2023年 1月 の投稿一覧

東日本の新幹線単独駅を巡る~新幹線は夢への架け橋、銅像は何思う

浦佐駅の西口

10月21日12時

浦佐駅の位置は

西口から東口へ向かいます。こちらの入口も広大なスペースがあります。新幹線駅は高架なのでエスカレーターで向かいます

ただ昭和時代、国鉄時代の新幹線駅のコンコースが広いことに、そこまで大きな驚きはありません。小さいスペースに強引に設置した場合は別ですが、当時の新幹線駅というのは夢の原点。そこから街には無限の可能性があると誰もが思い描いていました。将来は地域の中心となってテナントも多数入る。だったらできるだけ大きく造れ、となるのも無理はありません。他にもスペースをもてあましている駅はあります

メインとなる東口(八海山口)へ向かう通路。跨線橋の形で降りていきますが文字はなかなか年季が入っている。ふと振り返ると

改札口へと向かう階段には、さらに古典文字。階段の向こうとこちらが別世界のように感じてしまいます

その浦佐駅ですが

記事のテーマにもなるので小出駅との位置関係も入れてみました。ここに新幹線駅の設置が決まった時は意外と受け止められました。浦佐をはさんで東京寄りに2駅行くと六日町という大きな街があります。ただし駅としては北越急行の乗り入れはずっと後だし、こちらは越後湯沢に近すぎる。だったら新潟寄りに2駅で只見線の乗り換えもある小出が適切ではないか、そもそも浦佐には優等列車もあまり停まっていないのではないか、との議論です。ははーん、これはきっとあの人だろう、となるのも当時の世論を思うと無理もありません

予想を大きく上回る大きな銅像

東口を出てロータリーを右に折れたところに田中角栄元首相の銅像があります

写真で見たことはありましたが、こんな大きいというか高くて立派なものとは知らなかった。駅のコンコースの広さよりも驚きました

私が小学校の高学年の時に総理の座につき、総理在任はわずか2年でしたが、それ以上の存在感を持っていた。亡くなって30年近くが経過しているので若い方には歴史上の人物でしょうが、歴代総理大臣で、今もこれだけ語られる人はなかなかいません。政治のブログではないので、これ以上は書きませんが、存命中は功罪の「罪」が、亡くなってからは「功」が多く語られている気がします。最近語られていることは伝説の部類に入ることばかりです

廃線と建設が同時進行

鉄道についての部分だけ取り上げると総理になる前から日本列島の強じん化を掲げ鉄道網発展を推進しました。総理の座についた1972年は国鉄の赤字額のすごさがクローズアップされたころで、既に赤字路線の整理・廃線が始められたころでしたが、田中首相誕生と同時に待ったがかかり、廃線の動きがある一方で、将来の赤字が心配される新路線の建設が進められるという不思議な現象が起きている時代となりました

そのように力があった人なので浦佐に新幹線駅が設置されることが決まった時は強引に駅を設置したに違いない、と言われたもものです。ただ銅像を見て間違える方も多いのですが、元首相は浦佐の出身ではありません。こちらは選挙区です。それがかえって、いろいろな憶測を呼ぶことにもなりました

もっとも地図を見ていただければ分かるのですが、新幹線を小出経由にすると線路も弧を描くように遠回りになってしまいます。次の駅は長岡なので、そこに向かって真っ直ぐ敷設して越後湯沢との間に駅を設置するのなら浦佐が最適ともいえ、それも一理あります

私が降りてきた東口です。跨線橋の構造を見ていただければ分かる通り、バスやタクシー、乗用車といった具合に区別してそれぞれの乗り場に向かうもので、バス路線が増えれば、そこに向かう階段になるのでしょうが、こちらもまた見ての通り、その役割としては機能していません。真ん中のシマで車を降りた方も階段を昇ることなく、駅舎に近いところにあるエレベーターまで道路部分を横切って歩いていきます

上越新幹線の開業40年り大きなパネルがありました

在来線を除いた新幹線部分だけを取り出すと、上越新幹線内では単独駅の上毛高原より乗降客が少ない年もあります。ただ、それを今どうこう言ってもしょうがない。前述した通り、当時、新幹線は夢への架け橋だったのです。駅の設置についての想像よりも、北陸新幹線よりずっと前の国鉄時代に上越新幹線を敷設できたことが田中角栄さんの最大功績だと思います

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東日本の新幹線単独駅を巡る~語ることと見ることが多すぎる浦佐駅

浦佐駅の駅名標

10月21日11時50分

水飲み場がお出迎え

メインテーマである「新幹線単独駅」について、今回の旅では厳密に言うと上毛高原駅で終了です。ただ興味深い新幹線駅も訪れているので、この表題のまま続けていきます

浦佐駅に到着しました。こちらも1982年の開業時からのものでホームに降りた瞬間、40年の歳月を感じます。いや正確に言うと「あまり変化していないような印象を受ける」なのかもしれません。それ以前に開業している東海道・山陽新幹線はどこか変化を感じるものが多いからです

いきなり水飲み場などが登場すれば、そう思ってしまいます。若い方は、感覚が分からないかもしれませんが、上越新幹線が開業した82年ごろ、水なんて買うものではなかったのです。当時、私は貧乏学生をしていましたが、ペットボトル入りのウーロン茶や水が登場し始めたころで、テレビCMも始まり、周囲では買う人もいましたが「水なんて蛇口をひねれば出てくるし、お茶なんて湧かして冷蔵庫に入れておけばタダ同然の値段。わざわざ買うものではないでしょう。というかそもそもウーロン茶って何?」。そんな感覚が主流でした。ただ逆に言うと自販機のボタンを押して水を買うこともできないし、コンビニなんて都市部中心。夏場は駅の水飲み場はありがたい存在だったのです

とにかく広い

コンコースに出てみます

浦佐から2駅新潟寄りとなる小出駅を発着する只見線が復活したばかり

かなり大きなスペースで復旧を祝う写真展が開催されていました

四季の沿線の様子が写し出されています

私もかなりの時間、見入ってしまいましたが、そのうち気付いていくことがありました

「とにかくデカい」

のです

広大な空間に今は使用していない待合室。こちらは超特大。大々的に写真展を開催しても、まだまだ余裕があります。浦佐駅には八海山口と呼ばれる東口と毘沙門天口と呼ばれる西口があります。メインは東口のようですが、まずは西口へ出てみます

こちらは改修された感があります。ただロータリーはあるものの寂しい。メインの出口ではないので、こんな感じでしょうか。実はこの東口にはスキー場があって先ほどの写真の特大待合室はスキーの団体客用のものだったとか。ならば納得ですが、それでも広い。次の新幹線まで1時間半とどまる予定なので、こちらで昼食とするつもりですが、そのうち見ることも語ることも多い駅だということが分かってきました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~寄り道した在来線駅は新旧同居、地域文字も

後閑駅の駅名標

10月21日10時10分

停車中のバスに乗ってみる

上毛高原駅。ここでは1時間以上の待ち時間となりました。ちょっと長いなぁ、と思っていたら路線バスが2台。と思う間もなく1台は出発してしまいました。残る1台は後閑駅に向かうようです。こちらも間もなく出発ということで、エイヤとわけの分からないまま乗ってしまいました

本庄早稲田の本庄と同様、上越線の後閑駅が上毛高原駅の運賃計算の当該駅となっていることぐらいは知っています。どのぐらい離れているのかは分からないけど、運賃計算の対象なのでそんなに遠くはないだろう、後閑駅にタクシーがいるのかどうかは分かりませんが、いれば帰りはタクシーに乗ればいい、ぐらいの軽い考えで乗車。そこから調べると

所要わずか10分。川を渡らなければならないので直線コースというわけにはいきませんが近道にあたるコースなら3キロ。時間があれば徒歩でも行けそうな距離です。ただし上毛高原駅は高台にあるので後閑駅から上毛高原駅に向かうのはしんどそうですが

基調はSL色

後閑駅に到着しました。まずバスの時刻表を確認。本数はかなりある。上毛高原にもバスで戻れそうです

後閑駅は旧月夜野町の中心駅。その町役場が現在、みなかみ町の役場となっています。周辺には町が広がる。ただしかつてあったみどりの窓口は既になく、現在は無人駅

それでも以前からの駅舎を基にリニューアルされた美しいものとなっています

新幹線が開通して以来、かつての大動脈だった上越線からは優等列車が消えました。当駅も昼間は1時間から1時間半に1本ぐらいの運行。新潟県との県境にはモグラ駅で有名な土合がありますが土合を通る県境越えの電車は1日5~6往復の閑散路線としても知られます。それでも貨物路線としては重要で、その閑散区間では貨物列車の運行の方が多い現象が起きています

この後閑駅を有名にしたのはSLで、かつて当駅で静態保存されていたD51の状態が良いということで観光列車用に現役復帰。今も臨時列車として人気の「SLぐんまみなかみ」は、ふるさとということで無人駅である当駅に停車します。駅舎の黒色はSLの色をイメージしているそうです

あちらこちらに新旧。文字にしびれる

駅に入ると新旧が共存しています

駅名板は真新しい

駅名標もSL停車駅に敬意を表したものとなっています。その一方

こちらの案内の文字は歴史を感じるもの。そしてなんといってもこちら

柱にある、いわゆる第三種と言われる駅名標は新しいものですが、かなり年季の入ったホーローの方面案内と並んでいます。これは貴重な光景。特に「新潟」の「潟」の文字。初めて見た私は長岡と並んでいなければ、おそらく新潟と読めなかった

サンズイに「写」は地域文字と呼ばれるもので「潟」の文字を正確に書くのが難しいことで生まれた、新潟独自文字ではなく各地、各文献で見られた文字が残っているそうです。確かに「潟」という文字を日常的に見ることはないし、書いてみろ、と言われると一瞬手が止まってしまうかもしれません

ただワープロそしてPCなどが生まれ、「潟」が常用漢字になったことで今は、ある一定の世代以上しか分からなくなっているとか。ここは群馬県ですが、きっと珍しい文字だということで今も残してくれているのだと思います

帰りには見事なワンマン運転のバスの独自転回にみとれてバスに乗り込み上毛高原に戻りました。なかなか中身の濃い寄り道。行って良かった

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東日本の新幹線単独駅を巡る~仮名称のまま40年

上毛高原の駅名標

2022年10月21日10時

いきなりテンションが上がる

上毛高原駅の柱の案内

本庄早稲田から25分。上毛高原に到着です。いきなりこのようなものを見せられるとテンション上がりすぎるではないか

もちろん初めてやってきました。元々、関西の人間にとって栃木、群馬というのはなかなか行けそうで行けないところで、私的な感想ですが関西の人が行ったことのない県、となると両県がワンツーを占める。では東京で同じような質問をすると鳥取、島根がワンツーとなります(繰り返しますが個人の感想です)。必ず乗り換えが生じるので、なかなか腰が重い

もっとも鉄オタは、そんな事情はむしろプラスにとらえて逆に積極的に行きたくなるのですが、新幹線駅というのは、なかなか気合いとお金が必要となります

40年の歳月を感じるものがあちこちにあります。ベートーベンの第九のようにどんどん盛り上がります

一見、普通の階段ですが左側のスペースはエスカレーター設置を予定していたように感じます。ただしその後に奥に見えるエレベーターが造られたことでエスカレーターの設置は不可能な構造となっています。というか「エレベーターを造るからエスカレーターは要らないんじゃない」となった感が強い

実在しない高原

改札を抜けて駅の外に出ます

いかにも国鉄時代の新幹線駅です。派手さはない代わりに大きく目立つように造る、あくまでも機能重視

当駅は高崎~新潟で唯一の新幹線単独駅です

利根川を見下ろすような高台に設けられています。1982年、上越新幹線の開業と同時に駅も開業しました

さて、この駅名。事情を知らないと同名の観光地というか高原があるのだと誰もが思ってしまうのですが、上毛高原は実在しません

「県北観光地の玄関口の機能があり、その範囲は、日光、尾瀬、沼田、谷川、四万、草津まで及んでいる。その広域性を意味するために上毛高原が最適だった」と案内されていますが、客観的に見て日光はかなり遠い気がします。そもそも栃木県。つまり最適という駅名は国鉄が仮名称として付けたものです

仮名称がそのまま駅名になっていても問題はないのですが、その駅名は「もっと適正な名前はないのか」と、ずっと議論の的となっています

現在はみなかみ町にありますが駅の発足時は平成の合併前で月夜野町にありました。当時から駅名については、いろいろな意見があったようですが、全国各地の例で分かる通り、こういうのはなかなかまとまらない。2つの町(自治体)なら組み合わせればいいのですが、前述した通り、地域が広くすべて入れ込むわけにはいきません

有名なのは駅でも観光案内があるように

沼田城を巡る攻防で真田家の物語に必ず出てくる沼田ですが、所在は月夜野町で現在も沼田市にはない。ということで仮名称が正式駅名となり、そのまま40年が過ぎています。もちろん変更の要望は定期的に行われていて、昨年にもみなかみ町と町商工会、町観光協会が要望書を提出しています。ただし駅名変更には、かなりの費用が必要で誰がどのような理由で捻出するかという問題もあります

駅では、さまざまなキャラがお出迎えしてくれます。東京までの所要時間は列車によって異なりますが60~80分で1時間に1本の列車が確保されています。次に訪れるのはいつになるか分かりませんが、その時の駅名にも注目です。そんなことを思いながら、ふと向かいの上りホームを見ると

こちらにもテンションが上がるものがありました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~学校名が付く駅

本庄早稲田駅の平仮名駅名標

2022年10月21日9時25分

請願駅の新幹線駅

安中榛名から逆戻りする形で高崎を越え本庄早稲田で下車しました

駅名から想像できるように早稲田大学の本庄キャンパス最寄りです。実は40歳を過ぎるころまで都内にある「早稲田」の地名は学校ができたことで付いたと思い込んでいました。実は全く逆で早稲田といえ場所に学校ができたのです。私自身も20歳前後は、あのあたりに4年ほど生息していたのですが学校近くまでは行っても校門はくぐらず付近のパチンコ店や雀荘への途中下車を繰り返していたため、全く知らない。もちろん当駅に入っているのは学校名です

新幹線の単独駅は請願駅として上越新幹線の開業から20年を経て開設。駅名に学校名が入ったからかどうかは分かりませんが、請願駅の条件となる地元負担の工事費の一部を大学が出しています

駅舎入口はこのような感じ。国鉄時代にできた上越新幹線の駅舎は無骨なものが多いのですが、そんな感じはありません

ローマ字の字体はこのようになっています。感想はお任せ

駅前には広大な駐車場が広がっています。パーク&ライドで使用されているようです。目に入るところに何かがあるかと言われると、商業施設がポツポツあるだけ。ある意味、学問や研究に専念できそうですが、友人と顔を合わせると速攻で都電の駅へと向かい大塚で連れパチという人間は確実に尻込みすることでしょう

当駅の在来線の最寄りは高崎線の本庄。上越新幹線は整備新幹線ではなく国鉄時代に国策として堂々と開業した路線なので並行在来線問題はありません

駅は新幹線単独ですが並行した在来線があるため、規定により乗車運賃は在来線のどこかの駅(近い駅とは限らない)のものを使用します。もちろん本庄。その本庄は直線距離で2・5キロ。道路を行くとご覧の通り3キロに満たない距離で、歩こうと思えば歩けますが、好んで歩く距離ではない。本庄市による「はにぽんシャトル」というパスが1時間に1~2本運行され15分で結んでいるので新幹線の本数を考えると、それほど不便ではありません

朝はかなりの人が

列車本数も上越新幹線、北陸新幹線と両方が乗り入れるため、東京とのアクセスという意味では困ることはありません。北陸新幹線の各停パターンのはずの「あさま」には「安中榛名のみ通過」という、いじめのような列車も存在しますが、それらの一部は上越新幹線の中に入っている本庄早稲田にもちゃんと停車します

下車したのは上りだったので、そうでもなかったのですが、7時24分東京発のあさまに乗車した私は乗客の流動パターンに驚きました。東京駅は自由席に余裕がある形で発車したのですが大宮でドッと乗ってきて座れない立ち客も出現。驚いていると、その方々は8時12分着の当駅でゾロゾロ降り、次いで8時22分の高崎でほとんどが降りていきました。本庄早稲田で降りたのも学生さんという感じではありませんでした。時刻表を見ると平日朝には私の乗車した列車のわずか12分後に東京発高崎止まりとが設定されているので新幹線通勤もしくはビジネス利用がかなりあるようです

コンコースは大きい。ニューデイズもあります

再び改札口に入ることにします

この駅の見どころは

写真だけだと何のことやら分からないかもしれませんが、ホームの向こうにはコンクリートの壁があって、その中に通過線があります。これはどういうことかというと、元々は駅のない高架部分に駅を設置したため、その外壁がそのままにされているのです。工費がかなり節約されたそうです

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東日本の新幹線単独駅を巡る~ここが安中榛名

2022年10月22日8時30分

新幹線駅で初めてときめく

到着しました。安中榛名。各地で念願の駅の手前で降りる時はドキドキします。枚挙するとキリがない。ただ新幹線駅の手前でドキドキしたのは初めてです

帳簿上は高崎から始まる北陸新幹線で唯一の新幹線単独駅(敦賀延伸で越前たけふが加わる予定)。かなり狭い場所に設置されていて速達列車は停車しないのに通過線がありません

改札に向かいましょう

自動改札機が2つだけ。ただし利用者が増えれば増設できるスペースは確保されています

開業25周年

開業25周年でお出迎えしてくれました。北陸新幹線は「長野新幹線」という通称で1997年10月に高崎~長野が開業。かなり大急ぎの工事で慌ただしい開業でしたが、それは翌98年2月に長野冬季五輪が控えていたため。当然それまでに開業しなければならないのですが、ここで群馬県から「待った」が入ります。北陸新幹線は、最初に計画された新幹線(東海道、山陽、東北の盛岡まで、上越、成田)の後からの、いわゆる整備新幹線で「地元が工費の一部を負担」することになっています

北陸新幹線の当初の予定では軽井沢まで駅は設置されない予定でしたが、そうなると群馬県内には単なる素通りになってしまうため「だったらお金は出さない」となったわけです。近年、整備新幹線を巡る工費について、いろいろな事象が起きていますが、当時は長野五輪に向けて開業することが急務で安中榛名駅が登場することになりました

ちなみに北陸新幹線を巡っては、金沢延伸の際「県内に最速達の列車が停車しない」との理由で新潟県がお金を出さない、という一幕もありました。こちらは最終的に境界駅の上越妙高で乗務員が交代するので必ず全列車が停車するだろう、という読みのもと工費捻出に至ったという話があります(ふたを開けると長野駅での交代となった)

新幹線の夢と現在

外に出てみましょう

とても悠々しい駅舎です。整備新幹線より前の昭和時代に開業した新幹線の駅は、よく言えば機能重視で遠方から単に目立つだけ、という無骨な構造が多いのですが、そうではありません

地域の中心駅となるべくような駅舎です

ただ駅からロータリー方面を見ると

おそらくいろいろな施設が立つべき場所なのでしょうが何もない。道路は大変立派で気持ちの良い秋の朝の空気が味わえる空間が広がっています。駅前に商店はありません。コンビニがありましたが撤退したそうです

ただし地図で分かる通り、少し行くと住宅街が広がっています。駅開業後に「びゅうヴェルジェ安中榛名」という広大な住宅街で「びゅう」という名称で分かる通り、JR東日本が山中の土地を購入、分譲したもので副業ができなかった国鉄時代ならできなかったことを民間移管後に行っています。名誉のためにちゃんと触れておきますが、駅前の光景だけを見ると大赤字のミッションだったと思われるかもしれませんが、10年以上の歳月をかけて601区画が完売。そのためか駅前の駐車場は私が訪れた時点で、ほぼ満車でした

県知事による宅地開発の協力記念碑があります

現に開業時は1日300人程度だった乗降者がコロナ禍直前では600人にまで増えていました。もっとも600人という数が新幹線駅として多いか少ないかは別問題で、何かと失敗駅の代名詞のように言われる山陽新幹線の新尾道駅の数字を挙げるとコロナ禍以前は2000人でした

狭き門

駅に戻ります

1日12往復。これが多いのか少ないのかは何とも言えませんが、駅名を伏せて時刻表だけを見せられると朝は上りが多く、夕方は下りが多く、昼間は2時間停車列車がない、よく見かける通勤通学に配慮したローカル線のダイヤだと思うかもしれません。ちなみに私は8時31分着の下りで到着し、9時7分の上りで撤退しました

料金案内は今や古典的なものです。出発の10分前になり、人が集まり始めました。眺めていると皆さん券売機の扱いに慣れているようで、いつも利用されている方ばかりなのでしょう。考えてみれば観光客というのは、あまり考えられず常態的な利用者か私のようなオタクばかりなのでしょう

残念ながら峠の釜めしも駅そばも開店前。ここで立ち食いそばでもいただければ、もっといい記念になったのでしょうが、先もあるのでなかなかそうは行きません。そもそもめん類販売時間は11時から14時のわずか3時間で、時刻表をご覧になれば分かりますが厳密に営業時間を守ると上下1本ずつしかありません。なかなか狭き門です

在来線とのアクセス

私が到着した際、駅前にバスが停車していました

信越本線の在来線へのアクセスバスが安中と磯部に向けて出ています。本数は磯部の方が圧倒的に多い。磯部への時刻表を見ると新幹線との乗り継ぎを考慮したものになっているようで

マイカーなら20分、バスでも25分。これもまた近いか遠いかは微妙なところですが、バスの車窓は見たいものです

名残惜しいですが上りがやってきました

次回来る時はぜひ在来線とのバスアクセスを体感し、駅そばを所望したいなぁ、と思いながら新幹線に乗り込みました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~やっぱここ一択でしょう

2022年10月21日7時

鉄道開業150周年記念 JR東日本パス

朝7時の山手線。記事には何の関係もありませんが、初めて黒い山手線に乗車したので記念の意味でも載せておきます(笑)

手には「鉄道開業150周年記念 JR東日本パス」。JR東日本の全線に加え、一部の三セク、私鉄にも乗車できます。これが2回目の利用。1回目については、また日をあらためて紹介させていただきます(アイキャッチの写真は1回目のもの)。この「全線」というのが大きなポイント

7時24分発の「あさま」に乗り込みます

意外と困難な新幹線駅訪問

駅巡りをしていて意外と難易度が高いのが「新幹線駅」です。なぜかというと「カネがかかる」からです。いろいろなフリーきっぷが出ていますが新幹線も含むものは、ほとんどありません。新幹線に乗れるが乗車券部分のみ有効で新幹線は別料金というものがほとんど、というかすべてと言ってもいいぐらい。新幹線駅なので、それなりに本数はあるので到達難易度はそれほど難しくないですが、料金はかかります。自由席に限ると1駅もしくはそれに準ずる区間で1000円に満たない料金が設定されていますが、それでも乗車駅も含め、駅で乗降することを条件とすると3駅2区間で2000円ほどのお金が必要になります。JR各社によって指定席の有無やB特急券の設定、複線または単線による所要時間の違いで一律にはくくれませんが、先日までお伝えしていた高山本線なら、岐阜から高山まで2時間特急に揺られても自由席特急料金は1860円。新幹線料金がいかに高いかが分かります

しかも各社とも新幹線はドル箱なので、新幹線も乗り放題というきっぷは、なかなか出ません。最も収益の高い東海道新幹線などは聞いたこともない。山陽新幹線については一昨年の秋にJR西日本が乗り放題をリリースしましたが昨年は出ませんでした

私は東海道新幹線については初乗車から40年以上かけて全駅乗下車を達成しました。本格的に始めてからも20年はかかりました。東海道本線への乗り継ぎが容易なので前述した通り、作業そのものは難しくないのですが、なかなか別の目的がないと先立つものがないと二の足を踏みます。新駅ができると、また理由をつけて行かなければならない。最後に利用したのは掛川でした

山陽新幹線についてはコロナ禍以前に50歳以上を対象とした「おとなびパス」という西日本全線のフリーきっぷが青春18きっぷのシーズンを避けるようにリリースされていて、そちらを利用したところ、こちらはかなり瞬殺でした(笑)。ただ山陽新幹線のこだまは昼間は1時間に1本なので東広島には本数の多い朝に訪問したことを覚えています。最後の訪問は新下関でした

そんな状況下でリリースされた東日本パスですから、これは利用しないわけにはいきません

第一歩は安中榛名以外に選択肢なし

一応、旅程を組んでみて前日に東京入りし、今回は上越新幹線と北陸新幹線のJR東日本部分を回ることに。2泊目は長野の知人宅に宿泊することが決まっているので反時計回りで上越新幹線、北陸新幹線を巡っていくことにしましたが、朝という本数の多いアドバンテージや私的な行きたかったランキングを考慮すると第一歩は安中榛名にならざるを得ません

旅にハプニングはつきものなので、関西からの訪問がかなり困難な同駅をまず回収しておきましょう

乗車から1時間ちょっと。安中榛名を告げるアナウンスが始まると、かなりドキドキしてきました

到着です。実は同駅に停車する北陸新幹線に乗車したのも初めて。こんなに細いホームとは知りませんでした。誠に失礼ながら、10人以上の人が下車してちょっと驚きました(謝)

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あけましておめでとうございます~リニア館

2023年元日 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします

実は初めてです

9月26日の10時半

名古屋駅から、あおなみ線に乗ります。リニア館へ。実はあおなみ線に乗るのもリニア館へ行くのも初めてです。こういうのって「いつでも行ける」「いつでも乗れる」と思うと意外と行かないものです

25分で終点の金城ふ頭駅に到着

リニア館は歩いてすぐです

前を行く方の服装でお分かりのように、この日は9月下旬とは思えない暑さで私は日陰となる屋根のある部分をテクテク歩いていきました

あおなみ線の一日乗車券を購入しました。名古屋~金城ふ頭は360円ですが、一日乗車券で入館料が1000円→800円と200円の割引になるため、元は取れます。私は各駅訪問という目的もあるため、どうやっても元は取れるのですが

かなりはしゃげます

※展示物の写真については掲載確認済み。係の方によると動画は制約があるそうですが写真については他のお客さんが写ることに留意すればSNS掲載は大丈夫だそうです

あまり説明せずに写真だけで十分だと思いますが

オッサンでも結構楽しめます

リニア館というのですから基本テーマは東海道線の歴史、つまりスピードの歴史と未来のリニア線です

3時間がテーマだったのですね。子供の時に初めて新幹線に乗ったころは親や学校から「東京~新大阪は3時間10分」とヘビロテのように教え込まれました

私の場合はどうしても古いものに目が行ってしまいます

古い車両のリバイバルが言われますが、外見はともかくとして同じ座席に長時間座るのは、今はもう無理です。こういう急行車両で夜を徹して走るというのは、ごく一部の方にしか受け入れられないと思います。学生時代にいわゆる大垣夜行で東京から帰省していましたが、当時はそんなものだと思っていましたから受け入れていましたが、大垣夜行が進化したムーンライトながらの踊り子号車両でも「しんどい」の声は多かったぐらいです。リクライニングの有無もそうですが、向かいに他人や他のグループがずっと座っているのって、かなりキツい

鶴見線のイメージが強いのですが、JR東海のイベント電車にもなっていたのですね

国鉄バスの第1号。昭和初期に登場したようですが、路線図は愛知環状鉄道のコースです。多治見に行くことなく終わり名前だけが残った「岡多線」が愛知環状鉄道に引き継がれたわけですが、バス小さい! この大きさで需要はまかなえたということでしょうか

いろいろ写真を掲載していくとキリがないので、ぜひ現地で体感してください。人気のシュミレーターのほか、お食事処では駅弁販売を行っています。現地にいる間にお昼時を迎えたため、かなりの人気でした

この日の私には、あおなみ線の中島駅から南方貨物線の遺構を巡るというテーマがあり、お昼過ぎには去ることとなったのですが、いくらでも時間をつぶせるものでした。ちなみに遺構巡りは、あまりの暑さに、わずか30分で投了という結果が待っていました(泣)

というヘタレな私ですが、あらためまして今年もよろしくお願いします

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