JR

新幹線単独駅巡り再び~「基本駅」へ徒歩でも可能

白石蔵王駅の縦駅名標

2023年3月2日10時30分

読みは「しろいし」

仙台から1駅南下し、白石蔵王駅で下車しました。つい「しらいし」と読みがちですが「しろいし」です

駅名で想像できるように東北本線との対応駅は白石で、しかもかなり近い

歩いても20分かからないので車だと瞬時に着いてしまいます。白石蔵王駅は基本的に1時間に1本の停車で、バスも同じぐらいのペースで運行されているようです

利用者数では白石が圧倒

こちらは駅舎です

改札でのお出迎えもあります

白石市は宮城県南部にあたり、鉄道的にも福島県と接する場所にあります。南下すると福島県との県境には越河越えという難所の峠越えがあり、鉄道泣かせでした。越河と書いて「こすごう」と読むのは、なかなか言い得て妙で、仙台から東京への鉄路として常磐線経由が重宝されてきた理由にもなっています

白石蔵王は東北新幹線開業時にできた駅ですが、福島~仙台は約80キロと長すぎることから、峠を越えたここに新幹線の駅を設定することになりました

ちなみに福島までが35キロ、仙台までが45キロと福島の方が近いのですが、とにかく険しい峠となっていて、白石はその中継地となって栄えました

仙台からの在来線は白石までは昼間は1時間に2本の運行ですが、白石から先の福島方面への県境越えは1時間に1本。冬場は運休も多い区間で、運行面でも白石が終点となり、あらためて福島方面へ乗り換える形が多い

このように仙台への通学通勤圏の東北本線の南端ともなっているため、駅の利用者は白石駅が白石蔵王駅を圧倒しています

北海道の同名駅との深い関係

ではなぜ同じ場所に新幹線駅を設置しなかったかというと、ルート的に川幅が大きくなっているところを渡ることになる上、線形が悪くなるのを避けたからのようです。またコース的に在来線と新幹線が交差する地点がありますが、こちらは市街地から離れすぎている上、新駅設置のコスト面もあって想定されませんでした

駅では、このように歓迎してくれます。片倉小十郎重綱が大坂の陣で真田幸村と激闘を繰り広げ、最後は敗れることになる幸村の子供をかくまったという逸話があります

その片倉氏は仙台藩の白石城城主として幕末まで続きますが、明治維新の際にその家臣が北海道に移住。その地が札幌市の白石です。宮城県と北海道に同名の白石駅があるのは偶然ではありません

1982年の東北新幹線開業時からの駅だけに

古典的な文字案件も残ります

白石蔵王駅は単独駅ながら管理駅として白石駅も管轄しています。ただ訪問時には

このようなお知らせもありました

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新幹線単独駅巡り再び~鉄道開業150周年記念パスファイナル

仙台駅の駅名標

2023年3月2日7時

東北新幹線の駅を回る

ようやく暖かさを感じ始めた3月に入ってすぐ。大阪空港から仙台に向け飛び立つ

昨年10月と同じ行動。仙台行きでは空港内のバスに揺られてタラップを上がるという経験ができます

今回利用するのは、その時と同じ「鉄道開業150周年記念 JR東日本パス」。ただ今回は「ファイナル」のタイトルが付けられています

きっぷの中身は前回と全く同じでJR東日本が新幹線も含め3日間、乗り放題。JR東日本が管轄するBRTや東北の三セクの一部にも乗車できます。お値段は2万2150円

今回は東北新幹線の単独駅を中心に降りたことのない新幹線駅訪問を目指します。昨秋、北陸新幹線や上越新幹線で同様のことを行った時にも記しましたが、駅巡りをする課程で最もやっかいなもののひとつが新幹線駅。本数の少ない閑散ローカル線は「手段」という意味で難しいのですが、こちらは「金銭」という面のアプローチが難しい。そしてドル箱なんで、当然といえば当然ですが、JR各社も新幹線まで乗り放題というきっぷは、なかなか出さないものです。乗車券部分のみフリーで新幹線代は別に出してください、というものがほとんどです

それが今回、昨秋に続き、また同様の企画きっぷをリリースするという。しかも「ファイナル」。これは利用の一手でしょう

うまい具合にというか、航空会社のマイレージで3月で期限を迎えるものが、かなりあって、どうしようかな、と思っていたところだったのです。ちょうどよいきっかけにもなりました。目指すは東北新幹線。関西に住んでいる者としては、こんな機会でないと、時間的にも金銭的にも訪れることが困難になる駅が多いのです。利用するなら、きっぶの利用期間の最初である3月2日からと決めました。こちらはすでに報告しましたが2月21日に、伯備線特急やくものパノラマカーに乗車して、豪雪と厳寒に遭遇したばかりですが、それから急に暖かくなっていました。もう春の足音。さすがに大丈夫でしょう(という考えが大いに甘かったことを後で思い知らされる)

240円を節約

仙台空港に到着。昨年10月と全く同じ便なので仙台空港アクセス線への乗り継ぎ所要時間も分かっています

サクサク乗り込みます。ただ当時と異なるのは

ここ名取で下車したこと。名取駅はアクセス線との接続駅。アクセス線はもちろん仙台まで直行しますが、駅名板を見ていただければ、お分かりのようにJRの駅です。常磐線の乗り入れもあって重要度も高く、1日に万単位の利用者があります。もちろん、みどりの窓口の他に券売機もある

無事発券できました。なぜわざわざ名取で降りたのかというと

こちらは仙台空港駅のものですが、アクセス線はこのきっぷの対象外のため、別料金が発生します。発券の駅までは別料金で行くしかないので仙台まで行くと660円かかるのに対して名取で発券すると420円で済む。つまり240円の節約。随分とセコいですが、道中お世話になるだろう缶コーヒーを2本飲めるのでバカにはならないのです。前回は仙台での乗り継ぎがギリギリだったので660円支払わざるを得なかったのですが、今回はしっかり節約です

実はこの発券、コロナ禍前に仙台を訪れた際、仙台近郊のフリーパスを購入した時も同じ行動をとりました

とうことで仙台駅の新幹線ホームへ。まずは北上するのではなく南下からスタートします

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阪和線の日根野以北を足早に回る~最終項…頭端駅が美しい天王寺

天王寺駅の駅名標

2022年12月8日12時30分

面影を残す

今回の旅の終着駅である阪和線の天王寺(公式には阪和線の起点)に到着です

梅田付近から和歌山や関西国際空港に直接向かう人は環状線を通って、そのまま阪和線に直通するため、意外と降りることが少ないかもしれませんが

天王寺を起終点とする電車は、こちらから出ます。ご覧の通り頭端構造。阪和電気鉄道のなごりというか、同社の駅だったので頭端式となっています。私鉄の大型ターミナルだったわけです

南海との合併を経て戦時買収

阪和電鉄は戦時体制そして戦争によって大きく運命が変わります。まず私鉄の再編によって南海と合併したのが1940年。元々が南海のライバルとしてできた会社ですが、国策ということで同じ会社となり「南海山手線」と改称。しのぎを削ることはなくなりました

さらに戦時中の1944年に今度は南海山手線の部分が「戦時買収」で国鉄となり、現在に至ります

鉄道国有法がすぐ有名無実化したことは以前に触れましたが、この戦時買収は有無を言わせず国有化するもので「買収」とは名ばかりの強制的な国有化でした。仙台から松島へ向け、JRの路線が2つある不自然さも仙石線が戦時買収によるものだから(東北で唯一の直流方式なのもそのため)です

日本中で多くの私鉄が国有化されました。ただターゲットが物資運搬色の強い路線だったため、阪和線や南武線のようにその後、ドル箱路線になったのは大都市圏周辺のごくわずかで、後に廃線になったものや国鉄を経て引き継いだJRが「もうやめたい」と言っている加古川線や小野田線のような路線が多いのも事実

特筆すべきは飯田線で山中を細々と走るローカル線が、なぜ立派に電化されているかというと複数の会社を戦時買収したからで、戦時買収というものがなかったら、今ごろは廃線となっているかもしれません

話は少しそれますが、この1944年には「国からの要望」と、これもまた半ば強制で南海は大阪から三重県まで幅広いエリアを持つ「関西急行鉄道」という会社と合併して新会社「近畿日本鉄道」が発足しました。戦後、南海は同社から離脱して元の形となりますが、会社名は残りました。言うまでもなく現在の近鉄です

ライバル心が発展に寄与

こちらは鳳駅(2021年3月撮影)。阪和線唯一の支線である羽衣支線が発着します

こちらは東羽衣駅(2021年3月)。「東」とつきますが南海の羽衣駅と同じ場所にあります。詳細は以前、別媒体でも記したので簡単に触れておくと、2キロにも満たない鳳~東羽衣の1区間は今や、JRと南海を結ぶ貴重なアクセスとなっていて乗り換えの案内放送もされていますが、もともとはそんな立派なものではなく、当時東洋一と呼ばれた浜寺の海水浴場の集客に目をつけた阪和電鉄が「客を奪ってしまえ」と南海の線路手前まで強引に1区間のみを敷設したもの

なかなか無茶苦茶な話ですが、和歌山まで高速列車を走らせて沿線では遊園地造営に宅地開発、温泉、さらには南海沿線にある競馬場や海水浴場での利用客争奪と、阪和電鉄は、存在したわずか10年の間に「ありとあらゆる手段」で企業努力をしていたことが、よく分かります

その功績は和歌山駅の現在などにも象徴されています

阪和線へのアクセスは容易すぎるほど容易で和歌山まで15分に1本の電車が走っています(昼間の和歌山への直通はこちらのホームからは出ていませんが)。天王寺の頭端式ホームからスタートして三角屋根の駅舎をはじめ、いろいろな歴史を見ながら鉄路をたどってみるのはいかがでしょうか

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阪和線の日根野以北を足早に回る~難読過ぎて読めるようになった駅

百舌鳥駅の縦駅名標

2022年12月8日12時

漢字3文字読み2文字

百舌鳥駅に到着しました

読みの方はというと

「もず」。漢字3文字なのに、かなにすると2文字。もちろん日本で唯一。当然のように難読駅として知られていますが、鉄道にちょっと興味がある人は、意外と誰でも読める。さらに言うと関西では鉄道に興味がない人も読めます

理由の一つ目は漢字3文字で読み2文字という、特別な読み方でクイズに出されすぎたから。難読駅クイズでは定番となりすぎて読めるようになった人が多いのではないでしょうか

理由の二つ目は関西限定となりますが、南海、泉北高速鉄道、地下鉄御堂筋線と3路線の「中百舌鳥」という駅があるからです。南海と泉北高速鉄道は相互直通運転をしていますが、泉北高速鉄道の線内折り返しもあり、駅のアナウンスではかなり聞かされます。そして昭和の終わりごろには大阪の地下鉄で圧倒的に利用者の多い御堂筋線(かつては日本一でもあった)の終着駅となり、こちらは表記は「なかもず」とひらがなではあるものの、これだけ連呼されると誰でも覚えます。終着駅となっているゆえに誰でも読める駅というのは他にも存在しますが、ラッシュ時は1時間に10回も聞かされるのですから知名度は抜群です

ちょっと年配の方だと、かつてプロ野球南海ホークスの練習場があったため、こちらもニュースでよく流れて読めるようになっていると思います

100種類の声を出す鳥の名前

そもそもが日本中のどこにでもいるモズという鳥の名前なので、そちらから読める人もいるかもしれません。なぜ「モズ」が「百舌鳥」になったかというと、モズは求愛行動の際、いろいろな鳥の鳴き真似をするそうで、それが100種類もの声を持っている、との伝承から「百舌」となり、そのうち「鳥」を付けないと何の名前か分からない、と3文字の漢字が充てられるようになったとか

では、その100の声を持つ鳥が、なぜ地名になったかというと、これは堺市のHPで説明されています

「日本書紀に次の有名な話が見えます。『仁徳天皇が、河内の石津原(いしつのはら)に出向いて陵の造営場所を決め、工事をはじめたところ、突然、野の中から鹿が走り出てきて、工事の人たちの中に飛びこんで倒れて死んだ。不審に思って調べてみると、鹿の耳から百舌鳥が飛び出し、鹿は耳の中を食いさかれていた。このことから、この地は百舌鳥耳原と呼ばれるようになった。』百舌鳥や鹿のことは、百舌鳥耳原という地名が先にあって、それを説明するために後で考え出された、地名起源説話の一つだと思われますが、これから見ると、このあたりは大昔は石津原と呼ばれていたようです。しかし、いつ頃から、また、なぜ百舌鳥と呼ばれるようになったのか、よく分かっていません」

とにかくかなり古くから百舌鳥という地名にはなっていたようです

そして、日本書紀に登場する仁徳天皇の陵が世界文化遺産にもなった日本最大の古墳である仁徳天皇陵です

住所も独特

電車を降りて改札に向かうと

大変分かりやすく案内があります。大仙公園は仁徳天皇陵と履中公園に挟まれた場所にある都市公園です(世界文化遺産は仁徳天皇陵を含む「百舌鳥・古市古墳群」が指定されていて、堺市だけではなく羽曳野市、藤井寺市にもエリアとなっています)

案内はこれだけかと言われそうですが、これは駅前の地図の方が早く

駅前はまさに仁徳天皇陵と大仙公園。駅名も最初は「仁徳御陵前停留場」でした

駅を降りると大きな解説板があって、とても分かりやすくなっています

そして駅の住所は

「もずせきうんちょう」と、難読+難読。しっかり読みを入れてくれています

なお百舌鳥駅は仁徳天皇陵最寄りの西口(上りホーム)と逆側の東口(下りホーム)とは別々の改札でホーム内の移動はできなくなっています

東口はかわいい入口となっています

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阪和線の日根野以北を足早に回る~阪和電鉄最後の駅

富木駅の縦駅名標

2022年12月8日11時30分

意外な難読駅

富木駅に到着しました。「とのき」とは、なかなか読めません

こちらの駅の特徴は東西で大きく表情が変化することです

こちらは東口。阪和電気鉄道独特の三角屋根が、かわいい形で残っています

1940年の開設。阪和電鉄では最後にできた駅です。というのも、阪和電鉄は戦時体制で一度、南海に組み込まれ、戦時中に国営化されたからです

駅は1940年3月に開業し、阪和電鉄は同年12月に南海に吸収合併されたので、阪和電鉄の駅だったのは、わずか9カ月間でした。もちろん阪和電鉄が望んでライバルの南海に吸収合併されたわけではありません

駅ができたのは宅地開発のため。わずか10年しか存在しなかった阪和電鉄ですが、最後の最後まで企業努力をしていたかと思うと、なかなか複雑なものがありますね

他の主要駅もすぐそば

後から設置された駅のため、お隣の快速停車駅である鳳までは1・2キロしかありません。鳳は堺市で富木は高石市ですが、鳳側からの車両区の線路が富木のすぐそばまで来ています

高石市内では南海の主要駅である羽衣駅にも近い。また地図で分かるように周辺はビッシリ住宅街。阪和線沿線の他駅の多くの例と同様、当駅の開設時は取石村でした。阪和線が人工増加に大きく寄与しています

東西で異なる表情

当駅の特徴は東西で駅舎の表情が大きく異なることです

東口は前掲の写真の通りですが西口は

随分と近代的。それもそのはずで、こちらの駅舎は2011年の完成と、まだ10年ちょっとしか経っていません

これも阪和線の特徴ですが、ほとんどの駅は降りるとすぐ踏切があります。それこそ「村」だったころは、それで何の問題もなかったのですが、沿線人口が増え利用者が増加すると「開かずの踏切問題」が各駅で発生します。大阪中心部に近づけば近づくほど電車の種別も本数も多くなるため、これは深刻な問題で、まだこの案件を抱えている駅は多い

そこで当駅では高石市が全額負担して新たに西口を設けました。阪和線の高石市内にある駅は当駅だけ(支線の東羽衣駅はかなり以前に高架化)なので、いろいろスムーズに行ったのかもしれません

西口ができたことで、それまで上下ホームを結んでいた地下通路は改札外の自由通路となって鉄道利用しない人も利用できるようになりました

踏切付近から駅を見ると、こんな感じ。近いのに渡れないというのは、やはりイライラしますね。まだ西口完成から10年ちょっとということで駅には多くの注意書きが目立ちます

板で覆われた部分が自由通路化されたところ。上下ホームが別となったことによる注意喚起

自動改札手前の、あらゆる目につくところに文字が見られます

ただ開かずの踏切のイライラは解消され、こんな文字もしっかり掲げられています

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阪和線の日根野以北を足早に回る~人の名前ではありません

北信太駅の駅名標

2022年12月8日11時10分

神社の参拝道

北信太に到着しました

駅名標で分かる通り「きた・のぶた」さんという人の名前ではありません。「しのだ」と読みます。なかなか読めない

東側、西側と両サイドに改札があり、無人となっている西口を出ると

すぐに鳥居がお出迎えしてくれます

駅が設置された1932年は「信太村」でした。地名の由来となった「信太森神社(葛の葉稲荷)」は至近

最初に駅が開設した時は「葛葉稲荷停留場」の駅名で、阪和電気鉄道の和歌山までの全線開業後に設置されました。駅の位置といい、参拝目的の駅だったことは明らかです

伝説を伝える

メインとなる駅舎は東側にあります

1日に1万人が利用する直営駅で、みどりの窓口は営業を終了しているものの、みどりの券売機は設置されています

こちらは東口の改札。東西改札ともすぐホームに入れるようになっているので便利です。かつては上り、下り両ホームは地下通路で結ばれていましたが、現在は両ホームが独立した形となっていて上下ホームの往来はできません。かつての地下通路が東西自由通路となっていて駅を利用しない人も踏切待ちを避けられるようになっています

その東口には「葛の葉 子別れ」の絵画があります

「平安時代の陰陽師として知られる安倍晴明は、信太の森の白狐(葛の葉姫)を母として生まれたという。葛の葉稲荷はこの「葛の葉伝説」ゆかりの地として広く知られている。境内にある楠の巨木、「千枝の楠」(市指定天然記念物)は、白狐が姿を隠したという伝説をもつ。また、白狐が葛の葉姫に変化したとき姿を映したという姿見の井戸や、狐が化かしたと伝えられる白狐石などがある」(和泉市HPより)

歌舞伎や人形浄瑠璃以外でも、この伝説は多くの作家や漫画家の方が題材として取り入れています

周辺道路を整備

駅前にはこのような案内がありました

今回、いくつかの駅で見たのは駅前の道路整備、駅の改良でした

阪和電鉄が設置した駅はどこも私鉄風で狭い駅前が多く、多数の利用者がある駅では車の流入もしづらくなっています。また駅近くの踏切も利用が多い時間帯は人と車であふれているので、その改良もあるのでしょう。阪和線沿線では快速停車駅から駅及び駅前の改良工事が開始され、もう次の段階に来ているようです

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阪和線の日根野以北を足早に回る~参拝と競馬で発展が始まる

久米田駅の側線は保線車用

2022年12月8日10時50分

新出口を建設中

久米田に到着しました。ご覧のように保線車が停まっています。現在は2面2線ですが、かつては2面4線だったため、ホーム横に側線が残っていて、そのスペースを利用しています

保線車の傍らでは

工事が行われていました。訪問時の昨年12月時点のもので、現在はさらに工事が進んでいると思われますが、明らかに新しいで出口を設置しようとしています

保線車側から撮ってみましたが、こちらの方が分かりやすいかもしれません

駅前は参拝道

久米田の駅舎です。いかにも阪和線の駅、という私鉄テイストあふれる駅は久米田寺への最寄りともなっています

駅を出るとすぐ参拝道となりますが、その分、手狭で逆側にも出口をということになったのかもしれません。利用者は1万人を超える駅で

しっかり、みどりの窓口もあります

競馬集客にも参加

新出口の工事中と思われる方向には、かつて春木競馬場がありました。現在、大きな公園となっています

どちらかといえば、南海の春木駅からすぐの競馬場だったのですが、とにかく集客に熱心だった阪和電気鉄道は、久米田からも十分に徒歩圏内だ、ということで競馬客輸送も「参戦」。臨時列車の運行も行いました

駅舎はどう見ても阪和電鉄ならではの私鉄の空気感なのですが、財産票は国鉄になった戦後のもの。大がかりな改築があったのでしょうか

手前部分の駅名板が乗っかっているあたりは、増築か最初からのものか分かりませんが、駅名板がなければ、普通に家ですね

跨線橋の文字。駅名を強調して文字間隔を空け、1段目も2段目も同じ長さにできる万能ぶりが、とても気に入りました

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阪和線の日根野以北を足早に回る~私鉄の面影を残す

東佐野駅の駅名標

2022年12月8日10時

開業時に付けた地名が今も残る

熊取から1駅。東佐野に到着です

2面2線構造

三角屋根の形はおそらく阪和電気鉄道時代からのもの

屋根は瓦になっているようですが、これは近年生まれ変わったもののようです

最初の駅名は「泉ヶ丘」。戦時中に国鉄になった際、現駅名となりましたが、これは阪和電鉄が宅地造成するために付けられた駅名で、和歌山までの全線開通後から10年近くが経過した1939年に開業しました。まるで現在の新興住宅街のような地名ですが、戦時体制に入りつつあったこの時期にも宅地開発での集客をしようとしていたことが分かります

駅の現在の住所は泉ヶ丘1丁目。駅舎側の住所は、ずっと泉ヶ丘が広がっていて宅地開発が身を結んだ形になっています

ちょっとおしゃれな構造

業務委託駅で営業時間は決まっているものの、窓口はあります。改札は簡易式のIC方式

和歌山方面の下りホームには小さい階段でそのまま入ります。大阪市内方面へは跨線橋で向かうのですが

改札からホームへの階段は、扇状でちょっとおしゃれな構造となっています

私鉄駅の色彩が色濃く残る

続いてお隣の和泉橋本駅へ。阪和線は元私鉄らしく駅間が短いのが特徴ですが、先述した通り、後から東佐野駅(泉ヶ丘駅)ができたため、特に駅間が近くなっています

線路沿いの道路はないようで、徒歩や車だと回り込む必要があるようですが、レールだけだと駅間はわずか1・5キロ。出発したと思ったらすぐ到着してしまう感覚。歩いても30分かからないとグーグル先生は教えてくれますが、もちろん歩きません。電車は15分に1本来るのですから

あっという間の到着

駅舎は、いかにも私鉄らしいもので駅からすぐの踏切と駅前の狭い道路と商店街も、私鉄を感じさせてくれます

改札は開閉式のものが設置されています。東佐野より圧倒的に利用客は多いのですが

みどりの窓口の営業を終えた2015年から設置されていた、みどりの券売機も昨年8いっぱいで撤去されています。張り紙にその旨が書かれています。1日に5000人ほどが利用する駅でみどりの券売機まで営業を終えるのですね。これはちょっと驚きでした。ただ定期券を買える券売機は残されています

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阪和線の日根野以北を足早に回る~近年まであった鉄道国有法

熊取駅の駅名標

2022年12月8日9時50分

関空以前からにぎわう

和歌山で宿泊した翌日は大阪市内へ戻りつつ、いくつかの阪和線駅訪問を行います。紀州路(関空)快速は和歌山から、ここ熊取まで各駅に停車した後は快速運転となるので渋めの駅が中心となる私は区間快速に乗り換えとなります。朝のラッシュ時の終わりあたりから日根野始発で運行が始まり、昼間はここ熊取が始発。鳳まで各駅に停車した後に快速運転となります(朝のラッシュ時は普通の運行)

おおよそ15分に1本の運行で、熊取からは紀州路快速と合わせると1時間に8本の電車が大阪に向けて出発するので、すっかり都会ダイヤです

熊取町は泉佐野市と貝塚市に囲まれた形になっている町で、昭和初期に阪和電気鉄道によって初めて鉄道がやってきました(当時は熊取村)。町内に駅はひとつしかないのですが、京大の原子力研究施設を設置することで快速停車駅に昇格。大阪中心部へのアクセスがグンと上がってベッドタウン化。ひとつお隣の日根野は関空への分岐駅となったおかげで大出世しましたが、当駅はそれ以前からにぎわっています

バスの案内にもある通り、平成になると大阪体育大学も移転。他にも学校が移転するなど、現在は人口4万3000人の「都市」へとなっています

南海が拒んだ鉄道国有法とは

南海が鉄道国有法による国鉄化を拒んだことは

この時にも触れましたが、日清戦争、日露戦争で鉄道の重要性を知ったこともきっかけになった鉄道国有法は、20年も経って昭和初期になると線路を造って収益を上げている私鉄各社にとっては「迷惑なもの」になっていました。せっかく自らの手で建設して育ててきた路線を手放してはたまらない、というわけです

国有化を避けるため、国鉄の狭軌ではなく最初から標準軌で敷設する会社もありました

ただ、この法律、ほとんど有名無実化しながらも何と1987年3月まであったのですから、そちらの方がむしろ驚きです。なぜなくなったかというと「国鉄が消えたから」。JRの発足で国有化しようにもできなくなったのです

戦後、GHQによっていろいろな法律が無効化されましたが、こちらは手つかず。そういえば戦時体制の「国策」で農地や食糧、住宅を統制する「営団」がすべて消えたにもかかわらず「営団地下鉄」は、「帝都高速度交通営団」という、名前だけ聞くと何のことやら想像もつかない名前で残っていました。戦時統制、戦時体制ではない、との理由でした。話はそれますが、営団地下鉄が残ったことで東京都は別に都営地下鉄を造ることになり、現在の地下鉄二重構造につながっています

私も世界中回ってはいないので断言とまではいきませんが、海外に行って分かるのは「私鉄がこんなにある国は日本だけ」ということ。米国については、ほとんどが民間のものですが、他国はほとんど「国鉄」です。国の重要インフラとしての側面が強く、現代においては保線や車両の管理など、金銭的に割に合わない事業のひとつとされているからだと思われます。その意味で現在の日本が「国鉄がない国」となっているのは、すごいことです。GHQが鉄道国有法を残したのは、そんな事情を知っていたのか、有名無実だった法だったのでスルーされたのかは分かりませんが

駆け足気味で北上する

駅前は大きなロータリーが広がります。こちらも阪和電鉄ならではの、こぢんまりした三角屋根駅舎が健在だったのですが橋上駅舎に変わっています

2面4線構造

コロナ前は1日2万人が利用する駅でした。コンコースも広くとられています

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阪和線、日根野以南は魅力いっぱい~私鉄から国鉄となって繁栄

和歌山駅の駅名標

2022年12月7日16時

高架線から和歌山駅へ向かう

紀和~和歌山間の高架区間の車窓は市内の様子が俯瞰できて楽しい

ただ高架区間はわずかで阪和線と交差する部分は昔ながらのアンダーパス。ここまで高架しようとすると和歌山駅そのものを高架化しないといけないので、阪和電気鉄道が造った堤築の下を行きます

和歌山駅に到着。夕方なので下校の高校生でにぎわいます。ただ紀勢本線である和歌山~和歌山市間に与えられたホームは和歌山線と同一面。メイン出口である西口に近い阪和線と紀勢本線のホームとは別となっています。阪和線と紀勢本線は特急をはじめ、直通運転が行われていますが、紀勢本線の終点である和歌山市駅へ向かう和歌山~和歌山市は支線扱いです

ちなみにこのホームには中間改札があるので青春18きっぷのシーズンは要注意

発展するJR駅

和歌山駅には東口と西口があり、メインは前述した通り西口です

写真は2018年のものですが、商業施設が入る総合ビルとなっています。また周辺は飲食店が並ぶ繁華街です

それに対し東口は

こぢんまりとしていて周辺に派手なネオンサインはありません(写真は2021年)

しかし近年、多くのホテルが東口に建設され、それに伴い飲食店も増えています。私も最近は和歌山に宿泊の際はもっぱら東口を利用します

このように和歌山駅周辺は発展を続けている印象があります

JRと南海2つの玄関口

さて和歌山市には南海の和歌山市駅という、もうひとつの玄関口があります

「暴れん坊将軍」で有名すぎる和歌山の中心は和歌山城で旧市街地はお城を中心にできています。こうして見ると、旧和歌山駅である紀和駅は街の外れにあり、紀勢本線も中心部を避けるように敷設されていることが分かります

徒歩ルートで表示しましたが、和歌山駅と和歌山市駅は車で10分程度。そしてお城へは和歌山市駅の方が若干近い。先に発展したのは和歌山市駅です。南海が紀ノ川を越えて和歌山市駅までやって来たのは1903年ですから、まだ明治期です。阪和電鉄が大阪から和歌山に到達したのは、それから約30年後なので、大阪から和歌山への「足」と「輸送」は南海が独占していたことになります(当時は車などないに等しい)

駅としての重要度も南海が上で、それはわざわざ終着駅だった和歌山(現紀和)から和歌山市駅へ1区間だけの路線が設けられたことでも分かります

ただ戦時買収で阪和電鉄が国鉄となり、戦後本格的に運用が始まると徐々に状況に変化が出てきます。東和歌山駅が和歌山駅へと改名された1968年あたりには戦後20年が経過して白浜や新宮に直接行ける国鉄利用者が増え、もともと複線電化のスピード優先で建設された阪和線の構造が通勤通学も含め、利用客増加に貢献することになります

2000年あたりから利用者も逆転が始まりました。つまり国鉄と一体化したことが繁栄につながったわけです

南海も挽回に

写真は2017年9月の和歌山市駅。この直前まで津や松阪といった近鉄の駅のようにJRと同一改札になっていたのですが、IC乗車が可能になったことを機に別の改札となりました

当時は105系。ただワンマンの2両編成、昼間は1時間に1本の運行というのは今とあまり変わりません

私が和歌山市駅を初めて訪れたのは15年ほど前と遅く、個人的なイメージで「JR駅より私鉄駅周辺の方がにぎやか」と思って和歌山市駅近くのホテルをわざわざとったのですが、ホテルで飲食店を尋ねたところ「繁華街はJRの駅近くですから」と言われるほど寂しい駅前になっていて驚いたことを鮮明に覚えています

和歌山のような歴史のある大きな都市で駅を中心とした繁華街が戦後数十年も経って「移動する」のは珍しいことです

こちらも2017年の写真。ターミナルビルの建て替えが始まっていました。こちらも1972年完成とは思えない大規模なもので、正面から駅に入る大階段はターミナルとしての威容を十分示すものでしたが、新駅舎が2020年にできました

和歌山の両玄関口の「新たな争い」が始まっています

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