きっぷ

島原鉄道で「あの駅」に行った 長崎~諫早

6月18日8時

長崎駅の今しか見られない光景からスタート

この記事は実質的に

超難読駅で感慨に浸る(大村線・南風崎)

の続きとなります

前日、大村線から長崎本線を経て長崎に到着した私は長崎電気軌道つまり長崎市内の路面電車を完乗。旅の3日目で最終日。「旅名人の九州満喫きっぷ」(もちろん長崎市の路面電車も乗り放題です)を手に長崎駅へ。長崎新幹線開業を3カ月後に控え、前夜感が漂います

長崎駅に来たのは14年ぶり。当時走っていた寝台特急「あかつき」が3月いっぱいで廃止になるというので2月に乗って訪れました。今では信じられないことですが、廃止まで2カ月を切っているにもかかわらず、乗車の1週間ほど前にみどりの窓口に行くと「どの部屋にしますか?」なんて窓口の職員さんとの会話があって早い話が選びたい放題。ある意味、当時の寝台特急の状況を物語っていますが、当時は地上櫛形ホームで終着駅の風情が漂っていました

今は高架駅

特急列車しかも電車特急が並んでいて、これはまさに今しか見られない光景です。並行在来線となって優等列車がなくなるのは全国で見られる光景ですが、架線も外して電化→非電化になるというのは驚きでした。経費がかかるので電化部分は貨物に任せ旅客運搬は気動車で、というのは各地で見られますが、せっかく張った架線を外すという例はなかなかありません

諫早へと向かう

ただ私のきっぷでは特急には乗れないので

奥の切り欠きホームから普通列車に乗り

30分ほどで諫早に到着です(写真は前日17日のもの)

こちらも前夜感いっぱいです(写真は17日のもの)

島原鉄道へ乗車

ただ私はJRの改札口から駅ビルを降りる形で別の改札となっている島原鉄道へと向かいます

ホームはJRと並んでいて直通運転をしていたなごりからか番号も順番に振り当てられています。島原鉄道は0番線の切り欠きホーム

明治以来という歴史を持つ島原鉄道の歴史パネルも展示されています

約1時間揺られ

到着です

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酷暑の激闘・久留里線3駅エピローグ(動画振り返り)

※動画があります。音声注意

動画で振り返ってみます

前回、前々回記事と合わせて閲覧していただけたら幸甚です。まずは分岐点。ちょっと躊躇しますね

何度も確認して

迷ったものの進みます。次は少し長めですが坂道を上がり、日大用地での分岐点と唖然として立ちすくむまで。すいません。オッサンのハアハア言う声と虫の音しかありませんが…

音声ミュートしようとも考えましたが、リアリティーがあると考え、そのままにしました

思わず「あれ?」とか言っている。獣道というレベルを超えています

 

近づくとこんな感じで断念。引き返しとなりました

そしてゴール。思わず声が漏れました(まさに汗)

簡素な駅舎ですが立派なトイレがありますね。動画で気付きました

私が駅間徒歩をする時のあるあるがありまして

真夏に歩くとなぜか自販機がない

冬場や春先だと必ずあって必要もないのにコンビニまで登場するのですが、真夏はなぜかありません。今回は平山駅の手前にガソリンスタンドがあり、駅から1度戻ってバス停まで行きました。そして

どうでもいいですがタップの瞬間。汗だくです。というか汚い(謝)

気付いたもうひとつのバス路線

こんな汚いオヤジがバス停で蕭然とたたずんでいると、すぐにバスがやって来ました。高速道路を走るので立派な観光バスです。ただ先頭は「八重洲口」。千葉経由で行くんかいな、ドアが開いて運転手さんに「千葉に行きますか?」と尋ねると「この後、すぐ来ます」

えっ、と思いあらためてバス停を見ると

私が乗ろうとしていた千葉行きだけでなく東京・八重洲口行きのアクシー号というのがある。しかもこちらの方が圧倒的に本数が多い。前者は1日9往復、後者は20往復です。もちろん東京行きの方が料金は高くなるのですが、アクアラインを通るので、その分、楽しめるかもしれません(こちらもカピーナ号と同様に乗降ルールがあります)。そういえば、かつて五井の市原臨海競技場に行った時も羽田から五井までのバスがあるということで、わざわざ飛行機で東京に行きました。本当にすぐ着きました

ただどうなんでしょう。例えば都内もしくは千葉市内まで出かけようという久留里線沿線の方が、どちらを利用するかというと、料金はバスが若干高いですが、特に東京に向かうなら乗り換え不要(乗り換え時間によってはバスが早い)で本数も多いバスに軍配が上がる気もしなくはない。微妙なところですが

ということで久留里線3駅訪問記は今回で終了。ちなみにJR東日本で通年発売している「休日おでかけパス」(2720円)には久留里線全線が入っています。首都圏でありながら、なかなか訪問困難な3駅ですが、気候も良い今なら、バスも組み合わせてお出かけはありかもしれませんよ

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酷暑の激闘・久留里線3駅その5

8月19日14時50分

※記事に使用した写真は動画から起こしたものが含まれていて鮮明でない写真があります

坂道を登り切った先に見たものは

上総松丘駅から平山駅を目指して今いるのはこのあたりです

こうやってグーグル先生の地図を見ると途中で道が終わっている(汗)

しかし、あくまで後で見て分かったことで当時はそんな思考はありません。ナビタイム先生に従うだけ

一応舗装された坂道を進んでいくと「交差点」に出ます。先生からは何の指示もない

よく見ると右側に「日本大学用地 立入禁止」の文字。うーん、こんなところに日大の土地があるのか。何のための用地か不明ですが、これは左に進めということでしょう

切り通しの道路になりました。石垣が立派すぎますが、何となく希望の灯

このあたりが坂を登り切ったあたりのようです。ナビによると全行程30分なので、かなり歩いています。後は下って国道に再合流するのみ

すると

舗装が終わって見事な「森のトンネル」。観光地やローカル線だったら名所となりそうですが、嫌な予感しかありません。確実に下り坂になったので天然のトンネルを抜けると

道が消えた!

正確に言うと道のようなものはあります

要は舗装→未舗装→獣道と「逆進化」していったわけです。写真ではよく分からないかもしれません。獣道のようなスペースはありますが、左右から草木が倒れていて分け入る必要があります。そして私の格好はというと獣道予定はなかったので、盛夏の薄手半袖シャツ1枚。強引に行けなくはないですが、草木のトゲよりも昆虫、ハ虫類など、どんな生物がいるのか分からない。周辺はずっとセミが鳴き続けています

厳島神社を経て

下した決断は撤退。来た道を再び戻って国道を進みます。大幅な時間のロスが生じました。相当急がないと15時33分のカピーナ号に乗れない。あと30分ほど。しばらくすると

厳島神社に遭遇しました。厳島神社といえば最も有名なものは広島の宮島でしょうが、全国に数百の厳島神社があるといいます。なかなか、こちらの厳島神社に来る機会はなさそう(というか最初で最後かもしれない)なので休憩がてら参拝したいところですが、残念ながら時間に余裕がない

すっかり線路と離れてしまいましたがズンズン進みます

右手から道が合流してきましたが、もしかしたらこれが進もうとしていた道なんでしょうか(もちろん確認などしていません)

タップしました

そして15時半前、平山駅という交差点が見えてきて

ついにゴール。グーグルフォトによると到着は15時24分。意外と早く着きました(そんな話じゃない)

一面一線。駅名標は旧タイプ。花壇もきちんと手入れされていて駅舎は扉なしの南国風←全くもって写真から感想を述べただけの棒読みです

券売機はなく乗車証発券機が置かれています←もっと棒読み

とにかく何とか間に合いました。すぐにバス停へ。この日の天気予報を思い出していました

涼しくて過ごしやい日になるでしょう

そんなことは全くなかった。実は、ここから久留里駅までも40分ほどあれば歩ける。おそらく原稿を書いている今日の気候なら決行した可能性もわずかながらあったかもしれませんが

タップ(ギブアップ)です

汗だくで乗り込んできたオッサンを見て運転手さんや他の乗客はどう思ったのでしょう

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酷暑の激闘・久留里線3駅その4

8月19日14時40分

※今回の写真には動画から起こしたものがいくつかあり不鮮明な写真も含まれています

強い味方、カピーナ号

平山駅へ向かって歩き始めます。当初、久留里線の時刻表と自分の日程を見比べた時、一瞬「とりあえず久留里線完乗だけをやっておこうかな」とも思いましたが、とにかくたったの3駅なのです。しかも、なかなか来られる所ではないので、これは意地でもやっておこうと決めました

ただどうやっても、どこかの駅でとんでもない時間が必要になってしまいます。駅3つに対して列車はポツンと1本なのです。全路線は10キロと、それほど離れてはいないので、仮に1駅間を徒歩移動したとしても、もう1駅でやはり待ちぼうけが生じます。久留里からの本数は多いので2駅歩く、という案がないでもないですが、さすがにいくら涼しい日とはいえ、8月にそれだけ歩くのは還暦ジジイにはムリ

こういう時、私は路線バスを調べるようにしているのですが、調べるとありました。千葉と鴨川を結ぶカピーナ号という路線バスが。千葉から蘇我を経て鴨川へと向かう。途中からは久留里線とほぼ並行するように走ります。もちろん久留里駅も通って今回の3駅付近も通る。ただ残念ながら、途中停留所相互間の乗降はほとんどできない。今回の例をあてはめると、3駅どの停留所からも乗車できますが一番早く降りられる停留所は蘇我となります。蘇我まで行くと、もう久留里線には戻って来られません。表現は悪いですが脱出ルートです。さらに言うと駅と停留所が最も近いのが平山と条件はそろっている。時刻表を調べると平山発15時33分。今から約50分。では徒歩による所要時間はというと

こうなります。ほぼ久留里線に沿った国道を行くルート。時間もいい感じ。暑さによるヘバリはあるかもしれませんが大丈夫でしょう

グーグル先生とナビタイム先生

と、これだけなら頑張って歩いて千葉行きのバスに乗りました、というだけの話になるのですが、それは激闘でも何でもありません。2カ月前のこと、長崎県に行った私はグーグル先生と、一悶着ありました↓

先生の指示に反抗しての隣駅までの徒歩移動(大村線の誰もが知る駅と超難読駅)

これ以来、徒歩の場合はナビタイム先生を利用していたのですよ。ちなみにナビタイム先生の指示はこんな感じ

な~んだ、ちゃんとショートカットの近道があるじゃないですか。さすがナビタイム先生。ひとつ気になるのは車窓にそんな場面があったかどうか。私は歩くと決めたら、車窓はその方向に釘付けとなります。上総松丘駅からのルートと線路が交差するであろう地点には踏切と信号があったと記憶しているのですが、こんなしっかりした道はあったでしょうか? かなり不安です。とにかく現地に行って確認しましょう。逡巡するほど時間はありません

ナゾの道(未知)

やはり駅からダイレクトに国道へは行けないようなので逆方向へと向かう

ここが最初に右折する場所。「上総松丘駅入口」という、なんとも渋い文字が書かれています。これを頼りに駅へ向かう人が果たしているのか、という感じです。まぁ地元の方以外で訪れる方はほとんどいないと思われるので、これで良いのでしょう。かなり古そうな文字で、ここは駅からちょっと離れていますが自転車置き場でしょうか。時間がないので先に進んでいくと

件の交差点が見えてきました。ナビによると国道を左折するのではなく直進です。と、そこに現れたのは

ゲゲッ!これですか。左を見ると

普通に国道です。問題の道(ナビを受けた道)をあらためてのぞいてみると

結構な上り。少なくとも車で行くのは無理な感じです。ただ30分を切るという指示には抗えません。しかも既に10分近くは歩いています。ショートカットが終わってからの徒歩時間もあるので、この未知もいいところのコースは10分ぐらいではないでしょうか。進むのみですな

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酷暑の激闘・久留里線3駅その3

8月19日14時33分

ちょっと怖いが降りるのが醍醐味

上総亀山のとうに使われなくなった側線にポツンと置かれているキロポスト(起点からの距離つまり木更津から32キロということ)を横目に同駅を出た列車は、わずか5分ほどで、お隣の上総松丘に到着。もちろん初めての駅。2、3人のお客さんが乗ってきたようですが、そちらはほとんど見ていません

この1区間だけで降りるのは、当然のように私一人です。降り鉄旅をしていて、ここから先の列車がないと分かっていて降りる際にやって来る、妙な優越感と妙な怖さと2つが交錯するいつもの感覚

当駅の横は国道410号が併走しており、車がビュンビュン走っています。県道24号との併走区間のようです。しかし

国道側のホームにあったはずの線路は既になく、ホームの跡だけが残っている。念入りに見たわけではありませんが、駅からダイレクトに国道へは行けないようです

駅舎は単式になっているホームの逆側にあります。ログハウス風の駅舎は松丘ふれあい館という施設も兼ねているようです。ちゃんとお手洗いもあります

開業からの木造駅舎が残っていたそうですが平成に入ってすぐ火災に遭い、あらためて建て直されました。駅舎が復活してくれたというのは、うれしいことです

ミッション発動

さて私が国道の位置などを妙に気にするのにはワケがあります

まず久留里線3駅について見てみましょう

あえて車移動でのルートを張ってみました。国道410号は、ほぼ久留里線に沿って走っているので問題ないと思います。国道を道なりに進めば10・8キロ。車で16分とあります。実は鉄路でもほぼ同じで9・6キロで18分。逆に言うと、それが乗車人口を減らすことにもなったのでしょうけれど

そして駅舎内の時刻表を見てみましょう

詳細に時刻が書かれた分かりやすい時刻表。私は14時33分でやって来たわけです。となると次に列車が来るのは17時21分で、ほぼ3時間後。平山駅に到着すると今度はさらに1時間待って、ようやく木更津まで行くことができます。その場合、木更津着は20時38分。今日のうちに神戸まで帰るので、とてもムリ。というか、ここで3時間も待ってられないでしょう。8月中旬過ぎの18時26分なんて、かなり暗そうだし。ということで、ここは

平山駅まで歩きます

久留里線の項の1回目で記しましたが、今日は涼しい1日だと天気予報も連呼していました

国道に直接行けそうにないのが痛いですが、多少遠回りをしても国道に行けない道なんてないのです。平山駅までは約3キロで、暑さにへばったとしても1時間もあれば着く。では平山駅で2時間ほど待つのかと言われると、それもおそらく大丈夫。万全の作戦を考えています。さっそく歩き始めました

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酷暑の激闘・久留里線3駅その2

8月19日14時11分

上総亀山にやって来た

13時53分に久留里を出発した列車は終点の上総亀山に到着しました。11年越しの悲願ともいえるわけで、ちょっと感無量です。当時、久留里線では手渡しによるタブレット交換が見られていました

青春18きっぷのシーズンです。金曜日の平日でしたが、一見それと分かるお客さんの姿もかなり見られ、中には夏休みの部活を終えて帰宅する生徒さんもいて座席は8割は埋まっていました。駅舎をじっくり見て写真を撮るとか(早い話、私もその一人です)、あきらかに鉄道ファンでしょう

駅舎は1936年にレールがここまで到達した際のものに手を加えながら使われているようです。利用者云々よりもタブレット交換のための駅員さんは必要なのでずっと駅員さんはいました。自動閉塞になった際、無人化されています

歴史に阻まれ終点まで行かず

久留里線の歴史は古く大正期に木更津から久留里までが開業しています。久留里という町の重要性からでしょう。昭和になってさらに上総亀山まで進んだのですが、そこから先が延伸されることはありませんでした

元々は現在のいすみ鉄道である国鉄木原線と上総中野で接続し、大原まで行く予定でした。山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡線が数多く敷設されたように房総半島を横断するのも鉄道黎明期には重要なことで県営、民営と工事が行われました。久留里線は元は県営で、その後国鉄となり上総中野を目指します。元々「木原線」の「木」は木更津で「原」は大原です。また五井発の小湊鐵道はずっと私鉄ですが「小湊」は今の安房小湊で、小湊を目指していたことが会社名に残ります

それが昭和初期に現在も小湊鐵道といすみ鉄道の接点である上総中野駅で接続が可能となり、資金面、その後の戦時体制などで両線の延伸計画は中止。小湊まで至らなかった私鉄の小湊鐵道と木更津まで至らなかった木原線が路線名にそれぞれの地名を入れたままで戦後もずっと走り続け、木原線はJR移管時に三セクいすみ鉄道へ。木更津を示す「木」の文字はなくなりましたが同じ体制が続いています

無人化と同時に1面2線だったホームは単式化されています

山中の駅周辺は住宅街ともなっていますが、生活路線というよりダム湖である亀山湖への拠点の側面が強くなっています

後から設置された久留里からの3駅は、本来は房総半島横断を目指した途中駅という性格が強く、当初から利用者は少なかったのか、戦時中には不要不急路線として休止の扱いも受けています

線路はこの先で終わっています。70年以上前、上総亀山までの工事にあたっていた方は、どんな思いだったのでしょうか

列車はわずか15分の滞在で折り返します。この駅で次に列車が見られるのは約3時間後。備後落合にでも来ているような感覚になりますね。私も短い滞在を終えて乗り込みます

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酷暑の激闘・久留里線3駅その1

8月19日11時

のどかで涼しい午前

この夏から、かなり時間をとれるようになったので、今夏の青春18きっぷは2回消化(つまり10日分)できるのではないかと考えていました

早速7月21日に初回使用。ところが直後にコロナの第7波とかで出番がなく、結局8月19日の時点で残り4回と、いつもの期間終了間際にバタバタと使用することになりました

前夜は都内でちょっと(いや、かなり)飲んでしまい、山手線某駅で入場。当日の午前のうちに木更津までたどり着きました。所要時間2時間。結構遠いですね

目的は久留里線です。11年ぶりの乗車ですが、その時は久留里までしか行っておらず、その先の上総亀山までが未乗車地域になっています。その距離わずか9・6キロ。久留里線全体でも32キロしかありませんが、なぜ未乗車になったのかというと、そこから先のダイヤが薄いからです。この微妙な区間を埋めつつ、3駅すべてを訪問しようというのが今回の目的。せっかく東京まで来る機会があったのだから、この空白を埋めつつ青春18きっぷを使おうというわけ

11時12分発の久留里行きが出発を待っています。東京から長大編成(15両だったと思います)の総武線に乗り込んでから2時間で、随分とかわいい非電化単行列車となりました

ただ問題がありまして東京から木更津まではご存知のようにホイホイ来られるわけですが、その先がなかなか困難です。久留里まではホイホイとはいかなくてもホイぐらいで行ける。ただその先の3駅は前述した通りダイヤが薄く、しかも前回来た時よりもさらに本数が削減されています

木更津から久留里までは昼間も1時間に1本ぐらいが運行されていますが上総亀山に到達する列車は1日わずか8本しかありません。しかも木更津発7時24分を逃すと、その次は13時1分と5時間半も運行がないのです。つまり東京で前夜に酒なんて飲んで都内に宿泊している時点で13時1分発の一択となってしまうのです。ちなみに、お次の上総亀山行きも3時間後です。運行形態としては終点の上総亀山で10~20分停まって折り返すという形ですから、上総亀山で降り、折り返し列車で残る2駅のどちらかでは降りられますが、もう1駅への手段がなく、さらにそこからどうするんだという問題が残ります

しかし行くと決めたからには多少の二日酔いであろうと何であろうと行くのです。一応、作戦を考えて出発しました。ちなみに朝の天気予報では

この夏では珍しく涼しくて過ごしやい日になりそうです

と連呼していました

久留里でのんびりと過ごす

途中駅で降りたりしながら久留里着は12時52分。おそらく大正期の開業時期の駅舎がそのまま使用されています。久留里線の運行にとって重要駅で管理駅となっていて駅員さんもいます

運行頻度からすると、かなり大きめの構内を持ちます

これでもまだ1時間あります

かつては久留里藩があった城下町。名水が知られ、お酒造りで有名。歴史を感じる町並みが並んでいます

私も一杯といきたいところですが、午後からは乗り鉄だけではなく降り鉄なのでアルコールは控えは11年前にも来たお蕎麦屋さんで

天ざるを優雅にいただく

お城をモチーフにしたベンチもかわいい。確かに言われてみると、今日は猛暑という感じではありません。のんびりした後、上総亀山に出発です

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乗継割引、今のうちに有効に利用を

影響大の岡山乗り換え

来年3月いっぱいで新幹線+在来線特急の乗継割引の一部が一部の駅でなくなることが発表されました

乗継割引とは新幹線と在来線特急を乗り継いだ際に特急料金が半額になるという制度

 

元々は東海道新幹線が開業した際、これまで通し料金で利用できていた特急・急行料金を新幹線と別々に徴収する(特急はひとつの列車について1料金が原則です)のは実質的な値上げになる、とのことで開始されました。元々、東京駅をまたいで運行されていた列車はなかったわけですから、東京駅での乗り換えには適応されませんでしたが、西側は大阪をまたいでさらに西へ向かう優等列車が数多く運行されていたので影響は大きく、この制度は東北新幹線など全国に広がりました

発表によると全廃ではなく、下関~岡山間の適用がなくなるとのこと。九州の小倉、博多については九州新幹線が一部開業した際にこの制度はなくなっています(JR九州は博多~新八代の在来線特急と新八代~鹿児島中央の新幹線を一本の料金にしたため矛盾が生じるとの理由。別の角度から見るとJR九州に入るはずの特急収入が大幅に減るからとも言われる)。それが岡山まで延長されたということ。定期運行の列車では新山口からの「スーパーおき」そして岡山からの伯備線「やくも」と瀬戸大橋を渡っての四国各方面への特急が対象となるため、乗り換えの多さから見ると岡山乗り換えは影響がかなり大きい

私もかなりお世話になっています

こちらは今春、岡山乗り換えで伯備線でやくもに乗車した時のもの。乗継割引を使用するときっぷにその旨が明示されます。本来2000円近くするものが930円。破壊力抜群なのは新幹線の乗車が短い場合で

新幹線はおなじみの1区間自由席料金ながら大阪~金沢で2時間半以上も乗車するサンダーバードが当然半額です。ただし乗継割引にはルがあって、きっぷを買う時に必ずセットで求めなければなりません

そしてこの制度、意外と知られていないのは新幹線に先に乗る時は当日中の乗り換えが必要だが在来線特急に先に乗る時は新幹線乗車は翌日でもOKというルール

これは東海道新幹線から九州方面へと向かう際に新大阪で寝台列車に乗り換えることを想定したもので、寝台列車に乗るのはもちろん新幹線乗車日ですが、九州から寝台列車に乗り新大阪で新幹線に乗り換える場合は必然的に前日の出発になるために設けられたルールです

今は定期寝台列車はサンライズしかありませんが(鉄道ファンにはおなじみのサンライズと新幹線の組み合わせによる乗継割引も岡山や坂出、高松では使えなくなります)、半世紀以上も前のルールが実態と乖離した今も生きています

この制度を利用すれば旅の幅がグッと広がりますよ。乗り換え駅で宿泊する旅行が可能になります

考えてみれば東京をまたぐ優等列車がなかったため制度が対象外となったと記しましたが、静岡から名古屋経由で長野に向かう列車があったのかと言われれば疑問(名古屋駅の乗継割引は継続します)だし、四国方面への特急も宇野~高松のフェリーが廃止されたための代替という位置づけでしたが、現行制度では岡山から快速で1時間もかかる高松での乗り換えにも適用されるという奇妙な形になっています(これは高松~徳島間の「うずしお」が今も1日1本、岡山まで乗り入れているからだと思われます)

とにかく四国方面、岡山を経由しての山陰本線へのお出かけを考えていらっしゃる方は、今のうちに是非利用してほしい制度です

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その10~忘れ物

欠けていた駅のちょっと貴重な光景

JRのうちに北陸本線の各駅を巡る旅。3月24日の行程はこれまでお伝えした通りですが、この間にある2つの駅が欠けていることをお分かりの方もいらっしゃると思います。福井駅と越前花堂駅です。過去に訪れているので旅報告からは外しましたが、改めて付け加えさせていただきす。まず福井駅

数え切れないほど訪れていますが意外と写真がない。すぐ乗り換えるか飲みに行ってしまうからでしょうか。これは2018年6月のもの。JRの駅ではありませんが

えちぜん鉄道が暫定的に北陸新幹線のホームを間借りして時の時のもの。間もなく新駅に移動するというので2度と見られない光景だということで慌てて撮りに行きました

難読かつユニークな駅

福井から1駅南にあるのが越前花堂です

なかなか難読です。こちらから越美北線が分岐しています。越美北線全駅制覇を目指した(できませんでした)昨年9月19日に訪れました

分岐駅ですが戸籍上は越美北線の起点駅です

ただ越前花堂を始終着とする列車は設定されておらず、すべての列車が福井まで乗り入れます

ただ、ややこしいのですが先に越美北線の駅が設置され、その後に北陸本線上に駅ができたため、これまた戸籍上は北陸本線の駅ではなく越美北線の駅となっています

北陸本線側にある駅舎。昭和40年代生まれとあって堂々のコンクリート駅舎です。背後に見える高架は北陸新幹線

今は無人駅ですが立派な大理石の改札口が残ります。これはなかなか貴重なものだと思います。1960年代で、鉄道全盛期は多少過ぎたとはいえ、まだまだ国鉄にも余力があったのか

さて地図でお分かりのように越美北線のホームはやや離れたところにあって西側の下りホーム側にある駅舎からだと東側にある越美北線ホームへは跨線橋を上り降りして上りホームに移動した後

上りホームの一番後ろ(福井駅側)から通路で移動する必要があります。この時は工事中で暫定通路のようになっていて現在の形は分かりませんが導線は新幹線開通後もあまり代わらないと思われます

向こうに見えるのが越美北線のホーム

ムニャムニャと進んで行きます

北陸本線の線路とはかなり離れています。そして越美北線のホーム

北陸本線ホームと比べると随分ノスタルジック

実際の私の行動は逆で越美北線に乗ってきたわけですから、越美北線を降りて北陸本線ホームと駅舎に進んでいます

福井へ向けて去っていくキハ120を見送ります

1面ホームと待合所だけの写真を見ると、とても北陸本線の駅とは思えません

まだ暑い季節でしたのて゜福井行きの電車(列車ではありません)を待っているとお客さんがゾロゾロと集まり始めました。この時間帯の北陸本線の福井行きは1時間に2本。電車の時刻に合わせてお客さんが駅にやって来る、よく見られる光景

ちなみに市販の時刻表には「越前花堂~福井間は越美北線と併せてご覧ください」と記されていますが、そちらの時間に合わせて駅に来られる方は少なくとも私の乗車列車にはいなかったようです。1日7本しかない上、北陸本線ホームと離れていて階段の上り降りまであるので、そちらに合わせる行動は、あまりないのでしょう

来春から三セク移管となる北陸本線ですが、越美北線はJRがそのまま運行予定。となると福井~越前花堂はJRの路線ではなくなるわけですが、青春18きっぷの利用についてはどうなるのか。金沢駅からの七尾線のように特例区間となる可能性が高いと思いますが

そして鳥居型のこれまた貴重な駅名標はどうなるのでしょう。越美北線ホームはJRということで、このままでいてくれればうれしいです

夏の青春18きっぷで芦原温泉~金沢の全駅訪問も行いました。しばらく間を置いて記事にします

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その9~今も印象に残るお酒のCM

3月24日16時20分

本日最後の下車

いつの間にか夕暮れが迫っています。本日の旅最後の訪問は大土呂

「おおどろ」と読みます。私はこの日まで「おおとろ」だと思い込んでいました。日本語の濁点というのも、なかなか難しくて、このシリーズで紹介した「今庄」も「いましょう」ではなく「いまじょう」。こんな有名な駅でも間違えられることが結構ある。「橋」「崎」とか他にもありますね。その意味ではワープロからスタートしたPCや携帯のワープロ機能というのは貢献度が大きく読みを間違うと変換しないので「なるほど」と気づいたりするわけです

駅舎は線路の東側にあって、ずいぶん前からの無人駅ながら西側への「救済」はなく東側に出るしかないようです。元々は2面3線だったようですが、中の1線が消されて2面2線となっています

 

私の写真が下手でコンクリ駅舎のように見えるかもしれませんが木造駅舎。こちらも福井地震の後に建て替えられました

今日見てきた駅名板は特徴あるものばかりでしたので、こういう無機質なものが新鮮。字体はどんなゴシックか分かりませんが

 

地図に注目

写真の駅舎内は閑散としていますが乗車した電車からは、多くの高校生が降り、また乗ってきました。今日は終業式ですかね。それでも夕方まで学校にいたのでしょう。写真は生徒さんが駅を去ってから撮りました

駅舎内には

文殊山までのデマンドタクシーの時刻表そして6年前の地元紙が貼られています

記事によると昭和20年代から30年代にかけては19人もの駅員さんがいて貨物列車も多く運行。駅前にはパチンコ店もあったとか。今は文殊山への登山口の役割も大きいそうです。文殊山は福井県のハイキングコースとして有名で、いろいろなアプローチがある中でも当駅からが最もメジャーなコースのようです

外に出てみます

ハイキングコースの地図とは別に周辺地図。開業前の北陸新幹線が既にイラスト入りで描かれているので新しいものですね

寺社仏閣が多い古い町なんだな、と眺めていると「宇野重吉生誕の地」がありました。名前を言っても分からない方が多いかもしれませんが、昭和の名優です。寺尾聰さんのお父さんと言えば分かりやすいかも。宇野重吉さんで私が思い起こすのは石原裕次郎さんとのお酒のCM。お寺の境内で裕次郎さんが和尚さんに分した宇野さんと酒を飲み交わす。当時私は中学生で日本酒なんてまだまだでしたず「しからば問う。裕次郎」が印象に残っています。今もCM動画は、何らかの形でどこかにある。私も久しぶりに見て細部を思い出しました。途中でお銚子のお酒が切れてしまい、ちょっとお茶目な裕次郎さんが格好いい

ちょっとノスタルジックな気持ちで帰路につきました。実は私が乗った敦賀行きは敦賀でほとんど時間なく姫路方面へと向かう新快速に乗り継ぐダイヤになっていて始発なんで、もちろん十分座れたのですが、さすがに朝6時半のサンダーバードでやってきただけに疲れました

本日分の18きっぷの元は十分にとったでしょう。いつも概算で2500円ぐらい使用したことが分かれば、すぐ特急課金をしてしまいます。敦賀駅でちょっと休憩。サンダーバード課金で帰路につきました。いつの間にか陽が長くなっていて春の訪れを感じました

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