JR九州

宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~山中にある長年の終着駅で想定外の昼食

※訪問は2026年3月10日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)

宮崎だいすきポケモン号で

時系列を元に戻す。日南駅から向かったのは北郷駅である

たまたま乗車したのが宮崎だいすきポケモン号の車両だった

説明については前々回に記した

そしてこちらの駅名標も

特別仕様である

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志布志線の終着駅

構内踏切を渡って駅舎へと向かう。かなり規模の大きいログハウス調の駅舎である

中もきれいに整えられている。ただしご覧のように窓口は板でふさがれ無人駅

それでも大きな駅舎は癒やしである。すべての駅を訪問した後で分かったことだが、実は当駅が路線内で最も大きな駅舎を有する(南宮崎駅をのぞく)。タクシー会社が入居している

北郷駅は1941年(昭和16)10月の開業。間もなく米国と戦争という時期だった

北郷駅は飫肥駅から広瀬川に沿って北上した約8キロの場所にある。都城から志布志を経て当駅までたどり着いたここが志布志線の終点となった。そして1963年の日南線の開業まで20年以上にわたって終着駅だった

何度も繰り返しているように、日南線は旧宮崎交通線と志布志線をつなぎ合わせたものだ。そのためか港町の油津から内陸部の飫肥そして北郷からは、日向灘に出る必要があり、そのため当駅から北は山中にトンネルを掘って結ぶ必要がある。地図を少し拡大していただけると分かるが、当駅から強引に海へと線路が通っている

その北郷駅はかつての北郷町の駅。現在は日南市だが、日南市と合併したのは2009年(平成21)と最近のこと。駅舎は1996年に現在の姿となった

とんだやらかしから

そして私はここで、とんだやらかしをしていることに気づく

それはこのポスターから

当駅到着は11時4分で、11時28分の南郷行きで再び南下することにしていたが、その列車は特急だったのである。もちろん18きっぷでは乗れないし、さらに言うと、この特急「海幸山幸」は週末のみの運行で、そもそもこの日は運行がなかったのである。なんでこんな単純ミスをしたのか自分でもよく分からないが、北郷駅が海幸山幸の停車駅だということを知らなかったことによる勘違いのようだ

どちらにせよしばらく列車が来ないことだけは確定した。ただ幸いなことに12時14分の南郷行きがある。南宮崎方面は13時51分までないので、乗車は12時14分に決定。以降の道程はこれから考えよう

そしてこの時間に1時間の空きとなると、ちょうどランチタイムとしたいところだが、なかなかそうはいかない。駅前にはいくつか店舗はあるが、少なくとも私の訪問時の昼間は営業していなかった。だが調べると思わぬ幸運。すぐ近くに道の駅があるのだ

なんて素晴らしい

北郷駅を見ながら踏切を渡ると

すぐ到着。そして私は昨年5月の日田彦山線BRTでの体験で

遅ればせながら、道の駅ではお弁当が安く売られていることを覚えた

昨年はお目当てのレストランが定休日だ困った末に弁当販売に気づいたが、今年は何も考えずにお弁当へ。日替わり弁当580円。3月10日とともすれば、まだまだ寒い日もある季節だが、さすが南国。この時間帯は気温も15度を超えて外での食事もいい陽気だった

少し休憩して駅へと戻る

かつての終着駅で、貨物の取り扱いもしていたことから構内は比較的広い。国鉄末期まで荷物扱いもしていたようだ

思わぬミスから、なぜかすっかり満足。次の駅を目指そう

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~わざわざ内陸部に鉄路がやってきた

※訪問は2026年3月10日

日南駅の後は隣駅を優先的に

飫肥駅に到着の様子。ふだんは道中も大切な記事の要素にしているため、駅の紹介は訪問順にしているが、前記事で日南駅を紹介したからには、飫肥駅か油津駅の少なくともどちらかを紹介しないと話がうまく進まないので、訪問順は日南駅のかなり後になった飫肥駅を紹介する

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要衝、城下町として栄える

まずは予備知識がないと、なかなか難読である。難読駅には大きく2種類に分かれていて「漢字そのものが難しい」「簡単な漢字なのに思わぬ読み」があるが、こちらは前者。ただし飫肥藩、飫肥城で有名な地域でもあるので、知識がある方も多いはずだ

地名については平安時代の文献にすでに登場していて「火に負わせる」「細長い帯状の土地」「肥沃な土地」などの説があるようだが、土地そのものの特徴を表した後者の2つは町の発展に大きく寄与した

駅の位置は町の中心から川を渡った場所にある。地図だけで分かるが、酒谷川が「ひ」の字を描く場所にある。敷設の際は川を2度も渡ることが手間だったのと、すでに街ができていて線路が入り込む余地がなかった2つの理由が考えられる

この独特の地形が町を発展させた。まず都城と港町の油津を結ぶ中継地だった。ここから川を下ると油津の港に出る。川のおかげで土地は肥沃である。そして何よりも川が生み出す地形は天然の要塞として重宝された。豊臣秀吉が全国統一を果たすまで、伊東氏と島津氏が100年にもわたって攻防を繰り広げた100年戦争の場所にもなった。江戸時代から明治維新までは長く伊東氏の飫肥藩としての安定した治世が続き、交通の要衝として九州の小京都と呼ばれるほどの発展を遂げた

ここでようやく鉄道の話となるが、志布志から伸びてきた線路が飫肥までやって来たのは1941年のこと

日南線(当時は志布志線)は南郷から油津までは海沿いを走るが、油津から突然進路を山中に向かってとり、飫肥へと向かうのだが、飫肥は外すわけにはいかない重要な町だった

飫肥の駅舎も飫肥城を模した立派なものとなっている

市民のとった選択

そして前記事からの日南駅、油津駅との関係に戻る

市町村合併の際に飫肥町と油津町がもめ、折衷案としてその間にあった吾田駅に市役所を設置したのは、前記事で記した通り。2つの町が対立した結果の折衷案としては、動橋駅~大聖寺駅の間の加賀温泉駅(北陸本線)や西那須野駅~黒磯駅の間の那須塩原駅(東北本線)が有名だが、これはどちらの駅に特急を停車させるか、新幹線の駅を設置するかの対立に困った鉄道側も間に入っての案だった。それに対し、日南駅の誕生(改名)は市民、町村の話し合いによって生まれたもので、主役が異なる

こちらは駅舎内の様子。日南市の簡易委託駅でベンチとテーブルは飫肥杉を用いたもの

駅名板にも飫肥杉が利用されている

1950年という戦後間もない時期の市町村合併は、後の自治体合併のモデルのひとつにもなったという

当駅に来た時間はすでに夕刻になろうとして高校生が下校する時間にもなっていた

飫肥、日南、油津の3駅だけで、古代から現代までの歴史を学べるのである

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~駅と地域の成立を知る

※訪問は2026年3月10日

快速で1時間、日南駅へ

田吉での乗車から1時間と3分かけて日南駅に到着。田吉から乗車したのは快速「日南マリーン号」。当時は1日1往復の運行で下りは午前、上りは夕刻の運行だったが、現在は下りのみの運行となり、時間も20時台と旅人はなかなか乗車しづらい時間となっている。当時の停車駅は日南の手前の飫肥(おび)まで快速運行で飫肥以南が各駅停車だった。「降り鉄」としては途中の通過駅では下車できない列車なのだが、これを逃すと2時間列車がないので強制乗車となる。もっとも今回の旅の優先事項は日南線の鹿児島寄りの閑散区間なので一気に日南まで運んでくれる列車だ。ちなみに日南までの到達時間は普通よりも20分ほど早く着くことができる

ご覧になれば分かるが、かつては2面あったホームが今は棒状化されている

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駅名標に注目

下車してまず目をひくのが駅名標

随分と派手だ。これからもいくつかの駅で登場するので先に説明すると、「宮崎だいすきポケモン」に任命されている「ナッシー」と「アローラナッシー」を描いた列車が2024年12月に運行を開始。その際に7駅がキャラクター駅名標に変更された。サムネの駅名標は駅舎のホーム側に掲げられたものだ

日南駅の駅舎。基本形は昭和30年代の国鉄コンクリート駅舎だが、正面部分に飫肥杉を使用した駅名板を設けるなどして2020年に大幅なリニューアルが施された

駅舎内も美しく変更

日南市が簡易委託する有人駅できっぷ売場の窓口のほか、コミュニティースペースは待合室としても利用できる。さすが日南市の代表駅としてのたたずまい…と言いたいところだが「代表駅」との表現は微妙に違うかもしれない

紆余曲折の末の「日南駅」

その説明の前に、まずは当駅の歴史を紐解かなければならない。開業は1941年(昭和16)。国鉄の志布志線の一部として開業した。田吉駅の記事でも説明した通り、現在の日南線の北側は、かつての宮崎交通線の路盤を利用した区間だが、北郷~志布志はかつての志布志線区間となっている。志布志線とは1987年3月と国鉄民営化の直前に廃止された路線で、日豊本線の西都城と志布志を結んでいた。まず大正期に西都城と志布志が結ばれ、昭和になって志布志から北上するように北郷まで延伸された。当駅はその過程で設置され、駅名は「吾田」だった

戦後の1963年になって宮崎交通線部分と志布志線の北郷~志布志間がつなげられ、新たに日南線が誕生。そして全国で国鉄線が相次いで廃線となる中、志布志線は廃線となり、もともとは志布志線だった日南線の志布志以北は生き残るという運命をたどった。もし日南線が誕生していなかったら…という話である

そして日南駅のたどった軌跡も日南線とオーバーラップしてくる

日南駅を降りると大通りがあり、すぐの場所に日南市役所があるが、前述した通り、日南駅は開業時は吾田駅だった。それは吾田村に所在したからである。戦後間もなく周辺自治体同士の合併話が持ち上がった。その際、かつて城下町として栄えた飫肥町と漁港など経済の中心地として栄えた油津町との主導権争いとなり、どちらに役場を置くか、自治体名はどちらをとるのかで大いにもめた。最後は折衷案としてその間にあった吾田町(村から町となっていた)に役場を置くことで合意。1950年に日南市が誕生して2年後に駅名も日南駅と改められた。日南というのは日向の国の南という、その時に作られた新たな都市名。プロ野球のキャンプ地としてメディアに登場することの多い日南市だが、実は地名そのものから苦労と知恵を持ち合った産物でもある

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~25年の雌伏から復活した駅とスイトピー

※訪問は2026年3月10日

間に合わなかった場合は

宮崎空港から1駅。田吉駅に到着。宮崎空港線はわずか1・4キロの路線なので出たと思ったら着く。ただ前記事で記した通り、乗り継ぎを考えると、この電車に間に合ったことは大きな意味を持つ

もしこの宮崎空港発8時32分に乗れなかったら、どうするつもりでいたか。答えは簡単

約2キロの道程を歩くことにしていた。この区間は路線バスも走っているのだが、私の行程には合わなかった。目的の日南線列車の田吉発の時刻は9時20分なので時間はたっぷりある。ただ旅の最初に飛行機を降りていきなり徒歩というのは、ちょっとやっていない気がする。そもそも空港からの移動に徒歩という手段をとったことはなかなか記憶にない

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利用者少なく廃止も

田吉駅は公式には1996年(平成8)の開業。ただし1度廃止されてから四半世紀を経て復活した歴史を持つ。もともとは1913年(大正2)に宮崎交通線(当時は宮崎軽便鉄道)の駅として開業したので実は生誕から110年を超えている。今後の記事でも触れていくが、日南線の北側はかつて南宮崎(開業時の駅名は赤江)からの宮崎交通線の路盤を引き継いだもので、駅もおおむね引き継がれているが、1962年(昭和37)に宮崎交通線が1度廃止され、翌年に国鉄の日南線が開業すると、田吉駅も装いを新たに開業した。だが、利用者が低迷したことで、1971年には廃駅となってしまう。このまま時は過ぎていったが、1996年に復活を遂げる。同年に宮崎空港線が開業。その分岐駅としてカムバックしたのだ

無人駅で小さな待合室とも言っていい駅舎と島式ホームだけの駅。ここから志布志寄りで日南線と空港線が分岐するが、南宮崎からの日南線の電化区間はここまで。電車はあくまで宮崎空港線のもの

こちらが訪問当時の時刻表。宮崎方面は日南線と空港線の両者が乗り入れるので本数はもちろん多いが、これだけを見ると日南線も空港線も同じような本数に見えるが、空港線には田吉を通過する特急も走っているので、空港線の方が本数では勝る。ちなみにこれから乗車するのは快速マリーン号(当時)で、途中駅のいくつかを通過し、10時37分の特急は基本的に週末の運転なので、普通列車については3時間以上、快速を入れても2時間運行のない時間がある。そして行き先は青島、油津、南郷と細かく設定があるが、終点の志布志まで行く列車はごくわずかである

ホームの向こう側つまり空港側には建物に制限もあって農地が広がる。1日の利用者数は狭いホームでも分かるように数十人程度とみられるが、空港と逆側の県道沿いにはロードサイド店のほかにスーパーもある比較的大きな街が広がっていて、駅が廃止になってしまうレベルものではない。昭和40年代以降、車社会が浸透していって拡大したものだろう。また当駅は南宮崎にもそう遠い場所ではないことも利用者の少ない要因になっていると思われる

旅の最中の圧倒的一番人気

さて私は旅に出ると3時間おきぐらいにXで状況を投稿するようにしているが、今回の旅で圧倒的な一番人気を獲得したのは、こちらだった

「赤江地区だからあかえスイトピー」。これはなかなか刺さった。どういう工夫があるのかはあえて書かないが

まだスイトピーの季節ではなかったが、これは私の世代にはあまりにもハマリ過ぎだった。かなり気分をよくして、ようやく日南線の旅の本格スタートである

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~宮崎空港ではほぼダッシュで

※訪問は2026年3月10日

まだ暗い三ノ宮駅から

始発で降りた5時半の三ノ宮駅はまだ真っ暗。それでもそれなりの人が乗っている。今回は大阪(伊丹)空港から宮崎へと向かう。目的は宮崎空港からの日南線である

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あらかじめ18きっぷも用意して

空港に移動して7時になると、すっかり夜明けを迎えた

宮崎行きの飛行機は7時15分発である。今回は日南線の各駅訪問を行う。なぜ日南線かというと、3月14日のダイヤ変更(改正とは言わない)での減便が発表されていたからだ

日南線は日豊本線の南宮崎から分岐して鹿児島県の志布志へと向かう路線で全長89キロ。大きな地図を見ると、海沿いを走る風光明媚なローカル線のイメージがあるかもしれないが、こうして見ると海沿いを走る区間は意外と少ない。南宮崎から南下していくと、有名観光地の青島あたりまでは海沿いを走るが、その後はどちらかというと内陸部を走る。また青島までは、まるで私鉄のように細かく駅が設けられているが、青島を過ぎたあたりからは駅間距離も長い

この2つのポイント「途中までは海沿いを走り私鉄のように駅が多い」「青島あたりから駅間距離が長くなり内陸部を走ることが多い」が、日南線の歴史と特徴なのだが、そちらは順番に触れていこう

旅程は3日間

あらかじめ青春18きっぷを用意しておいた。今回は優等列車だけの日南線(厳密には週末に観光特急が走るが今回は無縁)のみの利用なので18きっぷだけで十分である

運命を分ける飛行機の到着時間

18きっぷを全日までに購入したのには理由がある。宮崎空港でのJR接続が微妙なのだ。時刻表では8時20分の到着予定で宮崎空港駅での南宮崎方面の列車は8時32分発。ただご承知のように列車とは違って飛行機というのは到着して5分後に駅の外に出られるというものではない。機外に出るにも時間がかかるし、ロビー通り抜けにもそれなりに時間がかかる

飛行機は無事にほぼ定刻で着陸したが、ロビーへと移動する通路から宮崎空港駅が見える。この時点で8時25分。あと7分しかない。ここから外に出て回り込むと結構な距離があることを過去の経験で知っている

宮崎空港駅からは宮崎駅へ向けて宮崎空港線が出ている。この空港線は帳簿上は隣駅で日南線との分岐駅でもある田吉駅までの総距離1・4キロとJRで最も短い路線として知られるが、実質は田吉から日南線に入って日豊本線と日南線の分岐駅である南宮崎から宮崎と進む運用となっていて空港線のみで完結する列車は走っていない。またこの区間は電化されていて、日南線は南宮崎~田吉の1区間だけが電化区間となっている

行ってみると分かるのは日南線の冷遇ぶりだ。宮崎空港には大分方面からの特急も乗り入れ、特例として宮崎空港~宮崎間は特急自由席に乗車券だけで乗れる特例が設けられているが、この特急は田吉には停車しない

そればかりか、この時のダイヤだと8時32分を逃して次の9時20分に乗ると、田吉到着は9時25分で、その田吉では9時19分発の志布志行きが出発したばかり、次の志布志方面は11時25分までないという、なかなか悲惨な状況になってしまう。つまり何とかして8時32分に乗るか、乗れなければ別の手段で9時19分までに田吉駅まで行かなければならないのだ(3月のダイヤ改正で若干状況が変化している)

自分の立てた道程では順調に行けば、3日目のお昼ごろには全駅訪問が終わるのだが、それにはこの最初の関門を突破しなければならない。もっとも乗れないことも考えて3日間で全駅というゆったり計画にしたのだけれど

超早歩きで、あと3分という時点で駅までたどり着いた。実はこの写真は2024年4月のもの。サムネ写真もそうだが、のんびり写真を撮る余裕はないのである

2年前のことは忘れてしまったが、写真を見返すと最初から8時32分など眼中になかったようで、のんびりと時間を潰し宮崎空港駅で2種類のきっぷをゲット

悠々と日豊本線の青井岳駅に行ったようだ

とにもかくにも最後はダッシュで何とか間に合った。ここまで来れば駆け込み乗車にはならなかったが、しばらくゼーゼーしていた私は奇異な目で見られたことは間違いないだろう

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~起点そして分岐駅の立野駅を再訪問

※訪問は2025年8月26日

宿泊地の肥後大津へ

かつて日本一長い駅名だった「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅で、この日の南阿蘇鉄道の駅訪問を終えて本日の宿泊地としている肥後大津駅へ戻ることにした。戻るためには豊肥本線との接続駅で南阿蘇鉄道の始発駅でもある立野で乗り換える必要がある。来る時は1日2本しかない肥後大津からの直通列車だったため、この日は初訪問

その道中、立野を出た列車が白川を渡る際に通る立野橋梁、第一白川橋梁は車窓の見どころのひとつとなっている

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復興からの大工事

往路は満員で車窓を見る余裕はなかったが、肥後大津へと戻る時間帯は車内もすいていて、私も含め撮影会か始まる。橋の上では徐行運転をしてくれて景色を眺める時間もある

2016年の熊本地震で大きな被害を受けた沿線で、最難関とされたのは第一白川橋梁の復興だった。大正期から工事が始まり、1928年(昭和3)の完成時は川からの高さ日本一の高さ64・5メートルは日本一。その後、105メートルの高千穂橋梁(宮崎県)、70メートルの関の沢橋梁(静岡県)に抜かれたが、今も日本で3位。高千穂橋梁が営業列車の運行を終えたため、事実上第2位の座にある

この区間では3つの橋梁と2つのトンネルを経由するが、トンネルの被害も甚大で結果的に山全体を削ってトンネルをひとつなくす作業も行われ、新しい橋が完成したのは2022年。翌年の4月から強度の試運転が行われ、2023年7月の全線再開となった

2年ぶりの立野駅

立野駅に到着。乗り変え時間が約30分あるので外に出てみよう

南阿蘇鉄道の立野駅は単式ホーム。スロープを経てJRの立野駅へと移動する。直通運転される朝の2本はJRホームから出発する注意書きがある

駅舎は階段を上がったところにあるが、エレベーターも設置されている

こひちらが駅舎。熊本地震で被災したため、建て替えられた。南阿蘇鉄道がクローズアップされがちだが、豊肥本線も肥後大津~阿蘇が4年間にわたって運休している

木をふんだんに使った駅舎には

きれいな待合室がある。クルーズ列車の七つ星以外の特急はすべて停車。事実上、全列車が停車する駅となっていて立派な設備を持つが無人駅である。所在地は南阿蘇村で、特急が停車する「村」の駅でもある

1916年(大正5)の開業。しばらくは終着駅だった。豊肥本線は、ここから山中深く入っていくため、隣駅の赤水との間は有名なスイッチバック区間となる。当駅を訪れたのは2年ぶり

前回はスイッチバックを堪能した。訪問は2023年の6月29日。新駅舎の完成がこの年の3月なので、まだ木の香りが残っていた。そして

7月15日の全線再開を2週間後に控えた南阿蘇鉄道のホームは、その日までのカウントダウンに入っていた

JR九州でよく見かける姿だが、ホームのフェンスに時刻表が掲げられている

JRは島式ホームでホーム上に自動券売機が置かれている

震災からの復興を告げる看板を眺めながら肥後大津へと戻る。残る駅はまた明日

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~単行の直通列車はすし詰め状態

※訪問は2025年8月26日

必ず乗り換えの発生する要衝駅

あらためて肥後大津駅。すでに当駅始発の南阿蘇鉄道直通の列車が待っている

発車の10分以上前に駅に着くことができたので無事に「旅名人の九州満喫きっぷ」を購入。5月に九州を訪れ平成筑豊鉄道から田川井田経由で日田彦山線BRTに乗車した時にも利用したが、九州内の私鉄、三セクに乗車する際は本当に便利なきっぷである。ただし、これを買うということはこの旅行では九州新幹線をはじめとする優等列車には乗車しないということを意味する

その肥後大津駅の駅名標がこちら(撮影は2023年)。町名の由来について記されているが、初めて来た時に滋賀県の大津が地名の由来と知って驚いた記憶がある

そして当駅は電化、非電化の境界駅となっていて豊肥本線は熊本から当駅までが電化、当駅以遠が非電化となっていて特急以外の列車は必ず乗り換えが発生する。つまりすべての普通列車は当駅が始終着となる

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大きく異なる運行本数

そして肥後大津の時刻表がこちら

一目瞭然で運行本数が全くことに気付く。赤文字は特急なので、それを引いて考えると熊本に向けた電化区間は昼間でも1時間に2~3本の運行があるのに対し、阿蘇から大分方面については、昼間は2時間以上、普通の運行がない時間帯がある

それ無理もない話で2駅先が立野駅

これから乗車する南阿蘇鉄道の分岐駅そして豊肥本線はここからスイッチバックで山岳地帯を行く。つまり人口の少ない場所に入っていくのだから、列車の運行が少なくなるのも自然な流れである。逆に言うと肥後大津駅前のにぎわいを見ると、2駅先がスイッチバックとはとても思えない

あらためて時刻表を目にしていただくと、私がこれから乗車する9時26分を逃すと次は11時48分。その間に特急も走っていて、こちらは立野にも停車するのだが、立野で南阿蘇鉄道に乗り継ごうとすると、そちらの運行がなく、11時48分に乗車するのと同じ結果となる。飛行機早着の恩恵は本当に大きかった

突然にぎわう車中

2023年7月の南阿蘇鉄道全線復旧によって肥後大津からの直通列車が設定された。朝に2往復。これは朝の通勤通学で熊本市内方面に向かう人の利便性を高めるもので、9時26分発とは随分遅いと思われるかもしれないが、南阿蘇鉄道の終点である高森駅を出発するのが8時25分で肥後大津着が9時8分の折り返し。通学の時間帯は終わっているが、午前中に熊本に向かうという点では寄与している

もっとも朝の行動のピークとなる時間帯は終わっているので下りとなる高森行きは発車まで10分を切っても車内はこの通り。全くの貸切だ。これは楽しく過ごせそうだと思っていたら、熊本からやって来た9時24分着という高森行きへの乗継ぎ電車が到着すると、車内はあっという間に満員状態に。乗車している間に分かったのだが、台湾からのお客さんで軽装ぶりを見ると熊本市内に宿があって、ここまでやって来たようだ。アテンダントがいるわけでもないのに、うまい具合によく乗継ぎができるものだと感心していたら隣に座った方がスマホで帰りの乗継ぎを調べている。もう20年ほど海外に行ったことはないが、妙に納得してしまった

とにかく車内はすし詰め状態で正面は人しか見えないし、身体をひねって車窓を見ることもかなわない。終点高森の手前である見晴台までこの状態で向かった

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~飛行機早着という5分の奇跡からスタート

※訪問は2025年8月26日

あきらめから一転

大阪空港の熊本行きに乗り込む。ご覧の通り、7時45分発

バスで飛行機の手前まで運ばれる形式。JALの場合、伊丹空港から地方に向かう便は結構この形式が多い。ただこの時点で私はため息まじりだった

飛行機を予約したのは2カ月も前の話だが、とりあえずは深夜零時からのタイムセールに参加し、朝一番の便を押さえたものの、これだと現地での乗継ぎが悪く目的である南阿蘇鉄道に乗車するために2時間もの待ちが出てしまう

その時間をどうやり過ごそうと思案していたら、なんと奇跡が起きた

時刻表では空港着が8時55分。9時発の空港ライナーに乗車できれば、肥後大津発9時26分の南阿蘇鉄道直通列車に乗車できるのだが、電車の乗継ぎ時間5分とはわけが違う。降機してから到着ロビーを抜けてバス乗り場まで行くには時間がかかるとそもそも飛行機には遅延がつきものなので完全にあきらめ、次の列車は11時48分なので待ち時間はどう過ごすかなどと考えていたら、なんと5分の早着。しかも飛行機は最前列の座席をたまたま確保できていたため、先頭で降りて9時のライナーに乗車できたのだ

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空港ライナーとアクセス線計画

何の説明もなく「空港ライナー」と書いてきたが、これは肥後大津駅と熊本空港を結ぶ無料のシャトル便

県が運用にあたっていて30分間隔で運行されている。ワゴンタイプで9人乗り。満員になった場合は追加のバスが来るそうだが、ちょっと待たなければならない。私は出発ギリギリで8人目として乗り込めた

こちらも説明が後になってしまうが、空港と肥後大津駅は至近距離にある

車で15分。熊本空港はかつては熊本市内にあったが、1971年(昭和46)に現地に移転した。肥後大津駅は1914年(大正3)開業と110年もの歴史を持つが、当駅についてJR九州が力を入れ始めたのは1999年(平成11)に熊本から当駅間の電化から。この区間内は学校が多く、熊本から肥後大津までは30~40分と通勤通学圏内。さらには九州新幹線の全線開業まで博多と熊本を結んでいた特急「有明」が当駅まで乗り入れるようになった。駅での「肥後大津行き」の案内や列車の方向幕で駅の存在を知った人が多かったのではないだろうか

ちなみに現在、肥後大津駅と空港の約7キロを結ぶアクセス鉄道の計画が進んでいてJR九州も乗り気になっているため、近いうちに具体化しそうである

発展する駅周辺

ライナーが到着するのは南口(写真は翌朝のもの)。もともとの大津の町は北口が中心で

こちらは木造駅舎が健在で(写真は2023年6月のもの)、JRの直営は北口。南口はビジターセンターで駅員さんはいるものの業務委託となっているようで、みどりの窓口は北口にある。私は旅名人きっぷを購入する必要があったため、北口に行かなければならないが、その旨を告げると通してくれた。駅には阿蘇くまもと空港のサブ駅名が付けられている

空港が近いということもあり、駅周辺にはビジネスホテルが多く進出している。宅地としても開発が進んでいて、訪問は3回目だが、来るたびにマンションとホテルが増えている印象だ。今日1日ではとても南阿蘇鉄道の全駅訪問は無理なので、当駅近くのホテルに宿泊の予定。夕方に戻ってきてホテルにチェックインしたが、朝から猛暑の中を歩き回ったため、夜に出かけることなく南口からすぐのイオンで酒と食材を購入して夕食とした

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~来て良かった歩いて良かったの2日間

※訪問は2025年5月28日

最初から決めておけば

大行司駅にあった東峰村の案内図。大行司駅近くに自治体としての機能が集まっていることがよく分かる。宝珠山炭鉱で栄えた東峰村(当時は宝珠山村)だが、石炭を運ぶことが目的で戦前から工事が始まった日田彦山線は戦争により工事が中断。戦後に再開されたが、難工事のため全通は1960年(昭和35)。すでにエネルギーの主役は石油に移行しつつあり、その3年後に閉山となってしまった

それでも地域にとっては重要な足だったことには間違いない。村内にあった駅は筑前岩屋、大行司そして宝珠山の3駅。その区間がまるまるBRTの専用軌道となっていることは、何度か記した通りだが、大行司~宝珠山は結構近い

徒歩30分。グーグル地図によると高低差26メートルの下り坂だそうなので、比較的楽な徒歩移動だ。最初から専用軌道区間の駅すべてを訪ねるつもりなら、徒歩訪問はまずこちらを軸に考えていただろう。最初に立てた計画が終わってから、あらためて計画を練ったので1時間近く歩くことになってしまったが、そのおかげで雄大なめがね橋も見られたし、地元の方といろいろお話もできたので結果的には良かった

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1駅分の回収ならず

さて今回、2日にわたって日田彦山線BRT内にある旧鉄道駅を回ったのだが、実は1駅だけ行けなかった。豊前桝田駅だ。道の駅があった歓遊舎ひこさんと彦山の間にある駅でホームと待合所のみの駅だったという。BRTの停留所はかつての駅に近い県道上にあり、停留所の前を3回通り過ぎた車窓からホームは見えづらかった

実は訪問の道程だけは考えていて、筑前岩屋駅到着が10時39分なので、大行司まで1時間近く歩いても大行司発11時52分のBRTに乗車できる。その場合は12時21分に豊前桝田に到着。その場合は約40分の待機で13時1分の日田行きがやって来る-というもの

ただ地元の方といろいろお話したこともあって大行司到着は11時47分になっていた。出発まで5分もない。前回の記事でも記した通り、大行司の停留所は77段の階段を登った場所にあるので、写真だけ撮って急いで階段を登ればギリギリ間に合ったが、せっかく1時間近く歩いてたどり着けた駅である。新たに復元された駅の雰囲気も味わいたい

ということで12時8分の日田行きに乗ることにした。次の豊前桝田行きはちょっと待っていられない。今日は帰る日だし、博多からはすでに新幹線のきっぷを確保済み。乗り遅れた場合は乗車券部分も無効になるという3割引チケットなので絶対に乗り遅れるわけにはいかないので断念

そもそもてくてく歩いてお腹も減ったので、光岡駅近くのコンビニで買ったおにぎりをいただくことにした

旧鉄道駅にある工夫

今回日田彦山線BRTに乗車して気付いたことは「旧鉄道駅は特別待遇」ということだ。BRTはバスなので、乗降客のない停留所は通過する。それは当然のことだが、旧鉄道駅の停留所については必ず停車するのだ。豊前桝田や大鶴のような旧駅からやや離れた道路上にある停留所も同様だった

そして旧鉄道駅の停留所には必ず便利な電光ボードが設置されている

こちらは鉄道の駅ともなっている夜明駅のものだが。現在の運行状況を逐一知らせてくれるもの。バスなので多少の遅延はあるが、それも表示してくれるので利便性は高い

大鶴のような屋内ではない停留所にも設置されている

BRT化したことによって運行本数は増え、豪雨被害前よりも乗客も増えているという。定時運行や大量輸送という意味では鉄道に比べて劣るバスだが、細かく停留所を設けて病院や店舗、駅から離れた旧市街地に立ち寄ることも可能になったことは事実。何よりもJRの路線として運営、運行されている点が評価されるのではないだろうか

廃線が取り沙汰されたり、廃線が俎上に乗ったりしている路線は全国各地にあるが、過去に鉄道の廃線後に運行されるようになった代替バスの多くが結局廃線になっているケースは多い。新型のバスを投入した上でこれだけの設備が設けられているのなら、鉄路の廃線に寂しさは残るものの、地元の方々は安心だと思う。予定変更で細かく沿線を回れ良かったと思う2日間だった

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~列車は来なくても歴史と思いを込め再建の駅舎からの長い階段

※訪問は2025年5月28日

高倉健さんにもゆかりの宝珠山村、東峰村の中心駅

あらためて大行司駅

かつての宝珠山村(現東峰村)の中心駅は宝珠山駅ではなく、ここ大行司駅。戦争が終わり日田彦山線(当時は彦山線)の工事が再開された1946年(昭和21)に宝珠山から1区間が延伸されて開業した。ただしそこから先が難工事だったこともあり、10年以上終着駅だった

宝珠山川と大肥川の合流地点を中心に大きな集落があり、自治体の機能が集まっている。かつては宝珠山炭鉱でも栄え、あの高倉健さんも父の仕事の関係で幼少期の一時期を当地で過ごしたという

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豪雨被害後の真新しい駅舎

日田彦山線BRT区間の各駅を伝えてきたが、近年に駅舎が建て直されたばかりのタイミングで2017年7月の豪雨被害に遭っていることが多い。ただ大行司駅も真新しい駅舎だが、こちらは豪雨被害の後に新築されている。2019年のこと。なぜかというと当駅は豪雨によって1946年(昭和21)の開業時からの駅舎が倒壊してしまった。それでも日田彦山線の復活に向けて話し合いが行われている最中ながら、地元負担で駅舎が新築された。長年代表駅として機能してきた駅に対する地元の熱意だった。以前の形を損なわないよう新築というより復元された形だ

駅名板の横に「四十一代 式守伊之助」と記されている。駅名にちなんで立行司の式守伊之助(当時)が揮毫した。新駅舎の完成は2019年12月のことで、落成式には式守伊之助や元横綱大乃国の芝田山親方も参加

当時の写真や他に揮毫したものが駅舎内に飾られている

相撲に関心があるかないかは別としても、ついつい見入ってしまう

駅舎内はまだ新築の木の香りが漂いそうなほどきれいだ。豪雨被害以前に駅舎は東峰村に譲渡されていたことも自治体による復元につながった

駅舎の内側には豪雨被害以前から使用されていた駅名標が設置されている

ホームへは長い階段を

さてふだんなら「駅舎のホーム側」と書くところを「駅舎の内側」と表現したのには理由がある

BRT乗り場へは階段を登る必要がある。77段と、なかなかの距離。これは鉄道時代と同じ。筑前岩屋駅から1時間近く歩いて汗びっしょりの私には最後の一仕事だが、ひとつ言えるのは1度登ってしまうと2度と降りる気力はなくないだろうということだ。BRT到着の5分ほど前に乗り場に行くことにした

階段の途中で振り返ると、なかなか急峻な階段である

鉄道時代のホームはそのまま残されている。2面2線とすれ違いのできる構造で、村の代表駅らしく彦山~夜明間では唯一、交換機能が残されていた

高台にあるホーム、現在のBRT停留所からは村が眺望できる。右の建物は小学校だったと思われる

こちらは停留所。最初に時刻表を見た時、当駅で8分間の待ち時間という上下線の交差があり、これはタイミングよくいけばうまく訪問できるかと思ったが、バスだけに遅れ気味になることが分かり、それを理由にやめた。まさかこんな階段があるなどとはその時は思ってもいなかった。予定時刻通りにバスが来ても、8分しか時間がないのでは、ちょっと無理だっただろう

日田行きのバスがやって来た。2台ワンセットのパターンのようだ。途中でいろいろ話し込んだおかげで、いろいろな思いと歴史が詰まった駅舎を観察する時間はそう多くはなかった。ただ予定を変更しても専用軌道中にある2駅を訪問できて本当に良かった、そう思える60分の徒歩旅だった

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