三河田原駅

渥美半島の「途中」まで18キロの豊橋鉄道渥美線~伊良湖という湖はありません

※訪問は2022年6月11日

三河田原からバスに乗り

4年前、現在の姿となった三河田原駅を訪問した話を伝えたが、その時はバスで伊良湖岬を訪れている。その思い出にも触れてみたい

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バスで1時間

駅前からバスに乗車。運行は豊鉄バスである

伊良湖岬行きのバスに乗車。約1時間の乗車である。私は旅気分で楽しく車窓を眺めることができたし、駅前の解説板のおかげで未成線の路盤も眺めることができたが、仮に日常的に利用するとなると、路線バスに1時間乗車というのは、なかなか長い。土曜日の14時という時間帯で、高校生の利用は少なかったが、それでも何人かの高校生が乗車して途中で降りていった。途中に高校があり、そちらからの利用もあった

元々が未成線で、いかも戦前に敷設を断念した路線なので、代替バスという位置づけではない。途中の保美止まりのバスがいくつかあって、伊良湖岬まで到達するバスは1日10往復。保美までのバスは21時台まであるが、伊良湖岬までのバスは18時が最終となっている。4年前のことは忘れてしまったが、現在の運賃は1120円。10往復という本数が多いか少ないかは微妙だが、18時発で終わる現状を考えると、仮に鉄道が通っていても苦戦は免れなかった気はする

伊良湖フェリーターミナルに到着。こちらからは鳥羽港や河和港への船が出ているが、乗船したのは河和港行き

高速船の名前は

「はやぶさ」で、かつての特急列車の名前のような

ここからも約1時間の船旅

無事到着

河和駅までは徒歩7分らしいが、連絡バスに乗って

河和駅へ

名鉄に乗車した

伊良湖の正式な読みは「いらご」

さて、知られているようで意外と知られていないのは「伊良湖という湖はない」こと

地図を前掲したが、渥美半島のどこにも湖はない。そもそも正式な読みは「いらご」である。「いら」というのは急斜面や断崖を呼ぶもので、全国各地にも「伊良」「江良」「永良」など、同じ意味を持つとされる「いら」「えら」は見られる

渥美半島の伊良湖については、古い文献では「伊良胡」「伊良虞」などの表記も見られ、いつの間にか現在の表記に落ち着いたそうだ

かつてフェリーターミナルにあった自治体名は「伊良湖岬村」で戦後の1955年(昭和30)まで存在したが、もともとあった伊良湖村が周辺の村と合併して成立したもの。1955年に再び周辺の自治体と合併して渥美町となり、平成の大合併で田原市となった

湖があるのではないかと思い込んでしまう要因としては、おそらく「伊良湖岬」という文字にあるのではないかと推察される。観光案内などでは「伊良湖」と単独で表現されることはなく、あくまでも「伊良湖岬」と案内されるが、パッと見ると「伊良湖岬」「伊良湖畔」に見えてしまうのではないか

話の本筋には全く関係ないが、河和から名鉄に乗り、東名古屋港で平面交差を見学した

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渥美半島の「途中」まで18キロの豊橋鉄道渥美線~三河田原駅の思い出

※訪問は2012年11月22日など

終着駅は過去の思い出で

全駅訪問と言いながら、今回は終着駅の三河田原は訪れていない。2012年11月と2022年6月の2度訪問しているからだ。そしてその2回で見た風景は全く別のものだった

こちらが2022年の訪問当時のもの。美しい駅舎は伊良湖岬観光の拠点駅にふさわしいもの。渥美線が到達できなかった分、当駅からバスが出ている。2022年はここからバスで伊良湖岬を目指した

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レールと歴史を残す

終着駅の三河田原は当然のように行き止まり構造。2面4線と路線内では最も大きい。駅前広場も整備されている。もちろん有人駅

そして駅前には

レールと車止めが残されている

渥美線の歴史を記した解説板があり、予定されていた伊良湖岬への路線図と駅名。今も残る未成線の路盤の場所も記され、これが後にバスに乗る時、大いに役に立った

こちらが三河田原駅とその周辺地図。線路の先にある田原駅前通り線いう道路を挟んで、やや不自然な広い道があることが分かるが、これは未成線ではなく廃線跡。2012年の訪問時の写真とともに説明していきたい

何も知らずに下車

杉山駅の時と同じく当時の携帯の写真ではこれ以上大きくするわけに行かないが、2012年の訪問時の三河田原の駅舎は現在とは全く違うものだった。駅舎の位置は線路の北側にあった。タクシーが停まっているところをみると、それなりの需要があるのだろう。ちなみに2023年度の1日あたりの利用者数は2306人で全体の5位。利用者1000人を超える駅は7駅しかなく、うち6駅が豊橋市に所在していることを考えると、規模が分かる。田原市の代表駅でもある

現在の駅舎は線路の先端に設けられているが、2012年当時は線路の北側に駅舎があるということは、線路の先は異なっていたことになる。その様子は

3本の線路がひとつになったその先で唐突に終わっていた

その先はというとこのような構造で、さらに先に向けて線路があった跡地のようでもあった。さすがに鈍感な私でもさすがにこの時は調べてみた

戦時中の休止からそのまま廃線

三河田原駅は田原駅として1924年(大正13)に開業。この年の1月に最初の高師~豊島が開業した後、南北に延伸。田原にたどり着いたのはこの年の6月だった。もともと伊良湖岬まで延伸される予定で、なおも工事は続けられ、1925年には新豊橋(現在の駅よりやや三河田原寄りにあった)まで延伸されて国鉄と連絡され、伊良湖岬方面へは1926年(大正15)に加治、黒川原と2駅が設けられ、約3キロ延伸された。田原駅は1925年に現在の駅名に変更されている。そして渥美鉄道の財政難により、この先は国鉄によって工事が進められることになった

三河田原駅前の解説板にあるように駅名も決まっていた工事だったが、その後、戦時色が強まって工事は中断。そればかりか戦時中の1944年(昭和19)には三河田原~黒川原が不要不急路線として休止され、渥美鉄道を引き継いだ名古屋鉄道が、戦後の1954年にこの区間を廃線とした。豊橋鉄道への移管はほぼ同じタイミングで、その後は新豊橋駅の移動をのぞき、ほぼ現在の形となっている

こちらは2012年に使用したフリーきっぷ

後で分かったことだが、私の訪問直後に駅舎の解体工事が始まり、翌2013年に現在の駅舎が使用を開始している。2012年といえば、駅舎の解体や建て直しについてネットニュースでは、今のように流れる時代ではなかった。ツイッターなどのSNSも浸透しておらず、ローカルニュースを誰かが引用してあっという間に拡散する時代でもなかった

私の訪問は秘境駅号乗車がメインの全くの「たまたま」だったが、その偶然に今は感謝するばかりである

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