青春18きっぷ

リベンジ岩徳線その3~豊臣秀吉も絶賛

勝間駅の駅名標

2022年12月28日8時20分

歴史を刻む

勝間に到着しました。もう8時半になろうとしているのに、まだ霧は残ります。霜はビッシリでホームの白いものは融雪剤だと思われます。それほど冷え込みが予想されたのでしょう

築盛の高台にある駅で見晴らしはいいのですが、お出迎えは今は使用されない向かいのホーム。現在は1面のみの使用

かつては2面だったということは、それなりの歴史があるわけで岩徳線の「初期」からのメンバー

今は立ち入ることができませんが、もともとのホームは長く山陽本線の駅らしいことが分かります

現在は平成の合併で周南市となりましたが、20年前までは熊毛町。その由来となったと思われる熊毛神社は至近

大内氏や毛利氏からも大切にされ、山陽道をたどって当地に宿泊した豊臣秀吉が「勝間」という地名を聞き「縁起の良い名前だ」と感心したという由緒ある場所。同日の設置となったお隣の高水駅とは駅間2キロちょっとと、当時としては短いのですが、駅の設置理由は納得できるものです

屋根まで撤去

高台のホームからは階段で外に出るのですが

外から見ると

こんな感じで実に寂しい。私は列車で到達しましたが、別の手段でここまでやってきたら大河内駅のように新設された単式ホームの駅かと思ったかもしれません

自転車置き場となっているあたりに、10年以上前まではJAの建物があり駅の待合室も設けられていたそうですが、今はなく周南市が設置した立派なお手洗いが建てられています(私的には大いに助けられたのですが)

さらに言うと事前に少し勉強したものとは何か違うというか違和感がある

その時は気づかなかったのですが、すでにJAの建物がなくなってトイレが建てられている最近の写真と比べるとホームに向かう階段にあった屋根が撤去されているのです

現在は階段を上った場所にあった駅名板は階段の入口にあり(同じものの流用かどうかは不明)、屋根をくぐる形で階段があったのですが、その屋根も撤去されている。そんなに古いものではないようですが、屋根までなくなると寂しくなりますね

それなりのにぎわいがあったと思わせるのはタクシー乗り場の存在。駅前が狭かったためか道路を挟ん向かいに設けられていますが、タクシーの常駐があるのかどうかは私の滞在時間では分かりませんでした

再びホームに戻ります。周辺は住宅街で、1日に300人ほどの乗降と、それなりの利用はある駅にもかかわらず、ちょっと寂しい気持ちになりました

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リベンジ岩徳線その2~「国鉄」の2文字

米川駅の駅名標

2022年12月28日8時

霧と霜の風景

大河内から岩国方面へ逆戻り。15分ほどで米川駅に到着しました

大河内にいた時から30分経過していますが、山中のためか霧が深い。霧の中にスーッと消えていく列車が幻想的な雰囲気です

写真で分かる通り、かつては島式の1面2線ホームだったようですが、今は片側のレールが撤去されて1面1線の棒状駅となっています

はがされたホームの向こうには、さらにスペースがあり貨物ヤードだったことがうかがえます。草木がうっすら白くなっているのは霜。かなりの山中で霧もあって遠くはよく見えない

国道2号線や山陽新幹線と寄り添うように走る岩徳線ですが、両隣の高水、周防高森では、駅近くを通る2号線は米川駅近辺ではいったん離れています。もっとも駅のすぐ南側を走る国道は玖珂駅、周防高森駅から一本道の県道で当駅の西側で高水駅そして山陽本線の光駅へと分岐する重要な道路となっていて、米川駅も岩徳線の全線開通時に山陽本線の駅として誕生しています。貨物ヤードがあるのも不思議ではありません

駅舎で思わぬ文字

駅舎は使用されなくなった片側のホームをふさぐように建っています。簡素なつくりです。駅前の規模から想像すると、かつては立派な駅舎があったと想像できますが、駅舎をチェックしていて思わぬ文字に出会います

財産票にある「国鉄」の2文字。各地で財産票を見てきましたが、国鉄と記されたものには、なかなか出会えません。ちょっとびっくり

昭和54年となっていますから1979年。民間移管へはまだ時間があるころ。ただこちらを参考にすると40年以上前の当時、すでに駅は現在の形になっていたことになります

「米川駅」の上に「米川駅」。文字が薄くなったので新たに貼り付けたのでしょうか

駅舎はそんなに大きなものではなく他の岩徳線の駅と同様、券売機が置かれています

あらためてかつてのホーム跡へ。レールがあった場所に、こうして電柱が建っているところを見ると確かにかなり以前から現在の形になっていますね

にしても真っ白な世界。幻想的と言ってしまえば素晴らしい景色ですが、現実の世界はというと、はっきり言ってめちゃ寒い

駅舎も入口と出口が吹き抜けになっているので、寒さをしのげるかというと、なかなか難しい

山口県内で見ることが多い出発案内。ただこの手書きのような字体は初めて見ました。これって故障しているんじゃないか?動くんなかぁ、と思っていたところ、けたたましく音がしてランプもピカリ。十分に現役でした。寒くて「早く(列車が)来ないかなぁ」と思っているところに心地よい音でした

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リベンジ岩徳線その1~厳寒の早朝

岩国駅で出発を待つキハ40

2022年12月28日6時15分

朝食もパスして出発

前回から約3カ月。早朝の岩国駅に私はいました。10月と同じように前日は呉線に乗車し呉~三原の全駅回収を完了。夜のうちに移動して岩国泊。10月の訪問時に回りきれなかった岩徳線の駅訪問を行います。今回は間違えられないのでホテルの無料朝食はパス

まだ6時すぎなので駅はまばら。今回手にしているのは青春18きっぷ。自動改札は通れず不便なことも多いですが、岩徳線では全く関係ない(笑)

先の写真でも分かるように岩徳線と当駅内を発車する錦川清流鉄道の案内表示は四角のふちに囲われています。山陽本線は次発、次々発も表示されるのに対し、本数が少ないのでその表示が必要ないからでしょう

慌てて道程を組み直す

岩徳線の時刻表。朝に特化したダイヤとなっています。前回訪問時の記事でも紹介したように沿線に住む高校生の通学に配慮していると思われる。5時発というのは通学には早すぎる気もしますが、これは山陽本線との兼ね合いで岩国発の山陽本線徳山方面行きは6時10分が始発。徳山に行く朝の一番列車は岩徳線となっています

ですから細かく駅を回っていくには早ければ早いほどいい。実は当初、考えていたのは5時58分発で道程を組んで「これで完璧」と4時半過ぎには起きたのですが、窓の外を見てふと気づいたのは「駅で降りても真っ暗ではないか」との疑問

私は日没後は駅訪問をしません。駅そのものの夜は、よいたたづまいをしているかもしれませんが、周辺の景色や雰囲気が味わえないからです。考えてみると前回は10月に入ったばかりでしたが、今は1年で最も日が短い季節となっています。というか真っ暗な山中の無人駅はちょっと怖いかも(汗)

ということで慌てて道程を組み直して6時38分発としました

季節の変化といえば、この時間は猛烈に寒い。今日の現地の天気予報は晴れで最高気温12度と穏やかな気候になりそうですが、晴れていると放射冷却で朝は冷えます

幸運なことに岩徳線ホームには暖房の効いた待合室があり

コンビニおにぎりで朝食。後からもう一人のお客さんが入ってきますが、おかまいなしにムシャムシャ食べていると列車が入ってきました

平日のみ運行されている岩徳線唯一の途中駅始発となる周防高森駅発の列車が折り返して徳山行きになるようです

早速乗り込むと早朝だけあってお客さんは少ない。18きっぷの季節とあって同業者(鉄道ファン)の姿も。もっとも私が降りる駅で彼らが降りない自信は100%あります

こちらも滑り込みの駅

約1時間かけて大河内駅に到着

この時間となると車内は混雑して立っている人の姿も。2両編成で出発したのも納得です。ただすでに冬休みに入っているので高校生の姿は部活の生徒さん以外、ありません

大河内は1面単式ホームのみの簡素な構造で生野屋駅と同日の1987年3月27日のJR移管直前に国鉄の駅として誕生しました

生野屋とほぼ々構造でスロープに券売機が設置されています

こちらが駅名標

駅は小さいですが駅前には立派な公園が整備されていてお手洗いも設置されています。冷え込む日に助かる

駅が設置されたのは付近に住宅街ができたからでホームからも、私とすれ違いに多くのお客さんが乗り込んできました。住宅街のための駅ですから、実は隣駅とも近い

線路でも1・4キロしかなく徒歩でも20分程度。地図を見ると住宅地に寄り添った駅であることが分かります。もっとも周防久保駅は前回訪問済みなので今回は行きません

再びホームに戻り、次の駅を目指します

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和田岬線の18きっぷは要注意

和田岬駅の駅名標

電化以来走り続け

西日本グリーンパスの旅の最中ですが、和田岬線について優先して報告させていただきます

7日朝、和田岬線に乗車してきました。過去数え切れないほど乗ってきましたが、103系の終了が発表されてからは初めてです

あえて徒歩経路を示してみました

正式には山陽本線の支線で1区間2・7キロという超ミニ区間。長らく非電化でしたが2002年のサッカー日韓W杯の会場が現在のノエビアスタジアムになったことで、その前年に電化されました。ただ現実には混乱するとのことで試合当日は運休したという逸話があります。ただしW杯に向けて電化したとは公式には発表されていません。現在もJリーグの公式ガイドでは最寄り路線とはなっていない。このあたりの話を書き始めると長いので別の機会に譲りますが、電化以来、ずっと走り続けてきたブルーの103系が3月18日に引退します

前後にそれぞれ別のヘッドマークを付けて現在運行中

東海道・山陽本線の普通電車は3両+4両の7両編成ですが和田岬線を走る電車は6両の変則編成

扇風機が回ることはもうなさそうです

ご覧のように車内のつり革広告部分にも惜別がズラリ

朝と夕方のみの運行で和田岬駅近くの工場や営業所、学校に人を運ぶことが目的のため朝と夕にしか運行されません

ですから、朝は和田岬行きが満員で兵庫行きがほぼ無人状態、夕方は和田岬行きがほぼ無人で兵庫行きが満員というのが特徴

朝の和田岬着の電車からはドッと人が降りますが103系の6両編成で本数はかなりありますから、ギューギュー詰めという事態にはなりません。昔の客車が牽引していたころは戦後の買い出し列車か、という光景が日々見られていましたが、市営地下鉄も開通した現在はそうではなくなりました

通勤に特化した路線ですので土日はグッと本数が減ります。今も土曜ダイヤがあるのが特徴で土曜はそれでも平日の17往復に対して12往復とそれなりの運行はありますが、日曜はなんと朝夕1往復の計2往復と地方の閑散区間もビックリの運行。もっとも地下鉄は終日走り続けているし兵庫駅からも30分程度で歩けます

青春18きっぷ利用者は要注意

1区間だけの路線ですので和田岬駅は無人駅で料金は兵庫駅の中間で集約して支払います。和田岬駅から手ぶらで乗車した場合は中間改札手前にある券売機で目的地までのきっぷを購入。兵庫駅で下車する場合は、まず中間改札にきっぶを通し、改めて駅の改札口から出ます

もちろんIC乗車券を持っている場合はタッチすれば抜けられます

と平時はこれでいいのですが、問題は自動改札を通れないきっぷの場合。今の季節だと青春18きっぷがそれにあたる

写真は過去のものですが中間改札は原則的に無人。この場合は左の青い機械のお世話になります。これはJR西日本の各駅で見かけるもので

こちらは別の駅のもの。きっぷを青い台の上に置き、インターホンで係の人を呼び出すと向こうで読み取って改札機を開けてるのですが、運が悪いとなかなか出てくれない時があってイライラ。過去何度か18きっぷのJR西日本都市部分の利用はおすすめしないと書いてきました

元々は「自動改札を通れないきっぷを持っている人はごく少数だろう」という前提の制度というか機械です。今回のようにドッと押し寄せてくる可能性についてはあまり前提となっていません。こちらのインターホン前で行列ができているのも私は見たことがない。いても先に1人。ただ自動改札を通れるはずのきっぷが通れない時のトラブルが生じた場合は思わぬ時間を浪費することもあります。このパターンには過去2回遭遇したことがあります

今回のようにひとつの小さな改札に人が集まる時は、時間がかかる可能性もあります。私が見ていても最大で3人の列ができていました

18きっぷ利用の方は早めに駅へ行きましょう

ちなみに運行時間帯以外はこのように中間改札は閉鎖され、ホームには入れません。また現在、和田岬線の両駅ホームにはJR西日本の社員の方がいます和田岬駅が無人であるのをいいことに悪いことはしないでくださいね

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~JR西日本区間そして、また来ます

9月9日12時

4時間の空白も不安なし

笹津駅前にあった付近の案内図。さすがに50年近く前に廃線となった富山地鉄の線路は描かれていませんが、往時を感じさせるものです

そして当駅の時刻表をといえば

11時21分の富山行きに乗ってきたので、次の富山行きは4時間後、猪谷行きも3時間半後と、おそろしく長い空白区間があることになります

ただ私に全く焦りはありませんでした。JRの時刻は分かっていて、それからのことをろくに調べもしていません。これが飛騨の山中だったら、いろいろな交通機関を必死で調べていてから下車したはずですが、ここはまず大丈夫

なぜかというと、富山地鉄の廃線跡だから。もう富山の市街地ともいえる場所なので、廃線後を担うバスがあるはずです

これは楡原の駅前で見たバス停。猪谷~富山を結ぶバスがあって、これだけの本数がある。きっと笹津も通るのでしょう

そして結果から言うと、私の考えは半分正しく、半分間違っていました

笹津駅前のバス停。1時間に1本の富山行きがあります。12時5分の富山駅行きバスまで45分の待ちです(※訪問当時のバス時刻表です)

駅舎は立派でお手洗いもあります。駅に着いた途端に雨が降ってきたのですが問題ありません。こちらの駅舎でしたら、原稿を書いている今の冬の季節でも大丈夫だと思います

バスに乗って富山駅へ向かいます

ただ後で分かったことですが、猪谷から出ているバスとは異なる路線のようで、猪谷からのバスは駅前を通らず国道41号を走って行くので、こちらのバス停から徒歩5分ほどの次の停留所まで行けば、さらにもうひとつの路線もあって1時間に3本ほどの便利な区間だったのです

JR西日本区間内でも温度差

全長225キロにもなる高山本線でJR西日本区間は36キロしかありません。全体の6分の1ほど。しかし、その中でも随分と温度差があります

こちらは婦中鵜坂の時刻表。明らかに笹津とは違う。特に7時台は高頻度です

これは運行形態を富山~越中八尾の17キロと越中八尾~猪谷の19キロで分けているから。前者の区間運転が設定されていて特に通勤通学時間帯は本数も多い。越中八尾以南の東八尾、笹津、楡原の3駅は停車列車がかなり少なくなります

岐阜から国道41号とほぼ並行して進む高山本線ですが、一部離れている場所もあり、笹津と富山の間は鉄道が旧八尾町を経由して迂回する形になるのに対し、国道は真っ直ぐ富山の中心部を目指します。富山地鉄笹津線は国道沿いを進んでいたわけで、廃線で地域の足がなくなることに対し、猛烈な反対運動が起きたこともうなづけます

ちなみに笹津~富山に限って言うと運行も多いバスは約50分、770円なのに対し、鉄道は約40分、510円とコストと時間では鉄道に軍配が上がります。ただしバスは富山の繁華街である総曲輪(そうがわ)を通ります。総曲輪は全国各都市で多く見られるように、JR富山駅からは若干離れています

富山駅に到着。13時前です

越中八尾は10年以上前に行ったのが最後で千里や西富山は降りたこともありません

適当旅らしく駅構内にある回転寿司で、今さらながら午後の作戦を練る。西富山の駅は路面電車で富山大学まで行けば十分に徒歩圏内だ、などと調べていると電話が鳴って家で緊急事態の報告。すぐ帰宅しなければならなくなりました

ついているというか、ついていないというか、これが山中の無人駅だったら、すぐ帰ろうにも帰れないところでしたが富山駅にいるので、すぐに帰れる

予定外でしたが早い時間に北陸新幹線のホーム

まだ明るいうちに大阪駅到着となりました

高山本線は地形上、たびたびの豪雨被害に遭ってきました。その度に懸命な復旧工事が繰り替えされています。過去には電化の計画もあったようですが岐阜市近郊も未だ単線非電化のまま

私が降りたことのない魅力ある駅舎も、まだあります。次回は計画を練って訪問したいと思います

これで夏の青春18きっぷの旅は終了です

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~2度の廃線を経験した駅

9月9日11時20分

貴重な遺産を次々と

楡原から1駅富山側に戻って笹津で降りました

ホームは1面2線。ホーム上の待合所で発見したものが

鉄製の案内板。今やあるようでないものとなりつつあります。長年の排煙を受けているようですが、こちらはまだまだ使えそう

駅舎へは跨線橋で向かいます

かつては跨線橋にも、このような文字が描かれていました。最近見る機会が少なくなっています。私が見落としているものもあるかもしれませんが、直近だと中央本線旧線の辰野支線、川岸駅(長野県、今年10月)

昨年までさかのぼって和歌山線の粉河(和歌山県、昨年7月)

こちらは明朝の渋い案内文字付きですが、これぐらいしかありません

ただ笹津駅のものは、かなり危ない感じがします

広い駅前とピカピカな駅舎

跨線橋を渡って駅舎に行くと

無人駅ですが立派な駅舎が建っています

旧駅舎は大正期のものでしたが、2000年代に入って現駅舎となりました

コミュニティーセンターにもなっているようです。そして駅前ロータリーは広い

国鉄の高山本線がここまでやって来たのは昭和初期のことです。ではなぜ旧駅舎が大正生まれだったかというと、富山鉄道の駅だったからです

笹津は岐阜県の神岡鉱山から神岡鉄道により鉱石が運ばれる拠点となり、その際に富山鉄道の笹津~富山が敷設されました。しかし高山本線ができたことによって鉱石輸送はそちらが中心となり、富山鉄道の路線は廃線

しかし復活を望む声は廃止当時から多く、戦後になって新たに富山地方鉄道の笹津線として当駅~南富山が新たに開業。ただ今度は自動車普及による波で実績が低下。当時は全国的に軌道線が車の邪魔だという時代で75年に廃線となりました

笹津駅のやや北側に消防署がありますが、地鉄の笹津駅はここにあったようです。つまり現在の笹津駅は、かつての地鉄の跡地に建てられています

ホーム側から跨線橋を経た駅舎への導線はこんな感じ。妙なスペースに不自然さを感じるのも、駅前ロータリーの広大さに違和感を覚えるのも、そのためです

こちらもホームから見た裏側。奥の白い建物が消防署で手前が現駅舎。並んでいるのが分かります

また高山本線で富山方面へと向かうと車窓右手の草むらが分岐していく様子が残っていて廃線跡だと伺えます

帰ってから調べたことですが、廃線跡の痕跡は、あまり残っていないものの、12キロという手頃な距離だからか、南富山~笹津のウォーキングイベントは開かれているようです

駅舎内には地元紙が張ってありました。廃線は全国で見られる姿ですが、2度の廃線というのは、なかなかないことだと思います

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~難読というより難文字

9月9日10時50分

高台の駅

ギリギリ乗れた婦中鵜坂から30分

キハ120は楡原駅に到着です

こちらも読むのが難しい。難読駅には2種類あって、簡単な文字ながら思わぬ読みをするものと漢字そのものが難解なものに分かれますが、こちらは後者です

今は富山市となっていますが、十数年前まであった細入村の中心駅。楡原は地名です。特急停車駅である猪谷も細入村でしたが、役場があったのはこちらで駅前も開けています。猪谷の隣ですが区間距離は7キロとかなり長い。高山本線し神通川に沿って敷設されていて、このあたりまで来ると町がパーッと形成されてきて飛騨山地から出てきたというイメージとなります

付近は盆地となっていて背後の景色でも分かるように、婦中鵜坂あたりとは違って山間の町となっています

じっくり駅名標を眺めてもやはり、なかなか書くのも難しい

駅は高台にありスロープまたは階段で駅舎に向かいます

駅舎はJR移管後に改築されたかわいいもの。背後にホームに向かう階段が見えます。階段を使いたくなければ右手に見えるスロープでも可能。駅舎の時計が微妙に進んでいて、ちょっと焦りました

撤去された線路と撤去される待合所

さて、その階段ですが実は2つあります

ひとつは完全に塞がれています

再びホームに戻ると、現在のホームの向こう側にもうひとつホームがあることが分かります

かつては2面2線の交換駅だったものが単式ホームにされ、と同時にもうひとつのホームに向かう階段も入れなくしたのでしょう。2面ホームというのは構内踏切や跨線橋で結ばれるものですが、高台のカーブ状にホームは設置されています。駅舎から、それぞれのホームへと階段で向かい、いずれも屋根付きという、なかなか珍しい構造だったのですね

そのホームには

こちらはかなり年季の入った待合室が設けられています。駅舎ももちろん待合室として利用できますがホームにもしっかりと待合所があるという、なかなか親切な構造。入ってみようとすると

……

……

なくなるようです。しかも3日後の話。老朽化に伴うものでしょうか。これを書いている時点では、とっくになくなっていることになります。ホームの待合所撤去も各地で見られます。当然知らずに降りたのですが、間に合ったという表現が正確なのかどうかは分かりません

待合所の内部。この時期はあまり使われていなかった感じですが、歴史の証人がひとつ姿を消したことになります

当駅滞在は20分ちょっと。猪谷から折り返してきたキハ120に乗り、再び富山方面へと向かいます

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~先生お願いしますよ(泣)

9月9日9時55分

絶対行く駅へ残り20分での徒歩移動

今回、絶対行く駅リストの最後となるのは婦中鵜坂です。駅舎も何もない棒状駅ですが、高山本線で最も新しい駅で、なおかつ駅設置への課程も興味深いので、ぜひとも訪問したい駅です

現在いる速星のお隣なんですが、時刻は10時前。婦中鵜坂に向かう富山行きは1時間半後。それは待っていられない、というか私としては再び高山方面へと向かいたい。まだまだ行きたい駅はあります。となると、婦中鵜坂発10時21分に乗らなければなりません。もう30分もないのですが、任せておいてください。作戦は万全です

線路に並行して真っ直ぐ道路があります

駅間距離はわずか1・7キロ。グーグルマップによると1・8キロ、徒歩での所要時間は22分となっていますが、20分以内で歩けるでしょう。しかも道路はほぼ平坦で広い。迷うこともないので10時10分ぐらいには到着できるはず。速星の駅前にはタクシーもいますが乗ると怒られそうな距離。鼻歌交じりで歩き始めます

社会実験からスタート

婦中鵜坂は「ふちゅううさか」と読みます。速星駅が旧婦中町の中心駅だったことは前回の記事で説明しましたが「婦中」という町名の駅は存在しませんでした。「鵜坂」は、もっと前にあった村の名前。いわば2つの自治体名が駅名として復活したわけです

元はというと高山本線の利用を喚起しようと富山市が始めた活性化の実験として臨時駅として2008年に富山市が経費を捻出して設置しました。臨時駅というか実験駅です。3年間様子を見る、ということになっていたのですが利用者は3ケタになり、3年が経過しても臨時駅のまま存続。さらに3年後の14年に正式駅に昇格しました。高山本線の新駅は約60年ぶりのことでした。利用者は順調に増え続け2019年には500人近い乗降がある駅となっているので十分に成功です

富山までは、わずか2駅、10分です。中心部への近さが成功の原因ーと、ここまではあくまでもデータとして知っただけなので、これはローカル線の駅の貴重な成功例として周辺も含め見ておきたいところです

なにゆえ分岐点が?

徒歩の方は順調で、右手にある野球場を見ながら「社会人野球の日産化学のグラウンドって、ここなんかなぁ」などと考えていると北陸道の高架をくぐり、踏切のある大きな道路に出ました。駅はすぐ向こうのはず。この時はナビタイム先生の導きでしたが、踏切を越えると線路の逆側、つまり線路の東側を歩いてきた道を西側に行けという、お達し。写真を見ただけですが、駅は1面1線棒状駅なのでホームはそちら側にあるのかな、という認識。住宅街の中の線路沿いの道をどんどん歩いていきます

と、チラリ駅のホームが見え始め

ホームは逆側(つまり最初歩いてきた道)やん!

これは焦りました。ナビを見ると最後は点線で線路を越えて駅に行くことになっています。これは不安。立ち止まってしばし思案。何か地下道があるのかもしれませんが、もしなかったら…

10時21分の次は12時31分の越中八尾行き。つまり2時間待っても猪谷の手前で終わりです。猪谷行きはとなると14時26分と4時間後で、お話にならない。既に富山市の市街地なので脱出はできるでしょうが、とにかく先生を信じるのはリスクが高いと判断。来た道を引き返して小走りも交えながら、ホームがある方向に進んでいくと

駅への通路が見えてきて(最初の道を真っ直ぐ行くと向こう側に出たことになります)

何とか到着。10時18分。3分前でギリギリセーフ

高山の朝は肌寒いぐらいでしたが、すっかり平野部に降りています。当然汗だく。ただ運が悪かったというか何というか久留里線の平山駅の時とは異なり、ホームには先客あり。スマホを触っていた若いお兄さんに「何だ?このゼーゼー言ってる汗だらけのオッサンは」といぶかしげな目で見られました。まぁ、そう思いますよね

とりあえず駅名標は必要だと写真を撮っていると、もう列車の音が

でも良かったです。勝手知ったるキハ120で。こちらは遠くで音がしてから、なかなか姿を見せないことを私はよく知っている(笑)。ホーム上は少しウロウロできましたから

ということで駅の周辺を見ることもなく出発しました

ちなみに最初のコースで来ると、右側に来ます。「勝手踏切など造らせないぞ」という強い意志を感じます

ただ今回掲載したグーグルマップもナビタイム先生と同じ指導をしています。もちろん最後は「…」で(それが不安なのです)

確かにホームの逆側が住宅街となっていて住民の皆さんは遠回りをしては不便きわまりない。古い駅だとよくあるのですが、臨時駅を含め、わずか20年前のことなのに近道を造らないままにするのかなぁ、しかし入れそうなコースはなかったなぁ、そもそも簡単に真っ直ぐ進む道路を指示するべきではないのか、などと独りごちながら列車に揺られていました

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~意外と普通に読む広大な駅

9月9日9時50分

キハ120も混雑

都会の電車にしか乗ったことが地方ローカル線に乗って、まず驚くのが単行(1両編成)運転の列車があることとボタンを押さないと開かないドアだそうです

もっとも後者については空調維持のため都会でも違う形で導入されていて、普通の待避が多い阪神の新型車両では車掌さんがすべてのドアを開けるものの、停車中は乗客がドアを閉められるようになっています。真夏とか真冬とか助かるのですよ。ただ見ていると、まだまだ定着とはいかず、ドアをプシューッと開けて入ってきたお客さんが閉めずにシートにどっかり座り「寒い」とばかりに他のお客さんが閉めるシーンがよく見られます。私も閉める側によく回りますが嫌みのように思われているかも

さて単行(1両編成)運転の代名詞のようになっているJR西日本のキハ120。間違っていたら申し訳ないのですが、高山本線では2両編成となっているようです。なかなかやるじゃないか!

その2両編成のキハ120。富山に向かうにつれ、お客さんがドンドン乗ってきてキハ120名物(と勝手に私が思っている)のボックス独占は、ままならない状況に。青春18きっぷ最終盤で、明らかに同業者と思われる人もバッグをひざに載せたりと慌ただしい

私は富山まで行かず速星で下車。猪谷から約40分。もう富山までは3区間で10キロもありません。旧婦中町の中心駅。文字だけ見ると「何て読むのか」と、いろいろ考えてしまいますが、ご覧の通り訓読みを並べて「はやほし」と普通。全国の難読駅を見ている人こそ引っかかる、ある意味難読駅かもしれません。地名で駅から近い速星神社にちなむようです

地図でも描かれているぐらい大きな構内、多くの側線を持ちます

高山本線では貴重な駅

これは隣接する日産化学の工場につながるもので当駅は今も現役の貨物駅。そして現在の高山本線では唯一の貨物列車が運行されている路線となっています。高山本線においては貴重な駅

駅舎は

歩行者用の屋根が設置されていて少し分かりにくいですが、1927年(昭2)からの開業時のもの。駅舎の広さも維持されています

指指確認の文字は古そうです

みどりの窓口あり。富山中心部へのベッドタウンで利用者は増加傾向。一部の特急も停車する乗客4ケタの駅ですが、みどりの窓口については危うい状況のようです

立体型というか駅舎から少し飛び出る形の表示がいいですね。というか「全線きっぷうりば」をずっと見てきたのでJR西日本区間に入ったことを実感します

立派な駅名板。書かれた方の署名があるようですが達筆すぎて読めず。すいません

駅舎内の待合も立派です。冬場は大いに助かりそう

せっかくテレビまであるのだから、これならいくらでも時間をつぶせそうですが、あるあるというか、こういう時に限って時間がない。事前に決めた「どうしても行く駅」がある。列車はしばらく来ないのですが、とにかくそちらに向かいます

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~キハ120で「いつもの」旅

9月9日9時

JR東海から西日本へ

昨日に続いて猪谷にやって来ました。ただ今日は強制乗り換えのためです。社境の駅なので普通については運行が分断されます

背後の景色を見ると飛騨山地を抜けてきた、という気分になります

私が前日乗車した列車は先に行けませんでしたが原則的には富山側からも高山側からも乗り継ぎができるダイヤとなっています。すぐ発車の場合もありますが私の乗車列車は15分ほどの乗り継ぎ時間がありました

当然ながら国鉄時代は社境をまたぐ列車が運転され、JRになっても猪谷をまたいでいて、昨日も紹介したJR移管後1年の1988年時刻表によると富山側から高山を目指す列車は乗り継ぎが設定されていないものを除くとすべてが直通運転。高山側からも乗り換えがあるのは1本だけです

そして普通の本数については今とあまり変わらないことに気付きます

ローカル線の過去の時刻表を見ると、以前の本数の多さに驚かされることがしばしばで1日3往復と閑散区間の代名詞のようになっている芸備線の備中神代~備後落合は当時(多いか少ないかは別としても)8往復が運行されていました

現在高山~猪谷は1日8往復で、うち猪谷で富山行きにスムーズに乗り換えられるのは6本(少!)ですが、88年のダイヤも富山発が6本、高山発が8本とほぼ同じ。むしろ岐阜から富山まで直通する優等列車が急行の2本だけしかなく、後は鵜沼から名鉄に入る特急北アルプス(懐かしい)があるだけなので、4本の特急が富山まで直通する現在の方がむしろ本数が多いと言えます

本線だけど地方交通線

「本線」を名乗りますが高山本線は地方交通線です。本州にある本線では唯一の地方交通線です。全長225キロと東海道本線だと東京から掛川あたりまで行っていまうので、なかなかの距離。日本海側から(岐阜を経由して)太平洋側まで抜ける鉄路は重要で大正時代の1920年から工事が始まり、山間部の狭路を通す難工事ながら、たった14年で全通しました

戦後に車社会の波が押し寄せ、各地の山間部ローカル線が苦戦する中、高山、下呂を筆頭に特級の観光地を持つため、一定の需要があります。また岐阜近辺と富山近辺では、それぞれ通勤通学の足として多く利用されています

岐阜近辺の利用者を見ていると複線電化してもいいのではないかと思えるぐらいですが、全線が単線非電化。特急の運行もあるため多くの駅ですれ違いが可能な構造となっています

マイカーですか

さて前日、猪谷まで乗車した時のこと

猪谷直前の車内の様子ですが、お客さんの少なさを言いたいわけではありません。猪谷から先は乗り継ぎがないのですから、こんなものでしょう

言いたいのは車内。まるで大都市圏の電車に乗っているかのようです。JR東海のキハ25ですが、とてもじゃないけど、1日8本のローカル線という感じではない。乗り心地も大変良い。気動車の感じではありません

それもそのはずで、つい先日まで名古屋市内まで通勤通学の足として多くの利用者を運んでいた武豊線が電化されたことで、その列車がゾロゾロと高山本線にやってきました。編成上、単行運転というのはありません

これから乗るのはキハ120。JR西日本のローカル線ではおなじみです。キハ25はこの世に登場してまだ10年ちょっと。キハ120は30歳ぐらいで、ちょっと年季が入っています

こうして並ぶと、若干若さの違いを感じますか

もっとも私にとっては乗る機会が多いキハ120の方が青春18きっぷの際は落ち着くといえば落ち着く。このあたりは個人の感想だけの話

カーテン、ボックス独り占めなどなど、私にとってはなじみの光景

気動車独特の音とともにJR西日本区間を走り始めました

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