旅名人の九州満喫きっぷ

復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~路線内で最も新しい駅はガラス張りのおしゃれな駅舎

※訪問は2025年8月26日

アクセス向上のための請願駅

白川水源を後にして南阿蘇白川水源駅へと向かう。前記事でも記したが、白川水源へのアクセス向上のためにできた駅

なにゆえグーグル地図が広い道路ではなく狭い道路から遠回りするコースを選択するのか不明だが、普通に進めば、写真のように広い道路から駅舎がすぐ分かる。すぐ分かるぐらいなので周囲はほぼ農地。阿蘇白川駅から徒歩15分かかっていた白川水源への道程を5分にしてくれる駅は南阿蘇村による請願駅だ

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待ちに待ったお昼はあか牛

当駅の開業は2012年(平成24)3月。南阿蘇鉄道では最も新しい駅。観光名所の白川水源へのアクセス向上を目的に南阿蘇村が3500万円という費用を負担した請願駅。南阿蘇鉄道の半数以上の株主が南阿蘇村とはいえ、3500万円は太っ腹な出費である

築10年ちょっとだけあって、なかなかおしゃれな駅舎だ。大きな駅名板は最初の写真の場所からでも駅を確認できるからだろう

ガラス張りの駅舎内にはレストランが入店しているが、張られていた8月の開業日を見ると週末とお盆という観光客の多い日だけのようで、この日はお休み。もっともこちらについては覚悟ができていた。緩やかな坂を昇って再び白川水源の方へと足を向ける。周辺は観光地なので食事はできる。まず目についたのはラーメンだったが、いくら熊本がラーメンとはいっても、この炎天下ではさすがに堪える。そこでせっかくなのだからと奮発してステーキ丼

阿蘇といえばあか牛。それなりのお値段はしたが、ギッシリ敷きつめられたステーキが絶品。わさびにタレ、塩と3種類の楽しみ方があって、後は自分の好みのタイミングで半熟玉子を入れる。そしてステーキに別の意味で味付けとなったのが、実に美味い水。提供されるのは白川水源の水で、先ほど味わったばかりの水を、まさに駆けつけ1杯いや2杯も含め、コップで5杯も飲んでしまった。実に満足

思わぬ出会いに驚き

再び駅へと戻ってきた。すると駅舎内に思わぬ変化。ガラス張りの当駅はとてもおしゃれで美しいのだが、ガラス張りだけに陽当たりが良すぎて最初に入った瞬間「この季節は屋内に長居は無理」と思うほどの暑さだったが、入ると空気が全く違う。休業日の仕込みか整備かは分からないが、レストランの方がいつの間にか来て作業を始めている。そのタイミングでエアコンが稼働したようだ

駅舎内には国鉄時代の写真などが掲げられていて、昭和47年~昭和48年とあるが、駅名標の前で元気にポーズをとる子どもたちは、おそらく私とほぼ同年代で、今は何をされているのだろう、と思ってしまった

そんな感慨にふけっていると列車の接近注意音が鳴り、この時間にやって来る列車はないはずだと思っていると

やって来たのはトロッコ列車。今日は運行日でないことは確認していたが、試運転だろうか、と眺めているとお客さんが乗車している。団体さんにしては人数が少ない気もしたが、少しの時間停車して乗務員の方による説明が行われていたので、貸切での運行だったのか。ただホームでぼんやりと説明を聞いていて気付かされたのは

田んぼにたたずむワンピースのキャラクター。沿線では随所に登場するが、それについては以降の記事で説明していきたい

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~車内ガイドで水温14℃白川水源の場所を知る

※訪問は2025年8月26日

白川水源の元の最寄りは阿蘇白川

阿蘇白川駅から村道に出たところ。ここはおそらく旧国道(国道は現在立派なバイパスとなっている)だが、「白川水源 800メートル」との案内がある。ここから白川水源を目指す

地図を見れば一目瞭然だが、白川水源の最寄り駅は南阿蘇白川水源駅。ただこちらは2012年開業と新しい駅で、長らく阿蘇白川駅が白川水源への最寄りだった。これから徒歩で白川水源へと向かい、阿蘇白川駅訪問も果たすつもりだ。白川水源は観光地なので食事をする場所もあるだろう。2時間もあるので十分だ

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当初の予定にはなかったが

白川水源への訪問は当初予定になかった。というか、どこにあるのかも知らない。白川水源を名乗る駅があるので、そこから近いのだろう、という感覚だ。予定になかったのは当然で、飛行機が早着しなければ訪問の時間はなかった。そして南阿蘇鉄道の車内での乗務員さんの案内が大きい。「あそこに見える青い屋根のあたりが白川水源です」。南阿蘇鉄道では沿線や駅についてのガイドが入る。つまり車内で白川水源の場所を知った次第。もちろん白川水源へは南阿蘇白川水源駅の方が近いが、ダイヤの関係や当初は阿蘇白川駅のカフェに行くつもりだったので、阿蘇白川駅まで行って下車した。どちらにせよ、この1区間は歩く予定だった。要は食事場所が白川水源付近に変更されたということ

さて、駅訪問の記事ではサムネに駅名標の写真を置くことが多く、そこで気付かれた方もいるかもしれないが、南阿蘇鉄道の駅名標には必ず標高が入っている。高原を行く鉄道らしい

ご覧のように約500メートル。さすがにこの季節、高地といえどもかなり暑いが、心地よい風が吹いていて日陰は涼しい

15分ほど歩いて白川水源の入口に到着した

冷たい水が何よりの癒やし

入口は白川吉見神社の参道も兼ねている

環境を守るために100円の入場料(協力金)が必要だということ。もちろん喜んで払います

そして白川水源へ。写真は人の姿が一瞬消えてタイミングを見計らって撮ったが、実際は人がいっぱい。入口近くの駐車場には団体のバスも停まっていた。平日でこれだから週末はもっとにぎわうのだろう

ご覧の通り、ひしゃくですくっていただくスタイル。中に入るのはもちろん、手足をつけるのも禁止。耐水性のカメラを浸けるのも禁止である

ということで早速すくってみた。ここでは毎分60トンもの阿蘇の水が湧き出していて水温は年中14度だという。手で触れるとひんやり。徒歩で汗をたっぷりかいたため、ひしゃくで頭から水をかぶってみたかったが、周囲を見渡すとやっている人がいなかったので自粛。その代わり、両手にかけてみた。こんこんと冷たい水があふれる景色と冷涼な空気だけでも十分に癒やされるが、この冷たさにはさらに癒やされる。初めて来たので四季ごとの感覚は分からないが、14度の水はおそらく冬場はとても温かく感じるのだろう

当地では古くから水に対する信仰があったとされ、神社へお参り

私はペットボトルの水を持参していたので、そちらを飲み干してから、こちらの水のお世話になったが、容器は現地でも販売している。台車の持ち込みは禁止されているが、毎分60トンなのでくみ放題でもある

この後、駅に降りる度に周辺案内図を見ると各所に水源がある。その数は16にもなるとか。アクセスや現地の環境はさまざまだのようだが、とにかく来て良かった。そう思える寄り道は、列車内の案内があってのもの。きっかけをくれた南阿蘇鉄道に感謝である

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~山中の時計台駅のカフェでひと休み…

※訪問は2025年8月26日

幸運に感謝しながら

見晴台駅から立野方面へと折り返して阿蘇白川駅で下車。時刻は10時38分。当初の予定だと立野どころか、11時48分の列車に乗るべく、まだ肥後大津で待機中。「まだ」というより「まだまだ」だ。早めに着くのだから荷物をホテルで預かってもらって…などと考えていたが、飛行機の5分早着は本当に幸運、強運だった。全9駅(立野をのぞく)の南阿蘇鉄道において、もう2駅目なのだから、これは大きい

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他の国鉄駅との重複を避ける

時計台を持つおしゃれな駅舎を有する阿蘇白川だが、こちらは三セク移管後のもの。開業は1928年(昭和3)と、5つだけの国鉄高森線時代からのオリジナル駅のひとつ

当時は白水(しくすい)村に所在。白川とは明治の町村制施行まであった白川村のことで、この後出てくる白川水源など、当時からの地名は今も残る。駅名に旧地域名が入れられているのは、東北本線の白河駅と文字は異なるが読みは同じなので、気配りしたと思われる

2005年の平成の大合併で南阿蘇村が誕生して白水村は自治体としては廃止されたが、当駅は村の代表駅で役場も当駅近くに置かれていた

駅舎も開業時からの木造駅舎が残っていたが、南阿蘇鉄道に移管されて現在の姿に。木造駅舎を廃して新たにおしゃれなとんがり屋根の時計台付き木造駅舎を建てるあたり、新出発に向けた気概を感じる

駅舎にもミニ駅名標が張られている

単式ホームからの雲が美しい

時間を使うには

さて朝の時間帯を過ぎると南阿蘇鉄道はローカル線あるあるで、運行本数がガクンと減少する時間帯に入る。先述した通り、私が降り立ったのは10時38分だが、次の高森行きは12時34分(これが元々乗乗車予定の列車)、立野行きは13時00分と2時間もの空白がある。奇跡的な乗継ぎでここまで来たが、元々はたっぷり時間のある肥後大津駅で11時になったら飲食店も開くので、そこで昼食を済ます予定だったが、それはできなかった。肥後大津駅付近にはコンビニもあるが、もちろん買い物の時間はなかった。朝7時台の飛行機に乗るべく、摂った朝食は5時過ぎの牛丼店朝食なので、さすがに何かお腹に入れたいところだが、これについてはさすがに列車内で調べた。当駅にはカフェが入居しているのだ。駅舎を利用した飲食店は他駅にもあるようだが、営業時間が不明。ただこちらは平日もオープンしているようなので「朝からやっているのかな」などと思いながら、あらためて駅舎に入ると

あるある。これでひと安心と思いきや

なんと本日は火曜日だったのだ。下調べができていない私が悪いのだが、ピンポイントで1週間あるうちの7分の1を引いてしまうとは

ただ私には今回ばかりは「プランB」がある。2時間もの時間を有効活用する方法

駅前通りを進んで振り返ると、大いに目立つ美しい駅舎が見えた。炎天下ではあるが、ここからは徒歩である

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~予備知識なしで降りて「オンリー」自販機にビックリ

※訪問は2025年8月26日

時刻表の都合で最初の訪問駅に

豊肥本線からの直通列車なので始発駅である立野での乗降はしなかったが、南阿蘇鉄道となる立野から30分で終点の高森手前となる見晴台で下車。JRから線路を引き継いだ三セクにも、いろいろな規模があって、南阿蘇鉄道高森線は、わずか17・7キロしかない。だから全線乗車しても30分程度。総距離が短いからこそ熊本地震からの復興がかなったのだともいえる

そしてタイトルにもある通り、当駅については何の予備知識もなく降り立ったことをまず断っておく。単に時刻表の都合で最初に降り立った駅となった。ここからの文章では後に私が調べたことも含めながら駅の紹介をしていきたい

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三セク移管後の新駅

見晴台駅は1986年(昭和61)の開業。同年4月に三セク移管された後の11月に設置された。同日開業した加勢駅と並んで南阿蘇鉄道の一期生の駅である

三セクの新駅というのは隣駅との距離が短いことが多いが

終点の高森駅までは大した距離ではない。後に出てくるが、もともとは湧水トンネル公園付近に高森駅が設置される予定で、暫定的に現在の場所に設置したおかげで駅前で大きくカーブしている。結果的に暫定的な駅は恒久的な駅になってしまい、そのおかげで見晴台駅から高森駅へは線路をショートカットするように歩けばいいし、そもそも当初の予定通りに高森駅ができれば、あまりにも距離が近すぎて新駅は造られなかっただろう

しかし地図を見ていただければ分かるが、駅の場所は住宅地や市街地ではなく農地だ。実際に駅で降りても周囲に民家は少ない。なぜそんなところに、と思われるかもしれないが、駅名の通り景観を誇る駅だったのだ

こちらは駅前からの景観。実に美しいのだが、この美麗さをウリにしていた駅だったのだ

開業当初、当駅は屋上が展望台になっていた。駅名は特に地名ではない。後に老朽化を理由に現在の建物となったが、屋上というのは維持に手間がかかるものなので、利用者数や訪問者数が合わなかったのかもしれない。熊本地震前のデータでは1日の利用者数は、限りなくゼロに近い1だったという

暑さゆえに

こちらはホーム側から見た駅舎。駅舎に入らずとも出入りできるようになっている

私が当駅に滞在できる時間は20分。外の写真は撮ったので、駅舎内を見る前に暑いので何か買おうと駅舎横に設置されている自販機に近づいてみて驚いた

なんと「午後の紅茶」一択。自販機の定番であるミネラルウォーターもお茶もない

首をひねりながら駅舎内に入ると理由が分かった。ポスターや説明文があった

この駅は午後の紅茶のCM撮影地だったのだ。熊本地震からの復興支援として当駅周辺で上白石萌歌さん主演のCMが撮られ、自販機はセットの一部として設置されたものが、そのまま利用されているものだという

上白石萌歌さんといえば、同じ九州の島原鉄道

大三東駅でのキリンレモンのCMについては、それを知った上で訪問したが、午後の紅茶については認識がなかった。CMでの歌は印象に残っているが、当駅だとは知らなかった

こちらは駅舎内。CMは2016~2018年のものだが、その時に存在を知った人の訪問は今もあるという。当駅で下車したのも乗車したのも私1人だったが、乗務員の方にはもしかすると、そのように見られていたのかもしれない。単に私が無知だっただけとはいえ、降りてみて初めて得た知識は、いつまでも記憶に残るものである

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~単行の直通列車はすし詰め状態

※訪問は2025年8月26日

必ず乗り換えの発生する要衝駅

あらためて肥後大津駅。すでに当駅始発の南阿蘇鉄道直通の列車が待っている

発車の10分以上前に駅に着くことができたので無事に「旅名人の九州満喫きっぷ」を購入。5月に九州を訪れ平成筑豊鉄道から田川井田経由で日田彦山線BRTに乗車した時にも利用したが、九州内の私鉄、三セクに乗車する際は本当に便利なきっぷである。ただし、これを買うということはこの旅行では九州新幹線をはじめとする優等列車には乗車しないということを意味する

その肥後大津駅の駅名標がこちら(撮影は2023年)。町名の由来について記されているが、初めて来た時に滋賀県の大津が地名の由来と知って驚いた記憶がある

そして当駅は電化、非電化の境界駅となっていて豊肥本線は熊本から当駅までが電化、当駅以遠が非電化となっていて特急以外の列車は必ず乗り換えが発生する。つまりすべての普通列車は当駅が始終着となる

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大きく異なる運行本数

そして肥後大津の時刻表がこちら

一目瞭然で運行本数が全くことに気付く。赤文字は特急なので、それを引いて考えると熊本に向けた電化区間は昼間でも1時間に2~3本の運行があるのに対し、阿蘇から大分方面については、昼間は2時間以上、普通の運行がない時間帯がある

それ無理もない話で2駅先が立野駅

これから乗車する南阿蘇鉄道の分岐駅そして豊肥本線はここからスイッチバックで山岳地帯を行く。つまり人口の少ない場所に入っていくのだから、列車の運行が少なくなるのも自然な流れである。逆に言うと肥後大津駅前のにぎわいを見ると、2駅先がスイッチバックとはとても思えない

あらためて時刻表を目にしていただくと、私がこれから乗車する9時26分を逃すと次は11時48分。その間に特急も走っていて、こちらは立野にも停車するのだが、立野で南阿蘇鉄道に乗り継ごうとすると、そちらの運行がなく、11時48分に乗車するのと同じ結果となる。飛行機早着の恩恵は本当に大きかった

突然にぎわう車中

2023年7月の南阿蘇鉄道全線復旧によって肥後大津からの直通列車が設定された。朝に2往復。これは朝の通勤通学で熊本市内方面に向かう人の利便性を高めるもので、9時26分発とは随分遅いと思われるかもしれないが、南阿蘇鉄道の終点である高森駅を出発するのが8時25分で肥後大津着が9時8分の折り返し。通学の時間帯は終わっているが、午前中に熊本に向かうという点では寄与している

もっとも朝の行動のピークとなる時間帯は終わっているので下りとなる高森行きは発車まで10分を切っても車内はこの通り。全くの貸切だ。これは楽しく過ごせそうだと思っていたら、熊本からやって来た9時24分着という高森行きへの乗継ぎ電車が到着すると、車内はあっという間に満員状態に。乗車している間に分かったのだが、台湾からのお客さんで軽装ぶりを見ると熊本市内に宿があって、ここまでやって来たようだ。アテンダントがいるわけでもないのに、うまい具合によく乗継ぎができるものだと感心していたら隣に座った方がスマホで帰りの乗継ぎを調べている。もう20年ほど海外に行ったことはないが、妙に納得してしまった

とにかく車内はすし詰め状態で正面は人しか見えないし、身体をひねって車窓を見ることもかなわない。終点高森の手前である見晴台までこの状態で向かった

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~飛行機早着という5分の奇跡からスタート

※訪問は2025年8月26日

あきらめから一転

大阪空港の熊本行きに乗り込む。ご覧の通り、7時45分発

バスで飛行機の手前まで運ばれる形式。JALの場合、伊丹空港から地方に向かう便は結構この形式が多い。ただこの時点で私はため息まじりだった

飛行機を予約したのは2カ月も前の話だが、とりあえずは深夜零時からのタイムセールに参加し、朝一番の便を押さえたものの、これだと現地での乗継ぎが悪く目的である南阿蘇鉄道に乗車するために2時間もの待ちが出てしまう

その時間をどうやり過ごそうと思案していたら、なんと奇跡が起きた

時刻表では空港着が8時55分。9時発の空港ライナーに乗車できれば、肥後大津発9時26分の南阿蘇鉄道直通列車に乗車できるのだが、電車の乗継ぎ時間5分とはわけが違う。降機してから到着ロビーを抜けてバス乗り場まで行くには時間がかかるとそもそも飛行機には遅延がつきものなので完全にあきらめ、次の列車は11時48分なので待ち時間はどう過ごすかなどと考えていたら、なんと5分の早着。しかも飛行機は最前列の座席をたまたま確保できていたため、先頭で降りて9時のライナーに乗車できたのだ

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空港ライナーとアクセス線計画

何の説明もなく「空港ライナー」と書いてきたが、これは肥後大津駅と熊本空港を結ぶ無料のシャトル便

県が運用にあたっていて30分間隔で運行されている。ワゴンタイプで9人乗り。満員になった場合は追加のバスが来るそうだが、ちょっと待たなければならない。私は出発ギリギリで8人目として乗り込めた

こちらも説明が後になってしまうが、空港と肥後大津駅は至近距離にある

車で15分。熊本空港はかつては熊本市内にあったが、1971年(昭和46)に現地に移転した。肥後大津駅は1914年(大正3)開業と110年もの歴史を持つが、当駅についてJR九州が力を入れ始めたのは1999年(平成11)に熊本から当駅間の電化から。この区間内は学校が多く、熊本から肥後大津までは30~40分と通勤通学圏内。さらには九州新幹線の全線開業まで博多と熊本を結んでいた特急「有明」が当駅まで乗り入れるようになった。駅での「肥後大津行き」の案内や列車の方向幕で駅の存在を知った人が多かったのではないだろうか

ちなみに現在、肥後大津駅と空港の約7キロを結ぶアクセス鉄道の計画が進んでいてJR九州も乗り気になっているため、近いうちに具体化しそうである

発展する駅周辺

ライナーが到着するのは南口(写真は翌朝のもの)。もともとの大津の町は北口が中心で

こちらは木造駅舎が健在で(写真は2023年6月のもの)、JRの直営は北口。南口はビジターセンターで駅員さんはいるものの業務委託となっているようで、みどりの窓口は北口にある。私は旅名人きっぷを購入する必要があったため、北口に行かなければならないが、その旨を告げると通してくれた。駅には阿蘇くまもと空港のサブ駅名が付けられている

空港が近いということもあり、駅周辺にはビジネスホテルが多く進出している。宅地としても開発が進んでいて、訪問は3回目だが、来るたびにマンションとホテルが増えている印象だ。今日1日ではとても南阿蘇鉄道の全駅訪問は無理なので、当駅近くのホテルに宿泊の予定。夕方に戻ってきてホテルにチェックインしたが、朝から猛暑の中を歩き回ったため、夜に出かけることなく南口からすぐのイオンで酒と食材を購入して夕食とした

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~来て良かった歩いて良かったの2日間

※訪問は2025年5月28日

最初から決めておけば

大行司駅にあった東峰村の案内図。大行司駅近くに自治体としての機能が集まっていることがよく分かる。宝珠山炭鉱で栄えた東峰村(当時は宝珠山村)だが、石炭を運ぶことが目的で戦前から工事が始まった日田彦山線は戦争により工事が中断。戦後に再開されたが、難工事のため全通は1960年(昭和35)。すでにエネルギーの主役は石油に移行しつつあり、その3年後に閉山となってしまった

それでも地域にとっては重要な足だったことには間違いない。村内にあった駅は筑前岩屋、大行司そして宝珠山の3駅。その区間がまるまるBRTの専用軌道となっていることは、何度か記した通りだが、大行司~宝珠山は結構近い

徒歩30分。グーグル地図によると高低差26メートルの下り坂だそうなので、比較的楽な徒歩移動だ。最初から専用軌道区間の駅すべてを訪ねるつもりなら、徒歩訪問はまずこちらを軸に考えていただろう。最初に立てた計画が終わってから、あらためて計画を練ったので1時間近く歩くことになってしまったが、そのおかげで雄大なめがね橋も見られたし、地元の方といろいろお話もできたので結果的には良かった

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1駅分の回収ならず

さて今回、2日にわたって日田彦山線BRT内にある旧鉄道駅を回ったのだが、実は1駅だけ行けなかった。豊前桝田駅だ。道の駅があった歓遊舎ひこさんと彦山の間にある駅でホームと待合所のみの駅だったという。BRTの停留所はかつての駅に近い県道上にあり、停留所の前を3回通り過ぎた車窓からホームは見えづらかった

実は訪問の道程だけは考えていて、筑前岩屋駅到着が10時39分なので、大行司まで1時間近く歩いても大行司発11時52分のBRTに乗車できる。その場合は12時21分に豊前桝田に到着。その場合は約40分の待機で13時1分の日田行きがやって来る-というもの

ただ地元の方といろいろお話したこともあって大行司到着は11時47分になっていた。出発まで5分もない。前回の記事でも記した通り、大行司の停留所は77段の階段を登った場所にあるので、写真だけ撮って急いで階段を登ればギリギリ間に合ったが、せっかく1時間近く歩いてたどり着けた駅である。新たに復元された駅の雰囲気も味わいたい

ということで12時8分の日田行きに乗ることにした。次の豊前桝田行きはちょっと待っていられない。今日は帰る日だし、博多からはすでに新幹線のきっぷを確保済み。乗り遅れた場合は乗車券部分も無効になるという3割引チケットなので絶対に乗り遅れるわけにはいかないので断念

そもそもてくてく歩いてお腹も減ったので、光岡駅近くのコンビニで買ったおにぎりをいただくことにした

旧鉄道駅にある工夫

今回日田彦山線BRTに乗車して気付いたことは「旧鉄道駅は特別待遇」ということだ。BRTはバスなので、乗降客のない停留所は通過する。それは当然のことだが、旧鉄道駅の停留所については必ず停車するのだ。豊前桝田や大鶴のような旧駅からやや離れた道路上にある停留所も同様だった

そして旧鉄道駅の停留所には必ず便利な電光ボードが設置されている

こちらは鉄道の駅ともなっている夜明駅のものだが。現在の運行状況を逐一知らせてくれるもの。バスなので多少の遅延はあるが、それも表示してくれるので利便性は高い

大鶴のような屋内ではない停留所にも設置されている

BRT化したことによって運行本数は増え、豪雨被害前よりも乗客も増えているという。定時運行や大量輸送という意味では鉄道に比べて劣るバスだが、細かく停留所を設けて病院や店舗、駅から離れた旧市街地に立ち寄ることも可能になったことは事実。何よりもJRの路線として運営、運行されている点が評価されるのではないだろうか

廃線が取り沙汰されたり、廃線が俎上に乗ったりしている路線は全国各地にあるが、過去に鉄道の廃線後に運行されるようになった代替バスの多くが結局廃線になっているケースは多い。新型のバスを投入した上でこれだけの設備が設けられているのなら、鉄路の廃線に寂しさは残るものの、地元の方々は安心だと思う。予定変更で細かく沿線を回れ良かったと思う2日間だった

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~列車は来なくても歴史と思いを込め再建の駅舎からの長い階段

※訪問は2025年5月28日

高倉健さんにもゆかりの宝珠山村、東峰村の中心駅

あらためて大行司駅

かつての宝珠山村(現東峰村)の中心駅は宝珠山駅ではなく、ここ大行司駅。戦争が終わり日田彦山線(当時は彦山線)の工事が再開された1946年(昭和21)に宝珠山から1区間が延伸されて開業した。ただしそこから先が難工事だったこともあり、10年以上終着駅だった

宝珠山川と大肥川の合流地点を中心に大きな集落があり、自治体の機能が集まっている。かつては宝珠山炭鉱でも栄え、あの高倉健さんも父の仕事の関係で幼少期の一時期を当地で過ごしたという

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豪雨被害後の真新しい駅舎

日田彦山線BRT区間の各駅を伝えてきたが、近年に駅舎が建て直されたばかりのタイミングで2017年7月の豪雨被害に遭っていることが多い。ただ大行司駅も真新しい駅舎だが、こちらは豪雨被害の後に新築されている。2019年のこと。なぜかというと当駅は豪雨によって1946年(昭和21)の開業時からの駅舎が倒壊してしまった。それでも日田彦山線の復活に向けて話し合いが行われている最中ながら、地元負担で駅舎が新築された。長年代表駅として機能してきた駅に対する地元の熱意だった。以前の形を損なわないよう新築というより復元された形だ

駅名板の横に「四十一代 式守伊之助」と記されている。駅名にちなんで立行司の式守伊之助(当時)が揮毫した。新駅舎の完成は2019年12月のことで、落成式には式守伊之助や元横綱大乃国の芝田山親方も参加

当時の写真や他に揮毫したものが駅舎内に飾られている

相撲に関心があるかないかは別としても、ついつい見入ってしまう

駅舎内はまだ新築の木の香りが漂いそうなほどきれいだ。豪雨被害以前に駅舎は東峰村に譲渡されていたことも自治体による復元につながった

駅舎の内側には豪雨被害以前から使用されていた駅名標が設置されている

ホームへは長い階段を

さてふだんなら「駅舎のホーム側」と書くところを「駅舎の内側」と表現したのには理由がある

BRT乗り場へは階段を登る必要がある。77段と、なかなかの距離。これは鉄道時代と同じ。筑前岩屋駅から1時間近く歩いて汗びっしょりの私には最後の一仕事だが、ひとつ言えるのは1度登ってしまうと2度と降りる気力はなくないだろうということだ。BRT到着の5分ほど前に乗り場に行くことにした

階段の途中で振り返ると、なかなか急峻な階段である

鉄道時代のホームはそのまま残されている。2面2線とすれ違いのできる構造で、村の代表駅らしく彦山~夜明間では唯一、交換機能が残されていた

高台にあるホーム、現在のBRT停留所からは村が眺望できる。右の建物は小学校だったと思われる

こちらは停留所。最初に時刻表を見た時、当駅で8分間の待ち時間という上下線の交差があり、これはタイミングよくいけばうまく訪問できるかと思ったが、バスだけに遅れ気味になることが分かり、それを理由にやめた。まさかこんな階段があるなどとはその時は思ってもいなかった。予定時刻通りにバスが来ても、8分しか時間がないのでは、ちょっと無理だっただろう

日田行きのバスがやって来た。2台ワンセットのパターンのようだ。途中でいろいろ話し込んだおかげで、いろいろな思いと歴史が詰まった駅舎を観察する時間はそう多くはなかった。ただ予定を変更しても専用軌道中にある2駅を訪問できて本当に良かった、そう思える60分の徒歩旅だった

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~道中のふれあいに感謝

※訪問は2025年5月28日

しばし話し込む

めがね橋の撮影をしていると、農作業中のご婦人から声をかけられた

「夕方だときれいだよ」

そこからしばらくお話の時間となった

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貴重な体験と貴重な話

前記事でも書いたし、過去に何度も記しているが、地方の幹線道路を歩いていると車はビュンビュン走り抜けていくが、人にはほとんど会わないというケースがほとんどだ。会うとしたら朝や夕方のワンちゃんの散歩。ワンちゃんに吠えられて「よしよし」と言ったり「男の子?女の子?何歳ですか?」という会話をすることはあるが、基本的に駅間徒歩の最中に会話ということは、ほぼないのである

それが今回は思わぬ展開。筑前岩屋駅からの道中での道案内に続いて道中2回目である。夕方の橋はきれいだが、2017年の豪雨被害の時は本当に大変だったという。避難所から戻ってくると田んぼは土砂で埋まり、どこから流れてきたか分からない流木が散乱。ほかにも当時のことをいろいろ聞いた。現在に至るまでのことも含め、いくらでも話はできそうだったが、私も時間内に大行司駅まで行かなければならない。この後、大行司駅まで歩くことを告げると「ずっと下り坂だから、すぐだよ」と手を振ってくれた

すぐといっても携帯アプリによると大行司駅までは徒歩40分。すぐという時間ではないが、たくましさが違う。ただ「ずっと下り」というのは予想通りというか、それを裏付けるありがたい情報だった

表現として適切かどうか分からないが、ダラダラと下り坂が続く。緩やかな下りなので歩くのには楽だが、逆コースを行くとギブアップしていただろう。もっともこの記事を書いている現在の気候だと最初から歩いてはいないけれど…

豊かな水をながめながら

すぐ先にめがね橋の解説があった。私が説明することもなくこれですべてが分かるが、竣工が1938年となっているものの、実際に橋梁として列車が走るようになったのは、戦争をはさんだずっと後のことになる

その先には棚田親水公園。夏場には川の水を利用したプールが開設されるようだ。昨日と今日、当地を訪れて感じるのは、やはり豊かな水量である

やがて別のめがね橋の解説と大行司駅まであと1・3キロの案内が出てきた。ゴールは近い。そして歩き始めて感じるのは東峰村の中に設置されているさまざまな解説板と案内板だ。紹介しないものもあったが実に細かく設置されている

さらに10分ほど歩くと左手に見える建物は確か車窓の大行司駅から見えるものだ。ゴールは近い

そして国道211号との合流地点。もうすぐそこがゴールである。交差点の名前は「宝珠山」。大きめの集落に入ってきた。かつての宝珠山駅村の中心部は宝珠山駅付近ではなく、ここ大行司駅付近。右手に行くと東峰村役場があり、左手に行くと大行司駅そして宝珠山駅へと至る

たどり着きました。大行司駅。といっても駅に着いてからも簡単にホームに行けないのが当駅ではあります

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~60分かけての有意義な徒歩をしよう

※訪問は2025年5月28日

PCを見て助かった

筑前岩屋駅から大行司駅までは4・3キロ

徒歩で50分と指南された。大行司から次のBRTが出るのは約70分後。この日は初夏の陽気で最高気温は28度。時間はお昼前で1時間歩くのにはちょっと暑いが、まぁギリギリなんとかなるレベルだ

ただ今回については前夜にホテルでPCをチェックしたおかげで大いに助かったのだ

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1度に情報が得られる

最初に考えたのは筑前岩屋→大行司なのか大行司→筑前岩屋なのか、どちらを先に行くかの選択。どちらも見どころは多そうだ。念のために登り下りをチェックすると「ほぼ平坦」と出てきたので、スルーしようとしたが、その下にある高低差に目が行ってあらためて見直すと、高低差114メートルの表示。これって平坦とは言えないのでは、と大行司→筑前岩屋のルートを検索すると

同じコースなのに10分以上長くかかるではないか。これは明らかに上り坂ということだろう。平坦の概念、基準がどうなっているのかは分からないが、危ないところだった。そして今回は道程チェックをスマホでなくPCでやって良かった。PCの場合は大きい画面で複数の情報が1度に見られるのが利点である

いきなり農道行きを命じられる

筑前岩屋駅から県道52号に出て歩き始める。前記事で紹介した通り、越前岩屋から彦山にかけてはクネクネの悪路だが、越前岩屋から大行司にかけては良い道路だ。ただBRT化の際、東峰村内を鉄道路盤を生かした専用軌道にしなければ、おそらく越前岩屋駅付近は公共交通機関のない場所になっていただろう

ところが駅前の橋を渡って宝珠山川を渡って歩き始めるとすぐに工事中の案内。車は進んでいいが歩行者は不可という平素とは逆の指示で再び川の向こう岸へ向かうことを強制される。歩道不可といっても、これはいつもの地方道路あるあるで、歩く人なんてほとんどいないのに…とブツブツ言いながら歩き始めると

田んぼに張り出した農道を歩くことに。県道ははるか向こうになっていく。案内はなく、とてつもなく不安になったが、ちょうど田植えの季節だったようで、農地には作業中の方がチラホラ。「この道って、県道に行けるのですか?」と尋ねると「どうしたん?」。このような農道を見かけないよそものが歩くことなんて、まずないだろうから不思議がられたが、事情を話すと「道なりに行けば着くよ」と親切に教えてくれた。と同時に助かった

無事に県道へと復活してホッとひと安心

すると間もなく

お~っ、と声が出そうになった。日田彦山線の名所とされるめがね橋。これは車窓からは分からない光景。もちろん歩くと決めたからには、この景色もカウントしてあったが、実際に見ると大変な工事だったことがよく分かる。平素の駅間距離は、ただ目的だけのためにあることが大く、景色の有意義さを求めることがまずないので、歩いた甲斐があった。すっかり満足して写真を撮っていると、今度は話しかけられたのだ

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