂は大きな駅だから売っているかな」と尋ねてくるので「いや、ちょっと確実ではないですね」とスマホを取り出す。土地勘がないので、この山中では何も分かりません。すると意外なことが分かりました

山陽新幹線の新岩国駅まで車で5分。そんなに近いとは知りませんでした。過去、新岩国には何度か訪れ、錦川鉄道の清流新岩国駅との乗り換えもしてきましたが、柱野駅との距離間は知らなかった。ただ考えてみれば柱野からすぐ東側に錦川鉄道との分岐となる信号所があり、柱野駅の前を流れているのは御庄川。清流新岩国の元の駅名は御庄なので、そのように思考回路を働かせれば納得です

「車にカーナビはありますか?」と尋ねると、ないというのでスマホの地図を見せ「川の向こうの道を真っ直ぐ行くと、すぐ新岩国に着きますから」と言って無事に道案内をすることができました

それにしても新岩国駅の開業は1975年と50年近く前。車を運転する年齢ではなかったことを考慮しても一体、故郷を離れたのは、いつのことなのかと思ってしまいました。ご本人は「大昔」と言うので、詳しくは聞きませんでしたが

散策で思いにふける

車が去った後、あらためて周辺を散策。川の向こう側まで行ってみます

駅の階段の屋根がかすかに見えます。ここにもバス停があって新岩国駅から錦帯橋を経由して岩国駅に行くバスがありますが、1日2本の運行しかない。逆方向は山中に入って行くので玖珂には行かないようです

どちらかというと駅側ではなく、川の反対側に民家は多いようです

御庄川を渡る橋梁が見えます。2つの橋梁を経て、さらに3キロものトンネルは昭和初期では難工事だったと容易に察しがつきます。あそこを渡るキハ40の赤い姿を写真に収めてダッシュしてもギリギリ間に合うかな、と一瞬頭をよぎりましたが、さすがにギャンブルはやめて駅に戻ります。それにしても、ここから5分で新幹線の駅に着くとは、ちょっと想像できません

あらためて駅を見ると無骨な駅名板に屋根付き階段、わずかに顔を出す構内踏切に駅名標と、なかなかの勇姿です

構内踏切の入口。警察官は来るのでしょうか?

再び構内踏切を渡る。融雪剤がここでもまかれていますが、もうそれが必要な気温ではありません

列車到着を告げる音がしました。ちゃんと機能しています。山陽本線のままだったら、通過列車もバンバンあったんだろうな、と思いながら列車に乗り込みます。柱野がいろいろな意味で岩徳線のハイライトになるとは予想していませんでした。全駅訪問まで、あと一駅

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リベンジ岩徳線その6~岩徳線イチの駅でした

柱野駅の縦駅名標

2022年12月28日10時

ゴールが決まっているゆえに

徳山にやってきた時点で岩徳線13駅(両端の岩国と櫛ヶ浜はのぞく)のうち未訪問駅は2。川西と柱野です。岩国側に偏っていますが、これは最初に「ゴールは西岩国にする」と取めごとをしたからです。10月に改修中の駅舎を見て膝から崩れそうになりましたから。今回の旅は岩徳線のリベンジでもあります

そのために

山陽本線で岩国まで戻ります。岩徳線は11時すぎまでないので山陽本線で10時8分に徳山を出れば11時15分に岩国に着き、同21分発の岩徳線徳山行きに乗ることができる(このダイヤは今年3月の改正で微妙に変わっていて徳山発10時11分→岩国着11時22分→岩徳線岩国発11時26分となっています)

岩国の乗り継ぎは6分しかなく途中、何かのアクシデントで山陽本線が遅延すると行程が完全崩壊するのでヒヤヒヤしましたが、無事に到着

5時間ぶりに岩国の岩徳線ホームに戻ってきました。すっかり明るくなっていますね。というか、もうお昼前で好天に恵まれ暖かい。すぐ出発だったので、その必要はありませんでしたが、風もなく待合室は不要な陽気でした

すごいものが続々

目指すのは岩国から3駅目の柱野。柱野で40分ほど過ごして岩国行きで折り返し川西へ。川西から西岩国までは徒歩30~40分と思われるので今日の気候なら、ちょうど良いでしょう

しかし、そんな先のことを考える余裕なんてないほど柱野では、いろいろと「見せて」いただきました

15分ほどで柱野に到着。1934年の全通時に開設。全通と同時に山陽本線となったので山陽本線の駅として誕生しています

駅は高台の盛り土というか山の斜面に造られています。当駅から徳山側へ1駅の欽明路までは岩徳線の中では最も長い6・7キロもあります。これは欽明路の項でも触れましたが3キロ以上の欽明路トンネルがあるからで欽明路が平成に誕生したことを考えると、もともとの駅間である柱野~玖珂は8・6キロもの距離がありました。トンネルのほかにも2つの橋梁があって岩徳線では最大の難工事だったことがうかがえます。この駅間にはバスもないので全駅訪問には、なかなかハードルの高い駅となっています

島式ホームの柱野はさすが山陽本線の駅として造られただけあって長い長いホームを有しています。そんな長い列車は今は走らないのでブロックされていますが欽明路トンネル手前の駅なので交換設備は残され、当駅ですれ違いを行う列車も設定されています

左横にはどこにもつながらない道路のようなものが見えますが側線があったようにも思える

年季の入った待合所がホーム上にありますが、手前に引き戸があることから以前は左側にも壁もしくは窓があったのでしょう。片側だけになった理由は分かりません

感心するのは、まだ早い

跨線橋ではなく構内踏切で改札に向かいますが

そこにあるのは駅名板。どう見ても本来の使い方ではないですよね。金網の上に掲げてあったものが時刻表を設置する際、完全に隠れてしまうことから、この位置に来た、いや置いたと考えられます

まだまだあります

階段を降りるとこのようになっています。勝間駅と違って屋根は残してもらったようですが、少し前の写真では階段の両脇は以前は立派な木が何本もあって森が階段を包むかっこいい形になっていたものが、今はきれいに刈り取られている。火事対策でしょうか

現在の駅としての施設はこれだけですが、以前はちゃんと駅舎があったようで駅前は大きな広場となっていて、さらには

池と庭園があった跡が。きっと緑も多い立派な駅だったのでしょう。少しずつ痕跡が残っているのがすごいなぁ、これは岩徳線でナンバーワンかも、と写真を撮っていると後ろから声をかけられました

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リベンジ岩徳線その5~考えさせられる現実

2022年12月28日9時40分

大混雑の車内

徳山に到着。エスカレーターに久しぶりの対面

時期は冬休みで朝の通学時間帯の高校生は少なかったのですが、朝の9時を過ぎて「おでかけ」の高校生で車内はあふれかえっていました。編成は単行の2両の2パターンのようですが、学校の休みなどは関係なく、いつも同編成になっているらしく私が高水からの徳山行きに乗車したのは9時過ぎ。その時点で単行列車はすでにギリギリ座れるかどうかの混雑ぶりでしたが、一駅ごとに大量のお客さん、ほとんど高校生のようでしたが、どんどん乗ってきて車内は大混雑

10月の訪問時の朝の通学帯についても触れました

この時は「バス転換なんて無理だろう」と思いましたが、今回は「これで廃線論議になるとしたら」と感じました。日本中のローカル線は、かなり乗っていますが、私鉄や三セクも含め、もっと閑散としている路線を数多く知っています。なかなか厳しいというか、いろいろ考えさせられる現実です

さて早朝に起きてコンビニおにぎり1個食べただけなので、かなりお腹が減ってきました。かなり活動してきた実感がありますが10時にもなっていない。岩徳線はここから2時間近く運行がなく、まだ朝食タイムということで

吉野家で朝食。一息つきました

無人化翌日の訪問

大混雑の岩徳線でしたが、半分以上の乗客がドッと降りたのは櫛ヶ浜でした。山陽本線との分岐駅で岩徳線はすべての列車が徳山まで乗り入れますが、帳簿上は岩徳線の終点はこちらになります。この日は櫛ヶ浜付近でイベントが開催された形跡はなく、高校生が大量に降りたのは、ここで乗り換えてショッピングモールに向かったのでしょう

その櫛ヶ浜についても触れておきます。訪問は前回、岩徳線を回った前日の10月2日

開設は昭和初期ですが駅舎は、いかにも昭和40年代の国鉄コンクリ駅舎

規模は大きくホームは3本もあります。ただし機能しているのは山陽本線の2面と岩徳線の4面

こちらは駅舎と一体となっている山陽本線の下りホームの駅名標

明らかに国鉄時代からのものと思われる古文字がいくつか残っています

こちらは岩徳線ホームへの案内

こちらは岩徳線ホーム

周南市のスポーツセンター最寄りで「津田恒美メモリアルスタジアム」の愛称を持つ周南市野球場も一帯にあって、各種イベント開催日は大いににぎわいます。この日はイベントの開催はなかったよう、と記したのは、そのためです。学生の利用も多い駅です

にもかかわらず

改札付近には「10月1日から無人駅」の案内が。つまり訪問は無人化翌日

これまでも無人となる時間帯はあったようですが、イベントなどで臨時の駅員さんが派遣される時以外、窓口が開くことはありません。1日に1500人ほどの乗降がある駅ですが定期利用が多いのでIC改札だけで十分と判断されたのでしょう。これも時代の流れですか

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リベンジ岩徳線その4~感謝

高水駅の駅名標

2022年12月28日8時40分

かつての終着駅

高水に到着しました。岩徳線は岩国側、徳山側から工事が進められ徳山側からは1934年3月に当駅まで到達。同年12月に全通するまでの間、終着駅となっていました。2003年まで存在した熊毛町の中心駅で、岩徳線単独(錦川清流線も含める)の13駅中6駅しかない駅舎があります

跨線橋から眺めると、かつては2面3線の大きな駅だったことが分かります

駅にはタクシーがいます。というか駅前にタクシーの営業所がある。私の訪問時間がたまたまだったのかもしれませんが、タクシーを見たのはこちらと周防高森、玖珂そして西岩国のみ

瀬戸内海沿いを走る山陽本線は高水の南側では山中を走っていて、最も北側となるあたりに高水は近い。島田駅には車で10分程度。1台にかかった声が聞こえたので分かりましたが、島田駅への迎えが出ていました。その時に地図を眺め、近いことが分かりました

駅舎は開業時からのもの。老朽化が進んでいることは否めませんが「高」「水」「駅」と、それぞれが立体化している駅名板は、なかなかお目にかかれません

JR移管後まもなく無人化されています。老朽化の進行は駅員さんがいないことも大きいと思いますが、立派な駅舎はあるのにお手洗いは撤去されています。その代わりに周南市が立派なお手洗いを設置してくれています。今回も寒いので何かと近くなるのですが、大河内、勝間そして当駅と周南市設置のお手洗いに大変お世話になりました。駅舎の古いトイレというと事実上、男性しか利用できないものが多いのですが、周南市設置のものはどれも立派なもので感謝の念でいっぱいです。お手洗いがあることで寒い中、駅前の自販機で缶コーヒーも安心して買うことができました

ツルのはく製

駅で目につくのは

ツルのはく製です。ナベヅルの本州唯一の飛来地(越冬地)であるツルの里の最寄り駅となっています(8キロ離れていますが)。各地にいたナベヅルが明治以降、捕獲の対象となり激減する中、熊毛町を経て現在は周南市の旧八代村だけが捕獲禁止として保護してきたそうです

周南市のホームページにはナベヅルの飛来情報が細かく更新されていて、今年は3月20日にすべてのツルが北帰行したとありました

駅前の観光案内のエリアは旧熊毛町のもの。「八代のツル」も記されています

この案内も山口県でよく見かけるもの。9時になって、ようやく日差しらしいものを感じられるようになってきました。全駅訪問も先が見えてきました。一度徳山まで出ることにします

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リベンジ岩徳線その3~豊臣秀吉も絶賛

勝間駅の駅名標

2022年12月28日8時20分

歴史を刻む

勝間に到着しました。もう8時半になろうとしているのに、まだ霧は残ります。霜はビッシリでホームの白いものは融雪剤だと思われます。それほど冷え込みが予想されたのでしょう

築盛の高台にある駅で見晴らしはいいのですが、お出迎えは今は使用されない向かいのホーム。現在は1面のみの使用

かつては2面だったということは、それなりの歴史があるわけで岩徳線の「初期」からのメンバー

今は立ち入ることができませんが、もともとのホームは長く山陽本線の駅らしいことが分かります

現在は平成の合併で周南市となりましたが、20年前までは熊毛町。その由来となったと思われる熊毛神社は至近

大内氏や毛利氏からも大切にされ、山陽道をたどって当地に宿泊した豊臣秀吉が「勝間」という地名を聞き「縁起の良い名前だ」と感心したという由緒ある場所。同日の設置となったお隣の高水駅とは駅間2キロちょっとと、当時としては短いのですが、駅の設置理由は納得できるものです

屋根まで撤去

高台のホームからは階段で外に出るのですが

外から見ると

こんな感じで実に寂しい。私は列車で到達しましたが、別の手段でここまでやってきたら大河内駅のように新設された単式ホームの駅かと思ったかもしれません

自転車置き場となっているあたりに、10年以上前まではJAの建物があり駅の待合室も設けられていたそうですが、今はなく周南市が設置した立派なお手洗いが建てられています(私的には大いに助けられたのですが)

さらに言うと事前に少し勉強したものとは何か違うというか違和感がある

その時は気づかなかったのですが、すでにJAの建物がなくなってトイレが建てられている最近の写真と比べるとホームに向かう階段にあった屋根が撤去されているのです

現在は階段を上った場所にあった駅名板は階段の入口にあり(同じものの流用かどうかは不明)、屋根をくぐる形で階段があったのですが、その屋根も撤去されている。そんなに古いものではないようですが、屋根までなくなると寂しくなりますね

それなりのにぎわいがあったと思わせるのはタクシー乗り場の存在。駅前が狭かったためか道路を挟ん向かいに設けられていますが、タクシーの常駐があるのかどうかは私の滞在時間では分かりませんでした

再びホームに戻ります。周辺は住宅街で、1日に300人ほどの乗降と、それなりの利用はある駅にもかかわらず、ちょっと寂しい気持ちになりました

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リベンジ岩徳線その2~「国鉄」の2文字

米川駅の駅名標

2022年12月28日8時

霧と霜の風景

大河内から岩国方面へ逆戻り。15分ほどで米川駅に到着しました

大河内にいた時から30分経過していますが、山中のためか霧が深い。霧の中にスーッと消えていく列車が幻想的な雰囲気です

写真で分かる通り、かつては島式の1面2線ホームだったようですが、今は片側のレールが撤去されて1面1線の棒状駅となっています

はがされたホームの向こうには、さらにスペースがあり貨物ヤードだったことがうかがえます。草木がうっすら白くなっているのは霜。かなりの山中で霧もあって遠くはよく見えない

国道2号線や山陽新幹線と寄り添うように走る岩徳線ですが、両隣の高水、周防高森では、駅近くを通る2号線は米川駅近辺ではいったん離れています。もっとも駅のすぐ南側を走る国道は玖珂駅、周防高森駅から一本道の県道で当駅の西側で高水駅そして山陽本線の光駅へと分岐する重要な道路となっていて、米川駅も岩徳線の全線開通時に山陽本線の駅として誕生しています。貨物ヤードがあるのも不思議ではありません

駅舎で思わぬ文字

駅舎は使用されなくなった片側のホームをふさぐように建っています。簡素なつくりです。駅前の規模から想像すると、かつては立派な駅舎があったと想像できますが、駅舎をチェックしていて思わぬ文字に出会います

財産票にある「国鉄」の2文字。各地で財産票を見てきましたが、国鉄と記されたものには、なかなか出会えません。ちょっとびっくり

昭和54年となっていますから1979年。民間移管へはまだ時間があるころ。ただこちらを参考にすると40年以上前の当時、すでに駅は現在の形になっていたことになります

「米川駅」の上に「米川駅」。文字が薄くなったので新たに貼り付けたのでしょうか

駅舎はそんなに大きなものではなく他の岩徳線の駅と同様、券売機が置かれています

あらためてかつてのホーム跡へ。レールがあった場所に、こうして電柱が建っているところを見ると確かにかなり以前から現在の形になっていますね

にしても真っ白な世界。幻想的と言ってしまえば素晴らしい景色ですが、現実の世界はというと、はっきり言ってめちゃ寒い

駅舎も入口と出口が吹き抜けになっているので、寒さをしのげるかというと、なかなか難しい

山口県内で見ることが多い出発案内。ただこの手書きのような字体は初めて見ました。これって故障しているんじゃないか?動くんなかぁ、と思っていたところ、けたたましく音がしてランプもピカリ。十分に現役でした。寒くて「早く(列車が)来ないかなぁ」と思っているところに心地よい音でした

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リベンジ岩徳線その1~厳寒の早朝

岩国駅で出発を待つキハ40

2022年12月28日6時15分

朝食もパスして出発

前回から約3カ月。早朝の岩国駅に私はいました。10月と同じように前日は呉線に乗車し呉~三原の全駅回収を完了。夜のうちに移動して岩国泊。10月の訪問時に回りきれなかった岩徳線の駅訪問を行います。今回は間違えられないのでホテルの無料朝食はパス

まだ6時すぎなので駅はまばら。今回手にしているのは青春18きっぷ。自動改札は通れず不便なことも多いですが、岩徳線では全く関係ない(笑)

先の写真でも分かるように岩徳線と当駅内を発車する錦川清流鉄道の案内表示は四角のふちに囲われています。山陽本線は次発、次々発も表示されるのに対し、本数が少ないのでその表示が必要ないからでしょう

慌てて道程を組み直す

岩徳線の時刻表。朝に特化したダイヤとなっています。前回訪問時の記事でも紹介したように沿線に住む高校生の通学に配慮していると思われる。5時発というのは通学には早すぎる気もしますが、これは山陽本線との兼ね合いで岩国発の山陽本線徳山方面行きは6時10分が始発。徳山に行く朝の一番列車は岩徳線となっています

ですから細かく駅を回っていくには早ければ早いほどいい。実は当初、考えていたのは5時58分発で道程を組んで「これで完璧」と4時半過ぎには起きたのですが、窓の外を見てふと気づいたのは「駅で降りても真っ暗ではないか」との疑問

私は日没後は駅訪問をしません。駅そのものの夜は、よいたたづまいをしているかもしれませんが、周辺の景色や雰囲気が味わえないからです。考えてみると前回は10月に入ったばかりでしたが、今は1年で最も日が短い季節となっています。というか真っ暗な山中の無人駅はちょっと怖いかも(汗)

ということで慌てて道程を組み直して6時38分発としました

季節の変化といえば、この時間は猛烈に寒い。今日の現地の天気予報は晴れで最高気温12度と穏やかな気候になりそうですが、晴れていると放射冷却で朝は冷えます

幸運なことに岩徳線ホームには暖房の効いた待合室があり

コンビニおにぎりで朝食。後からもう一人のお客さんが入ってきますが、おかまいなしにムシャムシャ食べていると列車が入ってきました

平日のみ運行されている岩徳線唯一の途中駅始発となる周防高森駅発の列車が折り返して徳山行きになるようです

早速乗り込むと早朝だけあってお客さんは少ない。18きっぷの季節とあって同業者(鉄道ファン)の姿も。もっとも私が降りる駅で彼らが降りない自信は100%あります

こちらも滑り込みの駅

約1時間かけて大河内駅に到着

この時間となると車内は混雑して立っている人の姿も。2両編成で出発したのも納得です。ただすでに冬休みに入っているので高校生の姿は部活の生徒さん以外、ありません

大河内は1面単式ホームのみの簡素な構造で生野屋駅と同日の1987年3月27日のJR移管直前に国鉄の駅として誕生しました

生野屋とほぼ々構造でスロープに券売機が設置されています

こちらが駅名標

駅は小さいですが駅前には立派な公園が整備されていてお手洗いも設置されています。冷え込む日に助かる

駅が設置されたのは付近に住宅街ができたからでホームからも、私とすれ違いに多くのお客さんが乗り込んできました。住宅街のための駅ですから、実は隣駅とも近い

線路でも1・4キロしかなく徒歩でも20分程度。地図を見ると住宅地に寄り添った駅であることが分かります。もっとも周防久保駅は前回訪問済みなので今回は行きません

再びホームに戻り、次の駅を目指します

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