JR

北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~一気に170キロ移動し青森県へ

※訪問は2025年7月9日

県境移動が最大の課題

朝の一ノ関駅。大船渡線の間もなく100歳を告げるカウントダウンのボードを見ながらスタート。読者の方には全く関係のないことだが、7月26日というのは私の誕生日。もちろん私の人生の長さは遠く及ばないが、親近感はわく

そして多くの高校生とともに北へと進む。始発なので座れた。途中、高校生が激しく入れ替わり、やがて高校生の時間も過ぎ去って車内が落ち着いた9時過ぎに盛岡へと到着

1時間半も普通に揺られると、かなり飽きてくるが、そんな余裕はないのである

IGRいわて銀河鉄道の改札口へと急ぐ。一応、東北本線の盛岡着の列車と銀河鉄道の盛岡発の列車は接続が考慮されていて、9時5分が盛岡着で盛岡発は同14分。9分の時間がある。ただしもともとは同じ東北本線ではあるが、両者の改札口には距離がある。JRの改札を出てビルを抜けて階段を降りなければならない。普通に歩けば間に合うが、それなりの早足が求められる

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絶対に遅れられない列車に滑り込む

ホームに到着したのは9時10分で、発車の4分前

八戸行きが待機している。車両は青い森鉄道のものだ

ここから一気に岩手県を抜けて青森県へと向かうのだが、そのためにはこの列車に乗らなければならないのだ。IGRいわて銀河鉄道は盛岡駅から毎時2~3本の列車が出ているが、多くが岩手県内で完結するもので県境を越える列車は少ないのだ

ちなみにこの前の列車は6時41分で3時間近く前。次の列車は11時27分発と2時間後。一ノ関に宿泊した以上、「始発」はこの9時14分となる。JRとの接続が図られている理由もなんとなく分かる気がする。これを逃すと2時間もの待ち時間が生じてしまうのだ。乗り逃した場合は東北新幹線という手段があるが、もちろんそれは別料金になるので、できればその奥の手は使いたくない

さらに付け加えると銀河鉄道の列車は途中の滝沢、いわて沼宮内止まりのものが多く、いわて沼宮内から先の岩手県内の駅へと向かう列車も多くはなく、県境のはるか手前で待機というパターンにもなるのだ

盛岡を出発した列車は1駅ずつ丁寧に停車しながら北へと向かう。そして盛岡から1時間半かけて

この日の最初の目的駅である剣吉に到着。時間は10時47分で一つ目の訪問駅としてはかなり遅い。それもそのはず。一ノ関から盛岡までが約90キロ。IGRいわて銀河鉄道の全区間が約80キロで、青森県に入るだけで170キロを要し、青森県に入ってから約15キロ。7時半の列車に乗って。盛岡での乗り継ぎの数分間を除くと、それだけの距離をトコトコ揺られてきたのだから、こんな時間にもなる

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北海道&東日本パスの長閑旅の振り返り~東京から延々と普通を乗り継ぎ青森県へ

※訪問は2025年7月8、9日

昨年の分とまとめて報告

昨年の7月8日早朝。私は上野駅にいた。さすがにこの時間帯に上野を出る宇都宮行きは人影もまばら。前日のうちに東京に入り、北海道&東日本パスを購入。このまま北上である

一昨年の夏にも行った「宿もとらず北海道&東日本パスを利用して気ままに旅をする」を昨年も行ったのだが、他の記事をアップしているうちに季節が過ぎ、冬になってしまった。東北地方の現実の景色に合わなくなったので、そのまま塩漬け状態としてしまい、また夏が来て、北海道&東日本パスの旅を繰り返すことに

ということで、2年分の「気まま旅」をセットで振り返ることにする

ちなみに2年前の記事は

空港最寄り駅にもかかわらず、木造駅舎という花巻空港駅から花巻空港にバスで向かい、帰宅したところで終わっている。2024年7月6日のことだった

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途中で飽きたらしい(笑)

途中からどんどん旅客が増えていって、7時過ぎに宇都宮に着いた時は通勤通学、特に通学の高校生でいっぱい

乗り換えて黒磯に着くと、ちょうど貨物列車の乗務員交代の場面に遭遇した。貨物列車については全くの素人の私にとっては貴重な光景だった

次いで新白河。東北に突入。2024年は常磐線で仙台を目指し、途中駅で随分降りたが、今回は青森に着いてからの日程が詰まっている(津軽線の駅訪問を行った)ため、東北本線でほぼ途中下車なしに進む。こういうJRでの青春18きっぷ向けの普通(快速含む)乗り継ぎは東海道本線、山陽本線でもそれなりのダイヤが組まれているが、東北本線の北上については細切れで前身する印象だ。気分転換になる反面、乗車して1時間ほどで降ろされたりするので、なかなか前へと進まない

郡山そして

アルバムを見返すと白石と駅名標ぐらいしか撮っていない。1年以上前のことなので、その時の心情は忘れてしまったが、過去に何度も来た駅だし、きっと飽きてしまったのだろう(笑)

泊まりは一ノ関で

仙台に着いたのは13時すぎ。7時間以上かけて到着。この手の旅は、大きなターミナルのひとつずつが節目だ

ようやくのお昼は駅そばのカレーそば。Xのフォロワーさんの投稿でも度々登場するお店で、夏であろうと気にせずカレーそば。サービスの白ご飯で満足感が増す

食事を済ますと、さっさと北上を

18きっぷ(今回は北海道&東日本パス)旅で最大の関所のひとつ、小牛田で強制下車。同じような旅をした経験のうる方は分かるだろうが、まさに関所。必ず乗り換えが生じて、しかも結構待たされることが多い。当然だが、。今夏も当駅での待機を命じられた

その時間を利用して、本日の宿を調べ始める。このまま先へ進める場所でホテルがありそうな町は盛岡が北限だろうが、さすがに時間的に遅いというか、この日に限ってはホテル料金も高い。前年に泊まって安かった北上も今日はなぜか高い。というか、朝の5時に都内のホテルを出てからかなり時間が経っていて、さすがに疲れてきた

ということで

宿は一ノ関に決定。時間がハンパに余るので石越駅で、乗り継ぎ以外で初めての本日の途中下車を行い、16時20分に一ノ関着

翌日は一気に三セク区間に入るつもりだ

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山陽本線曽根駅の木造駅舎最終日に訪問してみた(後編)

※訪問は2026年9月11日

駅周辺の住居表示は「阿弥陀」

「駅の南側に出るのはどれだけ大変か?」を探るため、駅を起点に東へ西へと歩いてみて、かなり大変つまり面倒なことが分かりました。駅舎を橋上化させるのも納得です。というか国鉄時代からよくぞ、住民の皆さんもがまんしてきたと思う。詳細は不明ですが、ホームの三ノ宮寄りをオーバーパスしている道路を経由しての行き来の部分については、かつて踏切があったそうです

この向こう側でしょうか。これでも大回りには違いありませんが、階段の昇り降りは少なくともなかったはず。ただし、この踏切は国鉄時代に撤去されています

さて姫路側の踏切から駅へ戻る道中にある住居表示は

「阿弥陀」。駅の歴史にとって、これはとても重要なんです

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もともとは阿弥陀駅

周辺を歩くまでもなく

駅舎の柱の住居表示も阿弥陀。実は当駅は1888年(明治21)に「阿弥陀駅」として開業しました。なぜなら当時、駅は阿弥陀村に所在していたから。阿弥陀村は1956年(昭和31)に高砂市となっています

阿弥陀とはいかにも由緒ありそうな地名ですが、まさにその通りで、鎌倉時代に時光上人が海中から阿弥陀如来像を引き揚げ、この阿弥陀様をまつるための寺院を建てました。これが時光寺で、曽根駅から徒歩10分ほどのところにあります。そしてお寺の周辺の地名(住居表示)は今も時光寺町。阿弥陀村もそれに由来します

では、なぜ曽根駅になったのかというと、話はややこしくなりそうですが、隣接する村(町)が曽根村だったから。もちろん曽根村には山陽本線は走っていませんが、なぜその村名が駅名になったのかというと、駅から2キロ近くにあった曽根天満宮の名を何とか駅名に入れられないかという気運が地元で盛り上がったからです。隣駅の宝殿駅はこちらも駅から2キロほど離れたところにあった生石神社の石の宝殿にちなんだ駅名となっているため、こちらも曽根天満宮にあやかろうというわけです。そして駅名は1902年に現在の駅名に。阿弥陀駅としての時代はわずか14年でした

この話には続きがあって、大正期に入ると現在の山陽電車が神戸と姫路を結ぶこととなり、曽根天満宮の至近に駅が設置されました。これが現在の山陽曽根駅

駅を降りるとすぐ曽根天満宮です

ただし先に国鉄の曽根駅があったため、駅名は「曽根町駅」。曽根村はすでに曽根町となっていました。その後、電鉄曽根を経て現在の駅名に。こう話してくると、両駅は結構近いのでは、と思われてしまいそうですが

両駅は簡単に歩ける距離ではありません。というか、同じ駅名がこんなにも離れているのは混乱のもとだし、そもそも天満宮を意識するなら、どうして駅舎をわざわざ北側に造ったのかという話にもなります

駅の知名度アップに貢献

そんな曽根駅ですが、駅の知名度をグンと上げている存在があります

白陵中学、高校です

秀才の集う学校として知られ、駅からは徒歩で20分ほどかかりますが最寄り駅。駅前にはロータリーもなく、コンビニが1軒と病院、ラーメン店があるぐらいの小さな駅ながらも登下校の時間帯は大いににぎわいます

すでに使用されていませんが、大勢の生徒をさばくため朝には臨時改札口が設けられていました。知名度の高い学校のため、駅とセットで取り上げられることも多く、駅の北側に駅舎があることで利便性が増しています

ええ写真撮ってあげてや

駅の構造は2面2線。かつては2面3線構造でしたが、1面のレールがはがされています。これが南側に出入口を設ける際のマイナス点にもなっていて、はがされるレールが真ん中の線路ではなく、外側の線路だったら、もうひとつの出入口を設置するのも容易だったかもしれません

現在、昼間に当駅にやって来る電車は30分に1本。新快速は15分間隔で姫路まで運行されていますが、加古川以西については30分に1本に減便されました。ですから上下それぞれ30分おきに駅には利用者が集まってきます。1日の利用者数は7000人ほど

19日に駅舎とのお別れセレモニーが行われます。まさかこの車両が来ることはないでしょうが、国鉄時代に当駅にやって来る列車といえば、この湘南色だったことは間違いありません

駅前で写真を撮っていると、地元の年配の方から「ええ写真撮ってあげてや」と声をかけられました。しばらく駅前にいると、日々当駅を利用している方も最後の日だと認識しているようで、かなりの方が写真を撮っていました。最後の日に間に合って良かったです

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山陽本線曽根駅の木造駅舎最終日に訪問してみた(前編)

※訪問は2026年9月11日

押っ取り刀で駆けつける

この記事を書いているのは9月12日で、昨日のこととなりましたが

山陽本線の曽根駅に行ってきました。前日まで千葉県で小湊鐵道の各駅を訪問していたのですが、万が一帰れなくなった時の予備日としていたこの日が空いたことで緊急のお出かけ。というのも、11日が曽根駅の木造駅舎最後の日だったからです。日程が空いて良かった。押っ取り刀での訪問となりました。とはいえ、神戸市内からは新快速と普通(明石から姫路方面へは快速が普通となります)を乗り継げば1時間ちょっとで快適に行ける距離でもあります

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駅は19世紀から駅舎は100年前から

こちらが曽根駅。風格ある木造駅舎が健在。開業は1988年(明治21)で姫路駅と同時開業ですから138歳。日本で初めて鉄道が走ったのが1872年なので、鉄道黎明期からの駅です。駅舎については財産票を基準としてますが

1927年(昭和2)からのもの。来年の100歳の誕生日を迎えることはできなさそうです

すでに12日から使用される仮駅舎はスタンバイしています

国鉄時代からの課題だった南口問題

駅舎は線路の北側にありますが、南側には出入口はありません。しかもかなりの大回りを必要とします

こちらが駅の周辺案内図ですが、東側(神戸側)のホームの切れ目あたりを県道がオーバーパスしていて、それにくっつく形の階段を上がっていく必要があります

てくてく歩いてみましたが、駅舎から階段までは200メートル近くあります

道路の上から見るとこのような感じ。写真の左側にある姫路方面へのホームに行くには1度駅舎まで行って構内の跨線橋を利用しなければならず、直接降りたくなってしまいます

では西側(姫路側)はどうかというと、地図の写真で分かるかどうか微妙ですが、天川が線路に最も接近したあたりに線路を貫く白い線が描かれていて、それが踏切。こちらは駅舎からの距離は軽く300メートルを超えています

駅前の道路を西に真っ直ぐ進み、途中で線路に向かう路地を入っていくと少しだけ近道できるようになっています。この写真では左側から出てくることになりますが、あらかじめ道を知っていないと一発で最短距離を行くことはできないと思われます

踏切からホームの端までは遠い。線路がカーブを描くようになっていることもありますが、はるか彼方に見えてい

踏切を渡ると天川で、さらに向こうに国道2号線バイパスと山陽新幹線が見えます。このあたりの線路は天川に沿うように敷設されていますが、ここでふと思ったのは、不自由な踏切よりもアンダーパスを造ってしまえば、横断が楽にはなりそうだけど、大量の雨が降ると、すぐ冠水してしまいそうだということ

姫路方面への電車を見送って踏切を戻る

踏切付近の住宅街は通り抜けの工夫がされいていて、普通ならフェンスがありそうな溝の空間もそのままにされていて、ヒョイとジャンプして渡れるようになっています。ただまたいで渡れる距離ではなく、私もジャンプしたのですが

その直前、見かけぬ不審者としてニャンコがマーク。しばらく見つめられていました

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不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~さようなら また別の形でお会いしましょう

※訪問は2026年7月15日

ワンマン化からすぐ

津軽浜名駅の待合所にあった張り紙

書かれているように津軽線では2022年3月12日から、すべての列車がワンマン化された。私は初めて三厩駅を訪れた2019年8月29日は、新幹線の奥津軽いまべつ駅から津軽二股駅で乗り換えたのだが、青春18きっぷのはんこを津軽線の車掌さんからもらったことを明確に覚えている

はんこというより車内なのでサインである。まさかこの日が蟹田~三厩に列車で乗る最初で最後の日になるとは思ってもいなかった。この季節の18きっぷは帰宅後しばらく経ってから四国に行き、香川県の栗林駅でもはんこをもらった。こちらも数年後にこのようなことができなくなるとは思ってもいなかった。わずか数年前のことなのに、大きな変化があると、はるか昔のように感じる

蟹田~三厩が不通になるのは全列車ワンマン化から5カ月も経たない時だった

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津軽浜名~今別の間が町の中心部

バスの停留所からはすぐ海

今別駅と津軽浜名駅の間が今別町の中心地となっている

町役場のあたりがその付近。津軽浜名駅は後から設置された駅だが、今別駅は微妙に中心部から距離のある場所に設置されている。ただ津軽浜名駅が開業したことで、結果的に町の中心部の両サイドに鉄道駅があることになった

こちらは津軽浜名駅にあった今別町の散策マップ。初めて下車した人が中心部まで分かりやすく行けるようになっている。なお駅前にある学校は「青森北高校今別分校」である

津軽二股、大川平、今別、津軽浜名が今別町ないの駅だが、駅間距離はそれぞれ2キロ、2・4キロ、1・7キロと、まるで都会の私鉄駅のように近い

雨雲接近の予報で

わんタクで1時間。蟹田駅に戻ってきた。時間はほぼ正午

本当のことを言うと、こんなに早い時間に蟹田に戻ってくる予定ではなく、鉄道からは離れるが、せっかく津軽まで来たのだから、追加料金を払い、足を伸ばして竜飛岬まで行くつもりだった

竜飛岬には、北海道新幹線が開業する前、竜飛海底駅で下車して周辺の散策をしたことがあるが、それは有名な階段国道の上の話で、下まで降りたことはなかった。見学時間が限られていたためで、時間がなかったため断念したが、なかなか簡単には来られないところだし、今回は十数年ぶりに訪ねてみようと考えていた。ところが1度大陸の方に去っていった台風がスライスを描いて戻ってくる予報があり、しかもこの日の午後に弘前方面にやって来るとのことで、この日は弘前に宿泊予定の私は早めに移動することに。つまり津軽線の旅もわんタクの旅もここまで。特に昨年そして今年と訪れた津軽線については本当にここで終了である

次回に訪れるとしたら、中小国信号場を間近で見ることと竜飛岬の階段国道である

一連の津軽線の記事を書いていてふと気づいたのは三厩までレールが到達した時代である。1958年(昭和33)のことだが、津軽線の前に書いていた日南線が現在の形となって宮崎と志布志がつながったのは1963年(昭和38)だった。何度も書くのでさすがに覚えてしまうが、後に一部が閑散ローカル線となる地方の路線を建設していた昭和30年代というのは、東海道新幹線の開業を目指しながら、全国の鉄道がにぎわっていた国鉄の全盛期だとあらためて思うのである

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不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~地元の唯一の高校へのにじむ思いを学ぶ

※訪問は2026年7月15日

踏切の名前は変わらず

あらためて津軽浜名駅。とにかくこの日は急に気温が上昇した日だった

今回の東北行きは、まず朝イチの飛行機で伊丹から仙台まで飛んで仙台駅で北海道&東日本パスを購入。そこから東北本線、IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道を普通で走破して八戸泊。翌日に青森まで移動して宿泊したので、これが3日目だったが、それまでの2日間とは全く異なる暑さだった。昼間の気温は32度だったので、近畿圏とそうは変わらないが、急に上がると身体がついていかない。夏場の「あるある」で、スマホを持つ手が汗だらけで操作がうまくいかないほどだった

この方角は私が歩いてきた道。住宅街の中を走る線路の雑草は手入れされている

歩いていくと目に止まったのは

「今別高校87」の文字である。これだけだと何のことやらになるかもしれないが

その先にあるのは「今別高校踏切」。前回の記事でも紹介したように、今別高校は閉校時には青森北高校の分校となっていたが、踏切の名前は変わらなかったようだ。そして数字は時速制限のようだが、実際に駅の前後でこんなスピードは出ていない

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他の交通関連にも学校の名前

こちらが、その今別高校踏切。津軽浜名駅から学校へと向かう生徒さんは、この踏切を渡っていった。だが、高校はすでになく、踏切も形の上では来春まで現役だが、列車が通過することはもうない。もし豪雨被害による廃線がなければ踏切名はそのまま残ったかもしれないと思うと(現に3月の閉校から5カ月は名前は残っていた)、こちらも感傷的な気持ちになってしまう

そして最初に降りた代行バス、わんタクの停留所に向かって、この地とお別れすることになったが、そこにも「今別高校」があった

「今別高校前」のバス停。これは代行バス、わんタクとは異なる今別町営バスの停留所だが、代行バスの停留所のすぐ近くにあり、高校とは300メートルは離れている

市営バスだった時期はないはずなので、どこかにあったものが二次使用されていてはがれたのか。停留所の名前も実際は違っていて

停留所の向かいにある「今別森林事務所前」が現在の名前だ

(※8月21日追記 Xのフォロワーさんからかつてこのあたりまで青森市営バスが乗り入れており、停留所はその名残だと教えていただきました。ありがとうございます)

ことらも駅の待合所に代行バスの乗り場案内がある。先に駅に来て、その後にバス停を探すという人はほぼいないと思われる(どうやって列車の来ない駅に行ったのか、という話になる)が、もう一度最初に降りた停留所に戻る

私だけでなく、地元のご夫妻とともにわんタクを待つことになった。娘さんが私とそう変わらない年のようなので、かなりの人生の先輩となるが、お元気だ。しばし話をすると今別高校の話になった。駅で見た惜別メッセージの数々について私が話すと「長年の地元で唯一の高校がなくなって、何か冷めてしまったね」との答えが返ってきた。今別町、外ヶ浜町を含めてもたったひとつだった高校への強い思いを感じた

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不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~路線内で「最新」の駅はなぜできたのか

※訪問は2026年7月15日

子どもの歓声の行方は

津軽浜名駅。コンクリートで固められた階段の隙間から雑草が姿を見せている。たくましい

駅の構造は単式ホームに待合所のみの簡素な構造。そしてホームに立つと

向かいからは子どもの歓声。時間は10時。授業中のようだが、実は目の前にある学校の施設と当駅は密接な関係がある

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一番最後の開業

津軽浜名駅は1960年(昭和35)の開業。これは津軽線全線の中で最も新しい。昨年から蟹田~三厩の休止区間ばかりにスポットを当てているが、津軽線そのものの歴史は意外と浅く、青森~蟹田の開業が戦後の1951年(昭和26)で、1958年に蟹田~三厩が開業した。戦前からの計画では三厩からさらに線路を延伸して津軽半島をグルリと回るようにして津軽鉄道の津軽中里で接続を図ることになっていたが、三厩まで到達したのはモータリゼーションの波が来つつあるころで、そこから先に線路が進むことはなかった

ひっそりしたローカル線として、そのまま時代が過ぎていくのかと思われたが、青函トンネルの建設と完成によって大きく運命は変わる。北海道を結ぶ鉄路の一部に組み込まれ、蟹田以南は電化され(正確には中小国駅以南だが、当駅に電車が止まることはなかった)、北海道新幹線の開業までは北海道からの特急列車が走る幹線扱いのような路線となる。北海道新幹線が開業してからは、元のローカル線に戻ったが、この区間は今も北海道とを結ぶ貨物列車が走る重要路線だ

ただ、そんな騒ぎとはほぼ無縁だったのが、現在休止となっている区間。この部分は非電化路線として、1日5往復だけが走る超ローカル線として、カタコトと気動車が走り続けていた

青森~蟹田は現在1日9往復。もちろん来春以降も電車は走り続けるが、その区間も含めてこの津軽浜名駅が最も新しい駅となっている。そのためか、高台に後から設けたようになっている駅は構造もシンプルだ

そして、おそらく三厩までの開通から2年を経た時期にわざわざ駅を設けた理由は

こちらの校舎だと思われる

現在は小学校が入っているが、以前は県立今別高校だった。1948年に青森工業高校の今別分校として開校し、1952年に今別高校となった。2007年(平成19)に青森北高校の分校の今別校舎となり、2022年(令和4年)春に最後の卒業生を送り出して閉校となった

感謝のメッセージに熱くなり

津軽浜名駅の小さな待合所は、閉校に向けて寄せられたメッセージで埋められている

学校の卒業生だけではない

高校生を毎日届けたJRの職員からのメッセージもある。学校への感謝の気持ちが込められている

しかも何ということか、最後の生徒が当駅を利用したのは2022年の3月で、その年の8月の豪雨で駅には列車が来なくなった。こんな悲しい偶然ってあるだろうか? ちょっと熱くなった

当地でバスを待つ時間は1時間あった。実を言うと気温もグングン上がって、ここで1時間過ごすのは大変だな、と思っていたが、そんなことはなかった。サウナのようになった待合所で、汗をかきながらひとつひとつのメッセージを読んでいるうちに、あっという間に時間が経ってしまったのだ

来春にはホームにも待合所にもおそらく入れなくなる。ただ、この素晴らしいメッセージの数々が、どこか目に触れる場所で保存されることを願いたい

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不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~代行バス停留所から徒歩5分の高台にある駅

※訪問は2026年7月15日

最も感情移入した駅に

大平駅の駅舎にあった張り紙

私が下車した停留所の案内があり「バス停はございません」の文字

現在は代行バスとわんタクを合わせた時刻表がある(昨年もあったはず)ので、案内の張り紙はそれ以前のものだろう。ただここで重要なのは「下り(三厩方面)利用の方は道路の向かい側でお待ちください」の文章

今はすっかり慣れたが、地方に行くとバス停が道路の片側にしか設置されていないことが結構ある。駅訪問に路線バスやコミュニティバスを取り入れるようになったのは、ここ10年ほどの話なので、最初は戸惑った。このように上下線両方の時刻表が掲載されていたり「向かいで待ってください」の注意書きがあれば、なんとなく想像はでき、また最初に出会った「片側のみの停留所」に「向かいで待て」の案内があったので、それ以降は何も書かれていなくても向かいで待って、バスが見えたら「お~い」と手を振ることにしているが、自分の中で最も歴史的なのはこちらで

これはかなり参ったというか、北海道の山中で言いようのない不安に襲われた

ただ今回はそのような心配はない

わんタクは普通の路線バスのように停留所で待って乗ることもできるし、ワゴン車での運行ということで万全を期して予約することもできる。私は昨年に続いて予約しての乗車だった。だから、おそらく向かいまで行かなくても立っていれば運転手さんが探してくれる

そして最初に言ってしまうと、ここから向かう津軽浜名駅が廃線予定区間の7駅の中で最も印象に残るというか、感情移入した駅となった

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待合室があるということは

それでもきちんと道路の向かいで待つ

すると北海道新幹線の高架の向こうからわんタクがやって来た。再び外ヶ浜町から今別町へと向かう。ちなみにかなりの乗車があって、もう1人2人乗客がいれば、もしかするともう1台のワゴン車が必要だったかもしれない。やはり、はるばる行く時は予約しておいた方が良いかもしれない

40分ほどかけて

ワゴン車を降りた。それなりの集落の中だ

待合所がある。ということは、駅と離れているのだろう。現時点では休止区間の駅はあくまでも現役の駅で駅舎にもホームにも入れる。つまり駅と代行バスの停留所が近い場合は、そこでお待ちください、というのがJR東日本のスタンスのようだ。前回の大平駅や昨年訪問した中小国駅は100メートルほど離れているが、それでも停留所から駅が見えている

ということで歩き始める。大川平駅のようにスマホの地図アプリを頼りに進み始めるが、かなりある。というか、少なくとも地図を用意するか地元の方に尋ねるかしないと、たどり着けないだろう

300メートルというのは、かなりの距離だ。グーグル地図では、津軽浜名駅から津軽浜名駅に行ったことになっているが、代行バスの停留所名が津軽浜名駅なので、そのような表記になっている。正式に廃駅となると、地図そのものも更新されておそらく別のものになる。来年(つまり2027年)の今ごろにこの記事を見ると、別の表記になっているのだろう

バスの通るメインストリートは右側を行く道路で、駅へはここから左へと折れる

しばし坂道を登っていくと

線路に到達して一安心

奥に駅がある。そして子どもたちの歓声が聞こえてきた

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不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~ちょっぴり悲しいピカピカの施設

※訪問は2026年7月15日

写真だけだと分からないかも

巨大な壁を眺めた後、いよいよホームへと向かう

まさに花道と呼ぶにふさわしい通路を歩く。もちろん自然に帰る過程での花で、雪に閉ざされた季節が終わると夏に向けて一斉にエリアを広げ始める。小径と呼んだ方がふさわしそうな通路の先は、もうアスファルト部分が見えなくなりつつある。右手にレールがのぞいているが、これだけでは何のことか分からないかもしれない

振り返るとこのような景色が広がる。これで駅の構造が分かっていただけたと思う。新幹線の高架の下から飛び出てくるように津軽線の列車が入線していた。右にあるのが駅舎でホームと駅舎は随分と離れている

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13年で役割を終えた新しい建物

ホームに立つ。この部分だけ見ると、最初に訪問した大川平駅と比べ、まだ現役感が残っている。除草が行われているのかは分からないが、ホームに面した部分だけはレールがしっかり残っている

大平駅は1958年(昭和33)に、蟹田~三厩間が延伸された際に開業した。「おおだい」と読む。最初に訪問した大川平駅が「おおかわだい」で、何やらややこしく感じるが、ともに地名である。「八幡平」に代表されるように東北では「平」が多く使用される

ホームに隣接しているのは保線車用の車庫である

離れたところにある駅舎と全景を見ると、かつては島式ホームだったらしい。片側の保線車用の車庫の隣にはもうひとつ建物があって。こちらは真新しい

カーテンが見えているが

ここは保線にあたる方の休憩室だったようだ

財産票があり、休憩室であることが示され平成21年とある。つまりは2009年。津軽線と海峡線の分岐に近い当駅は無人駅ではあるが、保線の基地でもあったのか。ただし2022年の大雨で津軽線は不通となったため、13年しか使われなかったことになる。すでに役割を終えることは決まっているが、建物が新しいだけに、よけいに感傷的な気分になってしまう

きれいな駅舎内と案内

駅舎へと向かう。開業時からの昭和30年代らしいコンクリート製建物

駅舎内はきれいに清掃されていて駅ノートも置かれている。昨年、今年と休止の各駅を訪問したが、ホーム付近は自然に帰ろうとしているのに対し、施設内はどこもきれいである

大平駅は集落のやや外れに位置していて、集落の方面に向かうと大平山元遺跡がある。わんタクの停留所もある

駅から近く、このポスターは列車が来なくなる前からあったものだろう

ここから今度はわんタクに乗って再び今別町方面に向かうが、地図で分かる通り、バスは踏切を横切る。最初に訪問した大川平駅に蟹田駅から向かう最中そして大川平駅から大平駅に向かう際にも、必ず踏切を通る。そのあたりは郵便局もあって集落の中心地なのだが、当然ながらバスは踏切で一時停止を行う。列車は絶対に来ないので一時停止の必要はなさそうだが、形の上ではまだ現役の踏切だからなのか「一時停止の必要はありません」の文字はなく、一時停止する

あと半年もすれば、一時停止必要なしの看板が建てられるのだろうか。それとも単に踏切が撤去されるだけなのだろうか。1日に何度も一時停止を味わうと、こちらも感傷的な気持ちになった

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不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~鉄道の三叉路を臨む駅

※訪問は2026年7月15日

グンと離れた場所へと移動

こちらは大川平駅に掲げられていた今別町の地図。これを見て今別町内ではローカル線らしくなく、短い間隔で駅が設置されていることに気づく。休止区間の各駅訪問の起点となる蟹田駅は外ヶ浜町、終点の三厩駅も外ヶ浜町で、自治体的には外ヶ浜町は飛び地の構成で、間に今別町が挟まった形になっているが、北海道新幹線の駅が併設の形となっている津軽二股からこまめに駅がある。それぞれの駅間は徒歩でも十分なぐらいだ

ただし今別町にある津軽二股駅から外ヶ浜町の大平駅までは駅間が長い

津軽線は列車が走っていないのでグーグル地図は代行バスまたはわんタクでの移動が表示されるが、バスで20分以上、距離にして10キロ以上の行程。津軽線の駅間も11・6キロで、もちろん津軽線内で最長の駅間距離である。それほどこの間には集落らしきものがない

ということで8時18分発の代行バスは8時39分に大平駅に到着した

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出会ったのは大きな壁

写真で分かる通り、こちらの停留所には「大平駅」の看板があるので駅はここからでもすぐに分かる場所にある。幹線となっている県道から奥まった場所にある駅が見える。ただし駅に近いためか、大川平駅にあったような待合所の建物はない

県道の突き当たりに駅舎が見えてきた

大きく高く成長した雑草に覆われた駅に来て、まず最初に目に入るのは、ホームなど駅の施設ではない

巨大な壁だ。ホームの逆側にそびえている

その背後に高架が見えるが、これは北海道新幹線。津軽線はここ大平駅の蟹田方面にある中小国信号場で海峡線と分岐し、その海峡線は大平駅の手前あたりで北海道新幹線に合流する。それらはJR北海道の施設となっていて、当然だが電化されている

中小国駅は昨年の同時期に訪問した。当駅も駅は残っているが、津軽線の列車は来ない廃駅対象の駅だが、JR北海道の海峡線の始発駅となっているため列車はやって来る。列車といっても企画列車でない限り貨物列車で、通過していくのみ。始発というのはあくまでも帳簿上のことだが、中小国駅は廃駅となっても線路、列車ともにこの後も残る。線路がなくなるのは中小国信号場から三厩の部分である

つまりこの近辺き中小国信号場と大平駅の間で海峡線が津軽線を離れて北海道新幹線に合流する場面と、残された津軽線が単独で三厩を目指す場面が行われる鉄道の三叉路なのだ。2022年8月の大雨による運休で津軽線の列車が来なくなったことにより三叉路のシーンは見られなくなり、そして来春、三叉路は正式になくなる

北海道新幹線の開業前、青森方面から津軽線に乗車すると青函トンネルとつながる電化区間は特急がバンバン走り、蟹田にも停車していた。蟹田から三厩を目指すと、急に我に返ったように非電化単線のローカル線をトコトコ走り始める落差感がいっぺんに好きになった。その感触は一部すらももう味わうことはできない

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