JR東海

高山本線全駅訪問のシメ行脚~山深い区間を越え市街地へ到着

飛騨細江駅の駅名標

※訪問は2023年10月19日

富山から約2時間

猪谷からJR東海区間に入り、飛騨細江に到着。富山を出発したのが5時38分、当駅に着いたのが7時26分なので70キロの移動で所要時間1時間48分と結構な道程となった。本来なら宿も多い高山あたりに宿泊した方が効率が良いのは分かっているず、この区間の本数の少なさから富山泊になってしまった。富山から普通のみで高山まで行こうとすると富山発15時58分を逃すと、次は19時50分と4時間も運行がない。この間に17時14分発の特急があるが、所持する「秋の乗り放題パス」では一から課金になってしまうので今回はハナから選択肢になかった。19時50分に乗ると高山着が21時45分となるので、ちょっと遅すぎる。そもそも猪谷の乗継ぎ(わずか2分)以外、ひたすら夜の車窓を眺めながら4時間揺られるというのは私にはちょっと無理である

それほど飛騨古川~猪谷は、ダイヤ的には「薄い」区間で(飛騨古川~高山は区間運転が行われている)、1日8往復(もう1本、夜の下り最終として高山始発の坂上止まりがある)。昼間は3~4時間運行がない時間帯もあるなど全駅訪問の難所だが、飛騨細江まで来ると山岳地域というより市街地となって開けている。神岡からの路線バスが当駅付近を通るため、比較的訪問は容易となる

また飛騨細江~杉崎は線路に沿った国道を行けば、ほぼ平坦コースで徒歩移動も可能な距離

同様のことは杉崎~飛騨古川にも言えるため、全駅訪問を決めてから、最後までとっておいた

旧細江村に基づく

なかなか渋い駅舎が現存する

駅舎入口に掲げられている駅名板にも歴史を感じる

JR東海は待合所やトイレ、倉庫に至るまで、こまめに財産票を張ってくれる。高山本線が一気に飛騨小坂から坂上まで延伸された1934年(昭和9)の開業。もちろん駅舎は当時からのもの

駅名は1956年まで存在した細江村に基づく。ただ駅を出るとすぐ宮川が迫っていて村としての中心部は国道に沿った杉崎駅寄りだったようだ。明治初期に杉崎村などが合併して細江村が誕生したが、鉄路ができた時、すでに細江村の中心は飛騨細江駅と杉崎駅のどちらかというと杉崎駅に近い場所だったようだ。上記の地図だとファミリーマートや杉崎公園のあたり。今も残る付近の町名は飛騨市古川町杉崎で細江という住所は残っていない(駅近くの飛騨細江郵便局にその名を残す)。そのあたりが考慮されたのか、杉崎駅の設置は戦後になってからである

もちろん、といっては何だが無人駅。それでもきっぷ販売の窓口だけでなく手荷物、小荷物扱い扱い窓口も残る

2面2線のホームに加え、行き止まり形式となっている貨物ヤードも残る

こちらは貨物ヤード裏側の様子。あまりにも国道が近すぎるためか、本数の少なさからか、周辺の町の規模を考えると利用者は少なく1日30人程度にとどまっているが、以前は規模の大きな駅だったことがうかがえる

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高山本線全駅訪問のシメ行脚~猪谷駅「大きな変化あり」の報に驚く

猪谷駅に到着

※訪問は2023年10月19日

まだ暗い富山駅から出発

富山駅は青春18きっぷの最終日となった9月10日以来。1カ月以上が経過して季節も秋へと移り変わり、いつまでも暑い2023年だったが、朝の5時過ぎはまだ暗い上に肌寒い

今日明日で、ようやく高山本線の全駅訪問を終えるつもりである

昨年の18きっぷ最後の2日間でフラリ高山本線に乗ってみたのがことの起こり。当時は主要駅や気になった駅だけを訪問するつもりだったが、妙に気持ちに火がついてしまい、その後

2月 西日本グリーンきっぷで北陸新幹線の各駅訪問をした際にJR西日本管内の2駅訪問

4月 青空フリーパスで岐阜~下呂の8駅を訪問

9月 青春18きっぷでJR西日本&JR東海の7駅を訪問

のべ5日もかけている。2月は西富山から日本で最も長い駅名となった「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)停留場」まで歩くという目的もあったが、それでも2駅を訪れている。4月と9月はそれなりに「ガチ」で早朝から臨んだつもりだが、1日では意外と回れていない。なぜこのようなことになったのかというと、最初につまみ食いのように回ってしまったため、相互に訪問しづらい駅ばかりが残ったためだ。当初から計画的に回っていれば、もっと早く終わったと思われるが、終わったものはしょうがない

本来なら9月の青春18きっぷで終わらせるつもりだったが、どう考えても2日では終わらないことに気付いた。そこで高山本線は1日で終え、18きっぷの残る1日は城端線に充てることに。城端線と氷見線の三セク化ニュースが出たばかりで、こういうのはまとまり始めると早いと高岡へ

そして今回は秋の乗り放題パスを使用。城端線、氷見線の未回収駅を訪れた後に富山で宿泊。さすがに今日明日の2日間で回り終えることになる。その後は名古屋方面へと向かい、名鉄を2日間、満喫する予定となっている

駅数が増えた高山本線

新幹線は6時を回ってからということで、まだシャッターが降りているが

あいの風とやま鉄道と高山本線の改札はすでに営業を始めている

高山本線については、北陸新幹線の開業で「新駅が開業したわけではないのに駅数が増える」という現象が起きている。これは富山駅の所属によるもの。2015年の北陸新幹線延伸まで駅としては北陸本線の所属だったが、同線が三セクのあいの風とやま鉄道に移管されたため、必然的に残る高山本線の所属になった。だから高山本線は現在45駅で所属は44駅(岐阜駅の所属が東海道本線となるため)。44という数字を見ると、なかなかの数だが、とにかく今日と明日で終わらせよう

2両編成のキハ120で降りた衝撃

高山本線のJR西日本区間である富山~猪谷はキハ120が担当する。同じ富山県の氷見線、城端線はいわゆるタラコのキハ40の運行だが、こちらはキハ120。キハ120というと山中を走る単行のイメージが強いが、こちらは常に2両編成で通勤通学の時間帯は多くの人であふれる。また直線部分では、かなりの猛スピードを見せてくれるなど、他地域とは違う姿を見せてくれる

猪谷駅の衝撃ニュース

列車は50分で猪谷に到着

乗車しているうちに、すっかり夜は明けた

ここまでが富山県、ここまでがJR西日本で両社をまたぐ普通列車は現在、運行されていないので必ず乗り換えとなる。乗り換え時間は列車によってさまざまで、すぐに乗継ぎ列車が出発するパターンもあれば、しばらく待機、さらには数時間にわたって普通がないこともある。私の乗車列車は18分の接続。昨年から何度となく降り立つことになったこのホームもしばらくは来なくなるかもしれない、とこれまた何度も撮った駅舎を記念撮影

やがてやって来たJR東海の車両に乗り継ぐ

同一ホームで前後の乗り換え。このパターンに出会うのは初めて。これまでは島式の向かいホームへの乗り換えばかりだった。頻度は分からないが、私にとっては貴重な体験。この後、JR区間を目指して山中に入っていったが、つい先日、X(旧ツイッター)のフォロワーさんから年明け訪問した際、特徴ある駅名板が変わっていたとの投稿があってビックリ

これは9月のものだが、猪谷駅の存在感を際立たせていたこの駅名板が普通の「JR 猪谷駅」という板に付け替えられていたという。猪谷で降りて、まず目に飛び込んでくるのはこれだろうという存在感を放っていたものがなくなったとは。新年から衝撃のニュースだった

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天候に左右された2023年を振り返る(後編)

7月初日から足止め

7月は佐伯のホテルで迎え

早朝から名前シリーズを無事に全駅訪問。たった4駅ですが2日かかります。10月も同様の行動となるのですが、佐伯~延岡の超難関区間を訪ねる際は、必ず朝の6時台に活動を開始して7時台には強制終了となるので、ホテルに戻って改めて朝食というパターンが定着してしまいました。この日は蒸し風呂に入っているような気候だったので朝からあらためてシャワーを浴びたりする(笑)

ただ雨の方はというと最も活発な前線は九州を去ったようなので、すっかり安心

結果的に佐伯から延々と普通のみを乗り継いで日豊本線小倉に到着後、まだまだ明るいため、せっかくの旅名人きっぷなので小倉モノレールを堪能しているうちに前線が東に移動して山口県内のJRが全線ストップ。帰れなくなりました

もっとも足止め先が小倉という大都市だったので宿をとり、一度は残る1回の権利を持ち帰ろうとしていた旅名人きっぷは翌日に消化することにして事なきを得たのですが、山口県の鉄道網は、この時の雨で大きな爪痕を残しています

翌日は旅名人きっぷはフル活用して平成筑豊鉄道と

筑豊電気鉄道の両社に乗車。よく混同される両社ですが、全くの別会社。平成筑豊鉄道は元国鉄の第三セクター、筑豊電気鉄道は西鉄の子会社です

この月は四国バースデイきっぷを利用して

営業中の田井ノ浜駅で降車。コロナ禍が明けて久しぶりの営業となった海水浴用の臨時の当駅。訪問は青春18きっぷ利用初日の平日で、さすがにまだ人の姿は少なかった。自分の誕生日が7月で良かったと思える瞬間。この旅では香川県内の駅はほとんどいかなかったにもかかわらず、高松で2泊もしてしまい、どちらかというと「高松での飲み」が中心でした

雨のおかげでライトレール

この後は酷暑のおかげで行動は停止。急な葬儀で横浜に出かけることはありましたが、この後の1カ月間、猛暑の中で何をしていたのか、ほとんど思い出せません。活動再開は8月後半からで、残る4回の青春18きっぷをそろそろ使い切らないとマズいとなり、広島へ。当初は呉線方面へと出かける予定でしたが、三原で新幹線を降りると激しい雨のため呉線は遅延。山陽本線も遅延していましたが、しばらく経つとダイヤも復活しそうだったので、思いつきで瀬野で下車

久しぶりのライトレールは。おそらく私にとっては最後の乗車になりそうです

そして31日からは月またぎで北海道へ。これは私にとっては一生忘れられない体験になることは、ほぼ間違いありません

トラブル続出の北海道

到着の当日は天候にも恵まれ、旭川空港から順調に稚内へ到達

折り返しで抜海で降り立ち、地元の宿で楽しいひとときを過ごしたまでは良かったのですが、翌日に宗谷本線が全線でストップ。旅人宿「ばっかす」のご主人の機転で稚内→(バス)→札幌→(JR)→旭川というルートを教えてくださり、無事に旭川にたどり着くことができましたが、大回りをしての500キロもの移動はかなり大変でした

そして、これはあまり書いてこなかったのですが、北海道上陸とともにカードのトラブルが発生していました。カード会社も電話をくださるのですが、旅先の移動中ばかりで、うまく通話がつながらない。稚内でバスのチケットを確保してから出発まで2時間近い時間があったため、これは良い時間だと、こちらから電話。ただカード会社でよくあることで、オペレーターとの電話が全くつながらず

稚内に行ったことのある方なら、距離感が分かると思いますが、駅で電話をかけ、つなぎ放しにしたまま防波堤ドームまで歩き、探索して駅へ戻ったころに、ようやくつながった。感覚的には稚内から札幌までのバス6時間より、長かったです

カード会社との話はまだ終わらず、今度は向こうから電話をくれることになったのですが、当日は移動だけで電話に出る時間がなさそうなので

翌日に廃線予定の根室本線各駅を回って一度富良野に戻ってくるタイミングの、おそらく富良野カレー店の前で並んでいるであろう時間帯を指定したところ、ピッタリその時間に電話をいただき、電話を切った直後に入店の順番が来てトラブルは解決しました

北海道から帰ると今度は青春18きっぷの残る2回を消化すべく高山本線へ。あまり世の中で話題にならないのですが、廃ホーム上に神社がある角川駅が路線すべてで最も印象に残る駅となりました

9月は

珍しく観光で長野県の戸隠神社で戸隠そばを食べたりして

広島県の庄原で芸備線・木次線のイベントに参加

岡山での乗継ぎ割引もなくなっているので、岡山まではおとなび割引で新幹線を利用。岡山からは普通を乗り継いで備後庄原まで行ったのですが。3080円という運賃にビックリ。考えてみると、このあたりの区間って青春18きっぷのようなフリーきっぷか、神戸市内からの通し運賃でしか乗車したことがないので、こんなに距離があるとは実感できていませんでした

平日にもかかわらず、備後落合駅は件の1日1本の集合便に乗車する人でいっぱい。18きっぷの季節はもっと凄いのでしょうね

イベントを夕刻に終えると、バスで広島駅まで行き新幹線で帰宅。考えてみると、この日は一切、芸備線には乗車していない。この時間帯なら、このコースが最速なのでやむを得ませんが、芸備線のイベントに来て芸備線に乗らずに帰るというのは、ちょっと複雑な気持ちでした

完全制覇…とはならず

10月はハロー自由時間きっぷで九州新幹線の全駅訪問を達成。これで全国各地の新幹線駅すべてを訪問したと喜んでいたら、北陸新幹線の飯山駅という乗り残しがあったことに後で気付く。昨秋、JR東日本パスで上越新幹線と北陸新幹線の各駅を訪問した際に乗車した新幹線が飯山駅通過だったのです。わずか1駅だけ残して、これは痛恨。来春の敦賀延伸以降の課題となりそうです

この旅では再び宗太郎ルートにチャレンジして市棚駅訪問。またもや訪問後、延岡駅のホテルで朝食となりました

この後、鉄道の日記念パスでようやく高山本線の全駅訪問を達成

その足で名鉄訪問となりましたが

名鉄275駅で最も利用者の少ないこどもの国駅に寄ったり

信号の赤↔青だけで飽きない西枇杷島のデルタ線が楽しかったです

急な「主役」に驚き

11月は降り鉄にとっては、徒歩も苦にならない最も良いシーズンなんですが、歯科医の自費治療で会社員時代の1カ月分の手取りに近いお金が消えていったので、どこにもでかけず。12月の声を聞いて青春18きっぷによる外房線の全駅訪問を行いましたが、その後、大きなニュースになって驚きました

こちらが浪花駅時刻表。6時36分発の青文字となっているのが、話題となっている勝浦6時25発の1日1本の東京行き通勤快速です。この時は貴重な1日1本だなぁ、としか思っていなかったのですが、まさか県知事や市長、町長が正式抗議する事態になるとは考えてもいませんでした

前編より長くなってしまいましたが、おそらくそれは後半の方がアクシデントが多かったからだと思われます。年明けは青春18きっぷの残り2回分を使用すべくスタートするつもりです

皆さま、よいお年をお迎えください

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~これはムリと関西人の難読駅へ

越中八尾駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

時刻表とにらめっこして出した結論

前記事で絶対オススメとした角川駅の時刻表。現在の時刻は12時半。つまり坂上から11時58分の列車で到着して12時36分の猪谷行きに乗ろうとしている。というか他に乗り物がない。高山寄りの飛騨細江、杉崎は未訪問駅だが、列車は3時間後。飛騨細江までは6キロほどあり、歩いてもおつりが来るぐらいだが、この猛暑の中、山中の国道を歩くのは無理というものだ

そんなこともあり、90分の待ち時間があった坂上でいろいろ考慮した挙げ句に導き出した答えは「今日明日での高山本線全駅訪問は不可能」ということ。青春18きっぷは明日まで。つまり、また来なければならないのだ

ちょうど「氷見線、城端線を三セク化」の報道が出たころだった。こういうのは一度流れが決まると話がどんどん進んでいくものだ(結果としては非電化区間ということで、もう少し時間がかかることになった)

ならば明日は富山から高岡に出て氷見線の各駅を訪問しよう、と急きょ予定変更。早い話が18きっぷの最終日は高山本線でなく氷見線となった。おそらく10月には鉄道の日記念のフリーきっぷが出るはず。高山本線の全駅訪問は、その時に完了させよう

同業者も避ける列車

となると話は早い。高山本線のJR西日本区間では東八尾の1駅のみが未訪問。東八尾へと向かうことにする

ということで今年もやってきた猪谷に約30分。富山県とJR西日本の最初となる当駅には13時7分に到着。ただこの列車には、ほぼ誰も乗っていないぐらいガラガラなのは昨年の経験で知っていた。18きっぷのシーズンに同業者(鉄道ファン)が避けるほど。なぜかというと猪谷で接続も折り返しもないから。猪谷から次の富山行きは15時20分発、高山行きは15時8分。猪谷ではJR東海とJR西日本の列車が接続するダイヤとなっているが、朝と昼はこの1本だけが猪谷で行き止まりとなっている。だから同業者にも人気はなく、一般客は岐阜県内の飛騨古川まででほとんど降りてしまうため、途中から車内は寂しくなる。見たところ、猪谷まで来たのはほぼ全員が同業者のようだが、私を入れて5人だった

時間はあるので国道まで出てみた

ただ猪谷からの乗継ぎが2時間ないと断定するのは、正確には多少異なっていて駅から5分ほど歩いたバス停に行くと富山駅行きの路線バスはそれなりの本数があって、この時間帯なら時間的にちょうどいい13時35分が出ていて、楡原駅、室津駅近辺を通る

また猪谷は特急停車駅なので、富山行きは14時10分、高山方面行きは13時40分にそれぞれ「ひだ」がある。昨年は猪谷で30分待って高山までひだへ特急課金した

そして今回の私はというと

1時間待ちで越中八尾まで特急課金。八尾方面へはバスが通っていないので必然的にこうなる。毎度のことながら猪谷駅の無人駅の駅舎内で急に話し始める券売機にはビックリさせられた(笑)

重厚な駅舎の越中八尾駅

ということでわずか20分、越中八尾に到着。十数年ぶりにやってきた

平成の大合併まで八尾町の中心駅だった。1927年(昭和2)に富山から当駅まで高山本線の祖が開通。駅舎は当時からの立派な豪華な木造である。特急ひだも全列車が停車する

関西人泣かせというか、ほぼ100%「やお」と誤読してしまう。大阪の同名の都市は河内音頭で有名すぎるからだ。大阪府の駅は明治生まれ。読みは異なるが、同名だったので「越中」がつけられたと思われる。この後、列車に乗ると明らかに関西から来たと思われる学生さん風の18キッパー2人が「やつお、とは読めへんな」と話していたが、誰もが同じ感想を持つと思われる

ちょっといい味を出している案内板が残る

カウントダウンに入っているようだが、みどりの窓口が現役

駅名板の横には速星駅と同じく、輝く「みどりの窓口」がある。駅舎内のテレビではプロ野球中継。そういえば速星も駅舎内にテレビがあり、ワイドショーを見た。駅舎内でテレビというのは、ありそうで意外とない素晴らしいサービスだが、無人化されるとどうなってしまうのだろう

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~絶対オススメ!廃ホームで参拝できる駅

角川駅近くの神社踏切

※訪問は2023年9月9日

本日のメインイベント

坂上駅のホームで列車を待っていると出発の数分前に、ご婦人がやってきた。今年はローカル線の駅でぼんやりしていると、他の旅客と2人だけになる機会が多く、四国のとある駅では、話していると現在私が住んでいる最寄りから、たった2駅のご出身でお互いビックリした

この坂上駅で、お話ししたのは、ちょっと前まで首都圏でお住まいだったという方。最寄りはかなり著名な駅で、少なくとも時刻表を前もって把握した上で駅に行く必要はない。「乗り遅れるわけにいかないので大変」と笑っていた。前記事の坂上駅の項でアユ釣りでにぎわうという話題に触れたが、これはその方から聞いたもの。アユ釣り客を対象とした旅館もあるようだ

その会話の中で「次は角川で降りるつもりです」と話すと「皆さん、列車内から写真を撮ってますよ」

ふーむ、やはりそれほど認知度があるのか、と感心。というわけで

ひとしお隣の角川で下車した。これは読めそうで、なかなか読めない。平成の大合併で飛騨市となった旧河合村唯一の駅。開業は1934年(昭和9)で高山本線の全通時のこと。駅前はすぐに宮川で小さな集落があるだけとなっていて、旧河合村の中心部とは、やや離れている

宮川に沿って折れるように高山本線も折れるあたりで振興事務所が旧村役場。駅名は中心部の地名に基づくもの。だから駅前にはほとんど何もない

かつては開業以来の駅舎があったが、2011年に現在の簡易的なものとなった

車窓から見えるもの

ただ駅前には特に何もなくても駅構内のホーム上には目を引くもものがある

線路の向こうのホーム上に見えるもの。それは神社の鳥居である。しかもホームにはあるものの、元は2面構造だったと思われる駅はホームがはがされ、現在は単式構造。これは目を引く。冒頭の「車内から写真を撮っている」というのも、よく分かる

昨年、この付近を通った時に驚いたが、その時は下車がかなわなかった。そもそも、この神社にたどり着けるのか。1年越しの楽しみで、当駅は本日のハイライトである

参拝への道

2面2線から単式になったホームというのは入れなくなっているものが多い。というか自然に還っているものがほとんどで、人工的にも自然的にも入れないものだ。しかし、ここは神社である。見た目には自然には還っておらず、定期的に手入れが行われていると思われる。単式化された際に跨線橋は撤去されたようで直接は行けないが、何とか方法はあるはず、と様子をうかがうとホームの坂上寄りに踏切が見える。ここから回り込めそうだ

線路に沿って歩く。3分ほどで踏切が見えてきた

踏切の名は、ズバリ「神社踏切」。いつから、この名前になったかは分からないが、参道として公認されているようなものだろう

踏切を渡ると右手奥に見えるのが神社の森

無事に到着。「諏訪神社」とあり、神社そのものは無人だが、参道は手入れされていた

振り返るとこのような景色。できればホームが現役のうちに来て列車を降りて即参拝としたかったが、こうやって回り道するのも、それはそれで風情がある

階段を上って参拝。立派な神木に守られている

社までたどり着き参拝することができた

ぜひ訪問を

駅に戻ろう。あらためて見ると、それなりの規模の貨物ヤードがあったことが分かる

駅そのものは国鉄時代に無人化されていて

もちろん無人駅。小さな階段を昇ってホームに入る構造となっているが、元の駅舎は大きくて左に見える階段跡が当時の入口だったようだ。ここから見ても背後の鳥居が目立つ

駅舎の隣にはコミュニティバスの車庫があり、お手洗いもある

駅から神社までの往復は15分もあれば大丈夫。元々、神社があった場所に線路が敷かれたのか、何らかの理由で神社が引っ越してきたのか、それは分からなかった。列車の本数は決して多いとはいえないが、ぜひ訪問してほしいオススメ駅である

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~閑散区間の豪華駅舎で涼タイム

坂上駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

沿線の訪問難所区間

高山に到着。時間はまだ9時だが、昨年と同時期に来た記憶をたどると明らかに異なるのは気候である。朝に吐息が白くなって、さすが山中は違うなぁ、と実感したが、多少時間が異なるとはいえ、朝から皆さん、半袖シャツ1枚。このぐらいの時間になると、もう暑い

乗継ぎまで40分の時間がある。高山駅の裏手に朝から営業している食堂があって昨年は時間の関係で立ち寄れなかったが、今年は食べることができた。味噌汁と素朴な朝食が身にしみわたる

ホームに戻ると、ちょうど特急「ひだ」の結合作業中。朝から多くの人でにぎわっているが、私が向かうのは逆方向

週末の9時半。私の予想よりも人は乗っていたが、それでもガラガラである。当然ながら明らかに同業者(鉄道ファン)と思える人の姿もチラホラ

ここから先は閑散区間に入っていく。高山~飛騨古川の3区間は区間運転が運行されているが、その先へ向かう普通列車は、これから乗車する9時40分の後は12時1分、その次はもっと空いて16時2分。その間にも、わずか15キロだけの区間運転があるのだから、データ的にも本数を増やす意味がないことになっているのだろう

この飛騨古川から猪谷を挟んでの越中八尾までは、なかなかシビアな運行で駅訪問の難所。飛騨古川から先の杉崎、飛騨細江は神岡へと向かう路線バスの本数がそこそこあるが、角川~杉原の4駅は路線バスもない。コミュニティバスがあるようだが、調べると地元の方オンリーのデマンドバスと路線バス扱いの両者があって調べきれなかった。というか週末はコミュニティバスそのものがないので、今日明日に限っては全く意味をなさないのだ(猪谷以北のJR西日本区間については後日あらためて説明)

気候で訪問駅を決める

難関区間の4駅のうち、訪問済みは杉原のみ。本日のメインイベントの角川は何が何でも行くとして(次回の記事で紹介します)、本日の日程では坂上、打保の2駅のどちらかしか行けないのだが、駅の写真を見て行く先を決めた

下車したのは坂上である。私も全くの誤読をしていたが、「さかかみ」である。高山本線には濁音が予想とは異なる駅がいくつか存在するが、そのひとつ。ちなみに閑散区間の「角川」「坂上」「打保」は3駅連続でそれに該当する

さて、なぜ当駅を下車駅と決めたかというと

理由は簡単で、この立派な駅舎

乗ってきたのは10時17分の富山行き。そして11時53分の高山行きで引き返すのだが、待機時間が1時間半もある。打保駅は簡易駅舎で、お手洗いもないようだ。これは困る。というか猛烈に暑い。さすがに90分をその状況で過ごすのは老体には堪えるのである

旧宮川村の中心駅

駅は2004年まで存在した宮川村の中心駅。古川町、神岡町、河合村と合併して飛騨市が誕生した。高山本線では坂上、打保、杉原の3駅が村内にあったが、坂上駅はない。駅の開業は1933年(昭和8)。富山から延伸されてきた線路がここまで伸びて終着駅となり、翌年に岐阜からの線路が当駅までやって来て高山本線は全線開通となった。いわば歴史的な駅である。1956年に坂上村と坂下村が合併して宮川村となったが、駅名はそこからのものだ。村名は村内を流れる川にちなむ

駅前には旧宮川村役場である振興事務所のほか、JA、郵便局、小学校がある。村内にはいくつかの小学校があったが、ここが唯一残っている

駅舎の隣には「坂上駅詰所」という建物があった。線路がつながって全通した歴史的経緯なのか、当駅が雪深い飛騨古川以北の保線基地の役割を担ってきたようだ

駅は2面3線構造で側線もあり、保線車両の倉庫がある

時間があるので周辺を散策

駅を降りてすぐの旧村役場の隣が神社への参拝道となっている

先に紹介した駅舎は「遊ingギャラリー」との合築となっていて山小屋風の駅舎の2階が絵本のギャラリーとなっている。旧宮川村が1996年に建てた

待合室もエアコン完備。もちろん立派なお手洗いもある。快適に時間を過ごすことができました

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~ちょっぴり複雑な気持ちの特急停車駅は沿線最高峰の駅

久々野駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

旧久々野町の中心駅

渚から1駅(といっても7キロもある)高山方面に進んで久々野に到着

2005年に高山市編入となった旧久々野町の中心駅。久々野とは山の守り神「クグノチ(久々能智)」に基づくという。町内には前記事の渚と2つの駅があったが、駅前に何もないに等しい渚と比べると、地図で分かるように駅を中心に大きな町が広がる

駅は2面3線構造で

開業は1934年(昭和9)。高山本線が飛騨小坂から飛騨高山を越えて坂上まで一気に開通。富山方面からの線路とつながり全通した際に設置された

朝夕に1日2往復の特急も停車する。主要駅の扱いでもある

しかし

駅舎は簡易的なもの。もちろん無人駅。かつては開業以来の駅舎があり、もちろん駅員さんもいたが、2010年に簡易委託化され、旧駅舎は解体。やがて完全無人駅となった

少し前なら特急停車駅といえば、駅員がいるのは当然で、もちろんそれなりの駅舎もあるという姿が普通だったが、無人の特急停車駅も珍しくはなくなり、そこが簡易化された駅舎でも、なんとなく受け入れられるようになっている。おそらくこの10年ぐらいの出来事

駅舎内は小さな椅子があるのみ。2022年の実績では1日の利用者数は79人。数字だけを見ると、無人化や簡易化もやむを得ないところだが(駅舎が解体されたころは200人程度の利用があった)、寂しい感じは否めない

最高地点の木標は残る

そんな駅舎の横には、ややくすんだ木製の案内が残る

高山本線で最も標高が高いことを示す木標。当駅の標高は676メートルである。古くから建てられたものが、残されたようだ

高山本線の車窓といえば川だが、美濃太田付近から、ずっと線路に寄り添ってきた飛騨川(美濃太田付近で木曽川と合流して太平洋側へ注ぐ)とは、ここでお別れとなる。駅が最高地点なので、分水嶺も近い。飛騨川は線路から外れて山中の水源方面へと向かう

間もなく車窓に現れるのは日本海へと注がれる宮川(神通川)である。車窓には常に川がある高山本線だが、飛騨川と別れると、すぐに宮川と合流するため、ちょっとぼんやりすると、富山県までずっと同じ川と付き合っている感覚に陥ってしまうが、そんな川はないわけで、よくできた敷設である

立派な施設も

駅前には立派な建物があって、こちらはお手洗いである。高山市によって管理されているもので、男女別のきれいな市営トイレとなっている

昼間は3時間ほど列車が停車しない時間もある当地では昼間も1時間に1本運行される高山~下呂のバスが重要な交通機関となっている。現在の国道41号は久々野駅からやや離れた所を通るが、路線バスは国道から外れて駅前にやって来る。高山までは約30分。2区間のみの鉄道の方が速いが、現状ではバスが有効な手段である

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~南飛騨中心地の木造駅舎

飛騨萩原駅周辺は飛騨街道の宿場町として栄えた

※訪問は2023年9月9日

出発は早朝の美濃太田から

朝6時の美濃太田駅から今回の旅はスタートする。当駅は今年のGW以来なので約4カ月ぶり。改札外に出る出ないは別として、高山本線を行こうとすると乗り換えなどでホームに降り立つ回数がぶっちぎりで多い駅となる

前日は名古屋で用事があり、夜のうちにここまで移動して宿泊。高山本線の駅巡りを開始する。昨夏の青春18きっぷでは「とにかく高山本線に突っ込んでみる」と最終日の2日間で残り2回の18きっぷを使用したが、今回も今夏の18きっぷは今日を含め残り2回で権利も2回。同じような条件だが、やみくもに突入した昨年とは違い、今年は高山本線全駅訪問という目的がある。多少は計画的に行こう

ただ2日では積み残しの可能性も大。下呂以南は青空フリーパスのエリアなので、とにかく下呂~富山を重点的に回ることにした。それなら下呂に泊まった方が便利なのだが、予算の問題や前夜の到着がさらに遅くなること、駅と宿の距離などを考慮して美濃太田泊となった。もっとも18きっぷを少しでも長めに使用して経費削減を図ろうというセコい考えがあったことも否定はできない(笑)

ある意味、貴重な存在になりつつある単色の発車案内。6時16分に乗車する

美濃太田から70キロ

約1時間半かけて

飛騨萩原に到着。美濃太田からは70キロも離れていることを列車に揺られながら実感。やはり少々お金がかかってもいいので下呂に泊まれば良かったか。実は美濃太田からは5時という始発があり、そちらにも乗ろうと思ったら乗れたのだが、宿の事情でかなわなかった

ただ週末の8時前にもかかわらず、すでに窓口は空いている

当駅は現在、駅の業務が萩原町の観光協会に委託されている

大きな看板で出迎えてくれた

宿場町として栄える

落ち着いた感じの駅舎が健在。ちょうどワンちゃんの朝の散歩の時間帯だったようで、風情に一役買ってくれた

こちらは駅名板

開業は1931年(昭和6)5月。前回の記事で焼石までの延伸(1929年4月)に触れたが、翌年の11月に下呂まで延伸。さらに翌年、飛騨萩原まで延伸された。駅間距離は別として焼石~下呂が1区間、下呂~飛騨萩原が2区間なので、しゃくとり虫のようにジワジワ延伸されていた

しかし当駅は2年以上にわたって終着駅の座にあった。それは立地にも理由があった

駅の周辺は旧萩原町の中心部。萩原町は2004年に平成の大合併で、同じく益田郡にあった下呂町などと合併。益田郡がなくなり下呂市が誕生したが、知名度では下呂に軍配が上がるものの、古くから飛騨街道の宿場町として栄えた萩原町が益田郡の中心地だった。今も県の期間や警察署は当地にある。合併の際も自治体名をめぐって対立があった

南飛騨の中心地なので、しばらくの間、終着駅でもそれは意味があったのだ

駅舎内には萩原町の名勝の写真が多く展示されていた。1日に4・5往復の特急が停車する

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青空フリーパスで高山本線に挑む~山中の簡易的駅舎の読み方でシメ

焼石駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

駅名に目をひかれる

焼石駅に到着。まず駅名を見て最初は「なんて読むのだろう?」「まさか『やけいし』とは読まないだろう」と思っていたら、そのまさか、でちょっと驚いてしまう駅である。そう、誰もが知ることわざ「焼石に水」の焼石。付近は少ない平地部分を生かすため、古来より焼き畑農法が取り入れられており、それが地名につながったともされる

現在の下呂市は2004年まで下呂町だったが、1955年に下呂町と合併した中原村の駅が焼石である。村内唯一の駅でもあった

飛騨川沿いのわずかなスペースに集落があり、そこが中原村の中心部。駅の場所は集落の南の端あたりに位置し、国道は川の向こう側を走る

古来より交通の難所

駅の開業は1929年(昭和4)4月。飛騨金山から1区間延伸された。たった1区間だが9キロもある。1年半、終着駅として存在し、翌年11月に下呂まで開通したことで途中駅となった。ほんの少しずつの延伸だが、下呂まではさらに遠く12キロ。10分以上の所要時間がある。両隣の特急も停車する駅に挟まれ、途中にポツンとある駅だ。20キロもの間にひとつしか駅がないため、当駅~飛騨金山、当駅~下呂には信号場が設けられている

当駅付近は「中山七里」と呼ばれる渓谷。現在は美しい車窓を味わうことができるが、古来は飛騨地方を行く飛騨街道は急峻な峠越えが多く、交通の難所とされていた。安土桃山時代に七里にわたって街道が改良されたことから名付けられた。当駅の中原村はその真ん中あたりに位置する

そんな山中には真新しい簡易的な駅舎が建てられている。2015年まで開業以来の木造駅舎があったが、解体されて建て替えられた

待合所の丸い窓がおしゃれなデザインとなっている

こちらは内部の様子。もちろん現在の駅舎は無人駅を前提に建てられている。JR移管の少し前に無人化された

駅前の様子。古い民家が並ぶ中、新しい駅舎が溶け込めずににいる感じだ。ちなみにお手洗いはしっかり設けられているが、写真とは反対方向に数十メートル歩いた場所にあるので、初めて来た人はお手洗いのない駅だと勘違いしてしまうかもしれない

側線も残る一時の終着駅

跨線橋から見た構内の様子。向こう側が下呂方面だが、山が待ち構えている

一時は終着駅だった焼石は開業時から貨物の取り扱いがあり、戦後も続けられた。道路事情が悪かった山中の駅では重要だったのだ

使用されなくなって久しい側線が残る

今回の旅はここまで。名古屋を朝の5時過ぎに出発したが、きっぷが有効な米原まで行き、そこから乗り継ぐという長い旅路が待っているため、そろそろ帰路につかなければならないようだ。青空フリーパス2620円の元は取り過ぎるほど取った。次回、夏の青春18きっぷの季節にまた来よう

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青空フリーパスで高山本線に挑む~国境の街として栄えた町の繊細な駅名

飛騨金山駅の駅舎

※訪問は2023年4月29日

列車を降りると国境のお出迎え

特急「ひだ」で飛騨金山駅に到着。ホームから改札に向かうと飛騨と美濃、旧国の境界を示してくれる。高山に向かうと当駅までが美濃国、当駅からは飛騨国。現在の都道府県境の駅にも惹かれるものがあるが、昔の国の境も駅を車窓からの眺めや駅を降りると、それを実感させてくれる

それはおそらく駅名からも感じられることが大きく、国鉄では同名駅を避けるため、同じ地名があった場合は頭に旧国名をつけるのが慣例となっていて、平素はそれを何も考えず受け入れているが、例えば当駅が「岐阜金山」だったり、特急に乗車した駅が「岐阜太田」だったら、それはそれで受け入れたのだろうが、旧国名とは旅情感が異なっていたと思う。興味を持つ持たないは個人差があるが、私の場合は子供ながらも同じ県でも国が複数あることを知ったのは駅名からである。中にはあえて県名をつけた愛知御津駅もあるが、これはこれで逆に興味を持つきっかけになったりする

ちなみに当駅は美濃と飛騨の国境にあるが、地名と駅の位置については微妙な場所に位置する

国境らしく飛騨川、馬瀬川の合流地点に街が形成されているが、元々の金山は駅から見ると川を渡った向こうで、そこは美濃国。駅の場所は飛騨国にあるため、駅が開設された1928年(昭和3)の時点では、金山でもない場所に「金山駅」が設置され、美濃の一部である金山が「飛騨」を名乗っていた。宿場町として有名な金山を駅名にしたようだが、この矛盾は戦後になって地域全体が「金山町」となったことで解消する。金山町が飛騨に組み込まれたからだ。戦後に旧国の国替えがあったことを初めて知った

木造駅舎内には観光案内所も併設

駅舎は開業当時からのものが、そのまま使用されている

こちらは財産票。高山本線は1928年に白川口から下油井、そして飛騨金山と2区間が延伸され当駅は1年間、終着駅となっていた

駅舎内には観光案内所が入り、駅の業務は観光案内所が行う簡易委託

窓口も小銭用の大理石も現役。特急「ひだ」は1日4往復の停車

明治時代に金山町(当時は祖師野村)で新種が発見されたことで名付けられたギフチョウ

駅舎内には多くの写真が展示されていた

交通でも国境の駅

金山町は平成の大合併で下呂市となった。駅名標も上書きのようにシールが貼られている。きっちり書き直すJR東海の特急停車駅としては珍しい景色である

高山本線は当駅の前後で飛騨川に沿うようにクネクネと線路が敷かれた

ホームもカーブ状に設置されている。2面3線構造で、現在は当駅始終着の列車は設定されていないが、かつては当駅で機関車の付け替えが行われるなど国境の駅として重要だった。今も広い構内が残る。側線があり、保線拠点としては今も現役である

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