※訪問は2025年7月11日
駅員さんの出迎えを受ける
田んぼアート駅から2駅弘前方面へと戻る

到着したのは津軽尾上駅。駅舎へ向かうと駅員さんが迎えてくれた。弘南線も大鰐線と同様、多くは無人駅だが、途中駅にも有人駅があることが大鰐線と異なる点である

こちらはホームから駅舎へと入る際の改札口の様子
ただ後で分かったことだが、駅員さんがいるのは11時まで。私の乗った電車が到着したのが10時52分なので、この日最後のお勤めだったことになる。改札口の写真は無人駅状態になってからのものだ
渋い忘れ物案内

こちらが改札口ときっぷ売り場。すでにカーテンで閉ざされていた。その右手には

黒板の忘れ物案内。今も利用されているのかどうかは分からないが、現役であることは間違いなさそうだ。定期券の発売も行っているようだ

外に出ると大きな駅舎だということが分かる
鉄路が届いて約100年
津軽尾上駅は1927年(昭和2)の開業。当時は尾上村。間もなく尾上町となり、平成の大合併で平川市となった。弘南弘前(弘前)から当駅までが開業した。当地付近には奥羽本線や川部と黒石を結ぶ黒石線(後に弘南鉄道が引き継ぐが現在は廃線)が走っていたものの、弘前の隣町にあたる現在の平川市一帯は鉄道空白地域となっていた
このため大正期から鉄道敷設の運気が高まり1927年の開業となり、津軽尾上駅は終着駅となった。弘南鉄道のスタートである。弘南鉄道には弘南線と大鰐線があるが、もともとは弘南線のみの路線で、大鰐線は経営難となった弘前電気鉄道という別会社を引き取ったもの。同じ会社でありながら接続駅がないのもそのため。だから路線名も弘南鉄道弘南線と同じ言葉が2つ続く形となっている。同じ会社の路線でありながら、各駅の雰囲気は異なっている
昭和初期の開業で当初はSLによる運行だった。電化は戦後になってから。戦時中そして戦後の物資不足により、石炭の入手が困難になったことが理由で、終戦からわずか3年の1948年に電化が達成された。青森県で初の電車が走った。そして1950年に津軽尾上から黒石までが延伸。現在と同じ形となって全通した。つまり1927年から23年もの間、当駅が終着駅だったことになる。さすがに開業時からの駅舎ではないと思われるが、規模の大きさはそのため。弘南線といえば弘前と黒石を結ぶ路線のイメージがあるが、成立と時期は多少違う

正面からでは分かりにくいので横から見るとこんな感じ。かつてはスーパーが入居していたという
周辺はかつての尾上町の中心部
駅から街が広がる

こちらは駅前の周辺案内図
再び駅舎へ入ると

広い空間が広がっていた
あと2年で100年を迎えるかつての終着駅である
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