※訪問は2025年5月27日
大いに役に立ったBRT
歓遊舎ひこさんからバスに乗り込み、あらためてBRTを大分県方面へと向かう

今度は大きいバスがやって来た。実を言うと最初に添田から彦山まで乗車したバスを「小さい」と表現したが、彦山で下車すると後ろからもう1台。2台セットでの運行だったのだ。もちろん私は1台目に乗車していて、2台目を見るとお客さんはいないように見えたが、満員で乗れないという危険を避けるため時間帯によってバスの大小や台数を決めているようだ
そしてもうひとつ、BRTに乗車して気付いたのが

USBポートの存在。最初に乗車したバスでは気付かなかったが、その後は携帯の充電に大いに役立った。私的ポイントは極めて高い。特にこの後は1時間の乗車となったので満タン充電である
まずはJRの「鉄道路線」完乗
1時間かけて到着したのは

夜明駅。こちらはれっきとした鉄道駅で日田彦山線と久大本線の結点で日田彦山線の終着駅。ただし日田彦山線は鉄道時代から、すべての列車が2駅お隣の日田まで乗り入れていた。いわゆる帳簿上の終点だったわけで、そのなごりで今もBRTは日田まで運行される。夜明~日田は鉄道とBRTの両者が並行して走る区間となっている
とにかくこれで日田彦山線は完乗、JRの運営している「鉄道路線」は、これですべて乗車したことになる。もっともこの後、どうしても行きたいBRTの駅があるので再び添田方面のバスに乗り込むのだが、本数がそう多くはないため1度夜明まで来たのだ
高台に立つ駅舎

夜明駅の駅舎は階段を昇った高台にある。鉄道はこちらから、BRTのバスは階段の下からの発着となる

かつては日田彦山線が合流する2面3線の構造だったが、現在は2面2線となっている。周辺は特に何があるわけではないが、印象的なのは何といっても駅名だろう
開業は1932年(昭和7)で久留米側から少しずつ伸びてきた久大本線(当時は久大線)が福岡県との県境を越えた最初の駅だった。大分県最西端の駅である。2年後に日田まで延伸されるまでは終着駅だった。現在の日田彦山線の前身にあたる彦山線の乗り入れは1937年から
駅名は当時の夜明村に基づく(1955年から日田市)。もともとは焼き畑によって開墾され「夜焼」という地名だったものが現在の地名に変わったという説があるが、夜明という言葉の響きは何とも素晴らしいものがある。1度聞くと絶対に忘れない地名、駅名だ
夜明けの鐘や寅さん
現在の駅舎は2010年(平成22)に新築されたもの。すでに無人駅だったが、開業以来の駅舎の雰囲気を引き継ぐ形で建設された
駅舎の隣には

夜明けの鐘

駅舎内に解説があるが、地元の小学校で大正時代からチャイムとして使用されてきたもの

その隣には平成24年九州北部豪雨(BRT転換となったのは平成29年九州北部豪雨)の際に押し出されてきた岩を加工した石碑が設置されている

また映画の中で重要なシーンとして登場する「男はつらいよ」のロケ地にもなっていて駅舎内には当時の写真が飾られている。利用者は決して多くはないが、見どころもあり、駅名標の写真を撮るだけでも尋ねる価値のある駅である
なお私は10代のころに当駅の存在を知り、私が子どものころの青春スター石橋正次さんのヒット曲「夜明けの停車場」(興味のある方は検索してください)に関係があるものと長らく思い込んでいたが、そちらは違うようである


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