きっぷ

復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~路線内で最も新しい駅はガラス張りのおしゃれな駅舎

※訪問は2025年8月26日

アクセス向上のための請願駅

白川水源を後にして南阿蘇白川水源駅へと向かう。前記事でも記したが、白川水源へのアクセス向上のためにできた駅

なにゆえグーグル地図が広い道路ではなく狭い道路から遠回りするコースを選択するのか不明だが、普通に進めば、写真のように広い道路から駅舎がすぐ分かる。すぐ分かるぐらいなので周囲はほぼ農地。阿蘇白川駅から徒歩15分かかっていた白川水源への道程を5分にしてくれる駅は南阿蘇村による請願駅だ

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待ちに待ったお昼はあか牛

当駅の開業は2012年(平成24)3月。南阿蘇鉄道では最も新しい駅。観光名所の白川水源へのアクセス向上を目的に南阿蘇村が3500万円という費用を負担した請願駅。南阿蘇鉄道の半数以上の株主が南阿蘇村とはいえ、3500万円は太っ腹な出費である

築10年ちょっとだけあって、なかなかおしゃれな駅舎だ。大きな駅名板は最初の写真の場所からでも駅を確認できるからだろう

ガラス張りの駅舎内にはレストランが入店しているが、張られていた8月の開業日を見ると週末とお盆という観光客の多い日だけのようで、この日はお休み。もっともこちらについては覚悟ができていた。緩やかな坂を昇って再び白川水源の方へと足を向ける。周辺は観光地なので食事はできる。まず目についたのはラーメンだったが、いくら熊本がラーメンとはいっても、この炎天下ではさすがに堪える。そこでせっかくなのだからと奮発してステーキ丼

阿蘇といえばあか牛。それなりのお値段はしたが、ギッシリ敷きつめられたステーキが絶品。わさびにタレ、塩と3種類の楽しみ方があって、後は自分の好みのタイミングで半熟玉子を入れる。そしてステーキに別の意味で味付けとなったのが、実に美味い水。提供されるのは白川水源の水で、先ほど味わったばかりの水を、まさに駆けつけ1杯いや2杯も含め、コップで5杯も飲んでしまった。実に満足

思わぬ出会いに驚き

再び駅へと戻ってきた。すると駅舎内に思わぬ変化。ガラス張りの当駅はとてもおしゃれで美しいのだが、ガラス張りだけに陽当たりが良すぎて最初に入った瞬間「この季節は屋内に長居は無理」と思うほどの暑さだったが、入ると空気が全く違う。休業日の仕込みか整備かは分からないが、レストランの方がいつの間にか来て作業を始めている。そのタイミングでエアコンが稼働したようだ

駅舎内には国鉄時代の写真などが掲げられていて、昭和47年~昭和48年とあるが、駅名標の前で元気にポーズをとる子どもたちは、おそらく私とほぼ同年代で、今は何をされているのだろう、と思ってしまった

そんな感慨にふけっていると列車の接近注意音が鳴り、この時間にやって来る列車はないはずだと思っていると

やって来たのはトロッコ列車。今日は運行日でないことは確認していたが、試運転だろうか、と眺めているとお客さんが乗車している。団体さんにしては人数が少ない気もしたが、少しの時間停車して乗務員の方による説明が行われていたので、貸切での運行だったのか。ただホームでぼんやりと説明を聞いていて気付かされたのは

田んぼにたたずむワンピースのキャラクター。沿線では随所に登場するが、それについては以降の記事で説明していきたい

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~車内ガイドで水温14℃白川水源の場所を知る

※訪問は2025年8月26日

白川水源の元の最寄りは阿蘇白川

阿蘇白川駅から村道に出たところ。ここはおそらく旧国道(国道は現在立派なバイパスとなっている)だが、「白川水源 800メートル」との案内がある。ここから白川水源を目指す

地図を見れば一目瞭然だが、白川水源の最寄り駅は南阿蘇白川水源駅。ただこちらは2012年開業と新しい駅で、長らく阿蘇白川駅が白川水源への最寄りだった。これから徒歩で白川水源へと向かい、阿蘇白川駅訪問も果たすつもりだ。白川水源は観光地なので食事をする場所もあるだろう。2時間もあるので十分だ

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当初の予定にはなかったが

白川水源への訪問は当初予定になかった。というか、どこにあるのかも知らない。白川水源を名乗る駅があるので、そこから近いのだろう、という感覚だ。予定になかったのは当然で、飛行機が早着しなければ訪問の時間はなかった。そして南阿蘇鉄道の車内での乗務員さんの案内が大きい。「あそこに見える青い屋根のあたりが白川水源です」。南阿蘇鉄道では沿線や駅についてのガイドが入る。つまり車内で白川水源の場所を知った次第。もちろん白川水源へは南阿蘇白川水源駅の方が近いが、ダイヤの関係や当初は阿蘇白川駅のカフェに行くつもりだったので、阿蘇白川駅まで行って下車した。どちらにせよ、この1区間は歩く予定だった。要は食事場所が白川水源付近に変更されたということ

さて、駅訪問の記事ではサムネに駅名標の写真を置くことが多く、そこで気付かれた方もいるかもしれないが、南阿蘇鉄道の駅名標には必ず標高が入っている。高原を行く鉄道らしい

ご覧のように約500メートル。さすがにこの季節、高地といえどもかなり暑いが、心地よい風が吹いていて日陰は涼しい

15分ほど歩いて白川水源の入口に到着した

冷たい水が何よりの癒やし

入口は白川吉見神社の参道も兼ねている

環境を守るために100円の入場料(協力金)が必要だということ。もちろん喜んで払います

そして白川水源へ。写真は人の姿が一瞬消えてタイミングを見計らって撮ったが、実際は人がいっぱい。入口近くの駐車場には団体のバスも停まっていた。平日でこれだから週末はもっとにぎわうのだろう

ご覧の通り、ひしゃくですくっていただくスタイル。中に入るのはもちろん、手足をつけるのも禁止。耐水性のカメラを浸けるのも禁止である

ということで早速すくってみた。ここでは毎分60トンもの阿蘇の水が湧き出していて水温は年中14度だという。手で触れるとひんやり。徒歩で汗をたっぷりかいたため、ひしゃくで頭から水をかぶってみたかったが、周囲を見渡すとやっている人がいなかったので自粛。その代わり、両手にかけてみた。こんこんと冷たい水があふれる景色と冷涼な空気だけでも十分に癒やされるが、この冷たさにはさらに癒やされる。初めて来たので四季ごとの感覚は分からないが、14度の水はおそらく冬場はとても温かく感じるのだろう

当地では古くから水に対する信仰があったとされ、神社へお参り

私はペットボトルの水を持参していたので、そちらを飲み干してから、こちらの水のお世話になったが、容器は現地でも販売している。台車の持ち込みは禁止されているが、毎分60トンなのでくみ放題でもある

この後、駅に降りる度に周辺案内図を見ると各所に水源がある。その数は16にもなるとか。アクセスや現地の環境はさまざまだのようだが、とにかく来て良かった。そう思える寄り道は、列車内の案内があってのもの。きっかけをくれた南阿蘇鉄道に感謝である

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~山中の時計台駅のカフェでひと休み…

※訪問は2025年8月26日

幸運に感謝しながら

見晴台駅から立野方面へと折り返して阿蘇白川駅で下車。時刻は10時38分。当初の予定だと立野どころか、11時48分の列車に乗るべく、まだ肥後大津で待機中。「まだ」というより「まだまだ」だ。早めに着くのだから荷物をホテルで預かってもらって…などと考えていたが、飛行機の5分早着は本当に幸運、強運だった。全9駅(立野をのぞく)の南阿蘇鉄道において、もう2駅目なのだから、これは大きい

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他の国鉄駅との重複を避ける

時計台を持つおしゃれな駅舎を有する阿蘇白川だが、こちらは三セク移管後のもの。開業は1928年(昭和3)と、5つだけの国鉄高森線時代からのオリジナル駅のひとつ

当時は白水(しくすい)村に所在。白川とは明治の町村制施行まであった白川村のことで、この後出てくる白川水源など、当時からの地名は今も残る。駅名に旧地域名が入れられているのは、東北本線の白河駅と文字は異なるが読みは同じなので、気配りしたと思われる

2005年の平成の大合併で南阿蘇村が誕生して白水村は自治体としては廃止されたが、当駅は村の代表駅で役場も当駅近くに置かれていた

駅舎も開業時からの木造駅舎が残っていたが、南阿蘇鉄道に移管されて現在の姿に。木造駅舎を廃して新たにおしゃれなとんがり屋根の時計台付き木造駅舎を建てるあたり、新出発に向けた気概を感じる

駅舎にもミニ駅名標が張られている

単式ホームからの雲が美しい

時間を使うには

さて朝の時間帯を過ぎると南阿蘇鉄道はローカル線あるあるで、運行本数がガクンと減少する時間帯に入る。先述した通り、私が降り立ったのは10時38分だが、次の高森行きは12時34分(これが元々乗乗車予定の列車)、立野行きは13時00分と2時間もの空白がある。奇跡的な乗継ぎでここまで来たが、元々はたっぷり時間のある肥後大津駅で11時になったら飲食店も開くので、そこで昼食を済ます予定だったが、それはできなかった。肥後大津駅付近にはコンビニもあるが、もちろん買い物の時間はなかった。朝7時台の飛行機に乗るべく、摂った朝食は5時過ぎの牛丼店朝食なので、さすがに何かお腹に入れたいところだが、これについてはさすがに列車内で調べた。当駅にはカフェが入居しているのだ。駅舎を利用した飲食店は他駅にもあるようだが、営業時間が不明。ただこちらは平日もオープンしているようなので「朝からやっているのかな」などと思いながら、あらためて駅舎に入ると

あるある。これでひと安心と思いきや

なんと本日は火曜日だったのだ。下調べができていない私が悪いのだが、ピンポイントで1週間あるうちの7分の1を引いてしまうとは

ただ私には今回ばかりは「プランB」がある。2時間もの時間を有効活用する方法

駅前通りを進んで振り返ると、大いに目立つ美しい駅舎が見えた。炎天下ではあるが、ここからは徒歩である

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~予備知識なしで降りて「オンリー」自販機にビックリ

※訪問は2025年8月26日

時刻表の都合で最初の訪問駅に

豊肥本線からの直通列車なので始発駅である立野での乗降はしなかったが、南阿蘇鉄道となる立野から30分で終点の高森手前となる見晴台で下車。JRから線路を引き継いだ三セクにも、いろいろな規模があって、南阿蘇鉄道高森線は、わずか17・7キロしかない。だから全線乗車しても30分程度。総距離が短いからこそ熊本地震からの復興がかなったのだともいえる

そしてタイトルにもある通り、当駅については何の予備知識もなく降り立ったことをまず断っておく。単に時刻表の都合で最初に降り立った駅となった。ここからの文章では後に私が調べたことも含めながら駅の紹介をしていきたい

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三セク移管後の新駅

見晴台駅は1986年(昭和61)の開業。同年4月に三セク移管された後の11月に設置された。同日開業した加勢駅と並んで南阿蘇鉄道の一期生の駅である

三セクの新駅というのは隣駅との距離が短いことが多いが

終点の高森駅までは大した距離ではない。後に出てくるが、もともとは湧水トンネル公園付近に高森駅が設置される予定で、暫定的に現在の場所に設置したおかげで駅前で大きくカーブしている。結果的に暫定的な駅は恒久的な駅になってしまい、そのおかげで見晴台駅から高森駅へは線路をショートカットするように歩けばいいし、そもそも当初の予定通りに高森駅ができれば、あまりにも距離が近すぎて新駅は造られなかっただろう

しかし地図を見ていただければ分かるが、駅の場所は住宅地や市街地ではなく農地だ。実際に駅で降りても周囲に民家は少ない。なぜそんなところに、と思われるかもしれないが、駅名の通り景観を誇る駅だったのだ

こちらは駅前からの景観。実に美しいのだが、この美麗さをウリにしていた駅だったのだ

開業当初、当駅は屋上が展望台になっていた。駅名は特に地名ではない。後に老朽化を理由に現在の建物となったが、屋上というのは維持に手間がかかるものなので、利用者数や訪問者数が合わなかったのかもしれない。熊本地震前のデータでは1日の利用者数は、限りなくゼロに近い1だったという

暑さゆえに

こちらはホーム側から見た駅舎。駅舎に入らずとも出入りできるようになっている

私が当駅に滞在できる時間は20分。外の写真は撮ったので、駅舎内を見る前に暑いので何か買おうと駅舎横に設置されている自販機に近づいてみて驚いた

なんと「午後の紅茶」一択。自販機の定番であるミネラルウォーターもお茶もない

首をひねりながら駅舎内に入ると理由が分かった。ポスターや説明文があった

この駅は午後の紅茶のCM撮影地だったのだ。熊本地震からの復興支援として当駅周辺で上白石萌歌さん主演のCMが撮られ、自販機はセットの一部として設置されたものが、そのまま利用されているものだという

上白石萌歌さんといえば、同じ九州の島原鉄道

大三東駅でのキリンレモンのCMについては、それを知った上で訪問したが、午後の紅茶については認識がなかった。CMでの歌は印象に残っているが、当駅だとは知らなかった

こちらは駅舎内。CMは2016~2018年のものだが、その時に存在を知った人の訪問は今もあるという。当駅で下車したのも乗車したのも私1人だったが、乗務員の方にはもしかすると、そのように見られていたのかもしれない。単に私が無知だっただけとはいえ、降りてみて初めて得た知識は、いつまでも記憶に残るものである

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~単行の直通列車はすし詰め状態

※訪問は2025年8月26日

必ず乗り換えの発生する要衝駅

あらためて肥後大津駅。すでに当駅始発の南阿蘇鉄道直通の列車が待っている

発車の10分以上前に駅に着くことができたので無事に「旅名人の九州満喫きっぷ」を購入。5月に九州を訪れ平成筑豊鉄道から田川井田経由で日田彦山線BRTに乗車した時にも利用したが、九州内の私鉄、三セクに乗車する際は本当に便利なきっぷである。ただし、これを買うということはこの旅行では九州新幹線をはじめとする優等列車には乗車しないということを意味する

その肥後大津駅の駅名標がこちら(撮影は2023年)。町名の由来について記されているが、初めて来た時に滋賀県の大津が地名の由来と知って驚いた記憶がある

そして当駅は電化、非電化の境界駅となっていて豊肥本線は熊本から当駅までが電化、当駅以遠が非電化となっていて特急以外の列車は必ず乗り換えが発生する。つまりすべての普通列車は当駅が始終着となる

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大きく異なる運行本数

そして肥後大津の時刻表がこちら

一目瞭然で運行本数が全くことに気付く。赤文字は特急なので、それを引いて考えると熊本に向けた電化区間は昼間でも1時間に2~3本の運行があるのに対し、阿蘇から大分方面については、昼間は2時間以上、普通の運行がない時間帯がある

それ無理もない話で2駅先が立野駅

これから乗車する南阿蘇鉄道の分岐駅そして豊肥本線はここからスイッチバックで山岳地帯を行く。つまり人口の少ない場所に入っていくのだから、列車の運行が少なくなるのも自然な流れである。逆に言うと肥後大津駅前のにぎわいを見ると、2駅先がスイッチバックとはとても思えない

あらためて時刻表を目にしていただくと、私がこれから乗車する9時26分を逃すと次は11時48分。その間に特急も走っていて、こちらは立野にも停車するのだが、立野で南阿蘇鉄道に乗り継ごうとすると、そちらの運行がなく、11時48分に乗車するのと同じ結果となる。飛行機早着の恩恵は本当に大きかった

突然にぎわう車中

2023年7月の南阿蘇鉄道全線復旧によって肥後大津からの直通列車が設定された。朝に2往復。これは朝の通勤通学で熊本市内方面に向かう人の利便性を高めるもので、9時26分発とは随分遅いと思われるかもしれないが、南阿蘇鉄道の終点である高森駅を出発するのが8時25分で肥後大津着が9時8分の折り返し。通学の時間帯は終わっているが、午前中に熊本に向かうという点では寄与している

もっとも朝の行動のピークとなる時間帯は終わっているので下りとなる高森行きは発車まで10分を切っても車内はこの通り。全くの貸切だ。これは楽しく過ごせそうだと思っていたら、熊本からやって来た9時24分着という高森行きへの乗継ぎ電車が到着すると、車内はあっという間に満員状態に。乗車している間に分かったのだが、台湾からのお客さんで軽装ぶりを見ると熊本市内に宿があって、ここまでやって来たようだ。アテンダントがいるわけでもないのに、うまい具合によく乗継ぎができるものだと感心していたら隣に座った方がスマホで帰りの乗継ぎを調べている。もう20年ほど海外に行ったことはないが、妙に納得してしまった

とにかく車内はすし詰め状態で正面は人しか見えないし、身体をひねって車窓を見ることもかなわない。終点高森の手前である見晴台までこの状態で向かった

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~飛行機早着という5分の奇跡からスタート

※訪問は2025年8月26日

あきらめから一転

大阪空港の熊本行きに乗り込む。ご覧の通り、7時45分発

バスで飛行機の手前まで運ばれる形式。JALの場合、伊丹空港から地方に向かう便は結構この形式が多い。ただこの時点で私はため息まじりだった

飛行機を予約したのは2カ月も前の話だが、とりあえずは深夜零時からのタイムセールに参加し、朝一番の便を押さえたものの、これだと現地での乗継ぎが悪く目的である南阿蘇鉄道に乗車するために2時間もの待ちが出てしまう

その時間をどうやり過ごそうと思案していたら、なんと奇跡が起きた

時刻表では空港着が8時55分。9時発の空港ライナーに乗車できれば、肥後大津発9時26分の南阿蘇鉄道直通列車に乗車できるのだが、電車の乗継ぎ時間5分とはわけが違う。降機してから到着ロビーを抜けてバス乗り場まで行くには時間がかかるとそもそも飛行機には遅延がつきものなので完全にあきらめ、次の列車は11時48分なので待ち時間はどう過ごすかなどと考えていたら、なんと5分の早着。しかも飛行機は最前列の座席をたまたま確保できていたため、先頭で降りて9時のライナーに乗車できたのだ

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空港ライナーとアクセス線計画

何の説明もなく「空港ライナー」と書いてきたが、これは肥後大津駅と熊本空港を結ぶ無料のシャトル便

県が運用にあたっていて30分間隔で運行されている。ワゴンタイプで9人乗り。満員になった場合は追加のバスが来るそうだが、ちょっと待たなければならない。私は出発ギリギリで8人目として乗り込めた

こちらも説明が後になってしまうが、空港と肥後大津駅は至近距離にある

車で15分。熊本空港はかつては熊本市内にあったが、1971年(昭和46)に現地に移転した。肥後大津駅は1914年(大正3)開業と110年もの歴史を持つが、当駅についてJR九州が力を入れ始めたのは1999年(平成11)に熊本から当駅間の電化から。この区間内は学校が多く、熊本から肥後大津までは30~40分と通勤通学圏内。さらには九州新幹線の全線開業まで博多と熊本を結んでいた特急「有明」が当駅まで乗り入れるようになった。駅での「肥後大津行き」の案内や列車の方向幕で駅の存在を知った人が多かったのではないだろうか

ちなみに現在、肥後大津駅と空港の約7キロを結ぶアクセス鉄道の計画が進んでいてJR九州も乗り気になっているため、近いうちに具体化しそうである

発展する駅周辺

ライナーが到着するのは南口(写真は翌朝のもの)。もともとの大津の町は北口が中心で

こちらは木造駅舎が健在で(写真は2023年6月のもの)、JRの直営は北口。南口はビジターセンターで駅員さんはいるものの業務委託となっているようで、みどりの窓口は北口にある。私は旅名人きっぷを購入する必要があったため、北口に行かなければならないが、その旨を告げると通してくれた。駅には阿蘇くまもと空港のサブ駅名が付けられている

空港が近いということもあり、駅周辺にはビジネスホテルが多く進出している。宅地としても開発が進んでいて、訪問は3回目だが、来るたびにマンションとホテルが増えている印象だ。今日1日ではとても南阿蘇鉄道の全駅訪問は無理なので、当駅近くのホテルに宿泊の予定。夕方に戻ってきてホテルにチェックインしたが、朝から猛暑の中を歩き回ったため、夜に出かけることなく南口からすぐのイオンで酒と食材を購入して夕食とした

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14駅を訪問した春夏の大鰐線を振り返ってみる

季節のコントラストを味わう

3月と7月の2回に分けて青森県まで赴き、2027年3月での廃線が決まっている弘南鉄道大鰐線の全14駅を訪問した

3月上旬の時点では、まだ雪に覆われていた沿線。対照的に7月は夏の空気を存分に味わった

そもそも自販機の高さを超えるほどの雪なんて、ふだんは見たこともないというか、自分の住んでいる所では雪がつもるという場面にすら遭遇しないので、それだけでインパクトは高すぎるのだが、2回にわたった訪問の総まとめをしてみたい

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画期的だった地方私鉄の電化発進

大鰐線の開業は1952年(昭和27)。戦後10年も経っていないそのころ、電化路線としてスタートした。今は並行する奥羽本線も電化され、それが当たり前のように感じるが、実際に奥羽本線の秋田~青森が電化されたのは1971年と、20年近くも後のことだった。かなり画期的なことだ。敷設したのは弘前電気鉄道。電化にあたったのは三菱電機。当然のことだが、電車というのは基本的に都市部や幹線で見られるシステム。一定の旅客数や運行本数がないと元はとれないからだが「これからの時代は電車だ」と電車を普及させたい同社の思惑もあったし、わずか14キロという路線の短さも電化には適していた

また今でこそ弘前~大鰐温泉を12分で結ぶJRに対し、中央弘前~大鰐を40分近くかけて結ぶ大鰐線は遅い上に車両も古いもので乗り心地も正直良いとは言えないが、非電化時代の国鉄には弘前と周辺を走る通勤通学路線の発想はほとんどなく、あくまでも奥羽本線という大動脈の一部で、長距離を走る有料の優等列車の一部区間でしかなく、運行や乗り心地も大鰐線の方が勝っていた

元々はここ中央弘前からさらに先の板柳まで敷設される予定だった。駅の場所が選ばれたのは当地が弘前市の中心部だったからだ。私鉄が国鉄(JR)の代表駅ではなく街の中心部に駅を構える例は珍しいことではなく、福岡市では西鉄は博多駅にはやって来ないし、京都市では近鉄こそ京都駅を発着するものの(後に地下鉄との相互乗り入れで中心部に入ることとなった)、京阪や阪急も繁華街に乗り入れる。京阪に至っては京都駅のすぐ近くを通るものの素通りである。松山市も同様だ

ただ電化と国鉄駅に直結しなかったことが、後に経営に響いてくることになる

相次ぐ事故

2000年代に入って大鰐線は増便と減便を繰り返すことになる。そもそも他に貨物列車が走るわけでもない現行の1時間に1本という運行は電化路線に向いていない運用でもある。特にスピードを求めるわけでもない路線なのだから、この運用なら気動車で十分。それでも過去には弘前の都市部に限っては20分に1本の運行をしたこともある。運転間隔を45分にしたり40分にしたり、多客帯の時間帯に増便させたこともある。いわば試行錯誤の繰り返しだったが、これは2010年代にも1度廃線の危機に直面したことに起因している。この時は地元の支援などで危機を乗り越えることとなったが、その後のコロナ禍でまた利用者は減り、近年の相次ぐ事故で危機は増えた

そして2019年と2023年に立て続けに2件の脱線事故が発生する。いずれも施設の老朽化に起因していた。2件目の事故では国交省から改善要求を受けた。鉄道施設における最大の敵は温暖差。豪雪地帯でありながら、昨今は真夏の気温が連日30度を超える。電化路線の維持費はもちろん改善費も莫大だ。加えて、山形鉄道でも触れた地方の交通機関における人出不足の問題もある

2023年度の利用状況を見ると、最も利用者数の多い中央弘前で251人、次が大鰐の150人で3ケタ利用はこの2駅のみ。学校最寄り駅でも2ケタの数字が並ぶ。路線バスやスクールバスにも原因はあるが、沿線に学校が多い中、地方路線を支えるはずの通学の足としては寂しい数字となっている。当初の計画にあった弘前駅への乗り入れを果たしていれば、と思ってしまう

弘南鉄道は弘南線というオリジナルの路線をもうひとつ抱えており、そちらに力を入れないと共倒れになってしまうという危機感もあったのだろう

数字だけを見るとやむを得ないということにもなってしまうが、沿線で見た素晴らしい景色は一見さまではあるが、旅人に癒やしを与えてくれるのに十分なものだった。まだ1年半ほどの時間はある。それまでにもう一度景色景色を目に焼き付けたいと思っています

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銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~最後の駅は名門高校のふもとに

※訪問は2025年7月11日

3月のリベンジ

いよいよ最後の駅となった

8時4分に松木平駅を出た電車は同17分に弘高下駅に到着した

本当は3月に訪問予定だったが、膝の痛みが酷くなって断念した

というのも終点の中央弘前のひとつ手前の当駅で終えるとホテルを確保していた弘前の駅前までは徒歩も十分に可能だからだ

大鰐線訪問の記事で何度も触れてきたが、3月の訪問時は徒歩には絶好の気候で、このぐらいは気にならない。また気分的にも街中を歩くのと、誰も歩いていない民家もまばらな道路を歩くのでは気分的に大きく異なる

ということは分かっていたが

鯖石から宿川原までを何とか歩いた時点で、もう限界だった。後で調べると弘高下駅から5分ほど歩けば前記事で紹介した1時間に2本の運行があるバスの停留所があり、その停留所は他路線も走るため弘前駅へ向かうバスの本数も多いが、それを知ったのは後の話で、この時はそんな余裕はなかった。だから無事にリベンジを達成したことになる

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愛称の駅名と上下の感覚に惹かれる

まずは駅舎から。棒状ホームに独特の駅舎。開業は弘前電気鉄道として大鰐線が開業した1952年(昭和27)。駅名板も含め千年駅や石川駅と同じたたずまいとなっている現在の駅舎は弘南鉄道に移管された1970年以降のものだろう

駅名は弘前高校にちなむ。旧制中学時代からの名門校として知られる。「弘高」は地元での愛称だが、旧制中学から現在と同じ新制の高校となったのが1948年だから、わずか数年で愛称が浸透していたことが分かる

学校最寄りの駅名は日本には数多くある。国鉄はあまりそのようなことをしなかったが、私鉄は数え出すとキリがない。近年はネーミングライツとしての駅名もある。ただしそのほとんどが、フルに学校名を使用している。略称や愛称はなかなか見られない。大鰐線には他にも「弘前学院大前」「聖愛中高前」「義塾高校前」と他に3つの学校最寄りの駅があり、義塾高校前は「東奥義塾高校」の最寄りではあるが、略称の愛称とはやや異なる。「弘前高校」と特に学校名が長いわけでもないのにあえて愛称がつけられている

さらに「○○前」ではなく「下」というのも独特だ。それは駅の位置に関連している

学校の敷地までは近いが実際に学校へ入ろうとすると、おそらく10分近くかかるだろう。駅も丘の上にあるが、学校はさらに高い場所にあるので「弘高下」となったようだ

駅そのものは単式ホームの上に待合所が設置されている

かつては日本中の駅で標準装備だった水道つまり水飲み場が残る。ひねってみるようなことはしなかったが、一見現役のようだ

かつては有人駅で現在は無人駅。平日朝の登校時は駅員さんの派遣があるという情報も見聞きしたが、私が到着した8時17分は無人状態だった。それもそのはずで、2023年度の1日の利用者数は34人となっている

とにかくこれで大鰐線の全14駅の訪問は完了となった

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銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~ひまわりの待合室とライバルの存在

※訪問は2025年7月11日

周辺の景色も変わり

小栗山駅から1駅大鰐方面へと戻って松木平駅に到着。ずっと乗り続けているとあまり気付かないが、小栗山を過ぎたあたりから周辺の景色は弘前市の郊外という雰囲気から農地が多い風情に変化する

駅名標で分かる通り、読みは「まつきたい」。なかなか読めないが有名な岩手県の観光地である八幡平が頭に浮かべば難易度も下がるのではないだろうか。東北地方には「平」を「たい」と読む地名が多いという。当駅の松木平は松の木がある丘が地名の由来だとか

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目を引く待合室とホームのイラスト

ホームと待合所のみという簡素な構造の松木平駅だが、1952年に弘前電気鉄道によって大鰐線が敷設された時の1期生駅として開業している

ただし、その待合所は決して無機質なものではなく十分に意思を持つというか、緑地に派手なひまわりのイラストが入った目を引くものだ

待合所のみをクローズアップすると分からないが駅の遠景は

小栗山駅の周辺は民家でびっしりという感じだったが、先述した通り農地の中にある駅という風情となっている

待合所の中も随分と派手な黄色で塗られている。そして待合所の奥をのぞいてみると、何やらピンク色のイラストが見える

近づいてみるとリンゴのイラスト。リンゴの新たな品種をPRするためのものだそうだ

少し足を伸ばすと

このような雰囲気の松木平駅だが、当駅訪問は電車だけに限らない

駅近くの停留所にやって来るバスは少ないが、少し足を伸ばすと状況は大きく変わる。徒歩10分ほどで弘南バスの営業所に行くことができるが、ここを出て弘前駅へと向かうバスの本数は多い。時刻表を見ると朝の9時台は1時間に5本。10時、11時台も3本あり、昼間も1時間に2本が運行されている。このバスは前記事で紹介した小栗山駅の近くを通った後、大鰐線と並行するように弘前市の中心部へと向かい、弘前市の中心部である大鰐線の中央弘前駅付近を通って弘前バスターミナルそして弘前駅が始終着となっている。つまり弘前駅へ行けないという大鰐線の路線としての短所をカバーしている一方、運行本数でも上回っている。当駅付近について弘前市郊外から農地へと雰囲気が変わると記したが、まさに郊外の切れ目から中心部へと向かうバス路線となっている。以前は大鰐線も1時間に2本の運行を行っていたが、減便の結果、昼間は1時間に1本となり、路線バスに優位な状況となってしまった

ホームに立って周辺を見る。夏の雲が景色に溶け込んでいて素晴らしい。農地にポツンとたたずむホームも、もちろん景色の一部だが、そのピースのひとつがやがて失われるのは少し悲しい

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銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~かわいい駅名板にひかれる

※訪問は2025年7月11日

今日は歩く必要ナシ

名残惜しいが津軽大沢駅と別れる時間がやって来た

大鰐線には意表を突くような形でホーローの駅名標が残されているが、ここにも残る。随分と高い位置にあるのが印象的だ

さて前記事で津軽大沢駅は列車交換が行われる駅となっていて、当駅で下車すると必ず1時間待ちなければならなくなると記したが、この時間帯についてはその心配は無用である

こちらは当駅の時刻表だが、私が乗ってきた7時7分の中央弘前行きの後、平日に限っては7時36分という電車がある。JRにしろ三セク、私鉄にしろ、やはり駅訪問は全国どこでも通勤通学帯の朝がカギとなる。それにしても当駅には朝の6時台は電車がやって来ないことをこの時、あらためて知らされた。終電もなかなかの早さだ

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高校生でにぎわう車内

こり後は2駅先の小栗山へと向かい、1駅戻って松木平へ。そこから市内中心部を目指し弘高下で下車して大鰐線コンプリートの予定。もちろん時間はまだまだあるので、大黒様きっぷをそのまま利用して弘南鉄道弘南線の各駅訪問も行うつもり

平日のみ運行のこの列車には多くの高校生が乗車していた。7時半過ぎという時間帯は沿線にいくつもある高校への通学列車の役割も果たしているのは容易に察しがつくが、学校数の割に利用客の数が少ない。私は各地のローカル線には、かなり乗っているが、学校の数を考えると座れない乗客が、もっといてもおかしくはない。これは大鰐寄りの義塾高校前でも感じたこと。これについては今後の記事でも考えてみたい

ホームと待合所のみの構造

電車はあっという間に2区間を走り小栗山駅へ。もちろんこの駅で降りる高校生はいないし下車したのは私だけだったが、代わりに何人かの生徒さんが乗ってきた

小栗山駅はご覧の通り単式ホームと待合所のみの構造。大鰐線のこの構造の駅は路線が開業してから設置されたものが多いが、当駅は1952年(昭和27)に前身の弘前電気鉄道が路線を開業した際からある1期生の駅。見る限り過去に貨物の扱いがあったようには見えない

私の写真では農地の中にある駅に見えてしまうかもしれないが、当駅付近まで弘前の郊外化が進んでいる。開業時は千年村に所在。1955年に千年村は弘前市の一部となっている。千年村が成立する前の明治の町村制施行までは小栗山村があった

手書きの文字がなんとも

宅地の横から小さな階段でホームに入る

さて当駅とは無関係の話だが、前日の津軽線訪問でも気付いたことに電話ボックスの形状がある

拡大するとこんな感じ。多くの駅でこのような形だった。近年、電話ボックスのお世話になることなどほとんどないので、じっくり眺めることはないのだが、表彰台に登るような形となっているのは、積雪対策なのだろうか。3月の訪問時はそもそも雪が積もっていたので全く気付かなかった

駅名標は小さな待合所に2つも掲げられている。先に挙げた写真ではホームに着き出すような形での「小栗山」の文字が随分と目を引くが、正面に回ると

板に漢字、ひらがなの並列で手書き文字が並ぶ。この手のものは地元の学校生徒によって描かれたものが多く「○○学校」の案内があるものだが、それはない。板そのものはかなりの年月を感じさせ、ほとんど何もない構内で大いにアピールをしていた

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