師走の外房線各駅訪問~戦前に幻の乗換駅となった知名度の高すぎる駅

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安房小湊駅の駅名標

※訪問は2023年12月14日

景観に配慮した(?)コンビニ

安房小湊駅に到着。行川アイランドからわずか1駅。今もそうだが、ここからが安房の国になる最初の駅で、元々は上総の国の最後の駅となる上総興津駅と当駅間は7キロもの距離があった。いかにも国境という感が強い

その安房小湊駅は旧小湊町の駅。安房天津駅の記事でも少し触れたが、昭和の合併で1955年(昭和30)に天津小湊町となり、平成の大合併で鴨川市と合併。現在に至る

駅の開業は1929年(昭和4)。上総興津~安房鴨川が線路でつながり外房線(当時の名称は房総線)が全通した際に設置された。つまり安房天津と誕生日は同じ。駅名に旧国名が付けられたのは東北本線の小湊駅(青森県、現在は青い森鉄道)が先にあったためだ

柱の部分が豪華になるなど、多少手が加えられているが、駅舎は開業時からのもの。豪華になったのは観光資源に恵まれているから

こちらは駅名板。イラストにタイが描かれているのは好漁場でタイが集まる鯛の浦にちなんだもの

駅を出るとすぐ海で旅館なども並ぶ

写真中央の屋根だけが見える建物はコンビニで最初から分かっていないと気付きにくい。景観に配慮して、あえてこのような構造になっているとも思える。ちなみに前日、スマホのモバイルバッテリーに異変が起き、一度道程を中断してレンタルのモバイルバッテリーを調達すべく、茂原駅までUターンしたのだが、検索した際に駅から近く、モバイルバッテリーに空きがあるコンビニはこちらだった。ただその時点で残り1台ということで、ちょっと危ないと判断して行くのはやめた

国鉄駅より早い工事着工

さて房総半島、小湊というワードで誰もが思い浮かべるのは小湊鉄道だろう。内房線の五井から房総半島の内陸部にあたる上総中野までは結ぶ、東京から気軽に行ける非電化の私鉄として有名だが、会社名で想像できるように当初は、ここ安房小湊まで到達する予定だった

駅舎内の待合室に計画段階だった時点でのパンフレットだろうか、小湊鉄道の地図が張られている。小湊鉄道は1928年に上総中野まで到達して現在の形となった。目指したのは小湊にある名刹・誕生寺でお寺への参拝客を見込んでのものである

イラスト上では大原と上総中野がすでに国鉄としてつながっていて、久留里線も上総亀山まで到達している。現在のいすみ鉄道、当時の木原線の大原~上総中野の全線開業が1934年で、久留里線の木更津~上総亀山が1936年の全線開業なので、イラストはそのころのものだと思われる。上総中野から安房小湊までは予定線となっていて、途中に5つの駅が設けられる予定だったらしい。だが私が説明するまでもなく、予定は未成線のまま現在に至り、小湊を目指した小湊鉄道という路線名と会社名だけが残っている。安房小湊駅の建設工事は小湊鉄道の方が先に着手していたが、上総中野からの延伸工事は行われず1936年に路線建設のための免許は早々に取り消されている。だからこの地図は微妙な時期に作成されたようだ

正しい地図表記はこのようになる

写真のイラストはかなり誇張した形になっているが、西に真っ直ぐ行けば大原へと至るわけで、国鉄によって上総中野とつながった時点で、工事を無理に行わなくなったこともうなづける話である。ただ上総中野~上総亀山の工事も行われず(木原線の「木」は木更津の意味)、房総半島を乗り換えなしで横断する列車は走ることなく終わった

かなり以前にみどりの窓口は営業を終え、現在は業務委託駅

だが、これまで触れてきたように観光資源も多いため、特急も含め全列車が停車する。いにしえの地図を張ってあったきれいな待合室はエアコン完備。師走の駅訪問では心強い味方だった

ちなみに鉄道会社というより、バス会社として名前を見かけることが多い小湊鐵道だが、かつて目指した安房小湊駅へ同社のバス路線が乗り入れたのは、わずか10年ほど前のことである

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