奥羽本線

銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~ようやく跨線橋を渡ってみた

※訪問は2025年7月11日

4カ月を要してたどり着いたJRの改札

大鰐温泉駅の改札。4カ月前はここまで来ることはできなかった。ラッチはなく有人の時間帯は駅員さんが立ってきっぷの回収をするのだろう

ただしまだ6時40分。無人の時間帯だ。JR全線の乗車券、指定券を買うことができると記されているが、みどりの窓口とはなっていない。特急停車駅ながら扱いは簡易委託駅のようだ

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足湯も備える

大鰐温泉の駅舎。開業は130年前の1895年と明治期だが、現在の駅舎は昭和30~40年代の典型的なコンクリ駅舎。大鰐町の代表駅にして大鰐温泉の最寄り。最寄りというか、駅前が温泉街となっている。全国には「○○温泉」という駅名ながら、温泉街まで遠い駅がいくつもあるが、ここは名前に偽りなし。鎌倉時代んらの名湯で大鰐からの駅名変更も十分うなづける

駅前には大きなワニと一体となった足湯がある。「こんなところだったのか」が実感

3月に訪問した際の記事。当駅に来る前、弘南鉄道の石川駅からJRの石川駅の間を歩いた時、膝を痛めてしまい跨線橋を渡ることができずJRの方に行くのを断念した。ちなみにもう痛くはないが、まだ違和感が残っている状態だ

大鰐駅へと向かう

さてここからようやく本来の目的である弘南鉄道大鰐線の大鰐駅である。つまり大鰐温泉駅から大鰐駅へと向かう。弘南鉄道では南口にあたる駅舎はJRの駅舎の隣にある

以前は駅員さんがいたが、現在は無人化されている。券売機もなく単に待合室状態。私の訪問時はJRも無人の時間帯。前記事で「どちらで降りても事実上同じ」と記したのは、そういう意味合いだ。厳密にはJR、弘南鉄道とそれぞれの乗客が、それぞれのきっぷを持ってそれぞれの出入口を利用することになるが、今回の私は両社のフリーきっぷを持っているのでどちらも利用できる

4カ月前は渡れなかった跨線橋で、いよいよ大鰐駅へ

弘南鉄道の方へ行こうとすると跨線橋が狭くなる。そしてJRのきっぷしか持っていない人は、ここから先には行けない。駅に出口が複数あるのなら、○○口という風に方角や地名が入るものだが、弘南鉄道には北口と南口があるが、JRの出口は1つである。「JR出口」と表示されているのも、そのためである

弘南鉄道のホームにやってきた。ここは4カ月前にも見た光景。懐かしい

すでに中央弘前行きの電車が出発を待っている。訪問記事と読み比べていただければ分かるが、とにかく景色の違いに驚く。弘南鉄道とJRのホームの間はビッシリ雪が埋まっていたのに、今は青い夏の空。あまりにも対照的だ

共同使用駅の概念とは違うかも

弘南鉄道のホームまで来て目につくのは、こちらの注意書きである

わざわざ「JR」と上書きしたり、「弘南大鰐」の「弘南」の部分を隠してみたりという工夫ばかりが目につくが、これはどういうことかというと前述した通り、JRのきっぷしか持っていない人はこちらの出口からは出られません、との意味だ

JRで降りると線路を挟んで南北を往来するにはかなり回り道をする必要がある

こちらは3月訪問時のもので張り紙はめめめくれかけているが、通り抜けをするには入場料が必要だということが書かれている

訪問時の記事で「いろいろな形式はある」と前置きしながらも共同使用駅とした。ただ共同使用駅の概念のひとつとして「どこからも出入りできる」というのがあるだろう。ホームの導線に共有部分はあるとしても「隣接する駅」という表現が近そうだ

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銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~異なる会社のパス2つを同時使用

※訪問は2025年7月11日

朝6時台の弘前発奥羽本線からスタート

朝6時20分の弘前駅

前日は津軽線の運休区間を回り、夕方までに弘前入り。本日は弘南鉄道大鰐線の残り駅回収と同社の弘南線の各駅訪問を行う予定。前回の訪問からちょうど4カ月。景色は大きく変わった。当時は弘前の駅前にも雪が残り、沿線はどこもまだ高く積もる雪に囲まれていた

まさに雪中行軍だったが、東北の夏はやや遅いとはいえ、もう盛夏といっても良い季節。朝の6時でも当然半袖シャツ1枚である。幸運にも宿泊していたホテルの朝食が朝6時からで、大盛ごはんを素早くかき込んで出発である

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初めてのフリーパス同時使用

6時27分発の奥羽本線秋田行きに乗車。大鰐線の駅訪問なのに、なにゆえJR乗車なのかというと、ここから大鰐温泉駅へと向かい、そこから大鰐線に乗車しようというプランである。すでにスマホで弘南鉄道のフリーパス「大黒様きっぷ」を購入している。そして弘前~大鰐温泉のJR区間は津軽線でも使用した北海道&東日本パスを利用する。結論から言うと、本日JRを利用するのはこの区間のみ。運賃にしてわずか240円だが、7日に東京から利用を開始したこのパスはもう十分に1万1530円の元を取っている。しかも明日の最終日も青い森鉄道でたっぷり乗下車するので本日の出番はこれだけで問題ない(ちなみに初日の出番も浜松町~上野のみだった…笑)

フリーきっぷというのは、とりあえず元を取るのが先決なので異なる会社のものを2枚同時に使用するということは、なかなかない。私も初体験。ほんの少しだけエグゼクティブな気分になれる

電車はわずか2区間の13分で大鰐温泉駅に到着。ちなみに弘南鉄道だと13区間で30分以上を要する。後方に弘南鉄道の出口があるが、当然ながらJRの出口から出よう。両社のフリーきっぷを持っているし、事実上ここから出ても大勢には影響ないのだが、それについては後述する

奥羽本線のこの区間は過去何度も乗車しているが、大鰐温泉での下車は初めて。もっと言うと、途中に石川駅があるだけの2区間約12キロの車窓をこんなに凝視したのは初めてのことだ。特に石川駅前後では「こんな風に大鰐線とクロスするんだ」「こんな風に別れてまた合流するんだ」と興味津々。これも3月そして今回の主役があくまで大鰐線だからだろう

行先案内にしびれる

向こうに弘南鉄道の大鰐駅と電車が見えている。跨線橋でつながっているが、JRは大鰐温泉、弘南鉄道は大鰐と駅名が異なる

JRの大鰐温泉駅は開業が1895年(明治28)と古く今年で130歳。新宿駅とも「10歳」しか変わらない。当時の駅名は大鰐である。地名の由来については調べるまでもなく駅に解説があった

アイヌ語に基づくという。JR東日本の東北の駅では、このような地名の由来についての案内板をよく見かけてとても勉強になるし、何より調べる手間が省けてブログ記事の作業がはかどる(笑)

弘南鉄道の大鰐駅開業は1952年(昭和27)と、ずっと後のことだ。敷設は弘前電気鉄道が行い、駅名は国鉄との同名に気を遣ったのか、嫌がったのか弘南鉄道に営業が譲渡された際に「弘南大鰐」という駅名となっている。大鰐駅に戻ったのは1986年のこと。ただJR移管後の1991年(平成3)にJRの駅名が大鰐温泉となって現在に至るため、弘南鉄道の駅は55年もの歴史を持ちながら、JR(国鉄)と同駅名だったのは1952~1970と1986~1991の半分にも満たない。駅名の追っかけっこをしている感じだ

改札を出ようとして振り返ると跨線橋手前の番線案内に目が釘付けとなった

奥羽本線の各駅、弘南鉄道大鰐線の各駅に混じって「大阪」の文字。明らかに異彩を放っている。東北地方に大阪という地名があるのかと思ってしまいそうだが、おそらく日本海縦断特急「日本海」の停車駅だった名残だろう。定期運用の終了は2012年春とまだ13年しか経っていないが、はるか昔のことのように感じてしまう。2028年春の大鰐線廃線とともに案内板も作り替えられて大阪の文字も消える運命だと思う。ただ見方を変えると何度も作り直すのは面倒なので、少なくともそれまでは残るはず。この駅で最もしびれた瞬間だった

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旅客向け開業から10年経たずに廃駅が決まった駅を訪ねる(後編)

※訪問は2025年3月11日

楽勝かと思いきや、ちょっと待って!

土崎駅から秋田港駅へと歩いていく

消防署が見えてきた。駅前の周辺案内図にあった通り。ここをまで来ると貨物線の線路にぶつかり、そのまま秋田港駅へ到達するはずだ

念のため、駅前でグーグル先生の指南ももらっている

実際に自分が歩いているコースとは違うが、曲がる場所が異なるだけで、ほぼ同じ。駅員さんは20分ちょっと言っていたが、16分の表示なら早めに歩けばもう少し速い。膝が痛いので少し安心した

線路沿いを進んでいく。これで大丈夫と思いきや、ちょっと違うぞ、と思い始めたのは、その直後だ

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そのコースは無理です

遠くに建物が見える。まさかあれか? ちょっと遠くないか? ともう1度地図をよく見直すと衝撃の事実。最後に徒歩コースが薄い点線になっている。この表示はグーグル先生も自信なさげなことによく出てくるが、地図を拡大していただきたい。なんと複数の線路を横切る形となっているのだ。やはりそう簡単には着かないのだ

ということで

駅員さんが言っていたホテルに到着。線路は右手あたりで、いくつも終わっている

すでに使用されなくなったいくつもの車止めを眺めていく。先ほど遠くに見えた建物も近い。進んでいくと

急に目の前が広がって目指す秋田港駅に到着。何度も立ち止まったので駅を出てから30分近くかかっていた

真新しい駅舎や施設

訪問日はクルーズ列車の運行日ではなかったので敷地内には入れない。しっかりと柵が設けられているが、真新しい建物だということは一目瞭然。2017年に駅舎と4両分のホームを設置したばかりなので、新しいはずだ

駅舎からホームまでは屋根が付けられていて利用者への配慮がある。終点のような頭端駅に「ようこそ秋田へ」との看板があるのは、クルーズ船で秋田港へ寄港した人が最初に利用する駅が当駅だからだ

もちろん駅名標も新しい。サムネの写真は、こちらを拡大したもの。これらの施設があと1年も経たずに役目を終えるのは信じられないことだ

最初に見えた建物ギリギリまで近づいてみた。周辺には利用者がいなくなった貨物線がまだ何本も残っていて寂寥感が漂う

バスの本数は少ない

この後はせっかくなので秋田のランドマークタワーでもあるポートタワーセリオンへ

こちらは道の駅にもなっていてもちろん食事もできる。周辺にも飲食店やコンビニがあるので時間つぶしには困らない

海鮮丼をいただく

前日に続いて穏やかな日だった

古典的なうどんの自販機が設置されている

金足農業の吉田輝星投手の日ハム仮契約会見はここで行われた

当地へのアクセスは秋田駅からの路線バスがあるが、午前中の運行が多く、午後の本数は多くはない。週末はさらに少ないようだ。私は膝の痛みから、ここで1時間以上過ごしてバスに乗ったが、時刻表だと所要時間25分のバスが30分以上かかった。奥羽本線だと昼間でも1時間に1、2本の運行がある上、秋田までは10分。土崎駅からの徒歩がおすすめだ

ちなみに訪問して分かったことだが、秋田港駅の前には商業施設があり、ローソンが入居している。他図アプリで検索するならローソンを目印にするのがおすすめ

幻の列車、幻の駅たるゆえん

やって来たバスで当地を後に

まだしばらく現役の秋田港駅。当駅と秋田駅を結ぶクルーズ列車の運行についてはJR東日本のHPで発表されている。船に合わせて1日3往復。午前中に秋田駅へと向かい、午後に当駅へと戻るダイヤで車両は充電式気動車が充てられていねようだ。秋田までの所要時間は17分。間の悪いことにこの記事を書いている7月3日が運行日で、次回は9月22日である

と、ここまでを読んで「では次回に乗車しよう」と思った方もいるかもしれないが、この列車は豪華クルーズ船の利用者しか乗車できない「幻の列車」でもある。乗車にはクルーズ船の利用料金が生じるわけで、かなり高価な列車だということになる

そして、その時にしか開業しない秋田港駅も「幻の駅」である。過去の他の使用例も団体列車などに限られている。最後の日がいつになるかはまだ未発表だが、最初の使用から7年半、施設が設置されてから7年で幕を閉じる幻の駅を外から眺められるのも、あとわずかである

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旅客向け開業から10年経たずに廃駅が決まった駅を訪ねる(前編)

※訪問は2025年3月11日

キュン♥パス登板

弘南鉄道大鰐線の各駅訪問から一夜明け。朝7時前の弘前駅

取り出したのは

前日弘前駅で発券しておいた「旅せよ平日!JR東日本たび たびキュン♥早割パス」。いわゆる「キュンパス」で平日の2日間、JR東日本の全線が乗り放題になるというもの。昨年は1日券を利用した。今回は2日券。問題はここ弘前から最終的に東京に行くとして2日でどうやって元をとるかなのだが、それは今回のテーマではないので省略する。まずは奥羽本線を秋田方面へと向かうことにする

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降り立ったのは土崎駅

弘前近辺でいくつかの駅をウロウロしながら

すっかり変わった大館駅へ

特急「つがる」に乗車。青森~秋田を結ぶ特急だが、現在は1日たったの3往復しかない。旅人にとっては貴重な1本だが、自由席に楽々座れてしまうことから減便やむなしを感じてしまう

八郎潟で乗り換えて降りたのは

土崎駅。時間的には、もうお昼を回っていた。秋田港の最寄りとして開業は1902年というから120歳を超えている。港の最寄り駅や最寄り路線は長い歴史を持つものが多いが、当駅もその分類に入る。駅舎は1926年に新たに建てられたもの。真新しく見えるのは、駅舎の原型はそのままに外壁をリニューアルしたため

そして、ここかが目的地の起点となる

目指すは秋田港

私が目指すのは秋田港そして、そこにある秋田港駅である

周辺案内図をまじまじと見つめる

当駅から分岐しているのは奥羽本線の貨物支線。港に向かっているが秋田港駅は貨物支線が行き止まりになっているどこかにあるはず。ただ駅を示すものは地図にない。土崎駅はみどりの窓口こそなくなっているが管理駅で駅員さんはいるので尋ねてみると、駅前の1本道を行き、支線手前で左折するとホテルが見えるので、そのあたりまで行けば分かるという。徒歩で約20分だとか

駅舎を出る時、ちょっとビビる。こんな街中にまでクマはやって来るのか。もっとも3月上旬という今の季節はまだお休み中ではないのかと歩き始める

秋田港駅とは

駅前の道路をずんずん進んで行く。遠くに秋田のランドマークタワーとなっているセリオンタワーが見えるが、駅員さんの話など、あそこまでは行かないという

さてずっと前ふりが続いてきたが、今から目指す秋田港駅について簡単に説明しておきたい

駅名の通り、秋田港の駅で歴史は長い。明治期にはすでに貨物線は運用を開始していて駅もあったが、それはあくまでも貨物駅であり、旅客扱いはしていない。旅客扱いがないのだからプラットホームもなかった。駅の施設は国鉄民営化の際にJR貨物に引き継がれたが、それ以前から運用にあたっていたのは秋田臨海鉄道という会社

長らくこの形態が続いてきたが、秋田港に到着する豪華クルーズ船の旅客を運ぶための「秋田港クルーズ列車」を運行することになり、JR東日本が第二種免許を獲得。ホームや駅舎も新たに設けた。このほかにも秋田港で開催されるイベント用列車が走ることもあったが、秋田臨海鉄道が2021年で事業を終え貨物列車は走らなくなった。その後は月に1度程度のクルーズ列車が運行するだけの「貨物支線」となっていたが、JR貨物が線路維持は2025年度までとしたため、路線そのものがなくなることになった。つまり新たに設けた旅客駅施設は、わずか7年半で幕を下ろすことになった。近年の駅としては、なかなかない例となった

ならば今のうちに見ておこうと今回の訪問となったわけである。ただ、これは前回までの弘南鉄道大鰐線の続きになるが、相変わらず膝が痛い

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~うらやましいほどの絶景に思うこと

※訪問は2025年3月10日

JR駅との分岐

JRの石川駅へと向かう途中に道案内がある

周辺は住宅地。東奥義塾高校・中学への道程を示している。右手前に行けばJRの石川駅。今は携帯アプリがあるので困った時はスマホを開けばいいが、以前だと住宅街の中で道に迷ってしまうかもしれない

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遠い200メートル

JRの石川駅である

普通のみの停車だが2面3線と立派な構造。奥羽本線は当駅を境に大鰐温泉(弘南鉄道の大鰐駅と所在地は同じ)側と弘前側で単線と複線に分かれる。そして大鰐温泉から再び複線区間となるのだが、1区間だけ単線となっている理由が大鰐線唯一の陸橋だと何となく想像できるのは現地で初めて分かることである

その石川駅だが、跨線橋から駅の全景を見る時間はあったにもかかわらず、やめた。どうも先ほどの水たまりをジャンプする際に膝に負担がかかったようで階段は極力パスすることにした。駅の待合室にはすでに電車を待っている東奥義塾の生徒さんがいた。来た道を戻っていよいよ義塾高校前駅を目指すことにしよう

「義塾高校前」と書かれた立派な案内看板があるが、実はここから以外と遠い

JRの石川駅と大鰐線の義塾高校前駅の関係性はこんな感じ

徒歩10分ほどと意外と遠い。地図で分かる通り、直線距離だと200メートルほどだが、この間には農地が広がっていて道路はなく回り込む必要がある

雪の向こうに

歩いていくと雪の向こうに駅が見えた。手前はおそらく農地だろう

そして義塾高校前に到着。単式ホーム構造で1987年(昭和62)の開業で大鰐線では2番目に新しい駅

周辺は農地ばかりで、もともと駅を設置する理由もない場所だが、弘前市の中心部にあった東奥義塾が当地に移転してきたことに伴い、新駅が設置された

ホームには待合室そしてきっぷうりば。平日朝の利用者が多い時間に駅員さんを派遣できる態勢が整っている

待合室は多くの生徒にも対応できるよう広く作られている

多くの生徒さんが集まり始めた。まだ13時半を過ぎたところだが、これは聖愛中高前駅でも見た光景で本日は試験などで早めに終わる日なのだろう。彼らは13時43分の弘前方面行きに乗るようだが、私は13時50分の大鰐行きに乗る

2番目に新しいとはいっても40年近い歴史を持つ義塾高校前。ほとんど通学に特化した駅だが、2023年度の1日あたりの利用者数は53人と通学駅としては少し寂しい。JRの石川駅も学校最寄りとなっているために競合しているともいえるが、すでに紹介した聖愛中高前駅が63人、弘前学院大前駅が93人と学校最寄り駅の利用者は決して多いとは言えず、このあたりに廃線理由のひとつがあるといっても良いぐらいだ。そのあたりはあらためて触れてみたい

私が乗車する大鰐行きがやってきた。雪の岩木山を背に入線してくる電車。もちろん四季それぞれの景色があるのだろう。日々、こんな景色を見ながら電車に乗れるのは実にうらやましい限りだが、それは私があくまで一見さんだからなのか

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~苦難の雪中徒歩をしつつ大鰐線の歴史も

※訪問は2025年3月10日

地図を見て二兎を追うことに

石川駅構内の手製地図。大仏公園への道順が示されている。次の大鰐行きまで1時間、中央弘前行きまで50分の時間がある。大仏公園とは旧石川城跡のこと。石川は地域の要衝で戦国時代まで激しい攻防が繰り広げられた場所。歩いてもすぐなので、たまには城址見学も良いだろうと思っていたのだが、別の地図を見て気が変わった

駅周辺はかつての石川町の中心部であることは前記事でも紹介したが、JRの石川駅があり至近に大鰐線の義塾高校前駅がある。道中コンビニもあることだし、おそらく1時間もかかるまい。弘前学院大前駅~聖愛中高前駅のように近くはないが、ここはJRと大鰐線の2駅回収、つまり二兎を追う作戦を発動してみようということになった。もちろん、ここから本当の雪中行軍になるとは想像すらしていなかったのだが…

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JRと全く並行する地方私鉄

大鰐線は中央弘前と大鰐を結ぶ路線だが、この区間はJRの奥羽本線と全く並行している。私鉄が国鉄(当時)に戦いを挑むように新路線を敷設するのは都会では珍しいことではないが、そもそもの人口が少ない地方では例は少ない。にもかかわらず弘前電気鉄道が新路線を開業させたのは、当初は弘前市を抜けて板柳町まで延伸させる予定だったからだ。三菱電機の支援を受けたことも後押しした。1952年(昭和27)と戦後間もない開業ながら最初から電化されていた。奥羽本線の電化はずっと後のことである

ただ開業後は国鉄や路線バスとの競合もあって苦戦が続く。1970年に弘南鉄道に経営が引き継がれた。弘南鉄道では細かく駅を設けて通学需要に対応、地元からの支援も受けて対抗してきた。現在、奥羽本線の弘前~大鰐温泉は途中に1駅つまり石川駅しかないのに対し大鰐線は12もの駅がある

その貴重な1駅であるJRの石川駅にも行けるのだから、これは徒歩の価値があるというもの

早速、線路と並行する道路を歩き始める。その道中はというと

こうなっている。駅の周辺案内図とは違って旧石川町の中心部を通らずショートカットするルートで、これなら大した距離ではない。ちなみに私がスマホで開けたのはナビタイム先生で、ナビタイム先生はグーグル先生の地図では山田毘沙門天堂を通ることになっているコースを指南してくれた

岩木山とりんご園を見とれた後に…

やがてりんご園と岩木山を望む場所にやって来た。大鰐線には「りんご畑鉄道」の愛称が付けられているが、これは美しい。そして3カ月を経た今は全く異なる景色になっているだろう。この景色を見られただけで、この季節に来て良かったと思った。ただし、そんな気分は間もなく吹っ飛ぶ

前掲の地図を参照していただければ分かるが盛り土となっている奥羽本線の下を抜けてすぐに右折のはず。しかしそこにあった光景はというと

お~い!(号泣)

こりゃ無理だろう。足跡はあるが、私はそのような靴は履いていない。しばしぼう然。今さら駅まで後戻りなんてできないが、盛り土をくぐる前に線路に沿っていると思われる道があったことを思い出す。つまりはグーグル先生イチオシの道だが、その時にグーグル検索をする余裕など全くない。とにかく前進するのみ

ところどころに水たまりがあって私の靴では浸水注意だが、そんなことは言っていられないので、ソロソロ進む。後で写真を見返すと大鰐線唯一の陸橋がJRをオーバークロスする路線の見どころだったようだが、それは後で気付いたことで、そんな余裕はない。だから交点の写真も撮っていない

すると今度は

大きな水たまりが行く手を遮る。まるで陸上競技の水濠だ。しかも道が先で右に折れていて、その向こうがどうなっているのか不安がつのる。ただJRの線路は2本になっていて踏切が見える。駅はすぐそこだろうと、スリップに注意しながら道路の右へりを進み、最後はジャンプ。それなりの重量のリュックを背負っていることもあって、元々具合が良くなかった右膝がイテテとなったが、何とか通過

広い道まで出ることができて先ほど見えた踏切から駅の跨線橋が見えた。ようやくたどり着いた。間に合った

JRの石川駅に到着である。自販機でしばし休憩しよう

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奥羽本線を行く~羽越本線に乗り換え念願の駅へ

羽後亀田駅の駅名標

2023年3月3日14時30分

1日3往復のために働く車両

素晴らしい能代駅の駅名標とお別れして再び奥羽本線に戻ります。JR東日本の駅名標って地方の小さな駅でも特化した駅名標がよく見られますね

東能代で1日3本の特急「つがる」に乗り換えます。ホームの待合室もつがる仕様でユニークです

ほんの数分の接続でつがるがやって来ました。1日3往復ですが、この列車のおかげで先にうまく乗り継げます。常磐線でも活躍したE653に似ていますが、このE751は交直両用のE653とは異なり、交流専用仕様。元々は東北新幹線が盛岡までだった時に盛岡~青森の「スーパーはつかり」用として製造されましたが、現在は青森~秋田間のつがる専用となっています

つがるは東能代から50分で秋田に到着。つがるの終着ですが、奥羽本線はまだ続きます。ただ私は奥羽本線とはお別れ。ここから日本海沿いに羽越本線を進みます。つがるの秋田到着が15時27分そして羽越本線の秋田行きが写真でお分かりのように15時31分発とタイトな乗り継ぎで、ダイヤ乱れがあったらどうしようとヒヤヒヤでしたが、うまく乗り継げました。同ホームでの乗り換えにも助かった

未乗区間を埋め、38年来の念願の駅へ

新潟~秋田を結ぶ羽越本線ですが、私は新潟から余目までは乗車したことがあるものの、余目~秋田は未乗区間です。その区間に川部駅と並ぶ今回の旅の目的のひとつがあります

秋田から30分で、その羽後亀田に到着しました。由利本荘市に入っています

多少、くたびれた感のある駅名標ですが私は感無量でした

1974年に映画化された後、何度もテレビドラマ化されている松本清張の「砂の器」。羽後亀田駅は重要な役割を持った駅として登場します。私が映画を見たのはすでに中学生になっていたので、75年のことだと思います。砂の器といえば構内におそば屋さんが入居していることでも知られる木次線の亀嵩駅(島根県)が有名ですが、最初に登場するのはこちら

何度も映画、ドラマで見た駅舎をようやく生で見ることができました。再度記しますが、まさに感無量という言葉がぴったり

財産票によると駅舎は1920年(大正9年)の開業時のもの。赤い文字が印象に残ります

防犯連絡所の文字も古風です

ここでの時間はたっぷりあるので、しばらく感慨にふけることにしましょう

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奥羽本線を行く~1区間だけのメインルートへ寄り道

能代駅の駅舎

2023年3月3日13時

全国優勝58回の超名門校

弘前からの東能代着は12時59分。衝動的に降りはしましたが、一応、時刻表はめくってある。ここで五能線へと乗り換えます。13時1分発の岩館行き。「岩館行き」というのが実は貴重なのですが、それについては後述します

5分もかからず、お隣の能代へと到着しました

JR東日本のGV-E400というディーゼルだけど電力で走行する新型気動車ですね。初めて乗りました

能代の駅名標。東能代以上に「バスケット」が強調されています

高校バスケットの名門で全国大会のいずれもで10回以上優勝している能代工業(秋田県立能代科学技術高等学校)によるものです

ホームにはゴールも設置されています。「58」というのは全国大会の出場回数ではありません。インターハイ、国体、ウインターカップを合わせた優勝回数。凄い数字です

能代市の代表駅

さて岩館行きに乗車していたお客さんは、私を含めほとんどがゾロゾロと能代で降りてしまいました。能代市の中心部に近く代表駅なんで当然といえば当然ですが、五能線のダイヤもかなり特徴のあるもものとなっています

こちらは能代駅の時刻表。リゾートしろかみは全車指定の観光列車ですから能代から先に行く列車は1日7本。それに対し東能代行きは倍近い13本もあります。どういうことかというと東能代~能代の1区間だけの運行列車が半数を占めているからです

奥羽本線は能代の街の外れを走っています。東能代駅の開業は1901年の明治34年。当時の技術的にも地形的にも米代川に阻まれて奥羽本線は能代の中心部を通しにくかった。そこで現在の東能代駅を能代駅として設置しました。ただ街の中心部を通らないのはいかがなものかとなり、1908年に現在の東能代~能代線が支線として開業。後に能代線と名付けられました。現在の能代駅は能代町駅を経て現駅名に、最初の能代駅は2度の改名で東能代となっています

五能線の能代以遠が開業し始めたのは10年以上も後のことです

青森県の本八戸と八戸の関係と八戸線の開業理由と似ていますね

ただ八戸~本八戸は2区間で、八戸線の区間列車は本八戸止まりではなく4駅先の鮫まで運行されていることと比較すると1区間のみの運行は、かなり際立っています

高校野球で熱気

能代の改札口。東能代とは異なり自動改札機はありません。シルバーのラッチが現役なのがいいですね

立派な駅舎を携えています。構内にはコンビニもあります

駅前のロータリー。ご覧のようにここでは雪はほとんど姿がなくなっていました。ただ決して暖かくはありません

少し時間があるのでそばを食べてお昼としました

駅に戻ります。無人駅ではありませんが、かつてのびゅうプラザはなくなり、自動券売機が置かれています。ついこの間までは管理駅で東能代、能代と在来線のお隣同士の駅が管理駅になっていました

ちょうどセンバツ高校野球の直前で当駅が最寄りの能代松陽高校の出場で駅のあちらこちらで盛り上がっていました

東能代行きの改札開始を告げるアナウンスが流れ、多くの高校生がホームに向かいます。私も東能代から再び奥羽本線に乗ることにします

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奥羽本線を行く~バスケの町へ寄り道

東能代駅の駅名標

2023年3月3日11時30分

偶然重なったデビュー日

川部の滞在は45分。あっという間でしたが、ここからはあっという間ではありません。10分ほどで弘前に到着します。ちょっとだけ気分転換で外に出ます

弘前の立派な駅舎を少しだけ見る

青森もSuicaエリアになるんですね。計画したわけではありませんが、まさに記事を書いている今日が「デビュー日」です

特急乗り放題だけどトコトコ奥羽本線

弘前下車は運転停車の3分を利用してダッシュで行ったもの。ここから長いトコトコ旅となります。4年前は青春18きっぷで秋田を目指して新青森からスタートし、途中大館での昼食休憩を挟んで秋田までたどり着きましたが、それでも大館~秋田は2時間。夕方の帰宅&下校ラッシュにもはまったため、2両編成の電車は超満員で景色すら眺めることができず、かなりしんどかった。18きっぷの辛いところです

ただ今回持っているのは東日本パスなので特急も乗り放題。快適な旅を…と思ったはずですが結果はやはり秋田までトコトコ旅(泣)。新青森の項でも触れましたが青森~秋田の在来線特急「つがる」が1日3往復しかないからです。ここ弘前でつがるが来るのは2時間後。ホテルで朝食をさんざん食べたので、お腹はすかない。今乗っている普通にそのまま乗車しても秋田に1時間半も早く着いてしまいます(要は後続の特急に乗車しても30分ほどしか時間が詰められない)。ということで再び普通に戻る。弘前から秋田まで2時間半の普通電車旅はそれなりに堪えます

ただ前回とは違い、今回は車窓を眺める余裕はあります

弘前あたりで消えた雪景色が鷹ノ巣あたりで復活。気候のことは分からないのですが、交互に車窓を彩る景色は楽しい。このあたりで弘前から1時間です

衝動的に降りてみる

さらに揺られること30分。東能代接近のアナウンスがあり、降り支度を始める人が多い中、なぜか私も降り支度。秋田からは羽越本線に乗り継ぐ予定で14時1分に秋田に着いて14時31分発の電車に乗る予定。次のつがるだと間に合わないので鈍行旅を選んだのですが、なんとかなるだろう、と急に東能代で降りてみたくなりました

東能代は自動改札機も備えた駅。管理駅で全列車が停車します

五能線も含め、こちらを行き来する列車は何度も乗っていますが降りたのは初めて。それも衝動的行動のひとつですが

能代といえばバスケット。いつも車窓から眺めているだけだった、構内のこのリングを生でながめたかったのです

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奥羽本線を行く~明治生まれの駅舎で18きっぷを買う

川部駅の駅名標

2023年3月3日10時30分

乗客の多さにビックリ

川部駅に到着しました

駅名標が分岐しているように奥羽本線と五能線の接続駅となっています

ここまで車内が混雑していたことにまず驚いていたのですが、多くの人がこちらでドッと降りて二度ビックリ。その点は考慮していなかったのですが、本数が多いとはいえない五能線の接続電車だったのです

跨線橋を渡った方々はどんどん五能線の列車に吸い込まれていきます。そこで現在は青春18きっぷの期間でもあることに気付きました。もちろん私が使用している東日本パスも期間内。昨秋は両者が重なることはなかったのですが、今回は重なるのですね。それは人も多いはずです。私が七戸十和田から乗車したはやぶさが東京からの始発で、こちらにきっちり間に合う。今日は金曜日で3日間有効の東日本パスは今日さえ休みをとれば、うまく土日に重なるわけです。なるほど、と納得。今日からは他の列車も混雑しそうだと身構える

五能線の案内がありました

五能線の終点を告げる案内標

ただ私の目的は五能線ではないので改札に向かいます

間もなくお別れとなる明治の駅舎

今回の旅でのミッションは3つあって、未訪問だった東北新幹線駅訪問はすでに達成。2つ目が川部駅の訪問でした

開業時からの駅舎が残る川部駅。雪がよい風情をプラスしてくれていますね

財産票も当時のものだと告げています

ただこの駅舎はこの時点で改築が決まっていて、JR東日本の発表では旧駅舎の面影を生かした改築とのこと。そしてもうひとつの大きな変更は3月18日から無人駅となることで、訪問時は健在だったみどりの窓口はなくなります

そこで「今期の青春18きっぷを川部駅で購入する」とのミッションを付け加えます

ただ私が改札を出た時は駅スタンプを熱心に押して入場券を購入するグループの方がいたので、私は先に写真撮影をすることにしました

ギリギリだった18きっぷ購入

駅舎内です(きっぷ購入直後の写真)。ストーブがいい感じ。人もいなくなったので早速、ミッションに移りましょう

そこであるものに目がいく

時刻はすでに10時35分。これは気付きませんでした。危ない危ない

ということでミッションも無事達成

ビューカードで購入すると駅名が入るはずです(要確認事項)。これで5回の旅は「川部駅発行」の文字を見ながら旅ができます

ついでに入場券も購入しました

駅スタンプとかわいい駅の模型

「村」のみどりの窓口

まだ時間はあるので駅の向かいで恒例の100円コーヒータイム。身体が暖まる

こちらは仮設トイレ。すでに工事は一部始まっているのでしょうか

駅舎内に戻るとすでにカーテンは閉ざされていました。私の前で窓口が開くことは、もうありません。駅の住所は青森県の田舎館村。「村」にあった貴重なみどりの窓口でした

年季の入った跨線橋はしばらく保たれそうです

JR東日本の発表では新駅舎の利用開始は5月27日となっています

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