JR東日本

師走の外房線各駅訪問~印象が強すぎる棒状駅は有名人海岸への最寄り

三門駅に到着

※訪問は2023年12月13日

スマホトラブルで道程変更

浪花駅の次に訪れたのは

茂原。本日の宿泊地だが、時間はまだ10時半。実は全く予定になかった行動で、要因はスマホのモバイルバッテリーのトラブル。旅では2台のバッテリーを持ち歩くようにしていて、よほどのことがない限り、それで事足りるのだが、今日は早朝からの車内でいろいろ調べものをしていたためバッテリーの消費が早く、基本的に予備機となっているもう1台のバッテリーが久々の登板となるので念のために接続してみようとなったのだが、ウンともスンともしない。これはマズい。こういう時に役立つのがレンタルのバッテリーで、かつて紹介したこともある。大手コンビニには大概設置があるし、なかなか容量が大きく、これで1日400円ほどで凌げるのなら言うことはないのだが、ひとつ問題があって地方に行くと貸し出し場所が激減するのだ。コンビニはあっても設置がないというケースが多い

昨年も北海道と長野でピンチに陥って大苦戦した。冷静に考えると、それもそのはずで充電場所が少ない地方ほど必要性が高い、と考えるのは都会からの旅人の発想で、完全に車社会となっている地方では車内で充電できるのでレンタルバッテリーの需要は低いのである。浪花駅への道中でピンチに気づき検索してみたが、設置のあるコンビニはあっても台数が不安だったり、駅からコンビニへの距離が遠かったりで不安が大きい。確実な場所を探したところ上総一ノ宮も飛び越え茂原まで来てしまったという次第。とにかく無事にレンタルできて再び南下。もちろん

上総一ノ宮も強制的に再訪である。このタイムロスは大きかった。茂原駅のロッテリアで道程を組み直した

正確な駅名は?

そして到着したのが

三門駅。ご覧の通りカーブ状に設けられた単式ホームの駅。ただ年季の入った駅名標を眺めアレ?と思ってしまった

駅名は「みかと」だったのか。これは意外な難読駅だと一瞬思ったがローマ字表記は「みかど」である。サムネに使用した縦駅名標も「みかど」になっている。あまりにも濁点が鮮やかに消えすぎて誤読となってしまった。というか駅名標をよく見ると「両隣駅の漢字表記は?」クイズとなっている

だが、その一方で

キロポストはきれいに張り直されていた。大きなお世話かもしれないが、キロポストをチェックするのは鉄オタぐらい。そもそも数字の意味を知っている人の方が少ないのでは? 駅名標の復旧を希望したい

簡易駅舎も周辺の知名度は高い

駅舎は内房線でもよく見かけた簡易スタイル。かなり以前に無人化され、国鉄時代には貨車利用の駅舎となっていたようだが、火災に遭って現在の姿となった

ただし駅の歴史は古く1903年(明治36)の開業。1899年に大原まで敷設していた房総鉄道が長者町~大原に設置した。当初は貨物駅だったが、間もなく旅客駅となった。そのためか長者町までは、わずか1・6キロしかない。ちなみにホームの棒状化が進む内房線とは対照的に外房線の駅で単式ホームなのは当駅と行川アイランドだけである。ホームへは駅舎から、そのまま入る

それでもお手洗いはしっかり設置されている。冬場のローカル線旅では大変重要である

貨物駅としてスタートした面影は駅にはほとんどないが、このあたりで国道128号は駅へと接近している。平日正午の時間帯でも、かなりの交通量だった

棒状ホームにボロボロの駅名標と、ローカル感が強すぎる駅ではあるが、当駅周辺は知名度が高い。駅名は明治初期までの三門村に基づくが(駅舎と逆側は今も岬町三門)、海の方へ向けて歩くと日在(ひあり)海岸へとたどり着く

日在海岸は森鴎外らの文化人が別荘を建てた場所で、映画日活の保養所である「三門日活荘」があった。また房総鉄道生みの親である大野丈助の豪邸もあった。なお現在の日在海岸はウミガメ保護の観点で海水浴などのレジャーは禁止されている

駅へと戻る。特急「わかしお」があっという間にホームを過ぎ去っていった

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師走の外房線各駅訪問~関西人濃度が濃いほど読めない「難読駅」

浪花駅の駅名標

※訪問は2023年12月13日

ローカル線色が急に濃くなる

上総一ノ宮から南下を開始。時間は9時20分。通勤通学帯が終わりつつある時間帯で、しかも千葉とは逆方向。この時間の流動については分からなかったが、前記事にも記した通り、ここから2両編成とあって、あっという間に座席は埋まる。内房線の記事でも触れたが、現在の上総一ノ宮以南の運行の主な形態は房総半島をグルリと回る上総一ノ宮~木更津の内房線と外房線をまたぐ普通列車で、途中駅の停車時間によるばらつきはあるが、すべて乗り通すと3時間~3時間半。「青春18きっぷ修行」とも言える長時間乗り放し区間となっている

私にはとても無理な行程だが、今日と明日の2日間は、この2両編成にお世話になり続ける。6駅目となる浪花で下車。6駅といっても、このあたりまでは駅間が短い区間が多く、約20分で到着する

わずか20分ではあるが、車窓の風景はすっかりローカル線のそれとなっている

跨線橋からの景色。1面2線のホーム周辺は田園風景だ

読みは「なみはな」

さて駅名の読みだが、サムネや最初の写真でも分かる通り

「なみはな」である。「なにわ」ではない。「浪速」「浪華」「浪花」と大阪を表す言葉が多いため、大阪や関西の人間はそう読んでしまいがちだ。また、こちらは関西のものではないが「浪花節」もあるので誤読が多い。かくなる私も最初に駅名を見た時は間違って読んでしまった

駅は1913年(大正2)の開業。前身の房総鉄道が明治期に大原まで線路を伸ばしていたが、やがて国会買収となり、国鉄としての最初の延伸部分となった大原~勝浦が開業した際に設置された。駅名は1955年(昭和30)まで存在した浪花村(現在はいすみ市と御宿町に分かれた形となっている)に基づく。明治時代に複数の村が合併して自治体が誕生した際、海と陸地での豊漁豊作を願って「浪」と「花」を合わせて新たな村名を作ったということで、その経緯から「なみ」「はな」としか読みようがない。もっとも当時は現在よりもはるかに浪曲による浪花節はメジャーな存在だったはずで、当時から誤読は多かったと予想されるが、残念ながら調べきれなかった

広大な敷地が往時をしのばせる

駅舎は簡易的なコンクリート製となっている。見た目では左半分が事務所のようにもなっているが、お手洗い。この駅舎になったのは国鉄時代だが、すでに無人化されていたようだ

目を引くのは広大な駅前部分。かつては開業時からの立派な木造駅舎があったようだが、1980年(昭和55)に現在のものとなったので、もう半世紀が経過しようとしている

駅舎から、かつての浪花村の中心部が広がる。5分ほど歩くと、地域の主要道路である国道128号に到達し、コンビニや飲食店がある

かなり規模の大きな側線があったようだ。最初の跨線橋からの眺めからすると、それなりの規模の貨物ヤードだったと思われる。ホームには立派な待合室が残る。看板で分かるように今もJRの土地だが、頻繁な巡回監視中かどうかは分からない

こちらが時刻表。見て分かる通り、昼間は1時間に1本の運行で、ほぼすべてがワンマン運転。その中で光るのが、上りで1本のみ設定された6時36分発東京行き快速。この時は、この1本を巡って大騒ぎになるとは思ってもいなかった。ちなみに現在、当駅からの上り電車はすべて上総一ノ宮行きか千葉行きの普通である

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師走の外房線各駅訪問~沿線の発展を物語る戦後生まれのコンクリ駅舎

永田駅の駅名標

※訪問は2023年12月13日

本納から1駅戻る

本納から1駅千葉方面へと戻り永田で下車。本納は茂原市だったが、こちらは大網白里市。漢字4文字の都市として認知度の高い同市の中心駅は大網で、東金線との分岐駅でもあり、千葉方面から来運行運行本数が減少する境目となる駅でもあるが、元々は同市(当時は大網白里町)には大網しか駅はなく、1959年(昭和34)に、もうひとつの駅として永田駅が設けられた

明治期に房総鉄道という会社によって工事が始められ、最終的に千葉から大原までが鉄路で結ばれた後に国鉄となった外房線(当時の名称は房総線)は1929年(昭和4)には全通しているが、全通以降の新駅は少なく5駅しかない(うち1駅の大巌寺は戦前にできてわずか3年で廃止されている)

永田駅の後に開業したのは観光目的の行川アイランドのみなので、周辺人口の増加という必然性で設置された最後の駅となっている。千葉そして東京までの時間と距離、ベッドタウン化を考えると、やや意外でもある

昭和30年代を物語るようなコンクリート駅舎。このころ全国には規模は違えど国鉄の手によって同様の無骨な駅舎がいくつも造られた。建設費用や強度、耐火性を考えると最も効率が良かったのだろう。と同時にそれまでの主力だった木造駅舎は姿を消していく

周辺は住宅街

ホームから、やや低い場所に駅舎がある。構造は2面2線

駅入口から千葉方面ホームへはすぐ入れる。本納駅とは異なり、開閉式の自動改札機はなくIC乗車の場合はカードリーダーにタッチする

無人駅ではないが訪問時は無人の時間帯だった。営業時間を見ると朝夕の通勤通学を避けるようになっている。最も利用者の多い時間帯になぜ?と思われるかもしれないが、JR東日本のHPによると2022年度の当駅の1日あたりの乗車人員は786人で、うち定期利用が612人。利用者数は基本的には、この2倍となる。前記事で取り上げた本納は、もっと利用の多い駅で、1日の乗車は定期利用1093人を含む1402人。本納も、有人となるのは永田とほぼ同様の時間帯だったが、通勤通学帯は、ほとんどの旅客が定期利用者でピッと触れるだけで出入りするので駅員さんの出番はほぼないのである。IC利用時のトラブルについては、おそらく定期利用のもう片方の駅は、終日駅員がいるような、大きな駅である可能性が高いので、そちらで処理してもらおう、という発想だろう

ホームのキロポスト。こちらは駅舎の逆側だが、新興住宅街となっている様子が垣間見える

地図を見ても新しく設けられた駅を中心に住宅街が広がっていることが分かる

先に挙げた利用者数はコロナ禍の影響を受けた数字で、それまでは1日の利用者は1000人を超えていた

跨線橋からの眺め。駅の設置時はまだ非電化単線時代で、利用者も100人に満たなかったという

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師走の外房線各駅訪問~レンガ土台の柱が印象的な木造駅舎は19世紀の開業

本納駅の駅名標

※訪問は2023年12月13日

1年前と同じ電車に乗車

朝6時半の品川駅。こうして見ると、まだ人は少なく感じるが各ホームを結ぶ通路はいっぱいだった

手元には冬の青春18きっぷ。いつもは地方の駅に出かけたタイミングで購入するが、今回はそれに適した旅はなく、神戸市内の駅で購入。それでもやや渋めの駅で買い求めた

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6時41分発の総武線快速君津行きに乗車(当時の時刻)。何のことない、1年前に内房線の各駅訪問で乗車した電車と同じ。今回は外房線を目指す。ただグリーン利用を控えたことがやや異なる。なぜかというと蘇我での乗り換えがあるから。蘇我までは約1時間。昨年は終点の君津まで乗り通し、1時間50分の乗車だったためグリーン車に乗ったが、1時間しか利用しないのなら普通車である

蘇我駅でそば&明太子ご飯のセットの朝食。ここから上総一ノ宮方面への列車に乗り換える。ちなみに内房線、外房線そして京葉線と交通の要衝となっている蘇我駅だが、帳簿上の所属は外房線である

いくつもの顔を持つ沿線

外房線は千葉を発して安房鴨川までの約93キロを結ぶ路線。内房線が房総半島を東京湾沿いに走るのに対し、太平洋側を走る。千葉から太平洋までの距離があるため、沿線はさまざまな顔を持つ。内房線が千葉から見て君津までと、それ以遠に二分されるのに対し、外房線は東金線との分岐になる大網までと東京からの直通電車の終点となる上総一ノ宮と、それ以遠で本数が異なり、大網~上総一ノ宮でも途中の茂原止まりがあるため本数がどんどん減っていき、茂原を越えると30分に1本、上総一ノ宮からは1時間に1本が昼間の標準ダイヤとなっている。要は千葉から離れていくと徐々に本数が減っていく運行だ

ということで最初に下車したのは本納駅

外房線は千葉から東に進み、大網から南下して太平洋沿いを進むが、大網から二つ目の駅。現在は茂原市だが、以前は本納町だった。平成の大合併ではなく1972年(昭和47)に茂原市となった

本納駅の開業は1897年(明治30)で19世紀からの歴史を有する。当時は房総鉄道の駅だった

木造駅舎とホーローの案内板

木造駅舎を有する。千葉から大網までは近代的な橋上駅舎が並ぶ外房線だが、大網を過ぎると駅舎の雰囲気が急に変わる。開業時からの駅舎かどうかは判然としないが、かなりの歴史がある駅舎であることは一目瞭然

到着は8時半ごろで既に高校生の通学時間帯は終わっていたが、所要時間約30分の千葉方面への通勤の方で千葉行きは、まだにぎわっていた。上総一ノ宮までは東京からの快速がやって来るが、大網~上総一ノ宮は総武本線経由の快速は通過するが、京葉線経由の快速は停車という駅が複数あって、本納もそのひとつ

開閉式の自動改札機があるが、訪問時は無人。JR東日本のHPによると窓口の営業時間は9時20分~正午と13時~16時となっている。また同HPによると1日の乗車人員は定期利用1093人を含む1402人なので、1日の利用者数は単純計算で約2800人ということになる

ダイヤは東京、千葉方面への通勤通学に特化されていて朝の7時台は6本もの東京、千葉方面列車が運行されているのに対し、上総一ノ宮へは始発から、ずっと1時間に2本態勢。主に昼間に運行される京葉線経由の快速があるため、むしろ昼間の方が停車列車が増える

入口の柱や建物の土台がレンガであることが特徴的。なかなか見ない構造で、これを見るだけでも一見の価値がある

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「十日天下」も新幹線の全駅利用を駆け込みで目指す~後編・駆け込み訪問にこそ意味がある

※訪問は2024年3月5日

美しい雪景色の車窓

一夜明けて十日町駅から飯山線で飯山駅を目指す

朝から雪が降り続いている。ただ十日町の中心部は歩道が屋根付きで、駅は徒歩だと5分以上離れたところにあるものの駅へも屋根はつながっている

交差点部分はさすがに屋根はないが、ちょっとした小走りを交えることで、ほぼ雪からは逃れる形で駅へと到着できた

列車が停車しない部分はすっかりホームも雪。上に見えるのが北越急行のホーム。十日町は接続駅で、北陸新幹線の金沢延伸前まで北陸から東京へのメインルートでもあった北越急行からの越後湯沢乗り換えで使用されていた特急「はくたか」の一部も停車していた

8時半に十日町発。飯山線のダイヤは決して本数の多いものではなく、2~3時間に1本の運行。以前の訪問時は、暑さの残る9月で、いくつかの駅で降りたりもしたが、今日は飯山駅が目的だし、列車本数や天候も考えると、線内は乗り鉄である。だが平素は同じ乗り物に1時間も乗ると飽きてしまう私が見とれてしまうほど車窓は素晴らしかった

雪の中のレール

雪化粧の信濃川。飯山線は信濃川・千曲川に沿って走る。戸狩野沢温泉までの1時間20分、ずっと見とれていた

この日の車両もおいこっとだったが、戸狩野沢温泉で乗り換えとなる。乗り換えといっても対面ホームの2分乗継ぎで、実際は車両の交換。すでに長野県に入っている。3駅目が飯山。このまま乗車していれば1時間で長野まで連れて行ってくれるが、さすがにそうはいかない

予想以上の人出

飯山駅に到着。戸狩野沢温泉から2両編成となったが、多くの人が下車した。こちらは一段落した後の写真。はっきり分かる通り、雪が舞っている。十日町より激しい

在来線の改札口を出てすぐ、きっぷ売り場を挟んで新幹線の改札口で長い列ができている。ほぼスキー客の様子で海外からのお客さんの姿も目につく。当駅は無人駅ではないが、2021年11月いっぱいでみどりの窓口を終了。2台の指定席券売機がその代わりを果たしている。旅慣れた人なら券売機の方が楽かもしれないが、ふだん使い慣れていない人は時間がかかるだろう。横で立つ駅員さんが案内しながらの発券。国際色豊かで駅員さんも大変そうだった

私はというと自由席特急券だけ買えばいいので、駅員さんに尋ねると、誰も並んでいない券売機を案内され

あっさり購入。その気になれば、特急券さえ買えば軽井沢まで乗車券は有効だが、新幹線自由席の1区間特例分のみを購入。飯山駅に特化しているので、これで十分

30分ほど時間ができたので駅舎の写真をと外に出てみたが

激しい雪に、撮り逃げするようにして駅舎に戻る

飯山駅は1921年(大正10)に飯山鉄道という地元設立の私鉄によって開業した。戦時買収で1944年(昭和19)に国有化。現在に至る。路線名にもなっている飯山駅は、もちろん主要駅で2015年の北陸新幹線金沢延伸の際に新幹線駅が併設された。その際、在来線のホームも300メートルほど移動。その跡地は留置線として現在も使用され、車窓からも見える。グーグル地図にも側線跡が描かれている。どこまで近づけるか分からないが、事前の計画では行ってみることにしていたが、天候により中止である

ただし飯山鉄道の開業に尽力した五島慶太をたたえる石碑は旧駅から新駅に引っ越しているので、そちらは撮った

三日天下だからこそ意義がある

10時39分のはくたかで1駅乗車である

通過線のない2面構造のホーム。ちょっと遅れたが、これで新幹線駅の全駅訪問を達成。といっても11日後に北陸新幹線の敦賀延伸があるので、10日間だけの至福感。新幹線の駅が廃業になるなんてことは基本的にないので、延伸後にあらためて新駅とともに訪れればいいだろう、という考え方はあるし、その方が合理的でもある(ただし新幹線駅をひとつずつ訪問するのは、お金がかかり、なおかつ飯山駅と新駅では会社が違うので、すべての駅を訪問できるフリーきっぷの発売は難しいと思われる)

ただ、まずは北海道から九州までの全駅訪問を新線開業までに終えたとという事実が私にとっては大切で、直前の滑り込みによる三日天下と分かっている達成にこそ意義があるのだと思っています

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「十日天下」も新幹線の全駅利用を駆け込みで目指す~前編・痛恨の通過列車乗車

※訪問は2024年3月5日

旅のスタートは新潟空港

この記事を書いている傍らのテレビのニュースでは北陸新幹線敦賀延伸で持ちきりとなっている。私のX(旧ツイッター)のフォロワーさんも訪れているようだ。という事実を百も承知で2週間ほど前のことについて触れてみたい

8時20分、新潟空港にいた。今日は新潟駅から信越本線、上越本線、飯山線と乗り継いで十日町へと至る。大阪から新潟へはJALタイムセールで。最大目的地は明日の飯山駅で、大阪からだと名古屋経由で長野まで行くのが、おそらくノーマルルートだろうが、それだと往復同じコースになってしまう上、新潟空港はこれまで利用したことがなかったので、新潟から十日町経由で向かうことにした

バスで30分揺られ新潟駅に到着。すっかり変わったな、という感慨に浸る間もなく

春の青春18きっぷを購入。信越本線を南下。道中、いろいろな駅を回りつつ、十日町を目指すが、新潟近辺の駅では少しの雪が道ばたに残っている程度で雪のことなど、この時点では考えてもいなかった。しかし長岡あたりまで来ると、風景は一変。車窓は雪一色となってきた

3月16日より前の訪問が絶対

話は昨年秋にさかのぼる。10月に九州新幹線の全駅訪問を目指していた。この旅で全国の新幹線駅訪問を達成することになっていたが、時刻表の路線図を眺めていた時、あることに気付いた

飯山駅が未訪問だ

それよりさらに1年前の2022年10月、JR東日本パスで東京から北陸新幹線→上越新幹線→北陸新幹線とグルリ回って新幹線各駅を回収。これで本州と北海道の新幹線全駅を利用したことになったと、すっかり満足していたのだが、私が上越妙高から乗車したのは飯山通過のはくたかだった

はくたかは基本的に昼間は金沢から長野までが各駅停車で、長野以降が速達運転となる。だが、その中の一部に「飯山のみ通過」という、全駅訪問の死角を狙った(?)列車があり、私はまんまと、それに乗車していたのだ

これはマズいと思ったが、飯山駅のみの訪問というのは、金銭的にも時間的にもなかなか辛いものがある。そのうち北陸新幹線の敦賀延伸の時が迫ってきた。その時期は3月の青春18きっぷの季節以外ないだろうと今回の旅となったのである

上越線に入り、小千谷駅では2台の除雪車が待機中。飯山線の乗り換えとなる越後川口でも雪一色

乗り換え時間2分という優秀すぎる接続で、単行のため駅名標の位置が車両から、かなり離れたところにあるため、写真を撮るだけでも必死だった。ちなみにこの足跡はすべて私のものである(笑)。地元の皆さんは雪に対応した靴だったが、当然私は違う

幸運だったのは、週末中心の観光列車「おいこっと」の定期運用車両に乗れたこと。JR東日本は観光列車を定期運用に使用することはほとんどないが、飯山線では使用されているようだ

ちなみに「OYKOT」とは東京(TOKYO)を逆さ読みしたもので、大都会とは対照的なふるさとを意識して名付けられた

フリーきっぷ購入が問題

さて今回の移動で課題となったのが、きっぷの購入である。新潟エリアには「えちごワンデーパス」「えちごツーデーパス」、信州エリアには「信州ワンデーパス」という、なかなか優秀なフリーきっぷがある。ただし「えちごー」についてはワンデーとツーデーでエリアが異なり、ワンデーは小千谷までしか行けず1570円。ツーデーはエリア拡大で2740円で十日町まで行けるので自分の行動エリアを考えるとツーデーを購入して1日だけ利用しても十分に元がとれるが、こちらは基本的に週末のみの販売。ということで18きっぷの登板となった。ただし飯山駅利用には信州ワンデーパスが必須である

というのも新潟エリアのパスにしてもそうだが、特急料金さえ払えば乗車券は有効なのだ。青春18きっぷだと飯山から新幹線に乗車した場合、乗車券も含めて当該区間は一から買わなければならないが、フリーパスだと特急券だけ買えば大丈夫。また明日は松本に宿泊することになっているので、長野から特急移動することになっても同じく特急券追加だけで済む。2680円で通年発売。こちらの方がお得となる

ただ、このフリーパスは購入が問題で、発売はエリア内のみどりの窓口または指定席券売機となっている。名古屋または東京から行く場合はそれほど苦労はしないだろうが、新潟から入る時はエリア内最初の駅は越後川口そして十日町となるが、両駅はみどりの窓口はあるものの、指定席券売機はない。みどりの窓口の営業時間はJR東日本のHPに記されているが、休憩時間などについて私的には現地に着いてみないと分からないと思っている。新幹線に乗るだけなら飯山まで行けば何とでもなるが、きっぷの購入については何ともならない時は何ともならない

という理由もあって本日の宿は十日町とした

十日町到着は15時前。そして

無事みどりの窓口は開いていた。結論としては私が乗車する翌日の朝から営業していたが、とにかくひと安心

これで明日に何の憂いもなくなった。十日町で宿をとったのは、へぎそばを食べる目的もあった。過去に2度ほど新潟駅近くのへぎそばのお店に行ったが、いずれも長蛇の列で断念。かねてより本場の十日町で食べたいと思っていただけに

大変満足。二人前でも食べられたかもしれない

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~「上り列車」しかない途中駅が終着

安房鴨川駅の駅名標

※2022年12月17日

ゴールはちょっとあっけなく

太海からひとつ進んで安房鴨川に到着。内房線の終着駅で前日から始めた内房線の木更津以南の全駅訪問のゴールである。階段でも「お出迎え」があった

ただ個人的には「ようやく着いた」という達成感はあっても、駅構内の風景に感慨は生まれにくい。というのも乗車してきた電車は外房線の上総一ノ宮行き。現在、内房線を走る列車は木更津~上総一ノ宮の直通運転がほとんどで安房鴨川で多少の待ち時間はあるものの、内房線と外房線を乗り越す際、なにごともなかったように去ることになるからだ。「終着駅」ではあるが途中駅。東海道本線と山陽本線の境界駅となっているが、始終着がほとんどない神戸駅のようなものである。2021年3月、コロナ禍のまっただ中、新型車両の投入と同時に直通運転、ワンマン運転がメインとなった

ただ房総半島をグルリと回る内房線と外房線の特殊な事情から、安房鴨川は「当駅を出発する列車はすべて上り列車」というユニークな特徴を持つ。これは房総半島の東側と西側でそれぞれ少しずつ延伸されてきた「房総線」が安房鴨川でつながった後、あらためて「房総東線」「房総西線」(戦後に現在の名称に変更)という2つの路線に分けられたからだ。前者が千葉が起点で終着は安房鴨川、後者は蘇我が起点で終着は安房鴨川と、安房鴨川が2つの終着駅となったため、安房鴨川から出る列車はすべて上り列車となっている

安房鴨川駅の開業は1925年(大正14)。線路が太海から1区間延伸されてたどり着いた。現在の外房線がやって来たのは、その4年後である。もちろん拠点駅。周辺は鴨川市の中心部で、経済だけでなく観光の拠点駅となっている

全国ニュースで取り上げられることも鴨川シーワールドまでは無料の送迎バスで10分。天候に恵まれれば、歩いても行ける距離にある。またかつては駅裏の印象が強かった西口にはイオンができている

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変化の30年

そのイオンがある西口が長距離バスの発着場になったことで発展した場所でもある。安房鴨川から千葉、東京までは外房線の特急「わかしお」を利用するのがメインルートだったが、90年代に入ってわかしおが京葉線経由となり、千葉に立ち寄らなくなったあたりから潮目が変わり始める。アクアラインもできて車との競合も増える。鴨川から県都の千葉へは長距離バスのカピーナ号、東京へは八重洲口、渋谷への便もあり、私も、訪問の数ヶ月前の夏にお世話になったことがある

久留里線の末端にあたる、閑散区間の3駅を通って千葉もしくは東京に行くことができる。このバスがなかったら、その3駅訪問を試みようとはしなかったかもしれない。内房線や外房線だけでなく、久留里線にとってもライバルとなっている

安房鴨川はもちろん管理駅だが、昨年の1月をもってみどりの窓口の営業は終了した。その後、館山、浜金谷と、みどりの窓口が閉鎖されたため、内房線の君津~安房鴨川でみどりの窓口がすべてを消した。というか、所属が外房線となっている蘇我駅を除くと現状、120キロにも及ぶ内房線の全29駅でみどりの窓口があるのは木更津ただ1駅である

AKB48の「会いたかった」という曲があり、このMVは今も容易に見ることができ、那古船形駅がロケ地となっている。チラリとしか出てこないが、駅舎は現在の塗装ではない1918年(大正7)開業時のそのままの姿。メンバーが追いかける列車もいわゆる「スカ車」である。AKB48というと、ついこの間のことのように思えるが、リリースは2006年10月で17年前。たった17年というか、わずか17年というか、走る電車を見るだけで隔世の感がある

帰路につく。わかしおを利用。安房鴨川~東京と完乗するのは、これが初めて。もちろん自由席だが、こちらも今春に全車指定席という変革がある。また内房線、外房線から京葉線経由でダイレクトに東京を目指す朝の快速廃止問題は、もはや全国ニュースである

ここからは青春18きっぷの出番はない(新大阪に到着してから再登板するが)ので乗車券は大阪市内まで。この乗車券は年間にどのぐらい売れるのだろうか

東京着。18時ちょうど発の新幹線に乗車したが、この時間にホームに降りても駅弁を買ったりしていると、すぐ新幹線の発車時間となった

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~豪華な簡易的駅舎のお披露目直後

太海駅の縦駅名標

※訪問は2022年12月17日

安房鴨川まであと1駅

太海に到着。郵便局と一体となった江見までたどり着いた後、少し戻ってまた進んでを繰り返しながら、太海へ。駅名標で分かる通り、隣駅は内房線の終点である安房鴨川。こうした各駅訪問にふさわしい表現かどうか分からないが「リーチがかかった」状態である

その太海駅は独特な駅舎となっている

なかなか立派ではあるが、簡易型の駅舎である

手前の青いものは波を表していると思われる。JR東日本のプレスリリースによると

「駅から海を眺められる環境を活かし、自然を感じ取ることができる駅としています。電車をお待ちいただきながら、駅前広場側からは海を、待合室側からは山を眺めることができます」とある

また「構造体に木材を採用することで、潮風による塩害に強い駅としています」「壁材にも木材を使用し、炭素固定の量を増やし、環境負荷を削減しています」「周辺の風を取り込み、風が抜けやすい駅形状とすることで、待合室等の温熱環境を改善しています」とも

要は最近流行りの簡易駅舎とは、ひと味違う細かい気配りが随所にちりばめられているということだろう

駅舎内のベンチに驚き

そして、もうひとつ「新駅舎のベンチは、(公社)土木学会・東京大学・會澤高圧コンクリート(株)と連携し、最新の技術を用い、コンクリート3D プリンタで製作しています」とあるが、そのベンチがこちら

最初に見た時「わー!駅舎内にソファーがある」と思ってしまった。もちろんプレスリリースにある通り、コンクリート製である。同じくプレスリリースにある通り、木がふんだんに使われている。これは簡易的な駅舎では珍しい。とくに最近のバス停のような簡易駅舎とは大きく異なる構造だ

そして全くの偶然だったが、駅舎の使用開始は12月14日。私の訪問は、まだお披露目から4日目のことだったのだ。写真で分かる通り、到着直後から雨が激しくなり、外にはいられなくなって駅舎内で過ごすことになったのだが、どこで聞いて、どんな関心を持ったか分からないが、わざわざ駅舎を見にきたグループが私の滞在中に2組もあった。ともに車でお越しになっていて、どう見ても同業者(鉄道ファン)ではなかったので、車でわざわざ立ち寄ったのだろう

雨のため一堂が駅舎内に居座ることになり、人を避けて写真を撮るのが大変だった。できれば、駅を見にきたついでに列車にも乗ってみよう、となれば鉄オタの私にとってはうれしいのだが、さすがにそれはかなわなかった

観光資源に恵まれた場所

太海駅は1924年(大正13)の開業。江見からの1区間、4・6キロが開通して一時的に終着駅となった。ただ安房鴨川までのたった3・4キロの開通は、さらに1年後だった。以前の記事でも触れたが、シャクトリムシ的なジワジワした前進である

太海駅は1955年まで存在した太海村に基づく(江見町を経て現在は鴨川市)。いくつかの村が合併した際に「太平洋」と「海産物」が複合された村名が付けられたという。ただ、村ではあるが、観光資源にも恵まれていて、海水浴場はもちろん、漁港や変化に満ちた海岸線、千葉県で最も大きな島である仁右衛門島があり、宿泊施設も多い。新駅見学に来た方々も、観光や宿泊のついでだったと思われる。それだけに開業時からの駅舎を解体しての簡易型駅舎への移行は意外といえば意外だが、観光地に敬意を表した精一杯の簡易型移行だったのかもしれない

もっとも駅舎は新しくなったが、ホームはそのまま。枕木の柵などは鉄道風景の古典に属するものだ。さて、お次の安房鴨川でゴールである

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~全国各地にある「おめでたい駅」

千歳駅のきっぷ回収箱

※訪問は2022年12月17日

千葉の「千歳」

千歳駅で下車

千歳というのは「鶴は千年亀は万年」に基づいたもので、とてもおめでたい言い伝えにちなんだ地名が全国に数多くある。駅名も「千歳烏山」(京王線)、「千歳船橋」(小田急線)とあるが、単なる「千歳駅」は当駅と、北海道の空の玄関口である新千歳空港を持つ都市の千歳駅の2つしかない。2つしかない、というより「2つもある」と言った方が正しいのか。国鉄そしてJRの駅は同名駅を避けるため、国名を入れるなどして区別するようにしているが、北海道の駅については平然とダブらせていることが多い。歴史だけを見ると、開業は北海道の千歳駅が1926年(大正15)、千葉県の千歳駅が1927年(昭和2)と、わずかに北海道の駅が先だが、ともに駅名の変更はなく今日に至る(その一方で「落合」については何も付かないのは北海道の駅だけで、その駅が来春になくなり、JRには「単なる落合駅」がなくなってしまう)

北海道はアイヌ語に源を発する地名が多いが、千歳については、それまでの地名の「シコツ」(アイヌ語で「大きな窪地」の意味)の響きが悪いと、鶴が多く住んでいたことから、江戸時代末期に現地名となったという

千葉県の千歳駅は1954年まで存在した千歳村に基づく。千歳村が千倉町と合併する形で新たな千倉町が誕生したが、翌年に旧千歳村の一部が千倉町から「脱退」する形で周辺自治体と合併。「丸山町」が誕生した。結果的には半世紀後の2006年に丸山町は千倉町などと合併して南房総市ができ、同じ自治体となったが、そのような経緯もあって「千歳」の名は駅名と海岸ぐらいしかとどまっていない

歴代が簡易的駅舎

駅舎は簡易的なもの。内房線で見てきた竹岡駅、九重駅と同じ形だ。1921年(大正10)に南三原まで延伸された際に駅は設置されず、6年後に仮乗降場として開業。3年後の1930年(昭和5)に正式駅となった。単式の棒状ホームだが、過去に1度も構内ですれ違いができるようになったことがない、ある意味貴重な駅で、現在の姿になった2007年より前は貨車利用の駅舎という、首都圏では貴重な存在でもあった

待合所のような駅舎から小さな階段を昇ると、すぐホームである

千歳発富浦行きに注目

駅前にはポツンと商店がひとつ。時間はすでに13時半。朝食を7時前に摂って以来、何も食べていなかったので

ポテトチップスと暖かいボトル缶が本日の昼食である

簡易的な駅舎だが、お隣に立派なトイレはある。12月の冷たい雨が降ってきた。正直、この環境では相当冷えるが、安心して暖かい飲み物を摂取することができる

ちなみに内房線には既に紹介した南房総市役所の最寄りである富浦駅があり、当然ながら千歳発富浦行きの列車がある。そして北海道の千歳駅は千歳線にあるのだが、室蘭本線にも富浦駅があり、こちらにも1日1本だけ千歳発富浦行きの列車がある。「富浦駅」もまた全国で2つしかない。北海道の千歳駅には若干知名度で劣り、利用者数でも相当差がついているが(富浦駅は千葉県の圧勝である)、なかなか存在感を見せている駅だと思う

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~千葉県最南端の駅は南房総観光の拠点

千倉駅の縦駅名標

※訪問は2022年12月17日

多目的ホールも備えた合築駅舎

千倉に到着。内房線の駅は「大正期の開業以来の駅」「簡易化された駅」そして「立派に建て替わった駅」の3つに分類されるが、ここは3つ目に該当。中でも最も大きな規模の駅舎を持つ駅となっている

立派な改札口で訪問時は駅員さんが出迎えてくれた

立派なコンクリート製の駅舎は2007年からのもの。開業は1921年(大正10)。安房北条(現在の館山)~南三原が延伸された際に設置された。当駅は旧千倉町の中心駅だが、2006年3月に周辺自治体と合併して南房総市が誕生。新駅舎が完成したのは2007年8月なので、新しい都市の誕生とほぼ同時期ということになる

駅舎内には観光協会が入居するほか、多目的ホールもある大きなもの。フォルムは千倉の風や波をイメージしていて町のシンボルにはふさわしい造りとなっている

最南端の駅と最南端の観光

そんな千倉駅は千葉県最南端の駅。そして館山駅と並ぶ房総半島南部の観光拠点のひとつでもある

船舶にとって東京湾の入口を示す野島埼灯台へは車で20分。灯台があるのは千倉町などとともに南房総市に参加した旧白浜町にあり、もちろんバス路線もある

駅の名所案内にも、しっかり野島埼灯台は記されているが、張り紙はバス会社が替わったからだと思われる。めくれている部分がかすかに「R」と読めるのは「JR」のようだ。白浜町は鉄路のない町ではあったが、かつては国鉄バスが主要路線となっていて、町の中心のバスターミナルは今も「安房白浜駅」と「駅」が付けられている。白浜だけでは和歌山の白浜とダブってしまうので、わざわざ「安房」を付ける念の入れよう。国鉄バスからのJRバスが主要路線となっている駅は今も大きく「乗り換え」案内があることが多く

以前紹介した嬉野温泉へのJRバスが出ている大村線の彼杵駅や

大島へ渡るJRバスが出ていた山陽本線の大畠駅(山口県)には、今も「のりかえ」と鉄道路線でもあるのかと勘違いしてしまう案内が残っているし

同じく山陽本線の光駅(山口県)には、目立つように光市の中心部である室積と記されているのは、当地への路線バスがJRの運行だからだ

白浜町のJRバスは現在、主に長距離を担い、かつての国鉄バス路線は日東交通に引き継がれている。千倉駅からのJRバスも東京行きである

わざわざ鉄路が立ち寄った規模の大きい構内

千倉駅の構内は広い。ホーム構造は2面3線。夜の最終と早朝には当駅始終着の列車も設定されている。跨線橋からの俯瞰や

ホームからの景色で駅の位置がカーブ途中にあることが分かる

こちらは駅前の観光案内図だが、こうして見ると内房線がわざわざ千倉に寄り道するかのように敷設されていることが分かる。重要な町だった。千葉県の最南端にして関東最南端の駅。内房線と同じく、わざわざ下車する価値のある駅である

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