九州新幹線

続九州新幹線の全駅訪問~みずほの一部も停車する肥薩おれんじ鉄道の終着駅

川内駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

新幹線開業時に大きく変化

川内駅に到着。これで九州新幹線のすべての駅を訪問したことになる。2018年の9月にも川内に来たが、その時は新幹線ホームに立っていない。その時は宮崎空港から日南線で志布志まで行き、旧大隅線沿線を走る路線バスに2時間揺られ垂水下車。フェリーで鹿児島に渡り、当地で1泊した後、指宿枕崎線で指宿、西大山、枕崎を経て加世田までバス。加世田で宿泊した後、バスで伊集院へ。ちょうどサッカーW杯の直後で「はんぱねぇ~」が流行語になっていた大迫勇也選手の母校である鹿児島城西高校の最寄りが伊集院だったので、よく覚えている

その後、川内まで来て当地泊。翌日は改めて鹿児島へと向かい、今度は肥薩線で八代(正確にはSL人吉の終着熊本)まで行った。八代駅の項で紹介したのはその時の写真である

川内駅は大きな橋上駅舎を持つ。開業は1914年(大正3)と古く、国鉄時代から拠点駅として機能してきた。戦後に建てられた、いわゆる国鉄コンクリート駅舎が続いていたが、2004年の九州新幹線部分開業時に現在の駅舎となった。新幹線開業の直後に周辺の町村と合併して川内市から薩摩川内市となったが、駅名はそのまま川内である

薩摩川内市が誕生した際、甑島(こしきしま)の上甑村、下甑村も参加している。読み書きともに難易度激高の島への高速船乗り場へは当駅からバスで向かう。改札を出ると分かりやすく案内がある。キビナゴで知られる甑島は観光地でもあるが、大きく「通常運行」と目立つように表示されていることで分かる通り、気候の影響を受けやすいので運行には注意が必要

鹿児島本線の「飛び地」で他駅とは事情が異なる

肥薩おれんじ鉄道との共同使用駅となっているが、改札は共通で八代から117キロにも及んだ肥薩おれんじ鉄道はここが終着。川内から鹿児島中央までは再び鹿児島本線となり、約50キロがJRとなる。いわば鹿児島本線の「飛び地」。九州新幹線の成り立ちを各地に照らし合わせると、こちらも三セク移管となりそうだが、西九州新幹線のような時限的措置がとられるわけではなく、恒常的にJRのまま推移しそうだ。しかもIC乗車が可能。いろいろ「大人の事情」があるのだろうが、推測で私が触れるわけにはいかない。ひとつ言えるのは、今回のようにJRしか乗れないきっぷを手にした場合、利用者目線からだと大いに助かるということ

こちらは新幹線の改札(写真は2018年のもの)。その横にあるのが

在来線と肥薩おれんじ鉄道の改札がある(写真は2018年3月のもの)

新幹線については部分開業時した時からの鹿児島中央をのぞく他駅とは大きな違いがあって、当駅には鹿児島中央~熊本の速達タイプの「さくら」が停車し、わずかではあるが最速達タイプの「みずほ」も停車する

肥薩おれんじ鉄道の一部乗り入れ

在来線の構造は島式ホームの2面2線。左にホームが見えるが現在は使用されていない。廃線となった宮之城線ホームも加え、以前は3面5線だった

車止めの向こうが肥薩おれんじ鉄道。つながっていた線路をさえぎるように車止めが置かれていて、その向こうにホームとしては同平面の肥薩おれんじ鉄道が島式ホームを持つ

JR線乗り放題の権利を生かして鹿児島本線の駅を回った。当日は薩摩川内市内に宿泊し、翌朝はお隣の隈之城駅へ。肥薩おれんじ鉄道は朝夕のみ一部列車が川内のひとつお隣の隈之城まで直通するので、そちらに乗ってみたかった

なぜ1区間のみ乗り入れるかというと、隈之城の駅前にはれいめい中学・高校があるから。多くの高校生が降り、折り返し列車内は閑散としていた

くまモンに癒やされる列車に揺られて川内に到着となるが、列車は在来線ホームを通過するかの勢いで進み、肥薩おれんじ鉄道のホームに到着。車止めの写真を掲載したが、片側のホームはつながっている

乗車してきた列車が見える。肥薩おれんじ鉄道の駅舎はホーム上。同一ホームだが、JRが1、2番線なのに対し、3、4番線がふられている

こちらは肥薩おれんじ鉄道の駅名標。奥に貨車が見えるが川内はJR貨物の駅でもある

前回は鹿児島中央まで在来線に乗車したが、今回はきっぷの特性を生かし新幹線乗車である。川内~鹿児島中央は在来線で約50分だが、新幹線だとわずか11分。1区間利用はかなりあるようで乗車は8時16分だったが、通勤と思われる会社員の姿が多く見られた。車両基地の関係もあって早朝には川内始発の鹿児島中央行きという1区間だけの列車も運行されている

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続九州新幹線の全駅訪問~線路の設置も気配りされたツルの飛来地

出水駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

お出迎えは

鹿児島県に戻って出水駅に到着

まず目に入るのは

ツルのオブジェの出迎え。渡来が始まると全国ニュースになることで知られる越冬地で、本来は難読の地名に入る自治体名、駅名だがかなりの割合で「いずみ」と読める。考えてみると九州新幹線の先行開業の各駅「新八代」「新水俣」「出水」「川内」は、初見で読むのは難しいものばかりだが、ニュースになる機会が多いためか、読める駅ばかりとなっている

私の訪問時はまだ渡来の季節ではなかったが、ツルの情報について伝える「出水ラムサールナビ」によると10月17日に「初渡来を確認しました」とナベヅル5羽の渡来報告があり、1カ月半後の12月2日には1万1410羽にもなっている。2021年にはラムサール条約の湿地となった

海沿いを南下してきた肥薩おれんじ鉄道(旧鹿児島本線)は、出水平野の手前で平野の中心部を避けるように弧を描いている。これは大正期の1923年(大正12)に鹿児島本線が敷設される際、ツルの保護のため渡来地を避けるようにしたため。当時の鉄道には国策については自然保護など二の次の印象を持たれがちだが、そのあたりはきちんと配慮されていたのだ

旧駅舎が健在

その出水駅は肥薩おれんじ鉄道でも重要な拠点駅となっている

新幹線の改札を出ると地元の小学生もお出迎え。この向こうが新幹線開業の際に駅舎も新たにできた東口だが、旧来の玄関口となる西口に向かう

新幹線の改札口から西口までは跨線橋となっていて肥薩おれんじ鉄道のホームに直接入ることができ、その先が西口である

国鉄時代からのコンクリート駅舎が、今も使用されている。戦後間もない1951年に木造駅舎から移行した。当時の出水は機関区も設置されていて、貨物も含め大いににぎわう交通の要衝。そのためいち早くコンクリート駅舎となったため、昭和30~40年代に全国で建てられた、いわゆる国鉄コンクリート駅舎とは趣を異にする

肥薩おれんじ鉄道は別駅舎

肥薩おれんじ鉄道の出水駅も車両基地を備えた拠点駅のひとつで当駅始発の列車も設定されているほか、乗務員交代などで5分以上停車する列車も多い

駅舎はJRとは別となっていて、国鉄、JR時代に関係者が利用していた建物を改造して使用している

その西口には蒸気機関車C56が展示されている

解説にすべてが記されているが、1937年に製造された後は主に九州内で活躍。72年と73年にはお召し列車のけん引という重役を担った。お召し列車の運行に携わるというのは、運転士はもちろん、整備担当まで大変名誉なことだが、その年のうちに交通機関としての任務を終えている事実に、鉄道としての時代の節目を感じる

出水駅の新幹線ホームでは新幹線通学の高校生を何人か見かけた。川内まで11分、鹿児島中央まで23分。新幹線開業前は電車特急でも西鹿児島(現在の鹿児島中央)まで90分を要していた。電化(1970年)以前は、そもそも特急という設定がほとんどなく、急行で出水~鹿児島中央が2時間。通勤通学で利用するという発想にすらならない。非電化時代はともかく、電化後の在来線特急との比較だけでも新幹線が大きな革命だったことを感じる

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続九州新幹線の全駅訪問~JR在来線の「終点」八代へ寄り道 肥薩線の復旧を願う

八代駅の1番線ホーム

※訪問は2023年10月3日

新八代から1駅

八代の中心駅はもちろん八代駅

新八代から鹿児島本線に乗り換え

新八代は鹿児島本線の九州新幹線が部分開業した2004年に八代~千丁間に設置。元々、この駅間には距離があったので、そう違和感はない

もっとも地図で分かる通り、線路は弧を描くように敷設されている(理由については後述)ので真っ直ぐ歩くと30分ほどで行ける

その八代は九州新幹線の開業で八代~川内が三セクの肥薩おれんじ鉄道となったため、鹿児島本線の「終着駅」となった(川内~鹿児島中央は新幹線と並んで走るがJRの鹿児島本線である)。線路はつながっているが、ここから先は肥薩おれんじ鉄道となっている。駅名標の「だん」は肥薩線の段駅で、当駅を出るとしばらく両線は併走するので、JRのお隣の駅は段となっている

肥薩おれんじ鉄道の起点駅

鹿児島本線の終点ということは、肥薩おれんじ鉄道の起点駅。ホームは奥の0番線。ただし一部列車は新八代まで乗り入れ運転を行うため、その車両はJRと共有のホームに入線するが停車位置は異なるので注意が必要

肥薩おれんじ鉄道ではIC乗車ができないため、乗り換えの途中にICリーダーがポツンと置かれている

駅舎は2019年に新築されたばかりのもの。明治からの駅舎が頑張っていたが、2016年の熊本地震の際で駅舎は残ったものの、一部に破損があったため安全面の考慮もあって建て替えとなった

JRとホームはつながっているが、会社は別ということで駅舎は別となっている。JRの駅に隣接する形で肥薩おれんじ鉄道の本社があり

本社に隣接して駅舎がある。有人駅

JR貨物の駅でもあり、構内は広い

肥薩線の思い出

JRのホームで時刻表を見る

肥薩線については2020年の豪雨で甚大な被害を受けたため運休が続く

きっぷ売り場にも爪痕はまだ消えていない

2018年9月、肥薩線の八代~人吉を「SL人吉」で巡った

こちらは一勝地駅

同駅に停車中のSL人吉

こちらは坂本駅での停車中

各報道によると11月24日に熊本県は肥薩線沿線12自治体との協議で、上下分離方式(線路や施設を自治体が持ち、鉄道会社が運行を担う)による復旧案を決めたという。自治体が負担する復旧費の12億7000万円は県が出費し、運行再開後の維持費は見込み7億4000万円のうち県が6億9000万円を負担。市町村の負担は5000万円に抑えるというもの。この案を元に近くJRとの話し合いに入るという

八代駅は町の中心部から、やや離れた場所にある。国鉄の駅と町の中心部が離れているのはよくある光景だが、当駅の場合は事情が異なっていて、もともと駅は町の中心部で私鉄の終着駅として1896年(明治29)に開業した。最初に示した地図では、線路が弧を描く、さらに西側。その後、鹿児島本線として現在の肥薩線を球磨川に沿って敷設することになり、町の中心部ではスイッチバック構造になって何かと不便ということになり、中心部に向かっていた線路を強引に東に向けるようにしたため、弧を描く線形となった。最初から肥薩おれんじ鉄道のルートで鹿児島本線が計画されていたら、もっと異なる駅事情となったかもしれない

5年前の時点では、まさかこんなことが起きるとは思っていなかった。肥薩線については吉松~人吉間については過去3度乗車したが、人吉~八代については、この一度きり。ぜひ肥薩線の旅をもう一度したいと思っています

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続九州新幹線の全駅訪問~完全途中駅となったかつての「始終着」駅のなごり

新八代駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

新幹線開業時は対面乗り換えで接続

新水俣から新八代へと1駅、熊本方面へ戻った

2004年3月の九州新幹線部分開業から全線開通の2011年3月まで鹿児島本線との接続駅として有名となった。接続駅つまり始終着駅だった

接続方法は現在、西九州新幹線の武雄温泉駅で行われているのと同様のホーム上の対面乗り換えで、博多方面からの「リレーつばめ」で到着すると、向かいの新幹線に乗り継ぐもの。私は開業直後にその方式で鹿児島中央まで行ったが、ホーム上での対面乗り換えを果たしただけで駅舎の外には出なかった。今回が事実上の初訪問

乗り換えの名残がそのまま残る

ホーム構造は一見、2面3線構造だが、実質は11、12番線の2面2線で、柵で覆われた番線をふられていないホームがひとつ。これが対面乗り換えの名残である。リレーつばめは、このホームに入線して乗客は12番線から発車する新幹線へと乗り継いでいた。当時はリレーつばめの発着するホームが11番線で、現在の11番線は使用されず、ホームだけが将来の全線開通に備えて設置されているだけの存在だった

ホームの端まで来ると本線とは別に線路が地上に向けて降りていく。現在は保線用の車両が走り、かつての狭軌部分は姿を消している

現在は各停パターンのみの停車

現在の新八代駅は単に新幹線と鹿児島本線の乗り換え駅。交差する形で両駅が設けられ、駅舎はそれぞれ独立している。かつては対面乗り換えだったが、一度改札を出ないと乗継ぎができない

在来線のホームに立つと、新幹線の高架の真下にいることが分かる

新八代駅に停車する新幹線は昼間は1時間に1本。「さくら」と「つばめ」のみの停車だが、ほとんどがさくら。さくらは九州新幹線の速達型だが、熊本~鹿児島中央については、各駅に停車するパターンと川内のみ停車の2パターンがあり、当駅停車は前者のみ。つまり先行開業した区間では各駅停車パターンしか停車しない

始発着駅なので全列車が停車するのは当然だが、部分開業→全線開業となった駅というのは県庁所在地など県を代表する駅が多く、全線開業後に列車によって通過されてしまうことはあまりない。東北新幹線の八戸がそれに該当するが、多くの速達型も停車する。各停パターンのみ停車となったのは現状では当駅のみである

改札内の様子。九州新幹線ではよく見られる形

当駅で特筆すべきは待合室にある純正キヨスクの存在。コンビニとの提携や独自ブランドの登場もあって各地の純正キヨスクは姿を消しつつある。ちなみに「キヨスク」は国鉄時代からのもので、JR各社に引き継がれたが、JR移管後にJR東日本のみが「キオスク」と読み方を変えている。キオスクは国文字など国鉄のものを今も大切に引き継ぐJR東海では今もかなり見られるが、他社では絶滅危惧種常態。私の認識する限りではJR九州では当駅と武雄温泉駅しか残っていない貴重な存在。しかも以前からなじみの深い大文字のキヨスクは当駅のみである

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続九州新幹線の全駅訪問~肥薩おれんじ鉄道の駅にも要注目の新水俣

新水俣駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

乗り換えのない駅はなし

熊本から新八代を飛ばして新水俣駅に到着。時刻表の関係で効率優先とすると、こうなる

2004年に先行開業した九州新幹線の新八代~鹿児島中央。この間の駅で他の鉄道との乗り換えのない、全くの新幹線単独駅はない。新八代は在来線との接続駅となったことで新幹線との交差地点に新駅が設けられたし、出水は元々がJR鹿児島本線の駅。川内も同様で鹿児島中央は言うに及ばない(新幹線開業とともに駅名が西鹿児島から変更となった)

新水俣も新八代と同様、JRも肥薩おれんじ鉄道も新駅が設けられた駅となるが趣は多少異なる

新幹線の改札付近

こちらは新幹線側の駅舎。ホームは2面3線構造で部分開業時は当駅~鹿児島中央という、新八代のみ行かない列車が設定されていた

観光物産協会も入っている

一瞬の交差に設けられた新駅2つ

コンコースの入口には肥薩おれんじ鉄道との乗り換え案内がある。新幹線の改札を出てすぐなので迷うことはないだろう

新水俣駅は旧鹿児島本線の肥薩おれんじ鉄道と新幹線が一瞬交差する場所に設置されている。両社ともに新駅だ。肥薩おれんじ鉄道は海側の水俣市街地に向かうが、新幹線は山中を突っ切る

元々の鹿児島本線は現在の肥薩線ルートで、鹿児島へはそちらの方が距離が短い。軍事的な理由や都市の多さから海沿いを行く鹿児島本線があらためて敷設されたが、各都市を順番に回っていくため、線路の距離も長い上、線形も良いとは言えない

新幹線はその欠点を解消すべく、できるだけ直線的に敷設されたため山中を行く形となった。そのため比較的駅が多く設置されている九州新幹線の中では珍しく、新八代~新水俣は同じ熊本県内にありながら42キロも離れている

元々は信号場

肥薩おれんじ鉄道の新水俣駅は新幹線の駅舎外にある

駅名板と時刻表がポツンとあるのみ。ホームへは構内踏切で向かう。駅舎のない無人駅だが、列車交換(すれ違い)は可能

それもそのはず。元々は「初野信号場」という列車交換のための設備だった。初野というのは地名である。信号場というのは両隣の駅間が長い単線区間などで列車交換をするために設けられた施設。駅となっていないのは、場所が山中など周囲に何もない場所が多く利用者が見込めないから

ただ信号場だけに設備は整っていて、ホームさえ設ければ駅に昇格させるのは比較的容易だ。そこに目をつけて駅を新設したのは素晴らしいアイデアだと思う

構内踏切で細い通路を通ってホームへと向かう

ちょうどくまモンとともに列車がやって来た

写真で分かる通り、ホーム幅は極めて狭い。信号場に頑張ってホームを造った苦労がうかがえる。肥薩おれんじ鉄道はJR貨物が走り当駅を通過するため(観光列車は大部分が停車する)、ホームには転落防止柵が設置されている上、徐行での通過となっている

肥薩おれんじ鉄道の駅名標。お隣が水俣市の中心駅の水俣で約4キロ

新幹線の駅舎の横を去っていくくまモン。なかなか良い光景。これだけでも価値がある

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続九州新幹線の全駅訪問~熊本以南の全駅回収と全線乗車を目指す

鹿児島中央駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

早朝の大阪空港から

大阪国際空港いわゆる伊丹空港の朝7時前というのは、おそらく1日で最も混雑する時間。大阪空港には騒音問題に起因する時間制限があって、7時より早い時間に飛行機が飛ぶことができない。その分、7時になると「それっ」とばかりに全国各地へと飛行機が飛んでいくことになるが、利用客はというと、公共交通機関が早朝に対応できないため、6時を過ぎてから続々とモノレールやバスで空港にやって来る

旅に出る時は常に早い出発を心がけているが、7時5分の出発となると保安検査の並びを含めると出発ロビーに着いた瞬間、飛行機に乗り込んで出発という慌ただしさ

向かった先は鹿児島。鹿児島空港と鹿児島中央駅を結ぶバスは頻度が高く、そう待たずに乗れる

今回は6月に行った九州新幹線全駅訪問の続きである。九州新幹線は新八代~鹿児島中央が部分開通した直後に乗りに行ったが、それ以来ごぶさた。今回は熊本以南の新八代、新水俣、出水、川内の各駅を訪問予定。新八代と川内は訪問済みだが、再訪としよう

市街地から離れているので少々値段は高い。もっとも山中にある分、いろいろな場所へとバスの便が出ている。川内や新水俣へのバスも興味があったが、時間が合わなかった

ちょっと高価なフリーきっぷ

鹿児島中央駅へと到着。5年ぶり。早速ネットで購入済みのチケットを発券する

60歳以上で購入できる「ハロー!自由時間ネットパス」を発券。6月は北九州版の世話になったが、全九州版は1万円も高い(南九州版はない)。いくら乗り放題とはいえ3日間で2万円近くJRを利用するのは、私のようなローカル線や普通に比重を置く鉄オタには、なかなか難しい

博多~鹿児島中央は新幹線の指定席利用なら1万640円。往復でちょうど元がとれるレベル。正直、いろいろ考えたが、各駅訪問を初日で終えると、後は日豊本線~久大本線を利用して久留米から新幹線で博多に向かう予定となっている。細々と新幹線や在来線特急に乗るので、おそらく十分元はとれるだろう

6回の指定席権利をまず行使する。北海道フリーパスもそうだったが、基本的に自由席専門の人なので、いつも余ってしまう。自由席でも100%座れるはずだが、熊本まで「さくら」の2人シートを利用しよう。山陽新幹線内で人気の2人シートだが、私はあまり利用しない。のぞみの16両編成に比べて8両編成のさくらとみずほは隣に誰かが座る確率が極めて高いため

ただ今回は、時間帯からも、そう人はいないだろう。ここで乗ってみよう

自動券売機には親切な案内があった。以前、JR西日本でも出たフリーパスも券売機のどこから指定券を発券するのか最初は分からなかった。結果的には、このJR九州の券売機と同じ「回数券の座席指定」から入るのだが、使い方が全く分からず、みどりの窓口で尋ね、何のことない、窓口で発券してもらった。この「ハロー-」パスは通年発売で、しかも利用者は60歳以上。問い合わせが多いので、このように表示したのだと思うが、こんなちょっとした気遣いがうれしいものである

なぜ熊本へ?

ということで無事に発券

鹿児島中央では、ほんのわずかな滞在で熊本に向かうことになる

だったら熊本から出発した方が早いではないか、と思われるかもしれないが全くその通り。ただ、JALのタイムセールは1カ月以上も前の販売で、この時点では詳細な旅程が決まっていなかったのだ。まずは購入ということで鹿児島としたら、後に旅程を詰めたところ熊本からの出発が圧倒的に便利だった次第。もっとも利用するのは「ハロー-」なんで料金は同じである

予想通り、さくらの車内はとても快適だった。あくまで自分の感覚だが、九州新幹線は熊本を境に利用者が大きく変わる

そして、なぜ新八代へ行かず、訪問済みの熊本行きに乗車したかというと、新八代~鹿児島中央の駅のみ訪問すると、熊本~新八代が未乗区間になってしまうからだ

熊本へ到着。熊本空港利用と比べると時間はかなりロスしたが、ようやくここからスタートである

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九州新幹線の全駅訪問~私鉄とライバル関係

久留米駅の駅名標

※訪問は2023年6月29日

久留米出身の大スター

久留米駅に到着。本日の最終目的地は熊本なので(というか所持しているきっぷでは熊本までしか行けない)、これで新鳥栖から南側の駅はすべて回ったことになる。後は熊本に行くだけだが、久留米は「さくら」も停車するので、ここからはノンストップで熊本に向かう予定である

鹿児島本線は博多から一度、佐賀県に入って再び福岡県に入るので、その地理関係が理解できないと、どの都市がどこにあるのかもパッと頭に入ってこない。世の中には久留米が佐賀県なのでは、と思っている人も多く、同様に大牟田が熊本だと思っている人も多いと感じる

私も高校生あたりまでは、その一人だったが、ある時から久留米市は福岡県だと理解するようになった。私と同世代に松田聖子さんとチェッカーズがいたからだ

その久留米駅はもちろん久留米市の代表駅

久大本線との乗り換え駅で久大本線に乗り入れる特急はもちろん、在来線は全列車が停車する。新幹線も以前はさくらのみの停車だったが、現在は最速達タイプの「みずほ」も一部が停車するようになった。以前の駅舎は、いわゆる国鉄コンクリート駅舎だったが、九州新幹線全通の1年前の2010年に現在のキラキラした駅へと変わった

博多~熊本の九州新幹線駅は従来の中心駅とは異なる場所に設置されていることが多いが、博多、熊本そして久留米については鹿児島本線と併設された。筑後船小屋駅の項でも記したが、元々、九州新幹線はスーパー特急方式つまり在来線を走る特急として計画が進められ、筑後船小屋近辺までは在来線を通る予定だった。その後、フル規格へと変更され、長崎本線上への新鳥栖駅の設置のほか、新大牟田、新玉名などが新幹線単独駅として誕生。筑後船小屋も元々の在来線駅を移設しての開業となったが、久留米については、その重要性から鹿児島本線と同駅とするべく工事が進んだ

利用者の利便性を考えると、これは重要なことだ

駅前のからくり時計は以前からのもの

久留米ラーメンのお出迎えもある

利用者を西鉄と争う

さて久留米にはもうひとつの「久留米駅」がある

西日本鉄道の西鉄久留米駅。写真は2022年6月のもの

両駅間は約2キロと歩くにはちょっと辛い距離。頻発するバスで結ばれている

駅の開設は国鉄の久留米が1890年の明治23年。日本で鉄道が開業して20年も経たない時期で、いち早く久留米の中心部となったが、30年以上が経った1924年(大正13)に九州鉄道(現在の西鉄)が開業すると、徐々に繁華街が西鉄駅へと移り始めた。現在、繁華街といえば西鉄駅の周辺となる

鉄道ダイヤは平日昼間は天神にある西鉄福岡まで急行で40分。朝と夜は特急も運行され30分(土日祝は昼間も急行を減らす形で特急が運行される)。対するJRも昼間は1時間に4本が運行されるが、博多へは鳥栖での乗り換えが必要な列車も多く、快速の運行本数も少ないため、時間と利便性では西鉄が有利。利用者も西鉄が圧倒。JRも朝の快速を増やしたり、鳥栖での乗り換え時間を短縮するなどしているが、現状ではダブルスコアである

熊本到着で気付いたこと

そして久留米からさくらに乗車して熊本で下車

所持しているきっぷで乗降できる新幹線駅を長崎から新鳥栖を経由してすべて訪問できたが、その後「あっ」と気付いたことがある

駅そのものはすべて乗下車したが、博多~新鳥栖間が未乗車区間として残ってしまったのだ。こういう1区間というのは、いつでも乗れるようで、わざわざ出かけなければならない分、意外と乗れないのだ。北陸新幹線の糸魚川~上越妙高も実際に乗るまで意外と時間を要した。この時点で秋に再び九州に来て残る新幹線駅をすべて回収することは決めていたが、日程に必ず博多~新鳥栖を組み込まなくならなくなった

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九州新幹線の全駅訪問~最も近い駅が対応駅ではありません

新大牟田駅の駅名標

※訪問は2023年6月29日

こちらも新幹線単独駅

筑後船小屋から、ひとつ熊本方面へと戻って新大牟田駅で下車

各駅停車パターンのみが停車する筑後船小屋、新大牟田、新玉名の3駅は原則的に1時間に1本の停車。駅訪問のやり方で1駅ずつ順番に下車していくと、それぞれ1時間待ちになってしまうので、行って戻ってを繰り返すのが効率よく回るやり方だが、それには大変お金を使う。特に新幹線については、さらに大金が必要となるので、今回のようにフリーきっぷを握った時に集約するようにしている

こちらは改札付近の様子

コンコース側には別棟の形で大牟田市の観光プラザが入居している

世界遺産への案内もある

対応駅は大牟田だが

駅舎は「風」をイメージしたもので、緩やかに波打っている

そしてなんとなく駅名で想像がつくが、当駅も新幹線単独駅。新玉名駅と同じく当駅も並行在来線は鹿児島本線で、対応する駅はもちろん大牟田である。ただし新玉名と比べると大牟田駅からは少し離れている

距離にして7~8キロ。車でも20分ほどかかる。両駅間は路線バスで結ばれていて1時間に1本という新幹線と接続を考慮するダイヤで1時間に1本運行されている

ただし地図をよく見ると、もっと近い鹿児島本線の駅がある

大牟田より博多方面に2駅の吉野駅。距離にして約3キロ。ちょっと気合を入れれば十分に歩けそうだが、JRの定める選択乗車の対応駅は、あくまで大牟田である

そもそも、周辺の学校があることや宅地化が進んだことでJR移管後の1991年に開業したばかりの小さな駅。なかなか、ここで選択乗車をしろ、と言われても困りそうだ

ただし、おもしろいことに利用者は若干ではあるが、新大牟田駅よりも利用者は吉野駅の方が多いのである

大牟田駅の紹介も

あまり機会がないので大牟田駅の紹介もしておこう

2022年6月の訪問時のもの。駅舎は戦後に改築された国鉄式コンクリート駅

江戸時代から石炭の採掘が始まった三池炭鉱の町として大いに栄えた

なお当駅が最寄りともなっている三池工業高校は原辰徳前巨人監督の父・貢氏が監督を務め、1965年(昭和40)に夏の甲子園で初出場初優勝を果たしたことで知られる。また同校はその後、センバツも含め甲子園には一度も出場していないため「甲子園勝率10割チーム」として今も名が挙がり、夏の選手権優勝チームでは唯一の存在となっている

大牟田は西鉄天神大牟田線の始終着駅でもある。東口がJR、西口が西鉄。西口にはかつて大牟田の路面電車として活躍した車両が展示され、観光案内所兼カフェとなっている

こちらは西鉄の駅名標

大牟田から福岡の繁華街である天神まで西鉄の特急で1時間(平日昼間は特急の運行がなく急行で70分)。JRだと、ほとんどの列車が鳥栖または久留米で乗り換えとなり、博多までの所要時間も80分を要するため、福岡市内へのアクセスは西鉄が優位となっている

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九州新幹線の全駅訪問~言わずと知れたホークスタウン

筑後船小屋駅の駅名標

※訪問は2023年6月29日

ホークス選手がお出迎え

新玉名から博多方面へ逆戻り。福岡県に入って最初に降りたのが筑後船小屋。所在地は筑後市

エスカレーターを降りると、さっそくソフトバンクホークスの皆さんがお出迎え

こちらはホークスタウン

駅から見えているぐらい近い。「ホークススタジアム筑後」が至近。ネーミングライツで「タマホームスタジアム筑後」となり、愛称「タマスタ筑後」で親しまれる

新幹線の駅は2011年3月の九州新幹線全通時に開業したが、それから5年後の2016年に球場とともに選手寮や室内練習場も完成。球場も2面を持つ充実した施設となっている

在来線駅は戦前から

鹿児島本線の在来線駅は新幹線駅とはロータリーを挟んだ向かい側にある

こちらは在来線の駅舎。新幹線との乗り継ぎは、互いに一度改札を抜ける必要がある

このあたりは新幹線と鹿児島本線が接近して併走する区間となっているが、在来線の駅は1928年というから、昭和3年からの歴史を持つ。だが、元の駅名は「船小屋」。新幹線駅の開業とともに現駅名となった

筑後市のホームページによると、江戸時代に久留米藩が、近くを流れる矢部川の護岸工事用の石を運ぶ船を洪水から守るために造られた小屋を石船小屋と呼んでいて、そのうちに地名となった。明治に入ると船小屋温泉が栄えた

元々は九州新幹線がフル規格ではなくスーパー特急方式で計画され、博多から在来線を通ってやってきた新幹線が当駅付近に設けられる信号場から専用軌道に入り、熊本へと向かうことになっていた。その後、計画は全線フル規格に変更され、信号場は必要がなくなったが、後に新幹線駅として建設することになった。その際、駅そのものを南に500メートル移動させて現在の筑後広域公園内にある駅となった。旧駅は移動の時点ですでに簡易的な駅舎で普通のみの停車だったが、立派な駅舎とともに快速停車駅にもなった。500メートルも移動した上に駅名変更となると新駅と言えなくもないが、あくまで駅の歴史は1928年からである

こちらは駅名板。新幹線はもちろん、在来線の駅にも駅員さんはいる

新幹線の駅設置時は不要論もあり(筑後市の中心駅は在来線でお隣の羽犬塚であり、新幹線駅が併設されている久留米まで在来線で12分で行ける上、久留米には速達型のさくらが全列車停車する)、開業当初は、そう多くの利用はなかったが、ホークスタウンとなったことで利用者は増えている

駅前の観光案内所にはウエスタンリーグの開催案内があった

なお、タマスタ筑後の観客席は密かな鉄道写真の撮影地としても知られていて、試合開催日など球場内に入れる日は、そちら目当てで訪れる人もいるという

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九州新幹線の全駅訪問~日本最南端の新幹線単独駅

新玉名駅の駅名標

※訪問は2023年6月29日

新生つぱめに初乗車

九州新幹線の全駅を効率よく回るため、新鳥栖から3駅飛ばして新玉名へと向かう

乗車したのは「つばめ」。九州新幹線内は「みずほ」「さくら」「つばめ」の3種類の列車が走っていてみずほは最速達型、さくらは停車駅を多くした速達型、そしてつばめは各駅停車。みずほとさくらは新大阪へ向かう(さくらの最後の2本はそれぞれ広島、博多止まり)のに対し、つばめは九州新幹線内で完結する(朝の1本のみ山陽新幹線小倉行きの設定がある。また新下関発熊本行きの設定も昼間に1本あり、つばめで唯一、本州に入る列車となっている)。そして朝の早い時間と夜の遅い時間以外は博多~熊本の運転が原則。つまり、速達型の停車しない博多~熊本間の各駅を結ぶ役割を担っている

九州新幹線は新八代~鹿児島中央が開業した2004年に早速乗りに行ったが、その時の列車は、すべてつばめ。さくらやみずほは山陽新幹線内で何度も利用している。つまり、九州新幹線内に3種の列車が走るようになった全線開通後の「新生つばめ」には初乗車となった

私が乗車したのは8時24分新鳥栖発のつばめ。熊本止まりの列車で、この時間帯の下りは利用者が少ないようで、車内は空いていた。「新玉名」の文字が出たので、降り支度を始める

玉名駅まで約4キロ

新玉名に到着。佐賀県から福岡県を通過して熊本県に入った(すぐ福岡に戻るのだが)

駅名から想像できるように玉名市の中心駅である玉名駅とは別の場所にある。そして新幹線単独駅である。2011年3月に博多~新八代の開業とともに設置された

距離にして約4キロ。両者は路線バスで結ばれている

そして九州新幹線は当駅以南には新幹線単独駅はない。つまり「日本最南端の新幹線単独駅」ということになる。おそらくこの座は、今後も不動と思われる。もっとも何でもかんでも「最○端」を定義するものではなく、駅にはこのような表記はない

ホームは2面2線。通過線はない。ホームは11、12の番線が振り分けられている。新幹線駅のホームが11から始まるのは東北新幹線などでも見られる方式である

玉名駅との選択乗車が可能

コンコース内には観光案内所や売店がある。もちろん、みどりの窓口設置

駅では玉名市の名所、名産のイラストが出迎えてくれる

駅前にはNHK大河ドラマの主人公となった金栗四三の銅像が設置されている

駅舎は「森の中の駅」をイメージしたもの

なお、西九州新幹線の項で大村線に沿って走っていて接続駅もあるが路線としては別と記したが、九州新幹線の並行在来線は鹿児島本線なので新玉名の対応駅は玉名で選択乗車は可能だ

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