北海道フリーパス

今年も抜海で待っていた悲劇と稀有な体験~その2(こんな奇跡ってありますか)

※訪問は2024年8月27日

抜海駅百周年

「この先、豪雨のためしばらく停車します」の運転士さんのアナウンス(単行でお客さんは私を含め10人ぐらいだったので、アナウンスというより、ほぼ肉声である)

ということで、これからしばらくはお客さんたちによる朝5時台の「雨中抜海駅撮影会」となった。見た感じではかなりのお客さんが同業者(鉄道ファン)と思われる。皆さん、過去に抜海で降りたことがあるかどうかは分からないが、初めての方は、思わぬ貴重な体験となったかもしれない

私は昨年も来ているし、列車到着の20分前には駅に着いているので、もう撮影することはないが駅舎内にこのようなものがあった

「開業100周年おめでとうございます」

去年これがあったかどうか記憶にない。抜海駅の開業は1924年(大正13)6月。つまり今年の6月で100歳の誕生日を迎えた。もしかすると今年になってからのものかもしれない

確実に今年になってのものは駅前の通りを数十メートル進んだところにある

記念の石碑。地元有志によって建てられた。駅前ではなく、やや離れたところにあることが駅そして駅舎の置かれた現状を物語る。抜海駅はここ3年、稚内市の負担によって駅の維持管理が行われてきたが、市はすでに今年度で限りでの費用負担終了を表明。少なくとも現時点では9月24日から構内が棒状化されることだけは正式決定しているが「最北の木造駅舎」の将来は不透明である

代行タクシーで160キロの大移動

ということで抜海駅で1時間の待機を経ての結果は代行タクシーによる輸送。名寄以北はしばらく運行が難しいとのことでJR北海道さんが用意してくれたタクシーに分乗して名寄と稚内を目指すことに

北海道の地図は他の地域に比べると縮小サイズが異なる。抜海から名寄はすぐのように感じるかもしれないが

なんと160キロ以上もある。これは東京から東海道本線に乗車すると富士を軽々と越え、清水あたりまで行ってしまう距離。しかも高速道路はない。ただ途中はバイパスもあって国道40号もほとんど信号はないので2時間半で到達してしまう

つまり何のことはない、今年も稚内市からの南下(脱出とも言う)は鉄道ではなく自動車だった。「抜海駅から乗車」の目標はかなったが、乗車までだった。当然、雄信内も南幌延はバスである

突然声をかけられ

ということで名寄駅に到着。2時間半もタクシーに乗車するという、なかなか稀有な体験となった。とにもかくにも朝の9時半にここまで運んでくれたJR北海道さんに感謝である

駅には運休情報が並ぶが旭川に向けては特急以外は通常運行を行っているようで無事に南下できそうだ(結果的に午後からは全線で運行を再開した)

と、普通はここで話は終わりとなるのだが、最大の驚きはこの後。名寄から旭川行き列車に乗っていると、突然「高木さん」と声をかけられる。見ると2013年まで東京で勤務していた時の同僚

「何してるのですか?」

それはこちらのセリフだ。彼はロードのサイクリングが趣味で夏季休暇をとり北海道までやって来て、早朝に西興部を発ってここまで輪行で来たという

「オ、オコッペ?」

「いやぁ、朝からずぶ濡れで50キロ。大変でした」

と笑う。彼の趣味は知っていたが、思わぬ再会よりも、その元気さに驚いた。それにしてもピンポイントで名寄からの列車で会うかね。実は彼と私は結構ご近所さんで街でバッタリ会って食事をする機会もちょこちょこあったのだが、高円寺や阿佐ヶ谷の駅で出くわすのとは訳が違う。ここは名寄である。そもそも宗谷本線が通常通り運行していたら、この出会いもなかったのだ。私は旭川まで至る途中で下車。彼は苫小牧まで出てフェリーで帰京するという。10年以上前は世間に浸透していなかったLINE交換をオッサン同士でして別れた

それにしても宗谷本線は私に稀有な体験させてくれる路線である

その日は旭川で宿泊。当日の夜、実は少し悩んだ。翌朝の始発から行動すれば少なくとも雄信内へは行くことができる。天気予報も大丈夫そうだ。ただ問題は私と宗谷本線の相性である。昨年は旭川までたどり着いた翌日からは好天で根室本線の廃駅となる駅や、同じく根室本線の今となっては貴重な東滝川駅訪問、特急ニセコ乗車などを暑いぐらいの太陽の下で行うことができた。今年についてもこの日以降は雨とは全く無縁。要は宗谷本線乗車の際だけピンポイントで悪天候に見舞われた。しかも両日とも天気予報は良くはなかったが、決して運行ストップとなるものではなかったのだ

私が行くと、またストップするような気がしてヤメ。結果的には通常通りの運行となっていたようだが、これはこれで正解だったと思い、思い出だけを胸に秘めるとしよう

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今年も抜海で待っていた悲劇と稀有な体験~その1(予定だけは完璧のつもり)

※訪問は2024年8月26、27日

※音声あり動画注意

稚内で昨年を思い出す

夕刻の稚内駅。昨年8月31日の同時刻もここにいた。そして全く予定外だったが、なぜか翌日も稚内駅へ行くことになった

昨年9月1日はここに並んでいた

プライベート、仕事と全国各地でいろいろな体験をしているが、一生忘れがたいものとなった

宗谷本線がストップして稚内から旭川へと移動するのに札幌経由とか、ちょっとあり得ない

結果的に残り2枚だったバスのチケットを買った窓口。すべてが懐かしく思い出されるが、なぜこのような写真を掲載したかというと「二度と同じ目に遭いたくないから」である(笑)。そりゃそうでしょう

ということで

昨年と同じ18時10分発の普通に乗車し抜海を目指す

稚内から2駅目(といっても20分近くかかる)の抜海で到着。1日に3・5往復の列車しかやって来ない当駅。私を含め数人が降りた。私は本日、昨年と同じばっかすの世話になるが、他のお客さんはどう見ても地元の方ではない。ここで降りてどうするのだろう?と思ったが、ばっかすのご主人によると1時間後の19時33分(最終である)で稚内へ折り返す人だろうということ。ちなみに抜海から稚内へと向かう列車は7時50分、11時48分、19時33分の1日3本しかない

こちらが時刻表。そして写真の通り、朝の旭川空港に着いた時の雨はすっかりあがっている

それなりに考えた今回の作戦

1年ぶりに抜海までやって来た目的はまず「抜海から列車に乗車すること」

昨年は到着はしたものの、宗谷本線のストップで抜海駅のホームに入線する列車を見ることはかなわなかった。去りゆく列車を見送っただけだ。今年はなんとしても「乗車」したい

そして「雄信内」「南幌延」の両駅も訪問する。この記事を読んでらっしゃる方は駅名だけで分かると思うが、いずれも近い将来の廃駅が報じられている駅である

そのためには抜海から始発の5時39分に乗車しなければならない。その次の抜海発名寄行きは10時46分。3駅はいずれも普通しか停車しないので10時台からアクションを起こしていては間に合わないのだ

私が立てた予定は以下の通り

5時39分(名寄行き) 抜海発

6時32分(同)南幌延着

6時50分(稚内行き) 南幌延発

6時58分(同) 幌延着

7時32分(旭川行き特急サロベツ2号) 幌延発

8時37分(同) 音威子府着

9時8分(稚内行き) 音威子府発

10時14分(同) 雄信内着

12時4分(名寄行き) 雄信内発

言ったり来たりしながら南幌延と雄信内を巡ろうというもの。北海道フリーパスを持っているので特急も乗り放題である。特急に乗車しない場合は南幌延と雄信内は実は隣駅で

徒歩2時間で到達できる。南幌延に着いてから雄信内を発着する列車まで4時間近くあるので楽勝(?)といえば楽勝で、この場合はたとえ雨はなくても、どこかもう1駅訪ねることも可能となるが、おそらく人が歩いていることはほとんどなく、どんな生き物に遭遇するかもしれない徒歩2時間は、さすがに私には無理な相談である

ということで

翌朝はご主人の好意で5時15分には抜海駅まで送ってもらい

今年も抜海駅を堪能。雨がかなり降っていたが列車の運行情報に関するアナウンスはなく無事に稚内からこちらに向かっているようだ

そして定刻から、やや遅れはしたが名寄行きは入線。念願の抜海駅からの乗車

ちなみに当駅は棒状化が決まっていて9月24日からこちらのホームは廃止となる。その意味でも貴重な乗車。さぁ、後は南幌延に向かうだけ、となったが、このタイミングで運転士さんに無線連絡が入り「抑止」という声が聞こえてきた。この先、雨が激しくしばらく当駅でストップするという

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予備知識なしで石勝線の1日2・5往復の駅を訪ねる(後編)

川端駅を通過する特急

※訪問は2024年5月25日

※動画あり音声注意

気になるナゾの遺構

川端駅を降りて否が応でも目につくものがある

駅舎と逆側にある建物。駅の跨線橋から行けるようにも見える

外から見ると全容が分かる。「UNITOPIA KAWABATA」とある。印象的な客車は建物の一部なのだろう。こちらは由仁町。「ユニトピア川端」という施設でパークゴルフ場。跨線橋に登ると入口があった

だが扉はガッチリ施錠されていて入れない

由仁町のHPによると開業は1998年(平成10)。パークゴルフ場としては、かなり大規模なものだったようだが10年ほどで営業を中止している

跨線橋から眺めると分かるが、本屋の裏にもうひとつ客車がある。客車はレストランとしても利用されていたようだ。車両は人気列車として活躍したSLニセコ号のものらしい。車両=記録と記憶であるため、せめて車両だけでもきれいに保存できなかったものかと思ってしまうのは鉄オタならではの発想か

駅舎の傍らにはこのようなものもあった

一見すると何のことやら分からない。調べてみると(かなり時間がかかった)、これはダムのミニュチュアである

わずか3キロ。国交省の北海道開発局HPによると建設は1962年(昭和37)。泥炭水で悩まされてきた夕張川の治水のために大夕張ダムの下流に併せて造られたという。もちろんダムは今も現役で役割を果たしている

都会も近い

駅前には周辺地図がある。色あせた周辺案内図はローカル線の特徴でもあるが、こちらはきれいに更新されている。地図で分かる通り、道央と道東を結ぶ大動脈のひとつである国道274号は川端駅の正面で直角に曲がる。レストランや商店があるのも減速で目につきやすい場所だからかもしれない

地図には追分から北へと向かい、岩見沢へと向かう室蘭本線も描かれている。こちらが由仁町の中心部を通るのだが、同線の三川駅も比較的近い場所に描かれている。意外と近いんだな、と今後のためにも調べてみると距離にして約10キロ。とても歩こうという距離ではない。さすが北海道の地図はスケールが違うと感じた

しかし近いといえば、運賃表で分かることがあるのは新千歳空港はすぐそこだということ

千歳駅や南千歳駅、新千歳空港までは車で30分。駐車場さえ確保できれば、北海道の大動脈に乗車可能な位置にある

間に合って良かった

朽ちた遺構の話題ばかりしてきたが、前掲の地図と同様、駅前の植え込みはきちんと手入れされている。駅舎の待合室もお手洗いもきれいに清掃されていた

わずか2・5往復の時刻表にはこんな文言も

そろそろ出発の時間がやって来た

特急街道だけに駅にいると、貨物列車も交えてビュンビュン列車がやって来る

ホームは2面3線構造。かつての規模を感じさせるが、左側のレールは使用されていない。大正から昭和の初期にかけて夕張線は複線だった時代もあった。駅の前後にはスノーシェッドが備わっている。長大列車に備えた名残でホームは長い

跨線橋を降りると「乗車口はもっと前」の案内板があり、かなり歩いてようやく

乗車口がある。その先にも案内口らしい標識があるが

ということらしい。間もなく列車がやって来た。名残惜しいが、去らねばならない

1日5本のうちの1本に乗車。私一人だけ、と思っていたら、もう一人(40秒過ぎから猛然とダッシュしてやって来られます)。跨線橋から乗車口まで遠いのが、こういう時はもどかしいが、10代の方のようでスピードは抜群。何とか間に合って良かった。これを逃すと次の「最終」は5時間半後である

もうひとつの楽しみも

今の時代、特急列車を降りても何もない駅が珍しくない中、上下合わせて1日5本しか停車しない駅でハンバーグ定食をいただけるとは全く意外だった。駅ノートを拝見すると、訪問当日は休みだったお弁当屋さんも現役で営業しているようだ。ちなみにレストラン立石さんは火曜日定休だが、店主さんの体調により休業となる日がある旨が店に張り出されていた

明るい時間に川端駅訪問を行おうとすると事実上この1本となる乗車列車には、もうひとつの楽しみがある。追分駅で20分以上の長時間停車をするのだが、これは室蘭本線の上下列車との乗り継ぎのためで、1日に1回、室蘭本線の上下列車2本と合わせて普通列車同士が3本集合する備後落合状態となるのだ。眺めていて気分が盛り上がるひとときだ

11時半に千歳駅もしくは南千歳駅にいれば良いので難易度はそれほど高くはない。路線内でわずか1駅だけの普通列車しか来ない駅。訪問の価値は大いにあると思う

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予備知識なしで石勝線の1日2・5往復の駅を訪ねる(中編)

川端駅の臨時乗降口案内

※訪問は2024年5月25日

予想外の駅周辺に時間はたちまち

川端駅の列車別時刻表。「普通列車時刻表」とあるが、石勝線内を走る普通は1日にたったこれだけ。新夕張以遠は特急しか走らない。前記事でも触れたが、路線内で普通のみが停車するのは川端駅のみである。私は千歳発11時35分に乗って12時20分に川端着。13時28分で千歳方面へと戻る。これを逃すと18時58分。この日は17時40分の飛行機で帰る予定なので、間に合うとか間に合わないとかのレベルを超越している。ちなみに川端駅付近にバス路線はない。とにかく13時28分がマストである

そこまでが私が事前に得た予備知識。そんな駅前の光景は

こんな言い方をすると地元の皆さんに誠に失礼だが、かなり開けた集落がある。左手のガソリンスタンドは営業中で右手の建物は休みだったが、お弁当屋さん。車の交通量は多い。1時間あるので、とにかくミニ散策。と大通りまで出てみると

立派な商店がある。到着時間に備えコンビニでパンやドリンクを買い込んでやって来たのだが、その必要はなかったようだ。さらにその隣には

営業中のレストランも。これもまた地元の皆さんに失礼な話だが、いろいろ面食らいながら迷わず入店

ハンバーグ定食。ソースが美味しかった。この時期に北海道で定食を注文するとかなりの確率で添えられるアスパラが良いアクセントだった

ということで時間つぶしも何も30分ほどを消化。駅そのものはほとんど何も見ていないので、慌てて戻る

駅の歴史は明治期より

駅に戻る。現在は石勝線の駅だが、元々は追分から夕張を結んでいた夕張線の途中駅だった。私鉄としてスタートした夕張線の開業は1892年(明治25)と、かなり古い。日本で初めて鉄道が走ってから、わずか20年後。川端駅はその2年後の1894年に途中駅として設置された。路線の役割的にもちろん貨物輸送ず主体。木材運搬の駅として活躍した。つまり新夕張~新得の短絡線としての石勝線とは歴史も性格も異なる

新得までの石勝線開通(1981年)により石勝線に組み込まれ、新夕張~夕張は支線扱いとなったが、それでも夕張直通の列車があったため、今よりも停車本数はあった。いわゆる「攻めの廃線」で夕張支線が廃線となる約1年前の2018年2月の時刻表を見ると当駅には上り(千歳方面)6本、下り4本の停車があった。2019年の支線廃線で現在のダイヤとなり、今年3月には川端駅と並ぶ普通のみの停車だった滝ノ上駅が廃止。さらに前の2016年には東追分駅が廃止となっているため(同時期に滝ノ上~新夕張の十三里駅も廃止となっている)

駅名標はつぎはぎの隣駅表示となっている。駅ナンバリングも前述の駅については欠番である

食後のコーヒーでもといきたいところだが、意外と時間がなくなった。駅の敷地内についても見ていくことにする

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予備知識なしで石勝線の1日2・5往復の駅を訪ねる(前編)

川端駅の駅名標

※訪問は2024年5月25日

複線電化区間の2面4線高架駅で待つ単行キハ150

時刻は11時過ぎ

千歳駅の改札に私はいた。千歳駅といえば、千歳線の名称にもなった主要駅のひとつで、JR北海道のドル箱である快速エアポートをはじめ、新千歳空港には行かず苫小牧に向かう電車の始発着駅としても多くの電車が行き交う

時刻表もビッシリ書き込まれているが、右端の追分方面については随分と寂しい。またよく見ると、1日6本の列車があるが、うち4本は追分行きで、追分より先に向かう新夕張行きは2本しかない。最初の写真で分かる通り、その2本のうちの1本、11時35分発の新夕張行きに乗車する

JR北海道ならではのキハ150が既に待っていた。待っていたというよりも、約1時間前に追分からやって来た列車が折り返しを待っていたのだろう。いずれにせよ複線電化区間の高架駅で単行気動車は目立つ。ちなみに停車位置は随分と札幌寄りだが、エスカレーターに最も近い場所が選ばれているようだ

予想より多い利用者

これから目指すのは追分のひとつ先にある川端。千歳の隣駅である南千歳から分岐した石勝線は、追分での室蘭本線との交差を経て新得から帯広を目指す。札幌から帯広への短絡線として敷設された石勝線(新夕張までは事情が異なるが次回の記事で)は、山深い所を通るのと廃駅のため、約130キロにも及ぶ路線ながら、単独駅は川端、新夕張、占冠、トマムの4駅しかない。そしてここからは有名だが新夕張~新得は特急しか走らないため、乗車券のみの利用が可能。また川端以外は追分を含め特急停車駅となっているため、普通のみ停車の駅は川端しかない。つまり千歳から川端に行く手段は1日2本の普通のみ

今回は、その川端駅を訪問する。ただしダイヤ上、現地で1時間ほどの滞在時間があり、時間帯も昼間ということで事前の予習はなしで訪れることにした。滞在15分しかない日豊本線の宗太郎駅とは、このあたりの事情が異なる

列車は定刻通り出発。その時点で12人の乗車があった。意外と多い。さらに南千歳で6人が加わる。この日は土曜日。見渡した感じでは同業者(鉄道ファン)もそれほどいないようには見える。いずれにせよ親子連れ2組を含む18人とは私の予想をはるかに上回る利用者だ

しかし非電化区間の最初の駅である追分で、このうち13人が下車。大量の下車に驚いた。この時間帯は室蘭本線との接続が上下ともないはずなのに何故?と思ったが、この日は土曜日。車内の親子会話を聞いていると「あびらD51ステーション」を目指す人々が多かったようだ

そしてようやく目的地の川端に到着。到着といっても南千歳~追分は約7キロ、追分~川端は約10キロもある上、途中の信号場での長い停車を含めると45分もの時間が経過していた

支度して降りようとすると川端駅では残った乗客5人のうち3人が下車。てっきり私だけだと思っていたが、ちょっと違って面食らう。しかも同業者なし。つまり新夕張まで行く人は2人しかいなかったということだ

川端駅の時刻表。1日2・5往復となかなか見事。北海道の駅では最も停車列車が少ない

コンクリート駅舎は国鉄末期のものとされる。その頃にはすでに無人化されていたはず

駅舎内は広いが椅子が隅っこに4人分と控えめである。それだけに私以外に2人の下車があったことにちょっと驚いたのだが、駅前はというと

あれ?意外と規模の大きな集落だ

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天候に左右された2023年を振り返る(後編)

7月初日から足止め

7月は佐伯のホテルで迎え

早朝から名前シリーズを無事に全駅訪問。たった4駅ですが2日かかります。10月も同様の行動となるのですが、佐伯~延岡の超難関区間を訪ねる際は、必ず朝の6時台に活動を開始して7時台には強制終了となるので、ホテルに戻って改めて朝食というパターンが定着してしまいました。この日は蒸し風呂に入っているような気候だったので朝からあらためてシャワーを浴びたりする(笑)

ただ雨の方はというと最も活発な前線は九州を去ったようなので、すっかり安心

結果的に佐伯から延々と普通のみを乗り継いで日豊本線小倉に到着後、まだまだ明るいため、せっかくの旅名人きっぷなので小倉モノレールを堪能しているうちに前線が東に移動して山口県内のJRが全線ストップ。帰れなくなりました

もっとも足止め先が小倉という大都市だったので宿をとり、一度は残る1回の権利を持ち帰ろうとしていた旅名人きっぷは翌日に消化することにして事なきを得たのですが、山口県の鉄道網は、この時の雨で大きな爪痕を残しています

翌日は旅名人きっぷはフル活用して平成筑豊鉄道と

筑豊電気鉄道の両社に乗車。よく混同される両社ですが、全くの別会社。平成筑豊鉄道は元国鉄の第三セクター、筑豊電気鉄道は西鉄の子会社です

この月は四国バースデイきっぷを利用して

営業中の田井ノ浜駅で降車。コロナ禍が明けて久しぶりの営業となった海水浴用の臨時の当駅。訪問は青春18きっぷ利用初日の平日で、さすがにまだ人の姿は少なかった。自分の誕生日が7月で良かったと思える瞬間。この旅では香川県内の駅はほとんどいかなかったにもかかわらず、高松で2泊もしてしまい、どちらかというと「高松での飲み」が中心でした

雨のおかげでライトレール

この後は酷暑のおかげで行動は停止。急な葬儀で横浜に出かけることはありましたが、この後の1カ月間、猛暑の中で何をしていたのか、ほとんど思い出せません。活動再開は8月後半からで、残る4回の青春18きっぷをそろそろ使い切らないとマズいとなり、広島へ。当初は呉線方面へと出かける予定でしたが、三原で新幹線を降りると激しい雨のため呉線は遅延。山陽本線も遅延していましたが、しばらく経つとダイヤも復活しそうだったので、思いつきで瀬野で下車

久しぶりのライトレールは。おそらく私にとっては最後の乗車になりそうです

そして31日からは月またぎで北海道へ。これは私にとっては一生忘れられない体験になることは、ほぼ間違いありません

トラブル続出の北海道

到着の当日は天候にも恵まれ、旭川空港から順調に稚内へ到達

折り返しで抜海で降り立ち、地元の宿で楽しいひとときを過ごしたまでは良かったのですが、翌日に宗谷本線が全線でストップ。旅人宿「ばっかす」のご主人の機転で稚内→(バス)→札幌→(JR)→旭川というルートを教えてくださり、無事に旭川にたどり着くことができましたが、大回りをしての500キロもの移動はかなり大変でした

そして、これはあまり書いてこなかったのですが、北海道上陸とともにカードのトラブルが発生していました。カード会社も電話をくださるのですが、旅先の移動中ばかりで、うまく通話がつながらない。稚内でバスのチケットを確保してから出発まで2時間近い時間があったため、これは良い時間だと、こちらから電話。ただカード会社でよくあることで、オペレーターとの電話が全くつながらず

稚内に行ったことのある方なら、距離感が分かると思いますが、駅で電話をかけ、つなぎ放しにしたまま防波堤ドームまで歩き、探索して駅へ戻ったころに、ようやくつながった。感覚的には稚内から札幌までのバス6時間より、長かったです

カード会社との話はまだ終わらず、今度は向こうから電話をくれることになったのですが、当日は移動だけで電話に出る時間がなさそうなので

翌日に廃線予定の根室本線各駅を回って一度富良野に戻ってくるタイミングの、おそらく富良野カレー店の前で並んでいるであろう時間帯を指定したところ、ピッタリその時間に電話をいただき、電話を切った直後に入店の順番が来てトラブルは解決しました

北海道から帰ると今度は青春18きっぷの残る2回を消化すべく高山本線へ。あまり世の中で話題にならないのですが、廃ホーム上に神社がある角川駅が路線すべてで最も印象に残る駅となりました

9月は

珍しく観光で長野県の戸隠神社で戸隠そばを食べたりして

広島県の庄原で芸備線・木次線のイベントに参加

岡山での乗継ぎ割引もなくなっているので、岡山まではおとなび割引で新幹線を利用。岡山からは普通を乗り継いで備後庄原まで行ったのですが。3080円という運賃にビックリ。考えてみると、このあたりの区間って青春18きっぷのようなフリーきっぷか、神戸市内からの通し運賃でしか乗車したことがないので、こんなに距離があるとは実感できていませんでした

平日にもかかわらず、備後落合駅は件の1日1本の集合便に乗車する人でいっぱい。18きっぷの季節はもっと凄いのでしょうね

イベントを夕刻に終えると、バスで広島駅まで行き新幹線で帰宅。考えてみると、この日は一切、芸備線には乗車していない。この時間帯なら、このコースが最速なのでやむを得ませんが、芸備線のイベントに来て芸備線に乗らずに帰るというのは、ちょっと複雑な気持ちでした

完全制覇…とはならず

10月はハロー自由時間きっぷで九州新幹線の全駅訪問を達成。これで全国各地の新幹線駅すべてを訪問したと喜んでいたら、北陸新幹線の飯山駅という乗り残しがあったことに後で気付く。昨秋、JR東日本パスで上越新幹線と北陸新幹線の各駅を訪問した際に乗車した新幹線が飯山駅通過だったのです。わずか1駅だけ残して、これは痛恨。来春の敦賀延伸以降の課題となりそうです

この旅では再び宗太郎ルートにチャレンジして市棚駅訪問。またもや訪問後、延岡駅のホテルで朝食となりました

この後、鉄道の日記念パスでようやく高山本線の全駅訪問を達成

その足で名鉄訪問となりましたが

名鉄275駅で最も利用者の少ないこどもの国駅に寄ったり

信号の赤↔青だけで飽きない西枇杷島のデルタ線が楽しかったです

急な「主役」に驚き

11月は降り鉄にとっては、徒歩も苦にならない最も良いシーズンなんですが、歯科医の自費治療で会社員時代の1カ月分の手取りに近いお金が消えていったので、どこにもでかけず。12月の声を聞いて青春18きっぷによる外房線の全駅訪問を行いましたが、その後、大きなニュースになって驚きました

こちらが浪花駅時刻表。6時36分発の青文字となっているのが、話題となっている勝浦6時25発の1日1本の東京行き通勤快速です。この時は貴重な1日1本だなぁ、としか思っていなかったのですが、まさか県知事や市長、町長が正式抗議する事態になるとは考えてもいませんでした

前編より長くなってしまいましたが、おそらくそれは後半の方がアクシデントが多かったからだと思われます。年明けは青春18きっぷの残り2回分を使用すべくスタートするつもりです

皆さま、よいお年をお迎えください

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天候に左右された2023年を振り返る(前編)

2023年も間もなく終わり。今年はというと、行く先々で気候に左右された年でした。そこでこの1年を簡単に振り返ってみたいと思います

廃駅訪問から1年がスタート

年明けは廃駅の参宮線「池の浦シーサイド駅」訪問からスタート。

バスでも近鉄、JRでも比較的訪問が容易な廃駅。夏に行ってみたい廃駅です

翌日は青春18きっぷの残り1回の権利を使用して紀勢本線から関西本線、草津線、東海道本線で帰ってすたのですが、たまたま居合わせた電車の写真が今にして思うと貴重なものになりました

念願叶う

2月は「西日本グリーンきっぷ」で念願のやくもパノラマカーのかぶりつきシートに着席。長年の夢がかなって満足でしたが、新神戸~岡山~米子~倉吉~京都~金沢~上越妙高とたどった旅で糸魚川や富山よりも鳥取県が最も寒かったです

映画を見てから約40年

3月はJALのタイムセールとJR東日本の鉄道開業150周年ファイナルパスを使用して東北へ。昨秋にもお世話になりましたが、この発売がないと新幹線全駅訪問は下手すると未達成で終わっていた可能性が高い。仙台まで空路で、それほど寒くはなかったのですが岩手県に入った途端にものすごい寒さでした

おかげで川部駅の旧駅舎にもギリギリ間に合い、カウントダウンに入った川部駅のみどりの窓口で青春18きっぷを買うことができました

その足で映画「砂の器」を見てから約40年。こちらも念願かなって羽後亀田駅に行くことができました。亀田の街は駅からかなり離れていて、駅がこんなに寂しいところにあるとは知らなかった。秋田県内の羽越本線の駅で古い駅舎が残るのはここだけ。映画やドラマの功績が大きいと思いますが、窓口もなくなり、ホームも旅客用は単式となりました。今後が心配です

この月は突如、地元の和田岬線に同業者が全国から押しかける事態がありました

またとにかく歩いた名松線全駅訪問もこの月。まだ動植物が本格稼働していない季節でしたが、家城以遠の山中では、ゴソゴソという物音がしたかと思うとシカやイノシシに出会い、伊勢竹原では駅前にやってきたサルともバッタリ。新緑の季節を過ぎると夜に歩くのは絶対やめようと思いましたね

昭和以来の訪問

4月は青春18きっぷの残りで山陽本線沿線をウロウロ

結果的に18きっぷを使用して笠岡ラーメンを食べに行くという旅となりましたが、めちゃ美味かったです

そして、こちらもタイムセールを利用して最後に訪れたのが昭和だったという沖縄へ。37年ぶりの訪問では、ゆいレールの全駅訪問を行いました

意地で「最南端」へと向かった

5月は私にとっては全国で2県あった「最後に訪れたのが昭和」の残る1県である大分へ。大分県については最後が昭和というより幼少期で旅客用として普通にSLが走っていたころだったので、記憶もあいまい

日豊本線をジワジワ南下した後、延岡に宿泊して宗太郎へ

そり後は今も残る美々津駅近くの鉄道総合技術研究所だけを見に行くつもりでしたが車窓を眺めているうちに、どうしても実験線の「最南端」を間近で見たくなり、急きょ予定を変更して翌日

現場へと向かいました

別府からは八幡浜までフェリーで。八幡浜には10回以上行ったことがありますが、四国~九州の船に乗るのは初めてだったのでうれしかったです。また大分県では土地勘もなくキョロキョロしっ放しだったのに四国に上陸すると、急に勝手知ったるなんとやらになってしまう自分の感覚がおもしろかった

この月はJALのタイムセールに追われるまま活動も活発で月末には北海道へ。留萌本線の残る区間の全駅訪問を行い

廃線間近となった根室本線の各駅訪問をしようとしたところ、金山駅から乗車しようとした占冠村営バスの時刻表が外れているという事態に大いに焦りました

小幌駅訪問の後は洞爺湖温泉の「湖の膳舎なかむら」へ。10年前、東京で勤務していた時に行きつけとしていたお店が当地へと引っ越し。当時はマンションの玄関から徒歩10秒で行けたお店が1500キロも離れてしまったわけですが、再会を果たせました。料理も変わらず美味しかったです

長崎新幹線に初乗車

6月は会津若松からレンタカーで旧熱塩駅を訪問した後、喜多方ラーメンを食べ

只見線に乗車

月末には7月へとまたがる九州への旅へと出発して九州新幹線の長崎ルートに初乗車

雨の前線を避けるように移動した旅となり、豊肥本線は運休となるギリギリのタイミングで大分県に到達

5月に続いて佐伯へと向かい、佐伯~宗太郎の「名前シリーズ」の各駅訪問。列車本数が極めて少ない上、途中の移動では

冠水で道路がさえぎられるというアクシデントもあって、全駅の乗車または下車はかなわなかったものの

2日かけて「上岡」「直見」「直川」「重岡」の4駅を訪問(つながる4駅を1日で回れなかった)。現地で月替わりを迎えました

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北海道フリーパスと青春18きっぷ~自らの体験で比較

旅の質量で異なるが

12月10日から青春18きっぷの利用期間が始まります。私のような駅巡り中心でローカル線の比重が高い者にとっても、乗り潰しがメインの人でも重宝なきっぷですが、これが北海道となると多少事情が異なります。とにかく北海道は広い上、エリアによっては普通列車の運行が極めて少なく、特急に乗車せざるを得ない区間があるからです。その反面、普通しか走っていない区間もあり、その意味では廃線を控えた根室本線の富良野~新得間は、旭川~富良野の富良野線も、滝川~富良野の根室本線も青春18きっぷにはピッタリかもしれません

その一方でJR北海道では7日間、道内の在来線特急に加え、一部のJRバスも乗り放題(指定席は6回まで)という北海道フリーパスを発売しています

料金は写真で分かるように青春18きっぷが1万2050円で北海道フリーパスが2万7430円と約2倍。前者は利用期間が決まっているのに対し、後者は通年発売です。ただ年末年始とGW、お盆の期間は利用できません

大きく異なるのは青春18きっぷが期間内であれば、任意の5日間を選べるのに対し、北海道フリーパスは最初の利用日から7日間という縛りがあること。つまり北海道フリーパスを利用するのなら、まとまった休み、最低でも4~5日は道内に滞在しないと慌ただしいだけになってしまうどころか、元をとれなくなってしまいます。つまり旅の質と量によって利用法も変わってくるのですが、8月31日から9月5日までの6日間という青春18きっぷ期間に北海道を訪れ、北海道フリーパスを使用したので、料金を比較してみることにしました

ただ、これはあくまで宗谷本線の不通というアクシデントも含めた結果から導き出したものであることをご了承ください

実際の行程

まずは実際の行程ですが

8月31日

旭川空港に到着後、旭川駅で北海道フリーパスを購入して

宗谷本線をウロウロ→士別から特急で稚内へ→稚内から抜海へ行き、抜海泊

9月1日

大雨で宗谷本線不通につき、稚内から長距離バスで札幌へ→特急で札幌~旭川、旭川泊

9月2日

旭川~富良野→富良野~落合をウロウロ→富良野~滝川、滝川泊

9月3日

滝川~茂尻をウロウロ→滝川~札幌をウロウロ、札幌泊

9月4日

札幌~長万部(特急ニセコ)→長万部~昆布、昆布泊

9月5日

蘭越~新千歳空港をウロウロ→飛行機で帰阪

となりました

5月にも北海道フリーパスを利用していて、この時は

かなり特急に乗車したこともあって大幅に元をとっていますが、今回は特急に乗車したのは、わずか3回のみ。その意味でも比較しやすいものとなったかと思います

6日のうち1日は18きっぷを使用せず

実際の旅は6日間で18きっぷは5日分しか利用できませんが、冒頭で宗谷本線の不通があったと記した通り、うち1日は18きっぷの登板はなく終わります。その面でも、あくまで結果から逆算したものとなりますが、まず特急課金をしたとして利用した料金は以下の通り

士別~稚内 乗車券4840円+特急券2420円=7260円

札幌~旭川 乗車券2860円+特急券1830円=4690円

札幌~長万部 乗車券3630円+特急券2730円=6360円

特急ニセコは全席指定席なので指定席、他は自由席ですが、この3列車を合わせると1万8310円で18きっぷの1万2050円を合わせると3万360円。北海道フリーパスに軍配が上がりますが、特急ニセコについては、前日にダメ元で滝川駅の窓口に行ったら、たまたま空席があっただけで、そうでなければ小樽から函館本線の山線をトコトコ走っていたことになるので、だとすると、この6360円がなくなって2万4000円。他の2つの特急は絶対に乗らなければならないものですが、それでも18きっぷの方がお安い

今回の旅は最終日にもアクシデントがあり、山線で小樽までたどり着いた時に千歳線のダイヤが大幅に乱れていることを知りました。朝から好天で天候のことなど全く気にかけないでいたのですが、朝に千歳付近で大雨があり、一時千歳線や室蘭本線がストップしていたとのこと。時間はたっぷりあったのですが、飛行機に乗れないのだけはマズいと、とにかく慌てて千歳方面へと向かい、楽勝だろうと思っていた小樽~札幌のいくつかの駅は素通りすることになりました

さすが北海道の大動脈路線とあって千歳に着くころには通常ダイヤに戻っていましたが、今回の旅では特急に乗車した回数が少なかったので、長万部に出て室蘭本線の特急で千歳に向かおうなんて邪心を出したら危険なところでした

北海道フリーパスと普通料金を支払った場合の比較については、特急わずか3回の利用でしたが、こちらは行ったり来たりを多数繰り返したため、もちろんプラス収支となっています

気になる今後

北海道の旅というのは、天候によるアクシデントがつきもので、特に寒い時期はその可能性も高くなります。私のように自分のいる場所は何ともなくても離れた場所は全く違う天候となっていることも多い。18きっぷのみの北海道の旅は危険度が増すというのが私の基本的な考えですが、思わぬ出費が生じることもある、という前提できっぷの使い分けをしていただければと思います

さて先日、JR北海道から発表があり、来春から室蘭本線、石勝線経由根室本線の特急について「全席指定席」になるとのこと。現在、乗車券のみで利用できる石勝線内については空いている指定席に座れるそうだが、特急の短距離利用が目につく室蘭本線については、どうするのでしょう。券売機のある駅では自由席特急券を買って乗車していたが、そうはいかなくなるので窓口に並ばなければならないのか。えきねっとを使えない人はもちろん、現在25~50キロの特急は自由席630円なのに対し指定席は1160円と大幅値上げげとなってしまう。25キロ以下は320円→850円と倍以上の値上げです

北海道フリーパスについては現在「指定席利用6回まで」となっているが、このルールもそのままでしょうか。いろいろ気になる今後です

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根室本線の2駅を紹介~住宅街、コンビニもある駅の歴史と未来

東滝川駅の駅名標

※訪問は2023年9月3日

滝川駅のお隣

茂尻から滝川方面へ2駅。東滝川で下車。駅名からも想像がつく通り、函館本線との接続駅で特急停車の滝川のお隣の駅

長いホームを持っている。一見、単式ホームで側線が残る形かと思ってしまうが

歩いていくと駅舎を挟んで上り下りホームが配置された千鳥状であることが分かる

東滝川駅は1913年(大正2)の開業。現在は駅の住所も東滝川だが、当時の地名から「幌倉駅」と名付けられた。お隣の赤平市の中心駅である赤平駅と同日開業である。現在の駅舎は戦後間もない1950年に改築されたもの

幌倉の歴史を知った後に少しビビる

駅舎内は幌倉の歴史展示室にもなっている。入植が開始された明治期以来の歴史がイラスト入りで丁寧に描かれている。かなり立派なものだ

これだけの展示物だけで地域の人々が幌倉という地名にいかに愛着を持っているかが分かる

解説によると地域名は付近を流れるポロクラ川にちなんだもので、ポロクラとはアイヌ語で「弓を置く場所」の意味だそう

またかつての駅事務室は子どもの勉強スペースにも使用されているようだ

入口でよく見ると、何やら張り紙がある

1週間ほど前の話のようだが、ちょっとビビった

赤平へ向かうには

私がホームに降り立ったのは8時35分。次の滝川行きは11時2分で、2時間半も空く。次は赤平駅に向かう予定だが、それにしても9時58分。次は赤平に向かうつもりだが、時間が空きすぎるのでバスを頼ることにする

駅前にバスは来ないので徒歩5分ほどの国道38号まで出る必要がある。国道までたどり着いて振り返ると道路の奥の行き止まりが駅という各地で見かける光景。写真で分かるように周辺は住宅街。そして国道にはコンビニがあったので

バスを待つ間、セイコーマートおにぎりで朝食とする

セイコーマートにも駅と同様の張り紙があって、これまたビビる。ただコンビニは日曜朝から人の出入りも多いし、メイン国道は車がビュンビュン通るので、この時間帯は大丈夫だろうとバス停に立つ

廃駅報道

東滝川の停留所でバスを待つ。滝川から根室本線の各駅とその近くを通って芦別駅へと向かう路線バス。1時間に1本程度あって根室本線より、ずっと多い。富良野から根室本線に沿って走り、滝川から高速道路で札幌に向かう「ふらの号」も7往復存在する(乗車区間に制限がある)

と、ここまでなら普通の駅紹介だが、今回東滝川を訪れたのは廃駅報道があったからだ

現時点で東滝川の1日の利用者は1日5人にも満たないという。根室本線の富良野~滝川間は1日9往復の運行がある(上りの早朝1本については芦別始発)が、うち2本の快速については東滝川通過である。理由は旅客の少なさなのは明らか

周辺は比較的大きな住宅街で、メイン国道も走っていればコンビニまである。現地を訪れて分かったのだが、このような環境で駅が廃止されてしまうのか、と、ややショックだった

もっとも私が利用したようにバスは頻発している。ただし路線バスについては鉄道より遅く、料金も高い。対照的に札幌へはバス利用の方が圧倒的に便利である。ふらの号は滝川には行かず、ここ東滝川から高速道路で直接向かう

東滝川駅と滝川駅の間に滝川インターがあるので滝川駅まで行かずに高速道路に入ってしまうからだ。東滝川は鉄道よりバスが充実している地域となっている

草に覆われつつあるホーロー駅名標。当駅の両区間には信号場が存在した。いずれも戦後の石炭全盛期に設置されたもので、エネルギー転換とともに信号場も役割を終えた。新たに信号場が必要なほど多くの列車が行き交っていたこの地域。これほど立派な「展示」がある駅には、ぜひとも残ってほしいものだが…

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根室本線の2駅を紹介~車窓からグッとくる茂尻駅

茂尻駅の駅名標

※訪問は2023年9月3日

本来は滝川~富良野全駅予定も

根室本線の廃線予定区間である富良野~新得間の全駅については先日までに紹介するつもりだったが、本来の予定だと富良野~滝川間の駅もすべて回る予定だった。それが宗谷本線の思わぬトラブルですべての訪問を変更せざるを得なくなり、来年以降に持ち越しとなってしまったが、その中でも訪問できた2駅について、いろいろな事情を含んでいることもあり紹介します

まずは茂尻駅

前夜は滝川に宿泊。ジンギスカン松尾本店に立ち寄り迎えた朝、滝川から3駅目となる茂尻に到着

この駅については車窓からの眺めの時点でグッとくる

このたたずまいというか存在感。赤平は必ず行くとして(芦別は訪問済み)他は2駅ほどしか行けないな、と思っていたが前日の車窓からの眺めで最優先に決定

これは車窓からも見えるのだが「もしり」のひらがな3文字に心を揺さぶられるものがある。北海道でおなじみのホーローが目に入らないぐらいだ

茂尻炭鉱の中核

駅舎については後回しにして、まずは外に出てみよう

うーん、ザ・高台である。駅の周辺は住宅街。かつて栄えた茂尻炭鉱の中核をなす地域でもあった。急行「狩勝」も停車していた

かなりの規模の町が広がる

階段から駅はまさに「見上げる」

そして駅舎は

かなり風雪に耐えた感がある

茂尻駅の開業は1918年(大正7)。すでに現在の根室本線の形は出来上がっていて、お隣の赤平駅も5年前に開業していたが(当時の駅名は上赤平)、新たに茂尻炭鉱を開坑することになり、炭鉱の貨物専用駅としてスタート。8年後に旅客駅となった。駅舎は当時からのもの。急行停車駅でもあったため、大きな駅舎を持つ

駅舎内も驚き

そしていよいよ駅舎内である

駅舎の写真を見てもらえば分かるが、窓の部分が板張りになっている

つまり朝も昼も中は薄暗い。訪問は朝の8時だったが、一体この暗さは何だろうと思ってしまう

そして左側に見える

ツルの絵画。丁寧に陳列されているが、一体なぜここにあるのか分からなかった

大正期から戦前、戦中そして戦後と休みなく石炭が産出されていた茂尻炭鉱だが、エネルギーの転換期に起きた1969年のガス爆発事故をきっかけに閉山。露天掘りは続いたものの1974年には完全に使命を終えた

1965年、まだまだ元気だったころの風景画も飾られていた

再び駅構内に戻る

ホームとは跨線橋で結ばれている。右手の跨線橋と駅舎の間の空間からもホームに入れる、つまり駅舎には入らなくても済むようになっている

カサカサと乾いた音がしたので身構える。世の中の活動が始まっている時間帯ではあるが、やはり怖さはある。すると奥の茂みから出てきた小動物がスルスルと駆け抜けていった。イタチ風だったが、硬直してしまった分、写真は撮れなかった

次の目的地である東滝川に向かおう

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