きっぷ

青空フリーパスで高山本線に挑む~アクセス楽々の素晴らしき難読駅舎は名車に名を残す

坂祝駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

難読駅の片側へ

白川口から再び美濃太田方面へと乗車。美濃太田で乗り継いで1駅お隣の坂祝で下車

これも難読度が高い。ただし自治体名である。同町のHPによると、すでに平安時代の文献に見られる「坂祝神社」にちなみ明治になった坂祝村が誕生した。おまけとなるが、駅を降りるとこのような案内がある

駅はかつての山城のふもとにある。「坂祝町の猿啄城跡」となるわけだが、全く何も読めないという状態になってしまう可能性が高い

さて前々回の記事で

美濃太田駅は難読駅に挟まれているとしたが、当駅は美濃太田のひとつ岐阜寄りにある

今回は美濃太田~下呂の攻略だったにもかかわらず、なぜ足を伸ばしたかというと「列車の運行がなかったから」である(笑)。ローカル線というのは通勤通学の時間帯が終わると「お昼休み」に入ることが多い。ということで坂祝まで足を伸ばした

大正期からほぼ原型を保つ

と書くと、ついでに来たような印象を持たれるかもしれないが、駅そのものはついでに訪れるようなものではない

実に素晴らしい木造駅舎が残る

当駅は1921年(大正10)の開業。高山本線が美濃太田まで到達した際に設置された

駅名標も当時からのものであることを伝えている。アルミで窓が補強されていて、おそらくその際に塗装のやり直しがあったのだろうが、駅舎の向かって右側はあまり手がつけられていない

こちらは駅名板

さて当駅の良さは何といってもアクセスの容易さ。美濃太田のひとつ岐阜寄りにあるため、昼間も30分に1本の運行がある。IC乗車も可能

高山本線の岐阜~美濃太田間の各駅はすべて簡易的に駅舎に建て直されているため、開業時からの風情を残すのは当駅のみである

最近までJR貨物の駅

駅の跨線橋からの風景

町は駅舎側に広がっているが、駅舎の裏手はセメント関連の工場が並ぶ。JR移管後も工場への貨物駅として機能していた。今は草むらになっているが、貨物側線の跡がある

駅舎側にもヤード跡が残る。貨物輸送は2007年まで続き、そのためきっぷの販売など、駅業務はJR貨物が担っていた

必ずしも難読ではない

さて難読駅と随分繰り返してきたが、ちょっと車に興味のある人にとっては難読でも何でもない駅(自治体名)だった

かつて坂祝町には「パジェロ製造」工場があった。かつてといっても生産終了は2021年8月のことだから、ついこの間のこと。パリ・ダカールラリーなどで名をはせた三菱「パジェロ」は1982年の製造開始以来、ここで誕生していた。つまり世界のパジェロ=坂祝として町の名前も知れ渡っていたのだ。40年にわたって320万台以上ものパジェロを世界に送り出していた

現在はICリーダーのみの無人駅だが

ホームに面した駅舎にも歴史を感じる。駅舎の将来についての情報は持ち合わせていないが、岐阜からは30分。本数も多い(名古屋からなら名鉄の新鵜沼経由でも容易)だけに、ぜひ訪問してほしい駅だ

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青空フリーパスで高山本線に挑む~白川町の中心駅も木のぬくもりであふれる

白川口駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

川の向こうが町の中心

美濃太田のお隣の古井から再び山中に入り、下油井のひとつ手前、白川口で下車。かなりの行ったり来たりとなっているが、ダイヤが薄いのでやむを得ない

当駅は駅名からも想像できるように白川町の中心駅、代表駅。なぜ「口」が付いているのかというと、町の中心地は川を挟んだ向こう側だからだ

徒歩でも十分に行ける距離だが、その中心部も別の川で二分される形となっている。古来からの集落は「水」を求めて形成される。鉄道も基本的には集落や町を追って敷設されるが、川沿いの残り少ない平地部分にレールが敷かれるため、スペースがないと町から見て川の向こうになってしまう。山中を行く高山本線は川とは切っても切れない路線である

1日4往復の特急も停車

白川口には上り4本、下り4本の特急も停車する。2面3線構造。普通は5時台の始発が当駅発で、夕方に当駅折り返しの列車が1本設定されている

ホーム上の待合所には1934年の財産票が記されていた

駅の開業は1926年3月なので大正15年。大正期の最後の年に誕生したことになる。岐阜方面からの線路が、お隣の上麻生からジワリ1駅だけ当駅まで延伸された。1駅だけといっても距離は10キロもあり、その後も駅は設置されていないので、山中ぶりが分かるだろう。終着駅のまま昭和を迎え、さらに先の飛騨金山まで延伸されたのは2年後のことだった

開業時からの駅舎

駅舎は塗装がされ直されたりしているものの当時からの木造駅舎が残る

財産票は1929年。開業から3年間は別の駅舎だったのか。だから駅舎の歴史も「当時から」になる

白川町の簡易委託という形で窓口がある有人駅。朝の6時台に岐阜駅を発ってから4時間を要して初めて駅員さんのいる駅で降りた(鵜沼は早朝で無人状態だった)

駅舎内は観光案内所を兼ねた地元物産品の販売所がある。朝食は5時台だったので、かなり空腹感が増してきたので

地元産のせんべいをいただく。当地はお茶の名産地でもある

一体いつから?の文字も残る駅で

ホーム側の駅名板は歴史を感じる上、微妙に突き出ている「出口」の文字もかわいい

これは跨線橋のもの。それほど特殊な跨線橋ではなく標準的な高さだと思うが、一体いつからのものなんだろう。旅人への気遣いである

駅舎入口は、なかなか見かけなくなった両開きである。さすがに戦前からのものとは思えないが、いつからのものだろう。国鉄時代の写真を見ると木製の扉だったようだが、簡易委託化された11年前からのものかもしれない

再び岐阜方面へと戻る。岐阜方面へは駅舎に面した1番線が使用されるが、特急待避の関係で跨線橋を渡った3番線からの発車でちょっと焦った。そういえば、昨夏に青春18きっぷで高山本線を巡った時に、全く列車のない時間帯に猪谷~高山を特急利用したが、すっかり新型車両に置き換えられている。わずか8カ月前のことだが、時間が流れていることを実感した

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青空フリーパスで高山本線に挑む~難読駅のサンドイッチ

古井駅は難読駅

※訪問は2023年4月29日

美濃太田のひとつお隣

中川辺から1駅、美濃太田へと向かい古井駅で下車。もう美濃加茂市に入っていて美濃太田の1駅北の駅となる

当駅はなんと言っても難読駅だということだろう

私的には高山本線の最難読駅は「上枝」だと思っている

ただ、こちらもなかなか負けていない。「こび」とは初見では、まず読めない

古井とはかつてあった自治体、古井町に由来する。ただし平成の大合併に伴うものではなく、1954年に同町や太田町などが合併して美濃加茂市が誕生した際に町としては廃止されている

地名については、いろいろな説があるようだが、飛騨川と木曽川の合流地点に位置して狭い場所にあることから、狭い場所を意味したり、川がつながった場所を意味するとされるが、詳しくは分かっていないという。詳しく分からないということは、古い町だということ。戦国時代より前には町名ができていた

鉄道的にも重要地

美濃太田は太多線との分岐駅で、列車に乗っていると高山本線と太多線が分岐していくのがよく見えるが、そこにあるのは美濃太田の車両基地である

元々は美濃太田機関区。戦前の1932年に開設された。太多線の美濃川合駅が圧倒的に近いが、美濃川合駅も古井町にあった。つまり、美濃太田と名が付くものの、重要な機関区が存在した町だったのだ

美濃太田駅の駅名標を見ると、おもしろいことに気付く

太多線との分岐なので、北側は2つの駅名が表示されているが、高山本線だと、ひとつ北側が「こび」、ひとつ南側が「さかほぎ」。どんな漢字なのか、想像もつかない。後に出てくるが「さかほぎ」は「坂祝」と書く。こちらもかなりの難読で運行の重要拠点である美濃太田は難読駅のサンドイッチとなっているのだ

もっとも美濃太田を挟んだ南北の駅は岐阜寄りか高山寄りかというだけで、列車の運行本数が全く異なるのだが…

その古井駅は簡易型の駅舎となっている。駅の開業は1922年(大正11)。当時からの木造駅舎がずっと使われていたが、2017年に解体されて現在のものとなった。簡易型とはいってもガラスまで使用されているので、ひとくくりに簡易駅舎としてしまうのもどうかという感じではある

ただ駅前の広い敷地にポツンとたたずむ小さなコンクリート駅舎は寂しさが漂うのも事実である

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青空フリーパスで高山本線に挑む~簡易駅舎を回るうちにスイッチが入る

中川辺駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

川辺町の中心駅

4月の記録をなぜ今ごろ記事化しているかというと、このほど高山本線の全44駅訪問を済ませたからだ。夏前あたりから全部終わってから順番に紹介しようと思っていた

昨夏の青春18きっぷで高山本線訪問をした際、簡易駅舎の駅は全く立ち寄っていない。印象に残りそうな駅だけをピックアップしながら回って、後は美濃太田~下呂間の立派な駅舎を回るつもりで、この4月29日となったわけだが、時刻表に合わせて回るうちに「こりゃ全部行かないとダメだな」と思うようになった。理由は特にないのだが

そんな気持ちを持たせてくれた今回からの駅である

下油井からずっと南下して下車したのが中川辺。ずっとと言っても4駅目なのだが、山中を行く高山本線は駅間が長い区間が多く、この間は27キロもある。東京~横浜が29キロほどなので駅の少なさが分かるだろう(もっとも京浜東北でない東海道本線の「普通」でも4駅目である)。所要時間も約30分(特急も頻繁に走る高山本線は途中駅での列車交換で長時間停車する運用も多く、時間はまちまち)

このあたりまで来ると、大きな町が開けている。美濃太田駅を中心とする美濃加茂市と隣接している川辺町の中心駅。実際に前記事で紹介した白川町や川辺町を含む加茂郡と美濃加茂市が合併に向けて具体的に動いていた時期もあった

さわやかウォーキングと遭遇

2面2線構造。駅の開設は1922年だから大正期(11年)だから100歳を迎えたところ。美濃太田から下麻生まで延伸された際の開業で、歴史は深い

ただ開業時以来の木造駅舎は2015年に解体され簡易的な駅舎に変わった

そして当日はJR東海ならではの「さわやかウォーキング」の舞台となっていた。週末にJR東海の駅を回っていると、さわやかウォーキングによく遭遇する。列車に乗っていると、お客さんの服装で分かる。各地で必ずといっていいほど出会うので、すっかり定着したイベントのようだ

いつも感心するのは「社を挙げて応援している」感が強いこと。舞台となった駅には優等列車が停車し、ふだんの無人駅に複数の駅員さんが派遣されて駅前は大いににぎわう。その中で「快速が停車するなら事前に知れば良かった」なんて悔やみつつ、青春18きっぷや青空フリーパスを提示して駅舎の写真を撮っている鉄オタ、駅オタは大いに浮いていると思うが…

訪問時は朝の9時台で、ゴールとなっている当駅の人は少なかったが、改札もない簡易駅舎に駅員さんはすでに派遣されていて青空フリーパスを提示して改札通過となった

そんな簡易駅舎の中川辺だが

跨線橋については古いものが残って、しっかり歴史を伝えてくれている

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青空フリーパスで高山本線に挑む~ここに来るための今日だった

下油井駅に到着

※訪問は2023年4月29日

一変する景色

岐阜から高山本線を北上すると美濃太田から景色が一変する。それまでは岐阜または名古屋のベッドタウンの印象もあったが、のどかな田園風景が広がり、やがて山中に分け入っていく。美濃太田から約40分

下油井に到着。所在地は岐阜県加茂郡白川町。お隣の駅が飛騨金山。旧国名で言うと、当駅までが美濃、ひとつ向こうは飛騨となる

名古屋駅から始発でやって来た今回の旅程はここに降り立つことが目的だったと言っても過言ではない。岐阜~美濃太田間は昼間も30分に1本の運行があるのに対し、美濃太田以北は2時間に1本程度の運行となる。先に当駅の時刻表を示すと

一定間隔で運行されているわけではないが、多いか少ないかと言われると決して多い方ではない上、駅間が離れていることが多く、名松線のように駅間を徒歩で埋めるのも、なかなか困難である。美濃太田から下呂までの途中駅は8駅しかないが、60キロもある上、自治体が異なるためコミュニティバスや路線バスも少なく、おそらく本日中の全駅訪問は無理だと思われる。そんな中、最優先で駆けつけたのが当駅だ

美しい木造駅舎が健在

駅舎とは反対側のホームで降りると待合室。かなり新しいものかと思ったが

意外と古い。戦後1年経ってのものだった。全国各地を回ると財産票を探すのに苦労することが多いが、JR東海は待合所や新たにできた簡易駅舎にもきっちり入れてくる。常にピカピカの駅名標も含め、細かいところにこだわりを感じさせてくれる

跨線橋を渡ると、お待ちかねの駅舎が見えてきた

美しい木造駅舎と対面である

勝手に抱いた危機感

下油井駅の周辺は小さな集落。駅のすぐ裏側は飛騨川が流れる。高山本線でよく見られる光景で、その分、人の住むスペースは限られる

民家が寄せ合って並ぶが、街並みはすぐに終わる

1日の利用者は50人ほど。もちろん普通のみの停車。今回、訪問先の最優先にしたのは駅の写真を見て「これは1日でも早く行かないとヤバいかも」と思ったからだ。高山本線でも多くの駅舎が簡易化されている。1分1秒でも早く駆けつけよう。だから時刻表うんぬんより、まずはここを目指した

だが真新しい駅名板などを見ていくうちに、そんな考えは杞憂だったのでは、と思い至るようになる。駅名板の下に財産票があるが、もっと分かりやすいものがあった

「昭和三年三月二十一日開業」と掲げられている。おそらく当時からのものではないだろうか。もちろん駅舎は開業時(1928年)からのもの

下油井駅は高山本線が白川口から飛騨金山まで延伸された時に設置された。たった2区間だけの延伸だが、山中の川沿いを行く路線の敷設はそう簡単ではなかった

開業時から貨物扱いをしていた

貨物ヤードが残る。貨物とは木材である

「東京五輪」との出会い

駅舎前に真新しいベンチがあった。最初に見た時は何だろう?と思ったが、しっかりと解説があった

白川町の木が東京オリンピック・パラリンピックの選手村ビレッジプラザで使用されたとのこと。このベンチは木材の再利用によって作られたそうだ

しっかり刻印もある。「木」へのこだわりを強く感じた。駅前には立派なトイレも設けられている。駅舎もしっかり残るのではないか。そんな安堵の思いで駅をあとにした

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青空フリーパスで高山本線に挑む~名鉄との直通特急接続駅

鵜沼駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

早朝の名古屋駅

朝の5時20分、名古屋駅前にいた。ちょうど夜が明け始めたころ

新幹線はホームで待機中だが、名古屋駅からの新幹線は上下とも6時20分発でまだ改札も開いていない。新幹線の自動改札はこんな風に両方が閉じられているとは初めて知った。出発まで1時間近くあるが、GWのまっただ中。自由席を求めて早くも待機しているようだ

私のブログでは常連中の常連である青空フリーパスを購入。今回は主に美濃太田~下呂間の駅を訪問予定。広大なエリアをカバーする青空フリーパスだが、名古屋~下呂は乗車券だけで2310円もするため、往復だけで十分に元がとれる(現実的には下呂のひとつ手前までしか行かないのだけど)。例によってチョコチョコ乗っては降りて、また引き返してを繰り返すので、こちらのきっぷは破壊力十分である

3回目の高山本線

名古屋発5時37分発の始発で岐阜に6時3分到着

織田信長公がお出迎え

6時25分発の美濃太田行きに乗り込む。この列車は平日は太多線直通の多治見行きだが週末は美濃太田止まり。平日はこの時間から通勤通学でにぎわい始めるが

GW最中とあって実に快適。高山本線のJR東海区間は昨夏の青春18きっぷ以来

この時はほとんど無計画に青春18きっぷのラスト2日間で高山本線の下呂以北をウロウロしたが、今回は主に下呂以南に出かけることにする。この時と比べ、多少は計画性を持って行動する予定だ(笑)

名鉄との接続駅

まずは美濃太田の2つ手前の鵜沼で降りてみる

高山本線は岐阜~鵜沼間を名鉄各務原線と並行していて競合関係にある。乗車してしまえば駅の少ないJRが速いが、単線非電化の高山本線と全線複線電化の名鉄では利用者数で名鉄に軍配が上がる

そしてJRと名鉄が接近している区間は他にもあるが、明確に乗り換え駅となっているのは当駅のみとなっている

名鉄の駅名は「新鵜沼」。かつて「新名古屋」「新岐阜」「新一宮」などJRとの接続駅は「新」が付くのが定番で、近年になって「名鉄○○」と改められるケースが目立つが、当駅は今も「新」である

地図の方が分かりやすいかもしれないが、名鉄の駅は並立というより直角にホームが造られている。名鉄の特急が見えるが、名鉄はここから犬山線となり、岐阜方面から犬山方面へ直通する電車もあるが、当駅からは始発の名古屋行き特急があり、所要時間は30分。乗車駅にもよるが、名古屋へ向かうには岐阜経由より名鉄の方が圧倒的に速いため、当駅で乗り換える人も多い

元は改札も共有

かつて両駅は改札も共有していたが、現在は駅舎が別になり「鵜沼空中歩道」で結ばれている

こちらがJR側の北口

そして両者の中央あたりにある東口。もうひとつ名鉄ホームのさらに先にある西口がある

さてグーグル地図は、こんなことまで書き込んでくれるのかと改めて感心してしまったのだが「急行北アルプス連絡線跡」がある跡といっても現在はカーブを描く道路があるだけだが、ここにはかつて線路があり、JRと結ばれていた。名鉄から高山本線に入る特急「北アルプス」が運行されていた。当初は急行だったが、後に特急に昇格した。国鉄時代は富山駅を経て富山地方鉄道の立山まで直通されるという私鉄→国鉄→私鉄という、今にして思うと夢のような列車だったが、後に富山地鉄部分はなくなったがJR移管後も残り「名鉄を走る気動車特急」「JR西日本エリアを走る名鉄車両」と、これまた夢のような列車だった(後に高山止まりとなり、JR西への乗り入れ期間は短かった)が2001年に廃止。その後、渡り線も撤去されたが、現在のネット時代まで存続していれば、常にクローズアップされる存在になっていたかもしれない

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宗太郎の「お隣」市棚を訪問(後編)~美しきうろこ雲に癒やされる

市棚駅に到着

※訪問は2023年10月5日(動画あり)

最初の出会いは…

宗太郎は滞在15分しかない駅だが、市棚は30分ほど時間があります

また山中の秘境感が漂う宗太郎に比べると市棚は小さいながら集落がある

国道10号は宗太郎越えでは、ほぼ日豊本線と寄り添うように走っている。また駅舎の裏手を国道が走るようになっているのは、かつて駅前の道路が国道だったから

まだ朝の6時半だが、もう起き始めているようで人の気配をそれぞれの家に感じる。ただ外を歩いている姿とまではいかず、最初に出会ったのは

2人のニャンコ。仲がいいのか悪いのかは不明だが微妙な距離感。共通しているのは明らかにヨソ者の私を警戒しているということ

ちょっと振り返って駅舎側を見る

再び駅まで戻って写真を撮ってしまった。あまりにも美しいうろこ雲。まだまだ暑いが、空に秋を感じる

駅付近のナゾを探索

もう少し歩を進める。車窓から見ていて不思議だったのは駅前に複数の集合住宅があること。大分県側の重岡駅もそうだったが、峠越えに多い宮崎側の保線作業の場は市棚のはずなので、かつて当駅で保線にあたっていた方の住居跡だと思っていた

その道中で

山中になぜか船

そして線路に面した集合住宅。見た目も含め、廃屋かと思ってナゾを明かしに入っていこうとしたが、1軒に灯りがついていたのでやめておいた

再び駅へ戻ろうとしたら

またもや美しいうろこ雲。これだけでここまで来て良かったと感じる

駅の規模は大きい

駅へと戻る

自転車置き場の「利用者」は見たところ1人だけのようだ。いつからのものかは分からない

駅の規模は大きい。2面3線構造は今も現役で、それとは別に側線がある

こちらは宗太郎方面を望むもの。ホームは待合室側から1~3番線。2番線は特急や貨物の通過列車が通り、停車列車は3番線を使用する。といっても1日1本なのだが。もっとも写真を見るだけでは電化された長いホームの駅に停車する列車が上下合わせて3本とは、とても思えないだろう

市棚駅はホームに3種類の駅名標が立っていた

まずは国鉄式。きれいなので最近更新されたものなのか

これはJR移管後のもののようだが、いわゆる「鳥居式」

そしてもうひとつが現在のJR九州の標準的なもの。ちょうど駅名標の向こうから朝陽が上ってきたところで美しい構図となった

延岡行き普通という名の特急車両がやってきた。名残惜しいが、これだけは乗らないわけにはいかない

日向長井駅も紹介

4カ月前の乗車で日向長井では列車交換のため3分ほど停車することが分かった。あまり本意ではないが、列車事情が事情なので許してもらおう

こちらもうろこ雲に覆われている。当駅は待合所のみの駅

2面2線構造で側線が1本残る

東九州自動車道の北川ICが近くにある。東九州自動車道は佐伯で海側に向かい、宗太郎越えでは国道10号、日豊本線と離れたところを通るが、この付近で合流する

待合所の背中に駅名板がある

駅名標には西郷さんが描かれている。宮崎県で一体何?と思ったが、近くの可愛岳は西南戦争の激戦地のひとつとなったそうだ

ここから列車は北延岡を経て延岡に至る。北延岡では路線バスの絶妙な乗り換えで延岡まで行けそうだということが分かったが、いずれにせよ北川駅が残ってしまう。いつになるか分からないが3回目のチャレンジで残る駅の回収をすることにしよう

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宗太郎の「お隣」市棚を訪問(前編)~ダイヤは同じです

市棚駅の国鉄式駅名標

※訪問は2023年10月5日

夜明け前の出発

朝の5時40分、ホテルを出て延岡駅へと向かう。この日の延岡の日の出は6時でまだ暗い

4カ月前と同じ景色が私を出迎えてくれて

あの時と同じ普通という名の特急列車に乗車する。3カ月前にも宗太郎から北側となる大分県内の閑散ダイヤに挑んだ時も同じ列車に乗っているから、4カ月で3回。かなりの頻度で足繁く通っていることになる

宗太郎と同ダイヤ

今回目指すのは宗太郎のひとつ手前の「市棚駅」。この時にも記したが、クローズアップされるのは宗太郎ばかりになりがちだが、延岡~宗太郎の各駅はすべて同じダイヤ

先に市棚の時刻表を掲載すると

朝に2本、夜に1本。延岡から北の北延岡、日向長井、北川、市棚、宗太郎はすべて同ダイヤである。夜の1本は遅すぎる上、下車してしまうとそこから動けない。早朝の1往復を利用するしかないのだ。つまりこれはどういうことかというと、この5駅をすべて鉄道で訪ねようとすると、5日間を要することになる。延岡~宗太郎は約25キロ。東京~横浜が約29キロだから、これより短い距離の各駅訪問が5日もかかるという、壮大な旅程となってしまうのだ

ということで

4両編成のうち先頭の1両だけが開放されている普通に乗車。旅客は私を含め5人。4カ月前と似たような数だが、ちょっと異なるのは、うち2人が若い女性だったこと。大きなスーツを持っている。男性の1人は地元の方といった風情で、もう1人の私と同世代ぐらいの方は、おそらく同業者(鉄道ファン)。最近はスマホアプリの発達により、車内でパラパラ時刻表をめくる姿が少なくなり、同業かどうか見分けはつかなくなりつつあるが、この路線については確認が可能である。私は宗太郎まで行かないが、同業者なら後で必ず出会うことになるからだ。宗太郎から延岡に向かう列車も特急車両の1両のみを開放するシステムなので、すぐ分かる。やはりというか、市棚からの折り返し列車でしっかり同乗となった(笑)

路線バスでも困難

電車に揺られること20分。市棚に到着。すっかり夜は明けている

宗太郎を除く4駅のうち、なぜ市棚を選んだかというと、当駅は宗太郎と同じく付近にバス路線がないからだ。この後、先に進まなければならないので今回は市棚の1駅のみの訪問で終わるわけだがコミュニティバスはあるものの、それは2時間後で北川駅付近には行けるが、どこかの駅で再び長時間待機となる(北川まで歩いた方が早いが結末は同じとなる)。いずれにせよ途中駅の乗下車はかなわない

おそらく、いつの日にか再び来なければならないが、できれば何とかあと1回で終わりたい。その意味で先に市棚を回収しておこう。また車窓からの市棚駅に大きくひかれたこともある

車窓からはホームを降りると駅舎が出迎えてくれる、と思っていたが実際は違った

駅舎のように見えるが実際はお手洗い。お手洗いの裏手のホーム側が待合所になっていて実態は待合所のみの駅ということになる。ただ駅訪問の際、これは実にありがたい。そもそもが近い方なので、大変助かる。男女別できれいなもの。20年ほど前にかつてあった駅舎が解体されて現在の姿になったようだ

宗太郎は15分ほどの滞在時間しかないが、こちらは「時差」がある分、30分の時間がある。周囲の散策を開始しよう

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今こそ違った乗継割引の使い方をしよう

大阪~金沢間で運行されているサンダーバード

来春で廃止

JR各社は先日、来春での乗継割引の廃止を発表しました。新幹線から在来線特急へ乗り継ぐと在来線の特急料金が半額になるというこの制度。ちょうど1年前に岡山駅の乗継割引が発表された時にも記事を書いています

まさか1年後に乗継割引の記事を書くことになるとは思ってもいませんでした

システムの詳細については、この時にも記しているので参照していただきたいのですが、なぜなくなるのか、どのぐらいの影響が出るのかを分かりやすい例で示してみましょう

駅弁1個分の料金

9月に長野県に行ってきました

新幹線で名古屋まで行き、特急「しなの」に乗り換えます

こちらが往路のきっぷ

そしてこちらは帰路のもの。乗車駅は異なりますが、チケットには「乗継」と印字されています

往路では名古屋駅で

駅弁を購入しましたが、乗継割引の特急料金を見ると名古屋~篠ノ井の正規料金は、この倍になるわけですから、駅弁に加えビールを買っても、まだおつりが来ます。単純に駅弁だけ買うなら1500円と、かなり高級なものが買えます

JR各社は「チケットレスの増加によって需要が減った」を理由に挙げていますが、少なくとも関西や東海地区の新幹線沿線から長野県に行く手段は「新幹線+特急しなの」の一択ですから、この区間の需要が減るはずがない。というか窓口や自動券売機できっぷを購入すると自動的に半額割引が適用されます。私的にはきっぷに全く興味がない、言い値で支払うという方にも、私のような「1円でも安く乗車してやろう」と考える鉄オタにも公平な制度だと評価しています。鉄道料金は元々、こうでした

今回の決定は体のいい値上げであると同時に、鉄道会社にとっては紙のきっぷを減らして経費削減を図る良い機会となっています

新幹線の1区間料金に注目

10月にはサンダーバードと北陸新幹線で新高岡まで行き、氷見線と城端線の全駅訪問を完成させてきました

これがその時のきっぷです。もちろん乗継割引が適用されていますが、ここで注目してほしいのは金沢~新高岡の特急料金。サンダーバードは指定席ですが、新幹線は自由席としました。なぜかというと、この区間は自由席と指定席で大きく料金が異なるからです

特急料金は季節や利用日によって変動しますが、この記事を書いている本日(2023年11月6日)の料金だと金沢~新高岡の指定席料金は2200円なのに対し自由席は880円と大きく差があります。原則的に両者の金額の差は指定席料金の530円ということになっていますが、新幹線の1区間については「特定特急券」という自由席利用に限り適用される料金があり、その料金は約900~1000円ほど。この制度は後から新幹線駅が誕生した場合でも元々の区間に適用され、例えば東京~新横浜(品川駅ができた)、名古屋~豊橋(三河安城ができた)などがこれにあたります

新幹線の1区間なんで仮に自由席が満席でも気にすることはありません。1区間の新幹線利用も在来線利用と所要時間に大きな差がある場合は結構な人気で、私の知るところでは東京~新横浜や博多~小倉は利用者が多い

在来線特急だけ利用する

さて、ここから本題となります。おそらく分かっている人は分かっていて既に利用されている方法かもしれません。道義的な部分もあるので文字にするのは私も控えてきましたが、乗継割引制度は、あと半年もないので書いてしまいます

大阪~金沢の在来線特急料金に注目してください。写真のきっぷはe5489で購入したもので、やや正規料金とは異なりますが、大阪から金沢まで行こうとしてサンダーバードに乗り込むと(2023年11月6日の料金)、指定席特急券が2950円、自由席特急券が2420円となります

一方、新高岡までは乗継割引と特定特急券が二重に適用されるので金沢まで指定席利用なら2350円、自由席利用なら2090円

なんと新幹線まで利用して遠くに行く方が特急券は安くなってしまいました。両方の制度を組み合わせた結果、こんなことが起きるのです

つまり最終目的地が金沢であっても特急券を新高岡まで買い、乗車券は金沢まで買えば数百円お安く旅ができるということ。新幹線のきっぷは放棄となってしまいますが、指定席なら乗りたい人に迷惑をかける可能性があるのでおすすめできませんが、必然的に自由席となるので迷惑はかからない

この利用法は乗継割引が適用される駅へ在来線特急を長時間乗車する際、有効になります。乗継割引が適用される駅や特急にも制限がありますが、今は簡単に特急料金が検索できる時代。ぜひ、これからの数ヶ月で利用する機会があれば試してほしいところです

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豊肥本線のスイッチバック、特急列車を堪能

九州横断特急はあそぼーい車両で運行されていた

※訪問は2023年6月29、30日(動画あり)

たまには乗り鉄なども

当日は長崎から在来線の駅も回りつつ、熊本を目指す予定で熊本到着後は三角線の渋い駅を回る予定だったが、折りからの悪天候で新幹線各駅訪問を優先。熊本には午前中に着いてしまった。天気予報は明日が今日以上に悪い。せっかく早めに着いたのだから、明日に訪問予定だった豊肥本線各駅とスイッチバックを本日中に堪能することに予定変更

ということで早速指定券を発券してもらう。駅弁を買い込んで在来線に乗るなんて久しぶりだ。たまには乗り鉄としよう

すでにホームで待っていたのは「九州横断特急」の車両で運行される「あそ」。九州横断特急とは、なかなか言い得て妙な名前で熊本~大分の豊肥本線148キロを縦断。日豊本線の別府まで乗り入れるが、阿蘇山のカルデラの中を通り、熊本と大分の県境をまたいで完走する列車は特急の2往復のみ。それとは別に熊本から宮地止まりの特急「あそ」が運行されている(週末は熊本~宮地の「かわせみやませみ」が加わる)

ロゴがなかなか素敵

私が社会人になった時に誕生したらしい

簡易駅舎の特急停車駅

特急は立野からのスイッチバックを経て赤水に到着。私は豊肥本線は実は初乗車。往路はキョロキョロするだけだったので熊本に戻る時にあらためて堪能することにして、まずは赤水駅の様子から

週末だけのかわせみやませみ以外の全列車が停車する駅とは思えない簡易駅舎。少し前まで1918年(大正7)の開業以来の木造駅舎が残っていたが、2016年4月の熊本地震で被災。現在の形となった

それでも「阿蘇カルデラ横断鉄道」のアピール板があり、駅舎側からホームを見ると

まるで山中の下灘駅(愛媛県)。好天なら、きっと絶景だったのだろう

スイッチバックを堪能

立野から大分方面を目指す列車は、坂を登るため、まず赤水とは逆方向に向かいスイッチバックで赤水を目指す。駅間距離は線路にして約8キロだが、スイッチバックの際の手間で1区間15分ほどを要する

立野方面への普通列車がやって来た。この区間は普通だけで1日13往復もの運行があるのが特徴(午前中に3時間普通が運行されない時間はある)。通学の高校生も乗っている。阿蘇山中のスイッチバックというと秘境感を想像する方も多いかもしれないが、ちょっと違う

ただし動画で分かる通り、当日は強風で駅名標の鉄板がミシミシ音を立てて揺れるような状況。私の滞在時に雨が落ちてこなかったのが幸運だった

赤水を出ると立野駅付近まで来て分岐が見える。左側が立野方面だが列車はそのまま直進

やがて停車する。列車の車種ごとに停止位置が決められている

ワンマン運転なので、運転士が2両編成の車内を「横断」。準備が整うと立野に向けて出発する

立野駅の駅名標。私がいちいち説明する必要がないほど、すべてのデータが入っている

こちらも分かりやすすぎる解説だった

幸運に恵まれあそぼーい乗車

この後、雨が酷くなったら止める予定で豊肥本線の熊本近郊の各駅を訪問。そして翌日、あらためて大分へと向かう。この日の夕方までに佐伯にたどり着いて今回の旅の柱のひとつだった「人名シリーズ訪問」を行う予定だ

早朝から前日訪問できなかった熊本近郊の駅を回っているうちは良かったが山中に入ると猛烈な雨

赤水でドアが開いた際に写真を撮ったが、土砂降りとはまさにこのことで傘を持っていても屋根のない所では1分も立っていられないレベル

列車後部のかぶりつきで撮ると、ガラス越しにこんな感じ。どちらかというと、よくぞ動いてくれたと感謝のレベル(翌日は運休していた)。前日に訪問しておいてよかった

宮地駅では小雨模様

運行の重要駅で

かつては機関区もあった運行の要衝で転車台も残る。この転車台は「SLあそBOY」にも利用されていたので20年近く前まで現役で使用されていた

ここから先の県境越えは普通の運行は1日5本という閑散区間なので、九州横断特急で大分を目指す。すると駅員さんに「今日は、あそぼーい!車両です」と告げられた

これは超ラッキー。九州横断特急は午前と午後の2往復だが、土日祝の午前1本は同ダイヤの「あそぼーい!」となる。運用の関係で平日にあそぼーい車両が使用されたようだ

もちろん初めて目にするし初めて乗車する

九州横断特急とあそぼーい!の違いは後者が全車指定席であること。だからこんな時以外は自由席のボードがはめられることはない

写真を掲載するとキリがないが、いろいろ「遊べる」車内である

佐伯には予定時刻に到着できた。前日の長崎から降雨前線を逃れるような道程だったが、もちろん事前の旅程は雨を見込んでのものではない。スイッチバックを前日のうちに堪能できたことも含め、ある意味幸運が続いたと言えるだろう

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