JR

銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~ようやく跨線橋を渡ってみた

※訪問は2025年7月11日

4カ月を要してたどり着いたJRの改札

大鰐温泉駅の改札。4カ月前はここまで来ることはできなかった。ラッチはなく有人の時間帯は駅員さんが立ってきっぷの回収をするのだろう

ただしまだ6時40分。無人の時間帯だ。JR全線の乗車券、指定券を買うことができると記されているが、みどりの窓口とはなっていない。特急停車駅ながら扱いは簡易委託駅のようだ

スポンサーリンク

足湯も備える

大鰐温泉の駅舎。開業は130年前の1895年と明治期だが、現在の駅舎は昭和30~40年代の典型的なコンクリ駅舎。大鰐町の代表駅にして大鰐温泉の最寄り。最寄りというか、駅前が温泉街となっている。全国には「○○温泉」という駅名ながら、温泉街まで遠い駅がいくつもあるが、ここは名前に偽りなし。鎌倉時代んらの名湯で大鰐からの駅名変更も十分うなづける

駅前には大きなワニと一体となった足湯がある。「こんなところだったのか」が実感

3月に訪問した際の記事。当駅に来る前、弘南鉄道の石川駅からJRの石川駅の間を歩いた時、膝を痛めてしまい跨線橋を渡ることができずJRの方に行くのを断念した。ちなみにもう痛くはないが、まだ違和感が残っている状態だ

大鰐駅へと向かう

さてここからようやく本来の目的である弘南鉄道大鰐線の大鰐駅である。つまり大鰐温泉駅から大鰐駅へと向かう。弘南鉄道では南口にあたる駅舎はJRの駅舎の隣にある

以前は駅員さんがいたが、現在は無人化されている。券売機もなく単に待合室状態。私の訪問時はJRも無人の時間帯。前記事で「どちらで降りても事実上同じ」と記したのは、そういう意味合いだ。厳密にはJR、弘南鉄道とそれぞれの乗客が、それぞれのきっぷを持ってそれぞれの出入口を利用することになるが、今回の私は両社のフリーきっぷを持っているのでどちらも利用できる

4カ月前は渡れなかった跨線橋で、いよいよ大鰐駅へ

弘南鉄道の方へ行こうとすると跨線橋が狭くなる。そしてJRのきっぷしか持っていない人は、ここから先には行けない。駅に出口が複数あるのなら、○○口という風に方角や地名が入るものだが、弘南鉄道には北口と南口があるが、JRの出口は1つである。「JR出口」と表示されているのも、そのためである

弘南鉄道のホームにやってきた。ここは4カ月前にも見た光景。懐かしい

すでに中央弘前行きの電車が出発を待っている。訪問記事と読み比べていただければ分かるが、とにかく景色の違いに驚く。弘南鉄道とJRのホームの間はビッシリ雪が埋まっていたのに、今は青い夏の空。あまりにも対照的だ

共同使用駅の概念とは違うかも

弘南鉄道のホームまで来て目につくのは、こちらの注意書きである

わざわざ「JR」と上書きしたり、「弘南大鰐」の「弘南」の部分を隠してみたりという工夫ばかりが目につくが、これはどういうことかというと前述した通り、JRのきっぷしか持っていない人はこちらの出口からは出られません、との意味だ

JRで降りると線路を挟んで南北を往来するにはかなり回り道をする必要がある

こちらは3月訪問時のもので張り紙はめめめくれかけているが、通り抜けをするには入場料が必要だということが書かれている

訪問時の記事で「いろいろな形式はある」と前置きしながらも共同使用駅とした。ただ共同使用駅の概念のひとつとして「どこからも出入りできる」というのがあるだろう。ホームの導線に共有部分はあるとしても「隣接する駅」という表現が近そうだ

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~異なる会社のパス2つを同時使用

※訪問は2025年7月11日

朝6時台の弘前発奥羽本線からスタート

朝6時20分の弘前駅

前日は津軽線の運休区間を回り、夕方までに弘前入り。本日は弘南鉄道大鰐線の残り駅回収と同社の弘南線の各駅訪問を行う予定。前回の訪問からちょうど4カ月。景色は大きく変わった。当時は弘前の駅前にも雪が残り、沿線はどこもまだ高く積もる雪に囲まれていた

まさに雪中行軍だったが、東北の夏はやや遅いとはいえ、もう盛夏といっても良い季節。朝の6時でも当然半袖シャツ1枚である。幸運にも宿泊していたホテルの朝食が朝6時からで、大盛ごはんを素早くかき込んで出発である

スポンサーリンク

初めてのフリーパス同時使用

6時27分発の奥羽本線秋田行きに乗車。大鰐線の駅訪問なのに、なにゆえJR乗車なのかというと、ここから大鰐温泉駅へと向かい、そこから大鰐線に乗車しようというプランである。すでにスマホで弘南鉄道のフリーパス「大黒様きっぷ」を購入している。そして弘前~大鰐温泉のJR区間は津軽線でも使用した北海道&東日本パスを利用する。結論から言うと、本日JRを利用するのはこの区間のみ。運賃にしてわずか240円だが、7日に東京から利用を開始したこのパスはもう十分に1万1530円の元を取っている。しかも明日の最終日も青い森鉄道でたっぷり乗下車するので本日の出番はこれだけで問題ない(ちなみに初日の出番も浜松町~上野のみだった…笑)

フリーきっぷというのは、とりあえず元を取るのが先決なので異なる会社のものを2枚同時に使用するということは、なかなかない。私も初体験。ほんの少しだけエグゼクティブな気分になれる

電車はわずか2区間の13分で大鰐温泉駅に到着。ちなみに弘南鉄道だと13区間で30分以上を要する。後方に弘南鉄道の出口があるが、当然ながらJRの出口から出よう。両社のフリーきっぷを持っているし、事実上ここから出ても大勢には影響ないのだが、それについては後述する

奥羽本線のこの区間は過去何度も乗車しているが、大鰐温泉での下車は初めて。もっと言うと、途中に石川駅があるだけの2区間約12キロの車窓をこんなに凝視したのは初めてのことだ。特に石川駅前後では「こんな風に大鰐線とクロスするんだ」「こんな風に別れてまた合流するんだ」と興味津々。これも3月そして今回の主役があくまで大鰐線だからだろう

行先案内にしびれる

向こうに弘南鉄道の大鰐駅と電車が見えている。跨線橋でつながっているが、JRは大鰐温泉、弘南鉄道は大鰐と駅名が異なる

JRの大鰐温泉駅は開業が1895年(明治28)と古く今年で130歳。新宿駅とも「10歳」しか変わらない。当時の駅名は大鰐である。地名の由来については調べるまでもなく駅に解説があった

アイヌ語に基づくという。JR東日本の東北の駅では、このような地名の由来についての案内板をよく見かけてとても勉強になるし、何より調べる手間が省けてブログ記事の作業がはかどる(笑)

弘南鉄道の大鰐駅開業は1952年(昭和27)と、ずっと後のことだ。敷設は弘前電気鉄道が行い、駅名は国鉄との同名に気を遣ったのか、嫌がったのか弘南鉄道に営業が譲渡された際に「弘南大鰐」という駅名となっている。大鰐駅に戻ったのは1986年のこと。ただJR移管後の1991年(平成3)にJRの駅名が大鰐温泉となって現在に至るため、弘南鉄道の駅は55年もの歴史を持ちながら、JR(国鉄)と同駅名だったのは1952~1970と1986~1991の半分にも満たない。駅名の追っかけっこをしている感じだ

改札を出ようとして振り返ると跨線橋手前の番線案内に目が釘付けとなった

奥羽本線の各駅、弘南鉄道大鰐線の各駅に混じって「大阪」の文字。明らかに異彩を放っている。東北地方に大阪という地名があるのかと思ってしまいそうだが、おそらく日本海縦断特急「日本海」の停車駅だった名残だろう。定期運用の終了は2012年春とまだ13年しか経っていないが、はるか昔のことのように感じてしまう。2028年春の大鰐線廃線とともに案内板も作り替えられて大阪の文字も消える運命だと思う。ただ見方を変えると何度も作り直すのは面倒なので、少なくともそれまでは残るはず。この駅で最もしびれた瞬間だった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~あと一年半 また来ます

※訪問は2025年7月10日

5分間停車の奥津軽いまべつ

三厩駅から海へと伸びる坂道をワゴン車のわんタクが駆け上がってきた。蟹田方面へと戻ろう

スポンサーリンク

津軽二股駅2019年

わんタクは奥津軽いまべつで約5分間のお手洗い休憩をとる。代行バスは基本的に休憩時間はないが、乗車していた感覚だと、その旨を伝えれば少し待ってくれそうではある。三厩駅や今別駅にもお手洗いはあるが、バスの停留所から簡単に行けて複数の利用でも問題ないのは新幹線駅でもある当駅だ

ただ代行バスについては基本的な考えとしては、ここは津軽線の津軽二股駅。渡り廊下のようになっている駐車場を横切ると道の駅があって、そこが津軽二股駅だが、5分間で行って戻ってくるにはダッシュが必要なので体力に自信のある方でないとおすすめしない

ここ津軽二股から青森までは北海道新幹線と津軽線が並行して走る区間(正確には新幹線の駅は新青森)となるが、整備新幹線である北海道新幹線と津軽線は並行して走っているのに、なぜ並行在来線の扱いを受けていないのかと思う方もいるかもしれない。整備新幹線の基本的な考えだと、この区間は三セク転換されることになり、現に北海道側は木古内~五稜郭の江差線が道南いさりび鉄道に転換されている

これは新幹線がJR北海道、津軽線がJR東日本と別会社だからで、両線はそのままの形で存続することになった。その分、奥津軽いまべつと津軽二股は近くにある駅というだけで、乗継ぎや連絡はほとんど考慮されていなかった。私は前記事でも記したように2019年にここ奥津軽いまべつを訪れ、北海道新幹線開業前の津軽今別駅時代にも訪問している

北海道新幹線の開業前は函館から特急「白鳥」で当駅を訪れ津軽今別で下車。津軽二股駅まで降りて津軽線で青森駅へと向かった

2019年は仙台から東北新幹線に乗り、奥津軽いまべつで下車。津軽二股から三厩へと向かったのは前記事で記した通りだが、その後は再び津軽二股まで戻り、青春18きっぷオプション券を利用して木古内から函館へと向かった

これがその時の写真だが、ビルのような奥津軽いまべつ駅。階段でチャレンジしようとすると115段の案内があり「三江線の宇都井駅と同じだ」と思った記憶がある。もちろんエレベーターを利用したけど。とにかく待ち時間が長く、道の駅で食事をしても時間が余り、奥津軽いまべつ駅の待合室で延々とテレビを見たことも覚えている。エアコン完備で快適だった

津軽二股で下車し、青森行きの列車を見送った時の動画がこちら

この時は3年後の大雨被害は考えもしておらず、軽い気持ちで撮ったため、ハンパなものにしかなっていないが、貴重な動画になってしまった

先を遠慮したわけ

お昼前に蟹田へと戻ってきた。朝の7時とは違って駅員さんのいる時間帯となっていた

今回の旅はここまで。津軽線の廃線予定区間には7つの駅がある。わんタクはまだまだ運行がある。今回訪れたのは3駅。津軽二股は以前も訪問しているので残り3駅。頑張れば、この後もすべて回収できそうだが、ここまでにしておいた。代行バスなら何も考えずにバンバン乗り降りするが、地域の貴重な足でもあるわんタクを、鉄オタがフリーきっぷを利用してタダ乗りするのもどうかと思ったからだ

蟹田以北の津軽線廃線後のJRの関わり方は、まだ確定していないが、現時点では完全にバス転換した後も何らかの形で運行には関与することになっているようだ。日田彦山線BRTの項でも触れたが、ここが最も大切な部分だと思う

おそらく来年の夏にも北海道&東日本パスを使用する。その時は残る3駅も必ず訪問したいと思っている

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~最果ての管理駅の現在

※訪問は2025年7月10日

中小国駅から約1時間

三厩駅へと到着。中小国駅からわんタクで約1時間の道程だった

駅前では朝の7時すぎに蟹田から今別まで乗車した代行バスが「休憩中」。このバスは8時2分に当駅に到着し、同7分に三厩体育館まで行って終着となる。ここまで戻って待機なのだろう。17時40分に三厩体育館を出て当駅経由で蟹田に向かうので長い休憩である

スポンサーリンク

聖徳太子がいなければ

三厩駅は平成の大合併まで存在した三厩村に基づく。「厩」とは、なかなか難しい文字だが、馬小屋で生を受けたという聖徳太子の「厩戸皇子」という名前を学校で習った方なら、触れた経験のある文字だ(ただし書け、と言われても書けないが)

村の名前も馬に基づく。当地には平泉で亡くなったとされる源義経が当地で3頭の馬を得て北海道へと逃げたという伝説があり、地名となった

当駅は今別町から外ヶ浜町に入ってすぐ(外ヶ浜町は飛び地となっているので、正確には1度外ヶ浜町から出て再び入る形となる)の場所にあるが、観光案内図でも義経ゆかりの場所が記され、義経が北海道に渡った伝説についても解説がある

かつては有人駅

三厩駅は1958年(昭和33)の開業。蟹田から延伸された終着駅となった

代行バスが三厩体育館まで行くのは、その付近が三厩の中心部だからだと思われる。駅自体は海から徒歩で10分ほどの高台にある

三厩駅が有名となった理由のひとつとして有人駅だったことが挙げられる。信号システムが遅れたおかげで、1日5本しかやって来ない駅にもかかわらず駅員さんがいたばかりか、今別、津軽浜名の3駅を管理し駅長もいた。映像や写真で積雪の中、駅業務に従事する職員の様子が紹介されていた

2019年に無人駅となったが、有人駅だった面影はまだ残る

龍飛埼への観光拠点としての役割も担い、駅舎内のこのイラストも駅が紹介される度に登場していた

ホームへと入る。錆びたレールはこの先で終わっている。以前と大きく様変わりしたのは、この部分で後述する

ホームとレールは今別駅と同じ光景。ずっと島式ホームだったが、2019年の無人化の際に片方だけの使用となった。ここに列車が来ることはもうない

2019年の思い出

三厩駅に来るのは6年ぶり。前回は2019年の8月終わりだった

この日のことは今もよく覚えていて、前夜は仙台に宿泊。仙台から東北新幹線で奥津軽いまべつで下車して津軽二股から津軽線に乗車。三厩駅へと赴いた。津軽二股から青春18きっぷを利用することにしたので、津軽線の車掌さんにサインをもらった。三厩駅は訪問の2カ月前に無人化されていたためで、2度とできない思い出となった

車内は18きっぱー専用列車のようになっていてホームは同業者(鉄道ファン)であふれていた

使い古されたサボが印象的

現在の錆びたレールと行き止まりの草むらを前掲したが、この時はポイントがあり、その先にスノーシェッドに守られた車庫が残っていた。無人化に伴い、ポイントも車庫もこの後撤去されることになる

駅でずっと一人

この時は、列車がすぐ折り返すということで滞在時間わずかで同業者とともにゾロゾロと再び列車に乗り込み青森方面へと戻ったが、今日は30分ほど時間がある。ただ6年前と決定的に異なるのは、当時は人であふれていた駅が、今回はやって来たのも1人、駅から出発したのも1人だったということ。つまり私がこの日、この時間帯にたまたま訪問しなければ、誰も来る人はいなかったということになる。「たまたま来た私1人だけ」のフレーズは過去何度も書いてきたが、鉄道ファンにも人気だったこの地で同じ体験をするとは思ってもいなかった

ホームから駅舎を眺める。宿泊もあった大きな駅舎だ

駅舎内の手作り観光新聞そして

駅ノート。訪問時は私1人だったが、間隔を空けずに次々と書き込みがある。駅を訪れた人の熱い思いが伝わってくる内容だった

お手洗いを借りた時に繰り返し書かれている「マムシ注意」の文字が気になって、草むら部分に入ることはできなかったが、前回がわずかな滞在で終わっただけに充実の時間だった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~わんタクでの各駅訪問

※訪問は2025年7月10日

代行バスを昼間に補完

中小国駅の代行バス停留所。今別駅でも紹介したが、代行バスに加え「わんタク」の時刻表がある。ここから三厩駅へと向かうのだが、ここからは、そのわんタクを利用する。時刻表で分かるように現状では朝夕しかない代行バスを昼間に補完する形となっている

スポンサーリンク

路線バスと同じだが予約がおすすめ

わんタクは蟹田駅と龍飛埼灯台を結んでいる。代行バスは津軽線の代行なので三厩までしか行かない(正式には三厩のひとつ先の三厩体育館まで)が、こちらは観光名所の灯台まで運んでくれる。鉄オタ視点からだと青函トンネル記念館も通る。料金は1回の乗車につき500円だが、三厩までならJRのきっぷや定期券を持っていれば乗車できる。もちろん青春18きっぷや今回私が利用した北海道&東日本パスも有効。三厩までのJRの乗車券を所持しているが、その先は持っていない場合は追加料金300円

注意すべきは「定時便」「フリー便」の2種類があること。前者は写真にある時刻表通りに運行される1日4往復で、いわば路線バス。そして後者は、いわゆるデマンド型。パンフレット等では観光でも利用できると記されているので地元住民でなくても利用できそうだが、そちらについては最初から調べてもないので前者に絞って説明する

定時便は路線バスと同じなので停留所で待っていれば乗せてくれる。ただ運行はワゴン車なので時期や季節によっては乗り切れないこともあるので、その点は留意する必要がある

私も過去、各地のコミュニティに随分乗車し、ワゴン車タイプもかなり乗ったが、満員で乗り切れなかった記憶はない。ただわんタクについては龍飛埼という有数の観光地に向かうため混み合うこともあるため、事前予約がおすすめだ。わんタクのHPに予約用の電話番号とWEB予約ページがあるため、こちらが便利。私はWEB予約を行った(ただし電話予約は当日も可能だがWEB予約は前日まで)。予約が多い場合は追加のバスを用意してくれる

予約作業は極めて簡単だ。私の訪問時はどの車両もすいていて結果的には停留所で待っていても乗れたが、現地で聞いた話だと予約が多くて現実に追加のワゴンが用意されることもあるそうなので予約を推奨したい

そもそも予約しておけば、確実に乗れる。私は体験したことがないが、地方のバス路線では、いつも同じ人ばかりが乗っているので一見さんが停留所に立っていてもスルーされてしまうこともあるとか。また、この中小国駅は道路の片側にしか停留所の立っていない、これもよくある不安なパターンだが、予約しておけば停留所にいても向かいにいても運転手さんの方で探してくれる

片側しかない停留所の場合、平素は停留所の向かいに立って「お~い」と手を振るのだが、この日ばかりは停留所に立っていた。やって来たバスは向かいで停まってくれた。あとは乗車時に名前を告げれば良い。すでにきっぷを持っている場合は、そのむねを告げ、ない場合は降車時に支払う。交通ICも利用可能

停留所が多い分、他の利用も

わんタクはルート上では、どこでも乗降可能となっている。乗車については予約が必要だが、降車については運転手さんが分かるように伝えれば大丈夫。私が乗車した時のこと。これはフリー降車ではなく一般の停留所だったが、降車ボタンが押された際は気にもとめていなかったが、降車したのは明らかな同業者(鉄道ファン)。目的は明白で、おそらく新中小国信号場を見に行ったのだろう

徒歩だと20分。わんタクで降りると、ほぼ目の前である(代行バスの停留所にもなっている)。なるほど、と感心してしまった

またわんタクは代行バスに比べて停留所の数が若干多いが、私が興味を持ったのは

車窓から見えた青函トンネル入口広場。文字通り青函トンネルの入口が眺められる場所となっていて、出入りする新幹線や貨物列車を見ていられる子どもにも人気のスポットだという

2027年の津軽線廃線後の代行バスやわんタクの形やJRとの関係性はまだ未定だが、少なくともそれまでならフリーきっぷで乗ることができるので、代行バスと合わせてぜひ利用したいアイテムである

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~レールはピカピカそれでも旅客列車は来ない

※訪問は2025年7月10日

ワゴン車の代行バスで

今別駅前の代行バス&わんタクの停留所。わんタクについては後ほど触れるとして、私が今から乗車するのは代行バスの2便。8時13分発である。時刻表に記されているのは主にJRの駅だが、実際は他の停留所があるため、もっと細かく停まる

代行バスがやって来た。蟹田から今別までは大型バスだったが、この便はワゴン車。ただし2台での運行である

スポンサーリンク

農地の中にたたずむ駅

約30分で中小国駅に到着。幹線である県道から少し奥まった場所にある。バスの停留所は県道上にあるため少しだけ歩く。正面奥に踏切が見える。その左手の黄色い建物が駅の施設だろう

踏切手前の左側に駅があるが、1度渡ってみる。ここから先は農業用の道路らしく狭くなっていて、私がいる間も軽トラックの出入りを見かけた

振り返ると単式ホームの棒状駅が見えた。県道近くには多くの民家があるが、駅そのものは農地の中にポツンとたたずんでいる

JR東日本、JR北海道両社の駅

中小国駅の開業は1958年(昭和33)。前記事で紹介した今別駅と同じく、津軽線が蟹田~三厩で延伸、全線開業となった際に設置された。当初から現在の姿。周辺も当時から何があったというわけではないが、青函トンネルの開通によって鉄道ファンなら知らない人はいないほど有名な駅となった

青函トンネルを経て青森県へと入ってきた海峡線は、中小国駅の少し北側にある新中小国信号場で津軽線と合流する。信号場はJR北海道の管轄だが、そこに駅はないため信号場と中小国駅の間は津軽線と海峡線の重複区間とし、津軽線の起点駅を中小国駅とした。つまり中小国駅はJR東日本とJR北海道の共同使用駅となっている。共同使用駅や境界駅というと立派なターミナル駅を想像しがちだが、中小国駅については全く異なる。というのは中小国駅には北海道新幹線の開業以前からJR北海道の列車が停車することは一度もなく、停車はお隣の蟹田駅。蟹田駅の記事でも記したが乗務員の交代も蟹田で行われていた

ただそんな帳簿上の起点駅、共同使用駅だからこそ鉄道ファンは注目する。「中小国」は読めそうで読めない意外な難読駅だが、読めない鉄オタはまずいない。津軽線内では三厩、津軽二股と並ぶ青春18きっぷによる「必訪問駅」となっていた

ホームへはスロープで出入りする。雑草はきれいに刈り取られている

ホーム上に待合所があり、奥に部屋がある

当駅にも室内には時刻表がそのままだ

蟹田から新中小国信号場までは電化区間だが、電化は海峡線用のため当駅に停車するのは気動車のみだった

今別駅と中小国駅はともに旅客列車はやって来ない。ただレールはピカピカの「現役」であることが決定的に異なる。今も本州と北海道を結ぶ貨物列車が定期的に走るためだ。蟹田~当駅にかけては線路も生きているため、津軽線も当駅まで運行することは可能だが、利用者数からも、わざわざ折り返し設備を設ける必要はないと判断され、JR東日本は2027年春での廃駅を決めた。貨物列車の運行は続くため、あくまで帳簿上だが、津軽線は新中小国信号場が「終点」となる。JR北海道については正式な意思表明はないが、JR東日本を受けて信号場が「起点」になるのではないかと言われている

一度も旅客列車が停まらなかった起点駅。今はピカピカのレールで終焉の時を待っている

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~急速に自然に還る様子を目の当たりに

※訪問は2025年7月10日

何度も確認を繰り返し

津軽線の代行バスはすでに駅前に待機していた。後で分かったことだが、この大きなバスは利用者の多い時間帯仕様だ。青森から乗車して蟹田に到着したのが6時58分。代行バスの出発が7時8分なので接続時間は10分しかない。写真を撮っているうちに、すぐ出発の時間がやってくるので余裕はなかった。このバスは6時4分に三厩駅を出て蟹田駅に6時58分に到着する。つまりバスの到着時の様子を私は見られていない。蟹田駅から電車に乗ろうとするお客さん、特に高校生の数を見ると、このバスで蟹田駅まで向かう利用者はそれなりにいると思われる。ただ私が乗車したのは、時間帯的には逆向きなので乗客は私を含め5人だった

乗車時に北海道&東日本パスを提示しすると降車場所を尋ねられる。「今別駅」と答えると「奥津軽いまべつ?」「いや今別です」「新幹線の駅ではなくて?」「いや、単に今別。奥津軽いまべつではありません」という確認と念押しのやりとりがあって出発。それは無理のないことで、朝の7時の代行バスというのはお客さんもなじみの顔が多いだろうから、見たことのない旅人らしき人間に行先を今別と言われても運転手さんが疑問に感じるのは当然だ

スポンサーリンク

改修工事を終えたばかり

代行バスは北へと向かう。車で津軽半島を走ったことはないため、車窓には興味津々だ。途中、中小国信号所の付近を通る。道路から少し離れていて間近で様子を見るわけにはいかないが、架線の規模で雰囲気は分かる。新幹線駅の奥津軽いまべつ(在来線の津軽二股でもある)も過ぎて約40分。あっという間に今別駅に到着した

駅前から去っていくバスを見送る。車窓で分かったが、駅近くに来ると街に入る。このあたりが今別町の中心地なのだろう

振り返ると

今別駅の駅舎。まだ朝のム8時前だが、駅周辺からは家に出入りする人の姿と声がする。少なくとも農地の真ん中にある駅ではない。もっとも「駅の利用者」は私だけだが

駅舎に入ると、中はきれいにされている。イスの座布団が北国らしい。よく見るとエアコン完備だ。まだ朝の8時前で、この日はそれほど暑くはなかったため、冷房の出番ではなかったが、冬場も北国でよく見かけるストーブとは異なり、エアコンを使用するのだろう。駅舎は2017年に改修されたばかり

当時すでに無人化されていたので駅舎そのものの管理は町が行っていると思われる

駅舎内には豪雨被害以前からの時刻表が設置されている。あくまでも休止扱いなので、そのままなのだろう。鉄道が動いていないことを知らずにこの駅にやって来る人は、まずいないのもある

こちらはホームに向かう待合部分。奥にはきれいなお手洗いがある。ホームへ行こうとしたらドアは施錠されていて焦ったが、駅舎の外から入れるようになっていた

表現する言葉が見当たらない

スロープからホームに入る方式の単式ホーム。開業は1958年(昭和33)で蟹田~三厩が開業した際に設置された

ホームに出ると、そこにあるのは錆びたレールと、そこに覆いかぶさんばかりに成長している草木。ホームの雑草は定期的に刈り取られているようだが、そのコントラストが大きすぎる

同じ角度を駅舎寄りから。「51」と記されたキロポストが印象的だ

開業時は島式ホームですれ違いのできる構造だった面影が残る

こちらは逆方向。正式には、まだ現役の線路だが草むらの中に埋もれていく錆びたレールに現役感はない

こちらはホーム側から見た駅舎

駅舎の表側と駅舎内とは異なり、使用されることのなくなったホーム側は、どちらかというと放置状態だ

冬場は雪に覆われる駅周辺。それだからこそ、夏になると、ここぞとばかりに草木は急成長するのか。自然に還る速度を痛感した訪問だった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~代行バス1日3本に一瞬驚く

※訪問は2025年7月10日

旧蟹田町の代表駅

あらためて蟹田駅(写真は12時前のもの)

旧蟹田町の代表駅で平成の大合併で外ヶ浜町となった

こちらは駅前の案内図。外ヶ浜町は今別町を挟んで三厩地区が飛び地となっている。津軽半島は他にも五所川原市、中泊町と平成の大合併で3つの自治体が飛び地になった。外ヶ浜町の町役場は旧蟹田町役場。津軽線では唯一の特急停車駅となった蟹田駅が中心駅となったのは自然な流れだった

スポンサーリンク

時の流れを感じる

後から出てくるが、津軽線に乗車したのは2019年が最後。その時は蟹田駅には降り立っていない。蟹田駅で降りたのは、まだ特急「白鳥」が走っていたころ。つまり北海道新幹線の開業前で、その時は今はなき津軽今別駅(現在は奥津軽いまべつという新幹線の駅になっている)で降りて津軽二股駅との乗り換えを楽しんだ。蟹田まで行けば特急が1時間に1本やって来るので青森までのアクセスは容易だった

現在の駅舎は東北新幹線が新青森まで延伸された2010年にリニューアルされたもの。まだ海峡線からの特急があった時代で、JR北海道によって函館から運行されてきた特急は当駅でJR東日本の乗務員への交代を行っていた

そのころは管理駅で、現在もみどりの窓口が残るが、窓口の開いている時間は限られる業務委託駅となっている

真新しい駅舎内は今もあまり変わらないが

時刻表からは優等列車が消え、三厩方面については運休中の案内とともに時刻表が隠されている。時の流れを感じる。朝夕にいくつかの運行があり、昼間は運行本数が少なくなる典型的なローカル線のダイヤだ。ちなみに隠されている三厩方面については鉄道時代は1日5往復という超閑散路線だった

三厩方面に線路が伸びるが、ここから先は列車では行けない。正確に言うと、列車は先にも進むが、それはすべて貨物列車で、旅客列車の運行が行われることはもうない。いろいろな意味で時の流れを感じる

それでも朝の蟹田駅はにぎわいを見せる。私が乗車してきた電車は折り返し7時9分発の青森行きとなるため、駅には家族に送ってもらった高校生がひっきりなしにやってくる

これはローカル線ではなく山陽本線のような幹線でも地方に行けば、おなじみの光景だ

代行バスで先に行きたいが

さて私の本来の目的はここからだ

運休中の蟹田~三厩については代行バスが運行されているが、最初に運行本数を見てがく然とした。何と1日3往復しかないのだ(日によっては下りが2本増える)。もともと1日5往復という路線だったので、そう多くはないと予想していたが、調べてビックリ。しかも運行は朝と夕方にあるだけ。蟹田からだと7時7分が始発で、次は16時20分までない。これでは訪問も何もないではないか

一瞬あきらめかけたが、さらに調べると

乗合タクシーの「わんタク」というものがある。一見デマンドの地元住民向け乗合タクシーに思えるが、定時便とそうでないものがあり、定時便については路線バスとほぼ同じ扱いのようだ

代行バスの空白時間帯を埋めるように運行されていて、こちらはJRのきっぷも有効。青春18きっぷや今回の北海道&東日本パスでも乗れるようだ。これでかなり安心。というか計画は随分立てやすくなった

ということで始発電車と連絡している代行バスで蟹田を出発である

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~早朝の青森から蟹田へ

※訪問は2025年7月10日

北海道&東日本パスでの青森から

7月10日のまだ朝6時前

まだ人もまばらな青森駅。昨年も東京からてくてく普通を乗り継いで青森までやって来たが、今年もそれとほぼ同じ行動をとっている。7月8日の早朝に東京を出て一ノ関、青森で宿泊した。今回は昨年とは異なり、ここ青森から津軽線に乗車する

巨大ターミナル駅だった青森は、もちろん今も県庁所在地青森の代表駅で要衝駅のひとつだが、新幹線が新青森発着となったことや青函連絡船の終焉、東北本線の三セク転換で優等列車が行き交う駅ではなくなっている。新たな駅ビルが建てられ、駅舎そのものは華やかになったが、改札は随分こじんまりとなった

これから6時16分発と表示された津軽線に乗車する

スポンサーリンク

ローカル線から幹線扱い再びローカル線へ

有名路線ではあるが、簡単に概略に触れておこう

津軽線は青森駅から津軽半島を北上し三厩へと至る55・8キロの路線。戦前から計画はあったが、実際に工事が始まったのは戦後になってから。1951年(昭和26)に蟹田までが開業。7年後の1958年に三厩まで全線開業した

しばらくは難読で難漢字の三厩の最果て感が鉄道ファンに愛されるローカル線だったが、事態が一変したのが青函トンネルの開通。トンネルを走り北海道と結ぶ海峡線の列車が津軽線を通ることになり、急激に脚光を浴びることとなった。1988年のこと。青森から海峡線の分岐となる中小国までが電化され、優等列車や貨物列車が行き交う華やかな路線となった。ただ海峡線の列車が来ない中小国~三厩は非電化のまま。分岐となる中小国には海峡線の列車は停車しないので、現実的には青森~蟹田に電車が入り、蟹田以北が非電化という形になり、蟹田は距離的にも青森から27キロと津軽線のちょうど真ん中あたりに位置するため、特急停車駅にもなって華やかさが増した蟹田を挟んで幹線扱いの区間と昔ながらのローカル線が共存する路線となった

だが転機は再びやって来る。2016年に北海道新幹線が開業すると青函トンネルを走る旅客列車は新幹線のみとなり、津軽線は貨物列車こそ走るものの、再び優等列車の走らないローカル線へと戻った。そして2022年8月に豪雨被害が発生。大きな被害を受けた非電化区間は、以降鉄道としての運行ができないまま今日に至る。現在は休止扱いだが、2027年春をもって鉄道としての津軽線は終わることになっている

今回は、休止区間28・8キロの駅訪問である

蟹田まで約40分

青森駅の駅名標はJR東日本ではおなじみの分岐型。油川に向かうのが津軽線だが、利用は新幹線の駅でもある新青森へと向かう奥羽本線が圧倒的に多いのは自明

側線に留置されている特急やリゾート列車に混じってホームのある線路の奥にこれから乗車する津軽線の始発電車で停車している

蟹田行きは、北東北ではおなじみの701型の2両編成

車内はこんな様子。結果的に私を含め5人の旅客で出発した

夏の穏やかな陸奥湾に沿って走る電車は

約40分で終着駅の蟹田に到着である

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

私的に最後の「JR路線」に乗車する~来て良かった歩いて良かったの2日間

※訪問は2025年5月28日

最初から決めておけば

大行司駅にあった東峰村の案内図。大行司駅近くに自治体としての機能が集まっていることがよく分かる。宝珠山炭鉱で栄えた東峰村(当時は宝珠山村)だが、石炭を運ぶことが目的で戦前から工事が始まった日田彦山線は戦争により工事が中断。戦後に再開されたが、難工事のため全通は1960年(昭和35)。すでにエネルギーの主役は石油に移行しつつあり、その3年後に閉山となってしまった

それでも地域にとっては重要な足だったことには間違いない。村内にあった駅は筑前岩屋、大行司そして宝珠山の3駅。その区間がまるまるBRTの専用軌道となっていることは、何度か記した通りだが、大行司~宝珠山は結構近い

徒歩30分。グーグル地図によると高低差26メートルの下り坂だそうなので、比較的楽な徒歩移動だ。最初から専用軌道区間の駅すべてを訪ねるつもりなら、徒歩訪問はまずこちらを軸に考えていただろう。最初に立てた計画が終わってから、あらためて計画を練ったので1時間近く歩くことになってしまったが、そのおかげで雄大なめがね橋も見られたし、地元の方といろいろお話もできたので結果的には良かった

スポンサーリンク

1駅分の回収ならず

さて今回、2日にわたって日田彦山線BRT内にある旧鉄道駅を回ったのだが、実は1駅だけ行けなかった。豊前桝田駅だ。道の駅があった歓遊舎ひこさんと彦山の間にある駅でホームと待合所のみの駅だったという。BRTの停留所はかつての駅に近い県道上にあり、停留所の前を3回通り過ぎた車窓からホームは見えづらかった

実は訪問の道程だけは考えていて、筑前岩屋駅到着が10時39分なので、大行司まで1時間近く歩いても大行司発11時52分のBRTに乗車できる。その場合は12時21分に豊前桝田に到着。その場合は約40分の待機で13時1分の日田行きがやって来る-というもの

ただ地元の方といろいろお話したこともあって大行司到着は11時47分になっていた。出発まで5分もない。前回の記事でも記した通り、大行司の停留所は77段の階段を登った場所にあるので、写真だけ撮って急いで階段を登ればギリギリ間に合ったが、せっかく1時間近く歩いてたどり着けた駅である。新たに復元された駅の雰囲気も味わいたい

ということで12時8分の日田行きに乗ることにした。次の豊前桝田行きはちょっと待っていられない。今日は帰る日だし、博多からはすでに新幹線のきっぷを確保済み。乗り遅れた場合は乗車券部分も無効になるという3割引チケットなので絶対に乗り遅れるわけにはいかないので断念

そもそもてくてく歩いてお腹も減ったので、光岡駅近くのコンビニで買ったおにぎりをいただくことにした

旧鉄道駅にある工夫

今回日田彦山線BRTに乗車して気付いたことは「旧鉄道駅は特別待遇」ということだ。BRTはバスなので、乗降客のない停留所は通過する。それは当然のことだが、旧鉄道駅の停留所については必ず停車するのだ。豊前桝田や大鶴のような旧駅からやや離れた道路上にある停留所も同様だった

そして旧鉄道駅の停留所には必ず便利な電光ボードが設置されている

こちらは鉄道の駅ともなっている夜明駅のものだが。現在の運行状況を逐一知らせてくれるもの。バスなので多少の遅延はあるが、それも表示してくれるので利便性は高い

大鶴のような屋内ではない停留所にも設置されている

BRT化したことによって運行本数は増え、豪雨被害前よりも乗客も増えているという。定時運行や大量輸送という意味では鉄道に比べて劣るバスだが、細かく停留所を設けて病院や店舗、駅から離れた旧市街地に立ち寄ることも可能になったことは事実。何よりもJRの路線として運営、運行されている点が評価されるのではないだろうか

廃線が取り沙汰されたり、廃線が俎上に乗ったりしている路線は全国各地にあるが、過去に鉄道の廃線後に運行されるようになった代替バスの多くが結局廃線になっているケースは多い。新型のバスを投入した上でこれだけの設備が設けられているのなら、鉄路の廃線に寂しさは残るものの、地元の方々は安心だと思う。予定変更で細かく沿線を回れ良かったと思う2日間だった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=