※訪問は2024年10月27日
5年ぶりの訪問で「あれ?」
いよいよ小和田駅に到着。「いよいよ」と記したのは、この駅が鉄道ファンだけでなく一般的にも認知度の高い駅だという思いがあったからだ
かつては2面の対面式ホームがあったが、今はレールがはがされ棒状化している。当駅には2019年6月にも訪れているので5年ぶりの訪問となるが、ホームに降り立つと金野駅の自転車置き場と同様の違和感があった
移動した3県境標識
小和田駅は1936年(昭和11)の開業。三信鉄道の一時的な終着駅だった
車では絶対にたどり着けず、最も近い集落までも徒歩で1時間かかる山中の駅として知られる。グーグル地図を拡大しても道は出てこないほどの場所にあるこの駅が、なぜ終着駅となったのかというと、もともとは天竜川に近い場所を線路が走っていて、当時は天竜川を利用した物流の拠点ともなっていた大きな小和田集落があったからだ。だが佐久間ダムの建設のため集落は湖底に沈み、駅が高台に移されたのが1955年(昭和30)。車では行けない駅となった。もっとも当時はまだ「マイカー」の時代ではなく、それなりに駅の意味はあったようだが、周辺に残ったわずかな家も1軒また1軒と減っていき、日常的に使用される駅ではなくなっていった
当駅の特徴のひとつは地図で分かる通り、静岡、愛知、長野3県の県境近くに位置すること。駅があるのは静岡県だが、天竜川の向こうは愛知県で、天竜川沿いまたは線路沿いですぐ長野県に入る
ということでホームの3県境標識(2019年6月の写真)が当駅のウリのひとつ…のはずだったが、この木製の標識が見当たらないのだ。私の探し方が悪いのか、ウロウロしても見つけられない
その代わりなのかホームから駅舎に入ろうとすると
この位置に県境境界駅の標識があった。5年前の写真はこちら
間違い探しクイズのようだが、当時はなかったので、この位置に「移転」したようだ。ホームの木柱が危なくなったのだろうか。細かいことだが、入口の左側にも新たな木の駅名標が置かれている。このような駅は、そう大きな変化はないものと思い込んでいたので、ちょっと面食らった
5年前の貴重な思い出
秘境駅号に乗車したのは、何度も触れているが2012年の11月。そして秘境駅号の停車駅でそれ以降に訪問したのは、この時に同時訪問した中部天竜ぐらいである。メインは解体が決まっていた湯谷温泉駅訪問だったが、少し足を伸ばして小和田まで来た。その時に利用したのが
大阪~小和田の往復乗車券。片道の距離は350キロにも満たず、往復割引の恩恵に預かる距離ではないが、帰路の乗車券は車内で車掌さんから買うしかないので、となると豊橋以降でいちいち係員のいる改札を通らなければならない。日帰りの道程はサクサク帰りたいので、あらかじめ往復で買っておいた。当たり前の話だが、大阪駅の券売機で「小和田」と行先指定すると、ちゃんと買えて、なぜか感動した。ただあらためて眺めると途中下車した新城駅で途中下車印を押されている。その手の作業は駅員さんの仕事を増やすだけなので「途中下車印要らない派」なのだが、駅員さんの仕事として押してくれたのだろう。思い返すと、ここ数年で何も言わずとも途中下車印を押してくれたのは、すべてJR東海の駅である
最近の小和田駅の1日あたりの平均利用者は、ずっと1ケタ。正規の乗車券で小和田で乗降したわけで、駅利用者のカウントにしっかり入れたことに大いに満足したことを覚えている
駅付近の散策をしよう
↑2つクリックしていただけると励みになります