※訪問は2023年4月29日
難読駅の片側へ
白川口から再び美濃太田方面へと乗車。美濃太田で乗り継いで1駅お隣の坂祝で下車
これも難読度が高い。ただし自治体名である。同町のHPによると、すでに平安時代の文献に見られる「坂祝神社」にちなみ明治になった坂祝村が誕生した。おまけとなるが、駅を降りるとこのような案内がある
駅はかつての山城のふもとにある。「坂祝町の猿啄城跡」となるわけだが、全く何も読めないという状態になってしまう可能性が高い
さて前々回の記事で
美濃太田駅は難読駅に挟まれているとしたが、当駅は美濃太田のひとつ岐阜寄りにある
今回は美濃太田~下呂の攻略だったにもかかわらず、なぜ足を伸ばしたかというと「列車の運行がなかったから」である(笑)。ローカル線というのは通勤通学の時間帯が終わると「お昼休み」に入ることが多い。ということで坂祝まで足を伸ばした
大正期からほぼ原型を保つ
と書くと、ついでに来たような印象を持たれるかもしれないが、駅そのものはついでに訪れるようなものではない
実に素晴らしい木造駅舎が残る
当駅は1921年(大正10)の開業。高山本線が美濃太田まで到達した際に設置された
駅名標も当時からのものであることを伝えている。アルミで窓が補強されていて、おそらくその際に塗装のやり直しがあったのだろうが、駅舎の向かって右側はあまり手がつけられていない
こちらは駅名板
さて当駅の良さは何といってもアクセスの容易さ。美濃太田のひとつ岐阜寄りにあるため、昼間も30分に1本の運行がある。IC乗車も可能
高山本線の岐阜~美濃太田間の各駅はすべて簡易的に駅舎に建て直されているため、開業時からの風情を残すのは当駅のみである
最近までJR貨物の駅
駅の跨線橋からの風景
町は駅舎側に広がっているが、駅舎の裏手はセメント関連の工場が並ぶ。JR移管後も工場への貨物駅として機能していた。今は草むらになっているが、貨物側線の跡がある
駅舎側にもヤード跡が残る。貨物輸送は2007年まで続き、そのためきっぷの販売など、駅業務はJR貨物が担っていた
必ずしも難読ではない
さて難読駅と随分繰り返してきたが、ちょっと車に興味のある人にとっては難読でも何でもない駅(自治体名)だった
かつて坂祝町には「パジェロ製造」工場があった。かつてといっても生産終了は2021年8月のことだから、ついこの間のこと。パリ・ダカールラリーなどで名をはせた三菱「パジェロ」は1982年の製造開始以来、ここで誕生していた。つまり世界のパジェロ=坂祝として町の名前も知れ渡っていたのだ。40年にわたって320万台以上ものパジェロを世界に送り出していた
現在はICリーダーのみの無人駅だが
ホームに面した駅舎にも歴史を感じる。駅舎の将来についての情報は持ち合わせていないが、岐阜からは30分。本数も多い(名古屋からなら名鉄の新鵜沼経由でも容易)だけに、ぜひ訪問してほしい駅だ
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