JR九州

日豊本線の超閑散区間「人名シリーズ」~明るいうちの訪問は今だけ

上岡駅の駅名標

2023年6月30日15時40分

こんなに名前が続くとは

日豊本線の佐伯駅に来ました。前回ここに来たのは5月8日ですから、まだ2カ月も経っていません。前回は

翌日の宗太郎駅訪問の際、寄り道しています。この時は他の日程もあって、宗太郎駅のことで頭がいっぱいだったのですが、現地に到着してから気付いたことがあります

ここ宗太郎に向かう道中は佐伯を出発すると

経由地を表示するため、自動車訪問で表記させていただきましたが(線路は、ほぼ国道10号と並行しています)

佐伯→上岡→直見→直川→重岡→宗太郎

と宮崎県の県境にかけて大分県内の駅名はすべて人の名前にありそうなものばかり。「佐伯」「上岡」「直川」「重岡」は名字で「宗太郎」は名前。「直見」はどちらにもありそう。私の知っている人にも該当者が2人います。おそらく皆さんの周囲にも該当する方がいるのではないでしょうか

これはぜひ訪れてみたい駅です。重岡駅と宗太郎駅を合わせると「重岡宗太郎」になる、という話題に触れたことがありますが、これだとどんな組み合わせも可能です

ダイヤに絶句

ただ訪問にあたって問題となるのはダイヤです。まず上岡駅の時刻表が

こちら。随分とお休みの時間が長い。そして重岡駅となると、さらにその上を行きます

なんと延岡行きは1日1本の早朝のみ。佐伯方面へは1日3本。延岡行きについては、お隣の宗太郎と同じで佐伯行きは宗太郎駅にプラス1本。これはどういうことかというと、夕方以降に佐伯から重岡止まりの列車が2本運行されていて、うち1本は重岡で折り返しの佐伯方面大分行きとなり、もう1本は客扱いをしないで回送列車になるということ

恥ずかしながら「人名シリーズ」についてもダイヤについても宗太郎を訪問するまで全く知りませんでした。というのも、この区間は特急がバンバン走る日豊本線で電化もされています。閑散区間=非電化単線のイメージがあって「1日○本」で有名な路線は各地にありますが、その意味では死角になっているようで、おそらくそこまで有名ではありません(私の知識が足りないだけかもしれませんが)

日の出と日の入り

これは、そのうちにぜひチャレンジしなければならないな、と思っていたのですが、チャンスはすぐに来ました。出発の1カ月前となる5月の終わりに航空会社のタイムセールで大阪~長崎の格安チケットが入手できたのです。この時点では、まだ乗っていない西九州新幹線乗車と新幹線の各駅訪問を中心に長崎、佐賀、熊本、福岡の各地を訪ねようと思っていたのですが、出発の1週間前になって急きょ予定を変更しました

というのも時刻表を改めて見直していただければ分かるのですが、訪問時期がずれると明るい時間帯の各駅訪問が不可能になってしまうのです。これは宗太郎駅にも言えることで、せっかく日の長い6月に行くのですから、九州にはそうそう行けるものではないことを考えると、ここしかないだろう。調べると訪問予定日の日没予定時間は、さすが西国で19時30分と全く問題ありません。佐伯に宿を確保。道程の研究に入りました

すべての駅で乗降するのは、ほぼ不可能なのでバス路線や徒歩を検討。この区間の各駅は駅間距離が長く、特に重岡~直川は10キロ以上も離れています。さすがにこの区間の徒歩は無理。しかし本数は少ないながらも路線バスはあるようです

ということで当日の15時40分に佐伯駅前のバス停に向かいました

「直川振興局・宇目」方面への1日3本のコミュニティバスが命綱。うち2本は重岡駅まで行き、もう1本は直川止まり。既に重岡行きはありません。15時48分のバスに乗車します

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九州のフリーきっぷ~思わぬ結果が待っていた

宮崎神宮駅を出発

2つのフリーきっぷ比較

宗太郎駅やリニア実験線訪問で紹介している通り、5月8日から3日間、九州に行ってきました。正確には10日夜は別府に宿泊して3泊4日の行程ですが11日は別府港からフェリーで四国に渡ったため、実質は3日間。その間はフリーきっぷのお世話になります

利用で二択となったのは

旅名人の九州満喫きっぷ

ぐるっと九州きっぷ

どちらも3日間(旅名人-は3回)の利用で通年発売ですが料金や中身は異なります。まず「旅名人-」ですが、料金は1万1000円。いわばJR九州の青春18きっぷでJR九州の普通や快速が乗り放題。ただし新幹線や特急券には乗車には乗れません

こちらの大きな特色は路面電車や地下鉄も含め、九州のほぼすべての鉄道に乗車できること。どちらかというとJRだけでない利用に向いていて、昨年6月はJRはもちろん、松浦鉄道、島原鉄道、甘木鉄道、西鉄を利用。大いに元をとりました

もうひとつの「ぐるっと-」は1万4300円

少々値段は高くなりますが、新幹線や特急に乗車する場合も運賃は有効で、特急券を別に買えば乗車できます

写真があるのですから、今回はこちらを利用したわけですが、ちょっと悩んだのも事実。旅程は日豊本線の別府~都城の間にほぼ限られていて、この区間の運賃は5280円。言い方は悪いですが安すぎます。まぁ、降り鉄の行動として行ったり来たりを繰り返すので、何とか料金的には大丈夫だろうと予測。そして、もうひとつの大きな理由は宗太郎越えです。宗太郎~延岡間は早朝と20時台の1・5往復しか普通の運行がなく、宗太郎に行くのが目的のひとつですから、佐伯~延岡は必然的に特急利用となります

佐伯~延岡は運賃1130円、特急料金1000円で計2230円。この間を往復することになるので4460円が必要です。となると「旅名人-」で必要なのは1万1000円+4460円で1万5460円。「ぐるっと-」だと1万4300円+2000円で1万6300円となります。もっとも、これは他に特急利用しなかった場合の話で、出発時点ではもう少し特急に乗車する予定でしたので「ぐるっと-」の購入となりました

なお、こちらのきっぷには重要な注意点があり「ネット購入だと1万4300円、窓口購入だと1万5800円」と1500円も値段が違うこと。当日予約でも購入できますので、こちらはぜひ留意してください。現に私は大分空港へと出発する大阪空港での搭乗前に予約、購入しました

それでは実際の経路をたどりながら、普通運賃を支払った場合と比較します。往路は大分~都城、帰路は都城~別府を購入した上で途中下車する形になります。また戻る場合は途中下車駅からの往復または下車した駅同士の運賃が必要となります。経路上の途中下車だけで済んだ駅については運賃計算の対象から外しています

1日目

宿泊地・延岡

大分~都城 4840円

熊崎~下ノ江 往復210×2=420円

浅海井~日代 往復210×2=420円

計5680円(他に佐伯~延岡の特急券1000円)

2日目

宿泊地・宮崎

延岡~宗太郎 往復570×2=1140円

都城~別府 5280円

南宮崎~田吉 往復170×2=340円

計6760円

3日目

日向住吉~宮崎神宮 往復230×2=460円

東都農~高鍋 380円

高鍋~都農  280円

都農~東都農 210円

計1330円(他に延岡~佐伯の特急券1000円)

結果にがく然

ということで3日間の運賃は

1万3770円で560円の赤字

となりました。旅をしながら「少ししかプラスにならなかったかな」と思っていたのですが、まさかの回収できずとは。計算してみてビックリしました。長年、鉄道を利用していますが、この手のきっぷで赤字になった記憶はありません。行ったり戻ったりを繰り返せば運賃というのは、かさばるもので3年前の春にコロナ禍で青春18きっぷの権利を2回残して放棄した時も元はとっていたはず。負け惜しみですが、いちいち細かく運賃を払っていては小銭入れが重たくなって仕方ないので、その面倒がなくなったことでプラス思考に…と無理やり考えることにします(笑)

リニア実験線の南端にどうしても行きたくなり、もっと遠くまで特急に乗ることになっていた旅程を急きょ変更したこともありますが、がく然としています。まぁ上陸した四国で「帰ってきた四国満喫きっぷ」(3日間で特急乗り放題の1万500円)で大いに回収しているので旅全体としては大幅プラスですが、異なる会社で回収するのも複雑な心境です

考えてみれば「ぐるっと九州きっぷ」でありながら、全くぐるっとしていないのですから、このような結果もありかも。この記事を読んでいただいている皆さんも、旅程を組む際は、参考にしていただければと思います

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夢の原点、リニア実験線を訪ねる(終)

田んぼの向こうにリニア実験線の南端が見える

※動画音声注意

2023年5月10日10時20分

「最寄り駅」からの距離は?

都農駅に到着しました。小倉から298キロ。数字だけを見るとかなりのものです。北海道や九州はひとまとめの地図になるので、近く感じてしまうのですが、東京~豊橋とほぼ同距離。リニア実験線がかなり遠くにあるということが実感できます

駅名標です。都農町の中心駅で、かつては貨物輸送でもにぎわったことをしのばせるヤードが残ります

駅舎は6年前に新築されたもので、かつての駅の雰囲気を残す造りになっていて、駅名板の文字は明らかに国鉄文字

ここからリニア実験線の「南端」を目指すわけですが、距離的なものがさっぱり分からない。跡地の高架橋なんでグーグル地図に存在もしていない。日豊本線の車窓から見えていて私なりの推測では徒歩30分ぐらいでしょうか。駅前にタクシーがいれば乗ってしまって、30分以上の徒歩が必要なら現場で待ってもらおうとも考えましたが、残念ながら、いない時間帯でした

平坦コースということは判明

そこで都農駅で尋ねてみることに。朝夕の通勤通学時間帯に一部の特急が停車する同駅には都農町の観光協会が入っていて、都農町がきっぷ販売も委託しています

といってもリニア実験線の「終点」は、今や観光地でも名所でもありません。「30分あれば行けますかね?」と質問すると「う~ん、そのぐらいあれば大丈夫かな」との答えがあった後、突然現れた男の無茶なお尋ねに対し、事務所内で他の方にも聞いてくださいました

「車だとすぐなんで15分もあれば行けるのでは?」という回答もあり、結論としては30分あれば大丈夫ということ、そして予想通り現地までの道は平坦であることは判明。何気にこれが一番重要な情報です。前日の美々津駅からの徒歩コースでも分かるように、距離以上に坂のあるなしで難易度は大いに変わってきます。昨年訪問した名古屋の南方貨物線もすべてがほぼ平坦コースだったので、少々の距離は苦になりませんでした

感動の対面

ということで歩き始めます。道路は県道で歩道もあり、歩くのには問題ない。10分ほど歩いたでしょうか

遠くに構造物が見えてきました。感動の対面

後は高架の橋脚のふもとまで行けるかどうかですが、うまい具合に折れる道路がありました

手前に見えるのは日豊本線の線路で、ここをくぐると

ここがゴール、つまり南端。実験線ですから、前日の研究所の建物の場所とは異なり、唐突に高架が終わっています。都農からの電車までは余裕があるので時刻表で高鍋駅の特急の発着時間を調べて通過を待ちます

逆方向からは動画でどうぞ

太陽光パネルが並ぶ

役割が終わって四半世紀。実験線にはソーラーパネルが並んでいます。2011年から発電を開始しているので、すでに10年以上の実績。2008年に宮崎県と都農町が公募によって会社が選ばれました。他になかなか例を見ない細長い太陽光発電所となっています。実験線としては約20年だったので、あと何年かで太陽光発電所としての歴史が上回ることになります

リニアモーターカーは現在、東京~名古屋間の実用化に向けて工事が行われています。ここ宮崎の実験線は工事着工が1974年で利用開始が77年。ここ宮崎で夢の原点としてスタートしてから半世紀近くが経過して、ようやく商用化が見えてきました。最近は話題になることすら少なくなりましたが、太陽光発電所に姿を変えても、繰り返された実験の跡が、そのまま残っていることに意義があるのではないでしょうか

都農駅からは徒歩で15分でした。普通に歩ける距離です。そして今回の記事を書くにあたり、グーグル地図を開けたところ、史跡として「リニアモーターカー宮崎実験線跡」が記入されていることに気付きました。私の訪問時はなかったはずで、その後に記入されたのか、それとも私が気付かなかったのか。いずれにせよ都農駅からの道程が分かりやすくなったことだけは間違いありません

どのぐらいの訪問者がいるのか定かではありませんが、一応、駅に戻って観光案内所の方に「徒歩15分」であることだけは報告

何も知らないアヒルは遺構を背景に求愛中でした

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夢の原点、リニア実験線を訪ねる3

東都農駅に到着

2023年5月10日9時10分

昨日で完了のはずが…

リニア実験線訪問の翌日の朝、東都農駅で降りていました

前日の訪問時は実験線の基地を見られたことで満足。次の目的に向けて移動しようと電車に乗り込みました。もちろんリニア実験線訪問は完了です

ただ車窓を見ているうちに気持ちが変わりました。日豊本線に並行して走るリニア実験線。これって一体、どこで終わるのか?と食い入るように見ていると東都農駅と都農駅の間で唐突に終わっています

「終点を近くで見たい」

好奇心がふつふつと湧き上がってきました

前日は宮崎市内で宿泊。他に予定はしていたこともあったのですが「リニア実験線の南端を見に行くツアー」に急きょ変更です

朝に宮崎駅を出発。東都農で9時過ぎに下車しました

実際の行程はもっと南の宮崎から来ていますが、美々津と東都農は海にほぼ並行して線路が敷かれているので、その傍らをリニア実験線が走っています。線路だけだと4・4キロ。道路だと前回までに説明した通り、国道が少し離れた所を走っているため、約5キロ。ただ実験線は現役の路線ではないためグーグル地図には表示されません

かつては資料館でにぎわう

東都農は待合所のみの無人駅。戦後の1952年に営業を開始しています。両隣の美々津、都農はいずれも大正期の開業で歴史は新しい

一見、随分立派な「駅舎」があるように見えますが、そうではありません。立派なお手洗いです。かつては、ここに「リニア資料館」があり、屋上が見学施設となっていて、多くの人でにぎわいました。つまり「リニア最寄駅」だったわけです

今は施設も撤去され、もちろんリニアをお目当てに訪れる人もいません

ただ駅の跨線橋からは実験線を俯瞰できます

新緑の中、さっそうと車両が走れば格好いいのですが、ここには何も走りません。高架から顔を出して並んでいるのはソーラーパネル

田んぼの中を走る実験線なので周囲に高い建物はない。そのため東都農駅は、今も実験線を眺める一等地です

逆側にはのどかな風景が広がっています

ひとつ危ないことがあり、宮崎側からやって来た電車は待合室側のホームに到着したので、宮崎方面への電車は向かい側から出るものとばかり思い込んで待っていたら、その電車も待合室側ホームに入線してくる。すれ違いがない限り、駅舎側ホームのみ使用いるのは単線区間でよくあることですが、完全に油断していました

時刻表に番線が書かれていますが、完全に思い込みで跨線橋をひたすらダッシュ。乗り遅れたら1時間以上の待ち時間となるので必死です。もしかしたら私の姿を見かけて少しドアを閉めるのを待ってくれたかもしれません。ぜーぜー言いながら、お礼を言いました

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夢の原点、リニア実験線を訪ねる2

ここからリニアモーターカーの実験車が出発していた

2023年5月9日11時

田んぼに映える高架

リニア実験線は田んぼの中を突っ切っています。地元の方でさすがに知らない人はいないと思いますが、初見だと「この構造物は何?」と思ってしまうでしょう

ここからリニアの車両が飛び出していった

大阪万博の目玉商品

もう現実の工事が始まっているリニアモーターカーですが、超電導電磁石の仕組みを利用して高速列車を走らせる理論は、東海道新幹線の開発時にはすでにあり、後はどう実用化するかでした

世間一般に「リニアモーターカー」という言葉が浸透したのは1970年の大阪万博。日本館の目玉商品がこの模型。個人的な話となりますが、物心ついたばかりの私は両親に連れられ、3時間も並んだ末にようやく入館。その姿に目を見張った記憶があります。余話となりますが、世界各国のパビリオンが並んだ万博では日本館以外では、アメリカ館、ソ連館が大人気。1ドル360円時代の当時(学校で繰り返し教えられ、今も覚えているぐらい)は日本人が気楽に海外旅行に行ける時代ではなく、海外情報を生で体感できる万国博覧会というのは、現在よりはるかに注目度の高い一大イベントでした

当時は東西冷戦のまっただ中で、米国、ソ連ともに国の威容を誇示する重要なイベントでもあり、日本館を含めた3カ国のパビリオンはいずれも延々と並ばなければならないものでした。まだ10歳にも満たないころなので、それほど多くの記憶はないのですが、今も鮮やかに覚えているのはアメリカ館の「月の石」と日本館の「リニアモーターカー」です

地方に建設した理由

そのように一般にも言葉が広く知られるようになったリニアですが、単純に時速500キロを走らせればいいというものではなく、安全、安定の定時運行は当然の前提として黒字化しなければ意味はない。そのための具体的な実験が必要となります。国分寺の研究所で浮力など実用に向けた研究を経て、いよいよ実用に向けて動き始めた時に長距離の実験線の候補地として、「振動騒音」「電磁波」の問題が考えられるため、地方が良いとされ、地元も協力的であったことで、この宮崎の地が選ばれました

南方貨物線の項でも記しましたが、当時は社会全体が環境問題や騒音問題に目覚めたころで国鉄も場所選定には慎重でした

そして77年に完成したのが宮崎実験線。この7キロを利用した(すべてが完成したのは79年)開発と研究が続けられましたが、研究が進むにつれ、さらなる調査も必要となってきます。カーブもない直線だけのコースは勾配もトンネルもない。東京~大阪に建設するには、そんなことはあり得ないわけで96年に山梨の実験線にバトンを渡すことになりました

現在の姿はかなり風雪を経たものになっていますが、廃墟となっているわけではありません

鉄道総合技術研究所の宮崎実験センターとして施設の管理は行われています

夢のスタートは残る

宮崎の実験線では79年に最高時速517キロという、その後山梨の実験線まで破られなかった記録を達成。当時は大きなニュースとして取り上げられました

そんな時速500キロの夢が伸びています

電車の時間もやって来たようなので美々津駅へと戻ります。来た道なので帰路は分かる

この景色だけでもかなり満足できます。左奥に駅の跨線橋が見えます。その向こうには遙かな海。初夏の優しい風が心地よかった

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宗太郎駅に行ってきました(後編)

2023年5月9日6時40分

周辺には民家が数軒

宗太郎駅の駅名標です。山中の峠越えの駅だけに両隣の駅も7キロ前後離れています

駅からの俯瞰。奥に見えるのが国道10号。日豊本線はこの国道沿いに走っていて幹線国道だけに駅への訪問は比較的容易(ただし見る限り、国道からの道路は決して道幅は広くない様子)です

ユニークな地名

かつては駅舎が存在したと思われる場所にポツンと、きっぷの回収箱がありました。一応、ラッチ(改札)に囲まれています。年間にどれだけの切符が投入されるかは分かりません

この駅が有名なのは「宗太郎」という愛らしい駅名によるものも大きい。大分と宮崎の県境付近の峠越えは古代から交通の難所として知られ、江戸時代に管轄の岡藩(「荒城の月」で知られる豊後竹田城で有名)に命じられた洲本宗太郎という人が付近の調査、管理をしていたことにちなみ「宗太郎峠」と名付けられ、以降、列車や車の時代が到来しても難所の横断は宗太郎越えと呼ばれ続けています

記念碑や井戸も

駅は2面2線構造。1日1・5往復はあくまで停車列車の話で、当駅を通過する特急列車は終日バンバン走っています。そのため、佐伯~延岡間は特急の停車駅はないものの、すべての駅がすれ違い可能な構造です

駅の出入り口は小さな階段。ただ前述した通り、通過列車は多いため、上下ホームは跨線橋での移動が必要

跨線橋から見ると、長大編成のすれ違いに備え、構内の複線部分は大きくとられていることがよく分かる

駅入口側には

井戸がありました。現役ではない様子

跨線橋を渡ったところには

記念の石碑。手前まで入れるようになっているので近づくと

肝心な部分が歳月のおかげで読めません。左側にうっすら残る文字からは「大分保線事業所長」によるものだと分かりました。宗太郎駅は大正期に信号場として開設され、戦後間もなく駅に昇格。おそらくその時のものだと推察されます

駅の入口側とは逆側のホーム(延岡方面)には待合所がありますが、ここには駅ノート入れとともに石がズラリ。ひとつひとつにメッセージが書き込まれていて、風変わりな「駅ノート」となっているようでした

宗太郎駅に対するダイヤの誤解

駅を去らなければならない時間がやってきました。わずか15分の滞在。もう少しいたかったですが、さすがにこれに乗らないわけにはいきません

手元に2017年3月の時刻表(ダイヤ改正版)があります。当時は現在と同じ早朝の1往復のほかに南延岡発16時43分の佐伯行き、佐伯発17時14分発の南延岡行きがあり、それに乗車すれば17時20分に宗太郎に到着して18時10分に離れられるという、今の季節なら十分明るいうちに行動できる運行がありました。また夜の20時台も0・5往復ではなく1往復運行されています。それ以外にも南延岡から宮崎県の端にあたる市棚まで朝に1往復の設定がありました(ただし市棚からの折り返しが8時37分発で延岡着が9時1分と微妙に通勤通学帯からは遅い時間です)。それらの運行は2018年3月のダイヤ改正で姿を消し、現在のダイヤとなっています

宗太郎駅のダイヤについては多少の誤解があって、先日紹介した羽越本線にも存在した「普通列車も多くが通過する駅」と一部で思われているようですが、それは違って、そもそも運用がこれだけしかないのです。つまり宗太郎だけがクローズアップされるのであって宗太郎~延岡の5駅はすべて同じダイヤなのです

ただ少し驚いたのは延岡行きの宗太郎6時54分発の列車には数人の乗客がいたこと。今回の旅は青春18きっぷの期間でもないGW直後の平日という最も旅客の少なそうな日を選んでいます。宗太郎にやって来る時とは逆で1号車部分のみが開放されているため、車両の半分を占めるグリーン座席も座れるようになっているため(グリーン券は車内で購入のシステムだが、当然のように誰も乗っていない)、普通座席部分が狭くなっていることもあるのでしょうが、宮崎県に入ると駅に停車する度に通学の高校生が何人かずつ乗り込んできました

こちらは列車交換のために3分間停車した日向長井駅でホームに降りて撮影したもの

高校生は全員が延岡で降りていきました。延岡発の佐伯行きは20時7分発。高校生の帰宅としては、ちょっと遅い。おそらくコミュニティーバスを利用するのでしょうが、どうやって帰宅するのだろう?と思ってしまいました

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宗太郎駅に行ってきました(前編)

宗太郎駅の駅名標

2023年5月9日午前6時

早朝から注釈付き列車に乗車

前夜のうちに宮崎県の延岡に入り駅近くのホテルに宿泊

そして朝の6時には駅にいました。5月上旬ですが、西国だけに、まだ夜が明けつつある雰囲気でした

乗車するのは6時10分の普通佐伯行き。奥に見えているのは6時2分の宮崎方面行きで、今から乗車する電車とは違います。そもそも電車の形が違います

今から乗車する列車には注釈があって

何やら不思議なことが書いてあります。文脈だけを読み取ると4両編成で、そのうち1両にしか乗れないことになっている。2両編成で、うち1両が送り込み用の回送扱いというのはJR四国でよく見かけますが、4分の3が乗車不可というのは、あまり聞いたことがありません

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やって来たのは特急列車

間もなく乗車列車がやって来ました。6時6分南延岡始発の佐伯行き。なんと特急車両が運用に入っています

九州ではおなじみの787系。 1両分しか客扱いしませんが、車掌さんも乗車しています

30分ほどですが、優雅に特急車両の旅を楽しむことにします。1両分しかお客さんがいないので乗車状況は分かりやすい。南延岡はひとつお隣の駅で、ここからの乗車はなかったようで無人で入線。延岡から乗車したのは私を含め3人。一目で分かりますが、当の私を含め3人とも目的地は同じ「同好の士」です

宮崎県からしか行けない大分県の寝坊厳禁駅

普通という名の特急車両に揺られること30分。目的地の宗太郎に到着しました

延岡から25キロ。宮崎県から大分県に入ったところにある県境の駅。「宗太郎」という駅名と県境ならではの雰囲気に加え、1日の利用者が1人にも満たないことで鉄道ファンの中は知らない人がいないほど有名ですが、特筆すべきは時刻表

ご覧の通り、1日1往復半。しかも朝の6時台に大分方面と宮崎方面の列車が1本ずつあった後は20時35分の佐伯行きがあるだけ。延岡方面に至っては6時54分が始発にして最終電車です。日本中に閑散路線は数多くありますが、これはもう究極のダイヤ

時刻表もあまりに余白部分が多すぎて告知ボードのようになっています

そしてこれが何を意味するかというと、当駅を訪れようとすると私が乗車した列車に乗り、15分後の延岡行きで引き返すしかない。つまり大分県にあるにもかかわらず宮崎県からしか行けず、寝坊は絶対に許されない。もっと言うと、日常的に当駅に行く(人がいるかは不明)には南延岡~宗太郎間に住むしかなく、それ以外の地域からだとホテルが多数ある延岡に前日から宿泊するしかないわけです

なおバス路線ですが、大分県にあるため延岡側からのバスはなく、宗太郎のバス停は地元の方向けの予約制デマンド運行。県境を越えて1時間ほど歩けば延岡市のコミュニティーバスが来ていますが、週3回の運行で、なおかつ延岡まで直接は行けないという状況。また両隣の重岡、市棚両駅にも徒歩では1時間半以上かかる上、駅まで行ってもダイヤ的には変わりがない(重岡駅からは佐伯中心部まで行けるバスがありますが本数は少ない)ので、まさに「脱出困難」駅

貴重な15分間を堪能することにします

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島原鉄道で「あの駅」に行った 長崎~諫早

6月18日8時

長崎駅の今しか見られない光景からスタート

この記事は実質的に

超難読駅で感慨に浸る(大村線・南風崎)

の続きとなります

前日、大村線から長崎本線を経て長崎に到着した私は長崎電気軌道つまり長崎市内の路面電車を完乗。旅の3日目で最終日。「旅名人の九州満喫きっぷ」(もちろん長崎市の路面電車も乗り放題です)を手に長崎駅へ。長崎新幹線開業を3カ月後に控え、前夜感が漂います

長崎駅に来たのは14年ぶり。当時走っていた寝台特急「あかつき」が3月いっぱいで廃止になるというので2月に乗って訪れました。今では信じられないことですが、廃止まで2カ月を切っているにもかかわらず、乗車の1週間ほど前にみどりの窓口に行くと「どの部屋にしますか?」なんて窓口の職員さんとの会話があって早い話が選びたい放題。ある意味、当時の寝台特急の状況を物語っていますが、当時は地上櫛形ホームで終着駅の風情が漂っていました

今は高架駅

特急列車しかも電車特急が並んでいて、これはまさに今しか見られない光景です。並行在来線となって優等列車がなくなるのは全国で見られる光景ですが、架線も外して電化→非電化になるというのは驚きでした。経費がかかるので電化部分は貨物に任せ旅客運搬は気動車で、というのは各地で見られますが、せっかく張った架線を外すという例はなかなかありません

諫早へと向かう

ただ私のきっぷでは特急には乗れないので

奥の切り欠きホームから普通列車に乗り

30分ほどで諫早に到着です(写真は前日17日のもの)

こちらも前夜感いっぱいです(写真は17日のもの)

島原鉄道へ乗車

ただ私はJRの改札口から駅ビルを降りる形で別の改札となっている島原鉄道へと向かいます

ホームはJRと並んでいて直通運転をしていたなごりからか番号も順番に振り当てられています。島原鉄道は0番線の切り欠きホーム

明治以来という歴史を持つ島原鉄道の歴史パネルも展示されています

約1時間揺られ

到着です

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超難読駅で感慨に浸る(大村線・南風崎)

6月17日 12時

難読駅多し

大村線には難読駅がいくつかあります

佐世保線との分岐となる早岐そして彼杵。先に紹介した千綿もなかなか難しい。その中でも当駅は「超一線級の難読駅」となります

駅舎は

ご覧のようにコンクリート製。ステンドガラスが美しい。19世紀開設の古い駅ですが現在のものは戦後の2代目のようです。現在は無人駅

駅名板の下に解説があります

付近の港が有名だったとか。駅の住所は佐世保市南風崎町で地名です。「東風」と書いて「こち」と読むのは知っていましたが「南風」を「はえ」と読むのは知りませんでした

望郷の駅

読んでいくと最後の方に戦後、多くの引き揚げ者がこの駅から故郷に戻っていったという説明がありました

佐世保港に復員された方、引き揚げてこられた方は、近くに設けられた佐世保引揚援護局に一度収容され、数日過ごした後に当駅まで歩いて故郷を目指しました

ホームにも解説があるというので早速行ってみましょう

………

………

これはないでしょう。すれ違いによく使用されるようで現在ホームは千鳥状に造られています。ワンマン時にはお客さんが先頭車両から降りるため千鳥が便利です

改造工事のためか、長い編成がなくなったからか時期は私には分かりませんが、この位置のフェンスはどうなんでしょう?いたずらや落書き防止もあるのですかね

しかも草で覆われてこの角度からはしっかり読めません。こういうモニュメントはすぐ読めるようにした方がいいと正直思いました。いろいろ工夫してなんとか

佐世保港へ引き揚げてこられた方が140万人近くもいて、それが戦後4年半も続き、1147本もの引揚列車が当駅から運行されたというのはすごい数です

かつては貨物輸送も盛んだったようでヤードとなった引き込み線が、残っています。奥に見えるのはハウステンボスの社員寮らしい

千鳥になる前のホームだったであろう場所にはまだ駅名標が残っていて、この季節らしくあじさいが咲いていました

駅舎に戻って自販機の缶コーヒーで一休み。どうも昼間の時間は当駅ですれ違いを行うようで、列車で訪れると1時間待機することになるので、もし訪問される方がいらっしゃれば留意をお願いします

さてハウステンボス駅から歩いてくる道中、数人の方とすれ違いました。買い物にでも出かける様子で、おそらくハウステンボス駅が新設されたことで、南風崎駅を利用していた方の一部がハウステンボス駅を使うようになったのでしょう。てっきりハウステンボス駅はテーマパークへの訪問者だけが利用するものだと思い込んでいましたが、ちょっと違うようです。いろいろな発見が駅間徒歩ではあって、それは楽しみのひとつです

名残惜しいですが、列車がまだ新しいホームにやってきました

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先生の指示に反抗しての隣駅までの徒歩移動(大村線の誰もが知る駅と超難読駅)

6月17日11時半

ハウステンボス駅

ハウステンボス駅まで戻ってきました

テーマパークへの最寄り駅。誰でも知っていますね

来たのはいつ以来でしょう。とにかくハウステンボスは2回した訪れたことがなく、記憶が薄いのですが20年ぶりなんてものじゃない。とにかくかなり前です。ハウステンボスの開業に合わせて30年前に開業しました

みどりの窓口あり。全列車が停車します。1面2線ながらユニークな構造で

1面は行き止まりですれ違いはできません。この切り欠きホームは基本的に当駅始発特急「ハウステンボス」の折り返しに使用されます

ただ私は今回テーマパークに来たわけではなく、そこそこでお別れです

隣の駅が目的地なんですぐに向かいます。といっても列車に乗り込むわけではありませんよ。大村線は1時間に1本。地方の非電化区間としては運行の多い方ですが、また逆戻りする隣の駅に向かう列車も結構時間が空いています。しかしひとつポイントがあって今から向かう南風崎とはレールで1キロもないのです。戦前からの路線である大村線にテーマパークのため、平成になって強引に駅を設けたため、こんなことになりました。これは歩く一手です。千綿に向かう時、そして戻る時と目を凝らして車窓を見ていました。私は徒歩の予定がある時はいつもこのようにしています。距離数以上に坂の有無を見なければならないので。どうやら線路はほぼ国道と並行しているようです。これは分かりやすそう

グーグル先生、勘弁してください

早速グーグルを開いてみます

なんと徒歩10分。楽勝じゃん。しかも「ほぼ平坦なルート」と、ただし書きがあって心強い。国道に出るには橋の上にある駅舎から1度海と同じ面まで降りなければならないようです。もちろん軽快なステップで階段を降りましたよ

が、そこで見たものは

写真では分かりづらいかもしれませんが強烈な上り坂なんです。奥に小さく見えるのが国道

どこが「ほぼ平坦なルート」なんですか(怒)

確かに国道まで出れば平坦ぽいですが、これはねぇ。グーグル先生、勘弁してください(泣)

ひょっとして私が初手を間違えたのか?しかしもう遅い

ここで考える。季節は6月中旬の長崎県。盛夏とは言いませんが、かなり暑い。還暦前にこんな坂を登れるのか。いや絶対ムリ

もう一度地図を見る。海沿いに道があるじゃないか。これで行けるんじゃない?

ちょっと遠回りすれば行けそう。時間はたっぷりあるので、このコースにしましょう。坂を登るのはイヤですから

ハウステンボスの向かいを歩く。この光景も本当はなかなかいい。川のように見えるのは早岐瀬戸という有名な運河ですが、そんな余裕はありませんでした

初めて歩いて知ったのですが、こちら側は普通に住宅街なんですね。ずっと家が並んでいます。テーマパークの周囲は何もないと勝手に思い込んでいましたが、考えてみると明治時代からの路線沿いなんで、そんなことはないはずです

すると分岐に出くわしました。地図によると安全策なら海沿いを真っ直ぐ進んで戻る感じで行くと、駅に行けそうですが、こちらからも行けるかもしれない

では今度はナビタイム先生の出番です

立ち止まって検索すると、先の踏切を渡って右に折れると、すぐ駅、という導線が鮮やかに現れました

ナビタイム先生ありがとう~(うれし涙)

ということで無事駅に到着。さすがナビタイム先生や、なんてこの時は思っていましたが、後々書いていきますが、私はこの夏、ナビタイム先生に2度大変な目に遭わされます

目的の南風崎に着きました。文章の都合上、これまで漢字だけでさらりと書いてきましたが、これは読めと言われてもなかなか読めません。しかし超難読だからこそ、やって来たのです。深い歴史がある駅なんです

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