西岩国駅の駅舎内

2022年10月3日12時30分

悲運の象徴

西岩国に到着しました

岩徳線はまず1929年に岩国~当駅の1区間だけが開業。この時点で将来は山陽本線となることが決まっていたため、それまでの岩国駅を麻里布駅に変更し、新設された当駅を岩国駅としました

その後、徳山側(正確には櫛ヶ浜側)からも徐々に工事が進み、岩徳西線と命名されましたが、麻里布~岩国の岩徳東線は全通時までの5年間も1区間だけの運行が続けられていました。東側が最後に残ったのは欽明路トンネルの工事に他ならないのですが、1区間だけをこれだけ長期運行するのは、それだけ重要だったことになります

ちなみに麻里布は現在も岩国駅の所在地で住所はまさに「岩国市麻里布町1丁目1番地」。ただ当時、岩国市はなく麻里布町という独立した自治体で、すでにあった岩国町の中心部付近に設置されたのが岩国駅なので、麻里布駅への改名と新駅が岩国駅を名乗ったのも自然なことでした(岩国市岩国という住所は錦帯橋付近です)

再改称となったのは麻里布町や岩国町などが合併して1940年に岩国市が発足してから。麻里布町の麻里布駅も岩国市に存在する駅となり戦時中の1942年に再び岩国に名を戻し、岩国駅は西岩国に。その後、山陽本線から岩徳線になり、現在に至る。岩徳線の悲運の象徴のような駅でもありました

ただ幸運だったのは、岩国駅としてスタートしたため立派な駅舎となったこと。終戦前日の1945年8月14日の大空襲で岩国駅は消失しましたが、西岩国駅は残りました。価値ある建物ということで現在は岩国市がJR西日本から譲り受け所有しています

予想できない事態

そんな西岩国駅は…と解説していきたいのですが

改札から外を見ると何やら足場のようなものが見え、雰囲気がおかしい

外に回り込むと

泣くしかない

改修工事中でした。一気にやる気をなくしてしまい、その後は以前紹介した

錦帯橋観光に変更。写真や中身はややダブりますが、お昼過ぎながら岩徳線の駅巡りはもうヤメ。自分の考えていたコースだと、駅間徒歩が生じる上、回り終えるには日没ギリギリです。この日は錦帯橋のふもとで子供たちが水遊びをするほど暑かったのでヘタレヤメの側面も大きい。何よりも欽明路の駅でやって来た列車を乗らずに見送ることになるなど、自らの道程に大いに問題ありです

貴重な場面に出会えた

ということで改めて出直すことにして岩国から山陽本線を広島へとたどっていくこととする

まずは岩徳線の玖珂駅の項でも触れた和木駅

開業して15年の新駅にして山口県最東端の駅。現在、玖珂郡には和木町しかありませんが、かつては今日立ち寄った玖珂駅と同じ郡だったと思うと広さを感じます

そして広島県に入って最初の駅である大竹駅。こちらは広島県最西端にして最南端

見ただけで説明は不要の昭和40年代の国鉄コンクリート駅舎。全く知らなかったのですが

新駅舎の建設中でした。橋上駅舎となって両側から駅に入れるようにするとのことで、駅舎のおかげで逆側から駅に入りにくくなっているのを解消するためには、やむを得ないこと

結論から言うと2月から新駅舎の使用が開始され、新駅ではみどりの窓口はなく、みどりの券売機となっているので、貴重な写真となりました。飛び出している「きっぷうりば」がいいですね

西岩国は改修中でしたが大竹は駅そのものが変わるということで、ある意味、改修工事に感謝です。ただ岩徳線のリベンジはしなければならないと思いつつ、帰路につきました

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