青春18きっぷ

まる一日費やして福塩北線の残り2駅回収を目指す~素晴らしき駅舎と後鳥羽上皇

※訪問は2024年4月3日

福塩北線では利用者最大

吉舎駅に到着。この列車は、ここでしばらく待機して三次へと折り返す

吉舎駅の時刻表。朝の府中方面への時刻表がなかなか壮絶だ。5時台に1本、6時台に1本しかない。前記事でも紹介したが、これは1本が吉舎止まりになったため。6時33分が朝の「終電」となっているが、この列車は7時50分に府中に到着するため府中に近い所では通勤通学、主に高校生の通学に利用される。ということは吉舎以南の福塩北線の利用者が極めて少ないと簡単に予想できてしまうのだが、福塩北線で最も利用者が多いのは、ここ吉舎である。2022年の1日あたりの乗降数は242人。芸備線との接続駅である塩町の262人とあまり変わらない。福塩北線の沿線で町としては最も大きい上下駅でさえ114人。以下は2ケタ前半の数字が並び、備後安田は2人、中畑はデータなしとなっているので限りなく0人なのかもしれない(ただし私は3年前の訪問で中畑駅から地元のご婦人と一緒に列車に乗った)

吉舎駅の利用が多いのは前記事でも触れた広島県立日彰館高校の最寄りだから。周辺駅の利用者数を見ても、当駅の利用者の多くが高校生の通学のためだということが分かる

なお12時58分の府中行き、14時1分の三次行きがともに斜体文字で記されているが、これは臨時列車

試験日や入学式など早めに終わりそうな学校の日程に合わせて運行されるもののようで、学校があるということは青春18きっぷで利用するのは難しいということになる。もちろん私の訪問日は当然運行されていない。その一方で福塩北線の訪問には実に便利な乗り物でもあるのだが、JR西日本のHPには掲載されておらず、運行日は調べるには現地の人に聞くしかないという、なかなか難易度の高い乗り物でもある。ただ今回の旅にあたり携帯アプリの時刻表を順に眺めていくと、アプリには時刻がしっかり掲載されていて驚いた。一体どうやって調べるのだろう

後鳥羽上皇の言葉に基づく

その吉舎駅は1933年(昭和8)の開業。塩町(当時は田幸駅)から当駅まで福塩北線が開業。以降2年は終着駅だった。駅舎は当時からのもののようだ

駅名板と入口ののれんが目を引く。のれんは日彰館高校の皆さんによるものだ

中央に「よきやどりかな」と書かれている。これは地名の由来で、承久の乱で後鳥羽上皇が隠岐へと流される際、ここに宿泊し「吉(よ)き舎(やど)りかな」と語ったという。駅が設置された際は吉舎町で平成の大合併で三次市となった

のれんはホーム側の改札にもあって

こちらは「銀山街道 吉舎」と記されている

銀山街道は石見銀山と港を結ぶ道で中国山地を抜け笠岡へ向かうコースと尾道へ向かうコースがあったとされ、途中の街は福塩線の路線とかなり一致する。街道があって集落と街ができ、ずっと後になって街を結ぶ鉄路が敷設された

息吹は今も残る

無人駅だが、事務所は残り木製の手荷物受付もそのままの姿。「精算口」の文字も残る

ホーム案内は手作りのようだが、こちらもかなり歴史を重ねている

3年前の同時期、福塩線の沿線はほぼ葉桜となっていたが、今年の開花はやや遅いようである。貨物ヤードもそのまま残る。福塩線ではJR移管とほぼ同じタイミングで貨物輸送が廃止された。役割を終えて40年近くが経とうとしている貨物ヤードの向こう側には自動車道の高架が見える

町の中心部を国道184号が貫くと同時に尾道自動車道も横断している。2014年に吉舎ICと三次がつながり、翌年に尾道へも全通となった。全線無料で吉舎からだと三次まで約10キロ、尾道までも約40キロで車だとあっという間に着いてしまう。福塩線の沿線も甲奴、世羅、尾道北の各ICを利用すれば上下や府中までもすぐである。ただ後鳥羽上皇や銀山街道は車で通過すると、気付かないものだというのもまた事実だと駅を降りてそう強く思った

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まる一日費やして福塩北線の残り2駅回収を目指す~貸切列車で吉舎へ

※訪問は2024年4月3日

三次発吉舎行きに乗車

朝の三次駅。前夜は三次のホテルに宿泊した

ちなみに今回は以前お伝えした

芸備線の市岡駅、坂根駅訪問の翌日の出来事

とにかく今日中に吉舎駅そして河佐駅の回収を目指す。と言っても2駅の残し方が悪すぎて、困難というか、妙な意地がないとなかなか大変である

三次~府中の福塩線は3年前の時点では朝3本、夕方3本の計6往復だったが、現在は朝の三次行きの「最終」が吉舎止まりとなっているため、府中までは2本しかない。河佐まで行くのは、その2本。残し方が悪いと書いたが、この両駅はかなり離れていて

まぁまぁ遠い。線路で32キロとそれだけだと大阪~神戸とほぼ同距離で大したことないように思えるが、トコトコと非電化単線路線を行くと約1時間かかる

三次発の朝の福塩線は5時発、6時発ときて次が7時37分の吉舎行き。まず検討したのは5時発で、これは6時22分に河佐に到着。1時間待つと三次行きがやって来て、吉舎に8時22分到着。前述した吉舎止まりが折り返す関係で吉舎駅で30分待つと8時50分発の三次行きがあって9時20分に三次に戻って来られる。効率は良いが、寒さ負けに加え、暗いうちからかなりの雨が予想されるので却下。もっとも、この記事を書いている2024年7月25日に同じことをしろと言われると、この酷暑の中では涼しいうちにできるだけ活動したいので何も考えずに5時を選択しただろう

次の6時発は出発時はもう明るくなっているし手頃な感じ。だが時刻表を見て大きなショックを受けた。河佐に7時25分に到着するのだが、折り返しとなる三次行きの出発時刻が7時27分となっている。これってつまり河佐で列車交換することだ。さすがにたった2分で駅訪問とはならない

思えば3年前の福塩北線訪問時、河佐と備後三川のどちらかを断念する二択を迫られた際、あまり深く考えずに備後三川訪問としたのだが、その時に河佐を選択していれば、備後三川に20分滞在で、今回うまく2駅を回収できていた。まさか3年後にこんなことになるとは当時考えもしなかったが、随分大きなツケを支払うことになった

ということで7時37分の吉舎止まりに乗車。1度三次に戻り14時40分の列車まで何とか時間をつぶすことにした

予想外の貸切列車

ホームでは「吉舎」と行先幕が入った福塩線のキハ120が待っていた。この前の運用は分からなかったが、2両編成を単行にする作業が行われていた

乗り込むと間もなく出発したが

なんと貸切発進。ちょっと面食らう

福塩線の朝の3本が減便されたのは利用者減が理由だと思われるが、それでも1本が吉舎行きとして残ったのは、吉舎駅が日彰館高校の最寄りだからだ。ただし今は春休み。このようなことも起きるのだろう。この列車は塩町で芸術的な乗り継ぎに対応していて、塩町に到着すると備後落合方面からの三次行きも同時刻に到着。1面2線の狭いホームを利用した平面乗り換えが行われる

これが2022年4月の写真。右側に芸備線の列車がチラリと見えているが、その日の運行にあたったカープ列車に高校生が移動していた

ということで8時10分に吉舎到着。ちなみに前述した塩町で、もう1人の乗車があり、2人の下車。明らかに同業者だったが、青春18きっぷの季節に7時台のローカル線が貸切というのはあまりない光景なので、吉舎止まりは魅力がないのかな、と思っていたのだが、ちょっと安心した

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まる一日費やして福塩北線の残り2駅回収を目指す~3年前の振り返り

※訪問は2021年4月4~5日

北海道&東日本パスの道中をお伝えしている最中ですが、暑い中に7月の話を伝えることに、やや疲れてきたので今年4月の旅をしぱらく振り返ることにします

不退転の意思で臨む必要のある福塩北線

先日まで1月に行った福塩南線の全駅訪問をお伝えしたが、この時点で福塩線の未訪問駅は2駅

では、残り2駅に行くことにしようと今年春の青春18きっぷを利用して吉舎そして河佐の2駅を訪ねたのだが、その前に3年前の4月に行った福塩北線の訪問を振り返ることにする

福塩南線の記事で何度か触れたが、福塩北線の各駅訪問はなかなかハードルが高い。理由は簡単で「朝の3本、夕方の3本しか列車がない」こと(ちなみに現在は朝の1本が三次~吉舎の折り返しとなっていて、さらに難易度を上げている)

そしてもうひとつはダイヤの問題だが「新大阪発の始発の新幹線に乗っても府中発の午前便はすでに終わっている」こと。実はこれが大きい

これは当時の府中駅の福塩北線の時刻表だが、始発の新幹線に乗ると9時に府中に着けるが、すでに午前の列車は終わっている(前述したが現在は午前の3本目はなくなっていて、午前の「最終」は7時4分発となっている)。赤い文字は臨時便で、また後に出てくるが18きっぱーにはほぼ無縁の乗り物である。とにかく綿密な計画と強い意思が必要な路線である

初日は18きっぷの出番なし

ということで初日に購入したのは

府中までの乗車券。もちろん青春18きっぷの期間内なのだが、いろいろ計画を練った結果、初日は18きっぷを利用しても元をとれないと判断した

府中~上下には路線バスが走り、こちらは2~3時間に1本ぐらいの間隔で運行されているため、福塩線の駅まで近いところを通る停留所なら利用できる

ということで

府中駅前のホテルに荷物を預け

バスで下川辺駅へ

別系統のバスに乗り換え

バスで30分

冷たい雨の中、矢多田という備後矢野駅まで徒歩10分ほどの停留所で下車

ここから駅までの道はおそらく旧道だと思われるが、お昼の12時前、たまに車とはすれ違うものの、人と出会うことはなく、唯一出会った動物は牛舎の牛で存在を知らなかった私は「モ~」という鳴き声にビックリしたことを覚えている

備後矢野駅の名物「福縁うどん」に無事出会うことができてちょっと感激。再び矢多田の停留所へと戻り、府中方面へ約20分戻り

河佐安藤という停留所で降りると川を挟んだ向こう側に

超シブいホームだけの中畑駅があり、このころにようやく福塩線の午後便が始まる

備後三川駅まで行って府中へと折り返し、この日は終了

5時半スタート、バスも少なく

翌日は5時28分府中発でスタート。とにかく朝の3往復を目いっぱい有効に利用しなければならない。もちろんこの日は18きっぷで運転士さんにはんこをもらった

1時間かけて備後安田に到着。まだ朝の6時台

福塩線で最も標高の高く福塩北線では歴史的には最も重要駅である上下駅に到着

1駅三次側の甲奴に進む

福塩線は南線が約23キロで14駅(福山含まず、府中含む)なのに対し、北線は約55キロで12駅(府中含まず、塩町含む)。つまり駅間は北線がかなり長く、おまけに山地で坂が多く徒歩移動に向かないのだが、甲奴~梶田間は2・4キロで坂もなく、まぁ歩ける距離だ

そこで

米元大統領もやって来たという甲奴の街並みを通って

ホームのみの梶田駅で下車

駅から徒歩5分ほどの道路にはバス路線があって

なんとも立派な時刻表。8時25分に間に合わせて三次行きに乗車。これは三良坂を通るバスで

立派な三良坂駅に到着。朝の最後の列車で

塩町に到着した。この時点で10時。さすがに午後便は待っていられないと切り上げとなったが、河佐については日没でヤメ、吉舎については写真で分かる通り、三良坂駅にはタクシー会社が入居しているため、乗ればすぐ着くという計算でやって来たのだが、身体が動かなかった

というのが3年前の経緯。それ以来の福塩北線となるが、とにかく残った2駅は絶対回収のつもりで現地へと向かった

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2024年夏のホテル選びのコツを自分の経験から考えてみる

インバウンドで一気に値上げ

いよいよ夏本番。旅行に出かける機会も増える季節ですが、その際に必ず出くわすのが宿選び。半袖となった6月から各地をウロウロしている私ですが、昨年までとは大きく変化したと感じているのが宿のお値段。コロナ禍も明け、円安で訪日外国人旅行者が急増していることで、価格がかなり上がっていると感じています。そこで自分の経験から今夏のホテル選びについて考えてみたいと思います

大都市をあえて避ける

すでに昨年からの経験となりますが、ホテル代が高いなぁ、と感じるのは東京です。下手するとコロナ禍前より高いと感じることもしばしば。大阪については地理的に私が宿泊することはないのですが、かなりのお値段らしい。他の地域で言うと高いと感じたのは札幌、仙台、名古屋、福岡。いずれも各エリアを代表する大都市。以前から何度か宿泊しているホテルもあって、比較しやすいのですが「設備は確実に古くなっているのに何で高くなってるの?」と言いたくなる宿もチラホラ。そこで年明けあたりから一計を案じて宿泊する都市を工夫するようにしてみました

今年お世話になった都市をいくつか挙げると三原(広島)、中津(大分)、松阪(三重)、桐生(群馬)、北上(岩手)、丸亀(香川)など。共通するのは「県庁所在地など近隣の大きな都市から微妙に離れている」「有名ホテルチェーンも進出してホテル数もそこそこ多い」という点です。これは効果絶大というか、実際に泊まってみると電車で20~30分の大都市に比べると2000~3000円は安い。チェーン店ホテルには立地場所や季節によって価格が大きく変わる所と大都市でも中小都市でも価格はあまり変わらない所の2パターンがあり、それぞれ一長一短がありますが、2000~3000円安いというのは前者のパターンでの体感。またホテル予約サイトのページを開けた瞬間の体感でもあります。これだけ値段が異なるとビール代も含めた夕食分に値します

古めのホテルをあえて選んでみる

こちらは分かりやすい。施設そのものが古いホテルというのは、価格も安めの設定です。単に価格が安いだけでなく、朝食のみならず夕食までセットになって8000円未満という所もあって重宝しました。ホテルに大浴場まであると、もはや旅館感覚で旅先には行ったものの覚えているのは駅前風景だけという体験もしました

ただ施設が古めのホテルというのは個人的な衛生感覚も影響してきます。こちらに関しては予約サイトの口コミ欄で確認していただきたいと思います

そしてもうひとつ、これは現代の旅では避けて通れないものになっていますが、新しいホテルは、テーブルからベッドサイドまで部屋のあちこちにコンセントやUSBポートまで設置されているのに対して古いホテルはコンセントの数や位置が不満なものが多い。私の場合だけの例でもホテルでは「スマホの充電」「モバイルバッテリーの充電」「デジカメのバッテリー充電」「PCまたはタブレットとの接続」と最低でもこれだけの電源が必要です。にもかかわらずテーブルの上にはコンセントが空いているコンセントが1つしかなかったりする。他のコンセントを探すと風呂の入口とかで、それは掃除機用ではないのか?なんて思ったりすることもしばしば。ただこの点は大丈夫で、フロントでお願いすれば延長コードは貸してくれます。宿によってはテーブルの引き出しに既に延長コードが入っていることも。後は自分の備品として100均で売っているコンセントタップを用意しておけば、事足ります

また猛暑で大変ではありますが、駅からの徒歩距離を5分から10分にすることでグッと格安料金になることもあります

ホテル選びは細かい条件を重ねていくとキリのないものでもあります。私はいくつかのチェーン店ホテルの会員にもなっていて、予約サイトとの併用でチェックインの手間を考えたりやポイント運用を行うようにしていますが、せっかくの旅ですので納得のホテル選びをしてくださいね

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~500本目の記事はゴールのこの駅

高木駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

※動画あり音声注意

スタートは松浦鉄道

いつもお読みいただき、ありがとうございます。今回の記事が当ブログ500本目の記事となります。開始したのは2022年9月6日。674日での到達となりました。あいさつだけの1回目の後、最初の記事は松浦鉄道

見返すと文中の見出しもなく、やや読みにくい。そして写真が随分と小さく、これは鉄道ブログとしては致命的です。最初に写真を掲載したところ、スマホで閲覧した場合に、写真が出てくるのにおそろしく時間がかかったことで小さくしたのですが、その後に大きな写真も軽くする方法をさすがに覚えて現在に至るという情けない話で、まだまだ試行錯誤の途中ともいえます

ただこのトシになると、わずか2年前のことでも細かいことは忘れてしまうものですが、こうやって読み返すと「そうだったなぁ」と思い出が蘇ってきて、自分にとっても有意義なブログになっていると思います。X(旧ツイッター)と当ブログの2編成で情報を発信していますが、駅単体の客観情報はXで、詳細な訪問記と主観を交えたものはブログで今後も伝えていくつもりですので、よろしくお願いします

それぞれの記事の閲覧数が自分から見られるようになっているのですが、本数を重ねていくうちに当時は「反応少ないなぁ」と思っていた記事のカウンターが結構なものになっていて、この記事を書くためにさかのぼってみると驚くような数字になっていたりしてビックリするとともに励みになっています

最後だけはこの駅と決めていた

ということで福塩南線最後の訪問となったのは

高木駅。時刻表も見ずに福山をスタートした福塩南線の各駅訪問だが、最後はここにすることだけは決めていた

正確に言うと当駅は2019年12月に訪問済みで、福塩南線の全駅訪問は前回の上戸手駅で終わっているが、さすがにここまで来て、この駅に寄らないわけにはいかない。現在、全国で「高木駅」は唯一となっている。他にもあったが廃線、廃駅となった。同じ読みの「高儀駅」は城端線の項目で紹介したが、これは漢字が異なる

2023年の名字ランキングは1位「佐藤」、2位「鈴木」、3位「高橋」で、それぞれ百数十万人がいるそうだ。ただ駅名となると「佐藤」「鈴木」はなく(京急に鈴木町という駅は存在する)、高橋駅(佐世保線)がようやく登場する。意外と人名と駅名の親和性はないようにも思えるが、そもそも旧国鉄では旧国名をつけたりして同名駅を避けるようにしている

さて、この高木駅の位置はというと、お隣の鵜飼駅、その次の府中まで、それぞれ駅間距離は1キロと900メートルしかない

道路も2・1キロ。つまり2区間分でも30分で歩けてしまう距離なのだ。当駅から福塩線は福山市から府中市に入る(厳密には新市駅の敷地の一部は府中市となっている)が、駅周辺はすでに府中の街中の雰囲気

駅は鵜飼とほぼ同じ構造でスロープでホームに入る。1914年(大正3)の開業。住宅街にある単式ホームと待合所のみの駅

3年前と同じ景色だった。当然今回も駅名標前で自撮りを行ったが、すでにホームで電車を待っている人がいて、ちょっと恥ずかしかった(笑)

福山行きの105電車がやって来た。時間は12時40分。福山を出て4時間ほどで全駅訪問を達成したことになる。高木駅を最後に固定しなければ、もっと早く終わっただろう

実は福塩線では北線の河佐、吉舎の2駅が未訪問で、府中に近い河佐駅はこの日のうちに回収しておきたいと考えていたのだが、府中の「午後の始発」は15時。予想外に早く全駅訪問が終わってしまったため、2時間以上の待ち時間が府中で生じることになってしまった。それはちょっとかったるいかなぁ、と福山に戻って帰路につくことにしたのだが、それから3カ月後に福塩北線で苦労することになる。それについては、また後日

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~大きなビルを背後に持つ棒状駅

上戸手駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

ひときわ目立つビルとのコントラスト

戸手駅から上戸手駅に到着。見ての通り、単式ホームの駅だが駅舎の写真を撮ろうとすると大きすぎる存在がある

駅舎があって線路があり、その向こう側にそびえる2つのビル。すっかり雨が上がった直後だったのでコントラストが美しい

そのビルは「自重堂」の本社

地図でも分かる通り、大きな敷地である。駅から徒歩だと写真で分かるように踏切を越えればすぐたどり着く。自重堂とはワークウェアを中心とした大手アパレル。創業が1924年(大正13)で同社のHPによると関東大震災の直後で自戒の意を込めて自重の2文字を社名に盛り込んだという

2022年の駅の1日の利用者は874人。旧新市町の中心駅である新市駅より利用者は多い

駅舎は新築のコンクリート製

駅舎は戸手駅と同様のコンクリートの簡易的な駅舎である。2021年の利用開始と戸手駅とほぼ同時期。それまでは待合所のみだったことも同様。また駅前の広いスペースから、かつてはもっとしっかりした駅舎があったと思われるが、いつのころまでどのような建物があったのかは分からなかった。また現在の駅舎ができるころにホーム上屋が撤去されたようだ

開業は1914年(大正3)。当時の駅名は「両備天王」。国鉄となった1933年(昭和8)に現在の駅名となった。駅の近くにある素盞嗚(すさのお)神社は「天王社」とも呼ばれる

駅名変更は90年も前のことだが、かつての駅名を伝えるものが駅に通じる踏切である

名前は天王東踏切。過去にも今はない学校名がそのまま踏切の名前になっている駅を紹介したが、全国各地で由緒ある名前の踏切を見かけることがある。ちゃんと読みをふってあって「てんのお」と読むことを知る

踏切にはこのような注意書きがある。確かにそう言われると見にくい。ただ警報器に遮断機まで備えられているので、さすがに気付くだろう。そう思っていたら警報器が鳴っているにもかかわらず突っ込んだ自転車が渡りきれずに立ち往生。詳しくは書かないが、結果的には私が遮断棒を持ち上げて救出することになり、事故は起きなかった。ただ目の前で実際にそんな場面に遭遇するとは思わなかったのでビックリ

踏切から駅へと戻る。小さな階段で電車を待つ。さて、いよいよあと1駅である

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~ちょっとした山中の徒歩移動で出会った旧駅名標

戸手駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

雰囲気の異なる駅間徒歩

近田駅からお次の戸手駅までは徒歩移動である。もう何回も繰り返しているが、昼間は1時間に1本の福塩南線は1駅ぐらいなら歩いた方が早い区間がほとんどである。今回も空白を埋めるために徒歩となったが、駅間のレール距離は1キロしかなく歩いても大したことはない

今回はわずか15分。どこの駅もそうなのだが、都心の私鉄並みというか下手すると、それ以上に駅間は近い区間が多い

ただ地図を見て分かるのはちょっとこれまでとは雰囲気が異なる点。住宅街の中を走っている印象の福塩南線だが、これから県道ルートを行こうとすると住宅の少ない徒歩区間となるようだ

ルートを細かく見てもらえば理解できるかもしれないが、最初は絶対に車の通れない坂道に案内され、やがて県道に出る。この道路は万能倉~駅家の移動でも利用した県道で、その延長上にある。石見銀山街道と記されているが、石見銀山から港へ運ぶためのもので、日本海側の港に向けての街道や山中を抜けて瀬戸内海へと向かう街道など4つの街道があったとされるが、瀬戸内海方面へと向かう街道は笠岡へ向かうコースと尾道へと向かうコースがあったとされ、福塩線特に福塩北線の成り立ちと密接なつながりを持っている

地図では線路とくっついての道路となっているが、やや高台を通る。地図を見るとさらに北川に旧古代山陽道がある。かつては現在のメイン道路である国道486号ではなく、こちら側がメインコースだったのだろう。もっとも駅家付近ではひっきりなしに車が走る県道も、このあたりは閑散としており、車とはほとんど出会わなかった。その分、雨もあがって快適な徒歩コースだった。もっともこの記事を書いている7月8日の最高気温35度とかいう気候だったら、とてもじゃないが歩いていないだろう

新しい駅舎と出会う

駅前の広場に出てくると簡易的な駅舎と出会う

コンクリートで真新しい。駅の開業は1914年(大正3)。現在は福山市新市町だが2003年(平15)までは新市町。1955年(昭和30)までは戸手村。駅前の広大なスペースから、そこにはそれなりの駅舎があったと思われるがJR移管後に解体されたらしく、しばらくは待合所のみの駅だった。現在の姿は3年前から。簡易的なものではあるが、駅舎が約30年ぶりに復活したことになる

ホームに上がるとかつては列車交換のできる対面ホームだったことが分かる。その向こう側にもスペースがあり、さらにもう1本線路が敷かれていた形跡があるが、いずれにせよ現在は棒状化され事実上1面1線構造

しかしその廃ホーム上には貴重なものが残されている

おそらく国鉄時代の駅名標。備後本庄駅にも残されていることはすでに紹介したが

備後本庄駅のものとは違って木製の駅名標である。おそらく鳥居式駅名標だったと思われるが、鳥居を構成する上の部分がどこかに行っている。気候によって朽ちてしまったのか、あまり上部だけがないまま放置されているのは見たことがないが、その割には文字はしっかり読み取れる。このように雨ざらしで置かれると、やがて消えていくものだが、きれいに残っている。文字部分だけを更新したのかもしれないが、いずれにせよ貴重なもの。福塩南線では備後本庄駅のものが有名だが、木製のこちらもぜひ見てほしい存在だ

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~目をひく高い高い駅名標

近田駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

福塩南線では利用者最少

近田駅に到着。単式ホームと待合所のみという福塩南線では定番の形となっている

駅前の道路と入口が近くスロープ状でホームに直接入る形になっているのもよく見かける。開業は他の多くの福塩南線の駅と同じく1914年(大正3)。福塩南線のシリーズを始めてから、あまりにも「1914年」と入力するので、ここのところPCさんもすっかり記憶したらしく「1」と打ち込むと「1914年()」と表示されるようになっている(笑)

現在は福山市だが、1975年(昭和50)までは駅家町。さらにその20年前までは近田村が存在した。駅名は、その近田村に基づく

駅の周辺は住宅街だが、「街」という意味では、お隣の駅家駅周辺がにぎわいを見せる。またメイン国道となる486号まではやや距離があり、ロードサイド店もそちら方面に集まっているため人の集まりはそちら側に向かっているようで、駅の利用者は少なく、1日の利用者数(2022年)は福塩南線では最も少ない。とはいえ386人。平野部の住宅街を進む福塩南線では、利用者一桁の駅は存在しない。二桁もない。このあたりは歴史の違いだけでは片付けられない福塩北線とは別路線とも言われるゆえんだろう。

またこれは次の駅へと関連してくるが、駅の北側を走る県道、つまり万能倉駅から駅家駅まで歩いたルートは「石見銀山街道」の名がある通り、かつては駅周辺のメインルートだったのだろう

ひときわ目立つ駅名標

他の駅と少し異なるのは待合所の位置。ホームからは4段しかない小さな階段を降りるのだが、この空間はかつてもう1本の線路があったように思える。島式ホームだったことがあるのか貨物ヤードがあったのかは分からないが、線路跡のスペースのようだ。とはいえ待合所そのものもかなりの年代もの。国鉄時代の早い時期に現在の形になったものと思われる

そんな近田駅で目を引くのが

頑張る駅名標。ホームには2つの駅名標があり、ひとつは1枚目の駅到着時のもので、もう1枚がホームのフェンス外に建っているもの。「建っている」というより「立っている」と表現した方が分かりやすい。かつて線路があったであろう場所に設置されている。ホームのフェンスより高くしないと意味がないので精一杯背伸びする光景が、なかなかほほえましい。長大ホームではないので、わざわざホーム上に加えもうひとつを設置しなくても良さそうなものだが、かなりきれいに更新されている。これを見るだけでも駅訪問の意味はある

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~いろいろな意味で目前の棒状駅

鵜飼駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

府中の手前まで来た

駅家から一気に6駅北上して鵜飼で下車。すでに府中市に入っている。平成の大合併があったため、福塩南線約23キロの駅は福山市と府中市にしか存在しない。というか、福塩北線残り55キロを含めた全78キロの所在地を見ても他はほぼすべてが府中市と三次市。わずかに備後三川が高校駅伝で有名な世羅郡世羅町にあるだけで唯一の「郡部」となっている。

呉線の項でも少し触れたが、広島県の自治体は14の都市と9の町が存在する。村はない

その鵜飼駅は福塩南線の「始終着駅」である府中のひとつ手前。ただひとつ手前といっても

福塩南線の記事を始めていろいろな駅で何度も繰り返すことになるが、非常に近い。線路にして900メートル。道路はほぼ線路に並行しているので15分ほどで歩けてしまう。付近は府中市の中心部といってもいい場所だ。ついでに言うと、逆側の隣駅も極めて近いが、こちらはメインイベントとして最後の訪問駅とすることを決めていたので、その時に触れよう

簡素なホームと待合所

鵜飼駅は他の福塩南線の多くの駅と同じく1914年(大正3)の開業。単式ホームと待合所があるのみの簡素な構造。ホームにはスロープで出入りする。周辺は住宅街。有人駅だった時代もあるようだが、宅地化で周辺が大きく変化したのか駅舎があったのかどうか、そのスペースはどこだったのかも判然としない。地図で分かるが駅からすぐの場所にファミリーマートとセブンイレブンと2軒のコンビニがある。コンビニがあれば街中というものではないが、福塩南線では駅からすぐコンビニというのは貴重な存在である

地図を見ていただければ分かるが、駅の真ん前にはほっともっとがある。こちらも住宅街ゆえんだろう。ほっともっとで弁当を購入して1月にホワホワと上がる白飯の湯気でも楽しみながら、まさに「駅弁」を楽しむことを真剣に考えたが、ほぼ上がりかけとはいってもまだ小雨が降っている。天気予報では大幅に回復するらしいが待合所のみの環境で、食べているうちに雨が強くなると悲惨だと思い、企画としてはボツとなった

屋根があるとはいっても待合所はこれだけのスペースしかない。券売機を置いているぐらいなので雨はそれなりに避けられるのだろうが、踏み出す勇気がなかった。この企画は10分以上も歩いて見つけた弁当屋さんに感激して駅舎で食べた約3カ月後の芸備線の市岡駅に引き継がれることになる

もっとも弁当屋どころか自販機ひとつのありがたみも全く違うのだけど

中国山地はすぐそこ

府中方面に去っていく電車を見送ると天候もあって、もやがかかっているようだ。福山からいわゆる福山平野を走ってきた福塩南線だが、府中を過ぎると中国山地に分け入っていくことになる。府中以降の11駅訪問は、決して大げさではなくなかなか大変だ。3年前に一泊二日で福塩北線全11駅訪問を目指したが2駅取りこぼしたほど。その2駅は市岡駅の後にようやく回収できた。ほっともっとも中国山地も目前の駅である

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~分かっていたこととはいえ…目の当たりにした新駅舎

駅家駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

ついに徒歩移動の時

福山を朝の8時に出発したころは、まだ本数の多い時間帯だったが、万能倉駅に到着した9時半には1時間に1本の昼ダイヤと、ついに1時間に1本の時間帯に入ってしまった。ということで、ここはやむを得ない。お隣の駅家まで徒歩移動である

とはいっても、大騒ぎするほどのものではない

この区間は線路とほぼ並行に県道が走っていて、しかもほぼ平坦。駅間徒歩移動というより散歩レベルである。面倒なのは朝の三原駅から降っている雨だが、この時間帯は小降りになってきた。過去何度か書いているが、徒歩に適した気候は気温10度、風雨なしだと確信している。気温は適正でも風が強いと体感温度は下がるし、雨はどちらかというと論外である

ということで歩を進める。住宅街の道路なので足下は確か。心配は泥はねだけ

しばらく歩くと商業施設が目立つようになり、駅が近いことを感じる

5年前との違いをかみしめる

そして到着した駅家駅。ご覧の通り「簡易」とは言わないが「簡易的」駅舎である。しかも新しい。当駅は約4年前の2019年12月にも訪れているが、その時の写真がこちら

お分かりだろうが、大正期の開業時(1914年)以来の駅舎がサイズもほぼそのままで残っていた。さらに言うと有人駅だった。2020年に無人化され、翌年に旧駅舎は解体されている

駅名はかつての駅家町に基づく。鉄道が通った時には駅家村。1975年に福山市となり、駅家町は消滅しているが、大昔からあった地名ではない。前記事で紹介した万能倉村などが合併して新しい村が誕生した際、駅家という村名が誕生した。旧山陽道の宿場があつたことで名付けられた

関西弁なら叫び声だが

関西の人間が駅を見つけたら「駅や駅!」と叫んでしまう駅名として広まったこともあるが、この駅家という町名はよく考えられたものだと今にして思う

「駅」という言葉の意味を知らない人は日本にまずいないだろう。ただ日本に鉄道が導入された時は事情が異なっていた。「station」を日本語(和訳)する際、どういう言葉が適切かと検討された結果「停車場」が採用されたが、それまでの宿場の呼び名のひとつでだった「駅」の代わりになるものとしてstationに人が集まるようになったため、次第に元々の駅(宿場)はさびれ、いつの間にかstationが駅と呼ばれるようになり、一般への認知度では停車場を上回るようになった。その後、お上の方で2つの言葉の棲み分けがされ、鉄道用語には停車場は残っているものの、駅を含め「列車が停まる場所」という広い意味となっていて、日常会話に出てくることはなくなっている。

では「駅」とは何かというと、律令時代に設けられた街道の施設のことで、ここには馬と厩舎のほかにも休憩所や宿が設けられていた。だから人も集まる。「駅家」とも呼ばれた。文字に馬ヘンが入るゆえんである。だから「駅」という言葉は日本に鉄道が導入されるより千年以上も前からある由緒ある言葉なのだ。逆に言うと鉄道関連以外で「駅」を使う言葉は日常的にほぼない。だから自治体名や駅名となって残っているのは意義がある

現在の駅舎は

現在の駅名板も由緒ある言葉に敬意を表していたおしゃれなものとなっている

こちらはホーム側から見た駅舎。正面からのものも含めレンガでアクセントを出している。路線内の他の簡易的な駅舎とはほんの少し違う

もっとも駅舎内に窓口というものはなく、風の通り道としては吹き抜けだ

こちらは2019年12月に改札内から撮ったもの。姿は見えないが、在席の駅員さんが対応すべく改札口は開いている

湯田村、万能倉そして駅家と3駅訪問してきたが、いずれも由来を考えるだけで興味が尽きない駅だと思う

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