下麻生駅

高山本線全駅訪問のシメ行脚~抜けるような秋空と蒸気機関車の展示館

上麻生駅の駅名標

※2023年10月20日

格好いい町の中心駅

上麻生に到着。これで残るは各務ヶ原より南の3駅のみ。30分に1本と運行の多い区間なので時刻表とにらめっこする必要はない。高山本線の私的な各駅訪問では事実上、こちらが終着駅のようなものである

一昨年夏に青春18きっぷで高山本線をトコトコ走った際、上麻生と下麻生の2駅は同じ自治体に存在する駅だと思い込んでいたが、実際は異なっていた。上麻生は加茂郡七宗町、下麻生は加茂郡川辺町と、そもそも「麻生」という自治体が現在はない。元々は上麻生村、下麻生町(村)という自治体が存在したが、戦後10年が経過した「昭和の大合併」で自治体としてはなくなっている。自治体が異なるのだから、コミュニティバスもつながっていない。歩けないものかと考えもしたが

国道沿いの一本道ながら山中を1時間以上歩くのは、できるだけ回避したいと今回の道程となった。もっとも前記事で記した下麻生での長時間停車を発見できなければ、それぞれの駅で1時間以上待つのなら徒歩という手段も脳裏にはあった。グーグル先生は徒歩ルートを検索すると「ほぽ平坦なルート」「高低差27メートル」と実に親切に教えてくれる

上麻生駅のある七宗町は1955年(昭和30)に上麻生村と神渕(かぶち)村が合併。七宗村として誕生。1971年に七宗町となった。読みは「ひちそう」。町の9割を山林が占め、山々を「七宗山」と呼んでいたことから、格好いい町名となった

簡易的な駅舎がポツリ

駅の開業は1924年(大正13)。下麻生から1区間延伸された際に設置。もちろん当時は上麻生村である。その後、2年間にわたって終着駅だったが、それもそのはずでお隣の白川口までは途中に信号場も挟む10キロという長い区間。いかに山中にあるかを物語る。実際、七宗町の町役場最寄りの当駅は七宗町全体で見ると東の端っこ部分にある

そんな上麻生駅の駅舎は簡易的なものである。下麻生駅と同じ時期となる2003年に開業時の木造駅舎が現在の姿となった。駅前の木は現駅舎になった時に植えられたもののようだが、今は駅舎が隠れるようになるほど成長している

裏側から見ると駅はこのような構造

駅名板は美しいステンレスのプレートとなっている

蒸気機関車を丁寧に展示

駅を降りてすぐ目につくのは

SLの展示館。高山本線に乗車していると車窓からとても目立つ。入口には腕木式の信号がある。管理は七宗町が行っているようで、柵に開館は平日の9時から16時で、見学を希望される方は町役場まで連絡してください、と記されていた。私の到着は8時46分で、9時11分の美濃太田行きに乗車する予定でさすがに断念

展示館の前には機関車の解説があった。読むとなかなかの歴史を有していて製造は戦時色の強まった1937年。戦時中の1942年に美濃太田の機関区に来たことは確認できているが、戦災で帳簿が焼失してそれ以前の歴史は不明となっている。終戦間際の1945年5月に小松島機関区に行った後は、平磯、高崎、小郡と「転勤」を繰り返していて、まさに昭和史の証人である。これだけ丁寧に保存されれば、いつまでもきれいなままでいられそうだ

駅に戻る。2面2線構造で跨線橋からの山々が美しい

カーブ状のホームからは抜けるような秋の青空が広がっていた

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高山本線全駅訪問のシメ行脚~残った2駅の回収方法はアプリさまさま

下麻生駅の駅名標

※訪問は2023年10月20日

残った2駅の難易度が意外と高

各務ヶ原から美濃太田に戻り、当駅始発の下呂行きに乗車。だが、実は大いに焦らされた。順を追って説明していこう

まず美濃太田以北の本数が多い区間で最後に残ったのが上麻生と下麻生の麻生2駅。下呂までの区間は年間通じて発売される週末の1日が乗降自由となる「青空フリーパス」(当ブログでは出場頻度が高い)の区域内で、今回の乗り放題パスや青春18きっぷの季節外でも利用できる。だったら楽勝だろうと昨年4月のGW中にその区間内の回収に出かけたのだが、この麻生2駅を残してしまったことが致命傷になった。隣り合う両駅を効率良く回収するのは意外と難しい。どうやっても両駅で1~2時間の待ち時間ができてしまう上、両駅を結ぶバスもない。歩くのもやや通そうだ

必死で時刻表とにらめっこしても良い案が浮かばない。すると前々日の富山で携帯アプリを見た結果、妙案を発見できた。私は古い人間なんで、基本的には冊子の時刻表派だ。以前にも書いたが、60歳を超えても裸眼で普通に時刻表の文字を読めるのが密かな自慢で、ある意味、うまく読めなくなった時が「潮時」かな、とも思っている

ただ紙の時刻表ではよく見ないと分からない情報がネットの時刻表にはある。駅での停車時間だ。紙の時刻表でも駅間距離の割には所要時間が長すぎることで停車時間の長さを推測することができるが、ネットでは列車別の時刻が表記されていて○分着、○分発が容易に分かる

その結果、8時8分美濃太田発の下呂行きに乗れば、下麻生で15分もの長時間停車があることが分かった。ちょっとしたすれ違いのための停車で駅訪問とするのは私的には基本的に行わないが、15分もあるのなら許してもらおう

ということで前日は16時には駅訪問を止めて早々に夜の街に繰り出すことができた

まさかの同一ホーム前後出発

そして冒頭の美濃太田駅である。駅の電光案内で確認したところ、下呂行きは1番線からの発車。基本的には岐阜行きが使用するホームで、乗車予定の下呂行きの5分前に8時3分の岐阜行きを見送った後、5分後の乗車列車を待っていた。すると駅員さんが近づいてきて「どちらへ?」と尋ねられたので「下呂方面へ」と言うと

「あちらです」

と指差した先にいたのが冒頭の写真の列車。もう発車までわずかな時間しかない。ダッシュ気味で写真を1枚だけ撮って何とか乗り込めた

こう書いていくと「同じホームなのに気付かないはずがないだろう」と思われるかもしれないが、両方の列車は橋上駅舎の階段の前後に停まっていて私の位置からは完全な死角となっていて見えないのだ。おそらく駅員さんも、そのあたりは折り込み済みで、私のような、うっかり人間がいないかどうか毎日チェックしていると思われる。とにかくこちらに乗れないと次の列車は約2時間後の9時55分。実に危ないところで、声をかけてくれたことには感謝しかない

で、車内はこんな感じ(汗)

朝8時の美濃太田駅は岐阜を目指したり、当駅で下車する通勤通学の人であふれているが、逆方向は私を含め3人。しぱらくドアの開かない後ろの車両までチェックしなかったが、同様の光景だと思われる。次の列車が2時間後なのも納得である

広い空間に簡易型駅舎

下麻生に到着。ご覧のように2面3線構造だが、乗車列車は基本的に美濃太田方面が利用する3番線に停車。また雑草の生え方を見ると、登板頻度はそれほど多くはないようだ。後で調べると下り列車が停車するのは、この1本のみのようだ

おかげで跨線橋の昇り降りが生じてしまったが、貴重な体験をしたと言っておこう

駅舎は簡易的なコンクリート駅舎。これだけなら分からないが

広い駅前広場にポツンと簡易的な駅舎。過去の写真を見ると、かなり大きな木造駅舎があって2003年に現在の姿となった

開業は1922年(大正11)。美濃太田から当駅まで延伸された際に設置され、しばらく終着駅だった。1956年まで存在した下麻生町に基づく

下麻生には港があって江戸時代は大いに栄えた

地図で見ると駅から国道41号に出て上麻生方面へと向かうと10分ほどで下麻生の交差点に出て(元々の中心部はこのあたりのようである)、右に折れると公民館と橋があるが、橋の南側の川幅が広くなっている。ここがかつての下麻生湊。飛騨川は急流で岩も多いため船の運航には向いていない。ただ下麻生湊のすぐ上流で弧を描き、川の流れが緩くなった場所が広く、この先は穏やかな流れとなる。その地形を利用して1本ずつ丸太を流し、ここ下麻生湊で回収。木をまとめた上で船やいかだで下流に運ぶ重要な中継地だった。年間25万本もの木材が名古屋方面へと運ばれていたという。この光景は昭和初期まで見られたが、高山本線の開通で役割を終えた

こちらは駅舎内の様子

跨線橋からの俯瞰。当駅は朝に1本、当駅始発列車が、夜に1本、当駅止まりの列車が設定されている。いずれも、この3番線を使用するようだ

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