わたらせ渓谷鐵道に初乗車~その3(本社と車庫の温故知新駅はみどり市の中心部)

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大間々駅の駅名標

※訪問は2024年6月15日

別の場所にもあった大間々駅

大間々駅に到着。桐生を発ってから2駅目の相老駅、さらにそこから2駅の大間々と順に来ているが、途中にある下新田、運動公園の両駅は、いずれも三セク転換後に設置された駅で、元々のJR(国鉄)足尾線だと2駅順番に降りたことになる

写真に車庫が見えるが、大間々は車庫そしてわたらせ渓谷鐵道の本社がある中枢にあたる駅。そして桐生からの列車の半分ほどは当駅止まりとなる。わたらせ渓谷鐵道は路線全体が44キロだが、桐生~大間々はわずか7キロ。車窓を眺めていると桐生から大間々までは桐生市の郊外(大間々駅はみどり市)という雰囲気だが、大間々から先は急に山深くなる。広大な関東平野の一端に来た感がある。旅客輸送でも当駅までが中心を担っているのだろう

大間々町は平成の大合併でみどり市となった。足尾銅山からの銅山街道の宿場町または生糸の集散地として栄えた。つまり足尾線のコース

ただ1911年(明治44)の開業時は「大間々町」を名乗っている。なぜかというと別に大間々駅があったからだ。現在のJR両毛線「岩宿駅」である

大間々駅と岩宿駅はかなり離れていて、現在の道路と車でも15分もかかる。徒歩だと1時間以上。しかも所在地は笠懸村(後に笠懸町)で自治体も異なっていた。両毛線を敷設した両毛鉄道は、大間々の街を走らせる予定で先に駅名を決めたが、工事の都合で大間々を通らなくなった。それでもすでに決まっていたからと大間々駅とした。足尾線が走る20年以上前のことだ。ということで20年以上続いた(初代?)大間々駅だが、実際に大間々に駅ができ「大間々町」と名乗ると、実態に合わないとなり、わずか1カ月で駅名を返上して岩宿に。その翌年、大間々町駅もめでたく大間々を名乗るようになった。ただし平成の大合併のため、現在は両駅とも同じみどり市に所在する

ただ地図でも分かる通り、赤城駅は徒歩でも十分可能な距離(乗り換えなら相老駅を利用するだろうが)。1928年の開業時から戦後まで「新大間々」を名乗っていたほどで、両駅の間はかつての大間々町の中心部でみどり市となった今もそれは変わらない(ただしみどり市役所は岩宿が最寄り)

所々に残るたたずまいと現代ならではのもの

駅舎は木造で昭和になってから改築されたと伝わる。正面下部のものは、この写真では見えにくいが

歴史を感じさせるもの。字体から国鉄時代のものと推察される

荷物受付は駅舎の外側で対応していたようだ

こちらはちょっと現代寄り。わたらせ渓谷鐵道開業時に走っていた車両が駅舎の隣に設置されていて

こちらはもう現代。大間々はコンビニが隣接している路線では貴重な駅だが、こういうものを見せられると、こちらで買わなければしょうがないだろう

改札にはホーローのようでホーローでない駅名標が並ぶが、あえてそれっぽく作ったのだろう

もちろんちゃんと本物もある

もうひとつ

本社の駅らしく当然の有人駅。グッズ販売も行われている

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