復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~今は貴重となった9つもの駅がある村

※訪問は2025年8月26日

戦国時代の城がモチーフ

あらためて阿蘇下田城駅。前記事でも記したように三セク移管から7年後の1993年(平成5)に温泉施設が入居する駅となり、開業時の木造駅舎から大きく姿を変えた

駅舎内に下田城についての解説がある

下田城は戦国時代に当地を治める下田氏の居城だったが、島津の大軍に攻められ落城。高森線(南阿蘇鉄道)のルートにもなり、跡はほとんど残っていないようだが、駅舎はその城をモチーフにしたもの。駅舎の写真を見れば分かるが、2階部分が展望台にもなっていたようだ。温泉は熊本地震の被害によって営業が続けられなくなったが、地元の愛着もあって、駅名から「城」を外すわけにはいかなかったのだろう

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数々の「からくり」に癒やされる

その阿蘇下田城駅は「ザ・マニアックステーション」の異名をいただいている。「無人歓迎システム」については前記事で触れた駅到着時の大歓迎だが、それ以外のものは

駅舎の外にある「おみくじ小屋」

駅舎の中では

「好きなの買えない自販機」やガチャにおみくじ

グッズ売り場そして

黒電話ボックスと、数々の仕掛けと楽しみがそろっている。さすがにすべてに興じるわけにはいかなかったが、おみくじ小屋には興味をそそられ入ってみた。結論としては遊園地のお化け屋敷も苦手な私には…というものだったが(笑)、ぜひ明るい時間帯に試してもらいたい

ちなみに駅にはこのような文言も添えられていた

南阿蘇村の村役場最寄りに

当駅は南阿蘇村役場の最寄りにもなっている

南阿蘇村は2005年に長陽村、白水村、久木野村の3村が合併して誕生した。村同士が合併して村が誕生した例は5月に日田彦山線BRT乗車のために訪れた東峰村を含め全国に3例しかない(もうひとつは長野県の筑北村)

村同士の合併で村が誕生したのは全国で初の例だった。ちなみに南阿蘇村HPによると2020年(令和2)の時点での人口は1万325人と「町」の要件を十分に満たすものだったが、自然との共生を掲げるため、あえて村を選択したという

現在の村役場は熊本地震から約1年後にできた新庁舎

鉄道的な視点で言うと、合併によって村内には9つもの鉄道駅が誕生することになった。南阿蘇鉄道にはJR豊肥本線の接続駅である立野を除くと9つの駅があるが、その立野駅も所在地は南阿蘇村。、つまり終点の高森駅(高森町)以外は始発駅の立野からすべて南阿蘇村に所在する。国内には183の村がある(北方領土の村はのぞく)が、自治体の合併が進み、地方の廃線が増えた現在、9つもの駅がある村というのは、なかなか思いつかない

阿蘇下田時代の写真が駅舎内に張られていた。昭和の末期には駅前で客待ちをするタクシーが並んでいたのかと思うと感慨深いものがある

列車待ちのため、先ほどの文言通り「無料」で「出入り自由」のホームに再び出てみる

路線内の各駅で見てきた眺め。この景色だけは、その頃から、そして将来も変わらないものだろう

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~開業から約100年で駅名変更2度の駅でビックリおもてなし

※訪問は2025年8月26日

※動画あり音声注意

衝撃のお出迎え

高森駅から折り返す形で阿蘇下田城駅へとやって来た。まず驚かさせるのは、駅に降り立つと衝撃的なお出迎えがある

列車が駅に到着すると乗客を歓迎するかのように音楽が流れて歓迎のロボットが動き始め、これは列車の出発まで続く。この日の私は最初に見晴台まで行ったため、1度当駅での停車を体験しているので、驚きも衝撃も半分になっていたが、それでも車内を埋め尽くしていたインバウンズの皆さんを含む観光客は「何事か」と身を乗り出し(もちろん私もその一員)、車中から写真撮影をしていた

このからくり人形は当駅を象徴するものだ

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全国にいくつもある「下田」駅

開業は1928年(昭和3)。「阿蘇下田」としてスタートした。開業から国鉄時代まで高森線には5つの駅しかなかった(立野駅のぞく)が、うち3駅が「阿蘇白川」「高森」そして「阿蘇下田」と、他地域にもある駅名が並んでいた。阿蘇白川については、先の記事でも紹介した通り東北本線の白河駅との同音が気遣って阿蘇の名を冠し、高森については岩徳線に「周防高森」があるが、こちらは微妙に高森線が早いため、国名や地域名は付いていない

全国各地に地名がある下田については、おそらく最も知名度が高いのはペリー来航の静岡県の下田だろうが、開業は戦後で、しかも国鉄の駅でないことから「伊豆急下田」となった。明治期から「下田」を名乗っていたのは、東北本線の下田駅(青森県)と和歌山線の下田駅(奈良県)で、両駅がともに1891年(明治24)開業だったからか、ともに駅名に国名などを冠することはなく2つの下田駅が存在していたが、かなりの後発ということもあって「阿蘇」の名が付くことになった

ただ下田駅には、ちょっとした顛末(てんまつ)があり、現在JRには「下田駅」はない。というのも東北本線と高森線の駅はともに三セクの駅となり、和歌山線の駅は約20年前に自治体名の「香芝駅」へと名前が変更となったからだ。話はさらにそれてしまうが、香芝駅から歩いてすぐの場所に「近鉄下田駅」があるのだが、こちらは元々は単に「下田駅」で、近鉄と国鉄が至近にそれぞれ同名の駅を持っていて、そのこと自体は珍しいことではないのだが、1970年に現在の駅名に変更(近鉄は至近にある同名の駅に「近鉄」と付けることをよく行う)。駅名の重複はなくなったと思ったら、JRで駅名が変更されてしまった

話を戻すと、阿蘇下田駅は南阿蘇鉄道となってしばらく経つと「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」へと変更された。これは駅舎を大々的に改装して温泉施設にしたからだ。ただ2016年の熊本地震によって温泉の設備が被害を受け、鉄道も運休となったため、2023年の復旧のタイミングで「阿蘇下田城駅」として再出発となった。国鉄時代の阿蘇下田駅にしなかったのは

こちらの駅舎を見れば一目瞭然である

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~路線の顔役は唯一の有人駅

※訪問は2025年8月26日

全線復旧直前に新装

高森駅である

現在の駅舎は3代目。国鉄時代は1928年(昭和3)の開業からの木造駅舎が長らく使用されてきたが、1986年の三セク移管直後に時計台のある駅舎に全面改修。施設の老朽化と熊本地震による被災もあったことで建て替えとなり、震災からの全線復旧となった2023年に現在のものとなった。つまりまだピカピカの2年目

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本社の所在地

開放感のある駅舎内はエアコンも完備。休憩スペースには充電コーナーもある。南阿蘇鉄道が入居する路線内唯一の有人駅。乗車券の販売も行うが、改札業務は列車の乗務員が行うため、外からダイレクトにホームに入ることも可能で開放感が漂っている

なお言い忘れたが、私は翌日にも高森駅を訪れている。その事情は後の記事で紹介するが、駅の内外の写真については2日分が混じっていることを了承願いたい

駅の外には

ワンピースのフランキー像。大変な人気者で撮影の人が絶えなかった。もうひとつの人気は

ワンピースのキャラクターによるサニー号トレイン。こちらもカメラの放列。ワンピースの作者尾田栄一郎さんが熊本出身という縁で全線復旧となった2023年から運行を開始。主に週末に運行されていて私が訪れたのは平日だったので留置線で休憩中だった。1日1往復と2往復の日があり、2往復の場合は1往復が全席指定となり、指定席料金510円が必要。それ意外の便は全席自由席で乗車券のみの追加料金不要となっている。運行日など詳細は南阿蘇鉄道HPを参照していただきたい

また車窓からキャラクターを探すという企画も行われていて、南阿蘇白川水源駅での記事で紹介したキャラクターはそのためのもの

この車両は定期運行での運用に入ることもあるそうで密かに楽しみにしていたが、残念ながら私の2日間で出会うことはなかった

広大な敷地

サニー号トレインの写真で分かるように国鉄以来の路線の顔として広い敷地を有する

靴を脱いで入る交流施設は展示コーナーのようになっていて

九州内の三セクからの全線復旧を祝う声が届き

アニメの人気キャラも再開を祝っていた。2016年4月の熊本地震から2023年7月の全線復旧まで7年もの歳月を要した。地方の鉄道がこれだけの空白期間を経て復活するのは現在では、なかなか貴重なことである

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~不自然な弧を描いて入線する終着駅

※訪問は2025年8月26日

終着駅のいつもの感慨

終着駅の高森に到着。全国どこでもそうだが、国鉄由来の終着駅には旅愁が漂う。旅情というより、ここから先に線路はないという旅愁だ。国鉄が全国に線路網を伸ばしていく際、機回しの面倒もあって、港へ向かう路線以外はできるだけ終着駅は設置しない方針で敷設されていった。弊ブログでも各地の路線を紹介する度に触れてきたが、現在残るいわゆる「盲腸線」のJRや三セク路線の多くは、結果的に延伸をあきらめた未成線であることが多い

行き止まりなので利用客は制限される。地方の路線では苦戦が続く。結果的に多くの路線が廃線になったり三セク転換されている。「本当はこの先にも線路が伸びていて…」そう感じるからの旅愁かもしれない

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路線名にもなった駅

南阿蘇鉄道が運営する路線は1本のみのため、記事でもずっとその名を使用しているが、正式な路線名は「南阿蘇鉄道高森線」である。国鉄の高森線を引き継いだためのもの

高森線の線路は1928年(昭和3)に立野から高森までやって来た

こちらは立野駅のホームにあるイラストだが、阿蘇山を囲むように敷設されていることが分かる。豊肥本線と高森線が計画され、豊肥本線は大分へ高森線は高千穂を経て宮崎県の延岡へとつながる予定だった。ただ豊肥本線は高森まで線路が到達した1928年に全線開業したのに対し、高森線と接続予定の高千穂線は1935年の一部開業から戦争をはさんでジワジワと延伸が続けられ、1972年に高千穂まで到達。以降も高森まで延伸すべく工事は続けられたものの、県境を越える長大トンネルを造ることができず、それぞれ高森、高千穂が終点の盲腸線となってしまった

その原因はトンネルを掘る際の出水事故である

現在は高森湧水トンネル公園というとても分かりやすい名前の公園となっているが、元々はこのあたりに高森駅を設置し、高千穂に向けて延伸されるはずだったが、高千穂到達の後に始められた7キロ近い長大トンネルの工事中に相次ぐ出水事故があり、1980年に工事は中断。1985年正式に工事の凍結が決まった。1985年といえば、国鉄からJR移管(1987年)の目前。というか1984年にはすでに三セク移管が決定していた

1970年代というのは鉄道にとっては不思議な時代で、赤字ローカル線が各地で姿を消す一方、果たして採算がとれるのかという路線の工事が着々と続けられた時代でもあったが、工事凍結が1985年と知った私も今、この記事を書きながら少し驚いている。もっと早く断念したのかと思っていた

この公園は今、高森町の名所として多くの人が訪れる場所となっているが、工事凍結は思わぬ結果をもたらした

南阿蘇鉄道は、この公園のあたりで大きく弧を描いて高森駅へと向かっているが、これは最初の開業時に「いずれ延岡へ延伸されるが、それまで暫定的に街の中心部に駅を置いておこう」という理由で現在地に駅が設置されたもの。延伸されると高森駅は湧水トンネル公園近くであらためて開業される予定だった。普通は街外れを覚悟で駅を設置する。そもそも各地の国鉄駅は街外れにあることが多い。約100年近く前に将来のムダを覚悟で線路を不自然な形でよくぞ敷設したものだと感心してしまうが、別な視点だと1928年のトンネル技術では、全線開業は相当先になると考えたのかもしれない。このような経緯で街の中心部にやってきた線路は、恒久的に現在地で営業することになったのである

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~路線内で最も新しい駅はガラス張りのおしゃれな駅舎

※訪問は2025年8月26日

アクセス向上のための請願駅

白川水源を後にして南阿蘇白川水源駅へと向かう。前記事でも記したが、白川水源へのアクセス向上のためにできた駅

なにゆえグーグル地図が広い道路ではなく狭い道路から遠回りするコースを選択するのか不明だが、普通に進めば、写真のように広い道路から駅舎がすぐ分かる。すぐ分かるぐらいなので周囲はほぼ農地。阿蘇白川駅から徒歩15分かかっていた白川水源への道程を5分にしてくれる駅は南阿蘇村による請願駅だ

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待ちに待ったお昼はあか牛

当駅の開業は2012年(平成24)3月。南阿蘇鉄道では最も新しい駅。観光名所の白川水源へのアクセス向上を目的に南阿蘇村が3500万円という費用を負担した請願駅。南阿蘇鉄道の半数以上の株主が南阿蘇村とはいえ、3500万円は太っ腹な出費である

築10年ちょっとだけあって、なかなかおしゃれな駅舎だ。大きな駅名板は最初の写真の場所からでも駅を確認できるからだろう

ガラス張りの駅舎内にはレストランが入店しているが、張られていた8月の開業日を見ると週末とお盆という観光客の多い日だけのようで、この日はお休み。もっともこちらについては覚悟ができていた。緩やかな坂を昇って再び白川水源の方へと足を向ける。周辺は観光地なので食事はできる。まず目についたのはラーメンだったが、いくら熊本がラーメンとはいっても、この炎天下ではさすがに堪える。そこでせっかくなのだからと奮発してステーキ丼

阿蘇といえばあか牛。それなりのお値段はしたが、ギッシリ敷きつめられたステーキが絶品。わさびにタレ、塩と3種類の楽しみ方があって、後は自分の好みのタイミングで半熟玉子を入れる。そしてステーキに別の意味で味付けとなったのが、実に美味い水。提供されるのは白川水源の水で、先ほど味わったばかりの水を、まさに駆けつけ1杯いや2杯も含め、コップで5杯も飲んでしまった。実に満足

思わぬ出会いに驚き

再び駅へと戻ってきた。すると駅舎内に思わぬ変化。ガラス張りの当駅はとてもおしゃれで美しいのだが、ガラス張りだけに陽当たりが良すぎて最初に入った瞬間「この季節は屋内に長居は無理」と思うほどの暑さだったが、入ると空気が全く違う。休業日の仕込みか整備かは分からないが、レストランの方がいつの間にか来て作業を始めている。そのタイミングでエアコンが稼働したようだ

駅舎内には国鉄時代の写真などが掲げられていて、昭和47年~昭和48年とあるが、駅名標の前で元気にポーズをとる子どもたちは、おそらく私とほぼ同年代で、今は何をされているのだろう、と思ってしまった

そんな感慨にふけっていると列車の接近注意音が鳴り、この時間にやって来る列車はないはずだと思っていると

やって来たのはトロッコ列車。今日は運行日でないことは確認していたが、試運転だろうか、と眺めているとお客さんが乗車している。団体さんにしては人数が少ない気もしたが、少しの時間停車して乗務員の方による説明が行われていたので、貸切での運行だったのか。ただホームでぼんやりと説明を聞いていて気付かされたのは

田んぼにたたずむワンピースのキャラクター。沿線では随所に登場するが、それについては以降の記事で説明していきたい

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~車内ガイドで水温14℃白川水源の場所を知る

※訪問は2025年8月26日

白川水源の元の最寄りは阿蘇白川

阿蘇白川駅から村道に出たところ。ここはおそらく旧国道(国道は現在立派なバイパスとなっている)だが、「白川水源 800メートル」との案内がある。ここから白川水源を目指す

地図を見れば一目瞭然だが、白川水源の最寄り駅は南阿蘇白川水源駅。ただこちらは2012年開業と新しい駅で、長らく阿蘇白川駅が白川水源への最寄りだった。これから徒歩で白川水源へと向かい、阿蘇白川駅訪問も果たすつもりだ。白川水源は観光地なので食事をする場所もあるだろう。2時間もあるので十分だ

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当初の予定にはなかったが

白川水源への訪問は当初予定になかった。というか、どこにあるのかも知らない。白川水源を名乗る駅があるので、そこから近いのだろう、という感覚だ。予定になかったのは当然で、飛行機が早着しなければ訪問の時間はなかった。そして南阿蘇鉄道の車内での乗務員さんの案内が大きい。「あそこに見える青い屋根のあたりが白川水源です」。南阿蘇鉄道では沿線や駅についてのガイドが入る。つまり車内で白川水源の場所を知った次第。もちろん白川水源へは南阿蘇白川水源駅の方が近いが、ダイヤの関係や当初は阿蘇白川駅のカフェに行くつもりだったので、阿蘇白川駅まで行って下車した。どちらにせよ、この1区間は歩く予定だった。要は食事場所が白川水源付近に変更されたということ

さて、駅訪問の記事ではサムネに駅名標の写真を置くことが多く、そこで気付かれた方もいるかもしれないが、南阿蘇鉄道の駅名標には必ず標高が入っている。高原を行く鉄道らしい

ご覧のように約500メートル。さすがにこの季節、高地といえどもかなり暑いが、心地よい風が吹いていて日陰は涼しい

15分ほど歩いて白川水源の入口に到着した

冷たい水が何よりの癒やし

入口は白川吉見神社の参道も兼ねている

環境を守るために100円の入場料(協力金)が必要だということ。もちろん喜んで払います

そして白川水源へ。写真は人の姿が一瞬消えてタイミングを見計らって撮ったが、実際は人がいっぱい。入口近くの駐車場には団体のバスも停まっていた。平日でこれだから週末はもっとにぎわうのだろう

ご覧の通り、ひしゃくですくっていただくスタイル。中に入るのはもちろん、手足をつけるのも禁止。耐水性のカメラを浸けるのも禁止である

ということで早速すくってみた。ここでは毎分60トンもの阿蘇の水が湧き出していて水温は年中14度だという。手で触れるとひんやり。徒歩で汗をたっぷりかいたため、ひしゃくで頭から水をかぶってみたかったが、周囲を見渡すとやっている人がいなかったので自粛。その代わり、両手にかけてみた。こんこんと冷たい水があふれる景色と冷涼な空気だけでも十分に癒やされるが、この冷たさにはさらに癒やされる。初めて来たので四季ごとの感覚は分からないが、14度の水はおそらく冬場はとても温かく感じるのだろう

当地では古くから水に対する信仰があったとされ、神社へお参り

私はペットボトルの水を持参していたので、そちらを飲み干してから、こちらの水のお世話になったが、容器は現地でも販売している。台車の持ち込みは禁止されているが、毎分60トンなのでくみ放題でもある

この後、駅に降りる度に周辺案内図を見ると各所に水源がある。その数は16にもなるとか。アクセスや現地の環境はさまざまだのようだが、とにかく来て良かった。そう思える寄り道は、列車内の案内があってのもの。きっかけをくれた南阿蘇鉄道に感謝である

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~山中の時計台駅のカフェでひと休み…

※訪問は2025年8月26日

幸運に感謝しながら

見晴台駅から立野方面へと折り返して阿蘇白川駅で下車。時刻は10時38分。当初の予定だと立野どころか、11時48分の列車に乗るべく、まだ肥後大津で待機中。「まだ」というより「まだまだ」だ。早めに着くのだから荷物をホテルで預かってもらって…などと考えていたが、飛行機の5分早着は本当に幸運、強運だった。全9駅(立野をのぞく)の南阿蘇鉄道において、もう2駅目なのだから、これは大きい

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他の国鉄駅との重複を避ける

時計台を持つおしゃれな駅舎を有する阿蘇白川だが、こちらは三セク移管後のもの。開業は1928年(昭和3)と、5つだけの国鉄高森線時代からのオリジナル駅のひとつ

当時は白水(しくすい)村に所在。白川とは明治の町村制施行まであった白川村のことで、この後出てくる白川水源など、当時からの地名は今も残る。駅名に旧地域名が入れられているのは、東北本線の白河駅と文字は異なるが読みは同じなので、気配りしたと思われる

2005年の平成の大合併で南阿蘇村が誕生して白水村は自治体としては廃止されたが、当駅は村の代表駅で役場も当駅近くに置かれていた

駅舎も開業時からの木造駅舎が残っていたが、南阿蘇鉄道に移管されて現在の姿に。木造駅舎を廃して新たにおしゃれなとんがり屋根の時計台付き木造駅舎を建てるあたり、新出発に向けた気概を感じる

駅舎にもミニ駅名標が張られている

単式ホームからの雲が美しい

時間を使うには

さて朝の時間帯を過ぎると南阿蘇鉄道はローカル線あるあるで、運行本数がガクンと減少する時間帯に入る。先述した通り、私が降り立ったのは10時38分だが、次の高森行きは12時34分(これが元々乗乗車予定の列車)、立野行きは13時00分と2時間もの空白がある。奇跡的な乗継ぎでここまで来たが、元々はたっぷり時間のある肥後大津駅で11時になったら飲食店も開くので、そこで昼食を済ます予定だったが、それはできなかった。肥後大津駅付近にはコンビニもあるが、もちろん買い物の時間はなかった。朝7時台の飛行機に乗るべく、摂った朝食は5時過ぎの牛丼店朝食なので、さすがに何かお腹に入れたいところだが、これについてはさすがに列車内で調べた。当駅にはカフェが入居しているのだ。駅舎を利用した飲食店は他駅にもあるようだが、営業時間が不明。ただこちらは平日もオープンしているようなので「朝からやっているのかな」などと思いながら、あらためて駅舎に入ると

あるある。これでひと安心と思いきや

なんと本日は火曜日だったのだ。下調べができていない私が悪いのだが、ピンポイントで1週間あるうちの7分の1を引いてしまうとは

ただ私には今回ばかりは「プランB」がある。2時間もの時間を有効活用する方法

駅前通りを進んで振り返ると、大いに目立つ美しい駅舎が見えた。炎天下ではあるが、ここからは徒歩である

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~予備知識なしで降りて「オンリー」自販機にビックリ

※訪問は2025年8月26日

時刻表の都合で最初の訪問駅に

豊肥本線からの直通列車なので始発駅である立野での乗降はしなかったが、南阿蘇鉄道となる立野から30分で終点の高森手前となる見晴台で下車。JRから線路を引き継いだ三セクにも、いろいろな規模があって、南阿蘇鉄道高森線は、わずか17・7キロしかない。だから全線乗車しても30分程度。総距離が短いからこそ熊本地震からの復興がかなったのだともいえる

そしてタイトルにもある通り、当駅については何の予備知識もなく降り立ったことをまず断っておく。単に時刻表の都合で最初に降り立った駅となった。ここからの文章では後に私が調べたことも含めながら駅の紹介をしていきたい

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三セク移管後の新駅

見晴台駅は1986年(昭和61)の開業。同年4月に三セク移管された後の11月に設置された。同日開業した加勢駅と並んで南阿蘇鉄道の一期生の駅である

三セクの新駅というのは隣駅との距離が短いことが多いが

終点の高森駅までは大した距離ではない。後に出てくるが、もともとは湧水トンネル公園付近に高森駅が設置される予定で、暫定的に現在の場所に設置したおかげで駅前で大きくカーブしている。結果的に暫定的な駅は恒久的な駅になってしまい、そのおかげで見晴台駅から高森駅へは線路をショートカットするように歩けばいいし、そもそも当初の予定通りに高森駅ができれば、あまりにも距離が近すぎて新駅は造られなかっただろう

しかし地図を見ていただければ分かるが、駅の場所は住宅地や市街地ではなく農地だ。実際に駅で降りても周囲に民家は少ない。なぜそんなところに、と思われるかもしれないが、駅名の通り景観を誇る駅だったのだ

こちらは駅前からの景観。実に美しいのだが、この美麗さをウリにしていた駅だったのだ

開業当初、当駅は屋上が展望台になっていた。駅名は特に地名ではない。後に老朽化を理由に現在の建物となったが、屋上というのは維持に手間がかかるものなので、利用者数や訪問者数が合わなかったのかもしれない。熊本地震前のデータでは1日の利用者数は、限りなくゼロに近い1だったという

暑さゆえに

こちらはホーム側から見た駅舎。駅舎に入らずとも出入りできるようになっている

私が当駅に滞在できる時間は20分。外の写真は撮ったので、駅舎内を見る前に暑いので何か買おうと駅舎横に設置されている自販機に近づいてみて驚いた

なんと「午後の紅茶」一択。自販機の定番であるミネラルウォーターもお茶もない

首をひねりながら駅舎内に入ると理由が分かった。ポスターや説明文があった

この駅は午後の紅茶のCM撮影地だったのだ。熊本地震からの復興支援として当駅周辺で上白石萌歌さん主演のCMが撮られ、自販機はセットの一部として設置されたものが、そのまま利用されているものだという

上白石萌歌さんといえば、同じ九州の島原鉄道

大三東駅でのキリンレモンのCMについては、それを知った上で訪問したが、午後の紅茶については認識がなかった。CMでの歌は印象に残っているが、当駅だとは知らなかった

こちらは駅舎内。CMは2016~2018年のものだが、その時に存在を知った人の訪問は今もあるという。当駅で下車したのも乗車したのも私1人だったが、乗務員の方にはもしかすると、そのように見られていたのかもしれない。単に私が無知だっただけとはいえ、降りてみて初めて得た知識は、いつまでも記憶に残るものである

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~単行の直通列車はすし詰め状態

※訪問は2025年8月26日

必ず乗り換えの発生する要衝駅

あらためて肥後大津駅。すでに当駅始発の南阿蘇鉄道直通の列車が待っている

発車の10分以上前に駅に着くことができたので無事に「旅名人の九州満喫きっぷ」を購入。5月に九州を訪れ平成筑豊鉄道から田川井田経由で日田彦山線BRTに乗車した時にも利用したが、九州内の私鉄、三セクに乗車する際は本当に便利なきっぷである。ただし、これを買うということはこの旅行では九州新幹線をはじめとする優等列車には乗車しないということを意味する

その肥後大津駅の駅名標がこちら(撮影は2023年)。町名の由来について記されているが、初めて来た時に滋賀県の大津が地名の由来と知って驚いた記憶がある

そして当駅は電化、非電化の境界駅となっていて豊肥本線は熊本から当駅までが電化、当駅以遠が非電化となっていて特急以外の列車は必ず乗り換えが発生する。つまりすべての普通列車は当駅が始終着となる

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大きく異なる運行本数

そして肥後大津の時刻表がこちら

一目瞭然で運行本数が全くことに気付く。赤文字は特急なので、それを引いて考えると熊本に向けた電化区間は昼間でも1時間に2~3本の運行があるのに対し、阿蘇から大分方面については、昼間は2時間以上、普通の運行がない時間帯がある

それ無理もない話で2駅先が立野駅

これから乗車する南阿蘇鉄道の分岐駅そして豊肥本線はここからスイッチバックで山岳地帯を行く。つまり人口の少ない場所に入っていくのだから、列車の運行が少なくなるのも自然な流れである。逆に言うと肥後大津駅前のにぎわいを見ると、2駅先がスイッチバックとはとても思えない

あらためて時刻表を目にしていただくと、私がこれから乗車する9時26分を逃すと次は11時48分。その間に特急も走っていて、こちらは立野にも停車するのだが、立野で南阿蘇鉄道に乗り継ごうとすると、そちらの運行がなく、11時48分に乗車するのと同じ結果となる。飛行機早着の恩恵は本当に大きかった

突然にぎわう車中

2023年7月の南阿蘇鉄道全線復旧によって肥後大津からの直通列車が設定された。朝に2往復。これは朝の通勤通学で熊本市内方面に向かう人の利便性を高めるもので、9時26分発とは随分遅いと思われるかもしれないが、南阿蘇鉄道の終点である高森駅を出発するのが8時25分で肥後大津着が9時8分の折り返し。通学の時間帯は終わっているが、午前中に熊本に向かうという点では寄与している

もっとも朝の行動のピークとなる時間帯は終わっているので下りとなる高森行きは発車まで10分を切っても車内はこの通り。全くの貸切だ。これは楽しく過ごせそうだと思っていたら、熊本からやって来た9時24分着という高森行きへの乗継ぎ電車が到着すると、車内はあっという間に満員状態に。乗車している間に分かったのだが、台湾からのお客さんで軽装ぶりを見ると熊本市内に宿があって、ここまでやって来たようだ。アテンダントがいるわけでもないのに、うまい具合によく乗継ぎができるものだと感心していたら隣に座った方がスマホで帰りの乗継ぎを調べている。もう20年ほど海外に行ったことはないが、妙に納得してしまった

とにかく車内はすし詰め状態で正面は人しか見えないし、身体をひねって車窓を見ることもかなわない。終点高森の手前である見晴台までこの状態で向かった

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~飛行機早着という5分の奇跡からスタート

※訪問は2025年8月26日

あきらめから一転

大阪空港の熊本行きに乗り込む。ご覧の通り、7時45分発

バスで飛行機の手前まで運ばれる形式。JALの場合、伊丹空港から地方に向かう便は結構この形式が多い。ただこの時点で私はため息まじりだった

飛行機を予約したのは2カ月も前の話だが、とりあえずは深夜零時からのタイムセールに参加し、朝一番の便を押さえたものの、これだと現地での乗継ぎが悪く目的である南阿蘇鉄道に乗車するために2時間もの待ちが出てしまう

その時間をどうやり過ごそうと思案していたら、なんと奇跡が起きた

時刻表では空港着が8時55分。9時発の空港ライナーに乗車できれば、肥後大津発9時26分の南阿蘇鉄道直通列車に乗車できるのだが、電車の乗継ぎ時間5分とはわけが違う。降機してから到着ロビーを抜けてバス乗り場まで行くには時間がかかるとそもそも飛行機には遅延がつきものなので完全にあきらめ、次の列車は11時48分なので待ち時間はどう過ごすかなどと考えていたら、なんと5分の早着。しかも飛行機は最前列の座席をたまたま確保できていたため、先頭で降りて9時のライナーに乗車できたのだ

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空港ライナーとアクセス線計画

何の説明もなく「空港ライナー」と書いてきたが、これは肥後大津駅と熊本空港を結ぶ無料のシャトル便

県が運用にあたっていて30分間隔で運行されている。ワゴンタイプで9人乗り。満員になった場合は追加のバスが来るそうだが、ちょっと待たなければならない。私は出発ギリギリで8人目として乗り込めた

こちらも説明が後になってしまうが、空港と肥後大津駅は至近距離にある

車で15分。熊本空港はかつては熊本市内にあったが、1971年(昭和46)に現地に移転した。肥後大津駅は1914年(大正3)開業と110年もの歴史を持つが、当駅についてJR九州が力を入れ始めたのは1999年(平成11)に熊本から当駅間の電化から。この区間内は学校が多く、熊本から肥後大津までは30~40分と通勤通学圏内。さらには九州新幹線の全線開業まで博多と熊本を結んでいた特急「有明」が当駅まで乗り入れるようになった。駅での「肥後大津行き」の案内や列車の方向幕で駅の存在を知った人が多かったのではないだろうか

ちなみに現在、肥後大津駅と空港の約7キロを結ぶアクセス鉄道の計画が進んでいてJR九州も乗り気になっているため、近いうちに具体化しそうである

発展する駅周辺

ライナーが到着するのは南口(写真は翌朝のもの)。もともとの大津の町は北口が中心で

こちらは木造駅舎が健在で(写真は2023年6月のもの)、JRの直営は北口。南口はビジターセンターで駅員さんはいるものの業務委託となっているようで、みどりの窓口は北口にある。私は旅名人きっぷを購入する必要があったため、北口に行かなければならないが、その旨を告げると通してくれた。駅には阿蘇くまもと空港のサブ駅名が付けられている

空港が近いということもあり、駅周辺にはビジネスホテルが多く進出している。宅地としても開発が進んでいて、訪問は3回目だが、来るたびにマンションとホテルが増えている印象だ。今日1日ではとても南阿蘇鉄道の全駅訪問は無理なので、当駅近くのホテルに宿泊の予定。夕方に戻ってきてホテルにチェックインしたが、朝から猛暑の中を歩き回ったため、夜に出かけることなく南口からすぐのイオンで酒と食材を購入して夕食とした

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