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新幹線単独駅巡り再び~旅情を誘う星座の駅

新花巻駅の駅名標

※新幹線単独駅ではありませんが初訪問なので記事に加えます

2023年3月2日17時20分

請願駅として開業

いわて沼宮内からIGR岩手銀河鉄道で盛岡に向かった後、再び新幹線に乗車して再南下

新花巻に到着しました。周囲は夕闇に包まれつつあります。駅名から想像できるように花巻とは別の場所に設けられています。東北新幹線が計画された時、一ノ関と盛岡は最初から駅が設置されることが決まっていたのですが、ともに主要駅である北上には駅が設けられたものの、花巻には設置されませんでした。北上と花巻がわずか13キロしかないことが原因でした。北上~盛岡は48キロ、花巻~盛岡は35キロで距離感も考慮されたようですが、この決定は地元で猛烈な反発を招き、国鉄は将来的な駅の設置を匂わせる形で東北新幹線の開業にこぎつけ、1982年の開業直後から新駅に向けたプロジェクトがスタート。わずか3年後の1985年に地元の出資による請願駅として水沢江刺とともに開業しました。水沢江刺駅の項でも触れましたが、両駅は新幹線請願駅の第1号です

設置場所は釜石線と交差する場所となり、駅名も新花巻ですんなり決定しました

花巻とはJRで2駅、車でも10分ほどの距離です

釜石線への導線がすごい

改札に行くと目につくのが釜石線への乗り換え案内。大きいとはいえない改札を出ようとすると「これでもか」というほど釜石線への導線が。こうして写真を見るだけで4点もあります。これは迷いようもないでしょう

新幹線から見た釜石線の線路。ローカル線感が漂いますね。このあたりは雪はそうでもありませんでした。地形のことや気候のことは分かりませんが、盛岡以北と以南で随分と違うのですね

外の通路の先は

では在来線へ向かいましょう

導線に導かれると釜石線への連絡は駅の外。これは面食らいました。新花巻は新幹線と釜石線が交差する場所にあるので、完全に合体した駅となっているものと思い込んでいた

通路の先の地下道をくぐると釜石線のホームに出ます。こちらは無人駅。新幹線の駅を設置する際、近くにあった矢沢駅を廃止して新たにこの場所に新花巻駅を誕生させました

単式ホームなので乗り間違いのないように釜石方面と花巻方面を分かりやすくしています。このあたりは北陸新幹線と小海線の交差する佐久平駅と同じです

釜石線は2時間に1本程度の運行。新幹線は1時間に1本の運行なので連絡は決していいとは言えません。花巻へはバスも出ています。バスの時刻の調べ方や乗り方は意外とハードルが高いものですが、新幹線駅には観光案内所も設置されているので、問題なく花巻に行けるはず

のれんに見送られ

在来線の駅名標は手の届かないところにあります。釜石のアピールも

釜石線の各駅には花巻出身の宮沢賢治がよく用いた国際人工言語のエスペラント語による愛称が付けられていますが当駅は「ステラーロ(星座)」

新花巻の駅舎は宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」に基づくものとなっていて

駅には宮沢賢治についての解説もあります

再び新幹線に乗車する時は温泉ののれんによる見送りがあります。いかにも新幹線駅という、あまり愛想のない無骨な駅も見どころですが、細かいところで旅情を感じさせるこうした駅もいいですね

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悲運の岩徳線を行くその6~駅舎に意気消沈も思わぬ幸運

西岩国駅の駅舎内

2022年10月3日12時30分

悲運の象徴

西岩国に到着しました

岩徳線はまず1929年に岩国~当駅の1区間だけが開業。この時点で将来は山陽本線となることが決まっていたため、それまでの岩国駅を麻里布駅に変更し、新設された当駅を岩国駅としました

その後、徳山側(正確には櫛ヶ浜側)からも徐々に工事が進み、岩徳西線と命名されましたが、麻里布~岩国の岩徳東線は全通時までの5年間も1区間だけの運行が続けられていました。東側が最後に残ったのは欽明路トンネルの工事に他ならないのですが、1区間だけをこれだけ長期運行するのは、それだけ重要だったことになります

ちなみに麻里布は現在も岩国駅の所在地で住所はまさに「岩国市麻里布町1丁目1番地」。ただ当時、岩国市はなく麻里布町という独立した自治体で、すでにあった岩国町の中心部付近に設置されたのが岩国駅なので、麻里布駅への改名と新駅が岩国駅を名乗ったのも自然なことでした(岩国市岩国という住所は錦帯橋付近です)

再改称となったのは麻里布町や岩国町などが合併して1940年に岩国市が発足してから。麻里布町の麻里布駅も岩国市に存在する駅となり戦時中の1942年に再び岩国に名を戻し、岩国駅は西岩国に。その後、山陽本線から岩徳線になり、現在に至る。岩徳線の悲運の象徴のような駅でもありました

ただ幸運だったのは、岩国駅としてスタートしたため立派な駅舎となったこと。終戦前日の1945年8月14日の大空襲で岩国駅は消失しましたが、西岩国駅は残りました。価値ある建物ということで現在は岩国市がJR西日本から譲り受け所有しています

予想できない事態

そんな西岩国駅は…と解説していきたいのですが

改札から外を見ると何やら足場のようなものが見え、雰囲気がおかしい

外に回り込むと

泣くしかない

改修工事中でした。一気にやる気をなくしてしまい、その後は以前紹介した

錦帯橋観光に変更。写真や中身はややダブりますが、お昼過ぎながら岩徳線の駅巡りはもうヤメ。自分の考えていたコースだと、駅間徒歩が生じる上、回り終えるには日没ギリギリです。この日は錦帯橋のふもとで子供たちが水遊びをするほど暑かったのでヘタレヤメの側面も大きい。何よりも欽明路の駅でやって来た列車を乗らずに見送ることになるなど、自らの道程に大いに問題ありです

貴重な場面に出会えた

ということで改めて出直すことにして岩国から山陽本線を広島へとたどっていくこととする

まずは岩徳線の玖珂駅の項でも触れた和木駅

開業して15年の新駅にして山口県最東端の駅。現在、玖珂郡には和木町しかありませんが、かつては今日立ち寄った玖珂駅と同じ郡だったと思うと広さを感じます

そして広島県に入って最初の駅である大竹駅。こちらは広島県最西端にして最南端

見ただけで説明は不要の昭和40年代の国鉄コンクリート駅舎。全く知らなかったのですが

新駅舎の建設中でした。橋上駅舎となって両側から駅に入れるようにするとのことで、駅舎のおかげで逆側から駅に入りにくくなっているのを解消するためには、やむを得ないこと

結論から言うと2月から新駅舎の使用が開始され、新駅ではみどりの窓口はなく、みどりの券売機となっているので、貴重な写真となりました。飛び出している「きっぷうりば」がいいですね

西岩国は改修中でしたが大竹は駅そのものが変わるということで、ある意味、改修工事に感謝です。ただ岩徳線のリベンジはしなければならないと思いつつ、帰路につきました

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~JR西日本区間そして、また来ます

9月9日12時

4時間の空白も不安なし

笹津駅前にあった付近の案内図。さすがに50年近く前に廃線となった富山地鉄の線路は描かれていませんが、往時を感じさせるものです

そして当駅の時刻表をといえば

11時21分の富山行きに乗ってきたので、次の富山行きは4時間後、猪谷行きも3時間半後と、おそろしく長い空白区間があることになります

ただ私に全く焦りはありませんでした。JRの時刻は分かっていて、それからのことをろくに調べもしていません。これが飛騨の山中だったら、いろいろな交通機関を必死で調べていてから下車したはずですが、ここはまず大丈夫

なぜかというと、富山地鉄の廃線跡だから。もう富山の市街地ともいえる場所なので、廃線後を担うバスがあるはずです

これは楡原の駅前で見たバス停。猪谷~富山を結ぶバスがあって、これだけの本数がある。きっと笹津も通るのでしょう

そして結果から言うと、私の考えは半分正しく、半分間違っていました

笹津駅前のバス停。1時間に1本の富山行きがあります。12時5分の富山駅行きバスまで45分の待ちです(※訪問当時のバス時刻表です)

駅舎は立派でお手洗いもあります。駅に着いた途端に雨が降ってきたのですが問題ありません。こちらの駅舎でしたら、原稿を書いている今の冬の季節でも大丈夫だと思います

バスに乗って富山駅へ向かいます

ただ後で分かったことですが、猪谷から出ているバスとは異なる路線のようで、猪谷からのバスは駅前を通らず国道41号を走って行くので、こちらのバス停から徒歩5分ほどの次の停留所まで行けば、さらにもうひとつの路線もあって1時間に3本ほどの便利な区間だったのです

JR西日本区間内でも温度差

全長225キロにもなる高山本線でJR西日本区間は36キロしかありません。全体の6分の1ほど。しかし、その中でも随分と温度差があります

こちらは婦中鵜坂の時刻表。明らかに笹津とは違う。特に7時台は高頻度です

これは運行形態を富山~越中八尾の17キロと越中八尾~猪谷の19キロで分けているから。前者の区間運転が設定されていて特に通勤通学時間帯は本数も多い。越中八尾以南の東八尾、笹津、楡原の3駅は停車列車がかなり少なくなります

岐阜から国道41号とほぼ並行して進む高山本線ですが、一部離れている場所もあり、笹津と富山の間は鉄道が旧八尾町を経由して迂回する形になるのに対し、国道は真っ直ぐ富山の中心部を目指します。富山地鉄笹津線は国道沿いを進んでいたわけで、廃線で地域の足がなくなることに対し、猛烈な反対運動が起きたこともうなづけます

ちなみに笹津~富山に限って言うと運行も多いバスは約50分、770円なのに対し、鉄道は約40分、510円とコストと時間では鉄道に軍配が上がります。ただしバスは富山の繁華街である総曲輪(そうがわ)を通ります。総曲輪は全国各都市で多く見られるように、JR富山駅からは若干離れています

富山駅に到着。13時前です

越中八尾は10年以上前に行ったのが最後で千里や西富山は降りたこともありません

適当旅らしく駅構内にある回転寿司で、今さらながら午後の作戦を練る。西富山の駅は路面電車で富山大学まで行けば十分に徒歩圏内だ、などと調べていると電話が鳴って家で緊急事態の報告。すぐ帰宅しなければならなくなりました

ついているというか、ついていないというか、これが山中の無人駅だったら、すぐ帰ろうにも帰れないところでしたが富山駅にいるので、すぐに帰れる

予定外でしたが早い時間に北陸新幹線のホーム

まだ明るいうちに大阪駅到着となりました

高山本線は地形上、たびたびの豪雨被害に遭ってきました。その度に懸命な復旧工事が繰り替えされています。過去には電化の計画もあったようですが岐阜市近郊も未だ単線非電化のまま

私が降りたことのない魅力ある駅舎も、まだあります。次回は計画を練って訪問したいと思います

これで夏の青春18きっぷの旅は終了です

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西岩国駅から錦帯橋への行き方

駅舎の姿に呆然

10月3日、岩徳線の西岩国駅を訪問しました。そのときに戸惑ったことがあったので、もし行かれる方がいらっしゃれば、良い情報になるかもしれません

この日は朝から岩徳線の駅回りを行いながら、ここまでやって来ました。お昼の12時半

岩徳線及び錦川清流線(岩国からお隣の川西まで岩徳線に乗り入れ)は何度も乗っているのですが、西岩国は降りたことがなかった。写真では数え切れないほど見ています。レトロにして風格ある駅舎。元の岩国駅ですね

木製ラッチ(改札)からして雰囲気抜群。ただ奥を見て何か工事臭がして気になっていたのですが駅舎を抜けて振り返ると

何だこりゃ~。呆然というか言葉がないというか、立ちすくみましたね

実は時間は早いので、もう1度岩国方面への列車に乗り駅回りをしようと考えていたのですがメインイベントがこれでは

すっかりやる気がなくなりました

岩徳線回りについては改めてご報告しますが、朝に徳山を出たものの私の判断が悪い部分もあって、本数の少ないこの路線攻略が失敗気味だったこともあります

ということで

錦帯橋に初めて行ってみよう

と思いつきました。岩国には10回以上来ていると思いますが、1度も錦帯橋は見ていない。これはちょうど良い機会ではないか、と急な考え

西岩国の駅から比較的近いということは知っていました。ではグーグル先生に聞いてみましょう

 

歩けないことはないですが

これはムリ!

この日は朝からそれなりに歩いている上、10月とは思えない暑さ(今思えば10月最後の暑さでした)でやる気の失せた私に20分以上の徒歩はムリです。調べてみると、お隣の川西駅からだと15分ほどだとか(それでも歩く気力があったかどうか分かりませんが)。ただご存知の通り、岩徳線というのはダイヤが極めて薄いのです。錦川清流線は雨の被害によって代行バスとなっていますが、こちらも本数が多いとはいえない

だったらバスはどうでしょう。必ずあるはずです。運が悪かったのは駅舎内のふれあい交流館が、この日はお休みだったらしく、聞く人がいなくて自力で調べるしかありません。分かったのは西岩国駅の前を通って錦帯橋に向かうバスの本数がおそろしく少ないこと。主なバスは国道2号を行くため、駅前には来ないのです

東錦見(「ひがしにしみ」と読みます。難読ですね)というバス停が近くにあって、そこからの本数は多いらしい。ですが、ちょっとトラップもある上、私はここからちょっとウロウロしてしまったので、その失敗談も交えて説明します

 

まず駅前(丸数字1)を出て国道2号方面に向かうと、丸数字2のところに東錦見のバス停があります。ただ少しややこしいですが、これは違う東錦見です。時刻表を見ると、本数はないに等しいほどでビックリすると思います。ただ間違う方も多いのか、バス停に「錦帯橋方面は国道2号線のバス停へ」と書いてくれています。ということで私はここで失敗。2号線沿いにあるのだろうと、錦見の信号を真っ直ぐ行ってしまったのです。地図を拡大していただくと分かりますが丸数字4のバス停が岩国駅方面の停留所で、それが見えたため、その向かいにあるのだろうと思い込んでしまったのです

正解は丸数字3です。信号を渡ってUターンするような形で2号線を行ってください。信号の所にトヨタがあるので、それに沿っていくと

奥にバス停が見えてきます。バス停から逆(進んできた)方向を見ると

こんな感じ

本数は結構あります。ズバリ錦帯橋行きもありますし、錦帯橋経由で新幹線の新岩国行きもあります。どうもこの停留所から出るバスはすべて錦帯橋を経由するようです。1時間に3本ほどあります

乗ると10分ほどで

素晴らしい錦帯橋に出会えますよ

ちなみに私はテレビや写真などでしか見たことがなく、橋と川だけを見て、かなりの山中にあるのだと思い込んでいました。全然違います。どちらかといえば町中でした(汗)

さて帰りというか岩国駅まではどうやって帰るのかということになりますが、これは全く心配ありません

来る時に降りたバス停の向かいに大きく岩国行きバス乗り場の表示があります

岩国駅に至るルートは複数あるのか、私はずいぶんと小さいバスだな、と乗り込むと坂道だらけの住宅街を回るコース。でも最後は岩国駅に着くので問題はありませんでした

ある意味、工事中の西岩国駅を見るのも数少ない機会(負け惜しみ)かもしれません。西岩国駅訪問からの錦帯橋は、バスで行くなら、お間違えのないようにしてくださいね

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「鉄道」の日本一はこちら(とさでん)

松浦鉄道の「日本一短い駅間」を紹介しているうちに、鉄道の「日本一短い駅間」を訪れた時のことを思い出してきました

ちょっとややこしいですが、松浦鉄道の場合は普通鉄道における日本一短い駅間です。ただ路面電車も法律の区分では立派な鉄道。それを考慮すると日本一短いのはとさでん交通の「清和学園前~一条橋」間。で、とさでんによると、なんと駅間63メートル。路面電車の停留所は普通鉄道に比べるとバス停感覚で1駅間の距離が短いのですが、それにしても63メートルは短すぎます

訪れたのは2019年7月15日のこと

前日まで高知県内や愛媛県を回っていた私は高知の町中に宿泊。朝からは

高校野球の高知大会を春野で観戦。とさでんは電車本数もあるし、市内からも簡単に行けるので午後に回しても十分。四国在住時代にお世話になった方と旧交を温めることもでき、はりまや橋に戻ってお昼をいただいた後に出発です

トコトコ揺られ25分ほどで清和学園前に到着

感想は「ゲッ!近い!」の一言

乗ってきた車両が見えるのですが、完全な直線区間でもう停まろうとしているだけに距離感がよけいに分かる

おもしろいのは、その短い区間で川を渡っていること

一条橋停留所の開設はなんと明治時代。かなり古い歴史を持ちます。それに対して清和学園前は昭和の終わりごろ。70年以上歴史が違います。停留所名の学校がこちらに引っ越ししてきたため新たに停留所が設けられることになりました。一条橋を学校最寄りにしても良さそうなものですが、川の存在のためからか、一条橋の停留所から学校へ向かおうとすると交通量の多い国道を歩くことになり(写真の右側へ向かう道路が学校方面)、危ないからと新たな停留所を設けることになったのだと推察されます

となると一条橋の方が要らなくなりそうなもので実際、そういう流れもあったようですが地元の方々から「歴史ある停留所なので残してほしい」との要望があったため存続となったようです

一条橋の停留所から見てみました

ホームが千鳥状に配置された駅がありますが、まるでそんな感じです

今回の記事を書くにあたつて驚いたことには、グーグルマップを利用しようと「清和学園前」と検索したところ自動的に「清和学園前 一条橋」と出てきたことです

土讃線の土佐大津から歩いて行くこともできます。一度訪問する価値はありますよ

注意点としては、両者の停留所は均一料金外の地域なので、フリー乗車券で乗る際は「均一区間乗り放題」ではなく「全線乗り放題」が必要なこと。また市内中心部から乗車の際は多くの電車が途中の文珠通止まりとなっているので「ごめん町」行きに乗ってくださいね

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