備後本庄駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

逆向き発車に驚くかも

乗車列車は井原鉄道のアート列車だが、私は1駅目の備後本庄で下車した

初めて福山から福塩線に乗ると自分のイメージした方向とは逆に発車するので驚くかもしれないが、それもそのはずで福山を離れた線路はグルリと迂回するかのように進んでいく

福山を離れると間もなく備後本庄に到着するが、その後は芦田川に沿うように北上し、横尾駅へと至る。実に不自然な線路の進み方となっているが、これは開業してしばらく経過してから線路の付け替えが行われたため

福塩南線の福山~府中は両備鉄道という私鉄が軽便鉄道として敷設したもの。開業は1914年(大正3)なので110年もの時を刻んでいる。業績は好調だったようで、昭和の声を聞いた1927年(昭和2)には同社の手により電化されている

その後、国有化して福山と三次をつなげようということになり1933年に国有化。現在の塩町から府中を目指して南下しながら部分開業していったが、すでにあった福塩南線は線路幅762ミリのナローゲージで、そのままでいいはずがない。国鉄と同じ1067ミリへと改軌される。しかしその際に元の線形が問題となった。地図を見れば一目瞭然だが、以前は横尾駅から現在は国道313号となったルートで福山を目指し、市街地に入ったらグイッと西向きに進んで現在の福山駅の北あたりで南下。福山城の堀を埋めて両備福山という始終着の駅が設けられていた

ただこれはあくまで小回りの効くナローゲージならではの線形で、1067ミリの車両は対応できないということとなり現在のルートが新たに敷設された。1935年のことだ。両備福山は廃止され、福塩線は既存の福山駅に入居。しばらく福山~横尾に駅は設けられなかったが、戦時色の強くなった1940年に備後本庄駅が新設開業した。福塩南線の他駅はすべて大正生まれで、当駅が唯一の昭和生まれである

片方だけ残るホームと線路

駅舎は簡素な造りのもの。開業時からの木造駅舎は1990年代に解体され待合所のみとホームのみの駅となったが、ICOCA導入の2007年に入口が設けられて駅舎ぼくなった

対面式だったホームは片方の線路がはがされ廃ホームのみが残るが、ここには貴重なものが残されている

国鉄時代の駅名標。独特の字体で鉄道ファンには有名である。行ったことはないが駅名標の存在は知っているという人も多いのではないだろうか。しかも歳月を重ねると塗装がはがれて読めなくなっていくものだが、明らかに化粧直しの「更新」が行われている。貴重さが認められているということだろう。福塩南線というのは、なかなか興味深い一面を持っていて、線路がはがされ棒状ホームになった駅があると思うと、その一方で利用者の増加対策で新たにホームができた駅もある。また国鉄時代の旧駅名標が残る駅は他にもあるのだが、こちらはあまり話題になっていない

そんな福塩南線を進んでいきます

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