私鉄

ゆいレールに初乗車~旧那覇駅から市内中心部へ

牧志駅を出るとすぐ国際通り

※実際の道程とは異なります

かつての那覇駅所在地

旭橋に到着しました

ゆいレールは2面構造と島式構造の2パターンがあり、当駅は2面構造

那覇市内線を含め、沖縄各地へと向かうバスが発着する那覇の交通の中心地となる那覇バスターミナルの最寄り。バスとの乗り換えで多くの人が利用します

那覇バスターミナルのある場所は、かつての沖縄県営鉄道の那覇駅でした。沖縄戦で破壊されたため、駅の遺構はほぼ何も残っていなかったのですが、8年前に再開発のため一度閉鎖して工事を行った際に転車台の一部が発見されたそうです

ゆいレールができるまで、沖縄の鉄道は約60年の空白となります

国際通りの端と端を結ぶ

続く県庁前から那覇市の中枢部に入ります

駅名をローマ字表記にする際、県庁や市役所のような公的施設も都庁前(tochomae)のように、そのまま日本語表記にすることが多いのですが、当駅は英語表記となっています

ビルの間をぬうように、すっかり都市モノレールの表情。そして、こちらは最大の繁華街である国際通りの端の部分となります

国際通りは当駅と牧志駅で、それぞれ接続していてモノレールは久茂知川に沿って迂回するように走ります

那覇港の最寄り

続いて美栄橋に到着。こちらからは国際通りまで徒歩10分ほどの沖映通りの入口付近にあたり、沖縄本島周辺の離島への航路が出ている那覇港「とまりん」の最寄りにもなっています

こちらは駅名標

ホームは1面2線です

そして牧志駅へ到着

車内のアナウンスでも国際通りへの案内が行われます

多くの人でにぎわっていました

ソーキそばをいただきました

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ゆいレールに初乗車~最南端と最西端

那覇空港駅の駅名標

※実際の道程とは異なります

到着すると最西端

沖縄へ向かう、ほとんどの方が利用する玄関口の那覇空港

迷いなくモノレールの那覇空港駅に向かうことができます。ただ那覇空港の到着ロビーは1階で駅は2階にあるためカート利用が可能

改札には京成スカイライナーの割引チケット発行機もあります

先の車止め部分。さすがに延伸はありません

延伸がないのは地図でお分かりだと思います

改札手前にあるのが「日本最西端の駅」の記念碑。こちらでもSuica利用可のアピールに余念がないようです

モニュメントは飛行機の翼をイメージしたもので中央にはめ込まれているのは、ひとつはゆいレールの車体でもうひとつは大根。かつて空港付近は島野菜である「鏡水大根(かがんでーくに)」の産地であったことに基づくものだそうです。那覇空港の所在地は「那覇市字鏡水」

わずか1駅で最南端へ

那覇空港駅を出ると、わずか3分、たったの1区間で今度は最南端の駅である赤嶺に到着します

ゆいレールそのものは空港から北東へと向かうのですが、軌道は一度南側に向かうので、こちらが最南端となります

こちらが駅舎。周辺にはマンションが立ち並んでいます

コンコースには最南端駅にやってきたことを証明してもらえる顔はめパネルが設置されています

最南端駅を示す記念碑は屋外に

2003年のゆいレール開業翌年に設置されました。まだ20年経過していませんが、雨や台風の多い沖縄だけに、かなり頑張っています

駅南側のロータリーにあります。駅を降りると両方ロータリーがあって、駅からは眺めると、どちらに降りようか、意外と分かりにくいかもしれません。駅員さんに場所を訪ねたほどです

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ゆいレールに初乗車~急勾配とカーブがみどころ

ゆいレールの運転席

運行は10分に1本

現在のゆいレールは昼間の運行は10分間隔。コロナ禍前は8分に1本でしたが現状は10分間隔。朝のラッシュ時は5分前後、夕方のラッシュ時は7分の間隔で頻度が上がります。1本逃すと困るというレベルではありません。沖縄も車社会で計画時は電車なんかに乗ってくれるのかな、という不安の声も大きかったようですが、那覇中心部の渋滞に悩んでいた人や、遅延の目立つバスにイライラしていた観光客にとってモノレールの登場は大きかったようです

2両編成のため、那覇空港から市内中心部の間は、昼間もかなり混雑します。ホームは3両分を確保しているため、数年以内には3両編成になるそうです。運転はワンマンで各駅には基本的に駅員さんがいます

と、ここまでは一般的なモノレールとほとんど同じですが、車窓が大きく異なります

カーブが多い理由は

モノレールを設置するのにあたっての最大の問題点は用地の確保でした。街もすでにできているので今から鉄道用に用地を、となると街から離れたところばかりを通さなければなくなり、それでは都市モノレールとしての意味がない

そこで既存の道路に沿って建設したところ、カーブだらけの構造になりました。もっとも幹線道路沿いなので那覇市内の中心部を網羅できるようになったわけです

そして道路に沿って建設したために発生したのが「坂」です

特等席からの眺めは最高

那覇の中心部を抜けて乗客もかなり落ち着いてきた古島駅

ここからが見どころの一つとなります

お隣の市立病院前駅へと向かう際、直角になろうかという大きなカーブを描いているのが分かります

それを楽しめるのがこちらの特等席

ロングシートのゆいレールですが、運転席の真後ろのみ、このように「パノラマシート」となっています。この席が大人気で乗っていると、空いた瞬間にまたたく間に埋まってしまう。空きに気づき後方車両から、素早くやって来る人も

最初は「子供がいるわけでもないのに、みっともないなぁ」などと思っていたのですが、古島駅の手前あたりで車内がガランとなったタイミングで空いたので座ってみました

動画だとこんな感じです(音声注意)

すると、これがメチャおもしろい。人気の理由がよく分かりました

道路に沿って建設したため、坂も同時に発生することになりました。ゆいレール全線は17キロしかないのに高低差は120メートルもあります

映像の勾配は50パーミル(‰)越え。50‰となると一般の鉄道では、車輪の空転が怖くて、なかなか普通には上り下りできないレベルで、かなりの減速を必要としますが、ゴムタイヤのモノレールは摩擦にもしっかり耐え、やすやすと登っていきます

この区間より少し先の儀保~首里では最高の60‰に達します

うまい具合に特等席が空いたら、ぜひ急カーブと急勾配を体感してほしいところです

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ゆいレールに初乗車~基礎知識ときっぷ

ゆいレールの車両

空港から那覇市内に向かう必需アクセス

GWの直前、沖縄に行ってきました。私にとって沖縄は37年ぶり。つまり最後に訪れたのが「昭和」だったわけで、初めて訪れたに等しい。で、そこで行ったのが「ゆいレールの全駅訪問」(笑)

沖縄に行ってまで鉄オタ活動かと思われるかもしれませんが、初乗車ゆえに感じたことをつづっていきたいと思います

まずゆいレールとは何か?ですが、正式名称は「沖縄都市モノレール」

那覇市の「那覇空港駅」から市内中心部を抜け、浦添市の「てだこ浦西駅」までの17キロを37分で結ぶモノレールです。駅数は19。開業は2003年8月で「首里駅」からてだこ浦西の4・1キロが2019年4月に延伸開業しました。言うまでもなく、日本で最も南そして西を走る鉄道路線

地図を見て分かる通り、モノレールの特性を生かした急カーブが特徴。そのおかげで那覇市内の主な場所を網羅しています

そしてもうひとつの特徴は急勾配。こちらは前面展望を楽しめます

沖縄を訪れるほとんどの方は飛行機利用でしょうから、那覇市内に向かう際は、かなりの確率でお世話になると思います

紙のきっぷもIC乗車

入退場はすべて自動改札。そして私も最初、一瞬戸惑ったのですが

自動改札には紙のきっぷを投入する場所がありません。長年IC乗車ときっぷによる乗車ばかりに慣らされていて「えっ?」と思いますが、紙のきっぷもICタッチによる入退場です

便利なフリーきっぷは時間制ただし暑さには注意

私が利用したのはフリー乗車券。通年販売しています

私の旅程は初日に北谷まで行き、バスで那覇市内まで戻ってきたため、購入はバスターミナルとつながっている「旭橋駅」での発券となりましたが、もちろん、どの駅の券売機でも当日その場で購入できます

1日乗車券は800円、2日乗車券は1400円。私のような全駅訪問してやろうという特殊な人間にとっては、もちろん必須アイテム(ありがとうございます)ですが、那覇空港から那覇市内の主要駅までの運賃が270~300円、最低運賃が230円ですので滞在ホテルへのチェックインや荷物を預けてから市内に繰り出したり、首里城観光を行ったりすると、すぐ元が取れてしまいます

最も有名な繁華街である国際通りの端から端には県庁前駅と牧志駅があり、その中間には那覇港に近い「美栄橋駅」もあります。私のホテルは美栄橋の近くでしたから、駅訪問以外でも食事に行く際など、栄町市場の最寄りである「安里駅」も含め何度も利用しました

フリー乗車券のポイントは「時間制」だということ。こういうきっぷは日で区切るものが多いのですが、名古屋市と同じく時間制。つまり1日乗車券だと購入から24時間利用できるということ

私の例だと4月25日の12時27分に購入したので27日の12時27分まで利用できました。全くの偶然でしたが私は27日正午発の飛行機に乗ることになっていたので、最後に那覇空港に向かう際まで、ちょうど利用でき、事実上3日間利用できることになりました

ただ、こういう磁気ICというのは乱暴な使い方をすると磁気が弱っていきます。私は他路線で何度か失敗しているのですが、夏場に胸ポケットやお尻のポケットに突っ込んでいると汗を吸ったりして反応が悪くなっていきます。これからの沖縄はもちろん暑いので、その点には留意ください

施設への割引と他のIC乗車

多くの駅で、このような告知がありました。3年前からSuicaが利用できるようになり、Suicaと連携するIC乗車券も利用できます。JR各社のIC乗車券のほかPASMO、manaca、PiTaPa、はやかけんの利用が可能

主要駅にはチャージ機もあります

首里城公園などフリー乗車券の提示によって割引が適用される施設もあります

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線最終項

名鉄常滑線。上に見えるのが新幹線で手前が南方貨物線

2022年11月10日12時

小学校の土地を売却→戻る

堀川を渡れば本日のゴールである道徳駅まではすぐ。そしてハイライトにもなります

新幹線の高架沿いに歩くと

橋脚が復活し

その下に小型の倉庫が並んでいます

レンタル倉庫として利用されています。ただし県道を渡ると、すぐに小学校があって橋脚の北側を迂回して歩く必要があります

こちらの明治小学校は南方貨物線の予定地に敷地の一部があり、建設に協力してその一部を売却したものの、未成線になったことで返却されたという経緯があります

空港連絡線構想?

橋脚に沿って歩くと名鉄の常滑線が見えてきました。この先で交差します。もうゴールは目前

さらに先に進むと

東海道新幹線、名鉄との交差部分となります。ここが散策のハイライトのひとつ。一見、3線が交わるところで、うちひとつが建設中のようにも見えますが、言うまでもなく手前の橋脚は未成線。そもそも見て分かる通り、架線がじゃまして、この高さでは進めません

1983年から84年にかけて名鉄は高架化されています。南方貨物線の工事が再中断(以降、工事が行われることはなかった)した直後。南方貨物線の施設の再利用については名鉄常滑線に合流させて中部国際空港(2004年開業)を目指す、という案もあったそうですが、1989年に新装なった金山総合駅が具体化した後です。名鉄にとって何のメリットもないので、あっさり却下されています

結局、南方貨物線の計画は貨物ターミナル駅が1980年に開業しただけで終わり、投入された400億円近いお金は全くムダになってしまいました

国道側から見ると、国道と名鉄の間の部分だけポツンと残されています。撤去工事を行うには名鉄の運行にも影響しそうです

ここから名鉄の駅は豊田本町も道徳も同じような距離ですが、6月は道徳駅までだったので今回も道徳駅をゴールとします

道徳に到着したのは12時40分。愛知県武道館を出たのが10時ちょうどだったので2時間40分の散策でした。この間、2度の休憩と1度の買い物タイムをはさんでいます

おすすめ散策路

堀川を渡ってからのコースです。実際は公園の中は突っ切って進んでいます

さて昨年11月に全路散策を終えてから今日まで記事にしなかったのは、その後の寒さを考慮したからです。今はちょうど良い季節です

未成線や廃線跡の探索というのは基本的に進み始めたらゴールまで行くか、引き返すかの二択となりますが、南方貨物線についてはJRの笠寺から、あおなみ線の中島駅の間に名鉄、地下鉄の駅があるほか、バス路線もあり、途中離脱が可能。道中に飲食店やコンビニの店舗や公園もあり、お手洗いも含めて休憩ポイントも多い。大都会とはいえ、ここまでの「至れり尽くせり」は他になかなか例がありません

休憩もなく迷うこともなければ、おそらく全行程は徒歩3時間ちょっとだと思われますが、多少迷ったり、食事を含めた休憩を行うのも、ある意味楽しいものです。もちろん、前述した公共交通機関を利用して、ほんの一部だけを見るのも可能。昭和の国鉄時代の遺構がこれだけしっかり残っているのも珍しいことなので、鉄道貨物の栄枯盛衰を感じながら、春の陽気とともにぜひ訪れてほしい場所です

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その5

愛知県武道館横の南方貨物線橋脚

2022年11月10日9時30分

今度こそ大願成就を

前回から1カ月半が経過。またもやあおなみ線に乗車し南荒子駅で下車。今日こそは完全走破しますよ。妙に暑い日があると困るので10月はパスして11月まで待って、もう朝はかなり冷え込むぐらいとなっています。さすがに歩くことは苦にならないでしょう

私も前回の失敗を踏まえ少し賢くなりました

前回ギブした武道館前からリスタートですが、荒子ではなく南荒子からバスに乗るのが効率が良いようで1時間に2本という時刻も調べてバスに乗車

武道館前で降ります。紅葉した木が物語るように季節は冬に向かって進んでいます

武道館の横には橋脚。現地では何も思いませんでしたが、こうして見るとなかなかのコントラストです。武道館の開館は1993年なのですでに橋脚はあり、所有者が国鉄からJR東海となって、せっかく建設した路線をどうしようかと論議していたころです。旅客路線として使う案もあったので「武道館前」という駅ができていたかもしれません。確かに武道館は鉄道のアクセスはそれほどよくはない

貨物の因縁がここにも

橋脚の北側は南郊公園となっています。ここは中川運河の一部を埋め立てた公園です

となると中川運河とは何か、という説明が必要になってきます。現在のあおなみ線「ささしまライブ駅」近辺は「笹島」という貨物駅でした。だったら笹島駅まで列車で運んだ貨物を名古屋港まで運べばいいじゃないか(もちろん港から鉄道という経路も成り立ちまて)、となったのが大正時代。昭和初期に掘られた運河は大型船も運行できる立派なものでした

今でも船たまりは残っていてクルーズ船が運行しているようです。あまり歩くことはないと思いますが、これから歩く南郊公園付近をゴールとしてみました。徒歩だと1時間というかなりの距離ですが地図を拡大すると運河は南北だけでなく細かく掘られていたことが分かります

ただこの笹島駅は結局のところスイッチバックせざるを得ない構造となっていて、その解消も兼ねたものが南方貨物線というわけです

この中川運河は排水に対する考えが今ほどなかった昭和初期のものですから、その後、現在に至るまで水質汚染が名古屋の大きな問題のひとつにもなっています

南方貨物線は用地獲得が容易なこの部分を走りました

橋脚の上は屋根がついているようだけど何に使用されているのだろう、なんて思いながらスタート

気持ちよく歩いていこうとすると、ちょうど公園の地図がありました

いつ掲げられたものか分かりませんが、興味深いというか一帯を明確に示してくれています。南北が逆になっています。右の縦の線路があおなみ線で左の縦の線路が今も現役の貨物の名古屋港線(現役といっても本数は極めて少ない)

あおなみ線から分岐する白い線が南方貨物線。未成線なので白で描かれているかもしれませんが、前回の9月、私はあおなみ線からの分岐をたどって南郊公園の南側(地図では上)にある武道館まで来たわけです。武道館が描かれているので少なくとも93年以降の地図ですね

地図は、とにかく公園を歩いていけばいい、と教えてくれています

ということでズンズン歩く。散歩の方が、いいナビゲーターをしてくれます。そして橋脚もズンズン進む。それなりの年齢の方のようなので南方貨物線について聞いてみようかと思ったぐらいです

歩いていくと遊歩道が狭くなっていって

この青い建物が地図で示したTOTAL GAKUENです

橋脚を再利用していますね

今は営業していないのでしょうか

と、ここで大きな問題が

目の前の中川運河を渡れません

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その4

南方貨物線の橋脚

2022年9月26日12時40分

北海道の山中を思い出す

森の中に入っていくと公園というか遊歩道のようになっていました。貨物線の敷地が名古屋市に払い下げられて森になったと推察されます

そして現れた橋脚。高架線の遺構とポツンと置かれたベンチの対比がシュールすぎる。同行者がいれば、間違いなくここに座って記念撮影をしていたはず

橋脚が2つあるのは、ひとつが中部鋼板の工場への引き込み線となっていたからでしょう

この部分は橋脚がスパッと切断されています。下が遊歩道になるにあたって危険を考慮したのか。だったら、どうして他の部分が残されているのかは分かりません。単純に撤去費用が惜しかったからか

この光景を見て思い出したのは北海道の山中で見た越川橋梁です

訪問は2010年9月。こちらは斜里(現知床斜里)と根室標津(廃止)を結ぼうとした根北線の未成線部分で橋梁は早々にできたものの、斜里~越川の部分開通から十数年で廃線となったため、橋梁は使用されることなく終わりました

こうして今、写真だけを見ると戦前にできたものだけあって全く違いますが、国道の改良工事で国道の上の部分だけが切り取られている構造が似ているな、と思い浮かんだ次第

そもそも斜里町の山中と名古屋市内では随分と到達難易度が異なる。初めて行ったのは、これより数年前で携帯の電波が入らなくなり「こんなところでレンタカーにトラブルがあったら、どうしよう」と不安になったのを覚えています。南方貨物線沿線は携帯電話が広まった初期から圏外になったことはないはず

ただし越川橋梁

登録有形文化財ですが、南方貨物線はそうではありません

季節外れの猛暑

話を戻しましょう

遊歩道を歩いていくと看板で名古屋市の土地になっていることが分かります。そして写真ではよく分からないかもしれませんが随分ニャンコに出会う

器用に乗っかって決めポーズ。お見事!

ホーム跡のようなものがありました。ホームにしては小さすぎるし低すぎる。何でしょう?

この後は工場の敷地の南側に沿っていくことになります。道路も途切れ途切れで回り込みを必要とする。その道中で正保小学校の前を通ります。開校が1979年。南方貨物線は73年から80年にかけて住民の反対により工事が中断されています。ちょうどそのさなか。現在の「沿線」はすっかり住宅街ですが、工事の計画時では、まだそうでもなかったことが事象として分かります

再び橋脚。建物の入口部分だけ撤去されています

橋脚の下の部分は駐車場となっていますが、こうして見ると完全に現役の橋脚です

さて、この日の名古屋は9月末にもかかわらず最高気温が30度超えという真夏日。歩き始めて20分ほどで、かなりバテバテになってしまいました。ネコの写真を撮っていたのは休憩中です

建物と一体化した橋脚が途切れているのは名古屋市道環状線とぶつかるから

右側にチラリ写っているのは愛知県武道館。この橋脚から向こうが「本番」なのは、よくよく分かってはいたのですが、申し訳ありません。炎天下にギブアップ。たった30分の散策でした

近くにバス停がありました。あおなみ線の南荒子駅~地下鉄高畑駅~あおなみ線荒子駅という路線のようです。考えてみれば、朝のもっと早い時間帯に廃線跡を回ってからエアコンの効いたリニア・鉄道館に行くべきでした。あおなみ線のフリーきっぷを買うのだから、1度離れてもまた名古屋から乗り直せばいいのです

徒歩コースは、おおよそこんな感じ。正確にはあおなみ線の東側にある遊歩道を歩いています

ということで、もっと涼しくなってから再々チャレンジすることにしました。それにしても家電量販店や駐車場付きのコンビニがあって、これだけ交通量の多い200万都市の片側3車線道路に未成線があるなんて想像がつきません

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その3

あおなみ線の中島駅を降りるとすぐに怪しい形の構造物

2022年9月26日12時30分

3カ月の空白を経て

前回の訪問から3カ月後。あおなみ線の中島駅にいました

ホームから名古屋貨物ターミナル駅の建物が見えます。そもそもが貨物線だったあおなみ線ですが名古屋駅から、ともにやって来た貨物専用線はここで唐突な感じで終わっています

前記事までで説明した笠寺からの貨物線はここにつながる予定でした。夏場はの暑さは未成線訪問には全く適していない。涼しさも増してきた9月の終わりに今回は「終点」となるはずだった中島から歩いていきたいと思っています

さて前夜は名古屋に宿泊していたにもかかわらず、駅への到着時間が12時半という遅い時間になった(名古屋~中島の所要時間は10分)のには理由があって、朝は

のんびりリニア館を訪れていたから。当然、開館時間に合わせるので早朝というわけにはいきません。まさに「のんびり」と満喫していました。この行動が後に大いに後悔することになります

話を戻します

駅を降りた地図で付近のチェック。当駅はバス路線も多いので先に予習しようというわけです。地図は南北が逆(北が下)になっていますが、自分の向かう方向を見るにはわかりやすい。あおなみ線以外にニョロニョロと描かれているのが貨物線。駅の北側で終わっている感じがよく分かると思います

ターミナル駅は先に完成

南方貨物線が目指したターミナル駅は1980年10月に開業。1967年に工事が開始された貨物線は1972年には全通・開業する予定だったので、これでも随分遅れていますが、それでも駅だけが先行開業。名古屋から西側からの貨物列車はスムーズに入れるようになりました。しかし東側からの列車は名古屋からずっと東海道本線を西に行った稲沢駅(もう名古屋市ではない)でスイッチバックを行う不便な運行が続くことになります。機関車がけん引する貨物列車は単純に方向を変えることができません。「機回し」という機関車は先頭に付け替える作業が必要となるからです

この作業は現在も続けられていて、東側から来た貨物列車は名古屋駅を2度通ることになります。名古屋駅にいると「名古屋は随分と貨物運行がにぎやかだな」と感じるのは、そのため。その煩雑な作業を解消するのが南方貨物線の目的でもありました

中島駅からあおなみ線沿いに南側へ歩いていくと

さっそく不自然な構造物

不自然な空き地

こちらも

このあたりも

そして会社の建物や事務所もあります

高架はあおなみ線。看板を見ると、会社はいずれもJR東海関連のようです。南方貨物線の用地はJR東海に引き継がれました。現役路線の高架下での営業というのは限られますよね

建物の構造を見ると、このあたりであおなみ線と別れて左側に向かうようです。その先は森のようなものが見えます。歩き始めて、まだ10分ほどです

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その1

笠寺駅から歩くと最初に未成線と会う

2022年6月12日11時30分

完成間近の高架脚?

東海道本線の笠寺駅

こちらは駅名標ですが

音楽やスポーツイベントが行われる日本ガイシスポーツプラザの最寄り駅として有名です。駅の写真は昨年11月のものですが

駅直結でとても便利。このようにイベント告知もあり、快速の臨時停車も行われて多くの人でにぎわいます

当駅はJR貨物、名古屋臨海鉄道の貨物駅としての顔を持ち、多くの側線を持っています。6月でしたが、まだそれほど暑くはない日でした。鉄オタはガイシホール方面には、ほとんど興味を示さず、側線の端はどうなっているかを確認するため、側線に沿ってトボトボと歩きます

すると

側線の切れ目となる道路を挟んだ先に建設中とも思える橋脚が見えてきました

実際には東口から出て線路沿いを歩いてから踏切を渡っているので、徒歩時間は10分ほどですが、側線の端までにしてはかなりの距離と時間で規模の大きさが分かります

しかし、これは建設中のものではありません。「南方貨物線」という未成線跡です

ほぼ完成も列車は走らず

南方貨物線は旅客、貨物ともに好調だった昭和30年代の国鉄黄金時代の香りがまだ残る中、東海道新幹線が開業した少し後の1967年(昭和42)に工事が始まりました。名古屋駅を貨物と旅客の両列車が走ることで名古屋駅は満員状態となって、これ以上需要に応えられないということで、名古屋の南側に新たに貨物駅を設けて貨物列車は名古屋駅を通らないようにしようという計画

言われてみると東京駅や大阪駅に貨物列車はやって来ません。両駅を通らないよう専用貨物線が設けられているからです。名古屋も同様の構造にしようとしたのは自然な流れで計画そのものはかなり前からありましたが、先に新幹線計画と建設が始まったため、一度貨物線計画は凍結。新幹線開業によって東海道本線の優等列車はかなりそちらに振り分けられましたが、結局はゴーサインが出ました

専用線は武豊線との結点となる大府からスタート。笠寺までは既存の東海道本線を複々線とし、笠寺から新貨物駅までは新たに新線を建設するというものでした。複々線計画については東海道線の車窓で確認できます。明らかに複々線の用地と思われる不自然な空白があるからです

笠寺からは貨物新駅の間に建設される新線となります

ただ結論としては施設は国鉄時代にほぼ完成したものの、実際に列車は一度も走ることなく未成線に終わりました。貨物新駅は設けられて運用が開始されたものの(もちろん今も現役です)、そこに至る短絡線は未成線となりました。大都会でほぼ完成しながらの未成線というのは、かなり珍しいですが、35年が経過しても遺構は多く残っていて、中には街の風景に溶け込んでいるものもあります

その遺構見学を昨年の6月、9月、11月と3回に分けて行いました。実際に歩いたルートは微妙に異なりますが、大体こんな感じです

なぜ3回も足を運ぶことになったのかというと、他にやることがあったり、暑くてヘタレたりとかなのですが、比較的お手軽に行けるのは大都会の未成線ならでは

次回から順番に紹介していきます

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グリーンきっぷの2日間~日本一を目指し歩く

富山地方鉄道の軌道線電車

2月22日13時30分

富山大学へ徒歩圏内

西富山から富山駅へ戻ります。現在は13時30分で次の列車は15時45分と、なんと2時間後。高山本線の富山~越中八尾間は本数は多いとはいえ、お昼休みの時間があります。ローカル線ではよくある光景

しかし私には強い武器。徒歩です(笑)

決して無理な徒歩ではありません

富山地方鉄道の軌道線の富山大学前停留所まで徒歩20分。実際の私は県道まで出て富山大学に沿って歩きました。これが最も確実でアプリに頼らなくても行けるコースだと思います

大学のキャンパスなので出入り口はいろいろある。停留所が大学の端にあるので目指す場所によっては西富山駅の方が便利なぐらい。もっとも列車の本数は圧倒的に違いますが、県道沿いには富山駅行きのバスが30分おきに走っていました

ここが大学の正門のようです。そこから間もなくのところに停留所が見えてきました

富山大学前停留所。2020年10月に富山地方鉄道の軌道線も含めた全線乗車を行ったのですが、その時に訪れて以来

路面電車独特のコーン終点がいいですね

折り返し形式のホームは単線。少し先から複線となります

こちらは駅名標。前回の訪問時は薄暮の夕闇だったので昼間に来ることができて良かった。西富山から徒歩20分でした。歩くと、うっすら汗がにじむ感じで24時間前とは大違いの陽気ですが、徒歩はここで終わりではありません。駅名標に目的地が記されています

ハッシュタグ不可能な駅

さらに400メートルほど歩いて目的地が見えてきました

停留所まで行くと目的の駅名標があります

長!仮名にすると32文字。日本一長い駅名となっています。さらに言うと日本一の座を奪われ、再奪回したという、これもまた変わった経歴の持ち主

ことの起こりはネーミングライツで、それまでは「新富山」という駅名だったものが2015年に「富山トヨペット本社前(五福末広町)」に変更。この時点で仮名24文字で日本一長い駅名となったのですが、2020年に京福電鉄が「等持院駅」を「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」に変更したことで26文字で首位に。ところが富山トヨペットの会社組織変更によって会社名が変わり、2021年年明けに現駅名となり、1年も経たないうちに首位に返り咲きました。文字表記も25文字(こういう場合は()も含めるようです。当駅はスペースも入れると26文字で、こちらを含めるかどうかは微妙なようです)で、こちらはぶっちぎりの首位です

元の駅名もまだ残っていますね。私はツイッターも運営していて1日1駅の紹介をしていますが、当駅については、あまりの長さにハッシュタグ不可能と判断して掲載できませんでした

構造は普通に2面です

以前の駅名を新富山と説明しましたが、その前は「新富山駅前」でした。新富山が富山地方鉄道射水線の始発駅だったからです。こちらは軌道線ではなく鉄道線。今は大部分が廃線となっていますが、富山駅を経由して新湊までを結ぶ路線で、無料の渡し船で知られる越の潟~新港東口が、まだ陸路でつながっていた時代に運行されていました。大部分が廃線としたのは、越の潟から新湊(現駅名は六渡寺)までが万葉線として残っているから。無料の渡船は私も2回乗船しました。前回の訪問も実は高岡から万葉線に乗って渡船→バス→岩瀬浜からのもの。その行程をダイレクトにできたかと思うと別の旅情がわき上がってきます

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