中央西線の駅をすべて訪問してみよう~素朴な駅舎が開業時のまま残る

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野尻駅の駅名標

※訪問は2024年8月7日

大いに元をとる

藪原からは野尻へと移動する。両駅の距離は約40キロで所要時間は約50分。大阪から出た電車が京都の手前あたりまで行ってしまうのと同じ長さなので結構な移動である。前記事でも書いた通り、ダイヤが薄く(本数が少ない)、炎天下の中、外で待っているぐらいなら、エアコンの効いた車内で過ごした方がいいとの考えに基づく。もっともこれは正しい「駅訪問」とは言えず、時間が空けば現地で過ごして、駅だけでなく周辺の細かいところまでを「ウォッチする」のが、正統派駅訪問だと思うが、14時過ぎという時間は、いかんせん暑すぎて、わずか数分でも歩く気がしない時間帯となっている

この区間の運賃だけで680円。そもそもスタート地点の名古屋から最初の目的地までの洗馬までの運賃が3080円もして、今日のうちに名古屋経由で帰宅するので、青春18きっぷの1日分の元は大いにとっている。その時は、こんなことを考えながら列車に揺られていたが、既報通りの18きっぷルール変更で、元をとるという基本的な考えは同じでも、今後は3日単位や5日単位で考えていかなければならなくなる

やや話がそれかけたが野尻駅に到着。上屋を支える木柱の擦れ具合がいい感じだ

野尻宿に基づく

野尻駅は大桑村の3駅のひとつ

大桑駅の項でも記した通り、須原、大桑、野尻の3駅が村内にあり、須原と野尻についてはともに中山道の宿場町に基づく。大桑村は町村制が施行された1889年(明治22)以来の村で、もちろん当時は鉄道は走っていないが、3駅とも大桑村に設置されて今も大桑村のまま。野尻駅は1909年(明治42)の開業。南木曽(当時は三留野)から鉄路が1区間北上した。現在、途中駅となっている十二兼駅は信号場にもなっていない。それが9月1日のことで、12月1日には須原まで延伸(十二兼同様に大桑駅もまだないので、こちらも1区間の延伸だった)されたので、3カ月だけの終着駅だった。もちろん路線名は中央西線である

駅舎は開業時からのもの

財産票には「M41年10月」と記されている。開業の1年前ということになるが、すでに建物はできていたのだろう

もちろん窓はアルミ補強されているが、駅舎そのものは塗装もほぼ当時のままだと思われる

駅からすぐの場所に旧野尻宿が広がる。野尻は全国各地にある地名で、当地においては「野路里」「野次里」という表記も古い文献に見られるという。大桑村HPによると、木曽11宿の中でも長さは奈良井宿に次ぎ、外敵を防ぐため道路は曲がりくねっていて「七曲がり」と言われているという

駅前の周辺案内図にも「七曲がりの街並」と書かれている

村で唯一、窓口が残る

駅名板はJR東海という文字で分かる通り、新しいもの

駅構造は2面3線。その向こうは今も貯木場となっていて木材が積まれている

貨物ヤードの跡もくっきり残っていた。構内は広い

そして駅舎内。訪問時は営業時間外だったが、簡易委託駅としてきっぷ売り場がある。大桑駅、須原駅の窓口が9月いっぱいで業務終了となったことはこれまで記した通りだが、野尻駅の窓口は残っている。大桑村HPでも「10月1日以降の乗車券、定期券等の購入については、 野尻駅の窓口をご利用ください」と書かれている。また当駅の管理は中津川駅だが、大桑、須原の両駅は木曽福島駅の管理である

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