京成電鉄

わずか6年で破綻した東京への通勤圏の都会路線~消えていない残り約10キロの延伸計画

※訪問した2025年1月16日時点の情報です

上野直通便もあり

京成千原線の運行態勢はちはら台から千葉中央、京成千葉を経て京成津田沼との折り返しで1時間に3本。千葉中央から始発の列車が1時間に3本入ってきて千葉中央からは10分に1本の運行となる。都内を目指すには、京成本線の駅である京成津田沼で成田方面からの特急と乗り換えることになるが、朝夕の通勤通学時間帯は、わずかではあるが、京成上野行きの直通列車も運行されている。もっとも普通に乗車したまま上野まで乗り通す人はいないだろう。1時間半もかかってしまうのだ。いるとすれば私を含めた同業者(鉄道ファン)というか、今この記事を読んでくださっている方ぐらいだろう

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先に伸びる線路

ちはら台駅から先は線路少し伸びている。まるで次の駅があるようで、未成線ならではの光景だ

京成千原線は前身の千葉急行電鉄が小湊鐵道の海士有木駅からちはら台を経て千葉中央を目指したものだった。途中駅は2つ計画されていた。辰巳台と国分寺台である。位置関係はこのようになっている

徒歩ルートにしたが、辰巳台は千原線の計画の初期段階ですでに開発が進んでいた団地で、国分寺台には市原市の市役所がある。辰巳台まではすでに用地は取得済みで、敷設工事がすぐにできそうになっているが凍結されたまま。それ以外は一部の用地は取得されたものの、すぐ工事着手とは言えない状況だ

踏切なし、最速110キロの重厚路線

千原線の工事を手がけたのは日本鉄道建設公団いわゆる鉄建公団である。1960年代から全国の鉄道建設を担った。簡単な表現をしてしまうと「頑丈」「高架」のイメージか。東北新幹線などの東日本の新幹線のほか、京葉線や湖西線も手がけた。地方路線も含めると枚挙にきりがなく、すでに廃線となった路線もある。鉄道ファン的には三江線の宇都井駅を含む最後に開業した区間が有名だ。国鉄のイメージが強いが私鉄も手がけている。近鉄のけいはんな線といえばイメージできる人も多いはず

千原線には踏切がない。線路は高架が中心で、駅も掘削か高架となっている。110キロの速度まで出すことが可能だ。片側ホームしか使用されていない駅を2駅紹介したが、路線内は単線運行ではあるものの、複線にするための用地は確保されていて車窓から確認できる。つまりはそれだけお金がかかっているということ

それゆえに運賃が高いということは以前の記事でも紹介したが、運賃計算も千原線のみ独特のものとなっている

こちらは千葉寺駅の運賃表。これだけではよく分からないかもしれないが、千葉中央までは千原線の運賃で、千葉中央を過ぎると急に高くなる。これは千葉急行電鉄から京成が事業を引き継いだ時に千葉急行電鉄の運賃をそのまま引き継ぎ、京成の他路線とは異なるものとしたため。別々の鉄道会社同士の相互乗り入れの場合、別会社に入った瞬間に運賃が急に高くなることがあるが、それと同じシステム。もちろん割引は適用されるが、同じ鉄道会社の同じ列車に乗っているうちに急に料金が高くなるのでは利用者も首をひねってしまうだろう

2029年まで残る計画

当初の計画では複線化も2000年をめどとするはずだったが、それすらも実現していない。バブル時代は遠距離通勤もひとつの形とされていて、少々遠くてもマイホームが持てるなら、と都内の会社までドアトゥードアで2時間近くかけても通勤する人は珍しくなかったが、現在はどちらかといえば都心回帰である。そもそも少子化で広い家を持つ必要もなくなり、予定地を含む沿線のニュータウン開発は目論見通り進まなかった。そのような現状では延伸はおろか複線化も無理ではないかと思ってしまうが、計画は今も「現役」である

2019年に京成電鉄は2029年までの工事申請の期限を延長。つまり今も事業としては継続していることになる

ニュータウンの中を先に向かっているように見える線路。全線開通にはあと約10キロ。予定の線路は約8キロ。途中に大きな山や川があったりするわけでなく、8キロぐらいなら現在の技術をもってすれば、あっという間に敷設できそうだが、近くて遠い8キロとなったまま30年が経過した

訪問難易度は極めて低いので、機会があれば、路線内の豪華施設だけでもぜひ眺めてほしい。そして私はまだ訪問したことのない難読駅の海士有木(あまありき)が気になってしょうがないのである

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わずか6年で破綻した東京への通勤圏の都会路線~終着駅は路線内で唯一千葉市外に

※訪問した2025年1月16日時点の情報です

片側のみのホームから出発

おゆみ野駅からちはら台駅を目指す

入線してきた電車に乗車するが、改めて眺めると片側だけしか利用されていないホームを覆う上屋は美しくそして立派である。利用状況を考えると、やはり「バブリー」という言葉が浮かんでしまう

3分でちはら台駅に到着

島式ホームで到着した列車は折り返していくが、右側にスペースと線路が見える

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ちはら台の由来

このスペースは将来の延伸に備えたもの。2面3線のホームにして優等列車の待避を行う計画だった。「千葉急行電鉄」なので当然、速達列車は走らせることになっていたが、当駅までしか線路がない「暫定開業」では、すべて普通列車で運行せざるを得ず、幻の存在となりつつある

そこには千原線の使用されないホームで見た映画館の広告が

線路は先に伸びているが、もちろん途中で終わっている

駅の位置については駅の案内図が分かりやすい

千葉市から市原市に入ってすぐの場所に所在していることが分かる。といっても徒歩ですぐ千葉市に入ってしまうが、路線内で唯一、千葉市にない駅そして京成電鉄で唯一、市原市にある駅となっている

開業は1995年(平成7)。千葉寺からの延伸で線路はここまでやって来た。92年に千葉寺まで開業した後、延伸が3年もかかったのはJRの外房線をパスするなどの難工事が続いたためだ

そのちはら台は市原市と千葉市にまたがるニュータウン。前記事の「生実(おゆみ)」とは異なり、新しく作られた地名。ひらがなだとピンと来ないかもしれないが、乗車してきた京成千原線の漢字表記を見れば分かる。「千葉」と「市原」にまたがるので「ちはら」となった

市内にある飛び地の駅

1日あたりの利用者数は5991人で千原線5駅(千葉中央のぞく)の中では最も多い。このあたりまで来るとJR外房線ともかなり離れ、代わりに内房線の線路がやって来るが、駅はいずれも遠く、さらには延伸予定だった区間からの利用者もある

改札を出てみる。改札口の前にファミリーマートがある

そして駅舎は各駅で繰り返してきたが、こちらも立派なものだ。奥にマンションが見える。先述した通り、緩急接続も予定していた駅なので力は入っている。コンビニがあるにもかかわらず居並ぶ自販機だけ見ても、1日5000人の利用の駅の規模ではない数だ

大きすぎて入りきらなかったが、右側の部分は

こんな感じ。豪華な柱に支えられている

駅前のロータリーも広々としている。計画的に駅と周辺の開発が行われたことが理解できる。マンションがあり、その向こうには戸建ての住宅も見える

人口26万人で千葉市内はもちろん、都内への通勤もある市原市に所在する駅だが、市内を走るJR路線や小湊鐵道との接続はない飛び地駅となっている。小湊鐵道とつながる予定がつながっていないので当然といえば当然の話だが

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わずか6年で破綻した東京への通勤圏の都会路線~重厚な高架駅と片側だけ使用のホーム

※訪問した2025年1月16日時点の情報です

また見る光景

おゆみ野駅に到着。こう見ると普通の風景だが、頭上を見てほしい。「電車が来ます」の文字の下に「千葉中央方面」「ちはら台方面」の文字が見える

これは千葉寺駅でも見たもので、電車が去ると

このような景色が目に入ってくる。ここにも主(レール)のいないホームがある

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おゆみ野とは

おゆみ野駅は1995年(平成7)の開業。当時の千葉急行電鉄が大森台~ちはら台を開通させた時に設置された。おゆみ野とは千葉市内のニュータウン。江戸時代に当地を治めていた生実藩が地名の由来。現在はひらがな表記が正式な地名となっている

一帯は市内で最も爆発的に人口が増加した場所で、住居表示もおゆみ野にとどまらずおゆみ野有吉、おゆみ野中央、おゆみ野南と区域が広がる。ただ爆発的に人口が増えた割には当駅の1日の利用者数は5575人とそうでもない。ホームが片側のみで事足りる現実がそれを物語っている。おゆみ野の中心駅は外房線の鎌取駅だ

おゆみ野駅から徒歩約30分に位置する鎌取駅は、JR移管時の1日の利用者数は現在のおゆみ野駅より少なかったが、それこそ爆発的に利用が増え、現在は3万5000人を超える。そのような利用者数を想定していなかったのか、1面2線の島式ホームはラッシュ時は人であふれて社会問題化しているほどだ

こちらは2年前の12月の写真だが、16時前の時間帯でも人がひっきりなしに歩いている。駅前にはイオンとマンションが並ぶ

それに対し、おゆみ野駅の駅前ロータリーは、かなりのどかであるに

高架駅と用地取得時の苦労

ただし駅舎の立派さは鎌取駅に負けていない

バブリーという表現は謹んで重厚という言葉を使うが、外観も凝っている高架駅はまるで新幹線駅のようでもある

千葉急行電鉄の構想はかなり以前からあった。計画したのは小湊鐵道で、五井駅で国鉄(当時)への乗り換えを行う千葉市内や東京方面への乗客をごっそりいただいてしまおうと、海士有木駅から分岐する形で千葉市内へダイレクトに向かう路線の免許を取ったのが1957年のこと。ただ1957年といえば、まだ戦後10年が過ぎたころで沿線には「ごっそり」というほど人口はいない。そもそも五井を含む木更津から蘇我へ向けた内房線が電化されたのは、それから10年以上を経た1968年のこと。まだまだ農村地帯だった

塩漬けにされていた免許が効果を生みそうになってきたのは、さらにその後。70年代終わりごろから、おゆみ野をはじめとするニュータウン開発が始まった。ここが好機と免許を引き継ぐ形で京成電鉄(小湊鐵道は京成グループのひとつ)を中心に第三セクター千葉急行電鉄が結成されて工事が始まったが、用地買収や、まだ山が多かった沿線の工事に時間がかかった。工事中に世の中はバブル時代に突入。各土地代のほか、各駅の規模を見ても分かる通り工事費が高騰。ようやく1992年に開業したころはバブルも終焉しつつあり、経費がかかった分、高めの運賃設定をせざるを得なくなった。その一方、バブル崩壊でニュータウン開発も鈍り、都内へ向かう利便性に勝る蘇我駅や鎌取駅など沿線の客足はJR各駅へと向かい豪華な設備だけが残ることになった

おゆみ野駅の入り口部分。券売機のスペースが多めに確保されていることが分かるが、利用客の数もさることながら、時代はIC乗車に移行していて、券売機を利用するのはチャージ目的ぐらい。券売機のスペースそのものが過去の鉄道遺産になりつつある

「おゆみの」と言われて漢字を想像しろ、と言われて「生実」と答えられる人はほとんどいないなぁ、と思いつつ、終点のちはら台駅へと向かう

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わずか6年で破綻した東京への通勤圏の都会路線~学園前の名前を先にもらった駅の行方

※訪問した2025年1月16日時点の情報です

早々に駅名が決まったワケ

学園前駅に到着。こちらは交換設備があり、すれ違いが可能な構造となっている。千原線の前身である千葉急行電鉄は1992年(平成4)に千葉中央~大森台を開業させ、大森台以遠は1995年に開業となった。つまり当駅から先は今年で開業20年ということになる

千原線の駅は5駅(千葉中央のぞく)で、うち3駅は、いかにもニュータウンといった駅名がついていて、残る駅は千葉寺そしてここ学園前。千葉寺は名刹の名前であり地名だが、ここ学園前は地名ではない。想像が付くように学園があるから駅名となった。すでに計画段階で駅名は与えられていた

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学校は来ずもキャンパス風駅舎

と、このように書いていくと話の行方を推察されてしまうようだが、結果的に当地にやって来るはずの大学は来なかった

駅を降りると、すぐの場所に千葉明徳学園がある

だから駅名としては十分その通りだが、千葉明徳学園は昭和の時代から当地にあり、駅名が付いた際には別の大学の誘致計画が存在した。それが前提の「学園前」だった

ただ大学は来なかったとはいえ、駅舎は

大学のキャンパスと時計台を思わせる豪華なもの

同じ千葉県内のユーカリが丘線には来るはずの女子大が来なかったものの駅名はそのままという女子大駅があるが

利用者数が異なることもあって、こちらは随分かわいい

まさにバブリー

電車を降りて改札に向かう際の眺めだが、ガラス越しに光が降り注ぐ華やかな構造

駅舎を横から見ると、このようになっているが、こちらも美しい。ここまで千葉寺、大森台そして学園前と3駅を紹介してきたが、日常的に私鉄を利用している人がいれば、私鉄の駅舎を思い起こしてほしい。大手の私鉄でも特にターミナル駅や優等列車が停車する駅でない限り、こぢんまりした駅舎が多いものだ。大きめの駅舎を持ち合わせているのは駅舎内に飲食店などの店舗が入居していることがほとんどだ

千原線は普通のみの運行で20分間隔の運行。大手私鉄の路線ではあるものの、単線運行されているぐらいなので幹線扱いではない。各駅の利用者数も3000~5000人台で京成電鉄の全駅では下から数えた方が早いぐらいだ。店舗もコンビニぐらい。利用者数もすっかり死語となった言葉だが、どの駅舎も「バブリー」な豪華駅舎。この後にも残り2つの立派な駅舎が出てくる

幻の学園前誘致となった駅名がそのままの学園前駅だが、学生の利用はもちろん多く、京成電鉄の発表によると2024年度の1日あたりの利用者数は5794人で、ちはら台の5991人に次いで5駅中2位の数字となっている

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わずか6年で破綻した東京への通勤圏の都会路線~ユニーク外観に秘めた力内蔵の初期終着駅

※訪問した2025年1月16日時点の情報です

すれ違い可能な構造

千葉寺駅から隣駅の大森台駅へと向かう。前記事でお伝えしたように、千葉寺駅はホームは2面あるものの1面は使用されておらず、事実上の棒状ホーム。行き先を間違えないよう次に来る列車の行き先が表示される。「経営破綻」「単線棒状ホーム」というワードが並ぶようだが、千葉駅と同じ千葉市中央区にある駅なのだ。都市の規模から、極めて多い数字とはいえないが、千葉寺駅も1日に5000人に近い利用がある。運行は20分間隔なので、上下線兼用のホームには1時間に6本の列車がやって来る

そして2分で大森台駅に到着である

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千葉市唯一の「地下駅」

ホームの様子を見て分かる通り、当駅はすれ違い可能な構造だ。そしてもうひとつ感じるのは地下駅の風情。千葉市内の鉄道に地下駅はない。ということで、当駅が唯一の地下駅ということになるのだが、厳密に言うと掘削した場所にホームを設けた半地下のような構造だ

ホームの端の部分を見るとよく分かる。ホームが途切れた場所には陽が降り注ぐ。それでも階段を昇って改札口に出るので、地下駅ということにはなる

そして改札を出た出会う駅舎は

かなりユニークな構造。まさにかまぼこである

道路からやや低い場所に駅舎がある大森台駅は1992年(平成4)の開業。千葉急行電鉄の駅として開業した。千葉中央から当駅までが先行開業ということになり、3年間は終着駅だった。その距離わずか4・2キロで途中駅は千葉寺のみ。結論から言うと95年にちはら台までの全10・9キロが開業。その後、さらに延伸されて小湊鐵道の海士有木(あまありき)駅まで延伸される予定だったが、事業は中断(中止ではなく計画そのものはまだ生きている)。現在の形のまま98年に京成電鉄に引き継がれることとなった。千葉急行電鉄は三セクで京成が株主だったので事業譲渡はスムーズだった。京成千原線のスタートである

駅が持つ秘密の力

このかまぼこ型の駅舎には理由がある。ドーム状の屋根は単に珍しい建物にしようとしていたわけではなく、電気融雪装置が設置されているためだ。私は地元の人間ではないので気候については何も言えないが、いくら半地下構造の駅とはいえ、千葉市内の駅で融雪装置とは、なかなかすごいと思う

駅前は狭くて車を止めるには適していない。それもあってか暫定開業の終点駅という歴史も持ちながら、千原線の5駅(千葉中央のぞく)の中では利用者数は最も少ない3422人(2024年度)

こちらは改札部分。朝の8時前の様子だが、駅を利用する地元の方は20分に1本というダイヤ(8時台は4本)から、時間を合わせて向かってくることもあって人の数は千葉市の他駅の同時刻とは、やや異なるようだ。自動改札機が2台並んでいて、ご覧の通り台数は増やせるようになっているが、しばらくその予定はなさそうである

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わずか6年で破綻した東京への通勤圏の都会路線~豪華な駅舎と列車の来ないホーム

※訪問した2025年1月16日時点の情報です

外房線と併走した後に到着

千葉中央駅を出た千原線はしばらく外房線と併走する。間もなく車窓にJRの本千葉駅が現れると、外房線をオーバーパスして千葉寺駅へと到着する

これは乗車した電車が出発する場面だが、出発を待つかのようにお客さんがホームに昇ってくる。駆け込み乗車をいる様子はなく、確信を持ってホームに来ている

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駅名標だけの主役の来ないホーム

その理由は電車が去るとすぐに分かる

向かいにはレールのないホーム

角度を変えるとこのような感じ

映画館の広告と駅名標があるだけ。上屋の構造は立派だが、鉄道の主役たる列車は来ない。この光景こそが千原線を象徴、代弁するものだ

駅のホームが棒状化しているのだから、線路はもちろん単線。千葉市中心部と直結する路線ながら、単線なのである。ただ付け加えると、複線化できるように用地は確保されている。つまり複線化に備えて施設を設けながら、活用されないまま30年以上が経過しているという事実を持つ。地方のローカル線に乗車すると、かつてのすれ違い可能駅が棒状化された場面に普通に出くわすが、ここは「複線化できるのにされていない」路線である

駅名は名刹から

開業は1992年(平成4)の4月1日。千葉中央~大森台の2区間4・2キロが開通した際に設置された。駅名は名刹千葉寺と周辺の地名から

「せんようじ」という読み方があることを初めて知った。名刹とあって駅も含め、周辺の住居表示も千葉寺で、もちろん「ちばでら」である

駅の目につく場所に棒状ホームだという注意書きがいくつか見られる

もちろん未使用ホームには入れないようになっているが、初めて駅を訪れる人(がどれぐらいの割合でいるのかは分からないが)は、棒状ホームに驚くのではないか。千葉中央駅から1駅目なのだ

この記事を読んでいらっしゃる方には普通のことだが、鉄道に興味のない都会育ちの都会暮らしの方はローカル線で走る単行運転車両に度肝を抜かれるという。もっと言うと、駅というのは2つのホームがあるものだと信じているところさえある

そもそも駅そのものが

このように立派な構造だからだ。改札口に入るとホームが上り下りを共有しているとは、とても思えない。建設に当たったのは鉄建公団。駅だけでなく線路の構造も含め「ほー」と感じるものばかりだ

利用者数が…

千葉寺駅の1日の利用者数は4736人。さすがに人口98万人の千葉市の中心部にある駅とあって、数百人というわけではない。ただ付近の駅と比べると、その差は歴然

JRの蘇我駅だ。従来からの外房線と内房線の分岐であることに加え、国鉄末期からの京葉線延伸で主要駅となった。単純な距離だと1キロほど。どちらも利用できる人で都内を目指すなら、蘇我駅を選ぶ。蘇我駅の1日あたりの利用者は6万人を超える

千葉大学病院から千葉寺駅を通って蘇我駅に至る路線バスもあり、朝のラッシュ時には1時間に4本、昼間も2本のバスが運行されている。運行するのは京成グループの小湊鉄道と京成バス

駅前のロータリーは計画的に造られたもののようだが、バス停に屋根はなかった

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わずか6年で破綻した東京への通勤圏の都会路線~朝の千葉駅から

※訪問した2025年1月16日時点の情報です

季節感合わずに約1年待機

時系列としてはこの記事の翌日となる

そのうち記事化と思っていたら、あっという間に季節が巡り、季節感が合わなくなってしまったと思っているうちに1年近くが経ち、また冬がやって来てしまった。この時にお世話になった「サンキュー♥ちばフリーパス」を今冬も利用しようと思っているので駆け込み更新。1年近く前の話なので情報に変化があれば、ご容赦ください

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100万都市直結にもかかわらず

スタートは朝7時過ぎの京成千葉駅。都心へと向かう人の流れはすでに始まっているが、千葉駅付近に通勤通学する人の姿は少なく、隣接するJRの千葉駅の活気に比べると様子は異なる。駅の状況を説明すると、当駅から都心へ向かうには京成千葉線に乗車して京成津田沼駅での乗り換えが必要。千葉線は普通のみの運行で、朝の時間帯は直通の京成上野行きも出ているが、普通なので上野まで1時間以上もかかる。そのまま都心まで乗車する人はほとんどいないだろう。つまり都内への利用者は圧倒的にJRの利用である。そのあたりの背景も考慮しながら、この後の記事を読んでいただきたい

こちらは京成千葉駅のホーム。向かいの京成津田沼へと向かう乗り場はすでに人の列ができ始めているが、千葉中央方面へのホームは逆方向とあって人もまばらだ

私が乗車するのは千葉中央を経てちはら台駅へと向かう京成千原線。厳密に言うと千原線の起点駅は千葉中央だが、すべての列車が京成津田沼とを直通で結んでいる。京成千葉と千葉中央の駅間はわずか600メートルで歩いても行ける距離。帳簿上は千葉中央が千葉線の終点であり、千原線の起点駅。なぜ千葉市の都心部に2つの京成の駅があるのかについてはJR(国鉄)も含めた歴史的経緯があるが、長くなるので今回は割愛して目的の電車に乗ろう。今から乗車するのは京成千原線。人口98万人と、ほぼ100万都市と直結する路線ながら、前身の会社がわずか6年で破綻した千葉急行電鉄を引き継いだ路線である

破綻当時は千葉市の人口はまだ90万人程度だったが、それにしても東京まで通勤圏内の県庁所在地駅から直接乗れるたった11キロの路線が平成になって開業から6年で破綻というのは、ちょっと考えられない。正確に言うと、1992年(平成4)に部分開業。95年に現在の形となってからわずか3年での破綻である。以前から1度訪れてみたいと思っていたので、京成が参加したサンキューパスはちょうど良い機会となった。各駅を巡ってみることにした

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1日2000円の元を簡単にとれる北総鉄道~その6 まとめ「瞬時に運賃も回収でき楽しい半日でした」

※訪問は2025年1月15日

千葉駅まで移動してきた

新鎌ケ谷で再び新京成に乗り換え千葉まで移動。初めて千葉駅北口で降りてみた(写真は翌朝のもの)。千葉駅といえば多くの人が足早に移動するイメージがあったが、あまりにも静かな場所でちょっと驚く。最近、チェーン店ホテルはこのような場所に建てられることが多い

こちらは印旛日本医大駅の運賃表。千葉駅まで成田湯川駅から頻発しているバスで成田駅まで行っての道程もチラリ頭をよぎったが、サンキュー♥ちばフリーパスを使えば「タダ」なのだから、ここは一度新鎌ケ谷まで出て新京成線経由で千葉へと向かうことにした

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高額運賃の都市伝説

今回、北総鉄道と成田空港スカイアクセス線で下車した駅は千葉ニュータウン中央以東の4駅。新鎌ヶ谷を起点なしているので、2日間乗り放題で3970円というサンキューパスの1日のノルマである2000円をこの区間だけで軽く回収できたことになる

北総鉄道の高額運賃を巡る逸話は関西に住む私でも度々耳にしていた。定期代が10万円もするため「財布は落としても定期は落とすな」。子どもの通学定期代が家計に負担となるため「電車通学でなく市自転車通学」「子どもが高校進学のタイミングで転居」などなど。都市伝説なのか実話なのかは分からないが、あまりの高額に民事裁判が起きたり、沿線自治体の首長が運賃値下げの依頼を公言したのは事実である

都内で勤務する私と同じ年の友人がいた。結婚と同時に千葉に居を構え、子どもができたタイミングで賃貸から持ち家への移行を考えた。30年ほど前の話だ。都心まで1本、一軒家の価格としては手頃ということで北総鉄道沿線へ転居することを考えたが、自分は会社からの定期があるからいいものの、家族がちょっと移動するだけで何かとお金がかかるし、それこそ子どもが都内の学校へ進学したら大変だと断念。千葉市郊外のマンションとした。その際、千葉に長らく住む親族の言葉がダメ押しになったという。「あの鉄道そのものが、いつまであるか分からんぞ」

運賃が高いどうこうより、当時はそのように見ていた人も地元にはいたというエピソードである

現実に当時の千葉ニュータウンの状況を見ると、当初は34万人を見込んでいた人口が増えず、半分に下方修正したものの、それでも伸び悩み、現在もそこまで至っていない。北総鉄道の業績が上がらない要因のひとつとなっていた。また建設に伴う土地取得がバブル期と重なってしまったため、建設費がかさみ2000年には累積赤字が400億円超まで膨らんだ。また小室以東の千葉ニュータウン鉄道が第三種鉄道事業者になっている部分で、北総鉄道が千葉ニュータウン鉄道に支払う線路使用料が年間25億円にもなることも高額運賃の理由とされた。成田空港スカイアクセス線の開業後、京成電鉄が千葉ニュータウン鉄道に支払う使用料が4億円にも満たなかったことで批判も受けた。25億円という金額の設定については、当初は利用客の少なかった路線の運賃収入をすべて使用料とする、いわば弱者救済のシステムだったが、利用が増えるとともに高額になったものだ

経営の改善から住みやすい町へ

経営難問題はスカイアクセス線の開通から上向き始めた

現地でよく分かったのはアクセス特急の乗客の多さだ。平日の昼間にもかかわらず、スーツケースを持った多くの人が、スカイライナーではなく追加料金無料のアクセス特急を利用している。京成電鉄からの線路使用料が北総鉄道にも入るようになり、千葉ニュータウンの人口も少しずつ増えて累積赤字は2022年に解消。また千葉ニュータウン鉄道へと支払う使用料も一定金額へと変更された。鉄道会社の多くが値上げに踏み切る現状で2022年に値下げを行ったことは特筆すべきこと。特に通学定期に関しては60%を超える値下げで(元の値段が一体いくらだったのかとツッコミが入るレベルだ)、全国区のニュースとしても大きく取り上げられた

それでも首都圏で多くの人を運ぶ鉄道会社のものとしては、運賃はまだまだ高く、さらなる値下げを求める声は多い。私なんぞはフリーパスなしでは、二の足を踏んでしまう料金である。ただ運賃値下げもあり、印西市は各種の「住みやすさランキング」で千葉県内の上位を占める都市となっている

JRの津田沼駅で降り、新京成電鉄の新津田沼駅から新京成、北総鉄道、成田空港スカイアクセス線と巡った旅、なかなか充実した1日だった。実は翌日も京成に乗車したが、それについてはまた別の機会に

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1日2000円の元を簡単にとれる北総鉄道~その5(番外編) 気になっていた「成田」駅へ

※訪問は2025年1月15日

印旛日本医大から1駅

印旛日本医大駅から成田空港方面へと1駅。成田湯川駅で降り立った。印旛日本医大から成田空港方面はすでに北総鉄道ではない。京成電鉄の成田空港線(成田空港スカイアクセス線)のみの駅となっている。その意味では北総鉄道のシリーズに組み込むのは正確には間違っているが、改札の外に出ることなく訪問でき、しかもサンキュー♥ちばフリーパスでともに訪問したということで番外編として紹介させていただく

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気になる駅も運賃に尻込み

印旛日本医大駅や印西牧の原駅は駅の発車案内や方向幕で繰り返し見せられるため、気になる駅だった。当駅は別の意味で気になる駅だった。こちらは千葉ニュータウン中央駅の路線図を拡大したものだが

印旛日本医大から先のスカイアクセス線にある「空港第2ビル」「成田空港」はどのような駅か想像がつく。しかし、その手前にある「成田湯川」はどんなところなのか。以前から気にはなっていたのだが問題がある。経費の問題だ

当駅からの最低運賃が成田湯川までの470円。空港や京成本線方面からはさらに高い。日暮里と京成上野からの料金は1210円もする。長らく悩んでいたところ、サンキュー♥ちばフリーパスに京成が参加の報せ。これまで北総鉄道は参加していたが京成は参加していなかったため、これは朗報だ。次のサンキューパスから京成が離脱しては困る。ここは新京成、北総鉄道とともに一気呵成の訪問となった

利用者数69駅中67位の立派な駅舎

念願かなった成田湯川駅の駅舎は大変立派なものだった。開業は2010年(平成22)で、京成電鉄の駅では最も若い

改札口は広くとられている

コンコースも広く、改札から2つのエスカレーターを乗り継いで(エレベーターもあり)3階にあるホームへと向かう。写真の左手を見れば分かるがステンドグラスも使用されている。成田高速鉄道アクセスという会社が第三種事業者として施設を保有する

という豪華な施設を持つ駅だが、2023年の1日あたりの乗降客数は1495人で、これは京成電鉄全69駅のうち67位の数字。注意点としては69駅の中には北総鉄道と共同で使用する印旛日本医大や千葉ニュータウン中央などの駅のアクセス特急、スカイライナーの利用者数もランクインしていること。68位は印旛日本医大の1388人だが、実際の駅の利用者数はもっと多いので、駅そのものの利用者は実質下から2番目となる(最下位は大佐倉駅の311人)

運行の重要駅

当駅の特徴のひとつとして

停車するのは特急だけという事実がある。いずれも追加料金の要らないアクセス特急。そのため本数は少ないものの、印旛日本医大方面の列車に乗れば、必ず乗り換えなしで都心まで連れていってくれる。空港方面は説明不要

時系列は逆になるが、ホームに上がると対向式の2面ホームの間にホームのない通過線がある。まるで新幹線駅のようだが、通過線を走るのはスカイライナー。160キロという高速走行を可能にするための措置。そのまま本線を行けるように分岐器は日本最大級のものとなっている

スカイアクセス線は当駅から成田空港方面が単線となっているため、アクセス特急の待避は当駅でしか行えない。またいざという時のために印旛日本医大方面からの列車は当駅で折り返しが可能となっていて運行上は重要な役割を果たす駅となっているのだ

駅の隣にはJRの線路が

駅を降りると路線バスの姿。主にJRの成田駅と結ぶものだが1時間に2本から4本と数は多い

駅までは4キロもなく、バスはニュータウンの中を通るためグルリと回るが、車で真っ直ぐ行けば10分もかからない距離で近い

近いといえば、ホームの下をJR成田線の我孫子支線が走る。たまたま駅前にいると電車がやって来たので分かったが、予備知識なしで訪問してぼんやりしていると気付かないかもしれない。とはいえ、ここにJRの駅はない。最も近い駅は下総松崎で線路だけなら2キロを切る

ちなみに「松崎」は「まんざき」と読む難読として知られる駅だが、住居表示としては下総松崎駅が成田市大竹、成田湯川駅は成田市松崎である

スカイアクセス線で唯一の単独駅として興味深かった成田湯川駅。このようなブログを連日書いていると1日の利用者が一ケタとか限りなくゼロという駅も決して珍しくないというか、感覚がマヒしているところがあるが、周辺は静かながら千人以上の利用がある駅だということをあらためて強調しておこう。とにかく訪問して良かった

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