カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その6 いなべ市の代表駅で半数が折り返す

楚原駅の駅名標

※訪問は2024年11月19日

発車番線に注意

楚原駅に到着。ご覧の通りの2面2線構造だが、昼間は半数が当駅で折り返す。朝のラッシュ時が終わると西桑名から当駅までが30分に1本、当駅から終点の阿下喜までは1時間に1本の運行となる。それゆえ西桑名行きは発車ホームが異なり

ホームの時刻表には発車番線が表示されている。時刻表を見ると分かるが、折り返し以外の阿下喜まで向かう列車と阿下喜からやって来る列車が必ず当駅で列車交換を行うのも特徴のひとつ

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いなべ市員弁町

楚原駅の駅舎。近鉄から三岐鉄道への移管の際、駅の統廃合が行われ、従来の駅舎も自動改札機の遠隔操作に対応するため、多くの駅で建て直しが行われたが、当駅は近鉄時代のまま。現在の駅舎が1992年(平成4)に新築されたばかりということもある。北勢線では数少ない有人駅のひとつととなったことも、そのまま利用される一因ともなっている

当駅は1914年(大正3)に現在の西桑名駅である大山田から当駅までの敷設が完了して北勢鉄道が新規開業した際の終着駅としてスタートした。当駅から先の部分は山中の難工事続きで、先に紹介した麻生田駅を含む阿下喜東駅(後に六石と改名され、三岐鉄道移管で廃駅)までが2年後に開業したものの、終点の阿下喜まで到達したのは1931年(昭和6)のことだった。駅の開業時は大泉原村に所在。1941年に員弁町となったが、最初に開業したことでも分かるように地域の中心でもあった。「楚原」も現在も当駅の利用者は多く、2023年の1日あたりの乗降客数は991人で西桑名、星川に次ぐ第3位である。有人駅となっているのもよく分かる。いなべ市の市役所最寄りは阿下喜駅だが、いなべ市の中心駅は人の多さからも楚原駅となっている

ちなみに鉄道むすめも「楚原さん」である

駅の住所は「いなべ市員弁町楚原」。平成の大合併でいなべ市が成立した後も旧町名はそのまま使われているが、「員弁」はもちろん「いなべ」と読むため、すべて平仮名にすると「いなべしいなべちょう」と「いなべ」が続く。市が誕生した際、「員弁」が難読だとして平仮名となった。当時は駅名にしても平仮名にすることが流行った時代でもあった。楚原もかなり古い文献に登場していて鎌倉時代には伊勢神宮領として「曾原」の表記があり「蘇原」という表記も見られるという

住宅街にたたずむ

駅の周辺はかなり規模の大きい住宅街

甲子園の高校野球やレスリングでも知られる「三重県立いなべ総合学園高校」の最寄りでもあり、駅の利用者数に大きく貢献している

訪問時はたまたま駅員さん不在の時間帯だったが、駅舎の待合室はエアコン完備で多くの利用者に対応している

緑の布製シートの屋根は近鉄を強く意識させるもの。最初に時刻表を見た時は、なんでこの駅で半分が折り返すのだろう、と思っていたが、行って納得、調べて納得だった

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その5 ロードサイド店の一角で「復活」

星川駅の駅名標

※訪問は2024年11月19日

新規開業も路線で2位の利用者

麻生田駅から桑名市内へと戻って星川駅で下車。当駅は2005年と三岐鉄道移管後に新たに設けられた単式ホームの駅だが、路線内では数少ない有人駅のひとつ。しかも2023年の利用者数は1日1019人と北勢線13駅の中では西桑名駅(3461人)に次ぐ第2位。事実上、西桑名駅は桑名駅と一体化しているので、ある意味1位と言ってもいいぐらいだが、数字の理由については現地を訪れると一目瞭然となる

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車窓からの景色

阿下喜方面から西桑名を目指すと星川駅の手前で車窓にMEGAドンキが見える。これだけだと、ありきたりな光景で「ドンキぐらいあるだろう」と思ってしまうが、駅から出ると、ちょっと驚く

左にあるのが駅舎で正面にあるのが三洋堂書店で右がMEGAドンキ。つまりこの2店舗と敷地を共有し、ロードサイド店の一角に駅がある格好となっている

周辺の店舗はこれだけではない。駐車場を出るとすぐ国道421号で、東名阪自動車道の桑名インターも至近であるためファミレス、回転寿司などのチェーン飲食店のほか、病院やチェーンホテルなど多くの施設が集まる。北勢線沿線では駅近辺が最もにぎやかな場所となっている。

別の駅を移転開業

当駅は三岐鉄道移管後に、500メートルほど離れた場所にあった「坂井橋」という駅を移転して新規開業した形をとっている

旧駅は、まさに坂井橋の近くにあった。員弁川を渡る貴重な橋の近くでマイカーなど存在しない大正期の開業時は貴重な場所にあったといえるが、駅前にスペースがない。北勢線は三岐鉄道移管後にパーク&ライドに重点を置く駅を目指しているので現在の場所が選ばれたのだろう。坂井橋駅は星川駅開業と同時に廃駅となっている

駅舎を正面から見ると

デザインはまさに「星と川」だが、駅の住所ともなっている星川は古い地名である。桑名市のHPによると、大和(奈良県)の星川から移住してきた人びとによって開発されたと考えられていて、平安時代の文献には「星川市庭(いちば)」という物資交換の市場が記録されていて、員弁川に港もあったという

そのように古い地名なので、実は過去にも「星川駅」が存在した。しかも2回も。初代は北勢鉄道の開業(1914年)と同時に設置され、現在の駅より西の嘉例川を渡った先にあったが、ホームを設置するスペースがないということで間もなく廃止。昭和になって嘉例川の砂利を運搬する目的で嘉例川西岸付近に2代目の星川駅ができたが、戦時中の電力節約のあおりを受けて休止駅となり、戦後20年以上を経て正式に廃駅となった。名称だけなら現在の駅は復活した3代目となるが、正式には坂井橋駅の移転という形になっている。駅間の近い北勢線ならではの話でもある

暑さも寒さも凌げるエアコン完備の待合室も備え、早朝や夜間以外の駅員さんがいる時間帯では定期券も買える。利用者数第2位にふさわしい施設を備えている

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その4 こちらの難読駅は山中にひっそり

麻生田駅の駅舎

※訪問は2024年11月20日

30分に1本の運行

東員駅から終点である阿下喜行きの電車に乗る

こちらは列車交換の西桑名行き。訪問時は11月の後半だったが、すでにクリスマスムード

朝夕のラッシュ時は本数も増える北勢線は昼間は、きっちり30分に1本のパターンダイヤとなっている。内訳は途中の楚原止まりと終点の阿下喜行きが半々。つまり楚原以遠は1時間に1本となるが、駅の配置だけを見ると楚原は阿下喜の2つ手前。たった2駅区間なので、すべて最後まで行けばいいのに…と思うのが人情である。ということで車窓や乗車状況などもできるだけしっかり確認しながら電車に乗り込んだ

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朝のラッシュが終わると

9時を過ぎると朝の通勤通学ラッシュは終わり

突如として乗車車両は貸切状態に。人がいないと写真は撮りやすいが、誰もいないとナローゲージの車内の狭さが分かりにくくなる

列車は麻生田駅に到着した。1時間に1本となってしまう2区間の途中駅。格好いいデザインは

Jリーグ入りを目指すJFLのヴィアティン三重である。東員駅の記事で東員町役場の最寄りと書いたが、町役場近くには町の中心機能が集まっていてクラブがホームスタジアムとするLA・PITA東員スタジアムもその一帯にある

三岐鉄道移管後に駅舎設置

ということで麻生田駅だが

これは読めない

駅前にあった名所案内にも「麻績塚古墳」があり、いなべ市観光協会のHPによると、麻生田の地は古来から伊勢の神領であり、麻の栽培や紡織が盛ん。「和名抄」にもその名をとどめているという。古墳があり、埋葬された人物の名をとって一般に「麻績塚」と呼ばれ、墓の主は伝承によれば神麻績連。天物知命の后、また、桑名玖賀の姫ともいわれていると記され「その名のとおり、麻の栽培・紡織といった生産に深い関係を持っていたことがうかがえる」と綴られている。全国には「麻」の付く町は数多くあるが、当地でも麻の栽培が行われていたのだろう

駅の開業は1916年(大正5)。楚原から阿下喜までが延伸された際に設置された100年以上の歴史を持つ。開業時は山郷村に所在し、戦後に北勢町そして現在はいなべ市

楚原を出ると車窓は急に山深くなり、それまでの桑名市からの都市圏というムードが一変して当駅に着く。ここから阿下喜までも山中を行く。当駅の両側には近鉄時代はそれぞれ駅があったが、ともに廃駅となっていて、そんな事情も山深さを感じさせる要因となっているのかもしれない

駅舎はあるが、これは三岐鉄道移管後に建てられたもの。駅の全景は

このような感じで、かつてはホームと待合所だけだったことが想像できる。ただ写真では自由に入れるように見えるホームだが

おそらくかつての出入口だった箇所は塞がれていて駅舎に備えられた自動改札機を通らないと入れなくなっている。北勢線はその部分がしっかり守られていて、多くの無人駅も遠隔操作できる自動改札機が必ずあり、後で出てくるが、全13駅のうち自由にホームに出入りできる駅はひとつしかない

周辺はポツポツと民家が存在するだけだが、当駅もパーク&ライドができるようになっていて舗装されていない部分もあるが、駐車場は備わっている。なお北勢線の中では利用者数が最も少ない駅となっていたが、2023年のデータでは13駅中11位の260人となっている

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2025あけましておめでとうございます

2度目の年越し

あけましておめでとうございます

2022年9月に当ブログを始めて以来、無事に2度目の年越しをすることができました

これも皆さまに読んでいただているからこそのものだと思います。ありがとうございます

こちらは今年の3月に由利高原鉄道に乗車した時のものです

なかなか大阪や神戸で由利高原鉄道に乗ったことがある人を探すのは難しいと思いますが、一面の雪景色の車窓はなかなか雄大なものがありました

こちらはわたらせ渓谷鉄道

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私鉄には純然たる会社として独立しているものと第三セクターの2種類があり、三セクにも元々は国鉄やJRだったものが移管したもの、新線を設けるために新たに立ち上げられたものがあります

上に挙げた2社は国鉄としてスタートしたもの

こちら旧東北本線だった青い森鉄道の乙供駅。国鉄を引き継いだ三セクは旧来の駅舎がそのまま残されていることが多い

一方、こちらは有名な伊予鉄のダイヤモンドクロス。最初から独立した会社です

今年の目標は

各地の私鉄や三セクについては、折に触れて紹介してきましたが、青春18きっぷのルール変更もあって、今年は私鉄、三セクにも力を入れたいと思っています

実は各駅訪問についてはJRよりも私鉄、三セクの方がはるかにハードルが高い。とにかく現地まで行かなければならないし、うまくきっぷを買わないと金銭的負担が大きい

阪急のように大手私鉄なら話は別ですが運行本数もかなり厳しかったりします。ただ大手私鉄も運行区間が長い会社は全駅というと、かなり気の遠くなる作業となります。そもそもフリーきっぷの設定がない会社もあります

現時点で私が1分たりとも乗車したことのない私鉄は青森県の弘南鉄道と山形県のフラワー長井線、熊本県の南阿蘇鉄道です。都市圏に目を向けると湘南モノレールも乗ったことがありません。虫食いのように未乗車区間が残っている会社も多数あります

11、12月と三岐鉄道の北勢線と三岐線に乗って、前者はナローゲージという特別なシステムもありますが、とてもおもしろかった

思えばブログを開始した時、最初に紹介したのは松浦鉄道でした。ベタなことを言ってしまうとJRの記事の方が閲覧数がはるかに多いのは事実ですが、地方鉄道のおもしろさや良さも伝えていきたい。今年のテーマのひとつに「積極的に私鉄の紹介を行う」を挙げたいと思います

本年もよろしくお願いいたします

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2024年の降り鉄を振り返る(後編)

やってみたかった旅を決行

7月の1日から東京へ

一度やってみたかった「適当に旅をして飽きたらヤメ。現地でホテルを探す」旅を決行

品川駅を出発して常磐線、東北本線、IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道と乗り継いで青森まで。乗り鉄の方にとってはなんてことない作業でしょうが、とにかく1時間同じ乗り物に乗ると飽きてしまう体質の私にとっては大変なこと

東日本大震災前に足繁く通っていた時期もあるJヴィレッジに新設されたJヴィレッジ駅に降り立った時は感無量

青森まで到達した時は、それなりの感慨がありました

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この時に感じたのは都内のホテルのお値段。コロナ前にも都内のホテルの容量と価格に随分と悩まされましたが、東京五輪のおかげで容量は増えたものの、価格はさらに上がっている気がしました。そのおかげで7月以降、東京には一切立ち寄らず。来年に東京まで行く用事ができたため、早々に予約サイトをのぞいたところ、さらにめまいがするような料金になっていました。地元にいると気付かないものですが、大阪のホテル事情もなかなかのもののようです

7月の旅では、県庁所在地を避けて宿泊するという作戦が奏功し、かなりお安く宿泊することができました

帰って間もなく四国バースデーきっぷを利用。四国へはいつも旧交を温める目的が多いのですが、今回もその一環。以前から行きたかった伊予鉄の松前(まさき)駅は良かった

今年も宗谷本線がストップ

7月中旬以降、あまりの酷暑に青春18きっぷの連続使用記録ストップかと思っていたのですが、9月上旬に長野に行く用事ができたため購入して8月上旬に中央西線の各駅訪問。青空フリーパスからなぜか外れている3駅の訪問もこちらで消化できました

以降は猛暑で昨年に続き8月はどこにも出かけず、最終週に昨年に続いて北海道へ。昨年は大変な目に遭いましたからね。今年は昨年と違って無事に抜海駅から乗車…となったのですが、今度はそこから先が豪雨ということで先に行かない

抜海駅の撮影会となりました。その後はJR北海道が仕立ててくれたタクシーで名寄駅まで1時間半のタクシー旅という芸能人のような凄い体験(タクシー料金も見たことのない数字でした)。毎年ちょっとあり得ない体験をさせてくれる宗谷本線ですが、事実として残ったのは雄信内や南幌延という来春廃駅予定の駅へ行けなかったこと

特急「大雪」とのお別れをできたことだけが救い

考えてみれば去年も今年も何日間か北海道にいたその日だけピンポイントで宗谷本線が止まりました。前後は良いお天気。北海道旅の予定は1カ月以上前に組んでしまうのでさすがにどんな天候かまでは分からないのですが、この縁のなさはある意味凄い。実は10月の航空券タイムセールというのがあり、ラストチャンスにかけてみるか、と一瞬脳裏を横切りましたがやめておきました

そして6日間予定していた旅の台風進路がまずい、仕事に行けなくなると4日に短縮して慌てて帰ったのですが、過去に体験したことのないノロノロ台風は結果的には神戸・大阪はもちろん、北海道もほとんど影響なく本州の真ん中あたりで消滅するという、何のために日程を詰めたのか分からない結果となりました

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大糸線の全駅訪問

9月以降は行動が鈍っています

18きっぷの残りで、まだ紹介していない大糸線の各駅訪問そして紹介済みの大糸線増便バスに乗車しました

これまでは普通の景色だった南小谷駅での特急「あずさ」が見られなくなるとは、この時予想もしていませんでした。「とりあえず目の前にいるから撮っておくか」が鉄道にとっては大切なんだと痛感。3月まで現地訪問の予定はないので、これが最後の勇姿となりました

こちらもまだ紹介していませんが、10月は秋の乗り放題パスで大糸線の未回収駅の訪問。9月と同じく増便バスも利用して糸魚川経由で帰ってきました

こちらはすでに紹介しましたが、大糸線の非電化区間最初の駅である中土駅へ再訪。やはり良い駅です

10月後半は飯田線。つい先日まで記事をアップしていましたが、リニア駅の最寄りになるとされる元善光寺駅。リニア開業の際はどのような表情になっているのでしょうか

そして小和田駅。記事でも書きましたが、動物はもちろんのこと、昆虫やは虫類が苦手な方は冬場の訪問を強くおすすめします

11、12月はこちらは記事展開中の三岐鉄道の北勢線と三岐線の訪問。三岐線については、まだ全駅行けていないというか、あえて残している部分もあります。とにかく両線ともおもしろいのです

そして「新生18きっぷ」の旅は2本前の記事でも紹介した通り

自身にとって、来年の降り鉄のテーマは18きっぷの裁き方となっています

皆さんの2024年はどのように年でしたか。そして来るべき2025年が良い年でありますように

今年も1年ありがとうございました

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2024年の降り鉄を振り返る(前編)

仕事を始めて行動規模縮小

2024年も間もなく終わろうとしています。今年は年明けから少し仕事を始めたおかげで行動規模はやや縮小することになりました。それでも各地でいろいろな思い出を得ることができました。そこで駆け足ではありますが、今日そして明日で今年を振り返っていきたいと思います

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恒例の18きっぷ消化から

年明けは青春18きっぷの消化すら始まりました。毎年というか季節ごとにそうなのですが、18きっぷの最終日に向けてドタバタと旅を始めます。1月9、10日で広島県へ。呉駅で呉線の全駅訪問を完了させた後に三原で宿泊

翌日は福塩南線の全駅訪問を行いました。最後は久しぶりの高木駅。前回もそうだったのですが、自撮りに慣れていないとうまく撮れません。それなりに利用者のある駅ですから、電車の出発時間前になると人が集まってくる。「このオッサン何してんの?」と思われたでしょうね

2月はそう大きな動きはありません。滋賀県で食べた近江ちゃんぽん。チェーン展開しているこのお店が神戸駅にも出店していることを、かなり暑くなってから知りました。そろそろ行かなければ、と思っています

雪また雪

3月は新潟空港からスタート。まだ利用していなかった空港で、JALのタイムセールでチケットを確保。ただ地方空港あるあるで、飛行機が到着すると、空港バスが接続よくやって来るので本当に写真を撮るだけでした。この旅はある意味、2024年を決定づける旅になりまして

新潟市内は全くなかった雪が長岡あたりから猛烈に

宿泊した十日町は少し雪が積もっているな、という感じでしたが、翌日に新幹線全駅訪問の最後となった飯山を訪れた時は、目の前で雪がどんどん積もっていく姿を目の当たりにしました。北陸新幹線の敦賀延伸を目前に控え、暫定的にでも絶対に全駅訪問を達成しようという私的には価値ある訪問だったのですが、とにかく雪の印象が強すぎました

長野に移動すると雪はすっかり姿を消していてひと安心したのもつかの間、松本へと向かうと姨捨あたりから、また銀世界に。記事でも紹介しましたが、積雪の境目がこのあたりにあることが分かって興味深かったです

ということで松本では久しぶりの3月の大雪に遭遇して、たまたま手頃な電車があったからと雪の大糸線に乗車したことが今年を運命付けました。今年は何かと長野に通う1年になったのは、この日がきっかけ

帰って間もなくJR東日本のたびキュンパスを利用して

ガーラ湯沢を初訪問。3月半ばでこれだけの雪があることを地元では喜んでいらっしゃいました。新幹線のパワーというのは凄まじく

熊谷、宇都宮、那須塩原、新白河と寄り道したにもかかわらず当日の15時すぎには一ノ関に到着。平泉駅に立ち寄って一ノ関に宿泊した翌日からは18きっぷの登板。気仙沼からのBRT経由で仙台に到着。こちらもタイムセールで用意した飛行機で帰ってきました

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やはり18きっぷは広島

4月の声を聞いて18きっぷ消化は芸備線。過去に行ったことはあるが乗降ともにしたことのない駅に行ってみようと市岡駅へと坂根駅へ。市岡で2時間待ちとなりましたが、徒歩10分ほどの商店でお弁当がひとつだけ残っていて美味しくいただくなどして時間を潰せました。実は仕事がひとつ舞い込んできてスマホでのエクセル操作にかなり悪戦苦闘したことが時間つぶしの大きな要因でした

三次に宿泊して翌日は福塩線で未訪問の吉舎駅と河佐駅へ。朝から吉舎駅に行ったのはいいが、次の河佐への列車まで何と7時間の待機

安芸高田市の三江線代行バスで旧式敷駅へ訪問するなどして時間をつぶしました。前日の記事に書いたばかりですが、やはり広島県は18きっぷでした

今年一番印象に残った駅

帰宅してから行ったのは阪神電車の廃線跡巡り。阪神のしかも神戸市内に廃線があるなんて一般的にはほとんど知られていないと思いますが、50年以上前に線路の付け替えで廃線となった線路跡は今もくっきり残っています

4月は九州へ。延岡~宗太郎の1日1・5往復区間の全駅を無事に訪問。その後訪れた

立石駅。今は設備を持て余すほどの大きな駅。ひとつの役割を終えた駅というのは大好きなんですが、2024年では最も印象に残る駅となりました。そういえば阪和線の紀伊中ノ島駅の駅舎解体が話題になっているようですが、この後どうなるのでしょう

寒さに震えた北海道

5月の最終週は北海道へ。無事に予定していた行動を終えることができたのですが、とにかく連日寒かった。気温の10度台はそうでもないのですが、連日の風が強くて強くて。昨年の同時期にも北海道を訪れましたが、寒いと感じたことは一度もなかっただけに、ちょっと甘く見ていました。1日2・5往復の川端駅。周辺は意外と大きな集落で、レストランでお昼まで食べられたのは望外でした。道路交通のちょっとした要衝なんですね

6月はわたらせ渓谷鉄道そして宇都宮ライトレールに乗車

念願のひとつだった群馬県の「神戸駅」に行くことができて良かった。足尾駅周辺にサルさんがいっぱいいるとは知りませんでした

6月終わりは「青空フリーパスの券面に書かれた駅で唯一行ったこともなくて、どんな所かも知らない」木曽平沢駅を訪問。奈良井とある意味セットになっていることを知りました

列車遅延の関係で初めて降りることとなった倉本駅が素晴らしかった

かつて各地の登山駅で見られた山の情報板まで残っていて、これが後の中央西線の全駅訪問にもつながりました。大糸線と中央本線そして飯田線。今年の後半は長野県ばかりでした

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2024年を振り返る前に自身の「18きっぷ依存度」を診断してみました

早速の3日間利用

2024年も間もなく終わりです。本来なら、まず今年の振り返りなどをするところですが、10月に入ってビックリの発表がありました

早速、先日利用してみましたが、その振り返りとともに、今夏までの青春18きっぷは当ブログにも大きく貢献してくれたので、私的な依存度も自ら診断してみました

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お試し利用はすべて日帰り

こちらが新しい青春18きっぷ。変更点については上記に再録した過去記事を読んでいただくとして、とにかく1日3333円以上の元を取らなければなりません。ということで、今回やってみたのは3日連続の日帰り行脚

加古川線

湖西線

日生(赤穂線)のカキオコツアーで過ごしました。私の場合はバンバン途中駅で降りる上に逆戻りしてまた進むという行動をしょっちゅうするため、運賃的には簡単に元をとれます。日帰りとなると、なおいっそうで、100キロの壁となる1690円の区間を単純往復すれば、おつりが来るので問題ありません。ただ当然ながら日帰り区間というのは過去に行ったことのある場所ばかりになってしまいます。せっかく自動改札機を通れるのだから近場にしようという考えもありましたが「う~ん、なんだかなぁ」という部分は否めません。今回は加古川線に行くという明確な目的があった以外は思いつきに近いものでした。これまでのルールなら、まず加古川線をやっつけて、それから4回はどうしようか、思っていたはずですが、とにかく1度乗ると絶対に3日続けて使用しなければならない(1日や2日で1万円分使えれば回収したことになりますが)ので、いろいろ考える必要があります

変更時にも書きましたが、大阪から名古屋まで在来線のみで移動しても3410円なのです。途中、新快速があり、本数も多い区間ですが3時間かかります。3333円の壁はかなり高い。5日券だと1万2050園で1日2410円とハードルはグンと下がりますが、5日続けて利用できる、つまり旅ができるというのは、かなり恵まれた環境にある人でしょう。私自身は今回はお試しとして利用して側面が大きい

ブログ記事の貢献度はどうなのか

では自身がどれぐらい18きっぷに依存している(頼りにしている)のか、記事の本数を数えてみました(結構しんどい作業だった)。ブログを開始したのが2022年の9月。昨日までに619本の記事をあげていますが、18きっぷを利用した旅の記事本数は

200本!

なんと3分の1の記事が「18きっぷ経由」のもの。新幹線の全駅訪問ではもちろん使用していないし、JRだけでなく私鉄や三セクの記事もあります。また私は過去一度も北海道で18きっぷを利用したことはなく、当ブログを立ち上げてからは四国、九州で18きっぷを使用したことはありません。それを考えるとものすごい数です

地域別のチェックまでさすがにしていませんが、パッと見た感じでは広島、岡山両県では18きっぷと秋の乗り放題パスの登板がほとんど。岡山県ではやくもに乗ったりするので必ずしも18きっぷとは言えないのですが、優等列車のない広島県では、この2種類以外のきっぷをほとんど使っていません。新幹線に乗る時はエクスプレス予約かe5489ばかりなので、JR西日本の広島支社というか、中国統括本部には全く貢献していません(笑)

これからは思い出に

数年前、18きっぷの旅をしている最中、こんなことがありました。1日に万単位の利用者があるかなり大きな駅でのこと。もちろん自動改札機のある駅です。改札を出ようとすると先客の方がムニャムニャ中。よくある光景ですが「参ったな」と待っていると、対応中の駅員さんとは別の駅員さんが私に気付き、対応中の駅員さんの背中越しに18きっぷをチェック。「どうぞ」と手で合図してくれたので、改札を出ると数メートル歩いたところで「お客さん、きっぷは!」の大声。先ほどまで対応していたというか、まだ対応中の駅員さんでした。同僚の駅員さんの行動が見えなかったのでしょう

振り返ると私も駅員さんも悪くはないのですが、あまりの大声というか怒鳴り声に周囲の人が一斉に立ち止まって私を見ました。利用の多い駅なので、相当な数です。さすがに私も「この人、不正乗車している」という目で見られることにイラッときて「後ろの人に見せた」と言いながら18きっぷを提示しました(後ろの人はいなくなっていました)

その駅については写真を撮っただけで10分後にまた改札に戻ってきましたが、当然のようにその駅員さんはまだ改札にいて、気まずい空気が流れました(笑)。もうこんなことはなくなります

考えてみると、このような小さなトラブルはしょっちゅう全国で起きたいたのかも。こんなことでも両者の対応の仕方によっては、大きめのトラブルになるかもしれません。また最初の入場時に改札でもらうハンコはインクがにじんで見にくくなることも多かった

高校野球の甲子園連続出場ではないけれど、もうどのぐらい連続で18きっぷを利用しているか、私自身も分からないぐらいになっています。春の18きっぷシーズンは何らかの作戦を練って臨むつもりです

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その3 新生北勢線を象徴する駅

東員駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

有人の東員町の代表駅も開業は2005年

東員駅に到着。私が乗車した電車は当駅止まりで、この後は車庫に入る

車庫があり、運転司令をつかさどる、いわば北勢線の中枢駅で立派な駅舎を備える終日の有人駅。町役場の最寄りでもあり、東員町の代表駅。だが駅名や施設から想像されるものとは異なり、駅の開業は2005年と近鉄から三岐鉄道への移管後。110年もの歴史を有する北勢線で、どういったことなのかと思ってしまうが、実はこの駅こそが新しい北勢線を象徴する存在なのだ

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廃線寸前からの存続

北勢線は1914年(大正3)に大山田(現西桑名)~楚原が開業したのを皮切りに徐々に延伸され、最後の1区間は難工事だったものの、1931年(昭和6)に全線が開業。と同時に電化された。ナローゲージの方式が今も続くのは、業績が好調だったこと、総路線が約20キロと短い上に独立した路線だったからである

森林鉄道も含めると全国に数百もあったとされる軽便鉄道は徐々に姿を消していったが、北勢線は戦争もくぐり抜け、戦時中の統合で三重交通の傘下に入り、その後、近鉄の一部となった。だが、例によってモータリゼーションの波には勝てず業績は悪化。近鉄は2000年になって廃線を打ち出し、一度はほぼ既成化したかのようになったが、沿線自治体が存続を決定。三セク化には時間とノウハウがないことから三岐鉄道に運行を依頼。その際に土地は自治体が所有。三岐鉄道は車両や線路、駅舎といった鉄道施設を所有することになった

移管にあたって課題とされたのがパーク&ライドの拡充。大正期からの各駅は簡素な構造のものも多く、駅前に車が乗り入れるのもやっと、という形だったが、駅の統廃合を進め、新たに設置された駅は駐車場を充実させることに。前記事で取り上げた穴太駅は同じ場所で規模の大きな駐車場を設置できた珍しい例だ(ホームを従来とは逆側に移し、駐車場を設けられる側にした)

そして東員駅。北大社(きたおおやしろ)駅と六把野(ろっぱの)駅を統合して新設された。西桑名駅の記事でも触れたが、北大社は車庫のある駅で現在は信号場となっているが、東員駅は車庫も備えた形の駅となったわけで、西桑名にあった司令室も引っ越し。乗務員の宿泊所も設けられ、文字通り北勢線の中枢駅となった。ホームは北勢線の多くの駅で採用されているバリアフリー形式

このため当駅には終日、駅員さんがいる

駅の設置理由は

東員駅が現在地に設置されたのは町役場の最寄りだったため。以前から役場の近くに駅を設置する計画はあったそうだ

こちらが駅の全景。かなりの規模である。広いロータリーを持ち駐車場も140台分が確保されている

こちらは東員町のコミュニティーバス停留所。北勢中央公園口駅とは三岐線の駅

駅の北側は住宅街で、南側にはコスモス畑が広がる

楚原れんげさんに見送られて次の駅へと向かう

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その2 高校生とともに難読駅で下車

穴太駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

ひらがなから見せられても困ってしまう

西桑名から約20分で「あのう」駅に到着。どのような漢字が充てられているのか想像もできないが、サムネ写真にある通り「穴太」と書く。ちなみに当駅は「員弁郡東員町に所在する穴太駅」となっていて難易度は高め。自治体名は「いなべぐん とういんちょう」。普通に「とういん」と読むのも意外とハードルが高いかもしれない

「穴太」という地名は各地にあり、京阪電車の石山坂本線にも「穴太(あのお)」駅が存在する。「あなお」と読む地名もあるそうだ。私は以前、阪急神戸本線の園田駅(兵庫県尼崎市)近辺をよくウロウロしていたことがあり、当地の古い地名として「穴太(あのう)」が今も残っていることをたまたま知っていたため、おそらく「あのう」と読むのだろうとは思っていたが、各地にあるとはいえ、やはり難読である。地名の由来は各地それぞれあるようだが、交通的に重要な場所によく見られるという。三重県の穴太は大きな桑の木に空いていた穴から、毎年稲穂が生まれたことから「穴穂」と呼ばれるようになったとの説もあるという

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あまりの変化についていけず

穴太駅の駅舎。北勢線については20年以上前に乗車した。近鉄の時代だったが、近鉄が廃線を表明したことで慌てて乗りに行ったのだが、今は信号場となった「北大杜」という駅で降りたのみで、後は終点までの単純往復。今後の記事でも出てくるが、北大杜は車庫のある場所で車庫そのものは今も現役。北勢線は三岐鉄道に移管した際、駅の統廃合や新設が行われたため、以前乗車してからの変化に全くついていけておらず、ほとんど初乗車と同じだ。当駅についても難読という意識はあったが、降りてもいないので全く知識はない。駅としての歴史は1914年(大正3)の開業時と同じだが、駅舎は見て分かる通り新しい

棒状ホームだが、ホーム幅はしっかりとってある

パーク&ライトと高校生

今回すべての駅で降りてみたのだが、パーク&ライドのシステムが多くの駅で採用されている。パーク&ライドとは駅までマイカーで来て、そこからは列車で勤務先を目指すシステム。都心の渋滞を減らすとともに鉄道利用者を増やす二重のプラスを生み出すもの。大都市の近郊でも採用され、駐車場は安価にされているが、北勢線沿線では鉄道利用者においては駐車場は無料のようだ

また朝の通学列車に乗ってみて、沿線には甲子園の高校野球で名をはせた学校への通学があることも知った

当駅からは桑名西高校への通学バスが登下校時に運行されている

通勤通学帯から列車に乗るとピーク時と、その後の混雑具合や利用具合がよく分かる

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その1 「東」にあるのに駅名は「西」

西桑名駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

もともとは改札内を共有

朝6時45分の近鉄名古屋駅。時間帯は早く、方向的には通勤通学コースとは逆だが、人は多い

6時51分発の急行で桑名へと向かう。この時間帯に近鉄名古屋駅に来たのは初めてだが、大混雑とは言えないが発車ギリギリとなると、もう座れない。20分で

桑名に到着。JR東海、近鉄、養老鉄道の3社が利用。養老鉄道はもともと近鉄だったが、少し前までは津や松阪のように改札内は中間改札もなく共有されていた。4年前に新駅舎ができ、それぞれが別の改札となっている

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徒歩100メートルの乗り換え

今回は三岐鉄道北勢線の旅

桑名駅の東口から出て100メートルも歩くと北勢線の起点駅である西桑名駅がある。へばりついたような構造となっているが、元はもっと規模の大きな駅だった。そして起点駅でもなかった

駅の東側を国道1号線が走っているが、北勢線は国道を横切った先にある「桑名京橋」という駅が起点だった。だが1961年(昭和36)に渋滞が酷いということで、国道を横切る部分はカットされ西桑名が始発駅となった。西桑名駅も車庫も備えた規模の大きいものだったが、駅前の再開発で車庫は移転。かわいい駅となった

かわいい駅だが、路線内で圧倒的1位の利用者数(2023年は3461人。2位は星川駅の1019人)だけあって有人駅。行先案内がパネル式になっているのが印象的。写真を撮った時間は、たまたま電車の到着直前だったが、この後に到着した電車からはさすがに朝の7時台とあって通勤通学客がドッと降りてきた

さて、ここまでの記事で「東口」「東側」という言葉を意図的に使用してきたが、初めて当駅を訪れて感じるであろうことは「近鉄、JRの東側にあるのに、なぜ西桑名なのか」という疑問

これは種明かしをすれば何でもない、ここが西桑名という地名だったからだ。1914年(大正3)の開業時の駅名は「大山田」だった。これは所在地が大山田村だったから。1929年(昭和3)に大山田村は西桑名町となる。間もなく駅名も西桑名に改められ、1937年に桑名市が発足した後も駅名は変更されないまま現在に至っている。北勢線が近鉄の駅となってからも変わらなかったが、桑名駅と同構内にないのでは桑名駅と名乗らせるわけにはいかなかったのだろう

国内に3社しかない特殊狭軌

乗車するのは、かわいい駅以上にかわいい小さな車両。北勢線は線路幅762センチしかない特殊狭軌。日本の列車は旧国鉄からの流れをくむ狭軌(1067ミリ)と、新幹線や一部の私鉄で見られる標準軌(1435ミリ)に大別されるが、ごくわずかの特殊狭軌も残されている。かつては全国の森林などで活躍した軽便鉄道でよく利用された。スペースをとらずに敷設できるのがストロングポイントだが、車両は小さくなってしまうので人間を大量に輸送するには向かない。都市部を走っていたものも改軌が進み、現在残っているのは、ここ北勢線と四日市あすなろう鉄道(三重県)、黒部峡谷鉄道(富山県)の3社4路線のみ(四日市あすなろう鉄道は2路線保持)となっている

線路の幅にちなんで「ナローゲージ」とも呼ばれる。三重県のそれも比較的近いところに2社があるのも貴重だが、線路幅が標準軌の半分ほどしかない車内はどんな感じなのか。ちょうど通学時間帯で高校生が多く乗車する時間帯なので分かりやすい

「ひざ付き合わす」とは、まさにこのこと。一応、車内にはつり革もあるが、体格の良い男子生徒が並ぶと立つスペースも厳しい。つり革を持って立っているのは、座っている生徒のいわゆる「ツレ」が中心

とにかく、このかわいい車両で出発である

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