完了2年がかりの呉線全駅訪問~2番目に新しい駅ながら利用者数はブービーの異色駅

水尻駅の駅名標

※訪問は2024年1月9日

開業は1999年(平成11)

平成以降において、わざわざ駅を新設置する理由のほとんどは沿線人口の増加だろう。他には通勤通学の利便性を向上させる、スタジアムやテーマパークなどのハコ物ができた、というのもあるが、基本的には利用者が多そうなので設置した、というベクトルは同じ。平成以降というのは、JR化後とほぼ同じ意味合いなので、民営化された後は、お金にならなさそうなことはあまりしないのがノーマルな考えだ(民営化直前に駆け込み開業した駅も存在するが)

呉線でも平成以降にいくつかの駅が開業した。すでに紹介した中では、テーマパークのためにできた呉ポートピア駅(1992年開業)が代表格だろう。こちらは駅の設置費用もテーマパーク持ち。また安芸長浜駅(1994年開業)は発電所への利便性を図るもの

まだ紹介していない駅は他に新広駅、かるが浜駅そして今回の水尻駅となるが、呉線で最も新しい駅は新広で2002年の開業、次が水尻とかるが浜で1999年の開業(2月の同日開業)。厳密に言うと、かるが浜は復活駅なので、水尻は2番目に新しい駅となるが、1日の利用者数(2021年)は26駅中25番目(三原と海田市をのぞく)の142人。最も少ないのが三原からひとつ目の須波の124人、下から3番目が大乗の184人なので、あわや最少利用者になりかねないところ。平成生まれとしては、なかなか異例ともいえるが、その異例さが駅そして呉線の特色をよく表しているのだ

狭い島式ホームに到着

小屋浦から、ひとつ広島方面へ戻る形で水尻に到着。狭い島式ホームでのお出迎えである

呉ポートピア、安芸長浜、新広と新駅は単式ホームとなっているのが特徴で、新駅らしく器用に駅を設けている。水尻も国道が迫る位置に器用に設けられているが、列車交換可能な複線構造となっているのが、特徴である

駅舎が当初からないのも特徴。つまり

・新駅ながら利用者は少ない

・駅舎はないが列車交換はできる構造

なのである

高まる需要に応える

呉線は1970年(昭和45)に電化されたが、今も単線だ。複線化の話は戦前からあり、特に戦時色が強まった1939年には軍都・呉への輸送力を強化しようと海田市~呉の複線化が決定。工事が開始され、新たな路盤やトンネルがいくつも造られたが、開戦後の資材不足もあって工事は中断して終戦。せっかくの新線は「未成線」のまま放置されていたが、電化の際に利用されることとなり、いくつかの区間で線路の付け替えが行われた。ただし旧来の路線は「廃線」となった

複線化が再び持ち上がったのはJR移管前夜あたりから。呉が広島のベッドタウンともなったことで輸送量が限界に達しつつあり、複線化が強く求められるようになったが、今度問題となったのは、お金。複線化に際しては数百億円が必要とされたが、交換設備を備えた新駅を設置すれば、数十億円で済むということになり、それで開業したのが水尻駅と復活のかるが浜。つまり新規開業でありながらも信号場の役割が強い駅だった

それでも駅は山と山の間にある小屋浦~坂の水尻地区に設置された。小さな集落ではあるが、利便性は大いに増した

食券型の自動券売機とICリーダーが設置されている

跨線橋からは山側にしか出られないが、すぐ踏切があるので国道つまり海側にはすぐに出られる

国道を渡ると人工砂浜の「ベイサイドビーチ坂」。夏場は海水浴でにぎわう。訪問時は1月で盛夏の様子は分からず、広大な駐車場を見ると多くの客は車利用と思われるが「海に近い駅」であることは間違いない

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完了2年がかりの呉線全駅訪問~大正期に開業 現在はメジロの駅に

小屋浦駅の駅名標

※訪問は2024年1月9日

姫路ワープで広島へ

年明けの1月9日

朝7時の三ノ宮駅。本格的なラッシュアワー直前という感じで、まだホームに余裕はある。ここから新快速に乗車。時間が時間だけに着席はあきらめていたが、下りが幸いしたのか神戸で座れた。しかし

8時過ぎの姫路駅はピークタイムとなっていて階段は降車専用のような状態

今日は広島まで

以前も紹介したが、広島に行くなら青春18きっぷの季節は姫路ワープが圧倒的にお得である

呉線完結へ

今日で呉線が完結となる。広から東側はすべて訪問したので、出発は三原からではなく広島からである。最後の訪問が2022年12月だったので、1年以上空いてしまったが、本当は夏の18きっぷシーズンに訪問予定で、その通り自宅を出たが、三原まで行ったところで雨のため呉線が遅延していることが判明。急きょ山陽本線から瀬野で下車してのスカイレール訪問となった。いつかはもう一度乗ってみたいと思っていたので、これはこれで有意義なことではあった

本数の多い通勤通学時間は既に終わろうとしていたが、おそらく最後の1本あたりには間に合ったようだ。乗車電は9時40分の広行き

約30分で小屋浦に到着

小屋浦駅は1914年(大正3)の開業。海田市~呉の開業は1903年(明治36)だったので、呉線に誕生した最初の「新駅」となった(仮乗降場は他にもあったが、正式な駅は小屋浦が最初となる)

天災を乗り越え

こちらが駅舎。ユニークな形をしているが、こちらは所在地である坂町の鳥メジロを模したもの。現駅舎となったのは1999年(平成11)。それまでは開業からの規模の大きな木造駅舎だった

現在の駅舎となっても、しばらくは有人駅で完全に無人化されたのは7年前。窓口はふさがれて簡易型の自動改札機が設置されている。ただ券売機は食券販売機型ではなく、大都市近郊と同じものが置かれている

駅舎からホームへは階段とスロープで出入りする。駅舎は山側にあり、広島方面への電車ホームへは跨線橋で移動

跨線橋からは海と国道が望むことができ

昼間は1時間に1本の運行だが、朝夕の特に広島方面への本数は多い

こちらは駅前の地図。小屋浦地区は山と山の間に挟まれていて、交通事情の悪い時代は海沿いを歩くのも困難で、山越えを強いられていたため呉線開通と同時に駅の設置が地元から求められていた

そして地図で分かるように街の中を通る一本の天地川を中心に発展してきた街だが、平素は穏やかな川は、山との落差が激しく大雨が降ると大量の土石流が押し寄せる暴れ川としても知られており、有史以来、何度か天災に遭っている。明治時代には死者44人という被害が発生。2018年の7月豪雨では上流の砂防ダムが決壊して死者と行方不明者が合わせて16人という大きな被害が起きた

訪問日は冬の小春日和という穏やかな陽気に包まれていたが、歴史は忘れてはならない

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出直し2年がかりの呉線全駅訪問~聞き耳が過ぎて最後の駅で痛恨のやらかし

風早駅のホーム

※訪問は2022年12月27日

駅訪問で必ず行うこと

風早駅に到着。これで広~三原の駅はすべて訪問したことになる。残る広以西は列車本数が多く、昼間き普通が1時間に1本の停車という駅もあるが、朝の通勤通学時間帯は本数が多い上、呉ポートピア駅のように至近な駅間もあって、なんとでもなるはずだ。とにかくひとつの区切りである

話はややそれるが、駅訪問を趣味にしている人なら必ず行うであろうことがある。駅舎と駅名標の撮影。これをしないと駅を訪ねたことにならない。駅舎がない駅はホームと待合所を撮る。当然すぎることだが、まずこれを念頭に置いて以下を読み進めていただきたい

万葉集にも残る地名

風早駅は1935年(昭和10)の開業。竹原~三津内海(現安浦)が延伸された際に設置された。当時の所在地は「早田原(はやたわら)村」。この村名は「風早」「大田」「小松原」という3つの村の名前から1文字ずつとって付けたもの。戦時中の1943年に他の自治体と合併して安芸津町となり、平成の大合併で東広島市となった

「風の郷」という風早自治協議会のHPによると、伊予の国で勢力を持っていた風早氏が海を渡って瀬戸内海の島々にも支配を広げ、当地に定住したため地名となったという説があるという。これが6世紀の話。また万葉集にも船の寄港地として風早の地が詠まれていて、少なくとも奈良時代には風早という地名は定着していたようだ

駅は海に近い

駅舎を出ると、すぐ海である

2面2線構造のホームはカーブ状に設置されている。弧を描きながら入線または去っていく電車を見ることができる

駅から海の方へと向かうと右手に商店があった。早朝に三宮の牛丼店で朝食を摂ったが、時刻はすでに14時前。さすがに腹が減ってきたので

おにぎりとお茶で少しばかり空腹を満たす。ちなみに風早駅には、ちゃんとお手洗いがある(男性視線だが)のでお茶もコーヒーも安心だ

会話に引き込まれ

駅舎で食べようと、駅に戻った。風早駅もキュービック駅舎だが、前記事の安登駅と同じく、1970年代に早々に現在の姿となったため、窓口跡がある

だが駅のベンチには先客が

正確に言うと、安登から風早へと向かう車内から、ご一緒だった。ご婦人の二人連れ。私よりは確実に一回りは上と思えるので70代以上だろう。その時は熱のこもった会話に何とも思わず、風早で「あー、一緒に降りるんだ」と感じた程度だったが、商店でおにぎりを買って駅に戻ると、駅舎内のベンチで延長戦を行っている

で、その会話内容が全く分からない。地方に行くと、お年寄りに限らず方言が全く理解できない、というのはよく体験するが、広島県で会話が分からない、というのは初体験に近い。正確には明治生まれだった尾道(といっても船で尾道から1時間もかかる小さな島)の祖母以来だが、当時は私も子供で理解力に乏しかった。しかも、さすがに目の前の方々は明治生まれではないだろう

ただ会話のディテールは理解できなくても、テーマぐらいは分かる。というか12月27日という年の瀬で、吹きさらしの駅舎内は結構寒い。おしゃべりなら家に帰ってやればよろしい。なぜ、わざわざ寒中行うのかというとテーマが「嫁姑問題」だからだ。それは家ではできんなぁ(笑)。私は明らかにヨソ者なので、いくら聞かれても大丈夫である

数年前、鹿児島の枕崎に行った時も「嫁がネコを拾ってきて…」というあたりまでは分かったものの、その後はちんぷんかんぷんだったことがあったが、ここは広島県である。ちょっと私も何とか理解してやろうとムキになってきて、お茶を飲むふりをしながら耳をダンボにしていると、少しずつ中身が分かるようになってきて「お母さん、そのぐらい大目に見てあげなさいよ」と思えるようになった。大変満足

お二人が去った駅舎内の様子(笑笑)。正しくは次の列車に乗るお客さんがやって来て、どうも顔見知りのようで強制終了となった(笑笑笑)

ということで方言も何とか理解でき、とても満足して次の訪問地である岩国に向かったわけだが、帰宅後しばらくしてから駅舎の写真も駅名標の写真もないことに気付いた。お茶とおにぎりを買って食べたぐらいなので時間はいくらでもあったはず。駅に着いた時、随分と傷みの激しい駅名標を後でゆっくりチェックしようと思ったことは覚えているのだが、いつの間にかすっかり失念していたようだ

ただこの日の旅先で最も印象に残る場面だったことだけは間違いない

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出直し2年がかりの呉線全駅訪問~路線内の駅付近にあるもうひとつの日本一

安登駅の駅名標

※訪問は2022年12月27日

駅員さんもいたキュービック駅舎

安浦駅からお隣の安登駅まではバス移動。名前もそのまま安浦バス。地元の高校生とともに乗り込む。広より東側は駅間が長い区間が多く、ここは4・5キロ。季節的に歩けない距離ではないが、バスの時刻表に合えば、乗車にこしたことはない

かわいいバスに乗り

駅前で下車。バスだと4キロはあっという間だ

ちょっとしたロータリーのある安登駅は

典型的なキュービック駅舎。現在の形となったのは、かなり以前のようで

現在はICタッチと自動券売機のみが設置されている無人駅だが、窓口跡が残る。ちょっと凝った「安登駅」の駅名板は、どう見ても国鉄のもので、1970年代にはキュービック駅舎となりながらも駅員さんはいたようだ

「跡」が「安登」に変化か

駅名は1958年(昭和33)まで存在した安登村に基づく。前記事で安浦駅は設置当時、内海町にあったことで三津内海駅になったと記したが、安登村は1929年まで「内海跡村」という自治体名だった。安登駅は1935年に呉線が全線開通した際、途中駅として設置されたが、内海跡村が安登村へと名称変更された時期がもう少し異なれば、旧村名が駅名になったかもしれない。「跡」の言葉の響きが好きではなかったのかどうかは分からないが、この跡という文字も元々は同読みの村があったともされ「あと」が、いろいろ変化しているようである。安登村は安浦町と川尻町に分割される形で自治体としては姿を消したが、現在は両町ともに呉市となっている

呉線は国道185号と並行していて駅の部分だけ駅前ロータリーを気遣うように、やや山側に曲線を描いているが、この部分が非常に重要で当駅最大の見どころが、そこにある

駅前ロータリーから国道に出る部分にある、よく見かける横断歩道だが、このような看板がある

「日本一短い県道」

駅前ロータリーと国道を結ぶ10・5メートルが「県道204号安登停車場線」。ロータリーの一部にも見えてしまうが、約20年前に拡幅工事が行われ道路幅が道路距離を上回ってしまったが、それ以前はもっとくびれていたという

ただこの「日本一」については、これを上回る(下回る?)県道があり、新幹線駅でもある長野県の上田駅前ロータリーの出口部分の県道が7メートルしかない。ただしこれには注釈が必要で、長野県の県道は、その先が別の県道との重複区間となっていて、重複部を含めると126メートルとなる。つまり微妙な構造なのだが、国道をはじめとする重複区間は、呼称については総延長の長い道路を優先するとのルールに従うと7メートルになってしまうとのことで、これまた微妙である

もっとも最短を巡って両者がもめているわけではなく、むしろ逆で「安浦町まちづくり協議会」のHPでは「総延長が日本一短い県道」という表現を行った上で経緯を説明している。HPによると看板が設置されたのは2007年で、その後に上田駅前の県道の方が短いことが判明。重複区間の存在も解説した上で「実延長では日本一ではないが、総延長では日本一だといえる」と、長野県に丁寧に敬意を表している

駅のホームに戻ると年季の入った名所案内が

最後まで読んで「ここからは行けないんかい」と突っ込みを入れてしまいそうになったが、とにかく話題が多い駅だということにしておこう

ちなみに名所案内にも出てくる先に紹介した「日本一短いトンネル」のある安芸川尻駅は、さらに呉方面へ1駅お隣の駅である

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出直し2年がかりの呉線全駅訪問~戦前からの駅舎が残る貴重な存在は始終着列車もあり

安浦駅の駅名標

※訪問は2022年12月27日

元の駅名は三津内海

安浦駅に到着。駅舎側のホームには駅舎が見えている

戦前からの立派な駅舎が健在。出入口のひさしの部分は手が加えられているようだが、柱は当時のままに見える。和式でありながらの三角屋根を持っている

開業は1935年(昭和10)。竹原から延伸されてきた線路が当駅までやって来て三原側からの終着駅となったのが2月。そして11月には当駅から広が開通。1年にも満たない終着駅としての存在だったが、これで呉線は全通となった。それまで呉~三原は「三呉線(さんごせん)」という名称だったが、全通したことで全線があらためて呉線となった

ちなみに当時の駅名は三津内海(みつうちのうみ)。「うつみ」と読みがちだが「うちのうみ」である。なぜなら内海町にある駅だったからだ。では「三津」とは何か、となるが、これは当時あった三津口町にちなむ。駅の所在地は内海町だが、三津口も近いので両者を合わせた駅名となった。両方の自治体から駅名を付けるのは、新幹線の駅が誕生する時に生まれる戦後だけのものではなかったのである。だが、この両町は戦時中の1944年に野路村と3自治体の合併により、安浦町となった。安浦は特に地名ではなかったが「浦安かれ」という意味を込めて名付けられたとか。安浦町は平成の大合併で呉市に編入となったが、安浦という新しい地名はその後も残り、駅の住所も呉市安浦町となっている

町名の変更に伴い、駅名も戦後間もなく町名と同じものへと変更となった。必然的な流れではあるが、駅名がそのままだったら、由来も残ったと思われるだけに若干残念でもある(住居表示としては内海も三津口も残っている)

2面3線ホームも現役

安浦駅は旧安浦町の中心部にある。2021年の1日の利用者は994人。これは広から東の区間では安芸川尻、竹原に次ぐ3番手(以下三原駅のぞく)で、朝と夜には広方面からの当駅止まり、広方面への当駅始発も設定されている。構造は2面3線で、路線内で3線構造の駅は広、呉、坂の3駅しかなく、広から東では当駅のみ。重要な駅ともなっていて

観光用のイラスト駅名標もある

こちらは駅前の観光案内を兼ねたウォーキングマップ

駅舎は海側にあり、反対側にも街は広がっている。両側の往来にはエレベーターも備わった跨線橋を利用するようになっている

ただ残念ながら2年前にみどりの窓口が営業を終了。と同時に無人化された。ふさがれた板の大きさから立派な窓口だったと思われる。定期券の購入、継続に対応する券売機は設置されているが、この立派ないでたちに無人というのは、ちょっと惜しい気がした

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出直し2年がかりの呉線全駅訪問~真冬のキュービック駅舎で悶絶

大乗駅の駅名標

※訪問は2022年12月2日日

ソロレソロリの絶景区間

大乗駅に到着

呉線の絶景区間については前記事でも触れたが、初めて呉線に乗車すると、この絶景区間を中心にところどころでスピードが緩むことに驚かされる。最初は「景色を見せてくれるためのサービスか?」と思ってしまうほど

だが、これはいわば「JR西日本名物」の制限速度25キロ。呉線は山と海の両方に近い地形もあって、特に平成になってから、豪雨による被害を何度も受けている。集中豪雨による被害は平成になってから各地で頻繁に起きていて、戦前からの脆弱な路盤の被害が相次いでいるが、呉線も例外ではない。特に2010年以降は4度も大規模な災害が発生して、全線復旧へ半年を要したこともある。現在、呉線で使用されている車両は227系という最新の電車に統一されていて、車両性能を考えると25キロ制限というのは、力を大いに持て余しているのだが、盛土上のやや高台に敷かれた線路の上はソロリソロリと走るか、新たにトンネルを掘るなどして線路の付け替えを行うしかないのだが、広~三原の利用者の数を考えると前者しかないのが現状である。もっとも、そのおかげで旅行者は素晴らしい車窓に出会えるのでもあるが

キュービック駅舎になって長く

大乗駅は1932年(昭和7)の開業。安芸幸崎から竹原までが延伸された際に途中駅として設置された。当時は大乗村。竹原のお隣の駅で、当駅から竹原に向けては海沿いではなく、山中をショートカットして竹原に向かうルートが採られている。沖合に阿波島という無人島があり、東に大久野島があることから、戦時中には化学兵器つまり毒ガス兵器の貯蔵庫が設置されていた。大乗村は1954年に竹原町に編入されて自治体としては消滅。現在は竹原市

簡易的なキュービック駅舎だが、かなり以前に現状のものとなったらしく

駅の事務室と窓口も残されている。記録だと現在の形になったのは1979年と、国鉄民営化のかなり前。当時は無人駅ではなかったようだが、現在はICリーダーと自動券売機だけが設置されている

ホームは築堤上にある2面2線。前記事の吉名駅と同じく

こちらは駅舎と逆側のホームからの眺めだが、かなり急峻な階段を降りて駅舎へと向かう。ホームの行き来も同じく築堤下のトンネル経由で行う

呉方面へのホームにはスロープも設けられている

竹原のお隣の駅ということもあって周辺は住宅街

駅舎の向こう側にも住宅が並んでいる。駅前の商店は営業を行っているのかどうか不明だったが、駅の南側の国道に出ると海はすぐそこである

年末の訪問はやはり冷える。ここまで安芸長浜、須波、吉名と駅訪問を行ってきた。駅舎すらもない須波は別として他の2駅はお手洗いが設置してあり、ちょっと油断した私は吉名そして電車内でもお手洗いは利用していなかった。そろそろこちらでもと駅の横にあるトイレらしきものの前まで行った。すると

ドアノブまで外されている厳重施錠で当然、中には入れない。時刻はお昼前で、時間的には暖かくなるころだったが、当駅で過ごした50分は、かなりの悶絶タイムだった。やはりローカル線の駅訪問は油断禁物である

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出直し2年がかりの呉線全駅訪問~キュービック駅舎が続々と

吉名駅の駅名標

※訪問は2022年12月27日

美しい車窓に癒やされる季節は冬場がベスト

瀬戸内海に沿って走る呉線は車窓も美しい。特に三原に近い安芸長浜あたりから東側は国道とともに海沿いを走る区間が多いので、乗り鉄の方も目を凝らして見ていただきたい。私的にオススメは夕陽の沈む時間帯か。こちらは朝のおそらく須波~安芸幸崎間の車窓

さらに言うと、季節的なオススメは冬場である。夏場だと「ブラインドを閉めてください」の圧が半端ない。そして、それは十分に理解できるもの。前回の訪問は、まだまだ暑さの残る10月1日だったが、圧の前に自主的にプラインドを閉めてしまうほどまぶしかった。ずっと南側に向いているので当然のことだが、青春18きっぷの季節に特化するとギラギラ太陽の照りつける夏場はおすすめできない。冬かせいぜい春だと思う。この写真は訪問の年末のものだが、冬の柔らかい日差しが暖かかった

いわゆる簡易的な駅舎

その意味では当日は三原から安芸長浜へと向かってから、須波に戻り、再び呉方面へと乗車したので3回も同じ景色を見られて楽しかった

そして到着したのは

吉名駅。こうして見ると単式の棒状駅に見えてしまうかもしれないが、車両に塞がれているものの、すれ違いの列車交換ができる2面2線構造。広から東側はローカル線のムードが漂う呉線だが、単式ホームの駅は安芸長浜、新広、呉ポートピアの3駅のみ。いずれも平成になって設置された新駅で、他はレールがはがされて単式ホームになったりすることなく2線以上の構造を保っている

ホームは盛土の上にあり、結構急峻な階段で駅舎を抜け外に出る

駅舎は簡易的な立方体の、いわゆるキュービック駅舎である

吉名駅は1935年(昭和10)の開業。同年の2月に竹原から三津内海(現在の安浦)までが延伸された際に設置された。当時は吉名村。同村は1956年に竹原町に編入となり、現在は竹原市である。かつては開業以来の木造駅舎があったが、30年近く前に現在の姿となった

周辺は吉名の町の中心部にあたり、タクシーもいる。吉名村は「所得倍増計画」や、最初の東京五輪時の首相として知られる池田勇人元首相の出身地である

駅前の地図。駅前の道路を道なりで歩いていくと港に出る

こちらは駅舎内の様子。椅子が並んでいてすぐに階段があり、ホームへと向かう。ICリーダーと自動券売機という呉線ではおなじみの光景。もちろん無人駅だ

ちょっと古典的なホーム案内。駅舎と階段を結ぶあたりは柱も木造なので、駅舎の改築以前のものかもしれない

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出直し2年がかりの呉線全駅訪問~三原のお隣のモニュメント駅はヤード跡横断も可能

須波駅の駅名標

※訪問は2022年12月27日

ホーム間移動は公道経由で

須波に到着。三原駅を出てからの呉線は、すぐに山陽本線に別れを告げて左に折れると三原の市街地を見渡しながら南下。河口付近で川幅も広くなっている沼田川を渡ると、すぐ山となるため、再び左に弧を描き、今度は海と山の間の狭いスペースに沿うように右へとカーブして須波へと向かう。車窓的にも海が一望できて見どころのある場所だが、地形的には自然の影響を受けやすい場所となっている

ただしこの日は安芸長浜に一度行ってから戻る形になったため、到着は三原方面のホーム。つまり山側

ここから階段を降りて敷地外に出る

見上げた先にはICタッチのみがあって

やや狭い公道がある。上りホームへの移動はこの公道を介して行う

須波は漁港として栄えた町。駅の開業は1930年(昭和5)。三原から1区間分が敷設されて、ほんのひとときの終着駅だった。1年後に安芸幸崎まで延伸されている。当時は須波村。1936年に三原市に編入されて現在に至る

ヤード跡を横切って駅へ

呉線をくぐって駅の玄関である上りホームへと向かうが

そこに広がるのはかつての構内であるヤード跡

写真で分かるように、いくらでも横切ることができる。全国に残るヤード跡とその中は入れないように柵が設けられていたり、立ち入り禁止の看板があること多いが、こちらは広大なスペースに柵などは設けられておらず、言い方を変えると「入りたい放題」である

ととても貴重な機会ともいえる

なぜこのように開放されているかというと、山側から来ると呉方面へはここを通るのが最短距離だからだと思われる。正面から回り込むと、やや遠回りになる。現実に私以外にも、ここを通って呉方面への列車に乗ろうとする方々がいた

現在の姿はモニュメント駅

呉線ホームへと向かう。ずっと「ホーム」という表現をしてきたが、それは現状がこうなっているから

階段があって「須波駅」の駅名板が立てられているだけ。かつては駅舎があったが、解体されて簡易駅舎すらない。私はこのような構造を「モニュメント駅」と呼んでいる。ポストだけが残されているのも定番のような気がする

呉線は2018年の平成30年7月豪雨で全面運休となった。徐々に復旧して最後に残ったのが安浦~三原。12月に全線再開となったが、この間に開業以来の木造駅舎は解体となった。構内やヤード跡の広さを見ると、かなり大きな規模の駅だったことが理解できる

盛土の上にあるホームで列車を待つ。駅舎があった時代からホーム移動は公道を介して行われていたようだ。年末の朝9時すぎという時間に、ここで過ごすのはちょっと寒かった

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出直し2年がかりの呉線全駅訪問~路線内では異例づくしのUFO駅

安芸長浜駅の駅名標

※訪問は2022年12月27日

帰省ラッシュ前夜の新幹線で再開

年の瀬の早朝6時すぎの新神戸駅

6時38分のさくらで西へと向かう。今日は呉線の再訪。前回から3カ月近くが経っていて当時はまだまだ暑かったが、当然そんなことはなく、この時間でもまだ真っ暗だ。もう数日で新幹線は帰省ラッシュで大いに混雑するのだろうが、世間的には正月前の追い込みモードで新幹線もビジネス客中心のようだ

福山で在来線に乗り換え、青春18きっぷに3回目のスタンプをもらう。購入したのが和泉砂川で、これまでの2回が五反田と木更津。12月に入っての阪和線各駅訪問の際に買って、ここまでの2回は内房線全駅訪問の際に使用。前回の利用時は鉄道の日の秋の乗り放題パスで自動改札機を通ることができるのが最大のストロングポイントだったが、今日の行程については、あまり世話になることがなさそうなので、ほとんど関係がない(笑)

広から東では唯一の戦後生まれ

8時52分、安芸長浜駅に到着。見て分かる通り、単式ホーム

安芸長浜駅は1994年(平成6)の開業。国道そしてホームという構造。他路線でもそうだが、こういう形式は後から強引に設置した駅であることが多い。呉線内で棒状ホームの駅は他に新広、呉ポートピアの計3駅しかなく、いずれも平成になって生まれた。呉線では広島のベッドタウンとして戦後にいくつかの駅が誕生しているが、広~三原では戦後生まれの駅は当駅のみ。この区間はいずれも戦前からの駅ばかりで、駅間もそれなりに離れているが、新駅だけに両隣へは忠海までが2・8キロ、大乗までが1・8キロといずれも近い。そもそもホームからすっきり海が見渡せる駅がほとんどないのだ

駅は火力発電所の中?

駅の場所はというと周囲をグルリと火力発電所に囲まれている

駅舎は盛土の小高い場所にあるが、背後に電源開発竹原火力発電所が見える

というか、駅はその敷地内にある。つまり火力発電所の最寄りとして設置された。駅を出たところの跨線橋を渡れば火力発電所の入口がある。おそらく徒歩で3分は絶対にかからないだろう。ただし車で当駅に行くには山側からグルリと回り込む必要があるので、かなり時間がかかりそうだ

なんといっても駅舎のフォルムが独特だ。何をイメージしたものだろうか。私にはUFOにしか見えなかった。いずれにせよ、戦前というか昭和時代から、このような駅はなかなか想像できない。いろいろな意味で路線内では異質の駅ということになる

無人駅でICカードリーダーと券売機がある。これは呉線ではおなじみの光景。当駅では朝からちょっとした思い出がある。立派な駅舎でトイレももちろん設置されていて冷え込む朝には大変ありがたのだが、その前で私は立ち尽くしてしまった。左右どちらが男性用、女性用なのか分からなかったのだ。これは困ったとトイレを見つめていると、ホームに居合わせたご婦人が「男性はこちらです」と教えてくれて窮地を脱することができた。正確に再現すると「男性は右です」または「男性は左です」と左右を言ってくれたのだが、どうも右か左かが思い出せない。あくまでも1年以上前の情報だが、当駅を訪れる方は、ぜひ留意しておいていただきたい

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「十日天下」も新幹線の全駅利用を駆け込みで目指す~後編・駆け込み訪問にこそ意味がある

※訪問は2024年3月5日

美しい雪景色の車窓

一夜明けて十日町駅から飯山線で飯山駅を目指す

朝から雪が降り続いている。ただ十日町の中心部は歩道が屋根付きで、駅は徒歩だと5分以上離れたところにあるものの駅へも屋根はつながっている

交差点部分はさすがに屋根はないが、ちょっとした小走りを交えることで、ほぼ雪からは逃れる形で駅へと到着できた

列車が停車しない部分はすっかりホームも雪。上に見えるのが北越急行のホーム。十日町は接続駅で、北陸新幹線の金沢延伸前まで北陸から東京へのメインルートでもあった北越急行からの越後湯沢乗り換えで使用されていた特急「はくたか」の一部も停車していた

8時半に十日町発。飯山線のダイヤは決して本数の多いものではなく、2~3時間に1本の運行。以前の訪問時は、暑さの残る9月で、いくつかの駅で降りたりもしたが、今日は飯山駅が目的だし、列車本数や天候も考えると、線内は乗り鉄である。だが平素は同じ乗り物に1時間も乗ると飽きてしまう私が見とれてしまうほど車窓は素晴らしかった

雪の中のレール

雪化粧の信濃川。飯山線は信濃川・千曲川に沿って走る。戸狩野沢温泉までの1時間20分、ずっと見とれていた

この日の車両もおいこっとだったが、戸狩野沢温泉で乗り換えとなる。乗り換えといっても対面ホームの2分乗継ぎで、実際は車両の交換。すでに長野県に入っている。3駅目が飯山。このまま乗車していれば1時間で長野まで連れて行ってくれるが、さすがにそうはいかない

予想以上の人出

飯山駅に到着。戸狩野沢温泉から2両編成となったが、多くの人が下車した。こちらは一段落した後の写真。はっきり分かる通り、雪が舞っている。十日町より激しい

在来線の改札口を出てすぐ、きっぷ売り場を挟んで新幹線の改札口で長い列ができている。ほぼスキー客の様子で海外からのお客さんの姿も目につく。当駅は無人駅ではないが、2021年11月いっぱいでみどりの窓口を終了。2台の指定席券売機がその代わりを果たしている。旅慣れた人なら券売機の方が楽かもしれないが、ふだん使い慣れていない人は時間がかかるだろう。横で立つ駅員さんが案内しながらの発券。国際色豊かで駅員さんも大変そうだった

私はというと自由席特急券だけ買えばいいので、駅員さんに尋ねると、誰も並んでいない券売機を案内され

あっさり購入。その気になれば、特急券さえ買えば軽井沢まで乗車券は有効だが、新幹線自由席の1区間特例分のみを購入。飯山駅に特化しているので、これで十分

30分ほど時間ができたので駅舎の写真をと外に出てみたが

激しい雪に、撮り逃げするようにして駅舎に戻る

飯山駅は1921年(大正10)に飯山鉄道という地元設立の私鉄によって開業した。戦時買収で1944年(昭和19)に国有化。現在に至る。路線名にもなっている飯山駅は、もちろん主要駅で2015年の北陸新幹線金沢延伸の際に新幹線駅が併設された。その際、在来線のホームも300メートルほど移動。その跡地は留置線として現在も使用され、車窓からも見える。グーグル地図にも側線跡が描かれている。どこまで近づけるか分からないが、事前の計画では行ってみることにしていたが、天候により中止である

ただし飯山鉄道の開業に尽力した五島慶太をたたえる石碑は旧駅から新駅に引っ越しているので、そちらは撮った

三日天下だからこそ意義がある

10時39分のはくたかで1駅乗車である

通過線のない2面構造のホーム。ちょっと遅れたが、これで新幹線駅の全駅訪問を達成。といっても11日後に北陸新幹線の敦賀延伸があるので、10日間だけの至福感。新幹線の駅が廃業になるなんてことは基本的にないので、延伸後にあらためて新駅とともに訪れればいいだろう、という考え方はあるし、その方が合理的でもある(ただし新幹線駅をひとつずつ訪問するのは、お金がかかり、なおかつ飯山駅と新駅では会社が違うので、すべての駅を訪問できるフリーきっぷの発売は難しいと思われる)

ただ、まずは北海道から九州までの全駅訪問を新線開業までに終えたとという事実が私にとっては大切で、直前の滑り込みによる三日天下と分かっている達成にこそ意義があるのだと思っています

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