芸備線

まる一日費やして福塩北線の残り2駅回収を目指す~7時間の時間つぶし

神杉駅の駅名標

※訪問は2024年4月3日

どうする7時間

福塩北線の残る2駅の回収。1駅目の吉舎は無事終わったが、問題は残る1駅の河佐駅。ただ

時刻表で分かる通り、現在は8時過ぎ。次の河佐方面は15時11分で7時間後だ(12時58分は臨時列車で本日の運行はない)

さすがにここで7時間過ごすわけにはいかないので、あの手この手の時間つぶしを発動することにする

まずは芸備線の神杉駅で降りてみる。こちらは2年前に芸備線の三次~備後落合の全駅訪問を行って以来の訪問だが、塩町と神杉の二択で前回は神杉で乗車したものの下車はしていなかったため、下車することにした。また塩町は場所的に過去複数回降りていて、神杉の桜がきれいだったこともある

なぜ下車しなかったかというと、前回はなかった石碑にその理由がある

立派な石碑だ。元々は塩町を名乗っていたが、それまでの田幸駅が福塩線の接続駅となって塩町に改称。それに伴い当駅は神杉駅となった。田幸駅は後からできたので、駅間距離は短く1・5キロしかない。ゆえに列車を待っている間に徒歩移動となった

線路沿いには歩けないが、それでも20分で到着してしまう。もっとも私は近道を行こうと田んぼのあぜ道チャレンジを決行。例によって(?)失敗したので30分以上かかってしまったのだが(笑)

本日二度目の体験

神杉は駅舎とホームまで距離があり、その間には旧貨物ヤードや留置線が残っている。駅舎側からのホームの姿が私は好きである。2年前の写真にも右側に見える無蓋車があったので、これはしばらく「不動」なのかもしれない

三次に戻る

と、本日2度目の貸切体験。青春18きっぷシーズンのローカル線ではなかなかできない体験を1日2度もしたことになる

三次で乗り換え

ひとつお隣の西三次駅へ。かつてはここが三次駅だった。現在の三次駅は備後十日市を名乗っていたが、三次町と十日市町、他の6村が合併して三次市が成立した1954年に駅名変更。3年前までは三次駅時代の面影を残す立派な駅舎があったが解体され、ホームのみが残る駅となっている

周辺は住宅街だが、三次駅に近すぎるためか利用者は三次~広島で最少の1日10人(2022年)となっている。貨物輸送でも栄えた駅で、広めの構内に雰囲気は残るが、切り株だけにされた木と雨ざらしのベンチがやや寂しい

三江線跡と三次名物も

再び三次に戻り

バスに乗り込み三江線の駅跡訪問。こちらはすでに記事化した

またまた三次に戻り、今度は昼食。三次名物の唐麺焼き。お腹は満たされたが、まだ時間はある。7時間というのは長い

向原駅へ

「山陽新幹線開業記念 向原町国鉄職員一同」とある

時代の転換期を表している

そして今日何度目になるのか、三次に戻ってようやく福塩線の午後の部が始まる

待ちに待った府中行き。ようやく乗車となるが、青春18きっぷというのは実に便利なもの、偉大なものだと改めて思った

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その6(2年間でなくなったものと再構築協議会)

東城駅の駅舎

※訪問は2024年4月2日

※動画あり。音声注意

わずか2年間で再現できなくなった旅

国道沿いにあった新見市営バスの停留所。前回は備中神代駅からこのバスを利用してここまでやって来た。風にあおられ張り紙がゆがんでいるが、よく見ると

路線バスからデマンド化されたようだ。つまるところ、2年前の私の旅はもう再現できないのである(ただし市岡駅の項で紹介した新見から当駅付近、市岡を経て旧哲西町の中枢部に至る1日2往復の路線バスは健在)。地元の方にとって便利になったのかどうかは私には分からないが、地方都市のコミュニティバスによくお世話になる私はバスに乗車してみると、ほぼ貸切だった、という経験を何度もしている

東城経由で三次へ

複雑な気持ちで駅へと戻り、列車を待つ。今日は三次に宿泊する

駅に隣接して公民館がある。訪問時は屋根の修復工事をしている最中で、初めて来ると駅舎かと思ってしまう建物は今も利用されているようだ

いろいろな鳥のさえずりとともに16時36分発の東城行きがやって来た。この日は春休みの最中で空席はあったが、新見駅へ通学する高校生にとっては帰宅時の貴重な列車(次の列車は2時間後)で2年前に乗車した際は満員だった。岡山県内を走る新見~東城は一応、通勤通学に対応したダイヤとなっていて東城~備後落合より本数の多い平日は1日6往復となっている(備後落合行きの早朝1本は当駅通過)

広島県に入り東城に到着

前述した通り、新見方面と備後落合方面へは本数がかなり異なる。そして三次へはもう列車では行けない。現在は17時前で2時間後に備後落合行きはあるが、その先に行くことはできない

ただ列車はないがバスはある。東城~備後庄原を結ぶバスが1日に4~5往復していて(平日と週末で異なる。1本は広島駅行き)

この17時13分に乗車する。庄原への「最終」で貴重な一本

随分とこぶりなバスだが、すぐに中国自動車道を快走するので驚いた。備後庄原へは40分かからず着いてしまう

東城から庄原までショートカットで、しかも高速利用なので、そりゃ早い。ただし料金は1360円

備後庄原では備後落合発17時11分の三次行きを途中で追い越し待ち受ける形になる。バスの到着は17時49分で芸備線の出発は17時59分。つまり東城、備後庄原とも10~15分程度の絶妙な乗り継ぎで三次まで行けてしまう。坂根駅のバス廃止とは別の意味でまたもや複雑な気持ちになってしまった

再構築協議会の開催

さて芸備線を巡っては、全国初となる再構築協議会が3月26日にスタートした。昨秋にできた法律に基づくもので、国と鉄道会社、沿線自治体が鉄道の在り方や交通手段の再構築について話し合うもので、分かりやすく言うと赤字路線を廃線にしたい鉄道会社が「自治体の抵抗が激しいので国も考えてください」というもの。乱暴な言い方をすると鉄道会社(基本的にはJRとなる)が「国の(廃線)決断を期待する」といいうことになる。大きな全国ニュースとして取り上げられたのは、もしこの法律に基づいて廃線が決まれば、全国各地で多くの赤字路線がドミノ式に廃線となってしまう可能性があるからだ

芸備線の中でも主に対象となっているのは今回列車とバスで乗り継いだ新見~備後庄原で、報道によるとJR西日本が利用者の少なさを説明。各駅の利用者数まで開示したという。数字だけを見ると、駅だけでなく、列車も時間帯によっては1日3往復区間の東城~備後落合では利用者ゼロがあるという

ただし列車の調査は4月の春休みとGWの間のようで、観光客の端境期を狙ったという見方ができなくもない

1987年に国鉄からJRになった際、新見~備後落合は1日8往復が運行され、うち6本が三次直通だった(1本は途中から急行にる運用)。その後8往復が5往復となり、2005年から現在の3往復となった。徐々に運行が削減される課程でJR側と自治体の話し合いができなかったのかが悔やまれるが、ちょうど平成の大合併のころでもあり、鉄道事情まで手が回らなかったという事情もあるだろう

しかし1日わずか3本では利用しようにも利用できないのも事実

その一方で、こういう時に必ず出るバス転換の話だが、誰がどう責任をもって路線を維持するのかの問題もある。過去、廃線後の代替バスが全国で運行されたが、利用者数と資金面でバス路線そのものが廃線になってしまった例は数多い。また現在はバス運転士の不足で都会のバス路線も廃止を余儀なくされている。しかも鉄道の廃線は大きなニュースとなるが、バス路線の廃止ニュースはひっそりとしか扱われず、いつの間にか地方の町が衰退していく

私が利用した東城~庄原のバス路線があることを調べ(おそらく乗っていない)、バスの方が便利で早いという意見もあるようだが、これは単に両方の駅とその周辺を結ぶためだけのもので、途中の町はすべて通過している上、1360円という料金は日常利用ではちょっと出せない金額である

全国各地で地方路線の現状は厳しく、今回訪れた坂根駅は伯備線との接続駅である備中神代のお隣の駅で、そちらを利用する人が多いのでは、と思う方もいるかもしれないが、備中神代駅の1日の利用者は12人(2021年)しかいない。新型特急で話題を集めた伯備線も新見以北の普通の運行は、昼間は3~4時間に1本という閑散区間となっている

コロナ禍になってからのここ数年で鉄道会社の経営も苦しくなり、芸備線ばかりがクローズアップされることになっているが、うまく議論が進まないと「そもそも田舎は要らない」ということにもなりかねない。会議の場所が、新見でも庄原でも三次といった現地ではなく、広島というのが少々不安ではあるが、良い知恵を絞り出せることを期待しよう

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その5(キリ番県道だった)

坂根駅を出発するキハ120

※訪問は2024年4月2日

遅い桜

駅前ロータリー。かなり広く以前は駅前もそれなりの規模だったことが想像できる

今回、岡山から北上する際の伯備線の車窓から見えたのは美しく咲き始めた桜で山の上の方まで一斉に開花しつつあった。それが芸備線に乗って市岡駅に降り、付近を散策。坂根に降り立っても、まだまだ固いつぼみばかり。随分気候が違うのだな、と思っていたが、この後、当日中に訪れた東城、備後庄原、三次は満開間近だった。今年は3月が冷え込み4月になると急に陽気となったため、桜も大慌てで咲いて、あっという間に散り時を迎えたようだが、さほど離れていない場所での桜前線の違いは興味深いとともに、植樹された時期は分からないが、今後も駅を見守ってほしいと感じた

坂根駅の時刻表。市岡とほぼ同じだが、私は15時53分の新見行きでやって来て、16時36分の東城行きに乗車予定。もっとも正確には「予定」ではなく「マスト」である。約40分の待機だけで乗降の両方が果たせるのだから、大変優秀。もっとも40分では、そう遠くまで行くことは不可能。市岡の150分をもっとうまく振り分けてくれれば、理想だが、1日5・5往復では、なかなかそううまくはいかない。ただ15時台から18時台の2往復を使いこなせば、伯備線にありながらも事実上は芸備線の駅で列車以外の訪問が困難な布原にも降り立つことができる

控えめすぎる駅への案内

再び国道182号。この国道は新見と福山を結ぶ当地では主要な道路で芸備線とほぼ並行して県境を越え東城へと至り、東城から一気に南下して福山へと向かう

新見側から東城方面へと向かうと、このような標識があるが、実は坂根駅の存在を示すものはこれだけしかない。写真には写っていないが、道路を挟んだ右側に民家が並ぶ小さな集落がある。駅の入口へとなる道路部分にはいくつかの民家が見えるが、いずれも人の気配はない

注目すべきは「200」の数字。これは県道200号を意味して「坂根停車場線」という名称がある。国道と駅を結ぶ短い道路が県道になっているのは普通にあることで

先日紹介した呉線・安登駅の「日本一短い県道」

他に記憶にあるのは、こちらは北海道の話で主管はどうなっているかは分からないが、2015年9月に間もなく廃駅となる「白滝シリーズ」訪問の際、当時の

上白滝駅に向かう道路。極めつけは

旧白滝駅が国道にほぼ張り付いているにもかかわらず、ちゃんと駅との数メートルを結んでいた道路にも、それぞれ名称はあった(現状は私には不明)

一方、神代川を渡った125メートルで舗装もちゃんとされている県道200号には道路番号は付いているものの道路名はなく、従って坂根の文字はない。そもそも坂根駅への方向は標識にあるが、駅までどのぐらいの距離があるのか明記されておらず、しかもこれは頭上にある道路を通る運転手用のものだ。中国自動車道がなければ国道から駅もよく見えるだろうが、見通しは悪く、言い方を変えると駅の存在そのものがスルーされている状況。これで良いのだろうか

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その4 (衝撃から2年を経ての再訪)

坂根駅の駅名標

※訪問は2024年4月2日

アクリル板の乗降「2人」駅

市岡から坂根まで1区間の乗車。これまでの記事で書いた通り、国道に沿った緩やかな下り坂で歩くには絶好。徒歩で30分ぐらいで行ける距離だが「乗り降りを目指す」のが目的である以上、これは乗るしかないのである。乗車列車は三次から新見まで乗り継げる、これもまた1日1本の列車で、車両は私が市岡で下車したものの折り返し。事実上の1日1本なので、最初に新見から乗車した備後落合行きと同様に満員。もちろん座れないが、すぐ降りるので最前方に進む

駅間距離は2・6キロなのですぐ到着なのだが、この間にも比較的平地にもかかわらず、JR西日本名物の25キロ制限区間があって、ちょっと時間はかかる

とにかく無事到着だ。降りたのは私一人。乗車はなかったと思う。ないのも当然で2021年の統計では、当駅の乗降客は1日2人。これは芸備線内では道後山、高と並ぶ数字。乗降客データで1人という数字は基本的にないので「同率最下位」かというと、さらに下というか番外編があり内名、備後八幡の2駅は「データなし」となっている。ちなみに前記事まで紹介していた市岡は14人

この数字は1日平均なので、1週間続けて利用した人が1人いても年間の数字にならすとあまり影響しない。また青春18きっぷなどフリーきっぷの利用者はカウントされない。だから今回の私はノーカウントである。このフリーきっぷの概念は列車の乗客数も同様で、今回のように超満員の列車となっても18きっぷでの利用者は乗客がいないのと同じ扱いとなる。もっとも18きっぷのこの区間の利用者は、ほとんどが乗り通しだろうけれど

アクリルの壁がある簡易駅舎となっている。見て分かるが右手にトイレがあり、左手には自転車置き場。2年前は自転車が1台停まっていたが、今回はなかった。それでも銀のバス停の簡易駅舎と比べると雨風はある程度防げる形式だ

単式ホームだが、かつては2面構造だったことが分かる。開業は1930年(昭和5)。備中神代~矢神が開業した際、途中駅として設置された。開業時からの因美線にあるような木造駅舎だったが、20年前に現在の形となった

2年前の驚き

前回は備中神代からバスで当駅までやって来た。もし列車での到着だったら、かなり印象は異なっていたと思うが、ワゴン車の新見市営バスであらかじめ坂根駅での下車を告げていたため、運転手さんに「この奥に駅があるから」と停留所で降りた時の衝撃は忘れられない

今回も停留所がある国道182号まで3分ほど歩いて再現してみよう

「なんだぁ、これは」

声が出そうになった。目の前にあるのは中国自動車道。自動車専用道があるのはいいが、築堤の上を走っているので駅はのぞきこまないと見えない

中国自動車道がこの付近を通るようになったのは1978年のこと。駅が全く分からないという状況での建設によくどこからも文句が出なかったと思うが、まだまだ芸備線はこの付近でも1日に十数往復が運行されていたころである。当時は大きな心だったのか

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その3 (お弁当に救われたが消えた風景も)

市岡駅の駅舎

※訪問は2024年4月2日(動画あり。音声注意)

周辺を歩いてこそ分かること

150分も待ち時間があるので「何か」を求めて歩き始める。「何か」とは、まずは清涼飲料の自販機そして、できれば食料。ローカル線の各駅訪問をしていると前者については何とかなるものだが、後者については、ほぼあきらめである。岡山駅のコンビニで菓子パンを2つ買っておいた。ペットボトルの水は半分ほど残っているが、150分もあると何かと不安である

もっとも何のあてもなく歩いたわけではなく、とても便利なグーグル先生のストリートビューで予習はしておいた

駅からすぐのところにあったのは市岡簡易郵便局。規模や形態は違えど、駅付近に郵便局はかなりの確率である。都会で暮らしていると気付かないが、郵便局というのは全国各地を支える存在だと、こういう時に感じる

さらに歩くと

踏切にある案内。駅も郵便局も市岡だが、現在の住居表示に市岡という地名はないようだ。駅の所在地は新見市哲西町上神代となっているが、阿弥陀堂の名前も市岡。この向こうが元々の市岡の地域なのか。もうひとつの「ヱ」は「え」と読むのだろうが、ちょっと全体の読みは分からない。せっかく郵便局があったのだから、もろもろ聞いておけば良かったと後悔している

さらに進むと酒蔵があった。私は無知だったが「三光正宗」(さんこうまさむね)という有名なお酒。同社のホームページによると、明治時代に哲西から米国に移民した創業者の宮田重五郎という方がイチゴ農園で成功。10年後に帰国して日本酒造りを始めたという。名前は三光山に由来し、酒造メーカーにもかかわらず社標にイチゴが入っているのはイチゴ農園の体験に基づく。車なら地酒の1本も買っていくのだが残念

そして駅からブラブラ歩くこと15分

到着したのは「郷趣膳 水上」さん。周辺では貴重な店舗でコンビニというか、古風な言い方をするとよろずやというか。ここでは弁当も売っていて尋ねると残りが1つだけあるとか。時間は14時になろうとしていた。超ラッキー。惣菜が入っている容器に暖かいご飯を入れてくれるスタイルで600円。ついでにビールとペットボトルのお茶も購入(内容については許可済み)

買い物ついでに周辺の話も聞く。随分人が減ったという話から、出没しては何かをかすめとっていくサルの知恵が働き過ぎて困るという話まで。食料も手に入って有意義な時間だった

駅の待合室でお昼とした。食べ終わったころには駅に到着してから1時間以上が経過していた。天候にも恵まれ、歩いてこそ分かることが多くて良かった

消えた「国鉄」の文字

お腹も満たされ駅を細部まで見ることにする

まず大きな変化があった。これは到着時にすぐ分かったことだが

駅に隣接する元商店と思われる民家から「国鉄旅行連絡所」の看板が消えていた

こちらが2年前の写真。社会人1年目まで国鉄を利用していた私も国鉄旅行の連絡所がどのような役割を果たしていたのか分からないが、これでこの看板が残るのは私が知る限り同じ芸備線の道後山駅のみ(ていっても2年以上訪れていないので現状は不明)となった。また福塩線の道上駅には今年1月の時点で残っていることを確認している

市岡駅が開設された際の記念碑が残されている

裏には駅の設置に功績があった人の名前が記されているが

宮田重五郎さんとは前述した三光正宗を起こした方だ。駅に戻って会社概要を調べていただけに、すぐ分かった。名前に反応できる分、あらためて訪問した甲斐があったと感じた

新見行きがやって来た。1区間だけの旅で坂根駅に向かおう

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その2 (150分どう過ごす?)

市岡駅の駅舎

※訪問は2024年4月2日

戦後生まれの棒状駅

超満員の乗客を乗せた列車は備後落合に向けて去っていった。市岡駅は国道182号に沿った住宅街に設置された駅でレールの上まで宅地が並んでいる。単式ホームなのは、ある意味当然だが、この駅については最初から棒状ホームだったようだ

芸備線の全歴史を振り返り始めると文字数が足りないので当駅にだけついて説明すると、広島~備後庄原は芸備鉄道という私鉄が敷設し、備後庄原~備中神代は国鉄として建設された。全通は1936年(昭和11)で翌年、芸備鉄道も買収されて全線が国鉄となった。まだ戦時買収ではないが、措置としてはそれに近い。備中神代側からは1930年に矢神まで敷設されたが当時の途中駅は坂根のみ。市岡駅の誕生は1953年で備後落合~備中神代では内名と並ぶ戦後生まれの駅である。だから両隣の駅へは比較的近い

立派な駅舎を持つ。それまでも開業時からの木造駅舎があったが、2000年(平成12)に「市岡ふれあいセンター」という建物となった。森林事業によるもので美しい木をふんだんに使用している。左半分は駐輪場。右側には立派なお手洗いもある

思い出す昨年5月の北海道

と駅の紹介をしたところで、この後どうするかである。まず時刻表を見よう

1日3往復の備後落合~東城とは、やや異なり岡山県側の備中神代(事実上は新見)~東城はもう少し本数がある。平日は1日5・5往復(早朝の新見発備後落合行きは当駅を通過する)。その「もう少し」を利用しようとやって来たわけだが、私は13時19分で到着。この後、お隣の坂根で乗下車すべく折り返しの新見行きに乗るのだが、それは15時49分発で、ちょうど2時間半待ち。まぁまぁ、というか、かなり長い。2時間半といえば、新大阪から新幹線に乗ると東京まで着いてしまう

150分の待機といえば、昨年5月の北海道での秩父別駅を思い出す。あの時は160分の待機だったが

秩父別駅から徒歩10分もかからないとところに道の駅があり、もちろん食事もでき、入らなかったが入浴施設があった。駅の近くにはセイコーマートもあって、意外と時間は早く過ぎたが、市岡駅近くには何もない。清涼飲料の自販機もない。ここ旧哲西町(平成の大合併で現在は新見市)にも道の駅はあるが、それは矢神駅より、さらに東城寄りにあって歩くと1時間以上はありそうで、次の乗車は矢神になってしまう

その付近までは1日2往復の路線バスがあり、2年前はこれを利用して矢神駅まで行き、今回乗車した芸備線に先回りしたが、今回はもちろん12時38分の「最終」は出発した後。こうなると付近の散策しかなく

私にある知識は2年前に坂根から歩いた記憶

①坂根から市岡までは緩やかな上り坂で徒歩30分ほど。国道沿いなので道には迷わない

②道中、商店はなく自販機もない

③車の交通量は多いが、人とは全く出会わず、会ったのは民家のワンちゃんだけで随分怒られた

である。③はともかくとして(笑)、坂根方面に向かっても何もないことは分かっている上

地図を見ると矢神の方に歩いていけば、施設や店舗もあるようだ。幸いなことにこの時間帯で気温20度で晴れという、歩くと汗をかきそうな絶好の気候。時間だけはいっぱいあるので歩を進めることとした

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その1  (大混雑の1日1本)

市岡駅の駅名標

※訪問は2024年4月2日

姫路駅の立ち食いそばからスタート

岡山から新見経由で芸備線を目指す。お決まりのコースといえばお決まりである。というか、午前中の芸備線列車は新見に前泊しない限り物理的に乗れない。となると備後落合で3つの列車がそろう1日1本の新見発12時58分しかない(平日のみ運行の新見発7時3分は岡山から伯備線の始発に乗れば間に合うが)

姫路駅ホームの駅そばを朝食として

相生から岡山まで1区間は新幹線ワープ。かつてのスター列車は今、こだま専用車両として余生を過ごしている。相生~姫路は山陽新幹線で最も1駅間距離が長く新幹線の1区間特例(自由席だと安く乗車できる。2区間の場合もあり)の恩恵を最も受けられる区間である

なんてエラそうなことを書いているが、何のことない、またもやと言うべきか時刻表を微妙に読み間違え、相生ダッシュを経て在来線で岡山まで行ったのでは新見発の芸備線に間に合わないことに途中で気付いたからだ。まぁ新幹線課金さえすれば、すぐに解決することなので問題ない

伯備線ホームに行くと特急「やくも」が出発の時を迎えていた

国鉄特急はカウントダウン。大変な人気だが、昨年パノラマグリーンも堪能した。後発の伯備線普通に乗車する

旅の理由

今回の旅の理由は「芸備線の未乗降駅で乗降すること」。ちょっとややこしいが「訪問済みだが列車利用したことのない駅で乗降する」のが目的だ。対象は1日3往復で知られる新見~備後落合の2駅

2年前の3月にもこの区間の全駅訪問は行っているが、その時の行程は

岡山→(やくも)→生山→(伯備線普通)→備中神代→コミュニティバス→坂根→(コミュニティバス)→市岡→(路線バス)→矢神→(芸備線)→内名→(芸備線)→布原→(芸備線)→野馳→(芸備線)→新見

で初日を終え、新見で宿泊。翌朝から主に東城以降の広島県の駅訪問となった

なお、わざわざ生山まで行って折り返したのは備中神代からのコミュニティバスの乗継ぎが新見からの伯備線普通と同時刻となっているため、(当時はあった)駅舎の写真すら撮る時間がないと判断してバス発車1時間前に備中神代に着くようにしたためである。また布原と備中神代は伯備線の駅だが、布原は芸備線列車しか停車しないため、芸備線扱いとした

つまり初日の行程では

坂根駅 バスで訪問して徒歩で去る

市岡駅 徒歩で訪問してバスで去る

となっていて乗降はない。駅に列車が停車する場面を見たのは車窓からのみ。今回はその2駅の「空白」を埋めるのが目的である

アナウンスとともに立ち上がる乗客

岡山からやくもではなく普通に乗車したのは、お金を節約するのも目的だが、接続を考えると、あまり意味がないから。見送ったやくもは11時13分発で新見着は12時15分。普通は11時24分発で新見着は12時55分。新見駅で3分という芸術的な接続で芸備線の事実上の1日1本に乗せてくれる18きっぱーのための列車なのだ。悪天候による遅延の場合は私も確実に芸備線に乗るため特急利用したかもしれないが、この日は快晴で天気予報でも新見は最高気温20度超えが予想されていて何の問題もない。伯備線の普通は順調に進んでいく。車内には明らかに同業者(鉄道ファン)と思える人の姿もチラホラいたが、平日だったため、それほど混んではなくて余裕である

ところが新見のひとつ手前の石蟹で、なかなか出発しない。間もなく車内アナウンスで「伯備線遅延で行き違い列車を待つためしばらく停車します」

いやいや、ちょっと待ってくれ。この1日1本に接続しないと私は何のために来たんだ、と焦る。3分の乗り換えなんて、もう無理だろうと思っていめと、しばらく経って再びアナウンス。「芸備線の備後落合行きはこの列車の到着を待って出発します」

確実に車内に広がる安堵の空気。もちろん私もその一人なのだが、新見に近づき「芸備線は地下道を通って1番線からの発車です。ご利用の方はお急ぎください」のアナウンスがあると、何人かが立ち上がりドア付近に立つ。私も含め同業者の正体がバレた瞬間である(笑)。3両編成だったので、私の想像以上にいるようだ。もっとも鉄道に興味もない人は何も思わないだろうが

ダッシュの列。もちろん私もその一人。とにかく多くの青春18きっぱーは奈落の底に落ちずに済んだのである

単行のキハ120は凄い人だった。この列車には昨年9月の週末にも乗車したが、18きっぷのシーズンでもないのに座席はすべて埋まっていた。都会の朝のラッシュ時のような混雑ぶり。今週末は今春の18きっぷ最後の週末となる。新見から備後落合までの約1時間半を座りたい方は、特急利用するか岡山発9時56分のもう一本早い普通の利用をおすすめする。いずれにせよ車窓を楽しむのはかなり早い時間から待機しないと無理だと思われる

ただ当の私はといえば、市岡までは20分なので、それほど苦にはならない

満員の列車から降りたのは私と高校生1人。当駅に停車する列車を外から初めて見た。ちょっと感慨はあるが、実は大変なのはこれからなのである

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