根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~訪問難易度高の最古の「落合駅」

落合駅の駅舎

※訪問は2023年9月2日

運転手さんに驚かれる

無事定時に富良野を出発した根室本線の東鹿越行き

5月の終わりに来て以来、3カ月ぶりの訪問。線路が続いているように見えるが、その先で途切れている。線路そのものも来春で終わりである。そして私がこの景色を見るのは、おそらくこれが最後となる。今日のうちにもう一度、下金山駅訪問で廃線予定区間に乗車するが、ここは通らない

代行バスに乗車。東鹿越発8時6分。この時刻の代行バスに乗車するには地元の方でない限り、富良野線沿線か滝川からの根室本線沿線に宿泊するしかなく、それだけで難易度は上がるが、そこは青春18きっぷの季節である。十数人が乗車。ほとんどが同業者(鉄道ファン)。(人のことは全く言えないが)鉄オタのパワーを感じた

バスに乗り込み

公式には現役の踏切だが、7年間にわたって警報器が鳴っておらず、このまま鳴ることなく終わる踏切を通ると寂寥感がある。南富良野町の中心地である幾寅を抜けると落合に到着。約20分のバス旅だった。降りようとすると運転手さんに「えっ!降りるんですか?」とビックリされた

交通手段が限られる落合駅

落合駅。運転手さんには驚かれたが、土曜日ながら学校に行くのか高校生など2人が待機中。実はこの後、20分後の8時48分の東鹿越行きがやって来る。もちろん私もそれで幾寅に向かう予定だ。というか、これしか方法を思いつかなかった。富良野~東鹿越間は1日4・5往復の運行なので代行バスも同じ本数しかない

こちらは駅舎内の代行バス時刻表だが、これに乗車できないと新得、富良野いずれ方面に向かうにしても6~7時間バスは来ない。新得方面からは14時台、17時台で来ると1時間以内に折り返しがやって来るが、その方法をとると今度は幾寅に行けない

もうひとつ、当地に来るには前回お世話になった占冠村営バスがある

こちらは5月に占冠駅を訪問した時に撮ったもの。9月に代行バス区間の駅を訪問することが決まっていたので研究のため撮っておいた。午後からだと東鹿越からの代行バスが15時21分に幾寅に到着するので、1時間待てば村営バスが落合駅に運んでくれる。そうなると17時9分の代行バスで富良野に向かえるが、そうなると前回取りこぼした下金山駅に行くのが難しいし、何よりラストチャンスなので朝のうちに行動しておきたいので、これはプランBとした。もうひとつ、トマムに宿泊すれば朝から順調に回れるコースもありそうだが、こちらは予算の問題で却下である

元々の代行バスの始終着駅

そんな落合駅は2016年8月の台風被害後の約半年間は代行バスの始終着駅だった。新得駅で根室本線と石勝線が分岐するのは誰もが知るところだが、その分岐点は新得駅よりむしろ落合駅に近いことは意外と知られていない

現在、代行バスは狩勝峠越えの旧線に近いコースを行くが、現在のレールはグルリと南側を行く。随分遠回りのように見えるが、これは勾配緩和のためのもの。石勝線と根室本線の分岐は、落合からわずか4キロの信号場。落合~新得はレールで28キロもあるので、4キロはわずか。新得発着となったのは2017年春からである(ただし早朝の6時8分の東鹿越行き始発バスは落合始発となっている)

その落合駅は駅舎には入れるが、ホームへの入口は閉鎖されていて立ち入ることはできない

少し前までは自然に還ったような草むら状態だったようだが、現在は草は刈り取られている。帳簿上は現役駅なのにホームに入れないという現実は、ちょっと寂しい

そんな当駅は現役では最古の「落合駅」だ。落合とは川同士、道同士が交わる場所で全国各地に落合の地名はあるが、JRで国名などが付かない落合は、ここのみ

陸前落合(仙山線)

美作落合(姫新線)

備後落合(芸備線)

落合川(中央本線)

が他にあるが、明治生まれ(1901年=明治34)は当駅のみ。狩勝峠越えの出発となる駅として設置された側面もあるため、南富良野町の中心地である幾寅よりも開業は早く、機関区が設置されたこともある

ただし利用者は最少。鉄道ファンでなくても知っている、おそらく知名度的に一番の備後落合より少なく1日1桁である

駅前は小さな集落となっている。駅にいた2人の乗客は貴重な利用者だった。私にとって各地の落合駅では最後の訪問は本当に最後(ちなみに学生時代は西武の下落合、地下鉄の落合の中間に住んでいてどちらの駅も利用していた。落合南長崎駅はまだないが、その付近に住んでいたこともある)。ホームに立つこともできない訪問だった

わずか20分の滞在。幾寅に向かう代行バスがやって来た

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~再チャレンジも朝からトラブル

富良野駅の駅名標

※訪問は2023年9月2日

車内騒然のアナウンス

まず前提として、こちらの翌日となります

旅に出ると現地での飲食店訪問を心がけていますが、さすがに昨日は疲れていて旭川駅前のイオンで夜の値引きが行われている食材を購入しておやすみなさい

というのも

朝の5時半に旭川駅にいなければならないから。もちろんホテルの無料朝食もパス。今回は前回訪問できなかった下金山、落合に加え、9年前に訪問したきりの幾寅駅の現役としての雄姿も目に焼き付ける予定

5時41分の富良野行きはすでに入線していた。前日、道内の鉄道は雨による影響を大きく受けていたようだが、富良野地方は影響なかったようだ。しかも本日の天気予報は暑いぐらいの晴れ予報。すっかり安心していたが、突然「出発を30分遅らせます」のアナウンス。理由は保線作業関連のようだったが、その30分は致命的である。この列車は富良野で8分という絶妙の接続で根室本線の東鹿越行き→代行バスへとつながる

北海道の鉄道は天候以外にも動物との接触など、数々の理由で遅延することが多く、私も過去何度か体験しているので、比較的ゆったりした道程を組むことにしているのだが、この日だけ「超ガチンコ」日程を組んである。予約優先のバスもすでに確保している。翌日の夜までに札幌に入ればいいので、翌日はフリーの予備日のようなものだが、ここだけは譲れない事情があった

この日は土曜日。すでに乗り込んでいるこの列車は「休日運休」なのだ。つまり明日の日曜は運行そのものがない。ちょっと先のことを聞かなければならないな、と前方の運転席の方に行こうとすると、私より先に数人が立ち上がり、ドヤドヤと運転席へ

5月の訪問時と大いに変わった点、それは今は青春18きっぷシーズンということ。皆さん、富良野での接続がないと困るのである。確かに土曜日の朝5時台だというのに利用客は多い

18きっぷの重要列車

実はこの列車は「乗り鉄」さんの18キッパーにとっては大切な1本で、富良野を7時17分に出ると代行バス経由で新得着が9時14分。11分の接続で新得発が9時25分。この列車は10時20分に帯広に到着して、6分というこれまた絶妙の接続で釧路に12時54分に着くことができる。まだ先があり、約30分後の13時25分の根室行きに乗れて終着が15時57分。時間的にもランチタイムで釧路での30分で食事を済ますことも買い物もできるのだ。普通や快速の本数が極めて少ない北海道では極めて重要度の高い1本。降り鉄の私には不可能なチャレンジだが、乗り鉄の方にとっては10時間以上もかけて根室までたどり着ける騒然となるのも無理はない

「確認しますので、しばらくお待ちください」で一同はいったん解散。しばらく経っての結論は「富良野では根室本線が接続待ちをするが、その後は分かりません」というもの。線路が途中で途切れているため、このような措置になってしまったのだろうが、先々までの道程をしっかり印字していたグループは下車してしまった。おそらく特急課金による札幌からの千歳線ルートを選択したと思われる

私はといえば、落合駅への道を再び探らなければならなくなったが、とにかく乗りながらプランBを考えることにする

で、結果はというと列車は30分遅れでなく17分遅れで出発。途中駅での列車交換や車両切り離しによる長時間停車を大幅に短縮

なんのことはない。富良野にはほぼ定時に到着

7時17分の東鹿越行きも遅延することなく定時出発となったのだ。まさに「杞憂」で、旭川で下車した方が、とてもお気の毒となった。と同時に北海道における青春18きっぷ利用の難しさを痛感

とにかく滝川始発の東鹿越行きに無事乗車。3カ月ぶりに富良野~東鹿越を乗車する

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~半世紀の乗換駅にピリオド

新得駅の縦駅名標

※訪問は2023年5月29日

今は貴重な9年前の思い出

金山駅から占冠村営バスで無事脱出できてから2日後、私は新得駅にいた。この日は旅の最終日。夕方の飛行機で関空に向かう。小幌駅を含め5日間、付き合ってくれた北海道フリーパスとも今日でお別れ。時刻表の上では乗り放題の特急でもっと遠い所まで行くのは可能だが、北海道の鉄道というのは天候以外でも動物の接触があったりと、トラブルに遭遇する可能性が高いので午前中は石勝線の「特急しか来ない駅」2駅から新得に向かい、お昼すぎには千歳線沿線に戻ることに。そのあたりまで行けば、空港までは多数のルートがある

新得駅に降り立つのは9年ぶり

これは2014年8月の写真。特急と快速「狩勝」のランデブー。もうすでに7年間見られなくなっている光景だ

ホームは閑散としているようだが違う。青春18きっぷのシーズン。特急から跨線橋を上り下りする猛烈な「新得ダッシュ」が一段落した後。「もう座れない」とあきらめ発車間際の写真を撮ったものだ

新得といえば

こちらは駅舎内

全列車が停車する。管理駅でみどりの窓口のほか、指定席を購入できる券売機も設置されている

名物の駅そば。過去2回訪問したが、いずれも営業時間外だった。札幌のホテルで朝食をモリモリ食べたが、これは別腹というもの。当然、美味しくいただいた

改札内のホームからも注文できる。今ではあり得ない話だが、昔は「列車に持ち込む」と言えば、プラスチックの容器に入れて提供してくれたものである

石勝線前から機関庫の駅として栄える

新得駅の開業は1907年(明治40)。前記事で紹介した金山駅が開業したのが1900年なので、7年遅い。なぜかというと、有名な狩勝峠を越えるのに苦労したからである。富良野方面からの鉄路は1901年に現在、お隣の駅となっている落合まで到達したが峠越えに時間を要した。新得駅には開業後、峠越えに備えた機関区も設置された。今さら書くことではないかもしれないが、日本三大車窓として知られた狩勝峠は1966年に新線開業で見られなくなった。ちなみに、こちらはあまり取り上げられないが東鹿越駅の記事で紹介したダム建設による新線も同時に開業している

新得駅に大きな転機が訪れたのは国鉄末期の1985年の石勝線開業。根室本線との分岐駅、接続駅となり、駅の重要度は増した

ただし、それは札幌への短絡線ができたことで、新得~滝川の根室本線がローカル線に転落することを意味するものでもあった

代行バスは当駅始発着。ただし当然のことながら駅舎内からは出発しない

色あせた駅名標。来春から「おちあい」の部分が消えるのに合わせて新調されるだろうから、廃線の日までは、おそらくこのままだ

のりかえ案内も新調されるのだろう。ただし、あくまでバス転換なので「のりかえ」の文字は、そのままなのかもしれない

今回の北海道旅はこれで終了。次回は9月の北海道訪問を決めていたので、その時にバス代行区間となる幾寅、落合と未訪問に終わった下金山を訪ねることを誓って駅を離れた。もっともこの時点では稚内から旭川への過酷な移動が待っているとは予想だにしていなかったのだが…

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~主役がバス停になってしまったお話

金山駅の駅名標

※訪問は2023年5月27日

占冠村営バスのお世話になります

各地を訪れていて20年ほど前と現在で大きく変わった、と思えるひとつは路線バスの時刻表を簡単に把握できるようになったことだ。列車の時刻については時刻表を見れば分かるが、路線バスについては現地に行ってみないと分からないことが多かった。言い方は悪いが、旅をする上で最初から予定にはなく、現地で遭遇できればラッキー、そんな感じ

それがネットの発達によって、まず長距離バスの時刻が簡単に分かるようになった。高速道路の発展によって、鉄道のライバルとして高速バスが大きく立ちはだかることになったのも、時刻を簡単に検索できるようになったことが大きいと思う。以前も高速バスについては時刻表の後ろの方のページに記載があったが、あくまで大判と呼ばれる大きいサイズの時刻表に限った話で、すべてが網羅されているわけではなかった。それがネット社会の到来で「鉄道以外にもこんな行き方があるのか」と周知されるようになると、新路線が次々と誕生し、やがてはローカル路線バスも路線や時刻を容易に探せることとなった

前ふりが随分長くなったが、今回利用させてもらったのは「占冠村営バス」。普通の旅きもちろん、駅巡る旅でも十分に使用できる「かゆい所に手が届く路線」で9月に現地を再訪した際も、利用をかなり考慮した。いずれにせよ20年前ならちょっとあり得ない話である

東鹿越のひとつお隣、金山へと折り返し。前の記事で説明したように、この区間はダム建設の影響で線路の付け替えや廃駅ができたため、1区間が13キロもある。かなやま湖観光の入口にもあたるが、おそらくそちらの利用はほとんどないと思われる

古い駅舎と設備が残る

古い駅舎が残る。鉄路が残る富良野~東鹿越間の駅では長い歴史を持ち、山部駅と同じ1900年(明治33)の開業。山部はJR移管後の駅舎だったが、こちらは手が加えられてはいるものの、当時からの駅舎ともされる

現在もすれ違い可能な2面2線構造。訪問時は冬支度というより、シーズンの役割を終えた後で除雪車が側線にたたずんでいた

木材輸送の拠点としても重要視されてできた駅でもある

ホーム側からの駅舎。「かなやま」の駅名板が独特

ホーム上には山部と同じくランプ小屋が残る。来春以降どうなるかは不明だが、こんな景色がまたひとつ失われるのは寂しい

背後には立派な建物

多くの人が当駅で働いていたことを物語る

JRになってからも使用されていた形跡はあるが、現在は廃屋状態。こういう建物はエアコンの室外機の有無によって使用された時期を推察するが、ここは北海道。エアコンは無縁だっただろう

バス停を訪れ絶句

と、ふだんの記事なら、ここで終わってしまうのだが、実は話の本題はここから

駅の遠景。国鉄時代に廃線となった富内線が当駅まで延伸される計画もあり、かなり規模の大きな駅だったことが分かるが、私が訪れるのは規模の極めて小さいバス停である。駅舎前にはデマンド制のバス停があったが、こちらはもちろん使えず、この砂利道に面した国道。そこに「金山駅前」バス停があるはず、と訪れてみると停留所はあった。しかし

停留所はあるが時刻表がない。というか外れている。強烈な不安に襲われる。ちなみに私が乗車するのは向かいの道路で、こちら側には停留所が見当たらない。これはよくある話で、過去何度も停留所の向かいで「お~い」と手を挙げてバスに乗せてもらったが、時刻表が外れているのは初めての体験

さらに言うと、駅前の国道はとても寂しい所にある

景色としては山中の国道

次の停留所は「金山」で、ほんの少し歩くと金山の集落があることは容易に察しがついたが、そんな余裕はない。なぜかというと列車到着が15時23分で携帯アプリなどによるとバスの時刻は15時39分。駅で写真を撮っていると10分ほどがすぐ経過してしまい、もう歩く時間はないのである。道程を作成した時は、15分の乗り継ぎなんて立派すぎると自賛したものだが、この展開は予想していなかった

付け加えると、この国道237号は幹線道路でありながら、交通量の少ないところで、列車は1日数本ながら、車はビュンビュン通る道路上でバスを待つ体験も数々したが、こんな寂しい経験は初めて。明るい時間なのが救いで、とにかく待つしかない、と大きな不安とともに停留所の向かいの道路に立っていると、ちょっと遅れ気味に小型のコミュニティバスが姿を見せた

道路に身を乗りだして手を振ると無事止まってくれた

ドッと汗が噴き出てきた。と同時に重要なミッションを失念。このバスは10分ほど走ると下金山駅を通る。占冠のバスだけに、この区間で降りられるかどうか運転手さんに確認。もし降りられるのなら、2時間の時間つぶしが必要だが、下金山駅を訪問しようと考えていた(この時期の北海道の日中は長い)。2時間潰せないのなら、1時間待てば東鹿越行きが来るので、もう一度この区間を乗車するのも悪くないな、などと考えていたが、しょう然としているうちにバスは下金山を通過していた

ということでバスは無事に富良野到着。前夜に続き、本日も旭川に宿泊する。連泊なので重い荷物を持たなくてもいい、なんて悦に入っていたのが、はるか昔のことのように感じる

こちらが1日3往復の貴重な占冠村営バスの富良野駅時刻表。大変お世話になりました。ちなみにバスに乗車して知ったのですが、私が乗車した付近は自由乗車区間。つまり道路で手を挙げればバスが止まってくれる区間となっていました。もし今後も訪問される方がいれば、ご参考に

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~わずか3カ月で運命が変わった「終着駅」

東鹿越駅の駅名標

※訪問は2023年5月27日

代行バスの接続駅

布部から列車に乗り込み、2駅飛ばし東鹿越に到着。線路はここで途切れていて、先の区間は代行バス輸送となる。到着時刻は14時59分。代行バスが幾寅方面からやって来るのは時刻表では15時4分。バスの到着を待って列車も折り返す。時刻表では15時12分発でバスも15時13分に幾寅へ折り返すことになっているが、少なくとも私の訪問日についてはバスもほぼ正確にやって来た

駅舎横には「バス停車位置につき駐車禁止」の注意書き

子供が元気に飛び出してきたが、列車→バスもバス→列車も、かなり同業者(鉄道ファン)が多い。青春18きっぷの期間外ではあるが、この日は土曜日。旅客はそれぞれ十数人ずつだが、半分以上はそのようだ。前々日は小幌駅を訪問したが、室蘭本線車内で見かけた方もいる。車中で「この人は絶対に同業だ」と確信したが、洞爺で降りてしまったため、自分の見込み違いかと自信喪失したが、そうでないことが分かり、ホッとする(笑)

多くの側線を持つが

多くの側線を持つ駅で現在もJR貨物の駅ということになっているが、貨物運輸はとうに終わっていて臨時駅扱い。ホーム上には実に分かりやすく「石灰石」が置かれていて、これが駅を物語る。かつては、駅に近い日鉄鉱業の東鹿越鉱業所からの石灰石輸送が行われていた。ちなみに日鉄鉱業の鉱業所といえば、伯備線の井倉駅から見えるものもそうである。他の鉱業所への輸送もあった。側線の数々はそのなごりだ

ただ貨物輸送で栄えた駅の利用者数はどうかというと駅の位置で明らか

駅前に広がるのはダム湖のかなやま湖。民家は全くない。元々は集落があったが、ダム工事とともに沈んだ。金山と当駅の間にあった鹿越駅はダム工事に伴い、線路が変更され信号場を兼ねた仮乗降場となった末、正式駅の再昇格はならず国鉄末期に廃止された

駅としての歴史は東鹿越の方が浅く、戦時中の1941年(昭和16)に輸送力増強のための貨物を取り扱う信号場として設置。戦後間もなく正式駅に昇格した

だがダムができる以前から信号場として設けられたぐらいなので、当時から利用者は少なく、ダム湖完成後は、役割は石灰石輸送とかなやま湖観光のための駅としての位置付け

名所案内は、ダム関連のものばかりだが、当然のように観光客のほとんどは車利用である

廃駅決定の直後に

このような状況なので、1日の利用者は極めて少なく、JR北海道も廃駅を決定。2016年6月のことで、翌春に70年の歴史にピリオドを打つはずだったが、同年8月の降雨災害で根室本線が大きな被害を受けたことから、10月に代行バスの発着場となり、廃駅予定だった翌春も被害からの復旧が見込めないことから、駅として存続することになった

以降、鉄路の「終着駅」として利用されていたが、2024年春の廃線が決定。廃駅予定からの復活を経て、今度は廃線に伴う措置で廃駅になるという数奇な運命をたどることになった

立派な駅舎を持つ。利用者は少なかったが、石灰石の貨物輸送が行われていたため、駅員さんが必要だったためだ。1997年の貨物輸送の終了で無人化されている

窓口は塞がれているが、きれいに清掃されている

ホームは島式1面2線で、一応現役となっているが、実際に使用されているのは片側のみ。私は代行バスには乗り継がず、乗車してきた列車に再び乗り込み、折り返すことに。本当は列車も代行バスも去った駅の静寂を味わいところだが、とにかく4・5往復の区間。なかなかそうはいかない。わずか10分ちょっとの滞在で名残惜しく駅を去らねばならなかった

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~「北の国から」は永遠だと実感

倉本聰さん直筆の北の国此処に始まるの木製看板

※訪問は2023年5月27日、動画あり。音声注意

バス停から歩くと広大な駅構内が

山部からバスで布部入口という停留所で下車。こういう「入口」というバス停名は経験上、10分近く歩くことを意味するのだが、私が乗ってきたのは12時59分のバス。乗車予定の列車まで時間はたっぷりある。山部まで行く際に平坦コースなのも確認済み。北海道の初夏のさわやかな風を感じながら歩を進める

先に線路というか側線と車止めに出会う。右奥に見える緑の建物が駅舎のようなので、かなりの距離。広い構内を持つ駅だったことがよく分かる

踏切を渡って駅舎の方に回り込む

ホームが見えてきた。駅構内へは手前から駅舎を経由せずに入れるようになっているが、敬意を表して駅舎から入ろう

駅舎に到着

布部駅は1927年(昭和2)の開業。すでにあった山部~富良野間に設置された(といっても富良野までは6キロ以上もある)。山部も同様の目的を持つが、森林開発と輸送が目的。当駅から戦後間もなくまで「森林軌道麓郷本線」という線路が伸びていた

新しく見える駅舎だが、おそらく開業時からのものを改築しながら現在に至っているようだ。ただしかつてに比べて幅が短くされている

駅名板は巨大なホーローである

次から次に来訪者が

布部駅の時刻表。現在、13時を回ったところなので1時間以上の待ち時間があるため、お昼としておにぎりをムシャムシャ食べる。山部駅周辺があんなに開けているとは思わず、富良野駅近くのスーパーで購入したものだ。ちなみに布部駅周辺は住宅街。富良野の中心部に近い駅の印象だが、商店はない

訪問時は18きっぷの期間外。土曜だったが、当然のように駅にいるのは私のみ。まぁ、のんびりしようと思っていたが、そうはならなかった。私がいる間に4組もの訪問者があったのだ。1人は明らかに同業者(鉄道ファン)で駅と周辺を撮影した後、あわただしく去っていったが、他は違った。そもそもレンタカーでやってきた1組と会話をすると「えっ!廃線になるのですか!」と驚きの返事が返ってきたぐらいだ

訪問者の目的はこちら

駅前に掲げられている倉本聰さん直筆の木製看板

倉本さん原作の「北の国から」はフジテレビのドラマで、冒頭シーンが主人公を演じた田中邦衛さんが東京から故郷に帰ってくる、布部駅に降り立つ場面。だから「此処に始まる」なのだ。ドラマについては、いちいち調べなくても概要は書ける。なぜなら私が浪人生時代を送っていた1981年の放送だからだ。秋に始まって春まで、いわゆる2クールの半年放送。最終回は何とかかんとか大学に合格して引っ越しの準備をしながら見ていた

ただそれは40年以上も前の話で、会話を交わした東京からの夫婦は30歳過ぎだという。どう考えても世代が合わない。その点を尋ねると、再放送でたまたまスペシャル版(放送終了後、20年にわたって何本か制作された)を見たことで、すっかりはまってしまい、以降、せっせと過去作品を見ているという。「麓郷に行くの?」と聞くと「今から行ってきます。初めてなんでうれしい」と、去っていった

麓郷(ろくごう)とは北の国からの舞台。駅の成り立ちについて「森林軌道麓郷本線」と記したが、その麓郷である。私も過去レンタカーで訪れたことがあるが、かなり遠かった記憶がある

麓郷の森は放送直後から観光名所となっている

駅は静かにたたずむ

駅は北の国からの放送終了を待っていたかのように1982年秋に無人化された。多くの観光客が訪れる麓郷だが、当駅からの距離がありすぎて麓郷訪問の拠点駅にはならなかった

ホーム側から見た駅舎

元々は島式ホームだったようだが、現在は片側だけが使用されている。側線は長らく使われていないようだ

こちらが駅名標。かなり年季が入っているが、今さらわざわざ塗装し直されることはないだろう。駅舎の将来についても現在、保存という話はないようだ。倉本さん直筆の看板は残ると思われるが…

ようやく富良野駅到着から5時間。ようやく当該区間の列車に乗ることができる

乗客は私一人だった

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~大きな町とランプ小屋の残る駅

山辺駅の駅名標

※訪問は2023年5月27日

テレビ番組を参考に

朝の7時すぎの旭川駅。本日はここからスタート

素敵なラッピング車は7時39分発

富良野駅に到着。本日は富良野から先、新得までの根室本線を行く。来春での廃線が決まっている区間の各駅を訪問予定。ここからの乗り継ぎまでに2時間半も待たなければならないが、それは分かっていたことで、根室本線を逆向きに乗り、芦別駅などを訪問して折り返すなどしてやり過ごした

11時半に訪れたのは富良野駅のバス乗り場。11時35分発の西達布行きに乗る。テレビ東京のバス旅は欠かさず見ているが、全国の各駅訪問で参考になることが多い。もっとも現在の潮流でバス路線の廃線は鉄道よりもはるかに加速度がついていて。番組で放送したものの、その後廃線になっている区間も多いが、こちらはしっかり現役だ。番組では終点から山越えの13キロを歩いて幾寅に到達していたが、さすがにそんな技は私には出せない。目指すは富良野から2駅目の山部である

バスで約20分

山部駅前に到着した

悲運のロッジ駅

地方に行くと「駅前」というバス停ながら、全然「前」でないことも多いが、こちらはすぐ

ロッジ風の立派な駅舎を持つ

本当に廃線、廃駅になるのか?と思ってしまう。駅の開設は1900年(明治33)でギリギリ19世紀と120年以上の歴史を誇るが、駅舎はJR移管後の翌年にあたる1988年に新たに建てられたもの

根室本線は2016年8月、台風の影響で東鹿越~落合間が甚大な被害を受けた。その後、当該区間についてはバス代行としていたが(後に代行バスは東鹿越~新得に変更)、今年3月に来春での富良野~新得間の廃線が決まった。ちなみに「本線」と名のつく路線が途中で廃線によって分断される初の出来事となる(三セク移管を除く)

いわば山部駅自体はとても不運だったことになる。元々の駅付近は山部町の中心部(現在は富良野市)にあたり、バス停のある幹線国道沿いには飲食店やセイコーマートもある。急行停車駅でもあった

広い構内とランプ小屋

鉄道駅として重要な役割を果たしていたことは

ランプ小屋が残っていることからも分かる

隣接して倉庫も残る。木造の倉庫は入口の裸電球といい情緒たっぷりで、かなり古いものだと想像がつく

構内も広い。右側の部分にも側線があったようだ

ホームは千鳥状の配置。構内踏切で出入りする

駅舎内は広い。簡易委託も廃止され、完全に無人化されてから20年近く経つが、きれいにされている

さて、ここまで全く根室本線の鉄道写真が出てこないが、それは当該区間の本数の少なさのためだ。富良野~東鹿越間を走る列車は1日わずか4・5往復。当然、東鹿越~新得間の代行バスも同本数

富良野駅の時刻表だと東鹿越行きは7時17分に出た後は7時間後の14時14分までない。その後、16時48分があって、最終が19時2分。つまり私が富良野に到着した9時半ごろは7時間の空白区間だったのだ。結論からいくと、当駅だけが「乗降どちらもできない駅」となってしまった。もっとうまく回る方法はなかったのかと後悔むしている

次の目的地は布部駅。まだ12時半で列車は来ない。こちらもバスで向かうことにする

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三宮のガリバートンネル間もなく閉鎖

三宮にある通称ガリバートンネル

神戸の中心地にたたずむ異次元コンクリート

阪急三宮駅からJR三ノ宮駅、ポートライナー三宮駅に横断歩道を渡ることなく行ける跨線橋。雨や暑さ寒さには全く対抗できないのが欠点で、あまり積極的に案内されていない感があるが、地元民にとっては便利な通路

駅前周辺では再開発のための工事がずっと行われている。ちなみに右手の白い建物が、そごう時代から三宮の象徴となつている阪急百貨店。左手の緑の建物はミント神戸(旧新聞会館)。目指す建造物は見えない

その建造物は阪急百貨店の向かいにある。大阪方面から国道2号をやって来ると、そのまま三宮の交差点に入って、やがて西行き一方通行となってしまうが、正確な2号線は左に直角に折れてポートライナーの橋脚下を南下する

その2号線が途切れた場所(実際には途切れたようには見えない)の阪急百貨店の向かいにあるのが

A14出入口、通称「ガリバートンネル」である。阪神淡路大震災の後、三宮界隈では一斉に古い建物が消えてしまったが、見た目で分かる通り、年季の入った、ここだけ異次元の構造物が残る

グーグル地図とは凄いもので、ダメ元で「ガリバートンネル」と入力すると、しっかり出てきた

正式名称はA14出入口

「ガリバー」などとたいそうな名前が付いているが、あくまでも地下道入口。正式名称は「A14出入口」。単にそれだけ。ガリバートンネルとは、誰かが付けた愛称で私もその名前は今年まで知らなかったし、ましてやドラえもんの道具に基づくなんて、もっと知らなかった

ただし名前は知らなかったが、存在はもちろん知っていた。付近の構造物の中で唯一、戦前からのものであることも想像はつく

通路幅は1・2メートルと狭い。大人同士すれ違って、ちょうどぐらいのサイズ。今風の地下道出入口では少なくもない。ただし足下の階段に目をやると、しっかり新しいものに更新されていることが分かる

下から見上げると幅の狭さがよく分かる。戦前からの古い地下道だけに深い階段ではない

「A14」と、正式名称がしっかり表示されている

今秋に閉鎖

このガリバートンネル、いつからあるのかよく分からないという。1933年(昭和8)に阪神の三宮駅(現神戸三宮駅、当時は神戸駅)が地下化された時の写真には写っているので、そのころではないかとされている

ガリバートンネルといっても、もちろんドラえもんのように、その先は異次元ではなく

「味ののれん街」という地下の飲食店街である。異次元どころか実に現実的

阪神とJRを結ぶ通路ともなっているが、長らく阪神の三宮駅は西側にしか改札がなかったため、観光などで来る人の導線とは異なる。利用者は直接エスカレーターで向かうことができる西側コースの方が圧倒的に多い

さて、そんな歴史と風格を持つガリバートンネルだが、今秋に再開発の影響で廃止される。JR三ノ宮駅の真南に位置する一見、便利な場所にあるが、バス停も降車用がメインで道ゆく人の姿も少ない。地下道で写真を撮っていると、2人のご婦人が降りてきてビックリしたぐらいだ

阪神淡路大震災で神戸新聞会館が崩壊するまでは付近の景色に溶け込んでいたが、周辺が様変わりしていくと、いつの間にか異次元の構造物となってしまって現在に至る。阪急百貨店はそごう時代から、空襲でも残った建物として知られるていたが、1981年のポートピアの際、白いカバーを設置するような形で、おそらく中身は古いまま、現在の姿になっている

現在、地上からここにたどり着こうとすると工事の関係で意外と面倒。JRで来た場合はミント神戸沿いを歩き、グルリと回って横断歩道を渡るのが最短コースか。一度、地下街に降りてA14を探すのが分かりやすいかもしれない。訪問難易度はほぼゼロなので、阪神大水害(1938年)、神戸大空襲(1945年)、阪神淡路大震災(1995年)にも耐えたガリバートンネルは、今のうちにぜひ訪れてほしいスポットである

そしてもうひとつ、最初に紹介した跨線橋のJRホーム側にも注目

戦時中の米軍の機銃掃射の跡

跨線橋を歩く視線とほぼ同じ高さにある。塗装され直したり、耐震工事や補修工事が行われたりしているが、ここだけはそのまま残され続けている

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稚内~札幌バスに初乗車で北秩父別駅と思わぬ再会

稚内駅のバス停留所

※乗車は2023年9月1日

8時間の旅の始まり

思いがけず札幌までの長距離バスに乗車することになった

無事に札幌行きバス「わっかない号」のチケットを購入。出発まで1時間半あるので昨日は30分しか乗り継ぎがなく行けなかった防波堤ドームを散策。この時間になると稚内にも雨雲がやってきたようで、時折本降りになっては止むの繰り返しとなる

わっかない号はフェリーターミナルからの発着となるが、最も利用者が多いのは稚内駅。出発は

・6時30分

・9時30分

・11時30分

・13時

・16時40分

・23時

の1日6本(いずれもフェリーターミナルの時刻表で稚内駅は、その5分後となる)で23時発は夜行便である。夜行便があるぐらいなので約6時間と、なかなかのバス旅。長距離バスといえば、私の利用範囲では、ほぼ四国行きだが、松山や高知でも4時間。6時間ものバス移動は昼行便では記憶がない

チケット売り場は稚内駅の駅ビル内。現金とPayPay以外の支払い手段はないので注意が必要(発車オーライネットでも購入可能)

定時に乗車

長い列ができているようだが、定員29人(コロナの影響なのか3人分の座席が使用できなくなっている)で座席指定なので、もちろん人数分しか並ばない。宗谷本線運休の影響だろうが、ちなみに次の13時もあっという間に満席となっていた

バスは3列の独立シートで、なかなか快適。Wi-Fiもあり、各シートには充電用のUSBポートが設置されている

留萌の先に懐かしい光景

バスは水しぶきをあげながら進む。途中、最も雨の激しい豊富あたりでは水陸両用車かと思うぐらいだった。オロロンラインを走行しているはずだが、悪天候で景色はよく分からなかった。途中、自動車専用道の豊富バイパスなどを通るが、高速道路を走り続けるのは留萌からで、半分以上は下道の国道を進む

途中2度の休憩があり

最初は羽幌のサンセットプラザ。ここは下道区間なので周辺は一般道。羽幌といえば国鉄羽幌線の代替バスともなっている沿岸バスの知識程度は私にもある。ここで離脱して留萌経由で旭川に向かいたいところだが、もちろんそれはできない(調べてみると、かなりうまい乗り継ぎをしない限り、旭川着にそう変わりはないようだ)

この後、バスは留萌を通り、深川留萌自動車道、道央自動車道で札幌を目指し高速道路をひた走る。私は進行方向左手の窓側席に座っていたが、途中で留萌本線とほぼ同一ルートで自動車道が深川に向かっていることに気付く。ということは

こちらも見えるはず。急に心が高鳴った。ひたすら車窓を凝視していると

おおっ!見えた!

バッグはトランクに預けてしまったので必死でスマホ撮影。このころには雨もあがっていたので、しっかり確認。乗降ともに行うには1日1回しかチャンスがない北秩父別駅。その時に「駅から見えるのは農地と自動車道」と記したが、まさか訪問から3カ月後に、その自動車道から駅を眺めることになるとは思わなかった。結構、感動。自分でハンドルを握っていると、当然写真は撮れないし、助手席にいたとしても安全上、ちょっとスピードダウンしてくれ、というわけにもいかない

無事に旭川到着

その後、砂川SAでの休憩を挟んで札幌到着

苗穂駅で降りられるたので、このまま乗車してバスターミナルを経て札幌駅に向かうより、早いだろうとJRで1区間、札幌に向かう

18時の特急に乗車して19時25分に旭川着。ちなみに4両もの自由席がある編成ながら、この時間帯は出発前に15分並んで、ようやく座れるという混雑ぶりだった

この日は新規訪問駅が「ゼロ」という事態になってしまったが、まだ飲食店もイオンも普通に営業している時間に到着できた。これも「ばっかす」のご主人の機転によるもの

札幌~旭川の一部区間が重複するという500キロもの旅だった

気になる運賃は?

さて、気になるのは「わっかない号」の運賃だが、大人片道6200円。ただしこれは9月までの料金で10月から6700円となる

それに対して稚内~札幌の料金は

1万560円(乗車券7920円、自由席特急券2640円)

所要時間はバス約6時間(時刻表では5時間50分)に対し特急は5時間20分。もちろんバスは途中で降りることはできないし、車中でのリラックス度も異なるが、単純に札幌と稚内を移動するなら、所要時間も含めたコスト面での勝負付けはできていると正直感じた

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抜海の宿、ご主人の機転で稚内から脱出

抜海駅の駅舎内にあった駅名標のイラスト

雨はあがったが宗谷本線動かず

前記事での抜海駅の写真を見ていただければ分かるが、駅訪問時、雨は全く降っていない。駅付近にも雨が降った痕跡はあるものの、すでに「お湿り状態」まで乾いている

だが結論から言うと、この時点で宗谷本線の運休は決まっていて、朝の9時すぎの時点で鉄道での移動は不可能となっていた

話を時系列で戻す

今回、お世話になったのは「旅人宿 ばっかす」。抜海の集落の中心部にある

前々回の記事で抜海駅からの郵便局までの地図を掲載したが、場所はほぼ同じ

宿の場所は郵便局のほぼ向かいにあたる

玄関には「テツ」の心を揺さぶるものも

夕食後の懇談の時間に、ご主人が「今日の夜中に大雨が降る予報です。明日の朝はあがっていると思いますが、宗谷本線は大雨が降ると路盤の問題ですぐに止まるからなぁ」。言葉通り、夜になって雨脚は強まり、寝るころには雷雨となっていた

雨はすっかりあがったが

朝の7時前に起床。雨は止んでいる。ご主人に運行情報を尋ねると「今は運行しているようです」との答えにホッとして周辺の散策

抜海は漁港で宿から出ると、ほどなく日本海に到達する。ただし晴天というわけではないので利尻富士は見えない。前日の車窓からも曇っていて見ることはできなかった。前回、稚内を訪れた際は2泊3日の旅程で車窓はもちろん、レンタカーで日本海沿いを走ったりしたが、その時も山の姿には出会えず。いつになったら利尻富士を拝めるのだろう、そんなことを考えながら

美味しい朝食。もちろん、ご飯はおかわりである

抜海からの列車は10時46分。時間はあるので朝食後、くつろいでいるとタブレットの画面と、それまでもずっとにらめっこしていたご主人が「ちょっとまずいですね」とつぶやく。稚内を6時36分に出た旭川行きの特急サロベツが途中で大幅にスピードダウンしているという

これはJR北海道の情報ではなく、ご主人の独自ネットワークによるもののようだ。ちなみにJR北海道の運行情報では「○」の定時運行となっている。幌延あたりに線状降水帯ができていて激しい雨となっている

「これは良くないですね。まず稚内まで行ってみましょう」。ご主人の提案で、稚内駅まで送ってもらうことに

今日中の旭川着にし東京~大阪並の大移動

前日「もし宗谷本線が動かなかったら」場合の提案がいくつかあった。私の場合、今夜のうちに旭川に向かわなければならないが、まず前提として「稚内~旭川のバスは現在ない」とのこと。北海道の場合、各地から札幌へと向かう交通網は発達しているが、途中の大都市とは意外と結ばれていない

そして「夕方以降、動く場合はあって、それを待つ」というものもあったが「最も確実なのは札幌まで長距離バスに乗り、JRの特急で旭川に折り返す」というもの。線路換算すると稚内~旭川は259.4キロ。旭川~札幌は136.8キロなので、つまり259.4+136.8+136.8=533キロもの大移動となる。これはどのぐらいの距離かというと、新幹線の東京~新大阪が552キロとほぼ同じにあたる。単純な所要時間はバスが6時間、JRが1時間半。もちろん乗り継ぎの時間もあるので、8時間もの長い旅

しかし今回ばかりは今夜のうちに旭川までたどり着かなければならない。過去の経験から、北海道の列車は雨以外にも動物と接触など、いろいろな要素があり、定時運行の壁があることはよく分かっているつもりで、今回の旅もゆったりめの日程を組んでいたが、唯一、明日の根室本線廃線区間だけは、かなりガチなスケジュールとなっている。これらを、まるまる動かすのは無理な相談である。もうひとつの手段として稚内から音威子府に向かう路線バスもあるが、こちらは4時間半もかかる上、そもそも音威子府から先の交通手段がどうなるか分からないため却下である

稚内へ向かう前、ご主人の好意で抜海駅に立ち寄ってもらう。前記事の写真はその時のもの

その道中、宗谷本線の本日運休がJRのHPでも発表された。1日6本の札幌行きバスは次が11時30分発で、その次が13時。「まだ発表されたばかりだし、稚内は雨が降っていないので、おそらく観光客は気付いていない方が多いはず。バスの空席はあると思いますよ」とのこと。稚内駅到着は9時45分

やはりというか当然というか、宗谷本線は本日、完全運休である(旭川近辺の部分運行区間については分からない)。たった5本の運休情報だが、稚内をこの時間以降に出る列車は、これがすべてである

駅ビル内のバスターミナル窓口へと急ぐ。場所もご主人に教えてもらった

窓口は長蛇の列…というわけではなく、並ぶことなく窓口へ。残り3席だったが、とにかく空いていてホッと一息(ちなみに私のすぐ後ろに並んだ方も同じ行動らしく、すぐ残り1席となった。「宿は富良野なんです」と嘆いていた)。17時20分札幌着なので、まともな時間に旭川までたどり着けそうだ

最近のビジネスホテルは待たずに機械でのチェックインとチェックアウトができることをウリにしているホテルが多い。これはこれで善し悪しがあり、夕方の混雑時にホテルに着いて、チェックインの列を見るとウンザリするし、われわれのような鉄オタは始発に乗るため、朝の5時にチェックアウトすることもしょっちゅうだが、前日にその旨を告げなければならないなど気を遣う必要がある。その点、キーボックスにカードキーをポイだけで終わるのは非常に楽

ただし、そこには公共交通機関の情報はない。今回は念のためにホテルに電話。宗谷本線がストップしているので到着が遅くなることを伝えたら「それは大変ですね。お気を付けておこしください」と丁寧な電話応対をいただいたが、ホテル到着後のチェックインは機械で行うのでねぎらいの言葉はない(それは良くない、と言っているのではない。前述したように、そのシステムの方が楽なことは多々ある。念のため)

それでも今回は人と人のふれあいによって生み出されるものが確実にあることを感じました

宿で購入したばっかすさんのタオル。もったいなくて、まだ「デビュー」していませんが、大切に使わせていただきます。というか、今回は果たせなかった宿から駅までの徒歩(抜海駅まで手ぶらで30分歩くと、後から車で荷物を届けてくれるそうです)をぜひ実行してみたいし、何より利尻富士を生涯一度も見られていない。必ずまた伺いますね。ありがとうございました

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