2025年 3月 の投稿一覧

大糸線全40駅を訪問するお話~開業はこちら先だけどの快速停車駅

信濃常盤駅の駅名標

※訪問は2024年9月10日

18きっぷ「最終日」とは夢にも思わず

前夜は豊科に宿泊。松本でもそう大差はないが、せっかくなのでこれまで宿泊したことのない町に泊まることに。本日は9月10日で青春18きっぷの最終日。そして私が持つ18きっぷも本日が5回目の最終日である。毎度のことながら18きっぷについては、最後にギリギリ頑張って使い切るパターンばかりで、今回については3~5回目を期限ギリギリに3日連続で使う完全な駆け込み利用となり、3回目こそは原価割れ(1日に2410円以下の使用)となってしまったが、前日9日は篠ノ井から松本経由で大糸線内をかなりウロウロしたし、本日は糸魚川まで抜け、そこからは北陸新幹線を利用するものの敦賀からは新快速で再び18きっぷを利用するので、大幅に元をとった。そもそも中央西線の駅巡りでか前夜は豊科に宿泊。松本でもそう大差はないが、せっかくなのでこれまで宿泊したことのない町に泊まることにした

本日は9月10日で青春18きっぷの最終日。そして私が持つ18きっぷも本日が5回目の最終日である。毎度のことながら18きっぷについては、最後にギリギリ頑張って使い切るパターンばかりで、今回については3~5回目を期限ギリギリに3日連続で使う完全な駆け込み利用となり、3回目こそは原価割れ(1日に2410円以下の使用)となってしまったが、前日9日は篠ノ井から松本経由で大糸線内をかなりウロウロしたし、本日は糸魚川まで抜け、そこからは北陸新幹線を利用するものの敦賀からは新快速で再び18きっぷを利用するので、大幅に元をとることになる。そもそも中央西線の駅巡りで、かなり乗降を繰り返したので、なかなかの回収ぶりだったはず。まさか、この時は18きっぷのルールが変わるなど夢にも思っていなかった

朝7時台の豊科駅は無人だった。信濃大町行きに乗車すると車掌さんが乗っている列車だったので、一番後ろに乗ってサインをもらう。無人駅から乗車するとワンマンの運転士さんや車掌さんからハンコやサインをもらうことになるのだが、結果的にその「最終日」となってしまった

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国有化までは常盤駅

約30分で信濃常盤駅に到着。駅だけ見ると全く普通だが、何か違和感を感じたのは松本以来の交換可能駅はすべて島式ホームだったからかもしれない

当駅は1915年(大正4)の開業。信濃鉄道が池田松川(現信濃松川)から信濃大町(初代)まで到達した際、常盤沓掛(現安曇沓掛)とともに設置された。当時の駅名は常盤。命名の理由はシンプルで、この2駅が当時の常盤村に所在したからだ

そのあたりは安曇沓掛駅の記事でも触れたが、1937年(昭和12)に国有化されると両駅とも名称変更となってしまった。現在、JRで単に「常盤」だけの駅は宇部線(山口県)にあるのみ。宇部線の駅は1925年(大正14)の開業。大糸線の駅が10年先に開業しているが、まだ国鉄ではなかった。国鉄になった時にはすでに宇部線の常盤駅があったという解釈なのだろうか

植木は立派に手入れ

駅舎は令和になったから建て替えられたもの。以前は開業時からとされる駅舎だったが、簡易的なものへと変化した。ただしちょっとした高台にある駅舎への階段脇の植木は立派に手入れされている

大糸線は朝に1本、快速が運行されている。上りのみの運行(夜には南小谷~信濃大町の上り快速が1本ある)で、信濃大町を出ると安曇追分までが快速運転を行い、後は松本から篠ノ井線、中央本線に乗り入れ延々と各駅に停車するものだが、最初の停車駅が当駅となっている

北アルプスの2647メートルの餓鬼岳は当駅が鉄道における最寄りとなっているが、登山口までの公共交通機関は乏しく、マイカー利用かタクシーに乗りやすい信濃大町駅や信濃松川駅からのアクセスが多いようだ

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大糸線全40駅を訪問するお話~重税と戦った義民の伝説とともに

中萱駅の駅名標

※訪問は2024年9月9日

読める?読めない?

再び松本駅方面まで戻ってきた。とにかく松本~信濃大町の本数が比較的多い区間の駅から先に回収しておかないと、急激に本数が減る信濃大町以北の駅をじっくり回るわけにいかなくなる

ということでやって来たのは中萱駅。難漢字を使用する難読駅で読めない方も多数いそうだが、関西の人間はかなり読める。特に京阪を日常的に利用していると読めるはずだ。大阪府寝屋川市に「萱島」(かやしま)という駅があり、難読駅クイズにしばしば登場するが、大阪市内からの折り返し電車が多数設定されているため、萱島駅に用事がない人でも自然に覚える。またホームを萱島神社の御神木が貫いていることでも有名。「かや」と「がや」で濁音の有無はあるが「なかがや」と何となく読めるはいずだ

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社務所風の駅舎

1面のみの棒状ホーム駅だが、駅舎は一目見ると忘れられないものとなっている

社務所風のつくり。当駅は1915年(大正4)の開業。同年1月に現在の北松本~豊科が開業。やや遅れて5月に当駅が路線内に設置された。遅れて設置された駅ではあるが、旅客のみならず貨物の取り扱いも行われていたようだ

現在の駅舎は国鉄末期の1986年に改築されたもの。近くの貞享義民社を模したもの

駅前に石碑があり

解説文を読めば、事情はすぐに分かる

多田(なかがや)加助は当地で庄屋も務めていた。貞享3年(1686)、不作が続くにもかかわらず重い年貢を課され続けた農民のため、減免を当時の松本藩に願い出たところ、何千人もの農民が松本城へと押し寄せる一揆へと発展。藩はこの願いを聞き入れたものの、1カ月後に約束を反故にするばかりか、加助を含む28人が捕えられ処刑された。刑死の際に「恨みを晴らす」と加助が絶叫した際、松本城が傾いたという伝説も残る

後に藩主が変わって加助を義民として復権。加助らを祀った加助神社が後に貞享義民社となった。周辺には義民ゆかりの地が今も残り、地元で伝説が大切にされ続けたことが分かる。現在の駅舎は一揆から300年の節目に行われた300年祭を記念して改築されたものだ

午前中は簡易委託駅

あらためて中萱駅

訪問時は夕刻で窓口は閉まっていたが、有人駅となっている

午前中のみ駅員さんがいる簡易委託駅。単式ホーム構造ながら、松本まではわずか8・4キロ。当駅周辺から松本市への通勤通学も多く、1日に約700人が利用する駅となっている

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大糸線全40駅を訪問するお話~松川村の中心駅は、かつて池田町との合成駅名

信濃松川駅の駅名標

※訪問は2024年9月9日

みどりの窓口も備える

信濃松川駅に到着。島式ホームとなっているが、構内踏切があるため、踏切ができるだけ降りないように、上り下りとも多くの列車が踏切と逆側のホームを使用するように配慮されている

松川村の代表駅で村役場もえきからすぐの場所にあり、営業時間は限られているものの、みどりの窓口も備えられている

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元の名前は池田松川

真新しい駅舎を持つ。開業は1915年(大正4)で110歳になる。長らく開業時からの駅舎が使用されていたが、平成を迎えて2度にわたってリニューアル工事が施された

駅前には立派な観光協会の建物があり、観光案内所も入居している

松本側から延伸させてきた線路が当駅までたどり着いた時の駅名は「池田松川」。池田町と松川村の地名を合成したものだった。池田町は高瀬川を挟んだ対岸の町(厳密には対岸の一部も松川村に所属する)。大糸線の原型ともいえる千国街道の宿場町として栄え、信濃鉄道の敷設直前に「町」になっていることで分かる通り、当時の町の規模は池田町の方が大きく、本来大糸線も池田町側を通る予定だったが、高瀬川を渡る工事の都合や地盤の問題があったことで松川村を通ることになり、元々の通行予定だった池田町の名前も入れて自治体名を二つ並べる駅名となった。新幹線の駅名などで複数の自治体名を入れ込むことは今も珍しくはない

ただ1937年(昭和12)に国有化されると駅名は現在のものにされ、池田の名前は外れてしまった

これには安曇追分駅の記事でも触れた池田鉄道の影響があるとされる

大糸線が国有化された当時、安曇追分駅から池田鉄道という池田町の中心部へと至る私鉄路線があった

これは池田の町に鉄道がなく不自由をしている住民のために敷設された路線で、池田松川駅の開業から11年後の1926年(昭和11)の開業。北池田、信濃池田、南池田という3駅があり、町の中心に近い駅が信濃池田。「池田駅がすでにあるからややこしい」と、池田松川は信濃松川へと駅名変更。ただ開業時から利用者の少なかった池田鉄道は国有化されることもなく、駅名変更の翌年に廃業されてしまった。わずか12年のみ存在した鉄路だった

池田町からは大糸線や篠ノ井線の駅へのバスなどを利用して鉄道を利用できるようになっているが、地図でも分かる通り、池田町役場の最寄り駅は信濃松川である

特急停車のなごり

2つの自治体の役場の最寄りとなっている当駅は1日の利用者は約1000人と大糸線の周辺駅では規模の大きな駅となっていて、みどりの窓口があるのもうなずける

駅のホームは長い。これはかつて特急「あずさ」が停車していたなごりである。

2005年に当駅は開業以来、初めて特急が停車するようになった。ただ当該列車の利用者が伸びず、2010年に始終着駅を信濃大町から松本に変更したことで停車そのものもなくなってしまった

ホームの向こうには側線も見えるが、周辺では製糸業が盛んで、貨物駅としても栄えたなごりで

駅名板は池田工業高校の皆さんの手によるもの。2つの自治体を支え続けてきた駅である

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大糸線全40駅を訪問するお話~残ってほしかったユニーク駅名

北細野駅の駅名標

※訪問は2024年9月9日

隣駅とわずか1キロにわざわざ設置

信濃大町から松本方面へと戻って5駅。約20分揺られて北細野駅に到着

お隣の細野駅の紹介の際に隣駅の北細野駅までわずか1キロと紹介したが、その理由を調べるとユニークかつ重要な歴史があった

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開業時の駅名はひらがな

当駅も「おなじみ」の単式ホーム+待合所のみの構造

ホームへの出入りはホーム端にある小さな階段で行い、すぐ踏切がある。左に見える建物はお手洗い。繰り返しになるが、大町市内の駅にはこのような真新しいお手洗いが多くて助けられる

開業は1930年(昭和5)。細野駅が当地に鉄路がやって来た1915年(大正4)に開業したことを思うと15年以上後のこと。南大町駅の紹介で、当地にできた工場への通勤のために信濃大町駅駅から1・1キロにもかかわらず開業したと記したが、北細野駅を降りると駅周辺は住宅街。わざわざ1キロしか離れていない場所に新駅を設ける理由は見当たらないが、開業時の駅名が「おかめ前」だったことを知ると、いろいろナゾが解けるのである

ひらがなのほっこりするような名前だが、このおかめとは最寄りの「鈿女(うずめ)神社」に由来する。地元では「おかめさん」と親しまれ、多くの参拝客が訪れていた。その様子を見聞きした当時の信濃鉄道が「ここに駅があるとと儲かりそうだ」と設置したという。そして駅名は神社名ではなく「おかめさん」の愛称が採用された

「鈿女」という文字は、なかなか難読である。昭和初期に「難読なんで駅名はやめよう」という感覚があったのかどうかは分からないが、駅名はひらがなに落ち着いた

決して「前」ではない

その鈿女神社は駅から徒歩で10分弱の場所にある

駅を出て真っ直ぐ歩くと間もなく国道に出て、そこにコンビニがあり

神社の入口を示す看板がある。ただ北細野駅到着から次の乗車予定の電車までは25分。突然目の前に現れたコンビニに驚いてちょっとした買い物をしているうちに微妙な時間となってしまい

黄金の稲穂の向こう側に見える神社を望んだところで引き返すことになったのは、やや残念。どうもローカル線の駅で思わぬ形でコンビニに遭遇してしまうと「今のうちに」と買い物をしてしまう癖が出てしまう

「鈿」は「かんざし」と読むのだが、当神社に祀られているのは「天鈿(あまのうずめ)」という女神である

とても親しみやすい「おかめ前」駅だが、長くはなかった。1937年に国有化された際に現駅名へと変更となった。わずか7年の駅名だった。駅名変更の理由は分からないが、せめて「鈿女神社前」だったら、神話にも出てくる神でもあるし、そのまま残ったかもしれない。それ以上に、おかめ前のままだったら、かなりの有名駅になっていたことは間違いなかっただろう

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