JR西日本

城端線の全駅訪問を思いつく~戦後生まれの棒状駅からスタート

東石黒駅の駅名標

※訪問は2023年9月10日

1時間に1本の運行

高岡から約40分。東石黒駅が本日最初の訪問駅

こちらが当駅の時刻表

城端線は基本的に1時間に1本の運行で高岡~城端を走る。臨時扱いの観光快速を除くと、すべてが普通列車で、平日の朝のみ高岡からあいの風とやま鉄道に乗り入れて富山まで直通する列車が2本運行されている。話はそれるが、この2本は高岡~富山で見られる貴重な気動車ということになる。運用にあたるのは、いわゆる「タラコ」のキハ40、47

1時間に1本というのはローカル線では本数の多い方だ。元々はひとつの路線だった高岡からの氷見線は、城端線より少ない。前記事で記した通り、全体で14駅しかも30キロの中に詰め込まれているので全駅訪問はそれほど難易度は高くない。2キロにも満たない駅間もあるため、徒歩も駆使すれば次の列車に間に合ってしまう。もっとも訪問当日は9月10日と、まだまだ酷暑の日だったので、できるだけその手段は避けよう

駅の開業までは戦争をはさむ

東石黒駅は棒状ホームと待合所のみの簡素な構造

立派なキロポストがホームに建っているが、開業当初から現在の姿

設置は戦後の1951年(昭和26)。駅が造られることは戦前から決まっていたが、戦争をはさんで開業となった。駅の構造が旅客営業のみの対応なので貨物の運用は最初からない

駅名は1954年まで存在した東石黒村に基づく。東石黒村は福野町を経て現在は南砺市。ちなみに東石黒村があったのだから石黒村もあったが、こちらは戦後、福光町に入る形となった。ただし今はともに福光町

福野、福光の両駅は19世紀からの歴史があり、その中間に設置されたため、距離も近い

線路に沿って真っ直ぐ歩くと福野の街に入り、福野駅に着くことができる。線路とともに歩けるという駅巡りでは絶好のルート。ただ繰り返すが、この暑さでは歩かないのである

駅の全景はこんな感じ

自転車置き場があり

踏切横の小さな階段を昇ってホームに入る

ただし駅全体を見ると

その気になれば、小さな土手を上がると柵もなく容易にホームに入れてしまう、よく北海道で見られる構造。もちろん、それが合法的なものかどうかは不明。1日に50人ほどが利用する駅で、滞在中はどのような入り方、降り方を地元の皆さんがされるかどうか注目していたが、ちょうど朝の通勤通学の時間帯が終わったばかりで駅にやって来る人はいなかった。ずっとホームにいたのは明らかに同業者(鉄道ファン)で、なおかつ駅訪問を趣味としているであろう方と私の2人きりだった

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高山本線全駅訪問のシメ行脚~猪谷駅「大きな変化あり」の報に驚く

猪谷駅に到着

※訪問は2023年10月19日

まだ暗い富山駅から出発

富山駅は青春18きっぷの最終日となった9月10日以来。1カ月以上が経過して季節も秋へと移り変わり、いつまでも暑い2023年だったが、朝の5時過ぎはまだ暗い上に肌寒い

今日明日で、ようやく高山本線の全駅訪問を終えるつもりである

昨年の18きっぷ最後の2日間でフラリ高山本線に乗ってみたのがことの起こり。当時は主要駅や気になった駅だけを訪問するつもりだったが、妙に気持ちに火がついてしまい、その後

2月 西日本グリーンきっぷで北陸新幹線の各駅訪問をした際にJR西日本管内の2駅訪問

4月 青空フリーパスで岐阜~下呂の8駅を訪問

9月 青春18きっぷでJR西日本&JR東海の7駅を訪問

のべ5日もかけている。2月は西富山から日本で最も長い駅名となった「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)停留場」まで歩くという目的もあったが、それでも2駅を訪れている。4月と9月はそれなりに「ガチ」で早朝から臨んだつもりだが、1日では意外と回れていない。なぜこのようなことになったのかというと、最初につまみ食いのように回ってしまったため、相互に訪問しづらい駅ばかりが残ったためだ。当初から計画的に回っていれば、もっと早く終わったと思われるが、終わったものはしょうがない

本来なら9月の青春18きっぷで終わらせるつもりだったが、どう考えても2日では終わらないことに気付いた。そこで高山本線は1日で終え、18きっぷの残る1日は城端線に充てることに。城端線と氷見線の三セク化ニュースが出たばかりで、こういうのはまとまり始めると早いと高岡へ

そして今回は秋の乗り放題パスを使用。城端線、氷見線の未回収駅を訪れた後に富山で宿泊。さすがに今日明日の2日間で回り終えることになる。その後は名古屋方面へと向かい、名鉄を2日間、満喫する予定となっている

駅数が増えた高山本線

新幹線は6時を回ってからということで、まだシャッターが降りているが

あいの風とやま鉄道と高山本線の改札はすでに営業を始めている

高山本線については、北陸新幹線の開業で「新駅が開業したわけではないのに駅数が増える」という現象が起きている。これは富山駅の所属によるもの。2015年の北陸新幹線延伸まで駅としては北陸本線の所属だったが、同線が三セクのあいの風とやま鉄道に移管されたため、必然的に残る高山本線の所属になった。だから高山本線は現在45駅で所属は44駅(岐阜駅の所属が東海道本線となるため)。44という数字を見ると、なかなかの数だが、とにかく今日と明日で終わらせよう

2両編成のキハ120で降りた衝撃

高山本線のJR西日本区間である富山~猪谷はキハ120が担当する。同じ富山県の氷見線、城端線はいわゆるタラコのキハ40の運行だが、こちらはキハ120。キハ120というと山中を走る単行のイメージが強いが、こちらは常に2両編成で通勤通学の時間帯は多くの人であふれる。また直線部分では、かなりの猛スピードを見せてくれるなど、他地域とは違う姿を見せてくれる

猪谷駅の衝撃ニュース

列車は50分で猪谷に到着

乗車しているうちに、すっかり夜は明けた

ここまでが富山県、ここまでがJR西日本で両社をまたぐ普通列車は現在、運行されていないので必ず乗り換えとなる。乗り換え時間は列車によってさまざまで、すぐに乗継ぎ列車が出発するパターンもあれば、しばらく待機、さらには数時間にわたって普通がないこともある。私の乗車列車は18分の接続。昨年から何度となく降り立つことになったこのホームもしばらくは来なくなるかもしれない、とこれまた何度も撮った駅舎を記念撮影

やがてやって来たJR東海の車両に乗り継ぐ

同一ホームで前後の乗り換え。このパターンに出会うのは初めて。これまでは島式の向かいホームへの乗り換えばかりだった。頻度は分からないが、私にとっては貴重な体験。この後、JR区間を目指して山中に入っていったが、つい先日、X(旧ツイッター)のフォロワーさんから年明け訪問した際、特徴ある駅名板が変わっていたとの投稿があってビックリ

これは9月のものだが、猪谷駅の存在感を際立たせていたこの駅名板が普通の「JR 猪谷駅」という板に付け替えられていたという。猪谷で降りて、まず目に飛び込んでくるのはこれだろうという存在感を放っていたものがなくなったとは。新年から衝撃のニュースだった

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天候に左右された2023年を振り返る(後編)

7月初日から足止め

7月は佐伯のホテルで迎え

早朝から名前シリーズを無事に全駅訪問。たった4駅ですが2日かかります。10月も同様の行動となるのですが、佐伯~延岡の超難関区間を訪ねる際は、必ず朝の6時台に活動を開始して7時台には強制終了となるので、ホテルに戻って改めて朝食というパターンが定着してしまいました。この日は蒸し風呂に入っているような気候だったので朝からあらためてシャワーを浴びたりする(笑)

ただ雨の方はというと最も活発な前線は九州を去ったようなので、すっかり安心

結果的に佐伯から延々と普通のみを乗り継いで日豊本線小倉に到着後、まだまだ明るいため、せっかくの旅名人きっぷなので小倉モノレールを堪能しているうちに前線が東に移動して山口県内のJRが全線ストップ。帰れなくなりました

もっとも足止め先が小倉という大都市だったので宿をとり、一度は残る1回の権利を持ち帰ろうとしていた旅名人きっぷは翌日に消化することにして事なきを得たのですが、山口県の鉄道網は、この時の雨で大きな爪痕を残しています

翌日は旅名人きっぷはフル活用して平成筑豊鉄道と

筑豊電気鉄道の両社に乗車。よく混同される両社ですが、全くの別会社。平成筑豊鉄道は元国鉄の第三セクター、筑豊電気鉄道は西鉄の子会社です

この月は四国バースデイきっぷを利用して

営業中の田井ノ浜駅で降車。コロナ禍が明けて久しぶりの営業となった海水浴用の臨時の当駅。訪問は青春18きっぷ利用初日の平日で、さすがにまだ人の姿は少なかった。自分の誕生日が7月で良かったと思える瞬間。この旅では香川県内の駅はほとんどいかなかったにもかかわらず、高松で2泊もしてしまい、どちらかというと「高松での飲み」が中心でした

雨のおかげでライトレール

この後は酷暑のおかげで行動は停止。急な葬儀で横浜に出かけることはありましたが、この後の1カ月間、猛暑の中で何をしていたのか、ほとんど思い出せません。活動再開は8月後半からで、残る4回の青春18きっぷをそろそろ使い切らないとマズいとなり、広島へ。当初は呉線方面へと出かける予定でしたが、三原で新幹線を降りると激しい雨のため呉線は遅延。山陽本線も遅延していましたが、しばらく経つとダイヤも復活しそうだったので、思いつきで瀬野で下車

久しぶりのライトレールは。おそらく私にとっては最後の乗車になりそうです

そして31日からは月またぎで北海道へ。これは私にとっては一生忘れられない体験になることは、ほぼ間違いありません

トラブル続出の北海道

到着の当日は天候にも恵まれ、旭川空港から順調に稚内へ到達

折り返しで抜海で降り立ち、地元の宿で楽しいひとときを過ごしたまでは良かったのですが、翌日に宗谷本線が全線でストップ。旅人宿「ばっかす」のご主人の機転で稚内→(バス)→札幌→(JR)→旭川というルートを教えてくださり、無事に旭川にたどり着くことができましたが、大回りをしての500キロもの移動はかなり大変でした

そして、これはあまり書いてこなかったのですが、北海道上陸とともにカードのトラブルが発生していました。カード会社も電話をくださるのですが、旅先の移動中ばかりで、うまく通話がつながらない。稚内でバスのチケットを確保してから出発まで2時間近い時間があったため、これは良い時間だと、こちらから電話。ただカード会社でよくあることで、オペレーターとの電話が全くつながらず

稚内に行ったことのある方なら、距離感が分かると思いますが、駅で電話をかけ、つなぎ放しにしたまま防波堤ドームまで歩き、探索して駅へ戻ったころに、ようやくつながった。感覚的には稚内から札幌までのバス6時間より、長かったです

カード会社との話はまだ終わらず、今度は向こうから電話をくれることになったのですが、当日は移動だけで電話に出る時間がなさそうなので

翌日に廃線予定の根室本線各駅を回って一度富良野に戻ってくるタイミングの、おそらく富良野カレー店の前で並んでいるであろう時間帯を指定したところ、ピッタリその時間に電話をいただき、電話を切った直後に入店の順番が来てトラブルは解決しました

北海道から帰ると今度は青春18きっぷの残る2回を消化すべく高山本線へ。あまり世の中で話題にならないのですが、廃ホーム上に神社がある角川駅が路線すべてで最も印象に残る駅となりました

9月は

珍しく観光で長野県の戸隠神社で戸隠そばを食べたりして

広島県の庄原で芸備線・木次線のイベントに参加

岡山での乗継ぎ割引もなくなっているので、岡山まではおとなび割引で新幹線を利用。岡山からは普通を乗り継いで備後庄原まで行ったのですが。3080円という運賃にビックリ。考えてみると、このあたりの区間って青春18きっぷのようなフリーきっぷか、神戸市内からの通し運賃でしか乗車したことがないので、こんなに距離があるとは実感できていませんでした

平日にもかかわらず、備後落合駅は件の1日1本の集合便に乗車する人でいっぱい。18きっぷの季節はもっと凄いのでしょうね

イベントを夕刻に終えると、バスで広島駅まで行き新幹線で帰宅。考えてみると、この日は一切、芸備線には乗車していない。この時間帯なら、このコースが最速なのでやむを得ませんが、芸備線のイベントに来て芸備線に乗らずに帰るというのは、ちょっと複雑な気持ちでした

完全制覇…とはならず

10月はハロー自由時間きっぷで九州新幹線の全駅訪問を達成。これで全国各地の新幹線駅すべてを訪問したと喜んでいたら、北陸新幹線の飯山駅という乗り残しがあったことに後で気付く。昨秋、JR東日本パスで上越新幹線と北陸新幹線の各駅を訪問した際に乗車した新幹線が飯山駅通過だったのです。わずか1駅だけ残して、これは痛恨。来春の敦賀延伸以降の課題となりそうです

この旅では再び宗太郎ルートにチャレンジして市棚駅訪問。またもや訪問後、延岡駅のホテルで朝食となりました

この後、鉄道の日記念パスでようやく高山本線の全駅訪問を達成

その足で名鉄訪問となりましたが

名鉄275駅で最も利用者の少ないこどもの国駅に寄ったり

信号の赤↔青だけで飽きない西枇杷島のデルタ線が楽しかったです

急な「主役」に驚き

11月は降り鉄にとっては、徒歩も苦にならない最も良いシーズンなんですが、歯科医の自費治療で会社員時代の1カ月分の手取りに近いお金が消えていったので、どこにもでかけず。12月の声を聞いて青春18きっぷによる外房線の全駅訪問を行いましたが、その後、大きなニュースになって驚きました

こちらが浪花駅時刻表。6時36分発の青文字となっているのが、話題となっている勝浦6時25発の1日1本の東京行き通勤快速です。この時は貴重な1日1本だなぁ、としか思っていなかったのですが、まさか県知事や市長、町長が正式抗議する事態になるとは考えてもいませんでした

前編より長くなってしまいましたが、おそらくそれは後半の方がアクシデントが多かったからだと思われます。年明けは青春18きっぷの残り2回分を使用すべくスタートするつもりです

皆さま、よいお年をお迎えください

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~これはムリと関西人の難読駅へ

越中八尾駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

時刻表とにらめっこして出した結論

前記事で絶対オススメとした角川駅の時刻表。現在の時刻は12時半。つまり坂上から11時58分の列車で到着して12時36分の猪谷行きに乗ろうとしている。というか他に乗り物がない。高山寄りの飛騨細江、杉崎は未訪問駅だが、列車は3時間後。飛騨細江までは6キロほどあり、歩いてもおつりが来るぐらいだが、この猛暑の中、山中の国道を歩くのは無理というものだ

そんなこともあり、90分の待ち時間があった坂上でいろいろ考慮した挙げ句に導き出した答えは「今日明日での高山本線全駅訪問は不可能」ということ。青春18きっぷは明日まで。つまり、また来なければならないのだ

ちょうど「氷見線、城端線を三セク化」の報道が出たころだった。こういうのは一度流れが決まると話がどんどん進んでいくものだ(結果としては非電化区間ということで、もう少し時間がかかることになった)

ならば明日は富山から高岡に出て氷見線の各駅を訪問しよう、と急きょ予定変更。早い話が18きっぷの最終日は高山本線でなく氷見線となった。おそらく10月には鉄道の日記念のフリーきっぷが出るはず。高山本線の全駅訪問は、その時に完了させよう

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同業者も避ける列車

となると話は早い。高山本線のJR西日本区間では東八尾の1駅のみが未訪問。東八尾へと向かうことにする

ということで今年もやってきた猪谷に約30分。富山県とJR西日本の最初となる当駅には13時7分に到着。ただこの列車には、ほぼ誰も乗っていないぐらいガラガラなのは昨年の経験で知っていた。18きっぷのシーズンに同業者(鉄道ファン)が避けるほど。なぜかというと猪谷で接続も折り返しもないから。猪谷から次の富山行きは15時20分発、高山行きは15時8分。猪谷ではJR東海とJR西日本の列車が接続するダイヤとなっているが、朝と昼はこの1本だけが猪谷で行き止まりとなっている。だから同業者にも人気はなく、一般客は岐阜県内の飛騨古川まででほとんど降りてしまうため、途中から車内は寂しくなる。見たところ、猪谷まで来たのはほぼ全員が同業者のようだが、私を入れて5人だった

時間はあるので国道まで出てみた

ただ猪谷からの乗継ぎが2時間ないと断定するのは、正確には多少異なっていて駅から5分ほど歩いたバス停に行くと富山駅行きの路線バスはそれなりの本数があって、この時間帯なら時間的にちょうどいい13時35分が出ていて、楡原駅、室津駅近辺を通る

また猪谷は特急停車駅なので、富山行きは14時10分、高山方面行きは13時40分にそれぞれ「ひだ」がある。昨年は猪谷で30分待って高山までひだへ特急課金した

そして今回の私はというと

1時間待ちで越中八尾まで特急課金。八尾方面へはバスが通っていないので必然的にこうなる。毎度のことながら猪谷駅の無人駅の駅舎内で急に話し始める券売機にはビックリさせられた(笑)

重厚な駅舎の越中八尾駅

ということでわずか20分、越中八尾に到着。十数年ぶりにやってきた

平成の大合併まで八尾町の中心駅だった。1927年(昭和2)に富山から当駅まで高山本線の祖が開通。駅舎は当時からの立派な豪華な木造である。特急ひだも全列車が停車する

関西人泣かせというか、ほぼ100%「やお」と誤読してしまう。大阪の同名の都市は河内音頭で有名すぎるからだ。大阪府の駅は明治生まれ。読みは異なるが、同名だったので「越中」がつけられたと思われる。この後、列車に乗ると明らかに関西から来たと思われる学生さん風の18キッパー2人が「やつお、とは読めへんな」と話していたが、誰もが同じ感想を持つと思われる

ちょっといい味を出している案内板が残る

カウントダウンに入っているようだが、みどりの窓口が現役

駅名板の横には速星駅と同じく、輝く「みどりの窓口」がある。駅舎内のテレビではプロ野球中継。そういえば速星も駅舎内にテレビがあり、ワイドショーを見た。駅舎内でテレビというのは、ありそうで意外とない素晴らしいサービスだが、無人化されるとどうなってしまうのだろう

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~ジャンボ駅名標で知られる分岐駅

東岡山駅の駅名板

※訪問は4月6日、状況が変化している可能性があります

失われつつある吊り下げ駅名標

今年になって中国地区の各駅でホームの吊り下げ式の駅名標がどんどん撤去されているそうです。駅舎がなくなるのではないため公式なアナウンスがなく理由は分かりませんが、吊り下げ式は維持費がかかるからなのでしょうか? わざわざ撤去する理由は、それ以外に考えられない

吊り下げ式とは、このような形のもの。写真は新幹線の岡山駅ホームで、さすがに岡山駅の新幹線ホームからなくなることはないでしょうが、凄い勢いで撤去が進んでいるようです

私の認識では、かつて駅名標はホームに立っている形のものが多く、駅の利用者が増えるにつれ「ホームに駅名標が立っているとラッシュ時にじゃま」ということで、上へ上がっていった。同じJR西日本管内でも近畿圏の駅名標はまだ天井からぶら下がっています。駅によっては強風時にブランコのように揺れて「大丈夫か?」と思わないこともないですが、強風で駅名標がぶっ飛んだという話は聞かないので、かなり頑丈に取り付けられているのでしょう

吊り下げ式は中に電灯が入っているものが多く、節電の意味もあるのでしょうが、これは点灯させなければ済むこと。駅名標をひとつ撤去することで、どれぐらいの節約になるのか私には分かるすべがないのですが、児島駅のような、ご当地的駅名標までも容赦なく撤去されているようです

東岡山駅では生存確認

駅名標の撤去という意味では、最も影響を受けるのは東岡山です。こちらには鉄道ファンにもかなり有名なジャンボ駅名標があります

南口改札を入った所にドーンと設置されています。普通サイズはおそらく文字のある部分でしょうから、空白部分を見るだけでも普通の駅名標よりはるかに大きいことがよく分かります

これがなくなっては「駅名標界の損失」です。心配になって7月23日に青春18きっぷで高松から戻ってきた際、当然のように当駅を通るので、おそるおそる確認したところ、しっかりと生存を確認できました

東岡山ではもうひとつ、普通の吊り下げ式駅名標があったのですが、今回は駅で降りることがなかったので、こちらについては分かりません

分岐駅にして管理駅

東岡山は山陽本線と赤穂線の分岐駅です。分岐駅とはいっても両線とも運行は岡山までの直通で東岡山止まりというのは原則ないので、当駅~岡山はとても本数の多い区間となります

東岡山はとても大きな駅舎を持っています。実はこの角度だけでは写真に入りきらない

斜めにして左側の部分もフレームに何とか収まる

新大阪方面から岡山へ向かうと、このあたりは間もなく到着のアナウンスが流れ、すっかり減速するので大きな駅が車窓からよく分かる駅でもあります

瓦葺きの駅舎は1935年からのもの

すっかり岡山の市街地に入っています。2つの高校もあって朝夕は生徒でもにぎわう

そして当駅は今回紹介してきた山陽本線の岡山県区間である三石以西の西川原(岡山のひとつ手前)までを司る管理駅でもあります

ジャンボ駅名標とは対照的に駅舎に掲げられた駅名板は国鉄文字のもの。電車の本数や利用者数のイメージとは、やや異なるのんびりした空気も流れていました

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~国鉄末期に誕生した難読駅

上道駅の駅名標

※訪問は4月6日、状況が変化している可能性があります

同名駅があるだけに

答え合わせからスタートしますが、なかなかこうは読めない駅です。「じょうどう」なら急激に普通の読みになってしまいますが、1文字濁音が外れただけで難読駅の仲間入りです

難しさを増しているのは同じ「上道駅」が同じJR西日本管内にあるため。鳥取県の境線にも「上道駅」が存在しますが、こちらは「あがりみち」と読む。同じ文字でありながら、カナにすると似ても似つかないというあたりが、おもしろい。開業は鳥取県が1952年に対し、岡山県は1986年。山陽本線の駅の方がかなり後輩になりますが、元々あった自治体名「上道町」に基づくものなので、別名とはいかなかったのでしょう

駅を降りたところに解説がありました

難読駅については由来を知りたくなる。こういうかゆい所に手が届くのは、とてもうれしい。解説によると元々は「かみつみち」と呼ばれ、後に「じょうとう」に変化。「上東」の文字が充てられることもあったという。「上東」が定着していれば、境線との区別も必要なかったし、難読駅になることもなかったのかと思うと、なかなか興味深い

周辺は新興住宅街と重要国道

駅の開業は1986年11月ですから、国鉄末期というか翌年3月の民営化へのカウントダウンの時期。駅の南側に新たな住宅街が誕生したため、新規開業となりました。「国鉄のうちにやっておくことはやっておこう」と新設された駅が各地で見られますが、おそらくそうした案件だと思われます

こちらも駅前の地図で詳しい

駅があるのは地図の左端。兵庫県側からやって来た山陽本線と山陽新幹線が合流した地点にあり、駅に近い新興住宅街は「城東台」と、難読を避けたかのように命名されています。そしてこの地図でも分かるのは、元々の上島町(1971年に岡山市に編入)の中心からは若干離れているということ

この上道地域センターがかつての町役場の場所。車で10分とは、かなりの距離ですが、こちらにはそもそも新幹線以外の線路が通っておらず、城東台を造成した会社が駅の設置費用を負担したこともあって、駅は現在の場所となりました

ただ駅の南側を通る国道250号は山陽本線、山陽新幹線とともにそのまま岡山市内に入るルートで、交通量も多く、ロードサイド店が並ぶ道路です

橋上の無人駅

上道駅は橋上駅舎。1日2000人以上が利用しますが4年前に無人化されています

現在は簡易式のICOCA改札機がポツンと置かれているだけですが、4年前まではみどりの窓口設置駅でした

比較的新しい駅ですが、なぜ並べて案内をしているのか微妙な感じがする手洗所の文字は独特

ホームは2面2線。1986年開業ですので、もとより貨物の扱いはありません。新幹線の高架直下が北口となりますが、南口に比べると北口は静かです。ここから新幹線と寄り添いながら岡山を目指します

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~山中の「瀬戸町」から列車は増える

瀬戸駅の駅名標

※訪問は4月6日、状況が変化している可能性があります

旧瀬戸町の代表駅

瀬戸駅です。当駅折り返しの電車が頻発しており、ここから岡山に向けては昼間も30分に1本と本数が多くなります。2面3線で駅の規模も大きく、少し前までは管理駅でした

現在の住所は岡山市東区瀬戸町ですが、16年前までは単独の自治体「瀬戸町」でした。瀬戸駅は同町の代表駅

駅の周辺に役場などの公的施設や学校などが集まり、町の中心部を形成しています。また熊山駅の記事でも説明した通り、岡山市内にありながら赤磐市の市役所最寄り駅でもあります

その瀬戸町ですが、町名のイメージとは異なり、瀬戸内海には面していない内陸の町。地名のできた古代には瀬戸内海に面していたそうです

駅舎は昭和13年生まれ

駅の開業は1891年(明治24)と、こちらも沿線の他駅と同様、歴史がある。現在の駅舎は1938年からのもの。少しずつ手を加えられているようですが

ホームの柱と上屋には年輪を感じさせます

こちらも駅舎と同年齢のよう

駅入口の駅名板。こちらも年季を感じる。駅舎の屋根に設置されたものと2つ縦に並べるように掲げられています

南口も設置

瀬戸から岡山までは25キロ。電車でも20分ほどの距離

ホームに立つと駅舎とは逆側に住宅街ができています。これだけ岡山市内の中心部まで近いのですから当然といえば当然

ということで2011年に南口が設置されました。岡山県内に入って簡易式のICOCA改札機ばかり見てきましたが当駅は開閉式。ただ過去何度か書いている通り、青春18きっぷの使用時、JR西日本の無人開閉式改札はなかなか難敵なのですが

駅舎側の改札は本来、改札機に入らないきっぷのために駅員さんがチェックするスペースが空けられています。地区によって異なるのでしょうが、岡山地区では青春18きっぷのシーズンは「自由にお通りください」と案内されている場合があります

こちらは当駅訪問の前日に金光駅で見たもの

なお瀬戸駅は窓口は閉鎖されていてみどりの券売機が設置されていますが無人駅ではありません

「窓口に誰もいない有人駅」こちらも最近多く目にするようになってきました

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~縁起駅はビール工場で栄える

万富駅の駅名標

※訪問は2021年12月12日、状況が変化している可能性があります

縁起の良い駅として知られる

万富駅。ここから山陽本線は岡山市内に入ります。所在地は東区瀬戸町万富。駅名は旧万富町に基づきます。万富町は戦後10年で瀬戸町と合併。その瀬戸町は2007年に岡山市に編入となりました

「万富」という名前がとても縁起の良い名前だとして古くから知られていました。訪問時に不思議に思ったのですが、自分の中では有名駅だったのですが、2019年に無人化されて以来、入場券を買うすべがないのではないか、ということ。もっと大々的に、記念入場券を岡山駅などで発売しても良いのではないか、と思いました。いろいろ調べたのですが、見当たりませんでした。以前から、そのような企画入場券は発売されていなかったのでしょうか

現在の駅舎は1937年からのものです。駅としての開業は1897年(明治30)と、こちらも沿線の他の駅と同様に古い。戦前に改築された駅舎が使用されています

戦前からの駅でよく見かける小さな階段を上がって駅舎に入る構造。全国各地で見られるので、こんな階段がおしゃれだったのでしょう。もちろん現在はバリアフリーのスロープが設けられています

ビールの積み出しで繁栄

万富駅に降り立って、まず目に付くのは

ズラリと並ぶビールののぼり

駅舎と逆側の一帯は広大なキリンビール岡山工場となっています。訪問時は12月の真冬だった上にコロナ禍で工場見学は中断していましたが現在は復活しているようです。ただ

駅に隣接しているにもかかわらず駅舎とは逆側にあるため、徒歩だと10分もかかるようです

戦後早々に貨物の取り扱いをやめていた万富駅ですが、1972年にビール工場ができると貨物が復活。以降、もちろんビール運搬そして原料(麦芽)運搬で栄えました

しかしビール関連の貨物は国鉄末期の1986年に終了。わずか15年だけの貨物復活でした。現在はのぼりが並ぶスペースにその名残を感じることができます

写真だと右側の部分ですね

現在は始終着設定なし

以前は漢字のみだった駅名板にローマ字入りで上書きした形跡があります。それでもおそらく国鉄時代から現在の形になっているようです

構内は2面3線。以前は当駅始終着の運用もありましたが、現在はありません。2番線はそのためのホームでしたが貨物列車の待避として利用されているようで、私の訪問時はディーゼル機関車が単機で待避していました。到着時の写真の奥に見えます

万富駅とは直接関係のない話ですが、この日私がたまたま乗車したのが和気が始発で山陽本線を福山まで行った後、福塩線に乗り入れて府中まで到達する電車。山陽本線→福塩線と直接乗り入れる貴重な1本でした

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~日本初の庶民のための学校

吉永駅の駅名標

※状況が変化している可能性があります

旧吉永町の中心地

吉永駅。直近の訪問は今年の4月

構造は2面3線。かつては国鉄駅の代名詞だった2面3線構造も最近は1線分のレールがはがされたり、有名無実になっていることが多いですが、ここはそのまま残されています。1日に2本、当駅での折り返し電車が設定されていて、そのためのホームとなっています

山陽本線のこの区間は前回の三石と当駅以外にも和気、瀬戸と複数の駅で折り返し電車が設定されています。当駅では7時台と18時台。通勤通学に対応しているのは明らかですが、三石、吉永、和気と1駅ずつ設定されている点がユニーク。ただ三石までは7キロ、和気までは5キロと駅間はかなりあります

2005年まで存在した旧吉永町にあった唯一の駅で同時に町の中心部は駅近辺に集まっています

吉永町は岡山藩主の池田宗家の墓地があることで有名。同時に吉永駅は日本初の庶民のための公立学校である「閑谷(しずたに)学校」の最寄りでもあります

同所には10年以上前に訪れたのですが、どうしても写真が出てこなかったので

閑谷学校を記した駅の案内と

閑谷学校へ行くバス停の時刻表でお許しください

大正からの駅舎が健在

駅は1891年(明治24)の開業

財産票によると現在の駅舎は大正15年(1926年)からのもの。大正のラストイヤーにできたものなので、間もなく駅舎は100歳となります

閑谷学校を訪れた時と駅のイメージが違うな、と感じたのですが、その後調べると駅を覆うように植えられていた何本かの木がなくなっていました

ただし駅舎そのものは手を加えながらも建築時の雰囲気を伝え続けています

三石駅と同じ2016年に無人化されています。簡易式のICOCA改札機がポツンと置かれています

窓口の上部に緑色のものが残っていますね

こちらはホーム側からの写真。駅舎内は広い

当然ながら山陽本線は今も多くの貨物列車が走っていますが、当駅での貨物取り扱いは国鉄時代の末期に終了しています。三石駅の記事でも触れたレンガを当駅でも扱っていたそうです

側線には保線用車両が停まっていました。左奥の建物は大きな病院です

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~高台にたたずむ県境の駅

三石駅訪問時は桜が満開だった

※駅の状況が変化している可能性があります

岡山県と兵庫県

上郡を出て岡山に向かう電車は距離にして12・8キロ(山陽本線最長の駅間)、電車で10分もかけ、岡山最初の駅である三石に到着します

いかにも県境という車窓には民家はほとんどなく、国道2号線のバイパスが見えるのみ。こういう県境感の車窓が私は好きです

新幹線に乗れば、新大阪から45分、新神戸からは30分で岡山に着いてしまうので、とても近い隣県と思われる方も多いかもしれませんが、私の認識は全く異なります。まず駅を降りるとイントネーションが違います。いわゆる関西式とは逆になります

過去の歴史を見ても、播磨の国と備前の国は攻めて攻められてと、領地争いが繰り広げられ、豊臣秀吉が主役なので描かれ機会が多いのでしょうが、有名な上月城の戦いなど争いの印象が強い

三石は古代より宿場として栄え、南北朝時代から戦国時代までも内紛を含め数々の攻防が行われた地。近代は耐火性のある蝋石を産出する鉱山の町からレンガの町となりました

多くの側線を有する高台の駅舎

今もレンガ関連の会社や倉庫が残る国道2号の旧道沿いにある町の高台に駅はあります

手前でカーブを描いているのが国道2号で駅舎は道路を見下ろすように建てられています

多くの側線が残ります。無人化されていますが、山陽本線では岡山県の東端にあるため、早朝と夜間には当駅始発、夜間と深夜近くには当駅止まりの列車が設定されています

訪問は今年の4月6日。沿線の他の駅では終わりかけていましたが、山中の駅では桜があまりにも美しすぎた

当駅訪問は2017年9月以来。前回と異なるのは駅舎の左側が縮小されて新しい建物が建っていること

財産票を見ると目的は明らか。電車の夜間停泊時の乗務員の宿泊施設となっています

大正時代からの駅舎

これは6年前の様子で無人化されて間もないころの写真ですが、今と大きな変化はありません

窓口の上には列車のヘッドマークが展示されていてユニークなものばかりですが、どの時代のどんな列車のものか私には確認することができませんでした

駅は1891年の明治23年に現在地に設けられました(開業は別の地で1890年)。財産票には大正10年と記されています。大正10年といえば1921年。すでに100歳を超えたことになります

駅舎を入るとホームにはトンネル形式の通路を上がっていくのですが、振り返るとこのような感じ。途中の通路は庭園となっていて、きれいに整えられています

ホームは側線に囲まれた1面2線。電車に乗ると旧三石町の中心部だった街が車窓から一望できます

ぜひ訪れてほしい県境感たっぷりの駅です

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