私鉄

由利高原鉄道に初乗車5~まごころ列車に見送られ

由利高原鉄道に乗車するとおひなさまの出迎えがあった

2023年3月4日9時40分

「おひなさま」のお出迎え

話は若干前後しますが、曲沢から子吉に迎う列車に乗り込むと出迎えてくれたのは

おひなさま

事前に知識を入れていなかった私はビックリしてしまいました

「おひなっこ列車」で車内は華やかに彩られています。幸運なことに、子吉からの列車も当該車両。矢島から羽後本荘までも、もちろんこちらだったので楽しかったです

さまざまなイベント列車

由利高原鉄道では四季を通じてさまざまなイベント列車を走らせています

私の訪問時はこちらの、おひなっこ列車でした。その他にも「こいのぼり列車」「たなばた列車」「かかし列車」「ハロウィン列車」「クリスマス列車」が季節ごとに運行され、その他にも有料の「納涼ビール列車」「忘年会列車」などが運行されています(詳細は同社のホームページで)

おひなさまは由利本荘市の江戸時代の3つの藩「亀田藩」「本荘藩」「矢島藩」に「ひな街道」に基づくもの

実は今回、矢島藩は四国の高松から転封されたものだということを初めて知りました。高松には2年半ほど勤務していて、それなりに知識はあったつもりですが、高松藩というのは当初から松平家=徳川の親戚の藩だったとずっと思い込んでいました。元々は生駒氏の藩だったものが、幕府のおとがめを受け、引っ越しを余儀なくされたのですね。しばらく当主は江戸にいたそうですが、高松から矢島への引っ越しは大変そうです。有名すぎる栗林公園も当初は生駒氏によるものだったとか。各地を巡ると60歳にして、いろいろ勉強になります

まごころ列車に乗車

雪の中、発車を待つ列車

由利高原鉄道鳥海山ろく線では

矢島発9時40分→羽後本荘着10時21分

羽後本荘発10時55分→矢島着11時34分

の午前中1往復を「まごころ列車」として運行しています(水、木を除く)。アテンダントが乗車して沿線案内をしてくれるほか、グッズ販売や記念品配布もあります

大変にぎわっていました

グッズについては由利鉄中華そばとか欲しかったのですが、鉄道旅のつらいところで、旅の途中では、なかなか荷物を増やすことができません

でも、かわいい乗車記念グッズをいただきました

曲沢駅の項で「鳥海山は見えなかった」と記しましたが、実を言うと初めての地なので、どれが鳥海山か、よく分からなかったというのが実情。アテンダントの方が「残念ながら今日は鳥海山は見えません」とアナウンスしてくれたので分かった次第です

車窓の雪景色は徐々に消え、羽後本荘に到着しました

第三セクターというのは「民業を圧迫する」との理由で副業ができません。駅前や観光地に土地を有していても、そこにホテルを建てて経営する、というのはできないわけです。かつて国鉄を苦しめた理由のひとつでもあります

このため、各地方の三セクでは、さまざまな工夫を行って企業努力をしています。短い時間ではありましたが、そんなことを強く感じ、そして楽しかったひとときでした

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由利高原鉄道に初乗車4~本社所在地の終着駅は木造新築

矢島駅の駅名標

2023年3月4日9時30分

終点は元の矢島町の中心駅

鳥海山ろく線の終着駅である矢島に到着しました。写真で分かる通り、周辺は雪に包まれています。そしてこれもまた写真にある通り、同線の車両基地があります

大きな駅舎は2000年に新たに建てられたもの。新駅舎ながら森林の地らしく木造駅舎になっているのがポイント。最近の新駅舎で木造というのは、なかなかないので貴重な存在です

元々は支線予定

国鉄矢島線時代の駅名は「羽後矢島」で開業は1938年。香川県の観光地である「屋島駅」があったため、国名が冠されたといいます。三セクの鳥海山ろく線になった際に矢島駅となりました

駅は旧矢島町の中心地にあります。平成の合併で沿線はすべて由利本荘市となりましたが、三セク転換時は本荘市、由利町、矢島町の3つの自治体を走っていました。由利町の中心駅が前郷駅で、横荘鉄道の構想では、ここから横手に線路が伸びることになっていて、横手と羽後本荘が線路でつながった際に旅客や木材運搬で必ず重要になるだろう、ということで1922年の羽後本荘~前郷が開業してから15年以上が経って前郷~羽後矢島が開業。いわば支線のように敷設されたのですが、羽後矢島駅の開業直前に国鉄買収され、路線名称も矢島線と決まってしまいました。横手側からの路線は国鉄とはならなかったことが運命の分かれ道ともなり、間もなく戦時体制に入ったこともあり、線路はつながることはなく、横手側からの線路は戦後に廃線となりました

現在の由利本荘市の誕生によって三セクは秋田県と由利本荘市が主要株主となっています

ギネス記録も

今回利用したのは週末に販売される「楽楽遊遊乗車券」というフリーきっぷ。お値段は1100円で羽後本荘~矢島が片道610円なので単純往復だけで十分に元が取れます。沿線の施設や飲食店での割引特典もあり

駅にはギネス記録の記念板もあります。これは2015年11月3日に埼玉県の川越工業高校の生徒さん13人が単一電池のみで動く「電車」を製作。パナソニックの単一電池600個を使用した電車が前郷~矢島間を往復。時速10キロというスピードながら生徒やギネス認定員ら9人を乗せた乾電池列車が22・615キロを走り乾電池車両による20キロ超走行のギネス記録を達成したことを記念したもの。元々、乾電池を使用した電車が普通の線路を走行した例はなく、往復2時間47分をかけて走り切りました

矢島駅にはグッズ売り場もあり、横荘鉄道の開業から100年を迎えたことを記念した6駅の入場券セットを購入。なかなか満足度の高いものとなりました

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由利高原鉄道に初乗車3~駅?郵便局?

子吉駅に入居しているのは玉ノ池簡易郵便局

2023年3月4日8時20分

どこからどう見ても

曲沢から羽後本荘へ戻る形で子吉で下車しました。こう見ると普通の駅の光景と何ら変わりませんが、外に出ると全く異なる風景に出会える

これはどう見ても郵便局以外の何ものでもありません。駅舎の中に郵便局が入居しているユニークな駅です

大正期の開業時に開設

子吉駅は1922年の横荘鉄道開業時に設置された古い歴史を持ちます。長らく旧駅舎が使用されてきましたが2011年に現駅舎に改築。郵便局が駅舎に入居しました

こちらは駅舎内の様子。玉ノ池簡易郵便局が入居しています

土曜日ということで郵便局はお休み。駅の待合室のみの機能。もちろん時刻表や運賃表も掲示されています。集札や出札は行っていないようですが、ぜひ郵便局が開いている時間に訪れたいもの

駅の前を走っている国道からは駅と郵便局、どちらも分かりやすく表示されている

新駅舎が誕生した際に植樹が行われたようで、10年以上が経っているとはいえ、まだ木としては幼いようです

駅を離れます。子吉は羽後本荘から2駅目。羽後本荘まで行って折り返してきた列車なので同じ車両になりますね

駅舎に郵便局が入居する例としては内房線(千葉県)の江見駅もあります

こちらは昨年12月訪問時のもの。その時も残念なことに週末で郵便局は開いていませんでした。当駅は業務委託駅で、郵便局の開いている時間帯は駅業務を行っています

再び車窓は雪景色

このまま終点の矢島へと向かいます

もちろん最初に訪れた曲沢も通過しますが、ふと気付くと

車窓はすっかり雪景色。昨日の午前中に青森県で見た光景に再び会うことになりました。鳥海山ろく線は全長23キロで、それほど長い路線ではなく、真ん中あたりの曲沢でも雪はほとんど消えていたのですが、こんなに景色は変わるのですね。ちょっと感動しました

そして矢島駅に到着です

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由利高原鉄道に初乗車2~農地にポツンとたたずむ駅

2023年3月4日8時

全12駅の旅

羽後本荘駅の0キロポストに見送られて出発です

由利高原鉄道は全長23キロ、羽後本荘も含め12駅の路線で非電化単線。全線乗車しても40分ぐらいの行程です

ほとんど廃線が決まりかけていた矢島線を地元の皆さんの努力で三セクとして生き残らせてから、もう40年近くが経とうとしています

大きなテーブルがあって観光仕様にもなっている。後で気付かされるのですが車両によっては、いろいろな装飾や工夫が行われています

本当に何もない絶景駅

約20分で曲沢駅に到着。三セク転換後に新設された駅で、わざわざ新設するからには学校があったり、会社や公園などの公共施設があって、その利便性を図るためのものが多いのですが、この駅の特徴は「周囲に何もない」ことです

ホームへは道路から通路を歩いて入ります。写真で分かる通り、周囲は本当に何もありません

グーグル地図でも何も記入されていません。地図をいくらズームしても、やはり何もない

1面だけのホームにはポツンと待合室があるだけ

待合室に掲げられた駅名板も年季と風雪を感じさせるものとなっています

駅の設置理由は「絶景」です。360度パノラマ(由利高原鉄道のホームページでよく分かります)で鳥海山の美しい姿がよく見える

「何もない駅」としてテレビで紹介されたところ、話題になりました。1日の利用者は1人とか2人とか。フリーきっぷの利用者はカウントされないはずなので、駅に降り立つ旅客は私のような鉄オタか、撮影をする人がほとんどだと推測されます

ただ、これまた日頃の行いなのか、当日はスッポリ雲に覆われて見えない状態。なかなか行けない場所なので本当に残念でした

それでも最近ならいざ知らず、平成元年にこのような駅を意図的に開設したのは、なかなかのアイデアだと思います

出発の時間となりました。また違うデザインの車両がやって来ました。次の駅に向かいましょう

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由利高原鉄道に初乗車~名称は鳥海山ろく線

羽後本荘駅の駅名標と由利高原鉄道の車両

2023年3月4日7時20分

羽後本荘に宿泊

前夜は18時前に羽後本荘に到着

羽後本荘の駅名標です。そのままホテルへ

一夜明けた羽後本荘駅。朝の7時過ぎですが、曇っていてまだ薄明るい。立派な橋上駅舎が2年前に完成。それまでは昭和50年代に改築されたコンクリート駅舎でした。旧本荘市で現由利本荘市の代表駅。特急も停車する管理駅ですが、前記事の岩城みなと駅の項でも触れた通り、有人ながら窓口はなくきっぷ販売は指定席も発券できる自動券売機となっています

待合室に過去の写真とともに羽越本線の周辺駅の歴史も掲示されています

現在は羽越本線の一部が1922年の羽後本荘駅開業当時は陸羽西線だったことが分かります。そのひとつ下に耳慣れない「横荘鉄道」という文字が見られますが、これこそが今から乗車する由利高原鉄道の元になったものです

スタートはJR駅の一部から

改札内は同じになってしまうのですが、JRと由利高原鉄道は別の改札口となっています。そして由利高原鉄道には窓口はちゃんとある

羽後本荘駅は4線のホームを持っていますが、1~3番線をJR、4番線を由利高原鉄道が使用します。すでに発車準備は整っていますね。会社名は由利高原鉄道、路線名は鳥海山ろく線。JRに乗って当駅に向かうと到着時には「鳥海山ろく線はお乗り換え」とアナウンスが入ります

歴史ある23キロの第三セクター

由利高原鉄道は羽後本荘駅から山中に入り、終点の矢島駅を結ぶ23キロの三セク

国鉄末期の1985年に国鉄「矢島線」が三セク転換されました

歴史は古く、先述した横荘鉄道が羽越本線の全通(1924年)より先の1922年に羽後本荘~前郷を開通させました(陸羽西線から羽越線に名称が改められたのは1924年)。1922年といえば大正11年ですから歴は相当古い

ならば「横荘」とは何なのか、という話になりますが「荘」は羽後本荘だと容易に察しがつきますが、「横」はというと奥羽本線の横手です。横手と羽後本荘の両方から線路を伸ばしてつなげる予定で、横手側からの方が先に工事が始まり、昭和初期までには順調に線路が延びていき、前郷で接続された後の繁栄も考慮されて前郷~矢島も延伸開業されたほどでしたが、日本各地の未成線と同じく、戦時体制とともに工事は中断。その後、線路が結ばれることはありませんでした

路線にとって不幸だったのは、矢島延伸(1937年)間近になって横荘鉄道は国有化され「矢島線」となったにもかかわらず、横手からの路線は国有化されず、名称も羽後鉄道から羽後交通横荘線となったものの、天災などの不運もあって徐々に路線は縮小。1971年に全線が廃線となってしまいました。現在は横手と羽後本荘をバス路線が結んでいます

矢島へ出発

残念ながら時間の制約があって今日は、それほど多くの駅で降りることはできませんが、全線乗車は果たすつもりです

由利高原鉄道側から見たの駅名標は鳥海山ろく線仕様となっています

乗り込むと約20分で

曲沢に到着。ここはぜひ降りてみたい駅でした

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新幹線単独駅巡り再び~日本に5つの自治体

いわて沼宮内駅のIGRいわて銀河鉄道の駅名標

※新幹線単独駅ではありませんが初訪問なので記事に加えます

2023年3月2日15時50分

「いわて」の付いた由来

盛岡で乗り継ぎに余裕があったので一度駅前のホテルにチェックインしてから再び駅へと戻り、再び新幹線に乗車。いわて沼宮内に到着です

東北本線時代は沼宮内という名前で2002年に東北新幹線が盛岡から八戸まで延伸された際に駅名変更となりました

3階建ての立派な駅舎はその時に完成しました。岩手広域交流センターにの中に駅が設けられている形になっていて駅の中の人は多い

「いわて」の名前ですが、一見すると「岩手県」を想像してしまうかもしれませんが、ちょっと違う

駅前の像で分かる通り、ホッケーに力を入れている岩手町の「いわて」。当駅が岩手町の代表駅であることを分かりやすくするため「いわて」の3文字が入りました

駅前の岩手町の案内図。都道府県名と同じ市町村名でありながら県庁所在地でないという自治体は日本に5つあって、そのひとつ。他は茨城町、栃木市、山梨市、沖縄市です。ちなみにメディアには「県庁所在地を報じる時は県名は略する」というルールがありました。つまり盛岡市での出来事を報じる時は「盛岡市で行われた○○」、岩手町での出来事を報じる時は「岩手県岩手町で行われた○○」と表記されるわけです

JR東日本の新幹線駅で最小

こちらは新幹線の改札口。随分コンパクトですが新幹線駅の利用者はコロナ前でも1日に150人程度でJR東日本の新幹線駅では最小の利用者

これは到着時のホームの案内表示ですが、次の列車が2時間後、その次も2時間後

駅の時刻表を見ると2時間に1本の停車で、始発も遅め。東京へもっと早い時間に行きたい場合は、IGRいわて銀河鉄道に乗って向かうことになります。このあたりは本数が少ないから利用者が少ないのか、利用者が少ないから本数が少ないのか微妙なところですが、IGRいわて銀河鉄道でも30分で盛岡まで行けてしまう近さも本数の少ない理由のひとつになっていると思われます

急な吹雪で厳寒に

私も盛岡に戻りますが、新幹線を待つよりIGRいわて銀河鉄道の方が早いので、そちらに乗車することにします。話の順序が遅くなってしまいましたが、盛岡以北の東北新幹線は整備新幹線となるため、並行する在来線は新幹線開業時に三セク化されています

こちらはIGRいわて銀河鉄道の改札口。今回利用しているきっぷは同線にも乗車できます

こちらはIGRいわて銀河鉄道の駅名標。背後に新幹線の高架。しっかりホッケーが描かれています

ここで偶然にも貨物列車がやってきました

貨物列車が見られるのは三セク乗車の楽しみですが、白石蔵王から少しずつ北上してきた今回の旅で初めて見た光景があります。それは雪に覆われたホーム。同じ岩手県でも一関や水沢あたりでは雪は全く見なかったのですが随分と異なる光景。そのうち横殴りの猛烈な雪が降り始め、私はホームで震え上がっていました。思えば10日ほど前に米子で猛烈な寒さに出会い、その後「随分と暖かくなったなぁ」と感じていたのですが、その考えは大いに甘かったようです

写真では分かりにくいかもしれませんが、激しい雪の中やってきた電車にありがたく乗ることにしました

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ゆいレールに初乗車~終着は「てだこ浦西」

てだこ浦西駅のホーム

※実際の道程とは異なります

石嶺からは新駅

2003年に那覇空港~首里が開業したゆいレール

2019年に首里以遠の4駅4・1キロが延伸開業しました。最初の駅が石嶺です

那覇空港からずっと那覇市内の駅ですが、ここ石嶺が最東端となります

石嶺の駅舎です

最初の開業から16年もの歳月を経たのはモノレール設置にあたっては並行する道路も拡幅の必要があったことと、開業区間の黒字見込みが必要とされたからです

浦添市に入る

経塚(きょうづか)からは浦添市に入ります

こちらは駅名標。新区間に入ると住宅街の色合いが強くなってきます

周辺道路も切り通しとなっています

そして浦添前田。浦添市役所や浦添城跡への最寄りとなります

発車案内の下には接近標がありますが「前駅」はあっても「前々駅」がありません。お隣が終点のてだこ浦西なので「前々駅」がないわけですが、終着駅間近を感じさせます

1000台の駐車場

そして終点のてだこ浦西へと向かいますが、その手前にゆいレール唯一のトンネルがあります。分かっていたので写真も動画も態勢を整えていたのですが、私に技術がなく反射して自分ばかりが写ってしまったので(泣)使い物になりませんでした。急にフッと暗くなるので、ぜひ体感してください

終着駅に到着です。「てぃーだ」は沖縄の方言で「太陽」のこと。「てだこ」は「太陽の子」の意味です

先頭の車止め部分。これを見るために、どんな路線でも終着駅まで行きたくなりますね

ゆいレールでは唯一、改札が地上にあります

てだこ浦西は各地に向かうバス路線のターミナルとして整備中。そして最も大きな特徴はパーク&ライドの拠点となっていること。約1000台分の駐車場が整備されています

構造は1面2線で昼間は2番線のみを使用しています。1番線の発車が23時となっています。駅訪問は時計で分かる通り14時45分。もちろん停車中の列車に乗るわけですが、8時間も先の案内が早々に表示されているパターンは、なかなかレアです

ゆいレールの各駅について駆け足で紹介してきました。初乗車でしたので、何かとつたない部分や伝えきれないことが多く申し訳ありません。車社会の沖縄は渋滞も激しく、那覇市内ではバスがなかなか定時運行できないことが問題になっていましたが、ゆいレールの登場で市内アクセスは大きく改善されました。また観光客にとってバス、特に路線バスというのは、なかなか難敵で駅に着いたのはいいけど、一体どの乗り場から、どこ行きのバスに乗ればいいのか分からないという経験を誰しもがしたことがあるはず。それはバスの行き先表示が終点になっているためで、地元の住民でさえもなじみのない場所は「どこ?」となってしまうことも多い。その点、路面電車やモノレールなどの都市交通は分かりやすいですね

開業時は「車社会でモノレールに乗る人なんているのか?」という不安の声も多く出たそうですが、コロナ禍は残念だったものの、その前には黒字を達成しています

今回唯一の心残りは

こちらの京急ラッピング。最初に首里に向かった際に気付いたもので、慌てて写真を撮りながら「今度会ったらしっかり撮ろう」と思ったのですが、巡り合わせが悪かったのか、二度目の出会いはありませんでした。次回はしっかり「確保」したいと思います

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ゆいレールに初乗車~絶景の駅

儀保駅ホームからは絶景

もうひとつの最寄り駅

首里城ではいくつかの門に案内の方がいらっしゃいます。散策を終えて首里の駅に戻るのですが、念のため、他に駅はないのか尋ねてみると「儀保駅も行けますよ」との返答。「とにかく真っ直ぐ行ってください。そうするとレールに出てすぐ分かりますから。時間的にはそうですね。儀保の方がほんの少し近い」とのこと

元から儀保には行くつもり(というか全駅訪問が前提です)だったので、喜んで参ります。それにしても首里より近いのに、なぜ公的に案内が行われていないのかは歩いているうちに分かりました

本当に真っ直ぐです。住宅街の間の路地のような所を歩いていきます

そして到着

おっしゃる通り、私が尋ねた場所からは儀保の方が近い。ただ写真の通り普通の住宅街の間を歩く必要があるので駅から首里城へ行くとなると首里からの方が分かりやすい。今は携帯のアプリもあるので行けるでしょうが、そうでないと困難かもしれません。そして結構な坂。首里城→儀保はずっと下りなので楽でしたが、逆となるとかなりしんどいかもしれません

ゆいレール公認?の絶景

その儀保駅ですがホームには、このような案内があります

すべての駅をくまなく見たわけではないので断言はできませんが、ホームでこのような案内があるのは儀保だけでした

訪問日がくもりだったのが惜しまれるのですが、ホームから那覇の街と海までが一望できます

なぜこのような眺望が見られるかというと、古島駅あたりから急勾配となるゆいレールの、その途中にあってレールの向きが海に向かう角度になっているから。ちなみにここ儀保から首里の間は60パーミルというゆいレール最大の勾配となります

那覇空港側からの電車がやって来ました。軌道の向こうはうまい具合にさえぎる山や建物もなく、きれいに海までが一望できます。もちろん再建工事中の首里城も見られます

こちらは那覇空港方面に去っていく電車。本当に雲がうらめしい。晴天だと地平線の向こうに電車が進んでいく姿を見られるはずですが

首里城観光のついででなくとも、ぜひ訪問してほしい駅です。できれば晴れた日に。そして首里城に行く場合は儀保駅→首里城ではなく、首里城→儀保駅と歩くことをお忘れなく

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ゆいレールに初乗車~首里城公園へ

首里城の久慶門

かつての終着駅

古島駅から市民病院前駅への行程については先に触れているので先に進みます

この時の道程上、儀保駅については後述します。実際の私の行動はというと沖縄到着の初日だった24日は北谷に宿泊。翌25日はバスで旭橋に向かい、フリー乗車券を購入。ホテル最寄りの美栄橋駅に向かってホテルで荷物を預け(まだチェックイン可能な時間ではなかった)、再び美栄橋駅に戻ってから真っ直ぐ首里に向かいました。早い話、最初に目的を持って行ったのが首里でした

首里駅は2003年のゆいレール開業から、てだこ浦西駅までが延伸開業した2019年までの16年間、終着駅でした

こちらは駅舎です

首里城へ

なぜ真っ先に首里に行ったかというと明白すぎますね

改札を出ると案内図とは別に大きく目立つように首里城公園への道案内があります。徒歩15分に加え、城といえば坂道を登るのに決まっているので元気なうちに真っ先に訪れたわけです

ということで今回、ここから先は鉄分は全くありません

入口に到着。もちろん初訪問

城壁に沿って歩きます。高台になるので、かなり離れているはずの海が一望できる。もう少しスッキリ晴れ渡っていたら、絶景だっただろう、なんて思いながら歩いていくと

このような注意書きを見てハッとなる

守礼門をくぐる

守礼門をくぐります。ちょうど団体さんが来ていて、皆さんも経験があるでしょうが横にいると詳細な解説を「無料で」聞くことができる(笑)

団体さんとは、ここでお別れ。中に入り

階段を登る。首里駅の改札からここまで20分ほど。この日の那覇市は気温26度。もう蒸し暑かった

駅からだとふもとの入口までは10分もかかりませんが、そこからは歩き方次第。景色を眺めながらのんびり歩くと20分はかかります

再建工事を見る

入場券を購入。フリー乗車券の項で説明しましたが、フリー乗車券を持っていると80円割引なのですが、その張り紙に気付いたのは購入してから。もっとも80円ぐらいは義援金と思えば、なんてことはない

首里城は2019年の火災を受け現在、再建工事中です

こうして見ていると、やはり悲しい気持ちになります。正殿の完成は2026年の予定です

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ゆいレールに初乗車~ひらがな駅の歴史

※実際の道程とは異なります

歩いた方が近い?

「安里(あさと)」駅に到着しました。こちらは牧志駅からレールで600メートルしかなく、極めて近いのですが実はもっと近い

駅の周辺案内で分かるように道路に沿った構造上、レールが大きく弧を描くようになっています

この周辺図は南北が逆になっているのでGoogleマップだと以下のようになりますが、注目は所要時間で

徒歩6分。昼間は10分に1本の運行なので場合によっては歩いた方が圧倒的に早い位置関係にあります

沖縄伝統の壺屋焼の「壺屋やむちん通り」の最寄り。また駅を降りるとすぐ栄町市場があり、飲食店も並んでいます

訪問時は、始めるにはちょっと早い時間でした

新都心として再開発

次いでゆいレールでは、唯一のすべてひらがなの駅、「おもろまち」に到着です

関西人の私は駅名を聞いて「おもろい(おもしろい)街なんかなぁ」と勝手に連想してしまうのですが、意味合いも歴史も全く異なる。「おもろ」とは沖縄の古い民謡で「思い」という意味

一帯は沖縄戦の激戦地で戦後、元の住民の帰還が一度認められた後に、数年が経ってから米国による強制接収で米軍の住宅地となった場所。沖縄返還後、土地の一部が少しずつ返還され、すべての返還が終了したのは1987年。再開発が開始されたのは平成になってからでした

「おもろまち」は公募によって名付けられました

現在は日本国内でも購入できる巨大免税店などが入居する新都心となり、ペデストリアンデッキで結ばれているほか、バス交通の拠点ともなっています

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