JR

2026年の北海道&東日本パス旅~わずか3年での変貌ぶりを見届けて旅を終える

※訪問は2026年7月17日

弘前から気動車に乗車

弘前から気動車に乗車。電化されている奥羽本線(災害復旧の影響で2025年4月から新庄~院内は気動車運行となっている。そのため秋田以南でも気動車運行となる区間がある)で、なかなか気動車には出会わないが、弘前からは五能線直通列車が走っていて、川部までは奥羽本線で気動車に乗車できる。もっとも乗車したのは電気式気動車。このあたりに変化を感じる

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3年4カ月ぶりの川部駅

下車したのは先日も取り上げた超難読駅の撫牛子駅を経て2駅目の川部駅。2023年3月以来、3年4カ月ぶりの訪問となった。列車はここからスイッチバックの形で五能線に乗り入れる。原則的に五能線は、路線の終点である川部始終着の列車は運行されておらず、すべての列車が弘前始終着となる。つまり弘前~川部間においては、若干ながら本数が多くなる

2両編成の車内は、それなりの人が乗車していたが、ほとんどが五能線沿線が目的のようで、川部で下車したのは私を含め3人のみ。代わりに青森方面からの乗り継ぎとみられるお客さんがゾロゾロ乗り込んできた

五能線終着駅の案内板とホームは前回と

JR東日本ならではの分岐駅の駅名標も変わらない

変わったことといえば

駅舎。簡易的なもので、待合室とICリーダーが設置されているのみ。もちろん無人駅である

3年前はこうだった

木造駅舎があった。雪の駅舎は風情があった

みどりの窓口も

当駅の駅舎は1894年(明治27年)からのものとされ、JR東日本で最も古いものとされていた

その時のことは、3年前の訪問時に詳しく書いた。無人化される2週間前に慌ただしく訪れ、窓口で青春18きっぷを購入したことが懐かしい

無人化後、間もなく旧駅舎は取り壊されて現在の姿となった。こちらは調べずとも分かっていた。Xのフォロワーさんの情報もあるし、いつも鉄道関連のニュースばかり見ているおかげで、スマホにもPCにも勝手にAIさんがニュースを流してくれる

それにしても約20年前まで管理駅だったものが、JR東日本の子会社へと業務委託され、やがては簡易的な駅舎となってしまう。時代の流れを感じる。当駅は奥羽本線と五能線の分岐駅だったが、1998年までは国鉄の黒石線だった弘南鉄道黒石線も乗り入れるターミナル駅だったのだ。そして現在。いくら乗り換え駅とはいっても、当駅始発の列車がない以上、駅員さんは必要ないのだ。思えば電気式気動車の導入や青春18きっぷのルール変更もつい最近のこと。流れは早い

来年の北海道&東日本パスは?

空港行きのバスに乗るには弘前駅か青森駅からで、もちろん弘前の方が近いが、時間がハンパにできてしまったので、空港バスの運賃が安い青森駅から乗車することにする

空港行きのJRバスは東北新幹線カラーだった

14時台の飛行機で帰る。今年の北海道&東日本パスの旅も終わり

さて3年連続となった気ままな北海道&東日本パスの旅だが、来年についてはちょっと未定である。そもそもがIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道を乗り尽くすことが目的で、この2つの三セクで駅訪問を行えば、あっという間に1万1780円の元が回収できる。だから7日間有効のパス利用は5日間にし、なおかつ途中の1日を弘南鉄道に充てても何の問題もなかった

3年間で津軽線も含め、ほぼ目的は達成し、では来年はJR東日本管内の別の路線でとなると、なかなか元をとるのは大変だ。さらに言うと、この3年間で飛行機の運賃が大幅に値上がりした。3カ月以上前であろうとタイムセールであろうと、かなりお高い。結局はJR東日本管内まで行かなければならないので、新幹線であろうと飛行機であろうと料金的には変わらないのだが、3年前は1万円程度で入手できた航空券が、今回は仙台までが1万2000円、青森から大阪が1万6000円。もちろん正規料金に比べるとはるかに安いが、値上がり感が強い。帰りの飛行機が14時台となったのも夕方の便ではさらに1万円高かったからである

さらに言うと体力の問題もある。今回は4日目の夕方に体力気力ともエネルギー切れとなってしまった。来年については年が明けてから諸般の事情を見て考えることにしよう

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2026年の北海道&東日本パス旅~秋田県との県境を感じさせる木造駅舎

※訪問は2026年7月17日

最終日に少しだけ足を伸ばす

2026年の北海道&東日本パスの旅も今日で終わり

青森空港発14時台の飛行機で帰るので、それほど時間はない。空港行きのバスは弘前駅または青森駅から乗車することになるので、与えられた時間は午前中のみ。途中で交通トラブルに見舞われると命取りなので、それなりに本数があって両駅へのアクセスが良い場所への訪問に限られる

そこでやって来たのが

碇ヶ関駅である

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地名がすべてを表す

とても分かりやすい地名であり駅名。ここが青森県と秋田県の県境だ。厳密には先に紹介した

津軽湯の沢駅が青森県最後の駅となるが、一部の普通列車は通過する駅で、間もなく冬季閉鎖(12月から3月まで)となり、すべての列車が通過する。事実上、碇ヶ関駅が県境の駅と言っていいだろう

立派な木造駅舎を有する

1895年(明治28)開業と、19世紀からの歴史を有し、130歳を超える駅。ただし、かなり手が入っているように見える駅舎そのものは昭和に入ってからのもののようだ

青森から奥羽本線を秋田県方面へ向かうとIC乗車ができるのは弘前まで。この事実から分かるように、弘前を過ぎると電車の数はガクンと減る

昼間は2時間列車が来ない時間帯もある。そして時刻表で分かる通り、特急停車駅でもある

開業時は碇ヶ関村に所在し、平成の大合併を経て現在は平川市

これは駅を降りて初めて知ったことだが、平川市といえば弘南鉄道弘南線の平賀駅を思い出す

巨大なビルが駅となっていて驚いたが、こちらが平川市の中心駅

位置関係はこんな感じ。奥羽本線を弘前方面へと向かい、大鰐温泉駅を越えるとその向こうに平賀駅がある。距離にして17キロほど。ただし346平方キロもある平川市の地形の関係で、大鰐温泉駅は大鰐町に所在する

歴代の殿様に愛された湯

碇ヶ関は津軽藩が管理していた関所であると同時に当地は温泉地としても古くから知られていた

列車を降りるとホームで看板が出迎えてくれる。碇ヶ関は関所の町であると同時に温泉の町だった

駅から少し歩くと平川沿いに温泉街

こちらは駅の解説板

温泉街まで歩かずとも、ほぼ隣接する道の駅に温泉施設があり、そこには関所資料館もある

駅は平川市による簡易委託

現在の駅構造は2面3線だが、貨物ヤード跡なのか遺構も残る

今回は慌ただしく折り返すことになってしまったが、朝ではなく昼間の時間帯にゆっくりしたい駅である

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2026年の北海道&東日本パス旅~絶対読めない難読駅は住宅街に溶け込む

※訪問は2026年7月15日

弘前の隣駅

青い森鉄道の各駅を訪問して青森に泊まった翌日、朝から津軽線の各駅を訪問した後に、本日の宿泊地である弘前に向かう。その途中で降り立ったのが撫牛子駅。青森側から見ると弘前のひとつ手前で、奥羽本線はここから弘前市に入る

そして一目瞭然だが、難読駅。しかも「超」が付くレベルである

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昔の難読駅と現在の難読駅

当ブログでも難読駅はかなりの数を紹介してきたが、昔と今ではかなり異なる。現在は難読駅クイズを出されてもスマホが手元にあれば、解答はすぐに出る。漢字そのものが難しく、どうやって入力すればいいのか分からない場合は苦戦するかもしれないが、便利な難読駅サイトなどもあるし、所属路線さえ分かれば、もう答えにたどり着いたも同然だ

ネットもないような昔は違う。ご存じのように時刻表にはズラリと駅名が並んでいるが、読みは書かれていない。極端に言うと現地に出向くしか確認する方法はないのである。今も同じ感覚を味わえるのは路線バスだ。地方でなくとも整理券方式のバスに乗ってぼんやり先頭の料金案内をぼんやりと眺めていると「これなんて読むの?」と思うことがしばしば。次の停留所を告げるアナウンスと前方の停留所案内を見て「今なんて言ったっけ?」と反応してしまうこともある

ただそんな時代でも難読駅を知る方法がひとつあった。難読駅やクイズの書籍を読むことだ。「ほうほう、なるほど」と楽しんだものだ。もっともこの方法には、当該書籍でその駅が選ばれなければならない。そんな状況で複数の書籍から「ドラフト指名」された駅が別の意味での有名駅となるわけだが、ここ撫牛子駅は、何度も指名を受けている「難読ゆえに有名な駅」のひとつである

構造は2面2線と標準的なもの。背景で分かるように駅の近くには住宅が並ぶ。弘前の隣駅なので当然といえば当然だ

簡易的なコンクリート駅舎

当駅は1935年(昭和10)の開業。明治期に青森~弘前が開業している奥羽本線では新しい駅となる。当時は和徳村に所在した。和徳村は1955年に弘前市に編入されているが、それまでは和徳村唯一の駅だった。駅名が和徳とならなかったのは、同時期に和徳駅が開業したからだ。和徳駅は撫牛子~弘前の間に設けられた駅で、今も地名は残っているが、1940年に廃駅となった。わずか5年で廃駅となってしまったのは、戦時体制ということや、和徳駅と弘前駅があまりにも近かったからだろう

撫牛子駅から弘前駅への徒歩ルートの途中に和徳駅があったであろう場所を入れてみたが確かに近い。そんな事情で撫牛子駅が残ったと想像

跨線橋を渡って駅舎へと向かうと駅舎を経由せずとも出入りできる構造になっていることが分かる。つまりは無人駅

簡易的なコンクリート駅舎。国鉄時代からすでに現在の姿になっていたようだ。駅名板に記された文字が平凡なものだったら、それほど関心を集めない駅かもしれない

駅前は住宅街で新しい家が並ぶ

さて肝心の地名の由来だが、判明していないのが実情と、なかなか現代では珍しいことになっている。牛を撫でる民間信仰があり、津軽方言がによくある「っ子」がくっついて「撫で牛っ子」が転訛したとか、アイヌ語で川岸に近い「ナイジョウシ」に基づくなど、さまざまな説があるという

こちらは駅舎内の様子。IC乗車もできる区間にあり、弘前のお隣と訪問難易度はそれほど高くはないので、ぜひ訪れてほしい難読駅である

もっとも私が最も驚いたのは

こちらの張り紙だったけど

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2026年の北海道&東日本パス旅~大火災からの復興と念願の駅そば

※訪問は2026年7月14日

ビッシリの住宅街の合間に置かれた駅

鮫駅方面にひとつ戻って白銀駅に到着。写真で分かるように棒状ホームのみの駅

列車が去った後の姿を見ると分かりやすい。ホームの向かい側まで住宅でビッシリだ

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昭和初期からの駅

小さいホームには待合所そして

厳重にガードされた自動券売機があるのみ。JR東日本の駅に来てJR西日本との違いを感じるのは券売機の扱いで、小さめの駅に設置してある券売機については、JR東日本の駅は仮に駅員さんがいる時間帯がある駅でも、夕方から早朝までの無人時間帯はシャッターが下ろされてしまうことが多い。券売機荒らしの対策だろうが、JR西日本の駅はそのままとなっていることがほとんどのように感じる。1万円札が使えるかどうかで券売機に入るお金の量も異なるのだろうが、ここまで厳重なものはJR西日本では、あまり見かけない

駅を出てふりむくと、すぐにスロープで自動車侵入防止の車止めがある

そして短い坂を昇ると

道路があって、小さく白銀駅の案内板がある。左下に見えるのが駅。知らずに道路を行くとこの案内板がなければ素通りしそうだ。そしてホームがある側もビッシリ住宅街である

白銀駅は1934年(昭和9)の開業。八戸線は明治期に八戸(当時は尻内)~本八戸(当時は八戸)が開業してスタート。大正期に種市までが開業、昭和に入った1930年に久慈までが全通した。だから路線内では後から設置された駅ということになる。駅の構造上、過去に貨物に使用されたことはない

戦時中の1944年には不要不急駅として休止されている。復活したのは、戦後7年が経過した1952年のことだ。住宅街にあるため、1日の利用者は1500人ほどある。券売機が設置されているのもそのためだろう

千戸以上が焼失する大火

白銀という地名は江戸時代からのもので、「白金」と表記されたこともあった。白銀浜があり、明治時代は寒村の風情だったという。現在の住宅街からは想像もできない。駅が設置されたことで宅地化が進んだが、1961年に一帯は大火事に見舞われる。放火に起因するものだったが、折からの強風で火の手はあっという間に広がり、千戸以上が焼失した。「白銀大火」と名付けられた戦後最大級の火事となった。その後の復興事業で街づくりが進んだものが現在の姿になっているという

近くの踏切から駅の全景を眺めて八戸線と別れを告げる

三沢駅で待望の味に出会う

八戸駅へと戻り、青い森鉄道の旅を再開

三沢駅で下車。昨年、一昨年も下車した三沢駅だが、今回だけは明確に目的があった

三沢駅の駅ビルに入る「とうてつ駅そば」である

とうてつとは十和田観光電鉄のこと。三沢駅と十和田市駅を結んでいた路線で、2012年に廃線となったが、会社はバス会社として残っている。私の青い森鉄道の駅紹介でもたびたび登場している

十和田観光電鉄が運行していた旧三沢駅時代から半世紀にわたって親しまれてきた駅そばを復活させたのが当店。昨年も一昨年も当然ここを通ったが、お腹がいっぱいだったり移動の時間があったりで食べられなかった。つまりは3年目の悲願である。ここは当初から計画にあった。陸奥湊駅の朝市を逃したことをかなり後悔したが、仮に朝市に行っていても「そばぐらいなら」と食べていただろう

スペシャルそばをいただいて大変満足。次の駅へと向かおう

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2026年の北海道&東日本パス旅~駅で出会った「イサバのカッチャ」とは?

※訪問は2026年7月14日

ここは鮫より八戸寄り

種差海岸駅を発って陸奥湊駅で下車。ここは鮫駅より八戸駅寄りにある。つまり本数の多い(1時間に1本程度)場所に入っており、何かトラブルに見舞われても何とかなる。付近のバスもそれなりにあって、本八戸駅付近の八戸中心部まで行けば、八戸駅まではバスが頻発している。八戸中心部と八戸駅を結ぶバスはJRよりも圧倒的に本数が多く、1時間に4本という頻度で運行されているはず。ただバスだと別料金になってしまうので、あくまでも非常用の場合である

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駅名は文字通り

陸奥湊駅は1926年(大正15)の開業。前記事の種差海岸駅を紹介した際、1924年に種市までが開業し、その際に設置されたと記したが、陸奥湊駅は後から設置された駅だ。開業年の12月に年号が昭和に変わるので、大正ギリギリに設置されたことになる。100歳を迎えた駅ということになる

駅名はまさに文字通り

地図を拡大していただけると分かるが、歩いてすぐの所が八戸港である。駅と港の間には大きな街が形成され、踏め区からの港町であることが分かる

かつては貨物列車でもにぎわう

改札付近にガラス張りの待合室を持つ橋上駅舎は近代的なもの

ただし無人駅。窓口の跡だけが残る。少し前まではみどりの窓口も備えた有人駅だった。5年前に無人化されている

島式ホームのさらに隣には側線が残る。港町でもあるが、セメント工場への専用線があり、貨物取り扱いの駅でもあった。国鉄末期に廃止されている

駅舎は真新しさを感じるもの。2016年にリニューアルされたばかり。当時JRグループでは「青森県・函館デスティネーションキャンペーン」を行っていて、その際に様変わりした。ただわずかその5年後に無人化されるとは、時の流れは早い

出会った石像

駅を降りたところで出会ったのが

「イサバのカッチャ」???

何のことかさっぱり分からない。基本的に事前調べをせず(時刻表は調べる)駅で降りるのが私の駅訪問のやり方だが、これは一体何なのだろう

慌ててスマホで検索すると、もともとは「五十集」(いさば)と書いて魚を取り扱う人のことを指したそうだが、今は朝市で働くご婦人たちのことを指す言葉になったらしい。「カッチャ」とは方言で「お母さん」。つまり背後に見える朝市で元気に働くお母さんのこと

私以外の人も撮影していたので撮影スポットなのだろう

ただ、いろいろ残念なことに駅を降りたところにある朝市には行けずじまい

こちらは駅前の周辺案内図で、当駅付近には駅前と港に2つの朝市があり、港の朝市は日曜のみだが、駅前の朝市は日曜日をのぞく毎日開催されている。八戸の台所と呼ばれるゆえんである

しかし、この日の私はもともとが岩手県との県境にある目時駅を訪問するのが第1のミッションで、当初八戸線は予定に入ったいなかった。そんな流れもあり、ホテルでモリモリと朝食を食べ、さらに八戸駅で乗り換え時間があったため、カフェでさらにモーニングまで食べてしまった。つまりはお腹いっぱいだったのだ。そもそも時間はすでにお昼前で、朝というより深夜の3時に営業を開始している朝市の時間は終わろうとしている

こちらは八戸線仕様の駅名標

朝市では市場で魚介類を買い、ご飯とみそ汁だけを買って食べる「勝手定食」が名物だという。実に食欲をそそる話である。駅について調べないのだから、朝市も勝手定食も知るよしがない。列車は1時間に1本あるのだから、食べる余裕はいくらでもあった

下調べをせずにフラリ降り立つ旅の良さは十分に感じているが、遠路はるばる行くのだから、その土地でしか食べられないものについては、事前に優先的に調べておいても良いのではないか、とこの時ばかりは、痛切に感じた

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2026年の北海道&東日本パス旅~観光地最寄り駅に残る栄華の跡

※訪問は2026年7月14日

やや薄いダイヤとともに

種差海岸駅にやって来た。元々は八戸から青い森鉄道をそのまま青森方面へ向かう予定だったが、朝の行動が順調だったため、そのまま青森に向かうのにはまだ早いと急きょ八戸線を少し入ってみることに。このあたりが気ままな北海道&東日本パス旅の良いところである

ただし

駅に列車がやって来るのは1日8・5往復で決して多いとはいえない

鮫駅の項でも触れたが、八戸線は八戸から本八戸を経て鮫まで到達すると、その先はガクンと本数が減る。今回は10時2分に種差海岸駅に到着して同27分で折り返す予定である

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リニューアルされたばかりの駅舎

駅舎は真新しさがホーム側からも一目瞭然

正面に回ると

いかにも新しい。昨年12月にそれまでの駅舎を元にリニューアルされた

当駅は1924年(大正13)の開業と100年以上の歴史を持つ。八戸線が現在の本八戸駅(当時は八戸駅)から種市まで延伸された際に設置された。当時の駅名は「種差」。ただし当時も何も、この駅名は平成になってもそのままで、現駅名となったのは2002年(平成14)。有名観光地である種差海岸をアピールしようと地元からの依頼で駅名変更となった

天然の芝生地で知られる種差海岸へは駅からすぐ

駅前の通りを真っ直ぐ行くとたどり着く。訪問時は平日の午前で人はまばらだったが、インバウンズの方々がゾロゾロと歩いていった。それにしても観光地に行くと必ず存在感を示すインバウンズの皆さんは、京都などの有名観光地ならいざ知らず、ちょっとした観光地ならどこでも出会う。どういうモチベーションで、というかどうやって全国各地の観光地を探し当ててやって来るのだろうか。AIが教えてくれるといっても、どのような過程でターゲットにするのか不思議だ。東京まで飛行機でやって来たとしても、なかなかここまでたどり着くのは難しい

こちらは駅前の観光案内図。こちらも真新しく保たれているようだ

案内図で紹介されている鳥瞰図絵師の吉田初三郎は当地に別荘「潮観荘」を設け、戦時中から戦後はアトリエにもなっていた。駅舎はその潮観荘をモチーフにしたものだという

かつての2面3線ホーム

新しい駅名板を眺めながら駅へと戻る

現在は1面1線の棒状ホームだが、向かいには島式ホームが残る

開業時から貨物を取り扱っていた当駅だが、戦後20年も経たないうちに貨物は取りやめ、記録ではまだ国鉄時代の1982年に交換機能はなくなり、現在の姿となるとともに無人化された。40年以上前から現在の姿になったようだ。確かに現行のダイヤでは不要な設備だろう

八戸市では夏季の週末に鮫駅と当駅を結ぶ「種差海岸遊覧バスうみねこ号」を運行。途中の観光地に立ち寄りながら、鮫駅と種差海岸駅を結ぶ市営バスを1日7往復運行している。このバスは鮫駅で八戸線の鮫~八戸の列車との接続を行う

1日8・5往復と決して多くはない八戸線を補完して観光地への利便性向上を図っている

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2026年の北海道&東日本パスは渋めの駅を選択~今年は仙台からスタート

※訪問は2026年7月13日

大阪空港から今年の長閑旅

朝6時過ぎの大阪空港。今年も北海道&東日本パスの季節がやって来た。過去2年は東京からトコトコと普通で北上したが、今年はその手間を省くことに。都内で飲むことをやめて一気に東北に入ることにする。大阪から東京に行くのも、いきなり東北に入るのも早めにきっぷを手配しておけば、そう料金は変わらない

それにしてもいつ来ても大阪空港の6時台のにぎわいは凄い

と同時に、つい最近までここにあったパタパタがなくなると別の場所に来たように感じる。古いと言われるかもしれないが、私にとっては空港=パタパタである

パタパタの代わりに地上の低い場所に出発案内が設置されている

パタパタ風に作られているが、それにしても7時台に大阪から全国に飛び立つ便の多さよ。大阪空港は騒音問題から7時より早い時間に飛行機が飛ぶことはできないので、その穴埋めをいるように7時過ぎから一斉に各地へ出発するので、6時台の出発ロビーと保安検査場は大混雑する

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10分チャレンジ成功

仙台空港に到着

ここから仙台空港線で仙台を目指し、東北本線で北上するのだが、仙台駅で最初の大きな関門が待っている。3回目となった仙台チャレンジである

乗った飛行機は8時35分に仙台空港に到着することになっているが、定刻に飛んでも当駅を出発する電車は9時7分発。すると仙台駅着が9時38分で盛岡方面の電車は9時48分発。10分の乗り継ぎはちょうどいいと思われるかもしれないが、仙台駅で北海道&東日本パスを入手しなければならない。仙台駅の券売機で人が並んでいれば、他の券売機を探さないとほぼアウトである

この9時48分を逃すと、次の列車は1時間後で、さらに先の乗り継ぎが極めて悪くなり、結局2時間のロスをすることになる。なかなか死活問題なのだ

過去の成績は1回目は無事ゲット。2回目は飛行機がなぜか早着して仙台空港駅から1本早い列車に乗れたので楽勝。そして今回は…というと中央改札口隣にある券売機に行くとインバウンズの人がゾロゾロいて「アカン」と目をつぶったが、インバウンズの皆さんは券売機の前で、料金表を見たりしてきっぷの買い方を研究中。つまり券売機の列はできていなかった

ということで

無事にゲット。無事に予定通り北上できることとなった

無事IGRいわて銀河鉄道に

18きっぱー(今回は違うがむ)の関所、小牛田駅で乗り継ぎ

これもまた強制下車の一ノ関

東北本線の「終点」盛岡に着いて

IGRいわて銀河鉄道に乗車。今日はあまり時間はないが、予定通りに動けたのでどこかの駅で降りられそうだ

実はあまり深く考えずに「なんとなく」岩手川口駅で下車。このなんとなくが、思わぬ旅のハイライトとなる

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北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~かつてのターミナル駅は今はひっそり

※訪問は2025年7月8日

予定をずらして下車

時系列的には逆戻りとなる。北海道&東日本パスでの旅の初日のこと。話の流れがおかしくなりそうなので、あえて最後にもってきた。朝の6時前に東京は上野を発って東北本線を乗り継ぎ、15時過ぎに到着したのが

石越駅。福島県を出てずっと宮城県を走ってきた東北本線はここで宮城県とお別れ。隣駅の油島から岩手県に入る-と思ったら、3駅ほど行くと再び宮城県へとお帰りして、また岩手県に戻るという変わった道程をたどる

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ホームのイラストがすべて

ホームら降り立つと周辺案内のイラストがある

石越駅からもうひとつの線路が伸びているが、よく見ると

細倉マインパークへと向かう鉄道路線が半端に消されている。また「交通のご案内」の石越駅からの部分は、さらに消されている。それでも目を凝らせば見えるあたりが、なんとも言えない雰囲気を醸し出している

これは石越駅から出ていたくりはら田園鉄道のなごりである。当駅で降りた理由のすべてと言っても過言ではない

細倉マインパークとは、昭和の終わりに閉山となった細倉鉱山の跡地を利用した観光施設。くりはら田園鉄道は、元は栗原電鉄といって(さらにその前は栗原鉄道)、鉱山と石越駅を結ぶ私鉄で戦後に石炭の需要が上がると大いににぎわい、電化まで行った。だがエネルギーとしての石炭が衰退すると同時に鉄道としての収益も下がり、昭和末期に鉱山が閉山して貨物輸送がなくなると、運行が厳しくなり、三セクのくりはら田園鉄道へと転換したものの、2007年に廃線となった

現在の駅舎は

こちらが現在の駅舎。石越駅は1890年(明治23)の開業。さすが東北本線とあって歴史は古い。くりはら田園鉄道の石越駅も1921年(大正10)と、こちらも長い歴史を持っていた

かなり新しいものに見えるが、その通りでくりはら田園鉄道の廃線後の2011年に新築されたものだ。それまでは古風な木造駅舎だった

JRの駅舎の向かい、徒歩10歩ほどの場所にくりはら田園鉄道の石越駅があった。ただしそこには

記念の石碑が残るのみ。駅ホームにあったイラストに描かれている丸味を帯びた特徴的な駅舎だったが、廃線後に解体されている

さらに言うと

新駅舎はみどりの窓口も備えた駅だったが、2年前に無人化され、現在は券売機があるのみ

駅には貨物線の痕跡がくっきり残る

駅舎の外の旧くりはら田園鉄道駅の方から見ると分かりやすいが、両路線の線路は貨物用につながっていた。もともとは、いわゆるナローゲージの線路幅だったが、貨物の積み替えの手間を省くため、同じ線路幅とするほど貨物輸送でにぎわったのだ

駅前には、かつてターミナル駅だったころの最盛期のにぎわいの雰囲気がかすかに残る。ただ歴史を知らずに当駅で降り立つと、何も感じずにスルーしてしまうかもしれない

あくまで私の推測だが、駅のホームのイラストは、あえてくりはら田園鉄道の痕跡を完全に消し去らないようにしているのだろう。よく見ると、そもそも鉄道会社名は栗原電鉄となっている。くりはら田園鉄道という路線名となったのは1995年なので、30年以上前のイラストということになる。この地図を眺めるだけでも価値はある

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北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~少し足を伸ばして青森県で最も東の有人駅へ

※訪問は2025年7月12日

旅も大詰め

野辺地駅を離れたのはお昼前。今日は三沢空港から帰路につく。夕方の飛行機なので、まだ時間は少しある。しかも青森空港ではなく三沢空港なので、青森駅近くにいる必要はない。ただし飛行機には絶対に遅れてはならないので、突然の交通トラブルに備えて三沢を視野に入れた場所に滞在することにする。地方において飛行機もしくは新幹線は夕方だから時間はたっぷりある、好天にも恵まれたと、特急で1時間とか2時間の場所にいて大ピンチに陥った過去が何度かある。ということで

八戸駅から緑色のラインつまりJRに乗車することにする

八戸線を走るE132がすでにスタンバイ。接続は図られている

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列車本数の多い区間を

八戸線は過去に1度紹介している

JR東日本のすべての列車が3日間乗り放題という大サービスきっぷで旅をした2022年10月のことだ。この時は仙台から北上してBRTそして久慈からの八戸線で本八戸駅で下車して宿泊した。BRT、八戸線も同業者だらけで押すな押すなの大盛況だったことを鮮明に覚えている

今回下車したのは

1度聞いたら忘れられない駅名の鮫である

なぜ鮫駅で下車したのかというと理由は簡単で

これが鮫駅の時刻表だが、八戸線は当駅を境に本数が大きく変わる。八戸から鮫までは1時間に1本以上の列車が確保されているが、鮫から先は2、3時間に1本しかない。鮫折り返しの本数がいかに多いかがお分かりいただけるかと思うが、鮫であれば八戸までの折り返しも数が多い。保険として本八戸の街中からは三沢空港行きのバスも出ている

そして

鮫駅は素敵な木造駅舎である。駅周辺は大きな町で昼食も摂れる

特徴ある町名の由来は

鮫駅は1924年(大正13)の開業と100年以上の歴史を持つ。八戸線の歴史については前掲の本八戸駅の記事でも書いているので、よろしければ参照していただきたいが、駅舎は火事に遭ったりしながらも1939年(昭和14)からの駅舎が今も健在だ

みどりの窓口もある。当駅から東側も青森県は続くが、現状では有人駅はここが最後

こちらも有名なモニュメント。鮫駅なのでサメである

駅の住所は八戸市鮫町。駅の開業時は鮫村だった。鮫という地名の由来については「沢」がなまってサメになったという説が有力のようだが、かつてサメが多く捕られた漁場だったという説もあるらしい

駅前には、かつて八戸線を走っていた蒸気機関車の動輪がある。駅の50周年を記念して飾られたもので、展示されてから半世紀。展示だけで50年もの歴史があるのだから、展示品だけで随分な遺産である

また当駅はウミネコで知られる蕪島の最寄りでもあり、観光客でもにぎわう。訪問時も多くのインバウンズが下車していた

最後にオオボケ

昼食も無事に食べ、美しい海を見ながら帰途につく

ホームは2面3線。折り返し列車が多いので、常に列車がいる印象だ。国鉄末期まで貨物の取り扱いがあったので、構内は広い

八戸駅から三沢駅を目指したが、ここでとんでもないオオポケをやらかす

もう1駅ぐらい何とかなるだろうと降りたのが、何と

なんのことない、3日前に訪れた駅で再び降りていたのだ。昨年ならいざ知らず、わずか3日前である。写真を見ると、駅の隅々まで入念に撮影している。当時は「ここに来たな」とも思わず、ホイホイと写真を撮っていたのだ

三沢駅から市内中心部を経て空港に向かうバスに乗り込み

三沢空港から無事帰宅となったが、中2日で同じ駅で降りていたことに気づいたのは随分経って日々の駅紹介をした時。自分自身に対してかなり落ち込んだ

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北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~荘厳な地名にひかれる

※訪問は2025年7月12日

最終日は弘前から青森方面へ

津軽湯の沢駅から弘前に向かって2泊。11日は1日かけて弘南鉄道を味わった

1日のことは昨年すでに記事化している

12日の朝7時すぎに弘前駅へと向かい

「またきて」と見送られ、青森方面へ30分

大釈迦駅で下車した

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規模の大きさを感じる駅名

地元の方は慣れているだろうが、関西からやって来て「大釈迦」という名前には驚かされる。先日、山陽本線の曽根駅の木造駅舎がなくなるという話を記事にしたが、当駅の地名は阿弥陀。駅舎に住居表示が張られているので知識がないと驚く人も多いかもしれない。現実にもともとの駅名は阿弥陀だったわけで、今もその駅名が続いていれば、もっと話題になっていたのではないだろうか

そしてこの話の流れで推察できるかもしれないが、大釈迦は地名である。開業は1894年(明治27)と19世紀から当時は大杉村。戦後に浪岡町となり、現在は青森市だが、そもそも大杉村が発足した明治の町村制施行前は大釈迦村だった

近くに梵珠山(ぼんじゅさん)があり、山頂にある釈迦堂が地名の由来とされる。平城京からの遷都を行った桓武天皇が建立したとされるので歴史は長い

そしてその大釈迦駅。ホームから駅舎へと向かうと

「大」が付く我には随分とコンパクトなお出迎え

駅舎内はこれだけ。もちろん無人駅でICリーダーがポツンと設置されている。駅舎はというと

随分とかわいい。そして真新しい。これを見て今はやりの駅舎の簡易型改造が行われたかと思われるかもしれない。確かに2007年(平成19)に建て直されたばかりの駅舎だが、それ以前の駅舎もコンクリートの簡易的なものだった。だから寺院風の屋根となった現在の駅の方が大釈迦の名前にふさわしいかもしれない。ただしそれは国鉄末期に建てられたもので、それ以前の様子は調べても分からなかった

周辺は主に住宅街となっている

重要駅だった時代も

駅は2面3線。島式ホームには、駅舎に合わせた独特の屋根を持つかわいい待合所がある

かつては貨物の扱いもあったようで

今は使用されない側線が残る

さて現在の1日の利用者数は100人程度とみられる当駅だが、かつては重要な駅だった

五所川原と当駅は近いのだ。奥羽本線を経て五所川原に行くには川部での乗り換えとなるが、線路の形状は1度南側の川部に向かってから五所川原に向かうという遠回りとなっている。五所川原に最も近い奥羽本線の駅は大釈迦で、明治期は大釈迦駅から五所川原へと向かう馬車が出ていたという。大正期に入り、現在の五能線が開業したため、移動には列車が使用されるようになったが、それまでは青森へ向かうメインコースだった

地図を眺めないと、このショートカットは意外と思いつかない。とあるテレビの旅番組を見ていると、このショートカットのヒントが紹介され、調べてみると馬車で結ばれていたことが分かった次第。もちろん当時の道路事情に加えて馬車なので、17キロの道のりにどのぐらいの時間を要したのかは不明だが、交通の要衝としての役割を果たしていた時代もあったということを心に留めておきたい

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