JR

125系の旅再開6月の小浜線を行く~九州で得たホテルの知恵を生かす

※訪問は2025年6月24日

なぜか一時帰還

朝の7時過ぎに東美浜駅にいた私だが、それから40分ほどが経ったころ

なぜか敦賀駅前のホテルでモリモリと朝食を摂っていた

小浜線の時刻表が理由にある

こちらは敦賀駅の時刻表。6時16分の東舞鶴行きに乗車した私だが、この日は平日。6時49分、7時49分の列車の後は11時18分まで列車がないのだ。3時間半の空白。さらに言うと、その次も2時間の空白がある。朝の通勤通学時間帯を終えるとお昼まで運行がなく、その後も夕方ぐらいまで運行がないという、過去何度も紹介したローカル線の運行パターン。夕方前になると1時間に1本程度の運行があるのが特徴だが、沿線の学校の帰宅時間を考慮していると思われる

幸いにして3月の訪問時に京都府に近い側の各駅訪問はほぼ終えているので、今回は小浜~敦賀の各駅が対象となっているので、ゆっくりしていても何とかなる。またこちらも偶然ながら、泊まったホテルが11時チェックアウトだったので、後は部屋で休憩だ

この「早朝に駅巡り」からの「ホテルに戻っての朝食」は、日豊本線の佐伯~延岡の宗太郎越え前後区間で佐伯や延岡のホテルで利用させてもらった手段で、なかなか役に立っている

スポンサーリンク

ほとんどお昼前

ということで11時に敦賀駅へと向かい

小浜線ホームからあらためて125系に乗車

30分少しかけて

藤井駅に到着。当駅は1961年(昭和36)の開業。前記事で紹介した東美浜駅と8月1日の同日開業だ。当時の所在地は三方町で現在は若狭町。こちらも東美浜駅の記事で触れたが、この年に無煙化した小浜線は駅を増やすことが可能になった。ただし新駅の多くは貨物や手荷物の扱いはなく旅客営業のみの扱い

ということで最初から駅舎のない棒状ホームと待合所のみの簡素な構造

周辺には農地が広がり、その中に単式ホームが溶け込んでいる

6月とあって、ホームへの入口にあるアジサイの花がきれいだった

目を見張る待合所で感じた予感

ホーム中ほどの待合所に入ってみると

ここは目を見張る世界。周辺の森なのか猛禽類が主人公の絵が描かれている。ツバメやカモの姿もある

「みかたの自然が好きです」と書かれている。小学校の卒業記念の作品なのだろうか。平成8年とあるから1996年で30年前の作品。書いた生徒さんはもう40歳を超えていることになる

と、ここで過去にも体験した予感が脳裏をよぎる

小学校はどこにあるのかと調べていくと学校のHPへとたどり着き、そこには

明倫小学校は令和4年3月31日をもって閉校となり、三方小学校と統合しました

と記されていた。私が訪問する3年前のことのようだ。学校HPによると創立は1873年の明治6年と日本で初めて鉄道が走った時からと、ほぼ同じ歴史を持つ学校で、駅から約500メートルの場所にあり、約150年もの間、地元の子供たちを受け入れる場所だった

こういう時はいつも「学校があるうちに来たかった」と思ってしまう

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

125系の旅再開6月の小浜線を行く~待合所でアニメの聖地という事実に気づく

※訪問は2025年6月24日

棒状ホーム+待合所

東美浜駅にやって来た。当駅から敦賀市を離れて美浜町に入るが、ご覧のように単式ホームに待合所があるだけの簡素な構造。ホームの逆側では田んぼの緑が映えている

スポンサーリンク

ふと目についたもの

電車が去った後がこちら。周囲に何があるかと聞かれると、特に何もない。開業は1961年(昭和36)。小浜線は1922年(大正11)に全線開業したが、無煙化は1961年。蒸気機関車に比べて停車と加速が容易になり、この年から新駅が続々と誕生。3年間で7つもの駅が新規開業した。小浜線は両端の敦賀と東舞鶴をのぞくと駅数は22だが、3分の1近い駅がこの間に設置されたことになる。そしてそれら新駅の形状は、ほとんどが東美浜駅と同様の簡素な構造だ

集落の合間に駅を設置したイメージで2023年度の1日あたりの利用者数は64人で22駅中19位と、かなり下の方にいるが、周辺を見渡すと納得もいく

ホームの中央部にある待合所に入ってみると駅ノートが置いてあったのだが

それがこちら。以前も記したが、私はアニメのことは全く分からない。いつも「○○らしい」で終わるだけ。昨年訪れた弘南鉄道でも同様のことがあった。ただこの駅ノートを見て、この駅がアニメファンの聖地巡礼のひとつであることは分かる

細かい部分も克明に描かれる

駅は柱の上にコンクリートを載せただけのもの

ホームへは階段またはスロープでも入れるようになっている

舞台となったのは「中二病でも恋がしたい!」というアニメで「東浜見駅」として登場するらしい

あまり掘り下げていくとボロが出るので、簡単にしておくが、アニメでは125系の車内が克明に描かれ

駅前に設置されたお手洗いも、このままの形でしっかり登場するという。小浜線の本数が少ないため(鉄オタ的にはこのぐらいなら標準仕様だが、鉄道に興味のない都会の方からするとかなり少なく感じそうだ)、当駅までたどり着くのに、かなり苦労された方もいらっしゃるようだが、到達の喜びは鉄オタも同じである

さて時間はまだ7時過ぎだが、朝の通勤通学時間が終わると、なかなか列車がやって来ない小浜線は、そろそろ閑散アラートが鳴り始めている。ここは私もアラート前に次の行動に移ろう。実はホテルはチェックアウトしておらず、まだ部屋に荷物は置き放しである

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

125系の旅再開6月の小浜線を行く~かつては軍の村として栄えた駅

※訪問は2025年6月24日

敦賀駅から2駅目の粟野駅に到着。到着といってもまだ6時半にもなっていないし、誰も降りない(そもそも数人しか乗っていない)し、誰も乗って来ない。ただ自治体的なことを言うと、敦賀市はここまで。隣の東美浜駅は美浜町となっている

スポンサーリンク

かつては粟野村

開業は1917年(大正6)。小浜線が敦賀~十村で産声を上げた時に設置された。他の駅は河原市(現美浜駅)、美方、十村しかなく。この間にある他の駅はすべて戦後の開業である。つまり小浜線の1期生。当時は粟野村に所在した(1955年から敦賀市)。村名は中世に付近が粟生野(あわうの)郷と呼ばれていたことに由来する。古代には「粟」が付く地名は全国で見られ、古代に重要な農作物であった

小浜線が開業したころは小さな自治体がいくつもある時代だったが、ここには当然のように駅が設置された

その理由として徒歩20分弱のところにある国立病院機構敦賀医療センターを挙げなければならない

かつてこの場所には日本陸軍の兵舎があった。地図を見れば分かるが、付近は川に挟まれた場所で度々水害に見舞われるため、農地には適さない原野だった。先日まで記していた豊橋鉄道渥美線の沿線も原野に陸軍の施設ができたから始まったものだったが、この地域も同様の環境にあった。何もない原野に陸軍の施設を造ることになったため、川の改修工事が行われて安全度が増した。現在、医療センターの一帯が住宅地になっているのは、軍の施設のために河川工事が施されたことにも起因する

駅は島式の1面2線。側線跡も残る

構内踏切を渡り、かつて側線があったと思われる場所の向こうに駅舎がある

電化時に建て直し

駅舎は見るからに新しいもの

駅舎は交流施設ということになっていて2004年(平成4)からのもの。小浜線はその前年に電化された。粟野駅には変電所が設置され、駅舎も改築となった。リニューアルというより、古い駅舎を解体しての新築だ

当駅はJR移管後も有人駅だったが、間もなく無人化。交流施設らしく広いスペースを持っているが、無人駅を前提に造られている。豪雪地帯だけに大きな待合室はポイントが高い

解体されたかつての駅舎は開業以来のもので、多くの兵士が利用していたことを思われるもっと大きなものだった

駅は高台にあり、駅舎を出るとスロープ。「すべり止め用剤」の文字が豪雪地帯を感じさせる。駅の場所は街の中心部から離れているが、すでに存在した陸軍の施設のために駅は必須だったのだろう

30分ほど駅にいると人が集まってきた。7時ともなると学校へと向かい始める時間。というか、これは6時59分発の列車で次は1時間後の7時59分。学校の場所によっては、間に合わない時間となる。駅まで高校生が家族に送ってもらう地方で必ず見かける光景。3月に当地を訪問した時は春休み中で、それでも高校生ばかりだったが、今回は6月の平日。この後もほとんど高校生とともに列車に揺られることになる

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

125系の旅再開6月の小浜線を行く~早朝から幻の列車の表示を眺めて活動開始

※訪問は2025年6月24日

これがウワサの爆走快速か

一夜明けて6時前の敦賀駅。夜はかなりの雨が降っていた。天気予報は決して良くないが、なんとか踏みとどまってくれることを祈ろう

敦賀駅の改札口。まず目を引くのが「臨時」とだけ記された米原行き。これは今や伝説となった米原~敦賀を1日1往復設定されたノンストップ快速である。朝は6時31分に敦賀を出て、途中長浜も通過してノンストップで7時8分に米原に到着。夜は22時48分に米原を出て23時20分に敦賀着。運行時刻で分かるように地元の人でないと敦賀に宿泊しないと乗ることができない

2024年3月に敦賀延伸を果たした北陸新幹線との接続が図れないため消滅した特急が、東海道新幹線との接続を行っていたために、その代替として運行されるようになった、臨時の肩書きが付きながら毎日運行されていた快速。しかし表示には快速の文字はなく、臨時の文字があるだけ。間違って乗車して「お~い、どこにも停まらないぞ」という苦情が出たかどうかは分からない(アナウンスはしつこくされるだろうが)が、この無機質な表示にはちょっと感動した

時間に余裕があるのなら乗ってみたいが、あいにく今日1日で小浜線の残り駅をすべて回収するという任務があるので、さすがにパス。と考えていたら、今春のダイヤ変更で消滅してしまった。その意味でわずか2年で廃止となった、なかなか現代では見かけることのない幻の快速だが、あくまで臨時としてきたのは利用が少なければ廃止するという実験的だったものかもしれない

スポンサーリンク

始発の125系はガランと

それにしてもこの発車案内、新幹線が偉い扱いを受けているのはよく分かる。今や米原~敦賀が残るのみとなった北陸本線も湖西線に分岐する列車も含め別枠。ここまでは理解できるが、ハピラインふくいと小浜線は別会社であるにもかかわらず、同じ枠に押し込められている。思わず小浜線を探してしまった。このあたり、うがった見方をすると、いつ小浜線がなくなってもいいように備えているのでは、と思ってしまう

ただその一方で、小浜線のホームに向かおうとすると路線の歴史が分かりやすくひとつのパネルに収められている。どのタイミングで100周年が来たのかも一目瞭然

そしてホームには東舞鶴行きの125系がスタンバイ。というか今、着いたばかりで早朝からの部活動があるのか、高校生が降りてきた

さすがに6時過ぎの時点では、まだ沿線にある学校に通う高校生の姿は少なく車内はガランとしているが、せっかく前乗りした小浜線は朝に頑張らないと、わざわざホテル代を払った意味がなくなってしまう。これでも私の計画によると最後の駅にたどり着くのは、1年で最も日が長いこの時期でも日没寸前になる。とにかく頑張って出発である

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

125系の旅再開6月の小浜線を行く~貴重なルートで向かうはずが

※訪問は2025年6月23日

名古屋駅から出発

この日の私は2枚の乗車券を手にスタート。芦屋→名古屋と名古屋→敦賀。今日は名古屋での要件を済ませて、そのまま敦賀へと移動。翌日に小浜線の未訪問駅の回収を行う。名古屋から敦賀への乗車券を先に買ったのは、名古屋での日程がタイトですぐ乗車できる態勢をとっておきたかったから。それにしても名古屋~敦賀の乗車券が芦屋駅で年に何枚販売されるのだろうか

スポンサーリンク

凝視の予定が崩れる

名古屋からは特急「しらさぎ」で敦賀へ向かう。東海道本線から米原を経て敦賀へと向かうこの特急は大垣を過ぎると「本線」を走行する。普通で大垣から米原へと向かうと垂井を経て関ヶ原へて向かうが、このコースは東海道本線の別線である垂井線として扱われている。ただし関ヶ原から大垣へと向かう下り線路は東海道本線である

話は少しややこしいが、戦時中に大垣→関ヶ原の昇り勾配を避けるため、この区間に迂回路ができた。そして垂井駅にあった下り線の線路は撤去。上り線と下り線が大きく離れることになり、垂井駅の代替として新垂井駅が設けられた。戦後になって垂井駅の下り線は復活。ただし戦時中に設置した迂回の下れ線はそのまま残され、後に新垂井駅は廃止となったものの、現在も貨物列車と特急列車は、この迂回路を走行する。1度線路がなくなったこともあり、迂回路が東海道本線となり、1度なくなって復活した下り線は垂井線という別路線となったが、場合によっては迂回路を新垂井線という支線扱いにすることもある

つまり何がしたかったかというと、特急でしか味わえない車窓を、ちょうど良い機会なので楽しもうとしたのだ。廃駅となった新垂井駅を垂井駅でレンタサイクルを借りて見に行ったことはある。迂回路を走る列車にも乗車したことはあるはずだが、全く記憶にない。ふだんここを走る特急に乗る機会はほぼないのでチャンス。時刻は18時前だが、この季節は1日が長い。十分に堪能できるだろう…

と思ったのだが

なぜかその後、新幹線ホームに。延々と前置きしたが、何のことはない。この日、東海道本線の米原方面は沿線トラブルということでストップ中。新幹線は動いているということで、米原まで新幹線移動という凡庸なコースとなった

そして元々、敦賀までは特急利用のつもりだったので

連絡抜群のしらさぎで敦賀を目指すことに

本来は名古屋始発のしらさぎが米原始発の終点までわずか30分という特急に変更されて待機中

こんな時ぐらい全車自由席にしろよ、と言いたいところだが、厳格な全車指定席はそのまま。ガラガラの列車で指定席料金をしっかり徴収されるのかとブツブツ言っていたが

何のことない。チケットレス乗車するととてつもなく安価だった

とにかく無事に

敦賀に到着。敦賀を最終目的地にする人がどれぐらいいるのかは分からないが、とにかく明日は早朝から活動するつもりである

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~懐かしい美濃太田駅へ

※訪問は2025年10月4日

もしかして貴重なきっぷ?

朝8時の芦屋駅は雨模様

手にしたのは芦屋~美濃太田の乗車券。2日前に三ノ宮駅で購入した。ともにそれなりの知名度はある駅だが、この乗車券が1年にどれほど売れるのかは、やや疑問で、ある意味貴重かもしれない

スポンサーリンク

米原ダッシュを経て懐かしい美濃太田駅へ

芦屋から新快速に乗れば、下車することなく米原まで連れていってくれる。米原から敦賀までは各駅停車になる新快速は、4両編成になってしまうこともあって敦賀まで果てしなく遠く感じるが、米原までは抜群のパワー

週末ということもあって、10時という時間は乗り換え客が多い。彦根あたりだと週末に名古屋へお出かけという人も多いようで、青春18きっぷが以前のシステムだったころは、名古屋までの乗車券を持つ女子高生のグループに「18きっぷをシェアした方が得だよ」と声をかけそうになったこともある

こう見ると鉄道の日記念きっぷの利用期間中ながら同業者(鉄道ファン)の姿はあまりいないようだったが、週末の長い編成で無事に着席

岐阜駅に到着。芦屋駅も雨だったが岐阜駅はさらに強い本降りである。先に言っておくが、ここから2日間、ずっと雨それも冷たい雨に見舞われることになる

懐かしい美濃太田駅から長良川鉄道に

今日と明日は、まる2日間、長良川鉄道に乗車する。実は当初の予定を2週間繰り上げて、予定をこの日に変更した。というのも10月18日にダイヤ変更が実施され、減便されることが発表されるからだ。減便区間は主に美濃市から終点の北濃にかけて。当然だが、この区間を「主人公」にするのが鉄オタである。これはマズいと減便前に旅程を変更。結果的にずっと雨降りとなってしまったが、これはしょうがない。天候よりもダイヤ優先だ

岐阜駅から高山本線に乗車。数度足を運んでようやく達成した高山本線の全駅訪問では何度となくこのホームから乗車した

そしてこちらも懐かしい美濃太田駅。駅前のホテルに2度宿泊した。純正の「Kiosk」もそのまま。できればずっとこのままであってほしい

JR東海の主要駅は「みどりの窓口」を「全線きっぷうりば」と表記することが圧倒的に多い。もちろん中身は同じ。Kioskにこだわったり、駅名標の文字も国鉄字体を使用、車掌の業務も国鉄時代をほうふつとさせるなど、国鉄色を意識するJR東海が、この部分だけは大きく

こちらは岐阜駅のもの。おなじみのみどりの窓口のイラストもないが、美濃太田駅ではしっかり残っている

そして美濃太田からは何度も乗車した高山本線ではなく長良川鉄道に。1区間すら乗ったことがなく、これが初乗車。72キロもある第三セクターで、なおかつ行き止まりとなっている長い長い盲腸線だ。凄く楽しみ

だが、足は長良川鉄道のホームには向かず

なぜかタクシー乗り場へと向かったのである

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~三方湖畔の駅でソースカツ丼

※訪問は2025年3月27日

かつての急行停車駅

三方駅に到着。美浜からは約10分。現在、両駅の間には気山駅があるが、1917年(大正6)に敦賀から十村まで小浜線の最初の区間が開業した際は、隣駅だった(当時の美浜駅は河原市駅を名乗っていた)。気山駅の開業は無煙化となった1961年(昭和36)である。ともに路線内では主要駅のひとつで気動車投入で急行も走るようになり、美浜駅とともに三方駅にも急行が停車していた

スポンサーリンク

観光拠点の駅

三方と聞いてまず連想するのは三方五湖だろう。三方五湖は当駅のある若狭町と美浜駅のある美浜町にまたがっていて当駅は三方湖に近いが、観光拠点の駅でもある

実際にグルリと歩く人もいるだろうし、レンタサイクルも盛んで駅でも貸し出しを行っている

駅前の周辺図が三方五湖の位置関係を分かりやすく表記している

開業時の所在自治体は八村。明治の町村制施行の際に8つの村が合併して生まれた町で、その中には三方村も含まれていた。一時的に自治体名から名前が消えることになったが、1953年に三方町が誕生して復活。ただし駅名は設置時から三方のまま。平成の大合併で三方町は上中町と合併して現在は若狭町となっている

列車を降りてまず気づくのは、かつては2面2線構造だったということ

貨物の取り扱いも行っていたが、昭和30年代に貨物の扱いはなくなっている。2022年度の1日の利用者数は154人。コロナ禍の影響が残る年でもあったが、この数字は京都府との府県境に近い青郷駅や以前は駅舎がなかった三松駅とほとんど同じ数字となっていて22駅(敦賀と東舞鶴をのぞく)中13位。ちなみに美浜駅は370人で7位である。地図でも分かる通り、三方湖のほぼ湖畔の三方五湖PAに若狭舞鶴自動車のスマートインターが2018年に開通している

落ち着いた駅舎とレストラン

駅舎は落ち着いたコンクリート製。電化時に立派になった路線内の他駅とは異なり、JR移管直後の1988年に建て直されたもの。小ぶりながら機能的。ガラス張りの正面入口が美しい

こちらの窓口も訪問直前の3月12日にみどりの窓口の営業を終えたばかりで、現在は簡易委託

さて駅到着は11時49分だったが

駅舎にはレストランが入居していた。美浜駅の道の駅定休日でお昼を食べられずにいたので、これは朗報

迷わずソースカツ丼。何か福井県内の駅で降りる度にソースカツ丼か蕎麦を食べているような気がする

棒状ホームということで乗車間違いのないように気遣った駅名標が設けられている

12時29分の敦賀行きに乗車。まだ早い時間だが、湖西線のいくつかの駅に行きたいので、敦賀経由で新快速に乗車

3月末で、まだまだ寒い日も訪れる時期だが、この日の若狭地方は気温20度超えと、初夏のような陽気だった。次に小浜線を訪れたのは6月。いつものことだが記事と季節感が合わなくなっているので次回からは、しばらく小浜線を離れ、別路線の訪問を記していきたい

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~道の駅セットの主要駅は駅名変更の歴史

※訪問は2025年3月27日

知名度の高い優等列車停車駅

美浜駅に到着。小浜線の中では知名度が高い駅で、急行が走っていた時代は停車駅でもあった。今も主要駅のひとつで、当駅で列車交換が行われることが多い

スポンサーリンク

現在の駅名は戦後になって

それほどの有名駅だが、現在の駅名は1956年(昭和31)からだということは意外と知られていないかもしれない。というのも美浜町の成立が1954年で、その際に新たにできた地名だからだ

駅の開業は1917年(大正6)。小浜線が敦賀から十村まで開業した際に途中駅として設置された。最初に開業した4駅のうちのひとつ。4駅といっても30キロ近くある。新たな駅ができていくのは戦後になってから。当時の駅名は「河原市」。もちろんこれは自治体としての「市」だったわけではない。当時の所在地は南西郷村

周辺の大きな町は耳村だった。だが線路は村内を走っていたが自治体内に駅は設置されず、村の中心部である河原市を駅名とした

河原市地区は耳川を挟んだ地域、どちらかというと川の東側に広がっていて今も地名は残り、美浜町の中心部となっている。川沿いに市が成立していたことで発展したようだ

耳という地名は古く、飛鳥時代には文献に「耳」の名がある。東小浜駅の記事でも紹介したが、この付近は長い歴史を有している

明らかな「弥美」という表記は奈良時代から平安時代に弥美郷として記されていて、室町時代の荘園の時代には耳荘となって近世を迎え、自治体名も耳村に。弥美郷は現在の美浜町全域を指したともされ、1954年の美浜町誕生の際は「弥美」と「砂浜」を合わせて町名とした

駅の構内で見る新旧

駅の跨線橋には、かつての駅の写真が飾られている。「祝 気動車運転」で昭和36年と記され、SLからの無煙化が始まった時のもののようだ。60年以上前のこの時点で既に年季の入った木造駅舎だったようだが、1967年にいわゆる国鉄型コンクリート駅舎へと建て直し。2003年(平成15)にさらにリニューアルされ

現在の姿となった

駅には観光協会も入居している

跨線橋の階段も凝っている

80分の待ち時間にも強い味方

さて私が到着したのは10時16分。この時間帯から夕方まで本数がガクンと経る時間帯で、次の敦賀行きは12時38分、東舞鶴行きは11時40分と最短でも80分もの待ち時間がある。ただ不安はなかった

駅に隣接して道の駅があるからだ。時間を潰そうと思えば何とでもなる…と思い込んでいたが、実際は違った。あまりにも人の気配がなさすぎる、と思ったら、訪問日は木曜日で週に1度の定休日だったのだ。まだお腹は減っていないが、これはショック。ただ当駅では快適に過ごす方法は他にもある

広い待合室があり、エアコンも完備。カウンターとなっている座席にはコンセントが設置され、スマホの充電も可能だ。設置されたテレビでは国会中継が放送されていて、それを眺めながら充電も100%に回復できたので大いに満足。もちろんきれいなお手洗いもある

さて、この美浜駅。随分と新しい部分ばかりをクローズアップしてきたが、そうでないものも残る

跨線橋の案内文字は国鉄からのもののようだ

出口の案内板も。すっかりリニューアルされた駅で、このようなものを発見するとうれしさもよりいっそうというものだ

当駅も小浜線の他のいくつかの駅と同じく訪問直前の3月16日にみどりの窓口の営業を終了して簡易委託駅となった。観光協会に委託されているようで、道の駅と休日が連動していることを理解した

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~「新」が目についてしまう簡素な駅舎

※訪問は2025年3月27日

バスで先回り作戦

上中駅からJR西日本バスの若江線に乗車する。乗ったのは小浜行き

まず小浜線の時刻表だが

8時44分の当駅着でやって来た。次の敦賀行きまでは1時間、小浜方面となると2時間もの空白がある

次いでバスの時刻表

8時55分の小浜行きがある。そこで考えたのが、バスで上中~小浜間のどこかの駅で降りて電車を待ち構える作戦だ。この区間内にある駅は東小浜と新平野しかないので、未訪問の駅となると必然的に新平野となる

スポンサーリンク

危険な「口」停留所

地方で路線バスに乗車する時はできれば小銭を用意、少なくとも千円札を所持しておくことが必要だ。IC乗車できないことが多々あり、コミュニティバスでは千円札の両替も困難なことがある。また近年はSuicaやICOCAなどのIC利用を取りやめる会社も出てきた。おそらくシステムの更新時にお金がもったいないからだろう。過去のデータを見て全国ICの利用が少なければ継続の意味がないと判断するのもやむを得ない

ただその点、JR西日本のバスならIC乗車はさすがに大丈夫。調べもしないで乗車したが、当然のようにピッとタッチして乗車した。このバスは過去3度ほど乗っているが、いずれも近江今津~小浜の始発~終点した乗車したことがないので新鮮だ

国道27号沿いの「新平野駅口」というバス停で下車。乗車時間は5分ほど。終点までだとぼんやりしているだけだが、停留所を逃さないために集中が必要。ちなみに料金は約5分の乗車で410円だった

ということで新平野駅口。これは過去に何度も経験して、記事にもしたが「○○駅口」というバス停は、まぁまぁ危険だ。下手をすると10分ほど歩くこともしばしば。ということで、さすがにこれだけは事前に調べておいた

徒歩5分と知って一安心。さぁ駅へ向かおう

駅名の由来は?

携帯アプリがない時代なら躊躇したかもしれない道をどんどん進んでいく。後で地図を見て分かったことだが、この地域には古墳が多い。古くから人の営みがあり、地域を治める有力者も多かったということだろう

飛び出し坊やにもあいさつをして

新平野駅に到着。ご覧の通りの簡易的なコンクリート駅舎。開業は1918年(大正7)で上中駅や大鳥羽駅と同じ。ここに線路ができた時からの一期生ということになる。かつては開業時からの駅舎があったようだが、JR移管後に現在の形となった

かつてはすれ違い可能な構造だったようだが、早々に棒状化そして無人化されている。貨物の取り扱いもあったようで駅前は広いが、それ以外に貨物を連想させるものはない

駅の北側には農地が広がる

そしてどうしても目につくのは「新」の駅名である。開業時、当駅は松永村にあった。駅の北側は宮川村(現在はいずれも小浜市)。平野は今も残る小浜市の地名で駅の住所は小浜市平野。村と村の境界近くにあるため村名を駅名にするのは避けたと想像できるが、なぜ「新」が付けられたのかは調べたが分からなかった。「平野」は全国に見られる地名で、大阪市の関西本線には明治期以来の平野駅があり、重複を避けたとの推察も成り立つが、あまりにも遠い。それならば路線内の他駅にならって「若狭平野」ではないのか。大正期に付けられた駅名ともあって結局は今もナゾのままである

ちなみに駅近くの郵便局は新平野郵便局だったが、他では平野が使われているようだった

こちらはホームから見た駅舎

駅舎内には待合室と自動販売機。他駅ではゆっくりできなかったので熱い缶コーヒーを、と一瞬思ったが

こちらを見て自粛しておいた

まだその季節ではないが、のどかなイラストに心が和らいだ

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります





<p data-src=

若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~びわ湖からの直通列車を待ち続けた駅

※訪問は2025年3月27日

ちょっとしたトリビア

大鳥羽駅から2駅小浜方面へと戻って上中駅で下車。福井県の地図というか形をなんとなく思い浮かべてほしい。滋賀県の北側に覆い被さるように東西へと京都府との府県境までの地形。京都府との境に近い青郷駅が最西端なのは、すぐ理解できそうだが、最南端も小浜線内にあり、それがここ上中駅なのだ。北陸本線で滋賀県との県境となる新疋田駅あたりを思い浮かべそうだが、新疋田より南側に位置する駅は小浜線内には数多くある

敦賀を出た小浜線は若狭湾に沿って西へと向かっていくが、前記事で紹介した大鳥羽駅あたりから南へと進み、ここ上中駅あたりから再び西へと進む。ただこれは開業時の村や集落、地形に沿って進んだものであり、決して無理に南へ向かったものではない。運命共同体ともいえる敦賀から舞鶴まで並行する国道27号も同じようなコースをたどっている。もっとも現代に建設された若狭舞鶴自動車道については、地図で分かるように小浜から最短コースで上鳥羽駅近くまで建設されていて、いろいろな意味でスピードでは全くかなわない

スポンサーリンク

自治体名変更で駅名も変更

上中駅は1918年(大正7)の開業。大鳥羽駅と同時期の開業。両駅の間にある若狭有田駅の開業は、戦後になってから。当初の駅名は「三宅」だった。三宅村に所在したからだ。1954年に大鳥羽駅のある鳥羽村などと合併して上中町が誕生。直後に駅名も現在のものとなった。上中駅となったのは町の代表駅となったため。平成の大合併で若狭町となったが、駅名はそのままとなっている

駅舎は2005年(平成17)に建て直されたもの。2階は多目的スペースとなっているようで

簡易委託駅。私の訪問直前の3月11日まではみどりの窓口があった

待合所にはサボのほか、ホーローの駅名標も保存されていた。なぜか小浜駅のホーロー板まである

目を引いたのは

こちらの張り紙。近江今津から当駅を結ぶバスの定期、乗車券を駅の窓口で販売しているとある。これが当駅の歴史を語る上での重要なことなのだ

大正期から計画された悲願

駅舎内には西日本JRバスの運行する若江線(じゃっこうせん)の時刻表がある。お昼前から夕方にかけて1時間に1本。湖西線の近江今津駅から上中駅を経由して小浜駅とを結ぶ。運行時間帯だけを考えると小浜線より本数は多い。そして路線バスをJRが運行しているのがポイントでもある

敦賀からやってきた国道27号と近江今津からやって来た国道303号は、ここ福井県最南端の駅でもある上中駅付近で合流する。このルートは大阪や京都方面から最短で小浜を目指すルートとして定着しているが、元々は鉄道で結ぶ予定だった。もちろん小浜線との合流は上中駅。湖西線は戦後の話で、計画は大正期からすでにあり、私鉄の江若鉄道が昭和初期に近江今津まで敷設すると、国鉄のバス路線も開通。この頃は、あくまでも鉄路で結ばれるまでの暫定的なものだったが、戦後30年近くが経ち湖西線が開業しても計画路線のまま。JR移管後もさまざな計画があり、バスも江若交通との共同運行の時代もあったが、現在は西日本JRバスのみが運行を続けている。結果的に悲願とともに90年近い歴史を誇る路線となった

結果的に北陸新幹線の小浜ルートが決定したことで計画そのものもなくなった形になっているが、その小浜ルートも怪しい雰囲気になっているのも事実である。このバス路線については、あらためて紹介したいと思う

駅前には若江線乗り場のロータリーがある。ただ、ここに来たのはバス施設の写真を撮るためだけではない。今からこのバスに乗車するためだ

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=