越前岩屋駅

私的に最後の「JR路線」に乗車する~道中のふれあいに感謝

※訪問は2025年5月28日

しばし話し込む

めがね橋の撮影をしていると、農作業中のご婦人から声をかけられた

「夕方だときれいだよ」

そこからしばらくお話の時間となった

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貴重な体験と貴重な話

前記事でも書いたし、過去に何度も記しているが、地方の幹線道路を歩いていると車はビュンビュン走り抜けていくが、人にはほとんど会わないというケースがほとんどだ。会うとしたら朝や夕方のワンちゃんの散歩。ワンちゃんに吠えられて「よしよし」と言ったり「男の子?女の子?何歳ですか?」という会話をすることはあるが、基本的に駅間徒歩の最中に会話ということは、ほぼないのである

それが今回は思わぬ展開。筑前岩屋駅からの道中での道案内に続いて道中2回目である。夕方の橋はきれいだが、2017年の豪雨被害の時は本当に大変だったという。避難所から戻ってくると田んぼは土砂で埋まり、どこから流れてきたか分からない流木が散乱。ほかにも当時のことをいろいろ聞いた。現在に至るまでのことも含め、いくらでも話はできそうだったが、私も時間内に大行司駅まで行かなければならない。この後、大行司駅まで歩くことを告げると「ずっと下り坂だから、すぐだよ」と手を振ってくれた

すぐといっても携帯アプリによると大行司駅までは徒歩40分。すぐという時間ではないが、たくましさが違う。ただ「ずっと下り」というのは予想通りというか、それを裏付けるありがたい情報だった

表現として適切かどうか分からないが、ダラダラと下り坂が続く。緩やかな下りなので歩くのには楽だが、逆コースを行くとギブアップしていただろう。もっともこの記事を書いている現在の気候だと最初から歩いてはいないけれど…

豊かな水をながめながら

すぐ先にめがね橋の解説があった。私が説明することもなくこれですべてが分かるが、竣工が1938年となっているものの、実際に橋梁として列車が走るようになったのは、戦争をはさんだずっと後のことになる

その先には棚田親水公園。夏場には川の水を利用したプールが開設されるようだ。昨日と今日、当地を訪れて感じるのは、やはり豊かな水量である

やがて別のめがね橋の解説と大行司駅まであと1・3キロの案内が出てきた。ゴールは近い。そして歩き始めて感じるのは東峰村の中に設置されているさまざまな解説板と案内板だ。紹介しないものもあったが実に細かく設置されている

さらに10分ほど歩くと左手に見える建物は確か車窓の大行司駅から見えるものだ。ゴールは近い

そして国道211号との合流地点。もうすぐそこがゴールである。交差点の名前は「宝珠山」。大きめの集落に入ってきた。かつての宝珠山駅村の中心部は宝珠山駅付近ではなく、ここ大行司駅付近。右手に行くと東峰村役場があり、左手に行くと大行司駅そして宝珠山駅へと至る

たどり着きました。大行司駅。といっても駅に着いてからも簡単にホームに行けないのが当駅ではあります

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~60分かけての有意義な徒歩をしよう

※訪問は2025年5月28日

PCを見て助かった

筑前岩屋駅から大行司駅までは4・3キロ

徒歩で50分と指南された。大行司から次のBRTが出るのは約70分後。この日は初夏の陽気で最高気温は28度。時間はお昼前で1時間歩くのにはちょっと暑いが、まぁギリギリなんとかなるレベルだ

ただ今回については前夜にホテルでPCをチェックしたおかげで大いに助かったのだ

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1度に情報が得られる

最初に考えたのは筑前岩屋→大行司なのか大行司→筑前岩屋なのか、どちらを先に行くかの選択。どちらも見どころは多そうだ。念のために登り下りをチェックすると「ほぼ平坦」と出てきたので、スルーしようとしたが、その下にある高低差に目が行ってあらためて見直すと、高低差114メートルの表示。これって平坦とは言えないのでは、と大行司→筑前岩屋のルートを検索すると

同じコースなのに10分以上長くかかるではないか。これは明らかに上り坂ということだろう。平坦の概念、基準がどうなっているのかは分からないが、危ないところだった。そして今回は道程チェックをスマホでなくPCでやって良かった。PCの場合は大きい画面で複数の情報が1度に見られるのが利点である

いきなり農道行きを命じられる

筑前岩屋駅から県道52号に出て歩き始める。前記事で紹介した通り、越前岩屋から彦山にかけてはクネクネの悪路だが、越前岩屋から大行司にかけては良い道路だ。ただBRT化の際、東峰村内を鉄道路盤を生かした専用軌道にしなければ、おそらく越前岩屋駅付近は公共交通機関のない場所になっていただろう

ところが駅前の橋を渡って宝珠山川を渡って歩き始めるとすぐに工事中の案内。車は進んでいいが歩行者は不可という平素とは逆の指示で再び川の向こう岸へ向かうことを強制される。歩道不可といっても、これはいつもの地方道路あるあるで、歩く人なんてほとんどいないのに…とブツブツ言いながら歩き始めると

田んぼに張り出した農道を歩くことに。県道ははるか向こうになっていく。案内はなく、とてつもなく不安になったが、ちょうど田植えの季節だったようで、農地には作業中の方がチラホラ。「この道って、県道に行けるのですか?」と尋ねると「どうしたん?」。このような農道を見かけないよそものが歩くことなんて、まずないだろうから不思議がられたが、事情を話すと「道なりに行けば着くよ」と親切に教えてくれた。と同時に助かった

無事に県道へと復活してホッとひと安心

すると間もなく

お~っ、と声が出そうになった。日田彦山線の名所とされるめがね橋。これは車窓からは分からない光景。もちろん歩くと決めたからには、この景色もカウントしてあったが、実際に見ると大変な工事だったことがよく分かる。平素の駅間距離は、ただ目的だけのためにあることが大く、景色の有意義さを求めることがまずないので、歩いた甲斐があった。すっかり満足して写真を撮っていると、今度は話しかけられたのだ

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~鉄路最後のピースは湧き水の駅

※訪問は2025年5月28日

いよいよメインイベント

10時39分、宝珠山から専用軌道に入ったBRTは越前岩屋駅に到着した。昨夜、急きょ予定を変更しての訪問は、結果として日田彦山線BRTのメインイベントとなる。夜明側からやって来て、宝珠山を越えたので、ここは福岡県。宝珠山駅でも触れたが、専用軌道区間は東峰村に属する

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難工事の末に開通

日田彦山線は、戦前のエネルギーの花形である石炭輸送という大役を担っていた。この東峰村にも宝珠山炭鉱があった。ただそのための鉄路は難工事だった

以前も同様の地図を掲載したが、彦山駅から真っ直ぐ結ばれているのは鉄路つまりBRT専用軌道。そして、この大部分は釈迦岳トンネルという4000メートル以上の隧道である。並行する県道のクネクネとした悪路。大回りコースとして国道211号があるが、建設当時はここを最短ルートのトンネルで結ぼうとした

専用軌道部分は戦時中に工事が中断。戦後再開されて間もなくの1946年(昭和21)に、現在の専用軌道となっている宝珠山~大行司の1区間が開通したものの、大行司から越前岩屋を経て彦山までつながったのは、それから10年も経った1956年。途中には工事現場での落盤事故も起きている。それほどの難工事だった。筑前岩屋駅の開業はその1956年。つまり小倉と日田を結ぶ最後のピースだったのだ

BRTの停留所にはJR型の駅名標が埋め込まれ、越前岩屋と大行司の間にある名所めがね橋が描かれている。長大トンネルとめがね橋、この2つの名所はBRT転換でも残された

ガラス張りの駅舎と名物

こちらはBRT停留所側から見た駅舎。駅舎については鉄道時代と同じものを使用している。2017年の豪雨被害でホームには土砂が流入。線路も押しつぶされ鉄道としての機能は失われてしまったが、1997年に新たに建て直された駅舎は無事だった。他の駅でも触れたが、改築後に豪雨に遭った駅舎が多い。

ガラス張りの立派な駅舎は多目的ホールとの合築

東峰村の案内パネルも設置されている

外見も立派だ。よくぞ災害にも残ってくれたと思う

そして当駅のもうひとつの名所というか名物が

駅に隣接する岩屋湧水。見た通りの湧き水だが、もともとは天然のものではない

私が語るまでもなく解説を見ていただこう。釈迦岳トンネルの工事の際に出るようになった湧き水はSL時代に給水用として使用されていたものを自治体が整備したもの

有料にはなっているが、張られている新聞記事によると

30リットル100円というから1リットルあたり3・3円。100円硬貨を入れると給水が始まり、一時停止ボタンを押して容器入れ替えもできるようだ

さて無事に越前岩屋駅訪問を終え、残るは大行司駅。次にやって来る夜明駅は12時ちょうど発で、1時間以上ある。その大行司までの距離は専用軌道で4・2キロ。ということは…その後の行動は一択である

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