JR西日本

グリーンきっぷの2日間~東郷湖畔にたたずむ

松崎駅の駅名標

2月21日11時30分

コナン列車で移動

伯耆大山にやって来た山陰本線はコナン列車。運行開始から10年が経つ人気車両で「名探偵コナン」の作者である青山剛昌さんが北栄町の出身地であることから、コラボが実現しました

その北栄町の由良駅

こちらは前回、米子駅を訪れた際の写真ですが「コナン駅」の愛称が付けられ観光地としても人気スポットとなっています

駅舎内の待合室もコナン仕様。訪問は今とは真逆の季節で、駅からすぐのお好み焼き店で真っ昼間からビールを飲むほどでしたが駅舎内もエアコン完備で快適でした

と書いていくと派手なイメージを持つかもしれませんが駅舎は明治の開設時のものを基本にしているそうです。もっとも今月いっぱいで無人化されます

私が乗車したのは偶然ですがコナン列車の運行ダイヤについては鳥取県のHP「まんが王国とっとり」に掲載されています

再変更で1時間揺られる

さて現実の旅程はというと、またもや変更。個人的なことを言うと、テツ活動においては暑さよりも寒さの方がどちらかといえば耐えられる方なのですが、自分の予想をはるかに超えていたのか、これはいくつも駅は回れんなぁ、となって残りは1駅だけに絞ることに。倉吉からは特急に乗るので食事は買い込んでから車中で済ませばいいので結構駅は回れるのですが、今日はヘタレヤメです。手段も時間もあるのに行程を中止したのは、あまり記憶にありません。駅舎が弱いというか風が入ってきそうな駅は避け(笑)、さらに言えばお手洗いがあること。となると考えたのは倉吉のひとつ向こうの駅

伯耆大山から倉吉までは約1時間

この列車は倉吉止まり。3分の乗り換えで鳥取行きに乗車

キハ40系列となる47。これもJR西日本名物となる通称タラコの登場です。1駅目で降りたのが

松崎。山陰本線らしい木造駅舎です。訪問の時間帯はあまり人はいませんでしたが、1日に800人ほどが乗降します。その乗降を支えているのが

駅からすぐの東郷温泉

駅を出るとすぐ東郷湖。湖の中から温泉が湧くことで知られる人気の温泉地です

東郷湖を挟んだ場所にあるのが、はわい温泉。こちらは温泉を有効に利用するため湖の一部を埋め立てた場所にあります。「日本のハワイ」として話題を集めました。松崎駅は元々、東郷町の代表駅で、はわい温泉の羽合町、そして泊村が合併して湯梨浜町となりました。温泉のお湯、名産の梨、砂浜から文字をとっているそうです

話はそれますが由良駅のお隣には浦安駅があって、当然ながら千葉県の駅より山陰本線の駅の方が古いため、こちらも話題となりました

駅名板の文字も独特ですね。急行の全盛期だった国鉄時代は多くの急行が停車していました。現在は無人駅

駅の開設は明治期ですが駅舎は昭和初期からのもののようです。ステンレス部分は後からできたものでしょうか。窓口も手荷物扱い所も随分しっかりした造りとなっていて多くの利用者がいたことを感じさせます

素敵な文字が残っているのに宣伝で隠れてしまっているのが残念。WESTERの告知なので最近張られたもののようです

ホームはかつての2面3線が2面となっています。現在、優等列車の停車がないのではわい温泉だけでなく、東郷温泉もお隣の倉吉からのアクセスが多くなっているようです

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グリーンきっぷの2日間~山陰本線の駅を巡る

伯耆大山駅の駅名標

2月21日11時

鳥取県唯一の自動改札から

米子駅の改札。鳥取県では唯一、自動改札機を備えた駅となっています

この後、倉吉を14時24分に出るスーパーはくとに乗車予定なので、まだ3時間以上あります。快速はほとんど姿を消してしまいましたが、それでもこの区間には1時間に1本程度の普通が運行されていて、うまく行ったり来たりすれば、いろいろな駅に行けそう

まずは写真の伯備線に乗車します。米子・東山公園・伯耆大山の3駅は山陰本線と伯備線の両列車が走るため本数も多くなっています。まずは「目の保養」となる伯耆大山へ向かいます。伯耆大山に30分ほどいれば、山陰本線の倉吉行きが来るという、ちょうどよいダイヤ

伯備線は電車です。115系改造電車の通称「食パン」。中間車を強引に先頭車に改造したもので、国鉄車両天国の岡山地区にも、いよいよ新車が導入されるようですが伯備線ではしばらく見られそうです

伯耆大山に到着。目の保養と書いたのは広い構内にズラリ貨物車が並んでいるから

最初の駅名は熊党

なかなか壮観な景色ですが、670キロにも及ぶJR最長の山陰本線で貨物列車が見られるのはここだけとなっています。山陰本線で貨物運行はすでに取りやめとなっていて貨物用免許も失効させています(このあたりは北上線と事情は異なります)

ここにあるのは伯備線から岡山に向かう貨物列車。どうでもいい話になるかもしれませんが、伯耆大山は帳簿上の所属は山陰本線で、伯備線では道中、貨物の取り扱いがないため、伯備線は貨物を扱う駅がないのに貨物列車が走る、というクイズのような駅となっています

京都からのキロポスト。下関(正式には幡生)までもうすぐ半分というところ。現在の京都からの営業キロは318・2キロと微妙に合いませんが、現在トロッコ列車が走る京都の旧線部分が組み込まれたものと思われます

国鉄末期に建て替えられた駅舎は美しい曲線を持ちます。明治期に開設された時の駅名は「熊党」。「くまんと」と読みます。駅の近くの地名です

壁の文字も美しい。その一方で昭和時代ゆえの

文字案件も残ったりするなど、いろいろ見どころは多いのですが

ホームの待合室で「エアコン運転中」の文字を見て、すぐ逃げ込んでしまいました。それほどまでに寒い。車窓から雪がないのを見て安心しましたが甘かった。というか風の強さは自分の想像を超える寒さ。とにかく山陰本線の倉吉行きに乗りましょう

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グリーンきっぷの2日間~旧駅舎以来の米子駅

米子駅の駅名標

2月21日10時

2年半ぶりにやってきた

米子駅には伯備線電化40周年のイラストがありました。72年に山陽新幹線の接続路線となって以来、10年かけて全線電化されました。非電化の10年は気動車で初のエル特急が走っています。それほど力が入っていたのです

米子を訪れたのは2年半ぶり。2020年の8月20日に来ています

コンクリート駅舎が役目を終えるということで思いつきのように高速バスに飛び乗りました

当時の写真です。戦後の高度成長期に各地で建てられた国鉄のコンクリート駅舎は現在もそれなりの数が残っていますが、ターミナル駅のビル形式はこの時点で米子と新潟のみ。機能重視でまるで役所のような妙に無機質なたたずまいは愛想のないものですが、いざ消えるとなると寂しいものです

現在は新駅舎建設中。橋上駅舎化されます

こちらの山陰鉄道発祥の地の碑は以前まま

鉄道黎明期に使用された上下が同じ形となっている双頭レールを利用した柱だという説明があります

時刻表の勘違い

米子は島根県とも接する鳥取県西部の主要都市で交通の要衝でもあります

おなじみの鬼太郎だらけの駅

境港へ境線が走っています。

そして特急やくもを降りた後は、もうひとつのミッションをこなすつもりでした

米子空港駅と米子空港を歩いて移動する

というもの。10年以上前、東京で勤務していた時に当地出身の同僚がいて帰省の際はバスで米子駅まで向かうのがいつものコースだったのですが「たまには境線を利用してみよう」と試みたそうですが「駅まで遠いし列車は来ない。もう使いません」とボヤいていました

確かに地方空港というのは各地からの飛行機がバンバンやってくる空港でない限り、バスの方が便利です。飛行機の遅延もバスは対応してくれるが鉄道は基本的に対応してくれない。米子空港駅のように途中駅の場合はなおさらです

その時の会話がずっと頭に残っていて、いつかはやってみようと思っていました。米子空港駅は空港の拡張工事のために付け替えられた境線の新線上に空港アクセス駅として設けられました

やくもは雪のため4分遅れての到着でしたが、10時31分の境線に乗って空港まで行って戻ってくれば、ちょうど鳥取方面の列車に乗れるという計画

しかしなにげにやくもの車中で時刻表をめくったところ、土曜日を中心とした列車であることが判明(日曜はほぼ同時刻の列車が定期列車として存在する)。おかしいなぁ、本数の少ない地方都市のことなのでアプリを含め入念にチェックを重ねたはずだったのですが…

いずれにせよ、どうしようもない。別の作戦を考えようとなって改札を出たところ

あれ???

10時31分の境港行きがちゃんとあるじゃないですか。しかも臨時便として。そういうこと(アプリは臨時列車に対応していた)か。当初の計画では米子空港まで行って戻ってくれば、ちょうど鳥取行きのスーパーまつかぜに乗れることになっていました。しかし、さてどうしよう。時計で分かるように出発間際です。短時間、逡巡した後

止めました

出発したからには必ず境港で折り返してくるはずで、それも時刻表通りのものだと思われますが、ちょっとリスクがある。ここは作戦変更。その作戦会議に絶好の場所が案内標の隣にあります

雪ひとつない米子駅を車窓から見て安心したのですが、猛烈に寒い。気温というより風の強さがハンパない。駅舎の中にいても芯冷えしそうです。ここでぬくぬくと過ごすことにします

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グリーンきっぷの2日間~豪雪のパノラマカー

新見駅付近は激しい雪だった

2月21日9時

車窓の変化に驚く

岡山を出たやくもは約1時間で新見に到着。そこから約1時間で米子に着くので運行上は新見が中間となります。その手前となる、こちらも全列車が停車となる備中高梁到着が8時40分。当駅までは本数も多いのですが駅のホームには、うっすら雪の姿があり、この時点では「ああ、以前の雪が残っているんだな」程度の認識だったのですが、その後は本格的な降雪。新見では既に吹雪のような状態となり、運転士さんもワイパーが必要となっています

雪また雪

昨年3月の青春18きっぷの季節に新見~備後落合+布原の全駅訪問を行ったのですが

車窓からはこんな感じ。伯備線の駅でありながら芸備線の列車しか停車しない駅で、ホームは1両分しかなく一瞬で通り過ぎてしまうのですが、すれ違いのための信号場としての性格も持っているため、駅手前からの減速があるため、何とか写っています。それにしてもホームのコンクリートは何も見えない。当駅は私の乗車電車の前に下りが1本、上りが3本停車したはずですが、少なくとも下りホームの1本は誰も利用がなかったようです。1日の平均利用者が0~2人という駅なので当然といえば当然ですが

そのお隣は備中神代。芸備線との分岐駅ですが

さらに1面銀世界。左側が芸備線用ホームですが、このあたりまで車両の端が来ることはありません

芸備線が分岐していきます

備中神代は以前の駅舎の一部が残してあったのですが

今は左側の待合室も含め撤去されています。車窓からは逆方向となりますが、チラリ見えた駅の入口付近は寂しいものとなっていました

それにしても、この写真は3月15日のものです。ご覧のように雪ひとつありません。今回の雪はそれまでに溶けるとは思えません

伯備線の最高地点

伯備線の新見~生山は県境越えとなる箇所で、特急やくもは1時間に1本の割合で走りますが普通の運行は極めて少ない場所となっています。上りと下りで若干異なりますが3時間に1本とかいう運行。それぞれの列車に乗っていると意外と気付かないのですが岡山、広島、鳥取、島根の4県境が接近する場所だというのは地図で分かります。木次線沿線の方は本数の少なさから、車で来て生山駅を利用するケースも少なくはないとか

県境越えですから、この付近が伯備線の最高標高点。鳥取県最初の駅は上石見ですが、標高は447メートルと県内唯一の400メートル越え駅。お隣の生山が288メートルですから100メートル以上も違います。そういえば昨年3月15日には上石見も訪れたのですが、駅前こそ雪景色ではなかったものの除雪した際の雪の塊はまだ残っていて驚いた記憶があります

2月21日の午前では最も雪が凄かったように見えたのは根雨駅で、こちらでは特急、普通との列車交換がありますが、駅で見送る乗務員の方も傘をささなければならない状況となっていました。いつの間にか運転士さんもコートを着ています。これだけ広い運転席で全面ガラス張りだと冷えるのも早いのでしょうね。大変だな、と思いました

さてパノラマカーの車内の様子はというと

実はガラガラでした。前の方だけお客さんがいるという、ならではの光景でした

ということでやくもは無事米子着。雪はどうなるんだろうと思っていましたが徐々に消えていき、根雨から30キロも離れていない山陰本線との合流点となる伯耆大山あたりでは、すっかり見えなくなっていました。車窓の雪は事前に予想していなかったものですが、なかなか有意義な乗車となりました

正式発表はまだですが、まだ1年はパノラマカーは伯備線を走る予定です。降りた直後は「思い残すことはない。これで満足」と思ったのですが、考えてみると観光に特化した列車以外でのパノラマカーというのは、JRではほとんどありません。ネットで早めに座席を確保すれば価格もそう高くはないし、座席の特性から、早めの確保は必然なわけで、こうやって記事を書いていると、またもう1回いや2回と乗りたくなってきます

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グリーンきっぷの2日間~大出世を遂げた路線

岡山駅でパノラマグリーンに乗車

2月21日9時30分

振り子式を迫力で体感

特急やくもは振り子電車です。これまであまり意識していませんでしたがパノラマカーの先頭車で前面展望していると車体ごと傾いているのがよく分かります

視線は真っ直ぐですが架線の柱がこんなに斜めになっている。迫力のある光景です

やくもに充当されているのは国鉄車の381系。伯備線が電化された国鉄時代の40年前から、内装は変えられているものの、ずっと使用され続けている、まさにクラシックカーです。長年走り続けている理由は他に振り子電車がないから。それは伯備線の歴史でもあります

岡山を出たやくもは倉敷から伯備線に入り、中国山地を横断。伯耆大山で山陰本線に合流すると、すぐ米子。この後は島根県に入り、松江そして出雲市まで運行されます。地図でお分かりでしょうが、ゴワゴワ感が凄い。線路がグニャグニャしているからです。大正期から部分開業していき全通は昭和初期。中国山地を行く他の路線と同じような時期で、当時の技術ですから川沿いに敷設するしかなかったのは、これも同じ。線形は悪く特急の看板を掲げ、少しでもスピードアップを図るなら振り子式にするしかないのです

思いがけないドラフト1位指名

山陽新幹線は1972年3月に新大阪~岡山が開業しました。3年後に岡山~博多が一気に全通となるので短い区間の先行暫定開業。「ひかりは西へ」キャンペーンの先頭部隊だったわけです。せっかく岡山まで新幹線がつながるのだから、何か「目玉」がほしいと目をつけられたのが伯備線です

今でこそ1時間に1本の特急が走る幹線ですが、それまでは決して高い地位にあるとはいえませんでした。1968年10月の時刻表(復刻版)を見ると伯備線の優等列車は1日3往復でいずれも急行。当時の特急はローカル線なんて走りません。うち1本は有名な集合と離散を繰り返す「ちどり」で宇野を「しんじ1号」として出発すると岡山で「たいしゃく2号」を連結。新見で芸備線で広島に向かうたいしゃくが別れた分、今度は広島からやって来た「ちどり1号」が合流して米子までともに向かうというもの

文字だけだと何のことやら分からないこの列車には、さらにストーリーがあってたいしゃく2号は備後落合で松江から木次線経由でやって来た「ちどり1号」と合流して供に広島へ向かい、しんじ1号は山陰本線から益田で山口線へと入り、終点が小郡(新山口)という蜃気楼列車かミステリートレインのような運行。今、企画列車にすると発売と同時に完売すること間違いなしです

長い説明となってしまいましたが、伯備線の地位は今ほど高くはなかったということ。閑散区間の代名詞のようになっている芸備線の新見~備後落合間にも1日3往復の急行が走っていて、普通を見ると新見~米子が1日6往復、新見~備後落合が1日8往復なので本数は芸備線の方が多い。目をつけられたのが芸備線~木次線のルートだったら島根県へ向かうメインルートは今ごろひょっとして…

ともあれ新幹線を岡山で乗り換えて山陰方面へ向かうメインコースとして大いに脚光を浴びることになります。私は小学生でしたがクラスメートが家族旅行で新幹線→やくもと乗り継ぎ出雲大社へ行った自慢げに話していたことが思い出されます。やくもという言葉を初めて耳にしたのは、その時です。10年後の78年10月の時刻表を見ると、まだ非電化だった岡山~米子間ですが1日6往復の特急「やくも」と2往復の急行が走っています。その後、着々と複線部分の拡大工事が進み、82年の全線電化から今に至ります

甲子園に1度も出たことのない無名校の選手がドラフト1位指名を受けて殿堂入りレベルの大選手になったようなものです。そもそも68年の時刻表では伯備線と芸備線は見開きで、それぞれ1ページずつしか与えられていないのですから明暗が分かれたことになります。また大きなあおりを受けたのは山陰本線で大阪、京都から鳥取、島根へ向かうメインルートからも外れていくことになりました。ちなみにやくもは伯備線の運用となるまでは新大阪から

先日までの記事で北上線を「悲運の路線」としましたが全く逆の路線ということになります

ただ線形だけは多少の改良を加えてもどうしようもなく、振り子列車が必要とされ、振り子列車の開発には大変なお金がかかるため、ずっと国鉄車両が使われてきました

備中高梁あたりで「このあたりは少し積もっているな」と感じていた雪は新見まで来ると猛烈な吹雪のような状態となってきました。2月の終わりごろ、かつて何度も伯備線を利用しましたが、こんな雪は初めて見ました

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~JR西日本区間そして、また来ます

9月9日12時

4時間の空白も不安なし

笹津駅前にあった付近の案内図。さすがに50年近く前に廃線となった富山地鉄の線路は描かれていませんが、往時を感じさせるものです

そして当駅の時刻表をといえば

11時21分の富山行きに乗ってきたので、次の富山行きは4時間後、猪谷行きも3時間半後と、おそろしく長い空白区間があることになります

ただ私に全く焦りはありませんでした。JRの時刻は分かっていて、それからのことをろくに調べもしていません。これが飛騨の山中だったら、いろいろな交通機関を必死で調べていてから下車したはずですが、ここはまず大丈夫

なぜかというと、富山地鉄の廃線跡だから。もう富山の市街地ともいえる場所なので、廃線後を担うバスがあるはずです

これは楡原の駅前で見たバス停。猪谷~富山を結ぶバスがあって、これだけの本数がある。きっと笹津も通るのでしょう

そして結果から言うと、私の考えは半分正しく、半分間違っていました

笹津駅前のバス停。1時間に1本の富山行きがあります。12時5分の富山駅行きバスまで45分の待ちです(※訪問当時のバス時刻表です)

駅舎は立派でお手洗いもあります。駅に着いた途端に雨が降ってきたのですが問題ありません。こちらの駅舎でしたら、原稿を書いている今の冬の季節でも大丈夫だと思います

バスに乗って富山駅へ向かいます

ただ後で分かったことですが、猪谷から出ているバスとは異なる路線のようで、猪谷からのバスは駅前を通らず国道41号を走って行くので、こちらのバス停から徒歩5分ほどの次の停留所まで行けば、さらにもうひとつの路線もあって1時間に3本ほどの便利な区間だったのです

JR西日本区間内でも温度差

全長225キロにもなる高山本線でJR西日本区間は36キロしかありません。全体の6分の1ほど。しかし、その中でも随分と温度差があります

こちらは婦中鵜坂の時刻表。明らかに笹津とは違う。特に7時台は高頻度です

これは運行形態を富山~越中八尾の17キロと越中八尾~猪谷の19キロで分けているから。前者の区間運転が設定されていて特に通勤通学時間帯は本数も多い。越中八尾以南の東八尾、笹津、楡原の3駅は停車列車がかなり少なくなります

岐阜から国道41号とほぼ並行して進む高山本線ですが、一部離れている場所もあり、笹津と富山の間は鉄道が旧八尾町を経由して迂回する形になるのに対し、国道は真っ直ぐ富山の中心部を目指します。富山地鉄笹津線は国道沿いを進んでいたわけで、廃線で地域の足がなくなることに対し、猛烈な反対運動が起きたこともうなづけます

ちなみに笹津~富山に限って言うと運行も多いバスは約50分、770円なのに対し、鉄道は約40分、510円とコストと時間では鉄道に軍配が上がります。ただしバスは富山の繁華街である総曲輪(そうがわ)を通ります。総曲輪は全国各都市で多く見られるように、JR富山駅からは若干離れています

富山駅に到着。13時前です

越中八尾は10年以上前に行ったのが最後で千里や西富山は降りたこともありません

適当旅らしく駅構内にある回転寿司で、今さらながら午後の作戦を練る。西富山の駅は路面電車で富山大学まで行けば十分に徒歩圏内だ、などと調べていると電話が鳴って家で緊急事態の報告。すぐ帰宅しなければならなくなりました

ついているというか、ついていないというか、これが山中の無人駅だったら、すぐ帰ろうにも帰れないところでしたが富山駅にいるので、すぐに帰れる

予定外でしたが早い時間に北陸新幹線のホーム

まだ明るいうちに大阪駅到着となりました

高山本線は地形上、たびたびの豪雨被害に遭ってきました。その度に懸命な復旧工事が繰り替えされています。過去には電化の計画もあったようですが岐阜市近郊も未だ単線非電化のまま

私が降りたことのない魅力ある駅舎も、まだあります。次回は計画を練って訪問したいと思います

これで夏の青春18きっぷの旅は終了です

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~2度の廃線を経験した駅

9月9日11時20分

貴重な遺産を次々と

楡原から1駅富山側に戻って笹津で降りました

ホームは1面2線。ホーム上の待合所で発見したものが

鉄製の案内板。今やあるようでないものとなりつつあります。長年の排煙を受けているようですが、こちらはまだまだ使えそう

駅舎へは跨線橋で向かいます

かつては跨線橋にも、このような文字が描かれていました。最近見る機会が少なくなっています。私が見落としているものもあるかもしれませんが、直近だと中央本線旧線の辰野支線、川岸駅(長野県、今年10月)

昨年までさかのぼって和歌山線の粉河(和歌山県、昨年7月)

こちらは明朝の渋い案内文字付きですが、これぐらいしかありません

ただ笹津駅のものは、かなり危ない感じがします

広い駅前とピカピカな駅舎

跨線橋を渡って駅舎に行くと

無人駅ですが立派な駅舎が建っています

旧駅舎は大正期のものでしたが、2000年代に入って現駅舎となりました

コミュニティーセンターにもなっているようです。そして駅前ロータリーは広い

国鉄の高山本線がここまでやって来たのは昭和初期のことです。ではなぜ旧駅舎が大正生まれだったかというと、富山鉄道の駅だったからです

笹津は岐阜県の神岡鉱山から神岡鉄道により鉱石が運ばれる拠点となり、その際に富山鉄道の笹津~富山が敷設されました。しかし高山本線ができたことによって鉱石輸送はそちらが中心となり、富山鉄道の路線は廃線

しかし復活を望む声は廃止当時から多く、戦後になって新たに富山地方鉄道の笹津線として当駅~南富山が新たに開業。ただ今度は自動車普及による波で実績が低下。当時は全国的に軌道線が車の邪魔だという時代で75年に廃線となりました

笹津駅のやや北側に消防署がありますが、地鉄の笹津駅はここにあったようです。つまり現在の笹津駅は、かつての地鉄の跡地に建てられています

ホーム側から跨線橋を経た駅舎への導線はこんな感じ。妙なスペースに不自然さを感じるのも、駅前ロータリーの広大さに違和感を覚えるのも、そのためです

こちらもホームから見た裏側。奥の白い建物が消防署で手前が現駅舎。並んでいるのが分かります

また高山本線で富山方面へと向かうと車窓右手の草むらが分岐していく様子が残っていて廃線跡だと伺えます

帰ってから調べたことですが、廃線跡の痕跡は、あまり残っていないものの、12キロという手頃な距離だからか、南富山~笹津のウォーキングイベントは開かれているようです

駅舎内には地元紙が張ってありました。廃線は全国で見られる姿ですが、2度の廃線というのは、なかなかないことだと思います

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~難読というより難文字

9月9日10時50分

高台の駅

ギリギリ乗れた婦中鵜坂から30分

キハ120は楡原駅に到着です

こちらも読むのが難しい。難読駅には2種類あって、簡単な文字ながら思わぬ読みをするものと漢字そのものが難解なものに分かれますが、こちらは後者です

今は富山市となっていますが、十数年前まであった細入村の中心駅。楡原は地名です。特急停車駅である猪谷も細入村でしたが、役場があったのはこちらで駅前も開けています。猪谷の隣ですが区間距離は7キロとかなり長い。高山本線し神通川に沿って敷設されていて、このあたりまで来ると町がパーッと形成されてきて飛騨山地から出てきたというイメージとなります

付近は盆地となっていて背後の景色でも分かるように、婦中鵜坂あたりとは違って山間の町となっています

じっくり駅名標を眺めてもやはり、なかなか書くのも難しい

駅は高台にありスロープまたは階段で駅舎に向かいます

駅舎はJR移管後に改築されたかわいいもの。背後にホームに向かう階段が見えます。階段を使いたくなければ右手に見えるスロープでも可能。駅舎の時計が微妙に進んでいて、ちょっと焦りました

撤去された線路と撤去される待合所

さて、その階段ですが実は2つあります

ひとつは完全に塞がれています

再びホームに戻ると、現在のホームの向こう側にもうひとつホームがあることが分かります

かつては2面2線の交換駅だったものが単式ホームにされ、と同時にもうひとつのホームに向かう階段も入れなくしたのでしょう。2面ホームというのは構内踏切や跨線橋で結ばれるものですが、高台のカーブ状にホームは設置されています。駅舎から、それぞれのホームへと階段で向かい、いずれも屋根付きという、なかなか珍しい構造だったのですね

そのホームには

こちらはかなり年季の入った待合室が設けられています。駅舎ももちろん待合室として利用できますがホームにもしっかりと待合所があるという、なかなか親切な構造。入ってみようとすると

……

……

なくなるようです。しかも3日後の話。老朽化に伴うものでしょうか。これを書いている時点では、とっくになくなっていることになります。ホームの待合所撤去も各地で見られます。当然知らずに降りたのですが、間に合ったという表現が正確なのかどうかは分かりません

待合所の内部。この時期はあまり使われていなかった感じですが、歴史の証人がひとつ姿を消したことになります

当駅滞在は20分ちょっと。猪谷から折り返してきたキハ120に乗り、再び富山方面へと向かいます

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~先生お願いしますよ(泣)

9月9日9時55分

絶対行く駅へ残り20分での徒歩移動

今回、絶対行く駅リストの最後となるのは婦中鵜坂です。駅舎も何もない棒状駅ですが、高山本線で最も新しい駅で、なおかつ駅設置への課程も興味深いので、ぜひとも訪問したい駅です

現在いる速星のお隣なんですが、時刻は10時前。婦中鵜坂に向かう富山行きは1時間半後。それは待っていられない、というか私としては再び高山方面へと向かいたい。まだまだ行きたい駅はあります。となると、婦中鵜坂発10時21分に乗らなければなりません。もう30分もないのですが、任せておいてください。作戦は万全です

線路に並行して真っ直ぐ道路があります

駅間距離はわずか1・7キロ。グーグルマップによると1・8キロ、徒歩での所要時間は22分となっていますが、20分以内で歩けるでしょう。しかも道路はほぼ平坦で広い。迷うこともないので10時10分ぐらいには到着できるはず。速星の駅前にはタクシーもいますが乗ると怒られそうな距離。鼻歌交じりで歩き始めます

社会実験からスタート

婦中鵜坂は「ふちゅううさか」と読みます。速星駅が旧婦中町の中心駅だったことは前回の記事で説明しましたが「婦中」という町名の駅は存在しませんでした。「鵜坂」は、もっと前にあった村の名前。いわば2つの自治体名が駅名として復活したわけです

元はというと高山本線の利用を喚起しようと富山市が始めた活性化の実験として臨時駅として2008年に富山市が経費を捻出して設置しました。臨時駅というか実験駅です。3年間様子を見る、ということになっていたのですが利用者は3ケタになり、3年が経過しても臨時駅のまま存続。さらに3年後の14年に正式駅に昇格しました。高山本線の新駅は約60年ぶりのことでした。利用者は順調に増え続け2019年には500人近い乗降がある駅となっているので十分に成功です

富山までは、わずか2駅、10分です。中心部への近さが成功の原因ーと、ここまではあくまでもデータとして知っただけなので、これはローカル線の駅の貴重な成功例として周辺も含め見ておきたいところです

なにゆえ分岐点が?

徒歩の方は順調で、右手にある野球場を見ながら「社会人野球の日産化学のグラウンドって、ここなんかなぁ」などと考えていると北陸道の高架をくぐり、踏切のある大きな道路に出ました。駅はすぐ向こうのはず。この時はナビタイム先生の導きでしたが、踏切を越えると線路の逆側、つまり線路の東側を歩いてきた道を西側に行けという、お達し。写真を見ただけですが、駅は1面1線棒状駅なのでホームはそちら側にあるのかな、という認識。住宅街の中の線路沿いの道をどんどん歩いていきます

と、チラリ駅のホームが見え始め

ホームは逆側(つまり最初歩いてきた道)やん!

これは焦りました。ナビを見ると最後は点線で線路を越えて駅に行くことになっています。これは不安。立ち止まってしばし思案。何か地下道があるのかもしれませんが、もしなかったら…

10時21分の次は12時31分の越中八尾行き。つまり2時間待っても猪谷の手前で終わりです。猪谷行きはとなると14時26分と4時間後で、お話にならない。既に富山市の市街地なので脱出はできるでしょうが、とにかく先生を信じるのはリスクが高いと判断。来た道を引き返して小走りも交えながら、ホームがある方向に進んでいくと

駅への通路が見えてきて(最初の道を真っ直ぐ行くと向こう側に出たことになります)

何とか到着。10時18分。3分前でギリギリセーフ

高山の朝は肌寒いぐらいでしたが、すっかり平野部に降りています。当然汗だく。ただ運が悪かったというか何というか久留里線の平山駅の時とは異なり、ホームには先客あり。スマホを触っていた若いお兄さんに「何だ?このゼーゼー言ってる汗だらけのオッサンは」といぶかしげな目で見られました。まぁ、そう思いますよね

とりあえず駅名標は必要だと写真を撮っていると、もう列車の音が

でも良かったです。勝手知ったるキハ120で。こちらは遠くで音がしてから、なかなか姿を見せないことを私はよく知っている(笑)。ホーム上は少しウロウロできましたから

ということで駅の周辺を見ることもなく出発しました

ちなみに最初のコースで来ると、右側に来ます。「勝手踏切など造らせないぞ」という強い意志を感じます

ただ今回掲載したグーグルマップもナビタイム先生と同じ指導をしています。もちろん最後は「…」で(それが不安なのです)

確かにホームの逆側が住宅街となっていて住民の皆さんは遠回りをしては不便きわまりない。古い駅だとよくあるのですが、臨時駅を含め、わずか20年前のことなのに近道を造らないままにするのかなぁ、しかし入れそうなコースはなかったなぁ、そもそも簡単に真っ直ぐ進む道路を指示するべきではないのか、などと独りごちながら列車に揺られていました

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~意外と普通に読む広大な駅

9月9日9時50分

キハ120も混雑

都会の電車にしか乗ったことが地方ローカル線に乗って、まず驚くのが単行(1両編成)運転の列車があることとボタンを押さないと開かないドアだそうです

もっとも後者については空調維持のため都会でも違う形で導入されていて、普通の待避が多い阪神の新型車両では車掌さんがすべてのドアを開けるものの、停車中は乗客がドアを閉められるようになっています。真夏とか真冬とか助かるのですよ。ただ見ていると、まだまだ定着とはいかず、ドアをプシューッと開けて入ってきたお客さんが閉めずにシートにどっかり座り「寒い」とばかりに他のお客さんが閉めるシーンがよく見られます。私も閉める側によく回りますが嫌みのように思われているかも

さて単行(1両編成)運転の代名詞のようになっているJR西日本のキハ120。間違っていたら申し訳ないのですが、高山本線では2両編成となっているようです。なかなかやるじゃないか!

その2両編成のキハ120。富山に向かうにつれ、お客さんがドンドン乗ってきてキハ120名物(と勝手に私が思っている)のボックス独占は、ままならない状況に。青春18きっぷ最終盤で、明らかに同業者と思われる人もバッグをひざに載せたりと慌ただしい

私は富山まで行かず速星で下車。猪谷から約40分。もう富山までは3区間で10キロもありません。旧婦中町の中心駅。文字だけ見ると「何て読むのか」と、いろいろ考えてしまいますが、ご覧の通り訓読みを並べて「はやほし」と普通。全国の難読駅を見ている人こそ引っかかる、ある意味難読駅かもしれません。地名で駅から近い速星神社にちなむようです

地図でも描かれているぐらい大きな構内、多くの側線を持ちます

高山本線では貴重な駅

これは隣接する日産化学の工場につながるもので当駅は今も現役の貨物駅。そして現在の高山本線では唯一の貨物列車が運行されている路線となっています。高山本線においては貴重な駅

駅舎は

歩行者用の屋根が設置されていて少し分かりにくいですが、1927年(昭2)からの開業時のもの。駅舎の広さも維持されています

指指確認の文字は古そうです

みどりの窓口あり。富山中心部へのベッドタウンで利用者は増加傾向。一部の特急も停車する乗客4ケタの駅ですが、みどりの窓口については危うい状況のようです

立体型というか駅舎から少し飛び出る形の表示がいいですね。というか「全線きっぷうりば」をずっと見てきたのでJR西日本区間に入ったことを実感します

立派な駅名板。書かれた方の署名があるようですが達筆すぎて読めず。すいません

駅舎内の待合も立派です。冬場は大いに助かりそう

せっかくテレビまであるのだから、これならいくらでも時間をつぶせそうですが、あるあるというか、こういう時に限って時間がない。事前に決めた「どうしても行く駅」がある。列車はしばらく来ないのですが、とにかくそちらに向かいます

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