新幹線

リベンジ岩徳線その6~岩徳線イチの駅でした

柱野駅の縦駅名標

2022年12月28日10時

ゴールが決まっているゆえに

徳山にやってきた時点で岩徳線13駅(両端の岩国と櫛ヶ浜はのぞく)のうち未訪問駅は2。川西と柱野です。岩国側に偏っていますが、これは最初に「ゴールは西岩国にする」と取めごとをしたからです。10月に改修中の駅舎を見て膝から崩れそうになりましたから。今回の旅は岩徳線のリベンジでもあります

そのために

山陽本線で岩国まで戻ります。岩徳線は11時すぎまでないので山陽本線で10時8分に徳山を出れば11時15分に岩国に着き、同21分発の岩徳線徳山行きに乗ることができる(このダイヤは今年3月の改正で微妙に変わっていて徳山発10時11分→岩国着11時22分→岩徳線岩国発11時26分となっています)

岩国の乗り継ぎは6分しかなく途中、何かのアクシデントで山陽本線が遅延すると行程が完全崩壊するのでヒヤヒヤしましたが、無事に到着

5時間ぶりに岩国の岩徳線ホームに戻ってきました。すっかり明るくなっていますね。というか、もうお昼前で好天に恵まれ暖かい。すぐ出発だったので、その必要はありませんでしたが、風もなく待合室は不要な陽気でした

すごいものが続々

目指すのは岩国から3駅目の柱野。柱野で40分ほど過ごして岩国行きで折り返し川西へ。川西から西岩国までは徒歩30~40分と思われるので今日の気候なら、ちょうど良いでしょう

しかし、そんな先のことを考える余裕なんてないほど柱野では、いろいろと「見せて」いただきました

15分ほどで柱野に到着。1934年の全通時に開設。全通と同時に山陽本線となったので山陽本線の駅として誕生しています

駅は高台の盛り土というか山の斜面に造られています。当駅から徳山側へ1駅の欽明路までは岩徳線の中では最も長い6・7キロもあります。これは欽明路の項でも触れましたが3キロ以上の欽明路トンネルがあるからで欽明路が平成に誕生したことを考えると、もともとの駅間である柱野~玖珂は8・6キロもの距離がありました。トンネルのほかにも2つの橋梁があって岩徳線では最大の難工事だったことがうかがえます。この駅間にはバスもないので全駅訪問には、なかなかハードルの高い駅となっています

島式ホームの柱野はさすが山陽本線の駅として造られただけあって長い長いホームを有しています。そんな長い列車は今は走らないのでブロックされていますが欽明路トンネル手前の駅なので交換設備は残され、当駅ですれ違いを行う列車も設定されています

左横にはどこにもつながらない道路のようなものが見えますが側線があったようにも思える

年季の入った待合所がホーム上にありますが、手前に引き戸があることから以前は左側にも壁もしくは窓があったのでしょう。片側だけになった理由は分かりません

感心するのは、まだ早い

跨線橋ではなく構内踏切で改札に向かいますが

そこにあるのは駅名板。どう見ても本来の使い方ではないですよね。金網の上に掲げてあったものが時刻表を設置する際、完全に隠れてしまうことから、この位置に来た、いや置いたと考えられます

まだまだあります

階段を降りるとこのようになっています。勝間駅と違って屋根は残してもらったようですが、少し前の写真では階段の両脇は以前は立派な木が何本もあって森が階段を包むかっこいい形になっていたものが、今はきれいに刈り取られている。火事対策でしょうか

現在の駅としての施設はこれだけですが、以前はちゃんと駅舎があったようで駅前は大きな広場となっていて、さらには

池と庭園があった跡が。きっと緑も多い立派な駅だったのでしょう。少しずつ痕跡が残っているのがすごいなぁ、これは岩徳線でナンバーワンかも、と写真を撮っていると後ろから声をかけられました

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グリーンきっぷの2日間~明治生まれの駅舎で締める

戸出駅の駅名標

2月22日14時20分

パンダさんじゃなかった

富山駅の軌道線からの乗り継ぎが大変よく、ギリギリで「つるぎ」に乗車することができました。これに乗ると城端線にうまく乗り継げます。「金沢のサンダーバードの発車までの時間をどうしよう」と時刻表を何度もパラパラめくっていた悩みが一気に解決

富山~金沢の2区間だけを編成車両の一部だけ利用して運行するという、つるぎですが需要の多い区間を1時間間隔から30分間隔に補完する、なかなかのアイデアだと感心します

城端線の新高岡駅は新幹線とは改札外連絡の無人駅で単式ホーム。高岡までは1駅で新幹線からの乗り換えでの需要はかなりあるほか、大きなイオンの最寄りも兼ねています。城端線は昼間は1時間に1本の運行ですが、イオンのおかげもあって高岡~新高岡はバスも頻発しています

10分もかからない絶妙な乗り換えでキハ40に乗ります。昨日の今ごろは鳥取県にいたわけですが、24時間後に富山県で再びタラコに乗るというのは感慨深いものがあります

ホームにいた女子高生が「1両かな、2両かな」と会話していました。確かに容量が2倍違うのですから、その差は大きい。やって来たのは2両編成。下校の高校生でにぎわっていました

車内で目をひいたのは津波の際の注意事項。私が気づいていなかっただけなのかもしれませんが、かなり斬新でした。というのも過去に見たものは

こちらが特急「くろしお」の車内のもので

こちらが紀勢本線の普通で見たもの(ともに2021年12月の撮影)。いずれもパンダさんがモデルになっていて、かわいいな、と思っていたのですが、これが和歌山仕様だったことを知りました。確かにジャイアントパンダがはしごで降りたら相当な時間を要しそう

130歳近い年齢にしびれる

今回向かうのは高岡方面ではなく城端方面。10分で到着したのは

戸出です。旧戸出町の代表駅で、こちらの素晴らしさは

こちらの駅舎

まだ北陸本線もない時代に開業した城端線ですが当駅は、ほぼ1897年の開業時の姿のまま

こちらが明治30年の財産票。まもなく126歳の誕生日となります。長い歴史を持つ城端線ですが、当時からの駅舎が残るのは他に福野と城端の2駅だけです(城端駅の開業は戸出、福野より半年ほど遅い)

一部は手が入っていますが、他はほとんど変わらない

「計量器使用事業場」。これは初めて見ました。調べると、はかりなどの計量器を適切に扱う事業所としての認可だそうです。旅客の荷物を扱う駅に与えられていたもののようですが、考えてみると日本中の駅がそうだったことになります

利用者の多い駅で、今は簡易委託駅としてきっぷ販売を行っています

訪問時は、まだストーブがありました

戸出周辺は灯油(植物油)作りが盛んでかつては「灯油田」の表記もあったそうで、お隣の駅は「油田(あぶらでん)」

駅舎のホーム側に掲げられていた城端線の案内図。JR移管後に設置されたもののようですが、新高岡駅ができる前のもののようで、年季は入っています。ホームには多くの高校生がいたのですが頭上にある写真を撮っていると「わー、こんなのあったんだ」と見上げていました

その後、新高岡に戻って金沢へと向かいました。北陸新幹線と北陸本線の特急をフリーで乗れるきっぷは過去にも利用しましたが、それぞれの駅にローカル線が接続しているので発売されるタイミングは貴重です

サンダーバードで帰ります

最後の指定券

出発前に用意したきっぷは無事すべて使うことができました。パノラマグリーンから始まり、かなり「乗っている時間」が長かったですが、未乗車区間の穴埋めも含め、後半は適当旅でローカル線の乗車や駅巡りもでき、密度の濃い旅となりました

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グリーンきっぷの2日間~富山から再度のキハ120

富山駅に停車中の高山本線のキハ120

2月22日11時

思いつき旅のスタート

糸魚川駅に戻ってきました。同駅は海に向いた以前からの日本海口と新幹線開業に際して整備されたアルプス口の2つの出入り口を有し、新幹線用地確保のため撤去された大正時代からのレンガ車庫の一部が玄関に移設されています

アルプス口には「糸魚川ジオステーション ジオパル」があり、かつて大糸線を走ったキハ52が展示されています

解説文はなかなか詳しい。トワイライトエクスプレスの車両も展示されています

さて前日の早朝に家を出て「やくものパノラマカー」「スーパーはくとの全線完乗」「JR西日本の未乗区間の完乗」と予定していたミッションはすべて果たしました。ここからの時間は、いつものケセラセラ思いつき旅とします

前年の積み残し回収へ

こちらの行動は何となく決めてはいたのですが、糸魚川から新幹線で2駅

富山で降ります。約30分の乗車はさすがにグリーンではなく自由席

北陸本線は「あいの風とやま鉄道」に三セク変換されていて駅の管理も同社が行っていますが、JR西日本の高山本線のホームもその中にあり、主に専用の切り欠きホームを使用します。このあたりの構造は糸魚川と同じ

案内表示にある12時19分発の越中八尾行き普通に乗ります

昨年9月、夏の青春18きっぷの5回目利用で富山駅にいたところ、電話がかかってきて急きょ、お昼過ぎに帰宅しなければならなくなったことで行けなかった駅の回収を行う予定

持っているきっぷは猪谷までなら特急「ひだ」にも乗車できる。ひだは越中八尾にも停車します。このようにホイホイ特急に乗車できる機会はなかなかないので、あーでもない、こーでもない、といろいろ考えたのですが、特急に乗車した場合、その後のダイヤがあまりにも薄いので断念

でもいいではないですか。私にはキハ120という強い味方がいる。そもそも普通しか停車しない駅に行こうとしています。高山本線のキハ120は他地域と大きく異なり2両編成。キハ120=単行のイメージとは少し違う仕様となっていますが、2両編成にふさわしいというか乗り込むと満員で座ることもできない状態でビックリしました

ほとんどが高校生で制服を見ると、いろいろな学校の生徒さんがいるようです。平日のお昼過ぎにこの状態は驚きましたが、試験でもあったのでしょうか。しかし朝の通勤通学帯はここに勤め人も加わるのでしょうから、おそらくもっと凄い数。2両での運行も納得。青春18きっぷの季節でない限り、こういう状況のキハ120に乗車したことのない私は何だか頼もしいというか、うれしくもありました

20分ほどの乗車で千里に到着しました

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グリーンきっぷの2日間~大糸線の1区間でJR西日本完乗のゴールに感動

糸井川駅の大糸線キハ120

2月22日10時10分

最北のキハ120に乗る

今朝までJR西日本の未乗区間だった上越妙高から糸魚川までの1区間を戻り糸魚川で下車

北陸本線は新幹線開業によりえちごトキめき鉄道となりました。新幹線の改札口とえちごトキめき鉄道の改札口は別で1度外に出る必要がありますが、ほぼ並んでいます

これから乗車するのは大糸線。こちらはJRが運行していて糸魚川ではホームを間借りしています。大糸線の表示もありますね

ホームに降りると

切り欠きホームの向こうには既にキハ120が待っています。JR西日本のローカル線に投入されているキハ120は中国地方のイメージが強いかもしれませんが、北陸でも越美北線、高山本線そして大糸線でも走っていて大糸線が最北の運用。こちらに乗ります

やはりJR西日本のフリーきっぷ旅をするからには道中で1度はキハ120に乗らないと

大糸線の駅名標ですがえちごトキめき鉄道仕様ですね

最後の4キロが残ってしまった

2021年の9月に大糸北線の全駅訪問を行ったことは前回の記事で触れましたが、このときに「やらかし」があったのです。そもそものやらかしは私ではないのですが、その時もグリーンきっぷで大阪から金沢→糸魚川と進んで大糸線に乗車。大糸北線はJR西日本の最後の未乗路線として私的にわざわざとっておいた路線で宿も平岩駅近くの姫川温泉に確保して万全の態勢だったのですが、なんと路線トラブルでサンダーバードの始発が大阪駅から出発できないアクシデント。遅延によって金沢での新幹線接続ができず予定していた大糸線に乗れませんでした。旅程の方は急きょ組み直して全駅訪問は果たしたのですが、本数の少ない大糸線を糸魚川の駅で1時間以上ぼんやり待つのも何だし気候も良かったので「プラプラ歩くか」と散歩がてら姫川まで歩いたのです

線路は4キロありますが、外に膨らんでいるので徒歩はショートカットで進めます。実際はグーグルの行程とは異なり市役所まで真っ直ぐ南下してクニャクニャと細い道を歩きましたが難なくたどり着き、2日で全駅訪問を終えて翌日に糸魚川まで戻ったのですが、列車本数の少なさから帰りは根知駅からバスで糸魚川まで戻りました(糸魚川~根知の路線バスはそこそこの本数がある)

ということは、つまり糸魚川~姫川の1区間は乗らずに終わったわけです

気付いたのは帰宅してから。とはいえ簡単に行ける場所ではないので、ずっと機会を伺い、今回のきっぷが出たのを機に糸魚川~上越妙高とともに訪問することにしました。ですから前日の鳥取県では寒さにヘタレて現地で予定変更しましたが、ここだけは、たとえ吹雪であろうと新幹線と列車が動く限りは決行です

ただ問題は環境で姫川はホームだけの棒状駅で寒さをしのぐ場所がないことは前回の訪問で分かっています。ならば、もう1駅先の頸城大野まで行こう。ここなら駅舎がある。2区間進んでも完乗ですから

選んで良かった

10時31分発の列車はトコトコ進んでいきます

もちろん単行のワンマン運転。南小谷までがJR西日本区間ですべて無人駅。車内は20人ほどのお客さんが乗っていました

姫川を過ぎて無事に全乗ミッション完了。後はウイニングランのようなものですが車窓が急に変わりました

一面の銀世界。ちょっと驚きました。姫川では少し残っている程度だったのですが姫川~頸城大野のたった1・8キロでこんなに変わるとは

ホームに降りた時に「ワーッ」と声が出そうになりました。列車の有効部分だけ、きれいに除雪している姿もいいし

ホームからの眺めも最高

駅舎の姿も美しい

駅舎左手には駐車場ですが車の出入りした形跡はなく、というかもう入れません

右手の駐輪場では手押しで進んだ激戦の跡があります。ちなみに姫川で老夫婦の2人が降り、頸城大野で降りたのは私一人

大糸北線の各駅で見られる書体の駅名板

駅舎内。ただ幸運なことに無風で全く寒くはありません

時刻表。私が降りたのは10時39分の南小谷行きで54分の糸魚川行きに乗るため、わずか15分の滞在。寒さも考慮して短いで済むようにしたのですが、こうも暖かいともっといたかったなぁ、と相変わらず勝手なことを考える(笑)

2人のお客さんがやってきました。糸魚川へ向かうようです

駅名標をしっかり撮って撤退することにします。それにしても大分北線は優等列車どころか快速も走っていないのに私の乗車は必ずグリーンきっぷという路線になっています

この風景を見られたのですから、今にして思うと未乗区間になっていて良かった

松本と糸魚川から少しずつ進んできた大糸線。元々は国防ラインとして計画されましたが大糸北線の中土~小滝がつながって全通したのは戦後の1957年です

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グリーンきっぷの2日間~JR西日本の未乗区間を埋める

北陸新幹線のグリーン指定券

2月22日8時

貸切のグリーン車

もい全国的にもすっかりおなじみの光景。朝の金沢駅。今日の最高気温は6度の予報ですが雪は夜のうちにやんだようで、この時間でかなり少なくなっています

駅前は本当に立派になりましたね。私が金沢にひんぱんに仕事で訪れていたのは20年以上前のことで、当時の金沢駅は全国の都市でありがちな「何もない駅前」でした。町の中心部(繁華街)は香林坊と片町という歩くには、ちょっと距離のある場所で初めて訪れた昭和の時代に駅前のホテルに泊まり困ったのは忘れられない思い出ですが、今は駅近辺と繁華街とは逆方向の港側の再開発が進んで、中心部まで行かなくても完結できるようになっています

例によって牛丼店で朝食。今日はいつお昼を食べられるか分からない日程なのでしっかり食べよう

考えてみればグリーン車ばかりに乗る旅で毎朝牛丼店で朝食というのも妙な話ですが、あくまでもグリーン車は手段のひとつなので食事の豪華さは別問題なのです

金沢からは北陸新幹線に乗車

もちろんグリーンです。6回の権利のうち4回目。元々はやくものパノラマグリーンに乗るためのもので他は別に普通車でもいいのですが、せっかくの権利なのでありがたく利用します

北陸新幹線のグリーンは2回目です。2021年9月以来

落ち着いた色がいい。そしてなぜこのように写真をバンバン撮れているのかというと、車両には私だけの貸切で発車したから。お隣の新高岡で一人乗って、富山からは数人が乗車してきましたが、貸切グリーンというのは、なかなか心地の良いものです

3日間きっぷもあるのだが

さて今回利用した2日間きっぷ。3日間用と5日間用は一人では利用できないと最初に記しましたが実は一人用もある。JRで受け付けるものではなく主要旅行会社で発券してもらう「西なびグリーンパス」というもので、こちらは一人利用も可能。50歳以上などルールはほぼ同じで3日間用が3万円、5日間用が3万5000円と、やや割高(2日間用はない)になりますが、十分に元はとれる料金です

今回もそちらを利用する手はあったのですが、やめました。理由はというと

絶対にローカル線に乗りたくなるから

2年前は5日間の夏休みをとって5日間用を利用。3日間は北陸方面へ行き、1度帰宅して残る2日間は山陰方面に出かけました。つまり今回とは逆の行程でパノラマカーの座席を確保したにもかかわらず「そうでない日」に当たったのは、この時。そして5日間で何をしたかというと

大糸北線(JR西日本管内)の全駅訪問

越美北線の全駅訪問チャレンジ

山陰本線の益田~浜田の全駅訪問

グリーンとは無縁のものばかり(笑)。地方に行くと必ずこうなるというか、ローカル線に乗りたくなるのですよ。ということで今回は煩悩(?)を捨てるべく2日間のきっぷにして日程を凝縮させました

車窓では

雪景色とそうでない景色を見ながら

1時間で上越妙高に到着。昨秋の東日本パスで長岡方面から特急「しらゆき」で来て以来です

石川県から新潟県まで。約170キロを1時間で走るのですから新幹線はやはり速い

昨年10月は、ここから北陸新幹線に乗って軽井沢へと向かいました。その時にふと「糸魚川~上越妙高」が未乗車区間になっていることに気付きました。これはいつか必ず埋めなければならない、と思っていたところで今回のきっぷが登場。新幹線にホイホイ乗れるきっぷというのは、なかなか出ないのでこのチャンスを逃すわけにはいきません

雪の中、しらゆきが停まっていました

いい景色ですね。ただ当然ながら寒い

そして駅名標でも分かるように当駅はJR東日本の管轄。昨秋のきっぷでは、ここから金沢方面には行けず、今回のきっぷでは長野方面に行けないという境界駅

「あなたの持っているきっぷは、ここでは取り扱いできません」と書いてある。でもいいのです。ここからは自由席で金沢へ向けて折り返しますから。滞在30分で金沢行きのはくたかに乗り込みます

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グリーンきっぷの2日間~大出世を遂げた路線

岡山駅でパノラマグリーンに乗車

2月21日9時30分

振り子式を迫力で体感

特急やくもは振り子電車です。これまであまり意識していませんでしたがパノラマカーの先頭車で前面展望していると車体ごと傾いているのがよく分かります

視線は真っ直ぐですが架線の柱がこんなに斜めになっている。迫力のある光景です

やくもに充当されているのは国鉄車の381系。伯備線が電化された国鉄時代の40年前から、内装は変えられているものの、ずっと使用され続けている、まさにクラシックカーです。長年走り続けている理由は他に振り子電車がないから。それは伯備線の歴史でもあります

岡山を出たやくもは倉敷から伯備線に入り、中国山地を横断。伯耆大山で山陰本線に合流すると、すぐ米子。この後は島根県に入り、松江そして出雲市まで運行されます。地図でお分かりでしょうが、ゴワゴワ感が凄い。線路がグニャグニャしているからです。大正期から部分開業していき全通は昭和初期。中国山地を行く他の路線と同じような時期で、当時の技術ですから川沿いに敷設するしかなかったのは、これも同じ。線形は悪く特急の看板を掲げ、少しでもスピードアップを図るなら振り子式にするしかないのです

思いがけないドラフト1位指名

山陽新幹線は1972年3月に新大阪~岡山が開業しました。3年後に岡山~博多が一気に全通となるので短い区間の先行暫定開業。「ひかりは西へ」キャンペーンの先頭部隊だったわけです。せっかく岡山まで新幹線がつながるのだから、何か「目玉」がほしいと目をつけられたのが伯備線です

今でこそ1時間に1本の特急が走る幹線ですが、それまでは決して高い地位にあるとはいえませんでした。1968年10月の時刻表(復刻版)を見ると伯備線の優等列車は1日3往復でいずれも急行。当時の特急はローカル線なんて走りません。うち1本は有名な集合と離散を繰り返す「ちどり」で宇野を「しんじ1号」として出発すると岡山で「たいしゃく2号」を連結。新見で芸備線で広島に向かうたいしゃくが別れた分、今度は広島からやって来た「ちどり1号」が合流して米子までともに向かうというもの

文字だけだと何のことやら分からないこの列車には、さらにストーリーがあってたいしゃく2号は備後落合で松江から木次線経由でやって来た「ちどり1号」と合流して供に広島へ向かい、しんじ1号は山陰本線から益田で山口線へと入り、終点が小郡(新山口)という蜃気楼列車かミステリートレインのような運行。今、企画列車にすると発売と同時に完売すること間違いなしです

長い説明となってしまいましたが、伯備線の地位は今ほど高くはなかったということ。閑散区間の代名詞のようになっている芸備線の新見~備後落合間にも1日3往復の急行が走っていて、普通を見ると新見~米子が1日6往復、新見~備後落合が1日8往復なので本数は芸備線の方が多い。目をつけられたのが芸備線~木次線のルートだったら島根県へ向かうメインルートは今ごろひょっとして…

ともあれ新幹線を岡山で乗り換えて山陰方面へ向かうメインコースとして大いに脚光を浴びることになります。私は小学生でしたがクラスメートが家族旅行で新幹線→やくもと乗り継ぎ出雲大社へ行った自慢げに話していたことが思い出されます。やくもという言葉を初めて耳にしたのは、その時です。10年後の78年10月の時刻表を見ると、まだ非電化だった岡山~米子間ですが1日6往復の特急「やくも」と2往復の急行が走っています。その後、着々と複線部分の拡大工事が進み、82年の全線電化から今に至ります

甲子園に1度も出たことのない無名校の選手がドラフト1位指名を受けて殿堂入りレベルの大選手になったようなものです。そもそも68年の時刻表では伯備線と芸備線は見開きで、それぞれ1ページずつしか与えられていないのですから明暗が分かれたことになります。また大きなあおりを受けたのは山陰本線で大阪、京都から鳥取、島根へ向かうメインルートからも外れていくことになりました。ちなみにやくもは伯備線の運用となるまでは新大阪から

先日までの記事で北上線を「悲運の路線」としましたが全く逆の路線ということになります

ただ線形だけは多少の改良を加えてもどうしようもなく、振り子列車が必要とされ、振り子列車の開発には大変なお金がかかるため、ずっと国鉄車両が使われてきました

備中高梁あたりで「このあたりは少し積もっているな」と感じていた雪は新見まで来ると猛烈な吹雪のような状態となってきました。2月の終わりごろ、かつて何度も伯備線を利用しましたが、こんな雪は初めて見ました

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グリーンきっぷの2日間~パノラマカー再チャレンジ

岡山駅の発車案内

2月21日6時

これまでの記事は数ヶ月前の振り返りが多かったですが、今回は旅を終えてすぐのものとなります

とにかく寒い朝

朝の6時。まだ暗い三宮駅前。牛丼店で朝食を摂り新神戸駅が6時半

こうして見ると昭和の新幹線駅という雰囲気に満ちあふれていますね。昨年50歳となりました。今回はその50歳が大きく関連する旅です

手元にあるのは

ご覧のようにJR西日本全線と智頭急行線が2日間、新幹線も含め乗り放題で6回までグリーン車に乗れる。グリーン車の上限回数には普通指定席も含まれるので、グリーン車に乗った方が得ですがグリーン車の設定がない特急も存在します

条件は「50歳以上でおとなび会員であること」「使用7日前までの購入」の2点で3月21日までに旅を終えなければなりません。ちなみに3日間用2万3000円、5日間用2万7000円というのもあって、価格的にははるかにお得ですが、こちらは2人以上での利用が条件となるので一人旅については事実上、2日間用になってしまいます(類似の1人用もありますが、それについては後述)

自由席については乗り放題となっています。まず

さくらの自由席に乗ります。実はすでに5回分のグリーン券を発行済みで、もう1回残っているのですが、こちらはいざという時のためにとっておきます。まずは岡山まで。35分ほどで到着するので自由席で十分。朝の7時にもかかわらず、かなりのお客さん。さくらの自由席は1~3号車で2号車の座席数が最も多い。新幹線の自由席は偶数号車を狙うのが基本ですが、皆さん慣れているのか2号車の列が一番長かった

岡山に到着

山陽新幹線の岡山延伸の数年後にできて長年親しまれてきた噴水ですが路面電車の線路を駅前まで延伸することで撤去されることになり、水は抜かれていました。先ほどの新神戸駅といい、今回の旅は山陽新幹線岡山延伸がキーワードになっています

それにしても寒い。三宮ではまだ早朝と思っていましたが8時前の時点で凍てつく寒さとは、このようなことを言うのか、というほど寒い。この日の最高気温は5度から6度という予報でしたが、おそらく現在の体感は0度ぐらいではないでしょうか。先が心配です

勝利が見えた

そんな今回の旅。最大の目的は「特急やくものパノラマカーに乗ること」。この1点です。グリーンきっぷを購入した動機は、この1点と言っていいぐらい

来年、やくもには新型車両が導入される予定で、おそらくその時には姿を消します。こういうものは、その時が近づけば近づくほど混み合ってくるので早いうちに乗っておいた方がいいに決まっています。ちなみにパノラマカー(グリーン車)は1号車ですから、下り(岡山発)でないと先頭になりません。パノラマカー設置車両は1日4往復ですから、チャンスは4回。ただし午後の2本は岡山発が17時5分と20時5分なので明るい景色を楽しむということも考えると事実上、2回ということになりました

それをふまえ、一昨年9月にもチャレンジしたのですが見事に不発。パノラマカーの運行は時刻表で分かるのですが、そこには「パノラマ型でない日があります」との注意書きがしっかり記載されています。注意書きの日にもろに重なってしまったようです。あのガッカリ感はハンパなかった

それから1年半。再チャレンジの機会が巡ってきたわけです。朝のパノラマカーは8時5分と9時5分発。このうち9時5分は「スーパーやくも色塗装」になっていて人気が集まるのは確実なので避けましょう。旅程を決めたのが3週間前で座席を調べると

最前列が空いています

何も考えずに予約ボタンを押しました

やくものグリーン車は左からA、B、Cの順でCが単独席。運転席は左にあるので見晴らしが良い順となると圧倒的にCが最上級で、そこからB→Aとなるのですが、私にはこれで十分です

後は「注意書きの日」にならないことを祈るだけ。前回の経験から入線前でも結果が判明することが分かっています。遠くに待機している車両が見えるのです

そして結果は

勝利!

これはうれしかったなぁ

早速乗り込みます。いやいや感激。スーッと走り出した時はちょっと緊張しました

山陽本線と伯備線は倉敷で分岐します。下り列車については線路上を横切らないで済むように高架の渡り線を行きます。これまで数え切れないほど見た景色ですが、前面展望だと全く違いますね

岡山から10分ほどで倉敷に到着。いよいよ伯備線に入ります

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 悲運の北上線を経て東京へ

北上駅の駅舎

2022年10月16日14時

「快速」のある北上線

ほっとゆだ駅に戻ってきました

休日に登校した高校生が帰宅するため駅に集まってきました。14時23分発の列車を逃すと前列車と同様、次の上りも下りも3時間運行がないので逃すと大変です

さて横手駅でも掲載した写真ですが

横手駅の北上線列車

方向幕に「快速」とあるのがお分かりかと思いますが、一般的にイメージする快速とは少し違う。北上線は両端の横手と北上を除くと途中に駅が13あるのですが、その中の小松川駅1駅だけを通過するものです

昨年の春までは他に2駅の快速通過駅があり、この2駅は冬季は全列車が通過する駅として、ある意味有名でしたが廃止され、1駅だけを通過する快速が「誕生」したわけです。播但線(兵庫県)の非電化区間である寺前~和田山で長谷駅ひとつだけを通過するためにあった快速と似ている(現在は全駅停車となり快速は消滅)

快速の設定は横手行きの下りで3本、北上行きの上りで1本設定されていて、私は貴重な1本に乗車したわけです。もっとも設定云々より、そもそも北上~横手の全線を走る列車は1日6・5往復しかありません

北上線は大正期に全通した古い路線です。東京から秋田を目指す路線としては福島で東北本線から分岐する奥羽本線がメインルートですが、福島と山形の県境で有名だった4駅連続のスイッチバックがあったように険しい峠越えがあり、重量のある貨物列車には負担の多い路線でした。そこで仙台経由で負担の少ないルートという目的もあって敷設されました。全国で問題となっている、いわゆる赤字ローカル線はトンネルや高架技術の乏しい時代に造られたものが多く、スピードに難点があり高速道路との競争に勝てないものがほとんどですが、北上線は当時にできたものとしては線形が良く、貨物などの長大編成にも重宝され、奥羽本線でトラブルがあった時の迂回ルートとしても重要な役割を担いました。特急の定期列車が走ったこともあります

ところが秋田新幹線設置の際に選ばれたのは戦後に全通した田沢湖線。東京から来た場合、北上線からでは盛岡の手前で分岐してしまうのが難点だったのでしょうが、わざわざ遠回りとスイッチバックをしてまで東京から秋田のルートが設定されてしまったわけで、平成になって駅名を陸中川尻からほっとゆだに変更するなど「ゆだ」を冠する駅名に3駅変更、SLが走ったこともありましたが、SL運行は10年以上行われておらず、貨物輸送もなくなっています(ただしJR貨物の免許は続いていて、いつでも貨物列車が走れる状態)。冬季通過駅や1駅通過の快速が登場することが利用者の数を物語っているともいえます。とても不運な路線です

北上駅は国鉄駅舎

ほっとゆだからは45分で北上に到着

戦後に各地で建てられた国鉄コンクリート駅舎が健在なターミナル駅。黒沢尻駅として明治期に設置されました。黒沢尻は当時の町名で北上市の中心地。花園の高校ラグビーに登場する学校にその名前をよく聞きます。戦後の合併で北上市が誕生した際、現駅名となりました。ちなみに写真で分かるように「きたかみ」です

北上線の列車は主に0番線の切り欠きホームを利用します

お隣の駅の解説付き駅名標

ここから新幹線で東京に向かいます

ユニークなオブジェがあります

当駅からは「はやぶさ」も「やまびこ」も東京に向かいますが自由席のあるやまびこが圧倒的に多い。基本的には1時間に1本、東京行きがあります。座席については以前に説明した通り、B席しか確保できませんでしたが、比較的早い時間でこのような状況だったので夕方以降はもっと凄かったのだと思います

入線時に前3両の自由席が見えましたが、この時点でほぼ満席の様子。盛岡始発で途中駅は新花巻だけでしたが、2駅で座席は埋まったようです

もっとも発車すると私のお隣のC席は東京まで誰も座って来ず、私から見える所ではD、E席が並んで空きっ放しという「多客期あるある」が起きていました。私的にはC席に誰も来ずに良かったわけですが(宇都宮を過ぎた時点でC席に移動しました)、もしもC席の指定券を持ったまま自由席に座った人がいるなら、あまり感心できないことです

これで振り返りは終わりですが3月のファイナルでも利用を予定しています。ただ現時点できっぷは購入したものの現時点で指定席確保はなし(笑)。旅程はほぼ決まっていて宿も確保しましたが、細かい移動が多くなりそうで指定席をいちいち取っていたら、権利がすぐなくなってしまいそう。それでもこの時の教訓から最後の長距離だけは指定を取るべきかな、と思っています

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JR東日本パス ファイナルを前に~北上線に初乗車

ほっとゆだ駅の駅名標2つ

2022年10月16日10時10分

3年ぶりに出会った駅名標

大曲駅での立派なキロポスト。秋田新幹線としては、秋田まで続きますがミニ新幹線で在来線と同じ軌道を走るため、田沢湖線としてはこちらが終着駅となります

このようなものを見ると路線の運不運を感じざるを得ません。田沢湖、角館と観光地を走る田沢湖線ですが、元々は地味な路線で現在も在来線の本数は極めて少ない。特に岩手県と秋田県の県境越えとなる赤渕~田沢湖間は1駅の区間が18キロもあって、ここを走る普通は1日3・5往復。八戸線の時にも引用した1968年の時刻表(復刻版)を見ても6往復(当時は他に急行が2往復していた)しかない。まだまだ鉄道が元気だったころにそれだけの本数しかなかったのですから、新幹線に「昇格」したのは凄いことだし、スイッチバックという、あまり導入したくない方式をわざわざ採用したのも凄い決断だったと思います

似たような例としては岡山から山陰方面へと向かう伯備線もそうで、現在、他の陰陽連絡線が苦戦する中、幹線としての地位を築いていますが、山陽新幹線の新大阪~岡山暫定開業がなければ…ですね

さて、ここからは奥羽本線で横手に向かい北上線に乗ります

3日間の旅の最終日ですが、仙台スタートということもあり、最初の2日間は一切優等列車や有料列車に乗車していないので2万2150円の元を取れていません。実際に同行程の旅をした場合は三陸鉄道のフリーきっぷを使用したり、八戸線では長距離きっぷを買っての途中下車を選択したでしょうから運賃の違いはあるかもしれませんが、最初の2日間は

仙台~柳津 1340円(JR)

柳津~盛 1880円(BRT)

盛~釜石 1100円(三陸鉄道)

釜石~久慈 3050円(三陸鉄道)

久慈~本八戸 1170円(JR)

で8540円分しか使用していません。別の言い方をすれば有料列車に乗らずに8540円も使用したことになるのですが

ということで最終日は新幹線にバンバン乗って元を取りに行きたいところですが、やっぱりローカル線に乗ってしまいますね

その横手では

久しぶりにナゾの「ホーム横断型駅名標」と再会。2019年夏に青春18きっぷで新青森から奥羽本線をつらつらとやって来て(長かった)以来です。両隣の駅が表示されていそうで、されていないというユニークなもの。レールと垂直に掲げられているので表示しようがありません。駅の改良工事を行った際、これだけポツンと残ったようです。それにしても珍しい

北上線へもダッシュの結果…

北上線は横手と東北本線の北上を結ぶ約60キロの路線です

かつては仙台から秋田方面を目指す際の短絡ルートとしての地位を築いていましたが、田沢湖線が新幹線ルートとなり、地図上(線路上)では大回りをして向かう方が速くなってしまったため、立場が逆転してしまいました。横手と北上を直通する列車は1日6・5往復しかありません

ですから乗り遅れをするわけにいきません。10時29分に横手に着いて横手発北上行きの発車は10時37分。乗り換えにはちょうど良い時間ですが、前日からの満員状態が身体に染みついています

列車が見えてきて階段を足早に降りる

同業者(鉄道ファン)の姿も見えます。座席確保はできるのか、まぁ、ほっとゆだまでは30分なんで立つのもやむを得ないか…と乗り込むと

ガラガラでした

すっかり拍子抜け。ちなみに先に掲載した横手の駅名標は、ガラガラを確認して再び跨線橋を駆け上がって撮ったもものです。どうもこの期間でも人気がないのか、たまたま乗車した時間帯に人がいなかったのかは不明です

とにかくほっとゆだに到着です

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 新幹線スイッチバック

大曲駅の駅名標2つ

2022年10月16日9時50分

秋田新幹線内の再会

八戸を8時11分に出た東北新幹線。盛岡までは、どちらかというとガラガラ。上り方面は、まだ皆さん活動されていないようです。立席と言いながらも余裕の着席

盛岡からは秋田新幹線。盛岡着が8時43分で盛岡発が8時48分。5分しか乗り換え時間がなく、今回の旅の最重要ポイントでしたが無事に乗り継ぐことができました。前夜、盛岡まで行って安全に宿泊する方法もありましたが、せっかくなんで来る機会の少ない八戸に泊まろうということになり、その分この乗り換えのリスクがあったのですが無事にクリア。秋田新幹線に乗車します

前記事で書きましたが指定席が1度「0」になり、一夜明けたら「1」になっていたため大慌てで確保した座席。当然ながらデッキまで人であふれています。秋田新幹線は全車指定で立席特急券制度を導入しているため「すいません。そこ私の席です」という光景が見られそうなものですが、さすが東日本パスを利用される方は指定席が満席だった時点で、そのあたりの事情は分かっているようで、そのような場面はありませんでした

しかし、ふと車内を見渡すと見知った顔の2人が

前夜、八戸で食事していると隣の座席のカップルが「明日はどこ行こう?」なんて会話をしていたのです。東北新幹線だと見どころはこちら、秋田新幹線だとこちら、なんて、あーでもない、こーでもないとやり合っていました。「ははーん、あちらも東日本パスだな」。察しはつきます。結果は出ないまま先に店を出ていきましたが、その2人が並んで座っていてビックリ。驚いたのは再会ではなく並んで座っていることです。どうやって座席を確保したのか考えてしまいました。元々、秋田新幹線の座席を持っていたのかなぁ、などと首をひねっているうちに角館で降りていかれました

話は少しそれますが、角館も駅から武家屋敷などの観光地がある中心部までは結構な距離があります。10年以上前に宿泊した時、駅から15分ほど歩いた記憶があります

鉄道的な見どころが多い

秋田から1時間。大曲に到着しました。盛岡を出た時、秋田までは満員状態だろうと思っていましたが、田沢湖でドッと降り、立っている人はめっきり減りました。角館でまた降りて空席もある状態に。これはちょっと意外でした

その大曲。2本の新幹線が止まっていますが新幹線(ミニ新幹線ですが)としては珍しいスイッチバック構造となっています

列車止めがあります

スイッチバックらしく駅名標はこんな感じ。ただし

在来線(奥羽本線)は普通。秋田新幹線を田沢湖経由にしたので、このような構造になりました

さらに大曲から秋田方面へは新幹線が標準軌、奥羽本線が狭軌なのでレールが3本ある三線軌条となっています

分かりやすい説明がありました。鉄道会社は原則的に同じ線路幅を採用しているので意外と見られない構造。「JR東日本唯一」と書かれていますね。青函トンネルができるまでは「JR唯一」でした。角館に泊まったのは秋田内陸縦貫鉄道に乗るのと、これを体感したいためでした

私鉄では複数の線路幅を持つ会社もありますが、この構造は線路の維持管理が面倒なので、現在は車庫回送などの短い区間でしか採用されていません

また青函トンネルは有料列車でしか乗車できない上に途中で降りることはできないので貴重な構造ともいえます

2019年8月にも大曲に来ましたが、その時は夜で、しかも20分近い停車時間に降りただけでした

大曲といえば花火ですね

商店街にも、さすがの名前が付いています

奥羽本線に乗り換えます

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