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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~かつての終着駅には「海水浴場踏切」

※※訪問は2026年3月10日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)

油津と南郷の間にある駅

南郷から1駅戻って大堂津で下車。考えてみれば、同じ車両であるタラコのキハ40と北郷→南郷→大堂津と、まる1時間お付き合いしていることになる。ちなみにJR西日本の非電化路線でバリバリ現役として走るこのキハ40、47は、その色合いからタラコと呼ばれることが多いのだが、九州では何と呼ばれているのだろうか

そして最初に言ってしまうと、右手のホームの隣にある建物は宿泊施設である

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1年間の終着駅

当駅の開業は1936年(昭和11)。大正期に都城から志布志まで到達した志布志線が北上を始め、1935年に志布志~榎原が開業。翌年に大堂津までたどり着いた。地図を見ていただければ分かるが、南郷~大堂津間は細田川が蛇行して凄い地形を造っている。日南線もできるだけ橋が短くて済むように、陸地を最大限に活用して敷設されているが、川を挟んだ半島のような地域は、古代から陣の取り合いにもなった

この後、約1年間、油津まで延伸されるまで当駅は終着駅の役割を果たしていたが、現在は海水浴場の最寄り駅の約割が大きい。独特の地形は良い漁港と砂浜を生み出した

駅は

交換可能な2面2線

サムネの本来の駅名標のほかにも宮崎だいすきポケモンの駅名標がある

こちらが駅舎。駅舎というより待合所に近いが、2019年(平成31)からの新しいもの。それまでは開業以来の木造駅舎が使用される貴重な存在だったが、海に近いため老朽化も激しく、建て直された。無人化されたのはJR民営化のころとされ、長らく無人だったので新駅舎も待合所に近いものとなった

海へと向かう

次に乗る列車まで40分ほど時間があるので海へと向かう。駅のホームは海水浴場に面しているが、駅舎は逆側にあり、直接ホームから海へとは行けないため、少し回って線路を渡る。といっても大した大回りではない

北側の踏切から海へと向かう

ちょうど軽トラックが海の方向へと出ていった。この踏切を渡ると左手が漁港、右手が海水浴場だ

海と砂浜が美しい。3月なので海水浴の季節ではないが、いかにも南国の春という陽気で何人かが砂浜で遊んでいる

大きな施設のある規模の大きい海水浴場だ。夏場にはにぎわいを見せるのだろう

野外ステージもある。芝生の部分は手入れが行き届いている

もう1度海を眺めて南側の踏切から駅へと戻ろうとすると

踏切の名前は、そのまま「海水浴場踏切」。まさにそのままのネーミングだ

駅に戻ると、そこには志布志線から日南線へと生まれ変わり、その日南線が全通した1963年ごろに建てられた海の乙女像がある

夏のにぎわいの頃に訪れてみたい大堂津駅だが、現在の世の中、列車で海水浴に来る人は少数らしく、1日あたりの駅の利用者は両隣の油津、南郷に比べるとはるかに少なく、60人程度とみられている

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~棒状ホームの待機30分に現状を知る

※訪問は2026年3月10日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)

さまざまな行き先

あらためて南郷駅。野球の話ばかりで肝心の「重要ポイント」としての南郷駅について触れるスペースがなかったので、ようやく本ブログの本筋の話に戻る

日南線はさまざまな行き先のある路線だ。宮崎方面へは宮崎行きと、ひとつ手前の南宮崎行きの2種類しかない。南宮崎は日豊本線の日南線との分岐駅で、全列車が停車するので宮崎に向かう際、乗り換えを強いられても次の宮崎行きはすぐにやって来る

一方の志布志方面へは終着駅の志布志行き以外にも宮崎に近い方から青島行き、油津行き、南郷行きと4種類がある。90キロに満たない路線としては、バラエティーに富んでいる。先日まで紹介してきた小浜線は日南線とほぼ同じ路線距離(約84キロ)で、始発の敦賀を出た列車はほぼ東舞鶴行きの一択で、平日ダイヤは朝と夜に1本ずつ途中の小浜止まりがあるぐらいだ(他に1本、東舞鶴を越えての西舞鶴行きがある)。これを見て誰もが感じるのは、行き先順に流動が減っていくのだろうということだ

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時刻表で明らかな落差

こちらは南郷駅の時刻表

志布志方面と南宮崎方面で本数に明らかな落差があるのが分かる。南宮崎方面は11本の列車がある(赤文字は週末だけの特急なので除外)のに対し、志布志方面は8本。21本と18本ならば、それほどの格差は感じないが2けたギリギリで、この3本は大きい。ちなみに大きく3月14日のダイヤ改正の告知があり(最近は本数が減るのに改正という言葉はおかしいと、変更という言葉も使われるようになったが、ここでは改正が使用されている)、変更後の運行は11本と変わらない(ダイヤの中身は変わっている)のに対し、志布志行きは6本に減便された。さらに付け加えると、これまで1日1往復の快速「日南マリーン号」が夜の南宮崎行き1本だけとなり(旅の最初に田吉から乗車した昼間の快速が南宮崎への最終列車となった)、これまでは各駅停車だった飫肥~志布志間で速達運転が復活。駅によっては1日5・5往復となっている。今回日南線の各駅訪問を思い立ったのも、減便がダイヤ変更が理由だった

驚きの光景

訪問時は北郷駅12時14分発の南郷行きに乗車。南郷着は12時48分。旅程では、この後13時14分南郷始発の列車に乗って南宮崎方面へと折り返す

ここで驚いたのは、駅でそのまま待機して折り返すことだった

始終着が設定された駅で列車が30分後に折り返す景色は不思議なことではない。ただご覧のように当駅は棒状ホームである。隣に見える線路は旅客用には機能しておらず、レールもさびている。ここで30分待機ということは、上り下りどちら向けの列車もやって来ないということ

南郷駅は特急海幸山幸の終着駅となっているが、ホームの構造から1度2駅隣の油津まで回送運転を行い、出発時間間際にもう1度南郷まで戻ってきて出発するようにしているが、列車によってはこのような運行となっている。この列車はダイヤ変更でなくなったが、時刻表を見ると他の南郷止まりの列車では同様の措置が行われているようだ

人情的には、ここで30分も停まり続けるのなら、もう1駅2駅先まで行ってあげてもいいのではないかとも思ってしまうが、利用者数や運行の手間を考えると、これで十分ということなのだろう。日南線の現状を知らされた光景だった

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~どこからどこまでもライオンズ駅

※訪問は2026年3月10日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)

運行の重要ポイント

北郷から南下してやって来たのは南郷駅

北郷の次が南郷というのは、語呂合わせ的にできすぎな気もするが、もともとは日南市を挟んで北に北郷町、南に南郷町があった。2009年(平成21)に北郷町とともに日南市と新設合併しているので、まだ日南市となってから20年も経っていない

そして鉄道的には日南線の運行を語る意味で大きなポイントとなる駅だ

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インパクトが大きすぎる

ただし鉄道のことを語るより先に、こちらの駅は見た目のインパクトが強すぎる

先に駅舎の写真を掲載するが、そのまま西武ライオンズである

「プロ野球駅」といえば、2つ隣の「カープ駅」油津があまりにも有名だが、カープ駅となったのは2018年で、南郷がライオンズ駅となったのは2000年。つまり先駆者は油津で、駅紹介としてはその順番に行う方が話も分かりやすいが、ここは訪問順で南郷を先に紹介する。というか、こちらは基本的には鉄道ブログなので、日南線の運行を語る上では南郷をできるだけ早く取り上げる方が後の話が分かりやすい

話を時系列で追い直すと、ホームに降りると構内踏切の先に駅舎がある。この時点で「ライオンズ」のお出迎えがある。2本のレールがあるが、向こう側の線路は側線でレールもさびていることから、保線車の留置ぐらいにしか使用されていないと思われる

開業は1936年(昭和11)。まず都城から志布志までを結んだ志布志線が北上する途中での開業となった。最終的に志布志線が北郷まで延伸されて終着駅となったのは前記事で記した通り

現在の駅舎は戦後に改めて建て直されたコンクリート製でライオンズ駅のベースとなっている

内装も凝ったもの

駅舎内にはバッターボックスが描かれ

スコアボードもある

駅名板には当駅がライオンズ駅としてスタートした日の当時の辻発彦監督の署名がある

西武が当地で春季キャンプを行うようになったのは2004年から。当時、西武グループが、南郷駅が最寄りの日南海岸南郷プリンスホテルでの観光開発に力を入れていて、日南市となる前の南郷町がそこに乗っかる形で、地域活性化を目的にプロ野球のキャンプを招致する形となった

ただしプロ野球のキャンプ招致というのは、そう簡単なことではない

南郷スタジアムは徒歩で15分と駅からは比較的近いが、アクセスは別としてプロ野球のチームが1カ月練習するのだから、設備は必要だ。観客席やロッカールーム、事務室だけでなくグラウンドそのものをプロ野球仕様の大きなものにしなければならない。ブルペンもそれなりの人数が入れるようにしなければならないし、室内練習場も必要だ。かなりのお金と手間が必要なのだ。南郷町では、これを整備し、秋季キャンプ、春季キャンプと段階を踏んで西武の誘致を行った

これだけの手間がかかるのだから、逆に言うと出ていかれる方はもっと大変だ。私が四国で勤務していたころ、高知県では3チームがプロ野球の春季キャンプを行っていたが今はない。設備投資がムダになるだけでなく、プロ野球のキャンプにはファンや多数のメディアもやって来る。飲食店やコンビニなどの商店からタクシーまで落ちるお金も大きいのだ

南郷駅の改修を発案したのは地元の高校生だったという。改修の事業費は400万円で、費用は地元企業の協賛金やクラウドファンディングで集め、南郷も油津に負けていられないとの意気込みで改修が行われた、どこからどこまでもライオンズ駅となっている

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~山中にある長年の終着駅で想定外の昼食

※訪問は2026年3月10日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)

宮崎だいすきポケモン号で

時系列を元に戻す。日南駅から向かったのは北郷駅である

たまたま乗車したのが宮崎だいすきポケモン号の車両だった

説明については前々回に記した

そしてこちらの駅名標も

特別仕様である

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志布志線の終着駅

構内踏切を渡って駅舎へと向かう。かなり規模の大きいログハウス調の駅舎である

中もきれいに整えられている。ただしご覧のように窓口は板でふさがれ無人駅

それでも大きな駅舎は癒やしである。すべての駅を訪問した後で分かったことだが、実は当駅が路線内で最も大きな駅舎を有する(南宮崎駅をのぞく)。タクシー会社が入居している

北郷駅は1941年(昭和16)10月の開業。間もなく米国と戦争という時期だった

北郷駅は飫肥駅から広瀬川に沿って北上した約8キロの場所にある。都城から志布志を経て当駅までたどり着いたここが志布志線の終点となった。そして1963年の日南線の開業まで20年以上にわたって終着駅だった

何度も繰り返しているように、日南線は旧宮崎交通線と志布志線をつなぎ合わせたものだ。そのためか港町の油津から内陸部の飫肥そして北郷からは、日向灘に出る必要があり、そのため当駅から北は山中にトンネルを掘って結ぶ必要がある。地図を少し拡大していただけると分かるが、当駅から強引に海へと線路が通っている

その北郷駅はかつての北郷町の駅。現在は日南市だが、日南市と合併したのは2009年(平成21)と最近のこと。駅舎は1996年に現在の姿となった

とんだやらかしから

そして私はここで、とんだやらかしをしていることに気づく

それはこのポスターから

当駅到着は11時4分で、11時28分の南郷行きで再び南下することにしていたが、その列車は特急だったのである。もちろん18きっぷでは乗れないし、さらに言うと、この特急「海幸山幸」は週末のみの運行で、そもそもこの日は運行がなかったのである。なんでこんな単純ミスをしたのか自分でもよく分からないが、北郷駅が海幸山幸の停車駅だということを知らなかったことによる勘違いのようだ

どちらにせよしばらく列車が来ないことだけは確定した。ただ幸いなことに12時14分の南郷行きがある。南宮崎方面は13時51分までないので、乗車は12時14分に決定。以降の道程はこれから考えよう

そしてこの時間に1時間の空きとなると、ちょうどランチタイムとしたいところだが、なかなかそうはいかない。駅前にはいくつか店舗はあるが、少なくとも私の訪問時の昼間は営業していなかった。だが調べると思わぬ幸運。すぐ近くに道の駅があるのだ

なんて素晴らしい

北郷駅を見ながら踏切を渡ると

すぐ到着。そして私は昨年5月の日田彦山線BRTでの体験で

遅ればせながら、道の駅ではお弁当が安く売られていることを覚えた

昨年はお目当てのレストランが定休日だ困った末に弁当販売に気づいたが、今年は何も考えずにお弁当へ。日替わり弁当580円。3月10日とともすれば、まだまだ寒い日もある季節だが、さすが南国。この時間帯は気温も15度を超えて外での食事もいい陽気だった

少し休憩して駅へと戻る

かつての終着駅で、貨物の取り扱いもしていたことから構内は比較的広い。国鉄末期まで荷物扱いもしていたようだ

思わぬミスから、なぜかすっかり満足。次の駅を目指そう

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~わざわざ内陸部に鉄路がやってきた

※訪問は2026年3月10日

日南駅の後は隣駅を優先的に

飫肥駅に到着の様子。ふだんは道中も大切な記事の要素にしているため、駅の紹介は訪問順にしているが、前記事で日南駅を紹介したからには、飫肥駅か油津駅の少なくともどちらかを紹介しないと話がうまく進まないので、訪問順は日南駅のかなり後になった飫肥駅を紹介する

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要衝、城下町として栄える

まずは予備知識がないと、なかなか難読である。難読駅には大きく2種類に分かれていて「漢字そのものが難しい」「簡単な漢字なのに思わぬ読み」があるが、こちらは前者。ただし飫肥藩、飫肥城で有名な地域でもあるので、知識がある方も多いはずだ

地名については平安時代の文献にすでに登場していて「火に負わせる」「細長い帯状の土地」「肥沃な土地」などの説があるようだが、土地そのものの特徴を表した後者の2つは町の発展に大きく寄与した

駅の位置は町の中心から川を渡った場所にある。地図だけで分かるが、酒谷川が「ひ」の字を描く場所にある。敷設の際は川を2度も渡ることが手間だったのと、すでに街ができていて線路が入り込む余地がなかった2つの理由が考えられる

この独特の地形が町を発展させた。まず都城と港町の油津を結ぶ中継地だった。ここから川を下ると油津の港に出る。川のおかげで土地は肥沃である。そして何よりも川が生み出す地形は天然の要塞として重宝された。豊臣秀吉が全国統一を果たすまで、伊東氏と島津氏が100年にもわたって攻防を繰り広げた100年戦争の場所にもなった。江戸時代から明治維新までは長く伊東氏の飫肥藩としての安定した治世が続き、交通の要衝として九州の小京都と呼ばれるほどの発展を遂げた

ここでようやく鉄道の話となるが、志布志から伸びてきた線路が飫肥までやって来たのは1941年のこと

日南線(当時は志布志線)は南郷から油津までは海沿いを走るが、油津から突然進路を山中に向かってとり、飫肥へと向かうのだが、飫肥は外すわけにはいかない重要な町だった

飫肥の駅舎も飫肥城を模した立派なものとなっている

市民のとった選択

そして前記事からの日南駅、油津駅との関係に戻る

市町村合併の際に飫肥町と油津町がもめ、折衷案としてその間にあった吾田駅に市役所を設置したのは、前記事で記した通り。2つの町が対立した結果の折衷案としては、動橋駅~大聖寺駅の間の加賀温泉駅(北陸本線)や西那須野駅~黒磯駅の間の那須塩原駅(東北本線)が有名だが、これはどちらの駅に特急を停車させるか、新幹線の駅を設置するかの対立に困った鉄道側も間に入っての案だった。それに対し、日南駅の誕生(改名)は市民、町村の話し合いによって生まれたもので、主役が異なる

こちらは駅舎内の様子。日南市の簡易委託駅でベンチとテーブルは飫肥杉を用いたもの

駅名板にも飫肥杉が利用されている

1950年という戦後間もない時期の市町村合併は、後の自治体合併のモデルのひとつにもなったという

当駅に来た時間はすでに夕刻になろうとして高校生が下校する時間にもなっていた

飫肥、日南、油津の3駅だけで、古代から現代までの歴史を学べるのである

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~駅と地域の成立を知る

※訪問は2026年3月10日

快速で1時間、日南駅へ

田吉での乗車から1時間と3分かけて日南駅に到着。田吉から乗車したのは快速「日南マリーン号」。当時は1日1往復の運行で下りは午前、上りは夕刻の運行だったが、現在は下りのみの運行となり、時間も20時台と旅人はなかなか乗車しづらい時間となっている。当時の停車駅は日南の手前の飫肥(おび)まで快速運行で飫肥以南が各駅停車だった。「降り鉄」としては途中の通過駅では下車できない列車なのだが、これを逃すと2時間列車がないので強制乗車となる。もっとも今回の旅の優先事項は日南線の鹿児島寄りの閑散区間なので一気に日南まで運んでくれる列車だ。ちなみに日南までの到達時間は普通よりも20分ほど早く着くことができる

ご覧になれば分かるが、かつては2面あったホームが今は棒状化されている

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駅名標に注目

下車してまず目をひくのが駅名標

随分と派手だ。これからもいくつかの駅で登場するので先に説明すると、「宮崎だいすきポケモン」に任命されている「ナッシー」と「アローラナッシー」を描いた列車が2024年12月に運行を開始。その際に7駅がキャラクター駅名標に変更された。サムネの駅名標は駅舎のホーム側に掲げられたものだ

日南駅の駅舎。基本形は昭和30年代の国鉄コンクリート駅舎だが、正面部分に飫肥杉を使用した駅名板を設けるなどして2020年に大幅なリニューアルが施された

駅舎内も美しく変更

日南市が簡易委託する有人駅できっぷ売場の窓口のほか、コミュニティースペースは待合室としても利用できる。さすが日南市の代表駅としてのたたずまい…と言いたいところだが「代表駅」との表現は微妙に違うかもしれない

紆余曲折の末の「日南駅」

その説明の前に、まずは当駅の歴史を紐解かなければならない。開業は1941年(昭和16)。国鉄の志布志線の一部として開業した。田吉駅の記事でも説明した通り、現在の日南線の北側は、かつての宮崎交通線の路盤を利用した区間だが、北郷~志布志はかつての志布志線区間となっている。志布志線とは1987年3月と国鉄民営化の直前に廃止された路線で、日豊本線の西都城と志布志を結んでいた。まず大正期に西都城と志布志が結ばれ、昭和になって志布志から北上するように北郷まで延伸された。当駅はその過程で設置され、駅名は「吾田」だった

戦後の1963年になって宮崎交通線部分と志布志線の北郷~志布志間がつなげられ、新たに日南線が誕生。そして全国で国鉄線が相次いで廃線となる中、志布志線は廃線となり、もともとは志布志線だった日南線の志布志以北は生き残るという運命をたどった。もし日南線が誕生していなかったら…という話である

そして日南駅のたどった軌跡も日南線とオーバーラップしてくる

日南駅を降りると大通りがあり、すぐの場所に日南市役所があるが、前述した通り、日南駅は開業時は吾田駅だった。それは吾田村に所在したからである。戦後間もなく周辺自治体同士の合併話が持ち上がった。その際、かつて城下町として栄えた飫肥町と漁港など経済の中心地として栄えた油津町との主導権争いとなり、どちらに役場を置くか、自治体名はどちらをとるのかで大いにもめた。最後は折衷案としてその間にあった吾田町(村から町となっていた)に役場を置くことで合意。1950年に日南市が誕生して2年後に駅名も日南駅と改められた。日南というのは日向の国の南という、その時に作られた新たな都市名。プロ野球のキャンプ地としてメディアに登場することの多い日南市だが、実は地名そのものから苦労と知恵を持ち合った産物でもある

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~25年の雌伏から復活した駅とスイトピー

※訪問は2026年3月10日

間に合わなかった場合は

宮崎空港から1駅。田吉駅に到着。宮崎空港線はわずか1・4キロの路線なので出たと思ったら着く。ただ前記事で記した通り、乗り継ぎを考えると、この電車に間に合ったことは大きな意味を持つ

もしこの宮崎空港発8時32分に乗れなかったら、どうするつもりでいたか。答えは簡単

約2キロの道程を歩くことにしていた。この区間は路線バスも走っているのだが、私の行程には合わなかった。目的の日南線列車の田吉発の時刻は9時20分なので時間はたっぷりある。ただ旅の最初に飛行機を降りていきなり徒歩というのは、ちょっとやっていない気がする。そもそも空港からの移動に徒歩という手段をとったことはなかなか記憶にない

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利用者少なく廃止も

田吉駅は公式には1996年(平成8)の開業。ただし1度廃止されてから四半世紀を経て復活した歴史を持つ。もともとは1913年(大正2)に宮崎交通線(当時は宮崎軽便鉄道)の駅として開業したので実は生誕から110年を超えている。今後の記事でも触れていくが、日南線の北側はかつて南宮崎(開業時の駅名は赤江)からの宮崎交通線の路盤を引き継いだもので、駅もおおむね引き継がれているが、1962年(昭和37)に宮崎交通線が1度廃止され、翌年に国鉄の日南線が開業すると、田吉駅も装いを新たに開業した。だが、利用者が低迷したことで、1971年には廃駅となってしまう。このまま時は過ぎていったが、1996年に復活を遂げる。同年に宮崎空港線が開業。その分岐駅としてカムバックしたのだ

無人駅で小さな待合室とも言っていい駅舎と島式ホームだけの駅。ここから志布志寄りで日南線と空港線が分岐するが、南宮崎からの日南線の電化区間はここまで。電車はあくまで宮崎空港線のもの

こちらが訪問当時の時刻表。宮崎方面は日南線と空港線の両者が乗り入れるので本数はもちろん多いが、これだけを見ると日南線も空港線も同じような本数に見えるが、空港線には田吉を通過する特急も走っているので、空港線の方が本数では勝る。ちなみにこれから乗車するのは快速マリーン号(当時)で、途中駅のいくつかを通過し、10時37分の特急は基本的に週末の運転なので、普通列車については3時間以上、快速を入れても2時間運行のない時間がある。そして行き先は青島、油津、南郷と細かく設定があるが、終点の志布志まで行く列車はごくわずかである

ホームの向こう側つまり空港側には建物に制限もあって農地が広がる。1日の利用者数は狭いホームでも分かるように数十人程度とみられるが、空港と逆側の県道沿いにはロードサイド店のほかにスーパーもある比較的大きな街が広がっていて、駅が廃止になってしまうレベルものではない。昭和40年代以降、車社会が浸透していって拡大したものだろう。また当駅は南宮崎にもそう遠い場所ではないことも利用者の少ない要因になっていると思われる

旅の最中の圧倒的一番人気

さて私は旅に出ると3時間おきぐらいにXで状況を投稿するようにしているが、今回の旅で圧倒的な一番人気を獲得したのは、こちらだった

「赤江地区だからあかえスイトピー」。これはなかなか刺さった。どういう工夫があるのかはあえて書かないが

まだスイトピーの季節ではなかったが、これは私の世代にはあまりにもハマリ過ぎだった。かなり気分をよくして、ようやく日南線の旅の本格スタートである

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~宮崎空港ではほぼダッシュで

※訪問は2026年3月10日

まだ暗い三ノ宮駅から

始発で降りた5時半の三ノ宮駅はまだ真っ暗。それでもそれなりの人が乗っている。今回は大阪(伊丹)空港から宮崎へと向かう。目的は宮崎空港からの日南線である

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あらかじめ18きっぷも用意して

空港に移動して7時になると、すっかり夜明けを迎えた

宮崎行きの飛行機は7時15分発である。今回は日南線の各駅訪問を行う。なぜ日南線かというと、3月14日のダイヤ変更(改正とは言わない)での減便が発表されていたからだ

日南線は日豊本線の南宮崎から分岐して鹿児島県の志布志へと向かう路線で全長89キロ。大きな地図を見ると、海沿いを走る風光明媚なローカル線のイメージがあるかもしれないが、こうして見ると海沿いを走る区間は意外と少ない。南宮崎から南下していくと、有名観光地の青島あたりまでは海沿いを走るが、その後はどちらかというと内陸部を走る。また青島までは、まるで私鉄のように細かく駅が設けられているが、青島を過ぎたあたりからは駅間距離も長い

この2つのポイント「途中までは海沿いを走り私鉄のように駅が多い」「青島あたりから駅間距離が長くなり内陸部を走ることが多い」が、日南線の歴史と特徴なのだが、そちらは順番に触れていこう

旅程は3日間

あらかじめ青春18きっぷを用意しておいた。今回は優等列車だけの日南線(厳密には週末に観光特急が走るが今回は無縁)のみの利用なので18きっぷだけで十分である

運命を分ける飛行機の到着時間

18きっぷを全日までに購入したのには理由がある。宮崎空港でのJR接続が微妙なのだ。時刻表では8時20分の到着予定で宮崎空港駅での南宮崎方面の列車は8時32分発。ただご承知のように列車とは違って飛行機というのは到着して5分後に駅の外に出られるというものではない。機外に出るにも時間がかかるし、ロビー通り抜けにもそれなりに時間がかかる

飛行機は無事にほぼ定刻で着陸したが、ロビーへと移動する通路から宮崎空港駅が見える。この時点で8時25分。あと7分しかない。ここから外に出て回り込むと結構な距離があることを過去の経験で知っている

宮崎空港駅からは宮崎駅へ向けて宮崎空港線が出ている。この空港線は帳簿上は隣駅で日南線との分岐駅でもある田吉駅までの総距離1・4キロとJRで最も短い路線として知られるが、実質は田吉から日南線に入って日豊本線と日南線の分岐駅である南宮崎から宮崎と進む運用となっていて空港線のみで完結する列車は走っていない。またこの区間は電化されていて、日南線は南宮崎~田吉の1区間だけが電化区間となっている

行ってみると分かるのは日南線の冷遇ぶりだ。宮崎空港には大分方面からの特急も乗り入れ、特例として宮崎空港~宮崎間は特急自由席に乗車券だけで乗れる特例が設けられているが、この特急は田吉には停車しない

そればかりか、この時のダイヤだと8時32分を逃して次の9時20分に乗ると、田吉到着は9時25分で、その田吉では9時19分発の志布志行きが出発したばかり、次の志布志方面は11時25分までないという、なかなか悲惨な状況になってしまう。つまり何とかして8時32分に乗るか、乗れなければ別の手段で9時19分までに田吉駅まで行かなければならないのだ(3月のダイヤ改正で若干状況が変化している)

自分の立てた道程では順調に行けば、3日目のお昼ごろには全駅訪問が終わるのだが、それにはこの最初の関門を突破しなければならない。もっとも乗れないことも考えて3日間で全駅というゆったり計画にしたのだけれど

超早歩きで、あと3分という時点で駅までたどり着いた。実はこの写真は2024年4月のもの。サムネ写真もそうだが、のんびり写真を撮る余裕はないのである

2年前のことは忘れてしまったが、写真を見返すと最初から8時32分など眼中になかったようで、のんびりと時間を潰し宮崎空港駅で2種類のきっぷをゲット

悠々と日豊本線の青井岳駅に行ったようだ

とにもかくにも最後はダッシュで何とか間に合った。ここまで来れば駆け込み乗車にはならなかったが、しばらくゼーゼーしていた私は奇異な目で見られたことは間違いないだろう

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羽衣界隈から堺までを再確認してみた~鉄道会社同士による仁義なき戦い

※訪問は2026年4月18日

古いアルバムから

2017年9月15日の写真が出てきました

こちらは鳳駅。このころは支線(羽衣線)のみ103系の運用。この半年後に置き換えがあったので貴重な写真に

東羽衣駅。今や羽衣駅のランドマーク的存在になっているホテルが工事中だったことを写真で知った

本文には関係ないが、この時は遅い夏休みをとっていて(まだサラリーマン時代)、このまま南海に乗って和歌山市駅へ行き、和歌山駅へと移動し御坊から紀州鉄道に乗車。御坊に戻り特急で新宮で下車して現地泊。翌朝は熊野市駅まで移動してJR東海の16私鉄きっぷを購入(新宮では買えない)して多気駅で乗り換え鳥羽へ。鳥羽で折り返し名古屋経由で静岡泊。身延線で甲府から小淵沢経由で小海線に乗車。小諸からしなの鉄道に乗って長野で泊まり、翌日は軽井沢まで出て、あえてバスで横川へと向かい高崎線で延々と東京を目指して新幹線で帰るという、今の体力気力ではとてもできない濃い旅を行っていて写真を見返し自分でもビックリした

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後発の阪和電気鉄道の仕掛け

阪和電気鉄道と東羽衣駅についてはこの時も少し触れているが、南海の国有化拒否にあって困ったのは国側で、肝心の和歌山から大阪までがつながらないのでは紀勢本線の意味が全くなくなってしまう。「では」と立ち上げられたのが阪和電気鉄道。国鉄との相互乗り入れを果たす前提で天王寺から東和歌山(現和歌山)が突貫工事で建設され、1930年(昭和5)に全通した。大阪側の起点も国鉄の天王寺駅に隣接する形でもうけられた。海沿いの主要都市を南海に押さえられているため山中を進むしかない分、スピードを重視して最初から複線電化という画期的な開業だった。それでも私鉄のたたずまいはターミナル駅の雰囲気を残す天王寺駅のほかにも残っていて、待避駅は国鉄ならではの2面3線ではなく2面4線構造となっているのは、名残である

立地的に不利な阪和電気鉄道は南海に対抗すべく、遊園地の開業、新規住宅地開発、競馬場開設と人を集められそうなことは何でもやった。そこで目を付けたのが南海の羽衣駅の西側に広がる、当時東洋一と言われた浜寺の海水浴場だ。「あの客を奪ってしまえ」と敷設されたのが羽衣線。阪和電気鉄道は1929年に天王寺から和泉府中までが開業したが、同時に支線も開業した

当時は地上駅で、最初に挙げた2017年当時はまだ南海の踏切は残っていたが、踏切の真ん前に堂々と新駅を設けたのだ。駅名はズバリ「阪和浜寺」。明治来の南海の浜寺公園駅(開業時は浜寺駅)は羽衣から北へ800メートルほどの隣駅だが、駅名そのものもちゃっかり「失敬」。ちなみに開業日は7月18日。まさに海水浴シーズンにぶつけたのだ。南海の踏切の向こう側には東洋一の海水浴場でにぎわっている。釣りでいうところの入れ食い状態だ。鉄道駅や路線ができる理由としては寺社仏閣への参拝や温泉が知られるが、娯楽の少ない当時は海水浴も柱のひとつ。マイカーもない時代である。今も全国には海水浴場最寄りの駅がいくつもある

もちろん南海も黙って看過していたわけではない。海水浴客が少しでも不便に感じるよう踏切で電車を徐行運転させて「開かずの踏切」をあえて作り出した。利用者にとってはいい迷惑だが、共存共栄の精神などはこれっぽっちもない抗争だったのだ。実際に両社の社員が踏切近辺で「武力衝突」したという伝説も残る

もちろん今は共存共栄で、互いに車内アナウンスで乗り換え案内が行われる。JRと南海の両駅は、つい最近のことだがペデストリアンデッキで結ばれた

おかげで駅名板はすっぽり隠れて遠くからは見えなくなってしまったが利便性優先である

戦時色が強くなった1940年に阪和電気鉄道は南海に吸収合併される。レジャー施設も次々に休止。戦時中の1944年には国有化され国鉄阪和線に。わずか10年ほどしか存在しなかった阪和電気鉄道という会社だが、大いなる遺産を残していることは、この支線ひとつをとってもよく分かる

関西空港へは南海とJRが線路を共有している。QRコード乗車の登場によって両社ともに使えるフリーきっぷも発売された。たった10年の2つの鉄道会社の密度の濃い抗争史を紐解くと、隔世の感という表現がピッタリ来る

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羽衣界隈から堺までを再確認してみた~唐突感ありありの支線羽衣線から

※訪問は2026年4月18日

昨年の川底トンネルから1年

お昼前の時間。天王寺から阪和線に乗車して約15分

鳳駅に到着。ここでX(旧ツイッター)のフォロワーしんさん(@sin103neko)と合流。昨年の暮れに上六で一杯(というか何杯も)やって以来だが、ともにウロウロするのは

昨年5月に、大阪の隠れ名所である安治川トンネルを歩いて以来のこと。あれから季節がグルリ1周したかと思うと1年は早い

今年はどこに行こうかと話し合っていて、しんさんから提案を受けたのが羽衣を中心とした散策。そういえば高師浜線は工事運休前に訪問して復活後も乗っていない。それは、ぜひぜひということで今回の訪問となった

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やはり支線からスタートしないと

南海の羽衣駅から分岐している高師浜線に乗車するのだから、南海で羽衣まで行けばいいと思うかもしれないが、ここはやはり阪和線支線で鳳から東羽衣まで行くのが「通」(オタともいう)だろう

阪和線の支線で羽衣線という通称も持つ。鳳駅では専用ホームから出発するが、ご覧のように次の駅が終点の東羽衣。距離はわずかに1・7キロ。徒歩でも問題はない距離。出発したと思ったら到着する

ハイ終点。そこには車止めがあって先には行けないし、線路が延伸される予定もない。そこには南海の羽衣駅がある

今でこそ貴重な連絡線だが

こちらは駅にあった振替輸送用の案内図だが、阪和線と南海本線の位置関係が分かりやすいので掲載してみる

南海と阪和線は途中一切交わることなく、なんばと天王寺から和歌山を目指す。和歌山も南海の和歌山市駅と和歌山駅は離れている。2つの和歌山駅については説明を始めると長くなるので今回は触れないが、ここで目立つのは鳳~東羽衣の支線の存在。こうして見ると「なぜここだけ?」との唐突感さえある。しかも戦前から存在する路線だ(関空とを結ぶ両社の空港線はもちろん近年のもの)

実際に両社に乗っていると堺や岸和田あたりで連絡線があれば便利なのに、と思うが。連絡路線はここ羽衣線だけ。というのもこちらは利便性のためにできた路線ではないからだ

大阪と和歌山を結ぶ鉄道は、かつては南海しかなかった。1903年(明治36)には大阪~和歌山(なんば~和歌山市)で早くも全線開通している。両都市を結ぶだけでなく、沿線には人口も多く、古くからの街や港があったため利用者はどんどん増えた。優良企業だった

そのころ紀伊半島に敷設が進められていたのが紀勢本線。部分ごとに開業し、現在の和歌山駅ができたのは大正も終わりになったころ。将来的には鉄道国有法を持ち出して南海を国鉄にすれば大阪まで鉄路はつながる…と関係者が思い込んでいたところで、大いにもうかっていた南海が国鉄にされてしまうことを強硬に拒否。これが阪和線の誕生へとつながっていく

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