2024年 8月 の投稿一覧

今年も抜海で待っていた悲劇と稀有な体験~その1(予定だけは完璧のつもり)

※訪問は2024年8月26、27日

※音声あり動画注意

稚内で昨年を思い出す

夕刻の稚内駅。昨年8月31日の同時刻もここにいた。そして全く予定外だったが、なぜか翌日も稚内駅へ行くことになった

昨年9月1日はここに並んでいた

プライベート、仕事と全国各地でいろいろな体験をしているが、一生忘れがたいものとなった

宗谷本線がストップして稚内から旭川へと移動するのに札幌経由とか、ちょっとあり得ない

結果的に残り2枚だったバスのチケットを買った窓口。すべてが懐かしく思い出されるが、なぜこのような写真を掲載したかというと「二度と同じ目に遭いたくないから」である(笑)。そりゃそうでしょう

ということで

昨年と同じ18時10分発の普通に乗車し抜海を目指す

稚内から2駅目(といっても20分近くかかる)の抜海で到着。1日に3・5往復の列車しかやって来ない当駅。私を含め数人が降りた。私は本日、昨年と同じばっかすの世話になるが、他のお客さんはどう見ても地元の方ではない。ここで降りてどうするのだろう?と思ったが、ばっかすのご主人によると1時間後の19時33分(最終である)で稚内へ折り返す人だろうということ。ちなみに抜海から稚内へと向かう列車は7時50分、11時48分、19時33分の1日3本しかない

こちらが時刻表。そして写真の通り、朝の旭川空港に着いた時の雨はすっかりあがっている

それなりに考えた今回の作戦

1年ぶりに抜海までやって来た目的はまず「抜海から列車に乗車すること」

昨年は到着はしたものの、宗谷本線のストップで抜海駅のホームに入線する列車を見ることはかなわなかった。去りゆく列車を見送っただけだ。今年はなんとしても「乗車」したい

そして「雄信内」「南幌延」の両駅も訪問する。この記事を読んでらっしゃる方は駅名だけで分かると思うが、いずれも近い将来の廃駅が報じられている駅である

そのためには抜海から始発の5時39分に乗車しなければならない。その次の抜海発名寄行きは10時46分。3駅はいずれも普通しか停車しないので10時台からアクションを起こしていては間に合わないのだ

私が立てた予定は以下の通り

5時39分(名寄行き) 抜海発

6時32分(同)南幌延着

6時50分(稚内行き) 南幌延発

6時58分(同) 幌延着

7時32分(旭川行き特急サロベツ2号) 幌延発

8時37分(同) 音威子府着

9時8分(稚内行き) 音威子府発

10時14分(同) 雄信内着

12時4分(名寄行き) 雄信内発

言ったり来たりしながら南幌延と雄信内を巡ろうというもの。北海道フリーパスを持っているので特急も乗り放題である。特急に乗車しない場合は南幌延と雄信内は実は隣駅で

徒歩2時間で到達できる。南幌延に着いてから雄信内を発着する列車まで4時間近くあるので楽勝(?)といえば楽勝で、この場合はたとえ雨はなくても、どこかもう1駅訪ねることも可能となるが、おそらく人が歩いていることはほとんどなく、どんな生き物に遭遇するかもしれない徒歩2時間は、さすがに私には無理な相談である

ということで

翌朝はご主人の好意で5時15分には抜海駅まで送ってもらい

今年も抜海駅を堪能。雨がかなり降っていたが列車の運行情報に関するアナウンスはなく無事に稚内からこちらに向かっているようだ

そして定刻から、やや遅れはしたが名寄行きは入線。念願の抜海駅からの乗車

ちなみに当駅は棒状化が決まっていて9月24日からこちらのホームは廃止となる。その意味でも貴重な乗車。さぁ、後は南幌延に向かうだけ、となったが、このタイミングで運転士さんに無線連絡が入り「抑止」という声が聞こえてきた。この先、雨が激しくしばらく当駅でストップするという

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わたらせ渓谷鐵道に初乗車~その3(本社と車庫の温故知新駅はみどり市の中心部)

※訪問は2024年6月15日

別の場所にもあった大間々駅

大間々駅に到着。桐生を発ってから2駅目の相老駅、さらにそこから2駅の大間々と順に来ているが、途中にある下新田、運動公園の両駅は、いずれも三セク転換後に設置された駅で、元々のJR(国鉄)足尾線だと2駅順番に降りたことになる

写真に車庫が見えるが、大間々は車庫そしてわたらせ渓谷鐵道の本社がある中枢にあたる駅。そして桐生からの列車の半分ほどは当駅止まりとなる。わたらせ渓谷鐵道は路線全体が44キロだが、桐生~大間々はわずか7キロ。車窓を眺めていると桐生から大間々までは桐生市の郊外(大間々駅はみどり市)という雰囲気だが、大間々から先は急に山深くなる。広大な関東平野の一端に来た感がある。旅客輸送でも当駅までが中心を担っているのだろう

大間々町は平成の大合併でみどり市となった。足尾銅山からの銅山街道の宿場町または生糸の集散地として栄えた。つまり足尾線のコース

ただ1911年(明治44)の開業時は「大間々町」を名乗っている。なぜかというと別に大間々駅があったからだ。現在のJR両毛線「岩宿駅」である

大間々駅と岩宿駅はかなり離れていて、現在の道路と車でも15分もかかる。徒歩だと1時間以上。しかも所在地は笠懸村(後に笠懸町)で自治体も異なっていた。両毛線を敷設した両毛鉄道は、大間々の街を走らせる予定で先に駅名を決めたが、工事の都合で大間々を通らなくなった。それでもすでに決まっていたからと大間々駅とした。足尾線が走る20年以上前のことだ。ということで20年以上続いた(初代?)大間々駅だが、実際に大間々に駅ができ「大間々町」と名乗ると、実態に合わないとなり、わずか1カ月で駅名を返上して岩宿に。その翌年、大間々町駅もめでたく大間々を名乗るようになった。ただし平成の大合併のため、現在は両駅とも同じみどり市に所在する

ただ地図でも分かる通り、赤城駅は徒歩でも十分可能な距離(乗り換えなら相老駅を利用するだろうが)。1928年の開業時から戦後まで「新大間々」を名乗っていたほどで、両駅の間はかつての大間々町の中心部でみどり市となった今もそれは変わらない(ただしみどり市役所は岩宿が最寄り)

所々に残るたたずまいと現代ならではのもの

駅舎は木造で昭和になってから改築されたと伝わる。正面下部のものは、この写真では見えにくいが

歴史を感じさせるもの。字体から国鉄時代のものと推察される

荷物受付は駅舎の外側で対応していたようだ

こちらはちょっと現代寄り。わたらせ渓谷鐵道開業時に走っていた車両が駅舎の隣に設置されていて

こちらはもう現代。大間々はコンビニが隣接している路線では貴重な駅だが、こういうものを見せられると、こちらで買わなければしょうがないだろう

改札にはホーローのようでホーローでない駅名標が並ぶが、あえてそれっぽく作ったのだろう

もちろんちゃんと本物もある

もうひとつ

本社の駅らしく当然の有人駅。グッズ販売も行われている

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わたらせ渓谷鐵道に初乗車~その2(同名を避け異なる文字で歴史を紡ぐ)

※訪問は2024年6月15日

駅名標の中で漢字が異なる

桐生から単行のわたらせ渓谷鐵道に乗車。車両は2015年製造の500形502。わたらせ渓谷鐵道では2010年以降、新車を順次導入

新車の雰囲気がまだ漂う超ロングシート。同社の車両にはトイレの設置があるものとないものがあり、乗車時には注意が必要

わずか5分、2区間の乗車で相老駅に到着

旧式の駅名標が残るが、これだけきれいに並ぶと違和感というより違いがはっきりする。駅名は「相老」だが地名は「相生」。何かの間違いではないかと思ってしまうが、どちらも正解

相老駅は1911年と明治44年の開業。110歳を超える歴史を持つが、さらにその前の1890年に兵庫県の相生駅が開業している。青春18きっぷ期間の「ダッシュ」で知られ、山陽新幹線の駅でもある。桐生市の相生村にあった駅も当初は「相生駅」としてスタートしたが、重複を避けるため、わずか1年で現在の駅名に変更されている

駅名が重複した場合は旧国名を入れることが多いが、漢字を変えることもある。余部(あまるべ)橋梁で有名な駅は「餘部駅」。地名はもちろん鉄橋も「余部」なのだが、同じ兵庫県内の姫新線(姫路市)に先に「余部駅」があった。こちらは「よべ」と読みが違って文字が同じだったが、漢字にすると同じになるとの理由で、わざわざ難しい文字を駅名に入れた

ちなみに相生駅は岐阜県にもあって、郡上市の長良川鉄道に存在する。長良川鉄道もわたらせ渓谷鐵道と同じ旧国鉄の第三セクター。こちらは昭和になってからの駅で開業時は「美濃相生駅」だったが、三セクとなってJRとは別会社になったことで美濃の2文字を外した。実はわたらせ渓谷鐵道内には「同じ漢字で読みが異なる」駅があり、この後に訪問することになるが、こちらは三セク転換後に地名と同じ漢字に戻している(相老駅も含め開業時は足尾鉄道という会社で国鉄ではないのだが)

ではなぜ、そのまま相老が使用されているのかになるが、それはおそらく乗り換え駅として定着しているからだろう

ICリーダーのあるわたらせ渓谷鐵道の駅

相老駅は有人駅で改札口にはICリーダーがある。前記事で「わたらせ渓谷鐵道はIC乗車はできない」と記したばかりだが、これは東武桐生線のものだ。ICリーダーの上に「わたらせ渓谷鐵道利用の方はタッチしないでください」と張り紙がある

跨線橋から見た相老駅。右側の2面2線ホームが、わたらせ渓谷鐵道で左側の島式ホームが東武桐生線。改札口の写真に両路線の時刻表があるが、運行本数では東武が多い上に都内まで直接行ける特急停車駅でもあるため、利用者数も東武が圧倒している。わたらせ渓谷鐵道側は貨物列車が使用していた中間線の跡があり、長いホームに停車している単行列車がどことなく寂しげではある

ただし駅舎の管理はわたらせ渓谷鐵道で東武の特急券も販売している

木造駅舎を有するが、歩道に屋根が設けられていて駅舎の全景を伺うことはできない

ただひっそりではあるが、レンガ倉庫も残されている

すべて母音のAIOI-STATION。アルファベット順に並べると全国にある3駅が並んで先頭に来る

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わたらせ渓谷鐵道に初乗車~その1(両毛線の桐生駅から歴史の旅に向かう)

桐生駅の駅名標

※訪問は2024年6月15日

小山駅からスタート

朝の小山駅。見た通り、工事中だった。前日は結構な量のアルコールが体内に入って、まだ後遺症が残る(専門用語で二日酔いという)が、本日はここからスタート。関西の人間にとってあまりなじみのない小山だが、知人が当地にいることもあって10年以上前から結構来ている

昨年3月も来た。その時は「JR東日本3日間全線乗り放題」という鉄道150周年の夢のようなきっぷ(もう二度と登板はないらしい)で仙台から東北新幹線の各駅を巡った後に新青森から秋田、山形をぐるりと回って東京着。翌日は「休日おでかけパス」で東北本線をウロウロしながら小山泊。翌日は「青春18きっぷ」(青森県の川部駅の旧社屋で窓口がギリギリ残っていた時代に購入した)を登板させて両毛線の各駅巡りを行った。まだ記事化していないのは、いくつかの駅を回りきれなかったため。いつの日にか「全駅めぐり」が始まるはずだ

東北本線のホームから少し距離がある両毛線ホームからクラシックな車両に乗り込み

桐生で下車。本日の目的はここからわたらせ渓谷鐵道に乗車すること

JR桐生駅の券売機で1日乗車券を買う

沿線のいくつかの駅で1日フリーきっぷを販売しているが、自動改札機を通れるのは桐生駅販売のものだけらしい。おそらく理由は当駅の自動改札機を通るため。先に述べると沿線内は自動改札機もなければ、IC乗車もできない

1989年(平成元年)発足の第三セクターわたらせ渓谷鐵道はJRホームの一角を間借りしている。元々は同じ国鉄でJR移管後もしばらくはJR足尾線だった。駅の高架化が先に行われたため、別の駅舎ができることなく、ホームはそのまま。そもそも桐生を出ると、しばらくは同じ線路を走る

注目は「鐵」の文字。階段の注意書きには「鉄道」が使用されているが、フリーきっぷの券面でも分かる通り「鐵道」と旧字体が使用されている。これは戦前からのならわしのひとつで「鉄」という文字は「金を失う」と書くので縁起が悪いとして企業では旧字体を使用することが多かった。有名なのは「新日本製鐵」で長らく旧字体が使われてきた。ただ旧字体が難しく、子どもはもちろん大人も書けないということで企業チームの野球やラグビー、バレーボールなどを扱う際、メディアでは「鉄」の文字が使用されていた。新日本製鐵も企業合併後の新会社は「日本製鉄」となっている。鉄道各社も大手から順に「鉄」となった。その一方で大井川鐵道のように近年になって旧字体を使用するようになった会社もある。わたらせ渓谷鐵道はスタート時から旧字体だ

ホームではすでに単行のわたらせ渓谷鐵道の列車が待っていた

桐生駅で改札の外に出ることなく両毛線とわたらせ渓谷鐵道をIC利用する際は簡易式のリーダーに読ませることが必要。沿線には足尾線時代の駅舎や施設が数多く残る。今回はそれらに触れる旅で当社ならではのトロッコ列車にも乗車する予定。半日旅のスタートである

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その23(帰宅と旅のまとめ)

花巻空港から伊丹行きに搭乗

※訪問は2024年7月6日

別の経路も模索

花巻空港駅と空港を結ぶ路線バス。前記事で記した通り、盛岡からの空港バスが必ず花巻空港駅に立ち寄るようになったもので、空港までは10分もかからない。料金は320円。花巻空港HPによると花巻空港駅からタクシーに乗車すると1400円がめどらしいので4人旅だったら一人あたりの料金はさほど変わらない。空港バスは発着に合わせて運行されているので、JRとの接続はさほど考慮されているわけではないので空港でゆっくりしたい人ならタクシーもおすすめかもしれない

花巻空港はJRの各駅からさほど遠くはないので、いざバスに乗れなくてもそれほどお金をかけずにタクシーでたどり着ける利便性がある

ちなみに最も近い駅は釜石線で花巻と新花巻の間にある似内(にたない)で

ターミナルビルが移動したおかげで花巻空港駅より空港に近い駅となった。徒歩約30分。ただし無人駅で快速通過駅。花巻駅からだと9時49分発の次は14時40分と5時間ほど運行がない状況だ。もちろんバス路線はない。花巻空港駅で1度降りながら、わざわざ似内駅まで行って歩くと企画を思いついた。15時35分発の飛行機は似内駅を降りて50分後の離陸。道路は複雑そうではなく、おそらく間に合うはずだが、さすがに朝の時点の暑さで中止を決めた。駅から離陸まで2時間ほどあれば決行していたかもしれない…いや、さすがに暑さには勝てなかったと思う。列車には乗ったものの、おじけづいて次の新花巻まで行ってタクシー1800円という世界になっていたと予想する

東京行きの便はなし

花巻空港は「いわて花巻空港」の愛称が付けられている岩手県唯一の空港。開港は1964年(昭和39)。元々は東京便のための空港だったが、1982年に東北新幹線が開業。85年に上野~大宮が開業(それまでは大宮~盛岡の暫定営業だった)すると羽田行きはなくなった。大阪、神戸、札幌、福岡、名古屋と台湾行きの国際便がある

天候、経費は◎、体力、知力は×

花巻空港はこじんまりしていて利用は楽。バスの到着は出発の約40分前で、そのまま保安検査場に向かったが、検査場をくぐると売店がなく土産は買えず。もし今後利用される方がいれば留意してほしい

ということで無事に旅を終えられたわけだが、簡単に振り返りを

まず経費面。早めにタイムセールで航空券を買っていたこともあって

伊丹~羽田 8410円

花巻~伊丹 1万240円

北海道&東日本パス 1万1330円

後は空港まで、空港からのバス、電車代で合わせて3万2000円ほどグリーン利用も新幹線利用もこらえたので6日間の旅としては交通費は安く抑えられた。鉄道運賃については、そもそも盛岡~青森の三セクだけで5590円なので単純往復するだけで、ほぼ元をとれる。多くの駅で途中下車し、例によって戻ってまた進むを何度も行ったので、三セク利用の2日間だけで大幅に回収できている。東京まで戻らず東北から直帰という道程も、どうせ東京から大阪への旅費が発生するのだから、東北での滞在時間を増やせて正解だった

次いでホテルは

東京 9000円

いわき 5700円

北上  5500円

青森  6800円

盛岡  6300円

5泊で3万3300円。初日の東京が鬼門だったが、東京のホテルだけはおそろしく早めに確保して何とか1万円切り。ここからホテルそのものや予約サイト、携帯電話のポイントを使用したため実際は3万円で済んでいる。時期的にも7月1日からと、まだオフシーズンだったことも良かったようだ。同じホテルに1カ月後に泊まるともっと高かったはずだ。ということで経費面は合格(1日の食費も夜のビール代も含め東京以外は5000円以内で抑えている)

オフシーズンといえば、天候的に東北はまだ涼しかったことも幸いした。あまり触れなかったが、最初の5日間は小雨に何度も見舞われ、折りたたみ傘はすぐ取り出せるようにしなければならない状態だったが、トシをとると炎天下よりは全然マシだ。最終日の6日になって東北地方にもようやく本格的な夏到来となったようで、ギリギリ通り抜けたようで幸運だった

ただ問題はここから。目の前に来た列車に乗り、降りたいと思った駅で降り、宿もその日の到達点で適当に決めるという、ある意味会社員時代に憧れていた旅だったが、トシというのはどうも隠しようがない。記事にしたものもあったが、駅での時刻表の見誤りも何度かやらかしている。事前に時刻をチェック。駅に着いたら駅舎に張られている時刻表で再確認しながら上りと下りを間違うとか、トシのせいとしか言いようがない。ホテルを決めた瞬間に疲れが出て、まだまだ明るい夕方の4時にチェックインということもあった

きっぷの特性上や地域性で訪問時期は暑い時か寒い時に限られる。ということは1年後に再びチャレンジ、ということになるのだが、その時まで何とか体力と知力をキープしたいものである

道中かなり省略しながらも23回もかかってしまった旅の報告。長らくお付き合いくださり、ありがとうございました

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その22(古風すぎる空港駅)

花巻空港駅の改札

※訪問は2024年7月6日

最初から決めていた道程

一昨年秋以来出会った釜石駅前の「鉄と魚とラグビーの街」の文字を見て花巻に戻る。滞在はわずか30分ほど

みどりの窓口も設置されている釜石駅だが、列車の本数はわずかにこれだけ。快速を除くと1日に8本の列車しかないため、限られた時間内で途中駅ウロウロというのはなかなか困難。本当は陸中大橋駅ぐらいは行きたかったが、今回はやむを得ない。花巻へと戻る

花巻駅で何か食べるのもありだったが、猛烈に暑くて食欲も出ない。売店でサンドイッチを買って、これが本日の昼食である。旅を始めてから連日のようにテレビで報じられていた東京の暑さが、北の地にもやって来たようで、この日の最高気温は30度を軽く超えるという。今日は帰る日なので、ある意味助かった

まだ時間があるため東北本線をちょっとウロウロして

花巻空港駅に到着。こちらについては5月に航空券を購入した時から決まっていた道程だった。まだ利用したことのない花巻空港へ空港アクセス駅から向かおう

ちょっと違和感の「空港アクセス駅」

花巻のお隣の花巻空港駅

複数パターンの駅名標が出迎えをしてくれる

空港アクセス駅だけあって、なかなか彩り鮮やか

だが駅舎を眺めると

実にクラシックな駅舎のお出迎え。空港アクセス駅というと近代的なコンクリート製を思い浮かべてしまう。近年、鉄道で空港にそのままアクセスが流行りとなったので、その印象がより強いが、こちらは開業時の1932年(昭和7)からの木造駅舎

駅はこの春から無人化され、券売機も撤去。ICリーダーだけが設置されている。戦前に空港駅があったのかも含め、違和感はある

違和感を解くカギは駅前ロータリーの石碑にある

「二枚橋駅開設50周年」とある

その隣には「花巻空港駅開業60周年」の石碑が並んでいる

駅の所在地は「花巻市二枚橋」。石碑で分かる通り、元々は二枚橋という駅だった

改名25年で本当のアクセス駅に

駅前のタクシー会社も二枚橋タクシー

大正期に設置された信号場が昇格した。もちろん当時、花巻空港はない。空港の開港は1964年。駅名にも変化はなかったが、JRとなった1988年に転機が訪れる。空港への近さから空港アクセス駅のような駅名へと改名されたのだ

とはいえ空港までの距離は2キロ。そして路線バスはあることはあったが本数は少なかった。2キロといえば徒歩30分ぐらいだが、空港へ手ぶらで向かう人はあまりいない。スマホで調べることなどできなかった時代。知らずに降りた人はタクシーで向かうしか手段はなかった。さらにその後、空港ターミナルビルが駅から遠い方に移転して距離約4キロとなった

駅舎内の地図には「距離4キロ 徒歩40分」とあるが

なかなか40分ではたどり着かないようだ。空港へは盛岡駅または花巻駅からの路線バスがアクセス手段とされ、単なるタクシー乗り場だった時代が長らく続いた(とはいえ、現行のタクシー料金も花巻空港HPによると花巻駅から1900円、花巻空港駅から1400円とそう大きくは変わらない)

転機が訪れたのは2013年のこと。花巻駅~空港のバス路線が廃止され、代わりに盛岡~空港のバスが当駅を通ることになった。現行の花巻空港への路線バスは当該便と北上駅からの2路線のみ。ただし後者の運行本数は多くはなく、また盛岡駅~空港のバス運賃が1500円なのに対して花巻空港駅~空港は320円と安く利用者の財布にも優しい。改名25年で本当の意味での空港アクセス駅となったのだ

私も多くの乗客とともに空港へ移動。無事、伊丹空港行きの飛行機で帰ることができた

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その21(想定外のJR完乗)

釜石駅の駅名標

※訪問は2024年7月5、6日

温暖差にギブアップ

小鳥谷から1時間で盛岡に戻る

時間はまだ13時20分。もう少しウロウロしてみようかと本数の多い東北本線の駅をまったり回り始める。ちなみに宿は盛岡駅とした。一昨日の経験で北上の宿が安いということは分かっていたが、せっかくの旅なので別の都市に泊まろう、と盛岡に。翌日の朝からIGRいわて銀河鉄道の駅をいくつか回りたかったこともある。ただホテル代は北上とは比べものにならない。小鳥谷から1時間の間に予約サイトをあれこれ見て回った結果、駅から徒歩10分で6000円台の比較的新しいホテルを発見したので予約を入れた

ということで盛岡以南の駅を回り始める。以前も記したが、盛岡~北上は昼間も1時間に2本の運行がある区間で本数も多い。だが

暑い

午後になったのもあるし、現地でサッと雨が降ったこともあるのだろうが、奥中山高原や小鳥谷とは比べものにならない暑さだ。昨年3月、盛岡駅周辺は雪ひとつなかったのに、いわて沼宮内駅のホームに立っている間に、目の前でどんどん雪が積もっていった場面を思い出した。こういう時、予約したホテルが駅前だったら荷物を預け、軽装備で行動できるのだが駅から往復で20分は大きな壁である

ということで15時15分には盛岡駅の改札を出てホテルへ一直線。24時間前の青森駅とは乗客の皆さんの服装が異なる。ホテルは大浴場付きだったので早々に風呂に入ってこの日は終わり。たまたま近くにスーパーがあったので、ビールや酒、食料を買い込んでこの日は終わりとなった

最終日の疲れが快速「はまゆり」に

そして翌日。この日は15時台の飛行機で伊丹空港へと向かう最終日

朝の盛岡駅。本数の多い時間帯を狙って朝の6時前には駅に行こうと考えていたが何のことはない、時刻は7時50分。大幅な寝坊である。ちょっと部屋で飲み過ぎたかもしれない。ホテルの部屋飲みは安上がりで結構だが、安い分、店より大量に飲んでしまうことが欠点

いずれにせよ、旅程は大きく変更である。ちょっと考えたが

昨日行けなかった矢幅駅へ。そしてなぜここで下車したかというと

ここから釜石線直通の快速「はまゆり」に乗車するため。1日3往復のはまゆりは、うち1本が盛岡~花巻を各駅に停車するが、残る2往復は東北本線内は矢幅のみの停車となっている。要は釜石線乗車にかじを切ったのだ

実は昨日の朝、盛岡駅ホームで出発間際のはまゆりと、たまたま出くわした。その時点では乗車予定は一切なく「ふーん、こんな時間に出るのか」としか思わなかったが、18きっぷシーズンでないとすいているのだな、が実感。その学習機能で

楽々と自由席に乗車である。花巻で降りる人もかなりいたので、隣席に誰かが座ってくる可能性もほぼなくなった。新幹線との乗り継ぎ駅である新花巻からの観光客らしき乗客もそれなりにあったが、皆さん指定席。観光地の列車でありがちな「指定席の方が客が多い状態」である

唯一の乗り残し路線

実はこの釜石線、現行のレールがあるJR路線で私が唯一、未乗車だった路線である。「レールがある」としたのは日田彦山線BRTが未乗車だからだ

本来は最後の路線ということで、じっくり乗りたい。途中駅でいくつか降りたりしながら完走、ゴールを味わいたいところだ。だから昨日の時点でも、あまり気にしていなかったのだが、寝坊のおかげで他の選択肢が、あまりなくなった。しかも最終的に花巻空港から飛行機に乗るため、釜石に行くとそのまま折り返さなければならないし、ダイヤ上、途中駅で降りるのも、なかなか難しい

それでも

知恵を絞り出したΩ(オメガ)ループの車窓からの眺めは壮観だった。今からグルリと回り込んで下に見える線路に行くのかと思うとワクワク感はある

そして10時52分、釜石到着。矢幅からは2時間の旅だった。釜石に到着した乗客の皆さんは目にした列車で撮影タイム

三陸鉄道のラッピング列車「三陸元気!GoGo号」

とにもかくにも寝坊のおかげでJR全線完乗ということになりました

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その20(長閑な1時間待ち)

小鳥谷駅の駅名標

※訪問は2024年7月5日

迷った末に

奥中山高原駅から少し八戸方面へと戻る。まだ時計は11時と午前中だ。といっても6時過ぎに青森駅を出ているのですでに6時間が経過しているが

乗車したのは一昨日に乗車した金田一温泉駅行き。つまりは青森県には入らない。今回の旅でひとつ目標にしていたのは、青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道の境界駅である目時駅だった。ギリギリ青森県にある駅で、そのため境界駅となっているが、山中の県境で利用者は少ない無人駅。ただし八戸から南下する列車は以前も記した通り、半数が目時のひとつ手前の三戸止まりで、盛岡から北上する列車にもこのようにひとつ手前の金田一温泉駅止まりがあったりして、私の訪れた時間帯は運行が少ない時間帯となっている。つまりは会社のルール上、境界駅となっているだけで「目時行き」という列車は存在しない。JRの東北本線として存続していれば脚光を浴びることはなかったのかもしれないが、料金表などで必ず登場する駅となった

ただ本数の事情などで今回は断念。ということで

小鳥谷(こずや)駅で降りてみることにした。難読に興味を持ったフラリ下車である

旧村名に基づく

駅舎は木造。財産票を探してみたが見当たらず、築年数は分からなかった。分かっているのは1891年(明治24)開業で奥中山高原駅と同年齢だということ。トタン屋根は手が入っているが、柱の形状などは、かなり歴史を感じるものとなっている

駅名は1957年(昭和32)まで存在した小鳥谷村から。一戸町との合併当時、小鳥谷村は奥中山高原駅(当時は中山駅)、小繋駅の3駅を含む自治体だった。そもそもの話をすると明治の町村制施行の際までは、小鳥谷村、中山村、小繋村と、それぞれ別々の村だった。町村制施行は1889年と鉄道がやって来る直前だったので、駅ができた時はすでに小鳥谷村だったことになる

ここで折り返しの盛岡行き列車を1時間待つことになった。ただいわて沼宮内から北は、昼間は2時間に1本の運行なので、真っ直ぐ進むと、どの駅でも2時間待ちになってしまうので1時間待ちは覚悟の上だ

小鳥谷という地名は室町時代の武将で、その後に当地を支配した小鳥谷氏に基づくとされる。地名として定着したのは江戸時代から

有人駅である。周囲に飲食店はなさそうな感じなので、駅舎と周辺で朝のコンビニおにぎりの残りを食べながら過ごす。涼しい風が通り抜けて快適だ

駅から徒歩10分ほどに国の天然記念物である樹齢数百年とされる藤島のフジがある

こちらは解説文

時間つぶしに最適(?)

なクイズもある。当然そんなつもりはなく設置されたのだろうが、JR東日本の文字が残る。目を凝らすと解答が分かるようになっているのが結果的にミソとなっている

この日は休みだったが、駅舎は物販や休憩所として使用されることもあるようだ

2面3線構造。早朝に当駅始発の県境をまたぐ八戸行きが設定されている。1時間はあっという間に過ぎ、盛岡へと戻ることにする

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その19(誤記?で生まれた駅名)

奥中山高原駅の駅名標

※訪問は2024年7月5日

伝説の駅名物語

奥中山高原駅に到着

当駅は1891年(明治24)の開業と130歳を超える長い歴史を持つ。当時の駅名は中山。日本鉄道という東北本線などを敷いた民間会社だったが、しばらくして国有化され、大正に入り、国鉄内にある同名の駅名を変更する動きが全国で行われた際に、当駅も横浜線の中山駅と区別しようということになった。駅の歴史は岩手県の駅が古いが、国名を入れる対象は古い方となり「陸奥中山」に変更することが決定。ただ書類提出の際に「陸」の文字を入れ忘れてしまったところ、書類そのままが受理されたため「奥中山」という駅名になった伝説が残る

その過程で誰も気付かなかったのか、後から指摘はなかったのか、とツッコミを入れたくなるところだが、とにかく1915年(大正4)以来、ずっと変わらず「奥中山駅」として存在し続けている。「高原」が付いたのは三セク転換から

ただ駅名というのは強さを発揮するもので

奥中山はすっかり地名となっている

学校名や郵便局、店舗も含め奥中山である

東北本線の最高標高

駅舎は昭和に入ってからものとされる。木造駅舎にトタン屋根という北国らしい構えで丘の上に建つ形となっている

当駅にはもうひとつの顔があり、標高427メートルと旧東北本線では最も高い場所にあった駅だった。駅の北側で十三本木峠という最も高い地点に到達。旧東北本線と並行する国道4号の最高標高でもあり、古くから交通の難所だった。後に建設された東北自動車道はこの峠を避けて建設されたほどだ

そのためSL時代は峠を越えるため、最大で3両もの機関車が連結されていた

SLの運行があった1960年代までは鉄道写真のメッカとして知られていて駅舎内には当時の写真が飾られている。ちなみに国鉄ではこの峠を奥中山峠と呼んでいた

ワンちゃん駅長

その写真と並び、かつての名誉駅長の写真も飾られている。近年、当駅を有名にしたのはこちらである

当駅の駅員さんが飼っていたことで幼いころからともに「出勤」。利用客のアイドルになり、やがて名誉駅長となりニュースでも取り上げられた。ついこの間のことだと思っていたが、天国に旅立ったのは2009年。もうそんなになるのか、と思う

有人駅で1日の利用者は287人。十三本木峠の最高地点の手前ということで大きめの集落があり、前後の駅に比べると利用者はかなり多い

構造は2面3線。現在は柵に遮られているが、長大列車の待避もあった名残でホーム有効長は長い。中間線も設けられていたようだ。山中の駅だけあって「奥中山」と言われても違和感は感じない。間違いが「陸中山」だったら、さすがに気付いたか。滞在中に少し雨が降ったこともあってか、東北本線最高地点の駅は涼しく、寒いとまではいかなかったが汗もかかない良い季候だった

もう少し沿線の駅を巡ってみることにする

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その18(意地の列車乗り継ぎ)

八戸駅の駅名標

※訪問は2024年7月5日

ここまで来れば…

昨日以来の八戸駅に到着。青いラインが青い森鉄道、緑のラインがJR東日本の八戸線。私の好きなタイプのJR東日本で見られる分かりやすい駅名標

小湊から八戸までは約1時間。ここで大きな決断を迫られる。この電車は9時26分に八戸へ到着し、9時30分発の盛岡行きに接続する。お手洗いの時間も危ない(列車内にお手洗いはある)絶妙すぎる乗り継ぎ時間だが、その次の盛岡行きは、なんと4時間後の13時35分。八戸以南の列車の半数は青森県内で完結する三戸行きで県境そして会社を越える運行は少ない。朝の通勤通学帯を過ぎると、お昼休みに入ってしまうのはローカル線の特徴だが4時間空きは辛い。八戸~青森の青い森鉄道は1時間に1本あるので、この時間帯を利用して青い森鉄道の各駅を巡りつつ、4時間を待つあるいは八戸で宿泊する作戦もあるが、今日も明日も好天とはいえ、今日は最終宿泊日。明日は花巻空港からの飛行機を確保しているので、鉄道と天候だけは何があるか分からないというのが、鉄オタ生活で得た、ある意味唯一の教訓である。日本の鉄道会社というのは、まず新幹線だけは何とか頑張って走らせようとして(その分、施設の備えは万全だ)、次が特急がバンバン走る在来線、その次が利用者の多い在来線ときて、すぐに止まってしまうのがローカル線である。特に戦前からの路盤をそのまま利用しているローカル路線はもろい。その意味では旧東北本線の三セクは、路盤的には力強いものを持っているはずだが、とにかく今夜は盛岡までは到達しておくことが無難だろう

ということで車内の1時間で相当悩む。ひとつ簡単な解決策があって、それは八戸から二戸まで1区間、新幹線に乗車することだ。ここは1時間に1本の運行がある。何なら青い森鉄道を満喫して夜の新幹線で盛岡までダイレクトに向かうという最終手段もある。旅の初日や2日目なら2000円~3000円を課金して、1区間の新幹線乗車を選択をしただろう(結局乗らなかったので詳しい料金は分かりません)。北海道&東日本パスでしかできない三セク内乗り放題の特権を使えば、料金的にかなり元はとれる。ただもう旅の最終盤。品川からグリーン課金もせず、トコトコ多くの列車に乗ってきたのだ。ここは意地でも別料金の課金はなく終わりたい

目指すは岩手県内の駅

ということで9時30分の盛岡行きに乗車

ということで盛岡行きのホームへと急ぐ。右側のラッピング列車が乗車するIGRいわて銀河鉄道。左側が八戸線の久慈行き。ここで初めて知ったのだが、久慈行きは9時29分発で乗車列車は八戸線にも接続していた。ちなみに右側で見切れてしまっているが、これは9時33分発の大湊線直通の快速「しもきた」である。来た方向を戻る列車にはなるが、どれも魅力的ではある

しかし、ここは真っ直ぐ南下である。岩手県内にもうひとつ、どうしても行きたい駅があるので、そこを目指す。ちょうど1時間かけて

お目当ての駅である奥中山高原駅に到着した

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