牟岐線の木造駅舎紹介3~「南」を冠する中心駅

南小松島駅の駅名標

※訪問は2023年7月21日

朝から多くの旅客でにぎわう

南小松島駅を訪問した至近は今年7月21日

列車が到着すると多くの乗降がある

到着は朝の8時過ぎで最も利用者の多い時間。この日から夏休みに突入しているので、高校生の姿は前日までとは異なるのだろうが、それでも多い。駅に降りる人も多いが、これから徳島市内への通勤通学を行う利用者はもっと多い

小松島市は徳島市のお隣でベッドタウンとなっている

こちらは駅舎。右側の空間はかつてJR四国が各地で経営していたパン店が入居していた。JRに移管して大きな変化のひとつとして「副業が可能になった」ことが挙げられる。意外と知られていないが、国鉄時代は「民業を圧迫する」との理由で飲食店やホテルの経営、不動産業などができなかった。副業が解禁になったことで売り上げに貢献する態勢が整い、JR四国でも利用客の多い駅は改装して店舗のスペースを作り出したがパン店については各地で撤退。残ったいくつかの店舗は別のパン店として再出発している

ちなみにJRから転換した各地の第三セクターについても国鉄と同じ理由で副業は禁止されていて、苦戦の原因となっていることを記しておく

当駅の開業は1916年(大正5)と前記事で紹介した中田と同じだが、財産票によると駅舎は1935年からのもの。前述した通り、JR移管時に改築され現在に至る

歩いた方が早い?

当駅は2022年の1日の乗降客は1418人で徳島県では6位。コロナ禍前までは1800人の利用があった。小松島市の中心駅だが「南」の冠が付くのは国鉄末期に廃駅となった小松島駅が存在したため。ただし長らく小松島の中心地は南小松島駅だった。小松島駅の誕生は1913年で、わずか3年違いで「南」が付くことになったとも言える。小松島駅の目的は当時、徳島で最も大きな港だった小松島港へ人と物を運ぶためだったので、駅の開設順が逆だったら「小松島港」という駅名になっていたかもしれない

そして、この小松島駅、実は南小松島駅とは実に近い

わずかに徒歩約10分

かつての小松島駅はステーションパークという公園となっているが、南小松島駅周辺から川を挟んで、ずっと小松島市中心街の街並みが続く。地図で分かる通り、川があるため南小松島駅からは線路を敷くことができず、ひとつ徳島寄りの中田からの分岐となっているが、南小松島駅から中田で乗り換えて小松島に行くより歩いた方が早かったのである。貨物輸送が衰えると小松島線が廃線となってしまったのは自然な流れだったのかもしれない

のぞみの泉が人気

南小松島は直営の有人駅(週末や時間帯によっては無人となる)。駅舎内には観光案内所も入居している。前回まで消えてしまった駅舎を紹介してきたが、さすがにこちらは大丈夫だと思う

ただし外から丸見えで、なおかつ清潔ではないというトイレの不備が最近ニュースとなっていたことは気になる点ではある

駅前には地下水の湧き出る「のぞみの泉」があり、地元の方が次々と水をくみに来ていた

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牟岐線の木造駅舎紹介2~駅舎への思いを強くさせた駅

中田駅の駅名板

※訪問は2021年8月4日

分岐駅、難読駅として有名

阿波中島駅で戦前からの駅舎とのお別れをしたその足で中田駅へ。今にして思うと、なぜ中田へ足が向いたのか、よく分からない。何かの予感が発動したのか、とにかく結果的には貴重な訪問となった

意表を突いた形の難読駅として有名。私的な感覚だが、難読駅には「元々の漢字が難しい」ものと「簡単な漢字なのに読み方が難しい」の2通りがあって、後者それも小学校低学年レベルでも読み書きできる漢字を使用しているものに価値があると考える。究極の形が「十三」だと思うが、こちらは駅の規模が大きすぎて難読ではなくなっている。普通しか停車しない支線の駅だったら難読駅クイズの常連になっているのになぁ、と思わずにはいられない

中田駅には、かつて小松島線の分岐駅という、もうひとつの顔があった。牟岐線は徳島から南下し、ここ中田から小松島線が分岐していたのだ。駅は1916年(大正5)の開業と歴史は古い。といっても、以前は徳島の船の玄関口だった小松島港へ直結するための、たった1区間、全長1・9キロという超ミニ路線。国鉄末期の1985年に廃線となったが、当時は「日本で一番短い路線」として知られていた

廃線跡は遊歩道として整備されていて簡単に小松島駅跡にたどり着くことができる

貴重な駅名標を撮りに

中田駅に到着。中田に足が向いた理由をあえて探すとなると、この駅名標を撮るため

同駅訪問はこの時、2回目だったが、駅舎に残る古い駅名標の写真を撮っていなかった。上書きされまくっているが、分岐駅だったことを示す貴重な駅名標。かなり古いものだと思われるが、徳島へ向かう際に「そういえば」と思い出して立ち寄った。もちろん、その後に起こることを知る由もない

通勤通学圏で利用者多数

小松島線の分岐としての役割はJR誕生を前に終わったしまったが、徳島まではわずか9・2キロ、列車の所要時間も15~20分と至近で通勤通学圏としては利便性に富むため、無人化されたもののコロナ前には1日の利用者が1000人を超えたこともある

かつての分岐駅の名残で駅前広場は広く、改築されながらも昭和戦前からの駅舎だった

財産票によると1936年(昭和11)からの駅舎。四国の駅はJR移管後、クリーム色を基本に塗装され直されているものが多いが、こちらもそのひとつ

構内踏切を渡ると島式の1面2線ホーム。真夏の青い空に小松島線の分岐の名残である側線が映えていた

そんな中田駅についての報が届いたのは昨年7月のこと。なんと駅舎が解体され、バス停駅舎に変わったというのだ。駅前にはマンションもあって、多数の利用者がいる駅だけにビックリした。訪問から1年も経っていない。雨の日の朝は雨宿りをするだけで大変だろう

と同時に駅舎の存続については全く油断ならないことを痛感。行ける場所であるなら、機会を逃さずに訪れ、記録を残しておかないと、と思った。今年7月にも現地を訪れ、いくつかの駅に降り立ったが、牟岐線の駅舎紹介はその一環である

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牟岐線の木造駅舎紹介1~きっかけは2年前の夏

阿波中島駅の駅名標

盛夏に大急ぎで駆けつける

話は2年前の8月4日にさかのぼる。猛烈に暑い日だった。私は牟岐線の阿波中島駅を大急ぎで目指していた

阿波中島駅。優等列車の停車駅ではなかったが、旧那賀川町の中心駅で周辺は開けている。住宅や店舗も目立つ

牟岐線はメイン国道である55号線に沿うように走っているが、国道からも近く、道路沿いにはロードサイド店が並ぶ

牟岐線では阿南のひとつ徳島寄り

前回の記事でも紹介したが、牟岐線は2019年にパターンダイヤを導入。牟岐線の特急を1日1往復のみにして他はすべて普通列車とする代わりに、徳島~阿南間については昼間も30分間隔で運行するというもの。距離にして24・5キロと牟岐線全体77・8キロの3分の1にも満たないが、この区間を利用する人にとっては利便性は増している

阿波中島駅は、その30分に1本区間にあるため本数は多い。利用者も400人近くあってJR四国の単線非電化区間の無人駅としては、かなり多い方だ

並列する2つの駅舎

財産票は昭和11年3月を示しているから当駅が開業した時以来の駅舎

無人化されて10年以上が経過。窓口は板でふさがれている

ホームはかつての島式の片側線路が撤去され、1面1線となっている

と、ここまでなら単なる駅舎紹介で猛暑に大慌てで四国を訪れた理由には何もならない。訪問の趣旨はここからである

ホームから駅舎に向かうと

駅舎の前に物置のようなものがある

近くで見ると、このバス停のようなものは「阿波中島駅」と駅名板が埋め込まれた新駅舎。駅舎解体の報を知り、押っ取り刀で現地に駆けつけた次第だった

別の角度から見ると新旧駅舎が並んでいる

駅構内には張り紙があった。駅舎新築と旧駅舎撤去の案内

全国各地で簡易駅舎への移行が進む。ただ大抵の場合、いつの間にかバス停のようになっている新駅舎を見るだけで、このように並立状態で眺めることは少なく、こうして見るとバス停化された駅舎がいかに小さいものかが、よく分かる。複雑な心境になるとともに軽いショックを受けた

悲しいことに何十年の歴史を持つ駅舎でも解体は一瞬で終わる。この日から、ちょうど2年が経過した今年7月に牟岐線に乗車したが、もちろん車窓から見えるものは、かつて駅舎があった広い空間とバス停化した駅舎だけだった

木造駅舎を中心に牟岐線の駅舎紹介をしていきます

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牟岐線の一部区間ではJRの乗車券でバスに乗車できます

阿南駅の駅名標

JRの時刻表にバスの時刻が

牟岐線の運行上の重要駅、阿南です

徳島から当駅までは昼間も30分間隔の運行が行われていますが、当駅から先(南側)は昼間は2時間に1本と、急に本数が少なくなります

その阿南駅の時刻表ですが

あれ?と不思議な感じがします。JRの時刻表に徳島バスの時刻表が併記されているのです。あまり見かけない、というか見たことのない時刻表です

結論から言うと、ここ阿南から南側はJRのきっぷで徳島バスに乗車することができるのです。災害などによる代行バス以外で、JRの乗車券で路線バスに乗車できるなんてことは基本的にあり得ません。なぜなら両者は競合関係の間柄だからです

長距離バスの一部区間を鉄道と共用

まずシステムから説明すると、適用があるのは徳島バスの「室戸・生見・阿南-大阪線」線。高知県を出て大阪へと至る長距離高速バスですが、その中の阿南~甲浦間では途中乗降ができる上、その中の阿南~海部高校間はJRの乗車券を持っていればバスに乗車できるという制度。牟岐線は徳島から終点の阿波海南までの距離が78キロしかなく、徳島から乗車した場合は、きっぷの制度上、途中下車はできないのですが、徳島バスに乗る場合は阿南の改札口を出て乗り換えること可能で、普通乗車券はもちろん、各種企画乗車券も利用可。青春18きっぷも利用できます

この制度には牟岐線のダイヤ変更が大いにリンクしています。牟岐線では特急「むろと」が1日3往復運行されていたのですが、2019年に徳島~阿南間を30分に1本の普通として運行を開始した結果、特急の運行が朝夕の1往復のみとなってしまいました。他はすべて普通列車で、特急停車駅である主要駅間の輸送が大変不便となってしまいました

それを解消するための制度が、徳島バスとの共用ですが、元々が競合会社同士ですので、その両社が手を結ぶのは独占禁止法違反になるということで、簡単にはできないことだったのですが2020年に地方交通については特例が認められたことで法的な問題はクリア。昨年4月に運用が開始されました

途中利用できる駅と停留所は阿南→阿波橘駅→由岐→日和佐→牟岐→浅川→阿波海南となっています

JRの時刻表にもバスの時刻表を掲載することが運用の条件となっています

田井ノ浜の帰りに利用

私は7月20日に利用しました

田井ノ浜訪問後、由岐まで歩いてきた私ですが由岐駅到着は13時半ごろ

大変立派な駅舎を持っているのですが、問題はダイヤで

ここからさらに南下して阿波海南方面へと向かうには、次の列車は14時52分で1時間半近くもあります。ただ列車より1時間近く早い13時55分にバスがあり、これは便利

駅舎向かいの役場前にバス停があり、こちらで待っていると

バスがやって来ました。JRの乗車券を見せてから乗り込みます。この日私が利用したのはJR四国のバースデーきっぷ。行く先を告げて着席します

この区間は空いている座席に座るシステムとなっています。私が目指すのは牟岐でしたが3人かけ使用のバスは快適。電源コンセントもありました

約30分で牟岐へと到着。バスの問題点として停留所が必ずしも駅前ではないという問題があります。牟岐では徳島バスの営業所に停まります。牟岐駅までは徒歩5分ほどですが、私は過去何度か牟岐に来たことがあるため困ることはなく、おそらく初めての人でも駅へ迷うことなく行けるとは思います

もっともJRなどの注意書きを見ると阿波橘駅に対応する「橘営業所」については「駅から1・5キロ離れています」と書かれているため、こちらは要注意

今年5月には牟岐線の終点である阿波海南駅に近い海部高校前停留所も対象となり、利便性は増しています。うまくバスを利用して牟岐線の旅を楽しみましょう

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~新設駅を一気に2駅進んでゴール

西川原・就実駅の駅名標

※訪問は2021年12月12日、状況が変化している可能性があります

「みどりの窓口」頑張っています

東岡山~岡山間は山陽本線、赤穂線の2路線の電車が乗り入れているため、運行本数の多い区間となっています。そしてこの間は国鉄末期に開設された駅、平成になっての新駅もあります。東岡山を挟んだ上道駅についてはすでに触れましたが、以前は瀬戸→東岡山→岡山しか駅がなかったのに国鉄末期から3駅も新駅が開業していることが、沿線のベッドタウン化を物語っています

高島駅は1985年3月の開業。国鉄駅だったのは、わずか2年

駅は新幹線の高架のふもとに設置されていて、この点は上道と同じですが、メインとなる駅舎(北口)が新幹線の高架側に設置されたため(つまり上道とは逆)橋上駅舎にはできはなかったようです

周辺は住宅街となっています

新幹線の橋脚のふもとに、こじんまりとした駅舎が建てられています。ただこんな小さな駅舎ですが

みどりの券売機とともに、みどりの窓口も頑張っています。こちらは2年近く前の写真ですが、少なくともこの記事を書いている時点では、まだ営業しているようです

考えてみると、相生~岡山間の各駅をたどっていくと、相生で最後に見てから、当駅が最初で最後のみどりの窓口となっています。つい数年前までは、みどりの窓口設置駅の方が圧倒的に多かったはずですが、いつの間にか当駅が唯一となってしまいました。直営駅や管理駅といった駅員さんがいる駅でも窓口がなくなる時代です

2面2線構造の当駅は南口も設置されていて、こちらは田んぼの中に改札口があるような構造となっていて人口が増えた2008年に設置。自動改札機と券売機があるだけの無人改札となっています

駅名標の「・」に要注目の平成駅

続く西川原駅まで来ると、岡山までは残り1駅。今回、紹介してきた相生以西の駅では唯一の平成生まれ(2007年開業)、つまりJR化後に新規開業した駅ですが、当駅の注目は

なんといっても駅名の間に入る「・」です。「・」は漢字ではなく記号で、ふだんよく見かける割に読み方を知らない人も意外と多いのですが、長年新聞社にいた私は「なかぐろ」「なかポツ」とか読んでいました。「なかぐろ」で変換するとすぐ出てきました

そして、よく見かけるこの記号ですが、JR駅では全くといっていいほど出てきません(JR以外では登場します)。唯一の駅が群馬県の「万座・鹿沢口」。では、当駅もJRでは二番目の「・」入り駅なのかというとそうではなく「西川原・就実」というのは、あくまでも愛称で正式駅名は「西川原」

ただし駅名標はご覧の通りで車内アナウンスも「西川原・就実」と案内されます。なぜこのようなことになったのかというと、当駅は学校法人の就実学園が駅の設置費用を負担した請願駅だから。駅名を決める際、出資側としては学校名のみの駅名を要望していたようですが、現在の形に落ち着きました

柱の縦型駅名標は「正式駅名」です

簡素な構造も利用者は多い

その西川原駅ですが

高架に盛土と簡素な造りです。以前は駅員さんがいましたが原則、無人化されました。受験などの多客期には臨時で駅員さんが派遣されます。簡易式のICOCA改札機と自動券売機のみが設置されていて駅舎はありません。ピンク色のものは小さな事務室。高架下にあるため雨天時はこの部分で待機するかホームの屋根のある部分で待つことになりますが、ホームへの階段部分に屋根はありません

階段以外ではスロープで登る形となりますが、こちらにも屋根はなし

と、このように簡素な構造の西川原駅ですが、岡山まで1駅という立地や学校があることで高島から2キロも離れておらず、岡山までも3キロないにもかかわらず、今回紹介してきた相生以西の駅では東岡山と1、2を争う利用者があります

その意味ではバリアフリーでエレベーターの設置が求められますが

高架上に後から設置しただけあってホームは狭く、エレベーターの設置スペースもないようです

これにて相生から岡山でゴール。こうしてたどっていくと平成の大合併や、さらにそれ以前の市町村合併前は、日本各地と同様、細かく自治体があって、それぞれのために駅が設置されたことがよく分かります。青春18きっぷ利用の際、ちょっと寄り道などいかがでしょうか

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~ジャンボ駅名標で知られる分岐駅

東岡山駅の駅名板

※訪問は4月6日、状況が変化している可能性があります

失われつつある吊り下げ駅名標

今年になって中国地区の各駅でホームの吊り下げ式の駅名標がどんどん撤去されているそうです。駅舎がなくなるのではないため公式なアナウンスがなく理由は分かりませんが、吊り下げ式は維持費がかかるからなのでしょうか? わざわざ撤去する理由は、それ以外に考えられない

吊り下げ式とは、このような形のもの。写真は新幹線の岡山駅ホームで、さすがに岡山駅の新幹線ホームからなくなることはないでしょうが、凄い勢いで撤去が進んでいるようです

私の認識では、かつて駅名標はホームに立っている形のものが多く、駅の利用者が増えるにつれ「ホームに駅名標が立っているとラッシュ時にじゃま」ということで、上へ上がっていった。同じJR西日本管内でも近畿圏の駅名標はまだ天井からぶら下がっています。駅によっては強風時にブランコのように揺れて「大丈夫か?」と思わないこともないですが、強風で駅名標がぶっ飛んだという話は聞かないので、かなり頑丈に取り付けられているのでしょう

吊り下げ式は中に電灯が入っているものが多く、節電の意味もあるのでしょうが、これは点灯させなければ済むこと。駅名標をひとつ撤去することで、どれぐらいの節約になるのか私には分かるすべがないのですが、児島駅のような、ご当地的駅名標までも容赦なく撤去されているようです

東岡山駅では生存確認

駅名標の撤去という意味では、最も影響を受けるのは東岡山です。こちらには鉄道ファンにもかなり有名なジャンボ駅名標があります

南口改札を入った所にドーンと設置されています。普通サイズはおそらく文字のある部分でしょうから、空白部分を見るだけでも普通の駅名標よりはるかに大きいことがよく分かります

これがなくなっては「駅名標界の損失」です。心配になって7月23日に青春18きっぷで高松から戻ってきた際、当然のように当駅を通るので、おそるおそる確認したところ、しっかりと生存を確認できました

東岡山ではもうひとつ、普通の吊り下げ式駅名標があったのですが、今回は駅で降りることがなかったので、こちらについては分かりません

分岐駅にして管理駅

東岡山は山陽本線と赤穂線の分岐駅です。分岐駅とはいっても両線とも運行は岡山までの直通で東岡山止まりというのは原則ないので、当駅~岡山はとても本数の多い区間となります

東岡山はとても大きな駅舎を持っています。実はこの角度だけでは写真に入りきらない

斜めにして左側の部分もフレームに何とか収まる

新大阪方面から岡山へ向かうと、このあたりは間もなく到着のアナウンスが流れ、すっかり減速するので大きな駅が車窓からよく分かる駅でもあります

瓦葺きの駅舎は1935年からのもの

すっかり岡山の市街地に入っています。2つの高校もあって朝夕は生徒でもにぎわう

そして当駅は今回紹介してきた山陽本線の岡山県区間である三石以西の西川原(岡山のひとつ手前)までを司る管理駅でもあります

ジャンボ駅名標とは対照的に駅舎に掲げられた駅名板は国鉄文字のもの。電車の本数や利用者数のイメージとは、やや異なるのんびりした空気も流れていました

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~国鉄末期に誕生した難読駅

上道駅の駅名標

※訪問は4月6日、状況が変化している可能性があります

同名駅があるだけに

答え合わせからスタートしますが、なかなかこうは読めない駅です。「じょうどう」なら急激に普通の読みになってしまいますが、1文字濁音が外れただけで難読駅の仲間入りです

難しさを増しているのは同じ「上道駅」が同じJR西日本管内にあるため。鳥取県の境線にも「上道駅」が存在しますが、こちらは「あがりみち」と読む。同じ文字でありながら、カナにすると似ても似つかないというあたりが、おもしろい。開業は鳥取県が1952年に対し、岡山県は1986年。山陽本線の駅の方がかなり後輩になりますが、元々あった自治体名「上道町」に基づくものなので、別名とはいかなかったのでしょう

駅を降りたところに解説がありました

難読駅については由来を知りたくなる。こういうかゆい所に手が届くのは、とてもうれしい。解説によると元々は「かみつみち」と呼ばれ、後に「じょうとう」に変化。「上東」の文字が充てられることもあったという。「上東」が定着していれば、境線との区別も必要なかったし、難読駅になることもなかったのかと思うと、なかなか興味深い

周辺は新興住宅街と重要国道

駅の開業は1986年11月ですから、国鉄末期というか翌年3月の民営化へのカウントダウンの時期。駅の南側に新たな住宅街が誕生したため、新規開業となりました。「国鉄のうちにやっておくことはやっておこう」と新設された駅が各地で見られますが、おそらくそうした案件だと思われます

こちらも駅前の地図で詳しい

駅があるのは地図の左端。兵庫県側からやって来た山陽本線と山陽新幹線が合流した地点にあり、駅に近い新興住宅街は「城東台」と、難読を避けたかのように命名されています。そしてこの地図でも分かるのは、元々の上島町(1971年に岡山市に編入)の中心からは若干離れているということ

この上道地域センターがかつての町役場の場所。車で10分とは、かなりの距離ですが、こちらにはそもそも新幹線以外の線路が通っておらず、城東台を造成した会社が駅の設置費用を負担したこともあって、駅は現在の場所となりました

ただ駅の南側を通る国道250号は山陽本線、山陽新幹線とともにそのまま岡山市内に入るルートで、交通量も多く、ロードサイド店が並ぶ道路です

橋上の無人駅

上道駅は橋上駅舎。1日2000人以上が利用しますが4年前に無人化されています

現在は簡易式のICOCA改札機がポツンと置かれているだけですが、4年前まではみどりの窓口設置駅でした

比較的新しい駅ですが、なぜ並べて案内をしているのか微妙な感じがする手洗所の文字は独特

ホームは2面2線。1986年開業ですので、もとより貨物の扱いはありません。新幹線の高架直下が北口となりますが、南口に比べると北口は静かです。ここから新幹線と寄り添いながら岡山を目指します

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~山中の「瀬戸町」から列車は増える

瀬戸駅の駅名標

※訪問は4月6日、状況が変化している可能性があります

旧瀬戸町の代表駅

瀬戸駅です。当駅折り返しの電車が頻発しており、ここから岡山に向けては昼間も30分に1本と本数が多くなります。2面3線で駅の規模も大きく、少し前までは管理駅でした

現在の住所は岡山市東区瀬戸町ですが、16年前までは単独の自治体「瀬戸町」でした。瀬戸駅は同町の代表駅

駅の周辺に役場などの公的施設や学校などが集まり、町の中心部を形成しています。また熊山駅の記事でも説明した通り、岡山市内にありながら赤磐市の市役所最寄り駅でもあります

その瀬戸町ですが、町名のイメージとは異なり、瀬戸内海には面していない内陸の町。地名のできた古代には瀬戸内海に面していたそうです

駅舎は昭和13年生まれ

駅の開業は1891年(明治24)と、こちらも沿線の他駅と同様、歴史がある。現在の駅舎は1938年からのもの。少しずつ手を加えられているようですが

ホームの柱と上屋には年輪を感じさせます

こちらも駅舎と同年齢のよう

駅入口の駅名板。こちらも年季を感じる。駅舎の屋根に設置されたものと2つ縦に並べるように掲げられています

南口も設置

瀬戸から岡山までは25キロ。電車でも20分ほどの距離

ホームに立つと駅舎とは逆側に住宅街ができています。これだけ岡山市内の中心部まで近いのですから当然といえば当然

ということで2011年に南口が設置されました。岡山県内に入って簡易式のICOCA改札機ばかり見てきましたが当駅は開閉式。ただ過去何度か書いている通り、青春18きっぷの使用時、JR西日本の無人開閉式改札はなかなか難敵なのですが

駅舎側の改札は本来、改札機に入らないきっぷのために駅員さんがチェックするスペースが空けられています。地区によって異なるのでしょうが、岡山地区では青春18きっぷのシーズンは「自由にお通りください」と案内されている場合があります

こちらは当駅訪問の前日に金光駅で見たもの

なお瀬戸駅は窓口は閉鎖されていてみどりの券売機が設置されていますが無人駅ではありません

「窓口に誰もいない有人駅」こちらも最近多く目にするようになってきました

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~縁起駅はビール工場で栄える

万富駅の駅名標

※訪問は2021年12月12日、状況が変化している可能性があります

縁起の良い駅として知られる

万富駅。ここから山陽本線は岡山市内に入ります。所在地は東区瀬戸町万富。駅名は旧万富町に基づきます。万富町は戦後10年で瀬戸町と合併。その瀬戸町は2007年に岡山市に編入となりました

「万富」という名前がとても縁起の良い名前だとして古くから知られていました。訪問時に不思議に思ったのですが、自分の中では有名駅だったのですが、2019年に無人化されて以来、入場券を買うすべがないのではないか、ということ。もっと大々的に、記念入場券を岡山駅などで発売しても良いのではないか、と思いました。いろいろ調べたのですが、見当たりませんでした。以前から、そのような企画入場券は発売されていなかったのでしょうか

現在の駅舎は1937年からのものです。駅としての開業は1897年(明治30)と、こちらも沿線の他の駅と同様に古い。戦前に改築された駅舎が使用されています

戦前からの駅でよく見かける小さな階段を上がって駅舎に入る構造。全国各地で見られるので、こんな階段がおしゃれだったのでしょう。もちろん現在はバリアフリーのスロープが設けられています

ビールの積み出しで繁栄

万富駅に降り立って、まず目に付くのは

ズラリと並ぶビールののぼり

駅舎と逆側の一帯は広大なキリンビール岡山工場となっています。訪問時は12月の真冬だった上にコロナ禍で工場見学は中断していましたが現在は復活しているようです。ただ

駅に隣接しているにもかかわらず駅舎とは逆側にあるため、徒歩だと10分もかかるようです

戦後早々に貨物の取り扱いをやめていた万富駅ですが、1972年にビール工場ができると貨物が復活。以降、もちろんビール運搬そして原料(麦芽)運搬で栄えました

しかしビール関連の貨物は国鉄末期の1986年に終了。わずか15年だけの貨物復活でした。現在はのぼりが並ぶスペースにその名残を感じることができます

写真だと右側の部分ですね

現在は始終着設定なし

以前は漢字のみだった駅名板にローマ字入りで上書きした形跡があります。それでもおそらく国鉄時代から現在の形になっているようです

構内は2面3線。以前は当駅始終着の運用もありましたが、現在はありません。2番線はそのためのホームでしたが貨物列車の待避として利用されているようで、私の訪問時はディーゼル機関車が単機で待避していました。到着時の写真の奥に見えます

万富駅とは直接関係のない話ですが、この日私がたまたま乗車したのが和気が始発で山陽本線を福山まで行った後、福塩線に乗り入れて府中まで到達する電車。山陽本線→福塩線と直接乗り入れる貴重な1本でした

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~近代化産業遺産が見られる赤磐市唯一の駅

熊山駅の駅名標

※訪問は2021年12月12日、状況が変化している可能性があります

明治期からの跨線橋

熊山駅に到着しました。一見、2面3線構造で貨物列車が待避待ちをしているように見えますが、写真に見える線路は架線が外されていて電車が通ることはありません。たまたま貨物列車が通り過ぎました

かつての貨物ヤードは残っています

とても分かりやすく目立っているものが

跨線橋です。階段入口の「鐵道院」の装飾は、いかにも再現ですが、この跨線橋は

近代化産業遺産に指定されています。解説によると1912年(明治45)に瀬戸駅(当駅から2駅岡山寄り)に設置されたものが、1960年に熊山駅に移設されたもの

明治45年と記されています

今回紹介している区間は明治開業の駅が多いのですが当駅は1930年と昭和5年生まれ。それまではすれ違いのための信号場でした

駅を降りるとすぐに河川

和気から熊山を経てお隣の万富の手前まで山陽本線は吉井川とその支流沿いに敷設されています。和気駅も駅を出るとすぐ川ですが、熊山はさらに川に近く

駅前のロータリーのすぐ向こうは川の堤防で、なかなか駅が設置されなかった理由のひとつと思われます。旧熊山町の中心部は川の向こう側に広がっていますが、そちら側に線路を敷くのは難しかったのでしょう

駅舎は開業当時からのもので、駅前ロータリーへの通路に屋根が取り付けられたため、全景写真は難しい

財産票にも記されています

市役所へは岡山市から

赤磐市はかつての赤磐郡の4自治体が合併して成立したもので、熊山は南端に位置。赤磐市全体を見ると山陽本線は市の南側を通り抜けているため、片上鉄道が廃線となった現在、赤磐市に存在する唯一の鉄道駅となりました。この付近は南北つまり縦長となっている自治体が多い

そして地形上の問題で赤磐市役所の最寄りは岡山市内である2つお隣の瀬戸駅

瀬戸駅から1時間に2本程度とバスが頻発していて所要時間も10分弱と近い

それでも熊山まで来ると岡山までは30分圏内で周辺は岡山のベッドタウンとなっている上、岡山白陵中高の最寄り駅でもあるため、岡山に近い隣の万富駅より利用者ははるかに多くなっています

現在は無人で簡易式のICOCA改札機が設置されているだけですが4年前まではみどりの窓口設置駅でした

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