私鉄

続九州新幹線の全駅訪問~肥薩おれんじ鉄道の駅にも要注目の新水俣

新水俣駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

乗り換えのない駅はなし

熊本から新八代を飛ばして新水俣駅に到着。時刻表の関係で効率優先とすると、こうなる

2004年に先行開業した九州新幹線の新八代~鹿児島中央。この間の駅で他の鉄道との乗り換えのない、全くの新幹線単独駅はない。新八代は在来線との接続駅となったことで新幹線との交差地点に新駅が設けられたし、出水は元々がJR鹿児島本線の駅。川内も同様で鹿児島中央は言うに及ばない(新幹線開業とともに駅名が西鹿児島から変更となった)

新水俣も新八代と同様、JRも肥薩おれんじ鉄道も新駅が設けられた駅となるが趣は多少異なる

新幹線の改札付近

こちらは新幹線側の駅舎。ホームは2面3線構造で部分開業時は当駅~鹿児島中央という、新八代のみ行かない列車が設定されていた

観光物産協会も入っている

一瞬の交差に設けられた新駅2つ

コンコースの入口には肥薩おれんじ鉄道との乗り換え案内がある。新幹線の改札を出てすぐなので迷うことはないだろう

新水俣駅は旧鹿児島本線の肥薩おれんじ鉄道と新幹線が一瞬交差する場所に設置されている。両社ともに新駅だ。肥薩おれんじ鉄道は海側の水俣市街地に向かうが、新幹線は山中を突っ切る

元々の鹿児島本線は現在の肥薩線ルートで、鹿児島へはそちらの方が距離が短い。軍事的な理由や都市の多さから海沿いを行く鹿児島本線があらためて敷設されたが、各都市を順番に回っていくため、線路の距離も長い上、線形も良いとは言えない

新幹線はその欠点を解消すべく、できるだけ直線的に敷設されたため山中を行く形となった。そのため比較的駅が多く設置されている九州新幹線の中では珍しく、新八代~新水俣は同じ熊本県内にありながら42キロも離れている

元々は信号場

肥薩おれんじ鉄道の新水俣駅は新幹線の駅舎外にある

駅名板と時刻表がポツンとあるのみ。ホームへは構内踏切で向かう。駅舎のない無人駅だが、列車交換(すれ違い)は可能

それもそのはず。元々は「初野信号場」という列車交換のための設備だった。初野というのは地名である。信号場というのは両隣の駅間が長い単線区間などで列車交換をするために設けられた施設。駅となっていないのは、場所が山中など周囲に何もない場所が多く利用者が見込めないから

ただ信号場だけに設備は整っていて、ホームさえ設ければ駅に昇格させるのは比較的容易だ。そこに目をつけて駅を新設したのは素晴らしいアイデアだと思う

構内踏切で細い通路を通ってホームへと向かう

ちょうどくまモンとともに列車がやって来た

写真で分かる通り、ホーム幅は極めて狭い。信号場に頑張ってホームを造った苦労がうかがえる。肥薩おれんじ鉄道はJR貨物が走り当駅を通過するため(観光列車は大部分が停車する)、ホームには転落防止柵が設置されている上、徐行での通過となっている

肥薩おれんじ鉄道の駅名標。お隣が水俣市の中心駅の水俣で約4キロ

新幹線の駅舎の横を去っていくくまモン。なかなか良い光景。これだけでも価値がある

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

九州新幹線の全駅訪問~私鉄とライバル関係

久留米駅の駅名標

※訪問は2023年6月29日

久留米出身の大スター

久留米駅に到着。本日の最終目的地は熊本なので(というか所持しているきっぷでは熊本までしか行けない)、これで新鳥栖から南側の駅はすべて回ったことになる。後は熊本に行くだけだが、久留米は「さくら」も停車するので、ここからはノンストップで熊本に向かう予定である

鹿児島本線は博多から一度、佐賀県に入って再び福岡県に入るので、その地理関係が理解できないと、どの都市がどこにあるのかもパッと頭に入ってこない。世の中には久留米が佐賀県なのでは、と思っている人も多く、同様に大牟田が熊本だと思っている人も多いと感じる

私も高校生あたりまでは、その一人だったが、ある時から久留米市は福岡県だと理解するようになった。私と同世代に松田聖子さんとチェッカーズがいたからだ

その久留米駅はもちろん久留米市の代表駅

久大本線との乗り換え駅で久大本線に乗り入れる特急はもちろん、在来線は全列車が停車する。新幹線も以前はさくらのみの停車だったが、現在は最速達タイプの「みずほ」も一部が停車するようになった。以前の駅舎は、いわゆる国鉄コンクリート駅舎だったが、九州新幹線全通の1年前の2010年に現在のキラキラした駅へと変わった

博多~熊本の九州新幹線駅は従来の中心駅とは異なる場所に設置されていることが多いが、博多、熊本そして久留米については鹿児島本線と併設された。筑後船小屋駅の項でも記したが、元々、九州新幹線はスーパー特急方式つまり在来線を走る特急として計画が進められ、筑後船小屋近辺までは在来線を通る予定だった。その後、フル規格へと変更され、長崎本線上への新鳥栖駅の設置のほか、新大牟田、新玉名などが新幹線単独駅として誕生。筑後船小屋も元々の在来線駅を移設しての開業となったが、久留米については、その重要性から鹿児島本線と同駅とするべく工事が進んだ

利用者の利便性を考えると、これは重要なことだ

駅前のからくり時計は以前からのもの

久留米ラーメンのお出迎えもある

利用者を西鉄と争う

さて久留米にはもうひとつの「久留米駅」がある

西日本鉄道の西鉄久留米駅。写真は2022年6月のもの

両駅間は約2キロと歩くにはちょっと辛い距離。頻発するバスで結ばれている

駅の開設は国鉄の久留米が1890年の明治23年。日本で鉄道が開業して20年も経たない時期で、いち早く久留米の中心部となったが、30年以上が経った1924年(大正13)に九州鉄道(現在の西鉄)が開業すると、徐々に繁華街が西鉄駅へと移り始めた。現在、繁華街といえば西鉄駅の周辺となる

鉄道ダイヤは平日昼間は天神にある西鉄福岡まで急行で40分。朝と夜は特急も運行され30分(土日祝は昼間も急行を減らす形で特急が運行される)。対するJRも昼間は1時間に4本が運行されるが、博多へは鳥栖での乗り換えが必要な列車も多く、快速の運行本数も少ないため、時間と利便性では西鉄が有利。利用者も西鉄が圧倒。JRも朝の快速を増やしたり、鳥栖での乗り換え時間を短縮するなどしているが、現状ではダブルスコアである

熊本到着で気付いたこと

そして久留米からさくらに乗車して熊本で下車

所持しているきっぷで乗降できる新幹線駅を長崎から新鳥栖を経由してすべて訪問できたが、その後「あっ」と気付いたことがある

駅そのものはすべて乗下車したが、博多~新鳥栖間が未乗車区間として残ってしまったのだ。こういう1区間というのは、いつでも乗れるようで、わざわざ出かけなければならない分、意外と乗れないのだ。北陸新幹線の糸魚川~上越妙高も実際に乗るまで意外と時間を要した。この時点で秋に再び九州に来て残る新幹線駅をすべて回収することは決めていたが、日程に必ず博多~新鳥栖を組み込まなくならなくなった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

スカイレールに乗車してきました

スカイレールのみどり口駅

※訪問は2023年8月23日

青春18きっぷを途中下車

時間は朝の8時45分。この日は青春18きっぷで広島県内をウロウロするつもりだったが、朝からあいにくの雨でダイヤが大いに乱れていた。午後には天候も回復するそうなので、しばらく冒険は止めてどこかで途中下車を、と思わず降りたのが瀬野駅

瀬野駅といえば、お隣の八本松までの急勾配区間いわゆる「瀬野八」が有名で、かつては補助機関車のための機関区があり、今も貨物列車には補助機関車が必要な区間

だが現在、注目を集めるのは駅前にあるこちらの駅

スカイレールのみどり口駅

広島短距離交通瀬野線

ちょうどゴンドラがやってきた

ゴンドラではあるが、ロープウェイではない

概念としては懸垂式のモノレール車両を小型化したものでロープウェイではなく新交通システムと位置付けられ、モノレールと同じく法的には「鉄道」となる

みどり口駅には「スカイレールサービス株式会社」の文字

スカイレールの正式名称は「広島短距離交通瀬野線」。これだけだと何のことやら想像もつかない。愛称は「スカイレールみどり坂線」で瀬野駅と新興住宅街であるみどり坂を結ぶ。路線距離は1・3キロ。途中に「みどり街」駅があり、計3駅。平坦な1・3キロなら会社も通勤定期を発行してくれないような距離だが、写真で分かる通り高低差が200メートルもあって日々歩くのはとても無理。それを埋めるべく登場したのがスカイレールである

来春で廃止

前回当地を訪れたのは2019年2月なので4年半ぶりの訪問となる。その時は住宅街の上を行くゴンドラからの眺めに大いに興奮したが、今回は趣を異にする。来春での廃止が決まっているからだ。それまでにもう一度行きたいと思っていただけに、ちょうどよいタイミングとなったが、廃止前提となると心躍るという感じではない

新交通システムなので基本的に駅は無人で運行も無人

券売機でチケットを買う。有人窓口は定期券の発売所である

料金は一律170円。チケットのQRコードを改札機にかざして入場すれば、後は乗車して目的の駅で降りるだけ

駅名標は一応あるが

後は定員25人の自動運転のゴンドラに乗るだけ

朝夕の通勤通学時間帯に増発されるダイヤで昼間も15分に1本の運行が確保されている。山陽本線の瀬野駅も昼間は1時間に4本の運行だ

25年の歴史にピリオド

終点のみどり中央駅までは、わずか6分。とても便利なシステムだが開業以来、慢性的な赤字が続いていた。朝のラッシュ時はゴンドラが満員のエレベーターのように埋め尽くされるが、自動運転というシステムさらには保守点検にも費用はかかる

当初の計画は各地にこのシステムを広め、そうなると車両が増産されてコストも下がる、ここで培ったノウハウをいたるところに流通させれば、さらにコストが下がって技術力も向上する-というものだった。要は先鞭をつけたのだ。だが今も「スカイレール」といえば当地のみの固有名詞状態となっている。広く流通することを前提に多少の赤字は覚悟してのスタートだったが、そのままの状態が続いたため、車両の更新や部品にさらにお金がかかることになって廃止という結論になった

みどり中央から軌道を見上げる。確かに維持だけで大変そうだ

1台やり過ごしてホームから出発を見送る。ゴンドラは何台もあって運行時間に合わせて次の車両がホームにやって来る。現在ラッシュ時は最大で1時間10本もが運転されているが、システム上はさらに増やすことが可能

チャレンジを見守ろう

いわゆる「かぶりつき」を味わいたかったので、1台見送ったわけだが

次のゴンドラもすぐに入線。後ろには後続車両がすでに待機中

定員25人に対して座席数は8だが、すぐ到着するので立っているのが苦痛になる時間ではない

来春以降はバス運行に転換される。当初は今年末での廃止だったが、バス転換に時間がかかるため春まで持ち越しとなったという

天候のため、せっかくのかぶりつきからの眺望も絶景とはいかなかったが、それでも住宅地を見下ろしながらの空中移動は楽しい

スカイレールの利用者は廃止が発表になってから増加しているという。私も他人のことを言えない口だが、朝の8時台という時間にもかかわらず、しっかり同業者(鉄道ファン)はいた。当初の目論見は外れてしまったが、そのおかげで「スカイレール」と名が付く乗り物は全国でここだけなのである

ロープウェイとは違って悪天候にも強い。乗り心地も良い。モノレールとは違って1台あたりのコストも安い。こうした長所がもう少し広がっていたら、後世に伝えられたであろうチャレンジの最後を今は見守ろう

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問8(終)~特徴あるJRとの接続駅は車窓にも注目

河原田駅の駅名標

※訪問2023年5月20日

伊勢鉄道の起点駅は二層構造

伊勢鉄道は河原田が起点、津を終点としているが、両駅ともにJRとの共同使用駅で駅の管理は河原田はJR、津はJRと近鉄となっている。また伊勢鉄道の車両は津で折り返すが、原則的に河原田始発着はなく(平日朝に1本のみ折り返し運行がある)、すべて四日市で折り返す。つまり河原田は単なる分岐点の扱いだ。関西本線亀山方面への乗換駅だが、快速の停車もない

その河原田駅

1890年(明治23)と、130年もの歴史を持つ駅だが20年前に現在の簡易的なものに建て直されている。もちろん無人駅。ICリーダーが置かれているが、伊勢鉄道方面へは使えない

駅舎内には構内案内図がある。駅舎は関西本線の名古屋方面側にあり、跨線橋で亀山方面そして伊勢鉄道のホームに向かう

写真だと手っ取り早い。JR線のホームを見下ろす形の高台に伊勢鉄道のホームはある。写真の向こう側が四日市方面で、この先で伊勢鉄道の列車は関西本線に合流する

駅舎から跨線橋を昇るとさらに分岐があり「伊勢鉄道乗り場」とかわいく、控えめに書かれている

やや古くなっているが、駅舎内には写真入りの伊勢鉄道ホーム案内がある

ちなみに当駅から亀山に向かっては「単線電化」、鈴鹿に向かっては「複線非電化」と初めて聞く方は「間違っているのでは?」と思ってしまう構造となっている

美しい駅名標

島式ホームには伊勢鉄道の駅名標。伊勢鉄道の全駅で降りてみて、JR東海のものとは異なるが、周囲に何もないようなホームだけの駅でも美しい駅名標が、それぞれ丁寧に設置されている、JR東海方式であることが分かった

四日市方面の列車がやって来た

河原田~四日市間はJRと伊勢鉄道、両社の列車が走っていて、もちろんどちらに乗るのも自由。青春18きっぷは使用できない伊勢鉄道だが、この区間に関しては青春18きっぷで伊勢鉄道の車両に乗車できる。四日市へ向かう利用者は駅の時刻表を見て、どちらの列車に乗車するのかを決める。昼間は関西本線、伊勢鉄道ともに1時間に1本の運行なので、この区間は1時間に2本、ダイヤも30分に1本となるよう工夫されている。もっとも名古屋行きの関西本線(この区間の昼間はすべて快速で四日市から快速運転となる)と四日市止まりで単行の伊勢鉄道では軍配が上がるのはJRで、そちらに時刻に合わせて駅に来るお客さんが多いようだ

ちなみに四日市駅の伊勢鉄道ホームは島式ホームの先っぽにある切り欠きホーム。遠くに車両が見えているが、130メートルとそれなりに距離はある

細くなったホームに単行車両がポツンと停車している(四日市駅の写真は2017年7月のもの)

津は進入の車窓に注目

そして津駅

多くの利用者でにぎわう津駅はすべての鉄道会社が中間改札なしで行き来できるようになっている。西側から順番に近鉄、JRとホームが並び、最も東側が伊勢鉄道のポジション

津駅では、ここだけが行き止まり構造

ホームには伊勢鉄道の時刻表。津駅はもちろん特急南紀も快速みえも停車するが、発車ホームも異なるため伊勢鉄道内で完結する(河原田~四日市含む)列車のものしか掲示されていない

車窓に注目

河原田、津では前後の車窓に注目である。河原田駅では高い場所から降りていき、関西本線と合流する部分が楽しいし、なんと言っても津では東一身田駅を出てからのJRとの合流地点が見逃せない。東一身田駅前後は単線区間だが、紀勢本線の線路が近づいてくると、高架のような構造物が目に入る。線路があるのかと凝視すると単なる高架があるだけだ。これは国鉄伊勢線時代から残るもので、合流の際、うまく紀勢本線をオーバーパスできるように造られたもの。伊勢鉄道は中瀬古~津が単線区間として残るが、三セク転換後に中瀬古以北を複線化したが、単線のまま残ったこの区間では、立派な分岐施設は使用されなかった。どうしても複雑な構造となるので工事予算の問題もあったと思われる。将来使用されるかどうかは微妙なところだが、準備に関してはすでに50年前にできていたことを確認するだけで価値はある

ここ数日、伊勢鉄道の公式X(旧ツイッター)を楽しみに見ています。主に鈴鹿サーキット稲生駅付近のものですが、人の波、波、波。インプレッションも凄い数。本日は、いよいよ日本グランプリ決勝の日です

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問7~幻の窓口を備えた路線唯一の駅舎

中世古駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

全駅訪問の必須アイテム

中瀬古駅に到着。伊勢鉄道の各駅を紹介してきたシリーズも同線単独駅の紹介は今回が最後となる。最後といっても総距離22キロで単独駅は8駅しかないのだから、すぐ終わる

のっけから、このような話で大変恐縮だが、日本中の駅を訪問する際の必須アイテムは、まずお手洗いである。男性目線と女性目線では大いに差があり、男性だと目線は格段に下がるのだが、それでもホームのみの駅で元々設置がなかったり、最近は駅舎のトイレが閉鎖されたりしていることも多い。冷え込む季節になると、生理現象の訪れが近くなるので、寒い朝、自販機の暖かい缶コーヒーが恋しくなってもお手洗いの存在を確認しないと絶対に手をつけないようにしている

最近はローカル線の列車でも車内にトイレが設置されていることが多いが、その観点からすると、伊勢鉄道においては「単独駅8駅のうち、お手洗いがあるのは2駅のみ」「車内にトイレはない」ので、訪問される方は(全駅訪問をするしないは別の話として)留意してほしいところ。もっとも伊勢鉄道単独区間は前述した通り、わずか22キロで所要時間30分しかない(四日市まで入れても40分)ので車内にトイレは必要ないと判断されたのも無理はない

将来を見越した駅舎

お手洗いがなぜ2駅のみかというと駅舎があるのは当駅と鈴鹿駅の2駅のみだから。さらに言うと男女別なのは中瀬古のみ

鈴鹿は高架を利用した駅舎だが、中瀬古は立派な駅舎。三セク転換後から7年を経た1994年、国鉄伊勢線が開業した1973年以来、単式ホームのみだった駅に新たに建てられた。いわば伊勢鉄道オリジナルの唯一の駅舎

跨線橋からの眺め。当駅から津までの間は単線区間となっているが、その様子がよく分かる。ちなみにその時に伊勢鉄道唯一のトンネルがある

駅前は新興住宅街

駅前は「太陽の街」として造成された新興住宅街が広がる

駅前は立派なロータリーがあり、コンビニもある。大学もある

これらの発展を見越して駅舎が建てられた。当駅までが複線化されたのは、そんな背景もある

伊勢鉄道内を走るJRの特急と快速は、伊勢鉄道内では原則鈴鹿のみの停車で他駅は通過するが、中瀬古駅に朝の四日市方面3本が停車する

駅舎内。三角屋根のガラスがおしゃれな形をしている。ただし国鉄伊勢線時代から、ずっと無人駅。改札手前には窓口があるが、実は駅舎ができて約20年間、一度も使われていない。将来に備えたものの、まだ需要が達していないということだろう。全国の駅に行くと、かつての窓口が閉鎖されていたり、ベニヤのようなもので、まるごと覆われていたりする光景を当たり前に見かけるが、駅舎ができてから20年近くの間、「デビュー」することがないままという例も珍しい

伊勢鉄道内では、いろいろな意味で貴重な中瀬古駅。訪問をおすすめしたい駅である

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問6~田んぼに囲まれる駅と自治体中心駅?

徳田駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

伊勢鉄道で最も新しい駅

德田駅で下車。三セク移管から4年を経て1991年に開業した伊勢鉄道で最も若い駅

鈴鹿サーキット稲生からだと右手に鈴鹿サーキットを見ていると間もなく到着する

ホームを降りると

両側に田んぼが広がる。訪問時は初夏だったので、日々移り変わる景色を実感できるのだろう

構造は

三セク転換後に誕生した伊勢上野駅と同様、スロープを昇ってホームにたどり着く形

伊勢鉄道はこの2年後に河原田~中瀬古が複線化された。当駅もその前に誕生していて、この構造は他駅でも見られるが、逆側のホームへは構内ではなく、高架線の下の道路をくぐって向かう

そして周囲は

繰り返しになるが、田園風景が広がる。そして私の筆が弱く、日々利用されている方には誠に申し訳ないが、ここまでで語ることが尽きてしまった。次の河芸駅に向かうことにする

旧河芸町の名を冠する

河芸駅。河芸といえば、平成の大合併まで独立の自治体だった河芸町である。2006年から津市となった。町内には近鉄名古屋線を含め、いくつかの駅があるが町名を名乗るのは1973年の国鉄伊勢線開業と同時に誕生した当駅のみ。もっともこれには理由があって近鉄の千里、豊津上野の2駅は戦前からのもので、河芸町の発足は戦後。しばらく町名を名乗る駅がなかったところに誕生したのが当駅

跨線橋から。一見すると片側にしかホームがなく、片方は通過線なのか?と思いかねないが

ホームは千鳥状に配されている。古い路線ではよく見かける構造だが、複線化が1993年と近年であることを考えると珍しい

そして写真で分かる通り、当駅は複線区間の中にあるすれ違い可能駅という貴重な存在。伊勢鉄道は中瀬古~津間は単線のまま(複線の用地は確保されている)で途中の3駅のうち2駅(伊勢上野、東一身田)は単式ホームだが、さすが河芸町の名を冠するだけあって交換可能駅。国鉄時代からすでに考慮されていたという。駅前にはロータリーがある。かなり期待されての「デビュー」だったのだ

駅の東側は農地が広がるが西側はビッチリ新興住宅街

旧河芸町役場(津市役所河芸庁舎)の最寄りであるが、近鉄の豊津上野駅からも近い

そして駅はといえば

駅舎に見えるが、ちょっと大きめの待合所。やや寂しい

駅前には河芸町のガイドマップがあった。立体的に描かれていて、なかなか立派なものだが、よく見ると役場は「河芸町役場」のままで位置も現在のものとは異なる。どうも津市となる前からのもののようだ。港を有していたこともあり、歴史的、地理的にも近鉄が有利となっていて商業施設を中心に考えると近鉄の2駅(利用者で圧倒しているのは千里駅)がともに町の中心となっている

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問5~車庫、本社のある中枢駅

玉垣駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

国鉄時代は唯一のすれ違い駅

玉垣駅に到着

当駅はご覧の通り、伊勢鉄道では唯一、ホームが島式構造。河原田~中瀬古間は三セク転換(1987年)後からしばらく経った1993年に、元々用意されていた用地を生かして複線化されているが、島式ホームはここだけ。ただ国鉄伊勢線時代から同線で唯一の列車交換可能駅だった

左に見えるのは車庫であり、伊勢鉄道の本社でもある。ホームに立つと

ちょうど車両のお掃除中。JR、私鉄を問わず全国各地で見られそうで以外と間近では見られない光景。見ていて飽きない

車庫の方を見ると、このような感じだ

本社はあるが無人駅

駅の周辺はビッシリ住宅街。西側には住宅街に混じって野球場や陸上競技場がある。東側に目を転じて幹線国道である23号線に向かっていくと道中にイオンタウンがあり、国道はいわゆるロードサイド店が並ぶ。もちろん駅周辺にも店舗は多い

側線が見られるのも、伊勢鉄道ではここだけ。保全用車両が停まっていた。車庫があるため、当駅発の列車も設定されている。途中駅では唯一の存在である

ただ本社があり、車庫もある玉垣駅だが実は無人駅。最初の写真で分かる通り、駅ホームには外からダイレクトで跨線橋を渡って入る

跨線橋には、このような注意。ホームへの跨線橋は線路で分断されている東西を結ぶには貴重な通路にもなっているようにも映り、現実に自由通路のように利用している地元の方の利用も見られたが、注意の対象はホームのようにも読めて微妙な表現ではある

こちらは縦式の駅名標。その下に注意書き。始発設定があるため、まれにホームが異なることもあるようだが、島式ホームなので問題ないだろう。また始発や終着の設定がある当駅は、構造上、追い越しができる線内唯一の貴重な存在でもある。7時59分の四日市行きは快速「みえ」の通過待ちをするようだ

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問4~門前町「東」の高架駅

東一身田駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

伊勢鉄道単独の南端駅

東一身田駅に到着。F1の話をしたばかりだが、気動車のエキゾーストノードも良いもの

ご覧の通りの高架駅。毎回のように書いているが、伊勢鉄道は国鉄伊勢線が高規格で造られたため、高架駅が多く、運行や周辺を行く歩行者、自動車の妨げにならないよう踏切もほとんどない。というか、1カ所あるのみ

そして中瀬古以南は単線ではあるものの、将来複線化できるようスペースも設けられている

お隣は津駅なので、伊勢鉄道単独駅では南端にあたる駅でもある。ただ南端といっても伊勢鉄道の単独駅同市で完結する列車の設定はない

3つのアクセス駅のひとつ

さて「東」が付くのだから、付かない一身田駅があるのではないかと思うかもしれないが、その駅は伊勢鉄道にはない。一身田はJR東海の紀勢本線の駅。紹介が遅くなったが、一身田は難読駅のひとつとして知られる。「いしんでん」と読む

そのJRの一身田駅

無人駅ながら華麗にして荘厳な駅舎を持つ(訪問は2022年3月)。紀勢本線の駅でも駅舎のバス停化は進むが、こちらの駅はおそらく大丈夫。一身田は真宗高田派総本山専修寺(せんじゅじ)の門前町だからだ。駅の開業は1891年と明治24年生まれ。現在の駅舎も1923年と大正12年からのもの。たまたま下校時で写真に生徒さんが写っているが、高田中学・高校の最寄りで利用者は多く、2021年のデータは1日2396人。利用者が多い時間帯などでは駅員さんが派遣される。ちなみに駅名は「いしんでん」だが、地名は「いっしんでん」。東一身田も国鉄伊勢線の駅として誕生した(1973年)ので「いしんでん」を採用している

一身田地区をはさむ形でJRの駅と伊勢鉄道の駅がある形

駅にも地図と説明があった

もうひとつの駅も

東一身田駅は一身田駅とは、あまりに対照的な無骨なコンクリート高架駅。国鉄時代から姿は変わっていないが、昭和40年代にこれだけの高架設備を造ったのだから、それはなかなかのものだと思う

駅舎と呼んでいいのかどうか、高架下の階段を昇っていくとホームに出る

ちなみに専修寺を目指すには、もうひとつ近鉄名古屋線の駅がある

東側にある高田本山駅。元々は「一身田町」という駅名で大正期に開業したが、間もなく現駅名となっている。こちらは専修寺からは離れる形にはなっているが、通学も含め、当駅の利用者も1日1413人。JRや伊勢鉄道に比べ、普通のみの停車ながら列車本数の多さが圧倒的に違う。現状では東一身田は他の2駅と比べると桁数が異なる利用者数となっている

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問3~今年もF1がやって来る

鈴鹿サーキット稲生駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

日本グランプリは9月22~24日

伊勢鉄道の駅では鈴鹿よりも知名度が高い駅かもしれない

鈴鹿サーキット稲生駅に到着。「稲生」を「いのう」と読むのが意外と難読。稲生はれっきとした地名で、国鉄伊勢線が開業した1973年(昭和48)9月1日に同時開業となったが、当時の駅名は単に稲生。87年の三セク転換時に現駅名となり、全国に知られる存在となった

ただし徒歩で約30分。おそらくF1のような大イベント時は、人出も多いので、もっとかかるかもしれない。当駅から鈴鹿サーキットまではバス路線もない。それでも大イベントの開催時、多くの人が当駅から歩いてエキゾーストノートの調べを目指す

ふだんは静かな小さい駅

私は鈴鹿サーキットには数え切れないほど訪れたが、当駅に降り立ったのは実は初めて。「もっとかかるかもしれない」と書いたのは、そのためだ。大阪から行く場合は近鉄特急で白子まで行き、バスまたはタクシーとなる。レース開催時は鈴鹿市内のホテルはなかなか取れないので四日市によく宿泊したが、それも同様。幸運にも鈴鹿市内に宿が確保できた場合は近鉄鈴鹿線の終着駅である平田町周辺が多かったので、その場合は平田町までタクシーである(F1開催時は三重県内では間に合わず名古屋市内のホテルも混雑する)。いずれにせよ鈴鹿サーキットまでバスが出ている駅は白子だけ。では白子駅に行けばいいのではないかと思われる方も多いかもしれないが、大イベント時は白子からバスに乗るのも、満員が多く、なかなか順番が回って来ず苦労するし、タクシーもない。バスだと白子から20分。延々とバス待ちをして満員の車内で20分揺られるなら、鈴鹿サーキット稲生から30分近く歩いた方がマシ、と考えるのは当然の流れ。私の場合は仕事上、レース開始のかなり前の時間に着いて、サーキットを離れるのもレース終了後、かなり経ってからなので混雑を避ける形になっていたがレースに合わせての移動となると、結果的に徒歩の方が早くなる

その鈴鹿サーキット稲生だが、駅の規模は大きくはなく、むしろ小さい。シケインをイメージした階段にサーキットを感じさせるのみである

私なんぞは「オ~ッ」と思ってしまったが、モータースポーツに関心がないと何も感じないかもしれない

そして鈴鹿サーキットの名を冠するものの、死角になっていて駅から鈴鹿サーキットは見えない。ただ車の音は聞こえる。サーキットが見えるのは、お隣の德田に向かう車窓からだ

年に一度のお祭り

上り下りのホーム移動はホーム外の道路を通る。もちろん無人駅。駅舎もない。ただF1開催時の臨時列車に備え、ホーム有効長は6両分確保されている

ただF1開催時は様相が一変。臨時のきっぷ売り場や仮設トイレが設けられる。基本的にワンマン運転の普通も車掌さんが乗車。名古屋始発で当駅が終着となる臨時特急、その名もズバリの「鈴鹿グランプリ」が2往復運行されるほか、特急南紀も一部停車。快速「みえ」に至っては全列車が臨時停車。とにかく年に一度のお祭りである。

伊勢鉄道のホームページがなかなか興味深く、F1開催時の当駅の案内があるのだが「伊勢鉄道でIC乗車はできません。JRの駅からIC乗車すると精算の必要があります」「きっぷ売り場は現金のみ」「レース後は駅も混雑するため乗車まで時間がかかる場合があります」といった注意点が記されているのだが、最後にそれらをまとめる形になっていて最初に出てくるのが「鈴鹿サーキット稲生駅利用の不便さ」で注意事項を改めて列挙。最後に「…枚挙にいとまがありません」と締めくくられていて、ちょっと笑ってしまった。その次にようやく「鈴鹿サーキット稲生駅利用の良さ」の項目。鉄道会社がまず不便さからスタートするのはユニークだ。その「良さ」も「それでも鈴鹿サーキット稲生駅をご利用になられる方がたくさんおみえです」から始まり、なかなかウィットに富んでいる。こちらは実際に閲覧していただきたい

ホームの名所案内。当然鈴鹿サーキットが最初だが、随分とお堅い表現だ。ちなみに鈴鹿サーキットは単なるレースコースと思われている方も多いかもしれないが、記されている通り、遊園地のほか、ホテル、キャンプ場、プールなども備えた総合レジャーランドである

稲生ガイドマップがあったが、こちらはいつからのものだろうか。鈴鹿サーキットを避けるように描かれているのが印象的

なお空前のF1ブームが訪れるのは、昭和の終わりから平成初期にかけてのこと。87年(昭和62)から日本GPが鈴鹿で毎年開催となったことが大きい(2007、08年は富士スピードウェイ開催)。奇しくも国鉄伊勢線から三セク伊勢鉄道転換の年だった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問2~三セク転換後に重要度認識

伊勢上野駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

伊賀上野ではありません

伊勢上野駅に到着。単式ホームに待合所のみという質素な構造。1987年3月、つまり国鉄伊勢線が三セク伊勢鉄道に転換した時に誕生した

周辺は田園地帯。ちょうど田植えのシーズンだった

駅名を耳にして「えっ?」と思われる方もいるかもしれない。「伊賀上野の間違いではないのか」と

三重県での「上野」といえば、伊賀上野が有名だ。関西本線の非電化区間では最も大きな駅で伊賀鉄道との接続駅でもある。何より忍者の里としての知名度が高い

しかし、こちらもれっきとした「上野」である。そもそも地名が「津市河芸町上野」なのである

駅前に河芸町の地図があった。上野と名が付く施設が見られる。平成の大合併で津市となったが、以前は河芸町という単独の自治体だった

ただ町として栄えているのは圧倒的に近鉄沿線である。もちろか駅の利用者数も近鉄が圧倒している

手前の電話ボックスに隣接する小径を行くと駅なのだが、県道を車で走っていると気付かず通り過ぎてしまうかもしれない。だが立派な高架だけはすぐ分かる

近鉄に対抗すべく建設したものの

名松線の項でも触れたが、私は小学校の4年生まで三重県の名張で過ごした。そんなある日、先生が「もうすぐ国鉄も便利になります」と説明し始めた。先生は黒板に今にして思うと路線図を書きながら「名古屋から伊勢神宮へは国鉄では不便だけど、近鉄と並んで線路ができる」と話ながら、四日市と津の間に真っ直ぐ線を引く。当時は「ふーん」で終わっていたが、国鉄伊勢線のことだった

名古屋から国鉄で津以南の三重県各地に行こうとすると一度関西本線で亀山まで行き、方向的にはスイッチバックで紀勢本線に入り直さなければならない。それに対し、近鉄は四日市から真っ直ぐ南下している。なんでわざわざこんな面倒な作業をしなければならないのかというと、国鉄の前身となる会社が京都からのお伊勢参りを目指して、今の草津線、関西本線、紀勢本線と敷設したため。名古屋からのお伊勢参りはこの時点では眼中になかったのだ

その回り道が近鉄と国鉄に大きな差をつけることになる。伊勢だけでなく、紀勢本線の沿線には県庁所在地の津、松阪と大きな都市があり、沿線需要もある。国鉄も名古屋からの直通を走らせていたが、亀山での遠回りとスイッチバックがネックとなって近鉄に劣っていた

そこで考え出されたのが四日市と津を結ぶ短絡線、つまり国鉄伊勢線である。近鉄のスピードに対抗すべく、全線を複線化する予定で路盤も高架を中心とした高規格で建設された。小学校の先生が熱弁をふるうのも無理はない

そんな期待を受け、まずは単線で1973年(昭和48)に開業した国鉄伊勢線だが、ふたを開けると、多くの列車は亀山経由のスイッチバック、伊勢線内を走る普通の運行は数えるほどで、つまり「戦力」は与えられなかった。当然、利用者も低迷。特定地方交通線に指定され、民営化とともに三セク以降。国鉄としての歴史はわずか14年だった

戦力外のかつてのドラフト1位が

流れが変わったのは三セク移管後、伊勢鉄道が行った輸送力強化だった。元々、複線化できるように造られていたので、起点駅(JRとの分岐駅)となる河原田から中瀬古までを複線化。この後、JR東海が近鉄に対抗するため、別料金不要の快速「みえ」が90年に登場。特急「南紀」とともに、すべて伊勢鉄道経由となった。また路線内の最高速度も引き上げられた。三セク転換後、わずかな期間で路線の営業収益は爆発的に伸びた

現在、1時間に1本の運行で1日13往復、別料金も要らないため、名古屋で新幹線から乗り換えて伊勢方面に向かうには名古屋の到着時間によってはJRが近鉄に勝る。そもそも桑名、津、松阪、伊勢、鳥羽ではJRと近鉄の駅が同じ場所にある。もちろん特急の4往復もすべて伊勢鉄道経由。そんな理由から、伊勢鉄道の収支は安定している。JRからの三セク転換路線では超優等生だ

となると「なんで国鉄は手放したのか」という疑問が生じるのは当然だ。プロ野球に例えるなら、大きな期待を背負ってドラフト1位入団した選手を早々に戦力外としたら、他チームで大活躍。「アイツを呼び戻せ」と言っているようなものである。路線の潜在能力を見極めることもなく「赤字の他路線同様、即止めます」とした国鉄末期の混乱を思わせる

坂を登ったところが伊勢上野駅。きっと桜の季節は美しいのだろう

ひとつ手前の中瀬古から単線区間に入っているが、ご覧の通り複線の用地は確保されている。ただ三セク転換後に開業した伊勢上野駅は大赤字路線だった国鉄伊勢線を知らない

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります