私鉄

三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問7~幻の窓口を備えた路線唯一の駅舎

中世古駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

全駅訪問の必須アイテム

中瀬古駅に到着。伊勢鉄道の各駅を紹介してきたシリーズも同線単独駅の紹介は今回が最後となる。最後といっても総距離22キロで単独駅は8駅しかないのだから、すぐ終わる

のっけから、このような話で大変恐縮だが、日本中の駅を訪問する際の必須アイテムは、まずお手洗いである。男性目線と女性目線では大いに差があり、男性だと目線は格段に下がるのだが、それでもホームのみの駅で元々設置がなかったり、最近は駅舎のトイレが閉鎖されたりしていることも多い。冷え込む季節になると、生理現象の訪れが近くなるので、寒い朝、自販機の暖かい缶コーヒーが恋しくなってもお手洗いの存在を確認しないと絶対に手をつけないようにしている

最近はローカル線の列車でも車内にトイレが設置されていることが多いが、その観点からすると、伊勢鉄道においては「単独駅8駅のうち、お手洗いがあるのは2駅のみ」「車内にトイレはない」ので、訪問される方は(全駅訪問をするしないは別の話として)留意してほしいところ。もっとも伊勢鉄道単独区間は前述した通り、わずか22キロで所要時間30分しかない(四日市まで入れても40分)ので車内にトイレは必要ないと判断されたのも無理はない

将来を見越した駅舎

お手洗いがなぜ2駅のみかというと駅舎があるのは当駅と鈴鹿駅の2駅のみだから。さらに言うと男女別なのは中瀬古のみ

鈴鹿は高架を利用した駅舎だが、中瀬古は立派な駅舎。三セク転換後から7年を経た1994年、国鉄伊勢線が開業した1973年以来、単式ホームのみだった駅に新たに建てられた。いわば伊勢鉄道オリジナルの唯一の駅舎

跨線橋からの眺め。当駅から津までの間は単線区間となっているが、その様子がよく分かる。ちなみにその時に伊勢鉄道唯一のトンネルがある

駅前は新興住宅街

駅前は「太陽の街」として造成された新興住宅街が広がる

駅前は立派なロータリーがあり、コンビニもある。大学もある

これらの発展を見越して駅舎が建てられた。当駅までが複線化されたのは、そんな背景もある

伊勢鉄道内を走るJRの特急と快速は、伊勢鉄道内では原則鈴鹿のみの停車で他駅は通過するが、中瀬古駅に朝の四日市方面3本が停車する

駅舎内。三角屋根のガラスがおしゃれな形をしている。ただし国鉄伊勢線時代から、ずっと無人駅。改札手前には窓口があるが、実は駅舎ができて約20年間、一度も使われていない。将来に備えたものの、まだ需要が達していないということだろう。全国の駅に行くと、かつての窓口が閉鎖されていたり、ベニヤのようなもので、まるごと覆われていたりする光景を当たり前に見かけるが、駅舎ができてから20年近くの間、「デビュー」することがないままという例も珍しい

伊勢鉄道内では、いろいろな意味で貴重な中瀬古駅。訪問をおすすめしたい駅である

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問6~田んぼに囲まれる駅と自治体中心駅?

徳田駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

伊勢鉄道で最も新しい駅

德田駅で下車。三セク移管から4年を経て1991年に開業した伊勢鉄道で最も若い駅

鈴鹿サーキット稲生からだと右手に鈴鹿サーキットを見ていると間もなく到着する

ホームを降りると

両側に田んぼが広がる。訪問時は初夏だったので、日々移り変わる景色を実感できるのだろう

構造は

三セク転換後に誕生した伊勢上野駅と同様、スロープを昇ってホームにたどり着く形

伊勢鉄道はこの2年後に河原田~中瀬古が複線化された。当駅もその前に誕生していて、この構造は他駅でも見られるが、逆側のホームへは構内ではなく、高架線の下の道路をくぐって向かう

そして周囲は

繰り返しになるが、田園風景が広がる。そして私の筆が弱く、日々利用されている方には誠に申し訳ないが、ここまでで語ることが尽きてしまった。次の河芸駅に向かうことにする

旧河芸町の名を冠する

河芸駅。河芸といえば、平成の大合併まで独立の自治体だった河芸町である。2006年から津市となった。町内には近鉄名古屋線を含め、いくつかの駅があるが町名を名乗るのは1973年の国鉄伊勢線開業と同時に誕生した当駅のみ。もっともこれには理由があって近鉄の千里、豊津上野の2駅は戦前からのもので、河芸町の発足は戦後。しばらく町名を名乗る駅がなかったところに誕生したのが当駅

跨線橋から。一見すると片側にしかホームがなく、片方は通過線なのか?と思いかねないが

ホームは千鳥状に配されている。古い路線ではよく見かける構造だが、複線化が1993年と近年であることを考えると珍しい

そして写真で分かる通り、当駅は複線区間の中にあるすれ違い可能駅という貴重な存在。伊勢鉄道は中瀬古~津間は単線のまま(複線の用地は確保されている)で途中の3駅のうち2駅(伊勢上野、東一身田)は単式ホームだが、さすが河芸町の名を冠するだけあって交換可能駅。国鉄時代からすでに考慮されていたという。駅前にはロータリーがある。かなり期待されての「デビュー」だったのだ

駅の東側は農地が広がるが西側はビッチリ新興住宅街

旧河芸町役場(津市役所河芸庁舎)の最寄りであるが、近鉄の豊津上野駅からも近い

そして駅はといえば

駅舎に見えるが、ちょっと大きめの待合所。やや寂しい

駅前には河芸町のガイドマップがあった。立体的に描かれていて、なかなか立派なものだが、よく見ると役場は「河芸町役場」のままで位置も現在のものとは異なる。どうも津市となる前からのもののようだ。港を有していたこともあり、歴史的、地理的にも近鉄が有利となっていて商業施設を中心に考えると近鉄の2駅(利用者で圧倒しているのは千里駅)がともに町の中心となっている

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問5~車庫、本社のある中枢駅

玉垣駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

国鉄時代は唯一のすれ違い駅

玉垣駅に到着

当駅はご覧の通り、伊勢鉄道では唯一、ホームが島式構造。河原田~中瀬古間は三セク転換(1987年)後からしばらく経った1993年に、元々用意されていた用地を生かして複線化されているが、島式ホームはここだけ。ただ国鉄伊勢線時代から同線で唯一の列車交換可能駅だった

左に見えるのは車庫であり、伊勢鉄道の本社でもある。ホームに立つと

ちょうど車両のお掃除中。JR、私鉄を問わず全国各地で見られそうで以外と間近では見られない光景。見ていて飽きない

車庫の方を見ると、このような感じだ

本社はあるが無人駅

駅の周辺はビッシリ住宅街。西側には住宅街に混じって野球場や陸上競技場がある。東側に目を転じて幹線国道である23号線に向かっていくと道中にイオンタウンがあり、国道はいわゆるロードサイド店が並ぶ。もちろん駅周辺にも店舗は多い

側線が見られるのも、伊勢鉄道ではここだけ。保全用車両が停まっていた。車庫があるため、当駅発の列車も設定されている。途中駅では唯一の存在である

ただ本社があり、車庫もある玉垣駅だが実は無人駅。最初の写真で分かる通り、駅ホームには外からダイレクトで跨線橋を渡って入る

跨線橋には、このような注意。ホームへの跨線橋は線路で分断されている東西を結ぶには貴重な通路にもなっているようにも映り、現実に自由通路のように利用している地元の方の利用も見られたが、注意の対象はホームのようにも読めて微妙な表現ではある

こちらは縦式の駅名標。その下に注意書き。始発設定があるため、まれにホームが異なることもあるようだが、島式ホームなので問題ないだろう。また始発や終着の設定がある当駅は、構造上、追い越しができる線内唯一の貴重な存在でもある。7時59分の四日市行きは快速「みえ」の通過待ちをするようだ

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問4~門前町「東」の高架駅

東一身田駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

伊勢鉄道単独の南端駅

東一身田駅に到着。F1の話をしたばかりだが、気動車のエキゾーストノードも良いもの

ご覧の通りの高架駅。毎回のように書いているが、伊勢鉄道は国鉄伊勢線が高規格で造られたため、高架駅が多く、運行や周辺を行く歩行者、自動車の妨げにならないよう踏切もほとんどない。というか、1カ所あるのみ

そして中瀬古以南は単線ではあるものの、将来複線化できるようスペースも設けられている

お隣は津駅なので、伊勢鉄道単独駅では南端にあたる駅でもある。ただ南端といっても伊勢鉄道の単独駅同市で完結する列車の設定はない

3つのアクセス駅のひとつ

さて「東」が付くのだから、付かない一身田駅があるのではないかと思うかもしれないが、その駅は伊勢鉄道にはない。一身田はJR東海の紀勢本線の駅。紹介が遅くなったが、一身田は難読駅のひとつとして知られる。「いしんでん」と読む

そのJRの一身田駅

無人駅ながら華麗にして荘厳な駅舎を持つ(訪問は2022年3月)。紀勢本線の駅でも駅舎のバス停化は進むが、こちらの駅はおそらく大丈夫。一身田は真宗高田派総本山専修寺(せんじゅじ)の門前町だからだ。駅の開業は1891年と明治24年生まれ。現在の駅舎も1923年と大正12年からのもの。たまたま下校時で写真に生徒さんが写っているが、高田中学・高校の最寄りで利用者は多く、2021年のデータは1日2396人。利用者が多い時間帯などでは駅員さんが派遣される。ちなみに駅名は「いしんでん」だが、地名は「いっしんでん」。東一身田も国鉄伊勢線の駅として誕生した(1973年)ので「いしんでん」を採用している

一身田地区をはさむ形でJRの駅と伊勢鉄道の駅がある形

駅にも地図と説明があった

もうひとつの駅も

東一身田駅は一身田駅とは、あまりに対照的な無骨なコンクリート高架駅。国鉄時代から姿は変わっていないが、昭和40年代にこれだけの高架設備を造ったのだから、それはなかなかのものだと思う

駅舎と呼んでいいのかどうか、高架下の階段を昇っていくとホームに出る

ちなみに専修寺を目指すには、もうひとつ近鉄名古屋線の駅がある

東側にある高田本山駅。元々は「一身田町」という駅名で大正期に開業したが、間もなく現駅名となっている。こちらは専修寺からは離れる形にはなっているが、通学も含め、当駅の利用者も1日1413人。JRや伊勢鉄道に比べ、普通のみの停車ながら列車本数の多さが圧倒的に違う。現状では東一身田は他の2駅と比べると桁数が異なる利用者数となっている

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問3~今年もF1がやって来る

鈴鹿サーキット稲生駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

日本グランプリは9月22~24日

伊勢鉄道の駅では鈴鹿よりも知名度が高い駅かもしれない

鈴鹿サーキット稲生駅に到着。「稲生」を「いのう」と読むのが意外と難読。稲生はれっきとした地名で、国鉄伊勢線が開業した1973年(昭和48)9月1日に同時開業となったが、当時の駅名は単に稲生。87年の三セク転換時に現駅名となり、全国に知られる存在となった

ただし徒歩で約30分。おそらくF1のような大イベント時は、人出も多いので、もっとかかるかもしれない。当駅から鈴鹿サーキットまではバス路線もない。それでも大イベントの開催時、多くの人が当駅から歩いてエキゾーストノートの調べを目指す

ふだんは静かな小さい駅

私は鈴鹿サーキットには数え切れないほど訪れたが、当駅に降り立ったのは実は初めて。「もっとかかるかもしれない」と書いたのは、そのためだ。大阪から行く場合は近鉄特急で白子まで行き、バスまたはタクシーとなる。レース開催時は鈴鹿市内のホテルはなかなか取れないので四日市によく宿泊したが、それも同様。幸運にも鈴鹿市内に宿が確保できた場合は近鉄鈴鹿線の終着駅である平田町周辺が多かったので、その場合は平田町までタクシーである(F1開催時は三重県内では間に合わず名古屋市内のホテルも混雑する)。いずれにせよ鈴鹿サーキットまでバスが出ている駅は白子だけ。では白子駅に行けばいいのではないかと思われる方も多いかもしれないが、大イベント時は白子からバスに乗るのも、満員が多く、なかなか順番が回って来ず苦労するし、タクシーもない。バスだと白子から20分。延々とバス待ちをして満員の車内で20分揺られるなら、鈴鹿サーキット稲生から30分近く歩いた方がマシ、と考えるのは当然の流れ。私の場合は仕事上、レース開始のかなり前の時間に着いて、サーキットを離れるのもレース終了後、かなり経ってからなので混雑を避ける形になっていたがレースに合わせての移動となると、結果的に徒歩の方が早くなる

その鈴鹿サーキット稲生だが、駅の規模は大きくはなく、むしろ小さい。シケインをイメージした階段にサーキットを感じさせるのみである

私なんぞは「オ~ッ」と思ってしまったが、モータースポーツに関心がないと何も感じないかもしれない

そして鈴鹿サーキットの名を冠するものの、死角になっていて駅から鈴鹿サーキットは見えない。ただ車の音は聞こえる。サーキットが見えるのは、お隣の德田に向かう車窓からだ

年に一度のお祭り

上り下りのホーム移動はホーム外の道路を通る。もちろん無人駅。駅舎もない。ただF1開催時の臨時列車に備え、ホーム有効長は6両分確保されている

ただF1開催時は様相が一変。臨時のきっぷ売り場や仮設トイレが設けられる。基本的にワンマン運転の普通も車掌さんが乗車。名古屋始発で当駅が終着となる臨時特急、その名もズバリの「鈴鹿グランプリ」が2往復運行されるほか、特急南紀も一部停車。快速「みえ」に至っては全列車が臨時停車。とにかく年に一度のお祭りである。

伊勢鉄道のホームページがなかなか興味深く、F1開催時の当駅の案内があるのだが「伊勢鉄道でIC乗車はできません。JRの駅からIC乗車すると精算の必要があります」「きっぷ売り場は現金のみ」「レース後は駅も混雑するため乗車まで時間がかかる場合があります」といった注意点が記されているのだが、最後にそれらをまとめる形になっていて最初に出てくるのが「鈴鹿サーキット稲生駅利用の不便さ」で注意事項を改めて列挙。最後に「…枚挙にいとまがありません」と締めくくられていて、ちょっと笑ってしまった。その次にようやく「鈴鹿サーキット稲生駅利用の良さ」の項目。鉄道会社がまず不便さからスタートするのはユニークだ。その「良さ」も「それでも鈴鹿サーキット稲生駅をご利用になられる方がたくさんおみえです」から始まり、なかなかウィットに富んでいる。こちらは実際に閲覧していただきたい

ホームの名所案内。当然鈴鹿サーキットが最初だが、随分とお堅い表現だ。ちなみに鈴鹿サーキットは単なるレースコースと思われている方も多いかもしれないが、記されている通り、遊園地のほか、ホテル、キャンプ場、プールなども備えた総合レジャーランドである

稲生ガイドマップがあったが、こちらはいつからのものだろうか。鈴鹿サーキットを避けるように描かれているのが印象的

なお空前のF1ブームが訪れるのは、昭和の終わりから平成初期にかけてのこと。87年(昭和62)から日本GPが鈴鹿で毎年開催となったことが大きい(2007、08年は富士スピードウェイ開催)。奇しくも国鉄伊勢線から三セク伊勢鉄道転換の年だった

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問2~三セク転換後に重要度認識

伊勢上野駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

伊賀上野ではありません

伊勢上野駅に到着。単式ホームに待合所のみという質素な構造。1987年3月、つまり国鉄伊勢線が三セク伊勢鉄道に転換した時に誕生した

周辺は田園地帯。ちょうど田植えのシーズンだった

駅名を耳にして「えっ?」と思われる方もいるかもしれない。「伊賀上野の間違いではないのか」と

三重県での「上野」といえば、伊賀上野が有名だ。関西本線の非電化区間では最も大きな駅で伊賀鉄道との接続駅でもある。何より忍者の里としての知名度が高い

しかし、こちらもれっきとした「上野」である。そもそも地名が「津市河芸町上野」なのである

駅前に河芸町の地図があった。上野と名が付く施設が見られる。平成の大合併で津市となったが、以前は河芸町という単独の自治体だった

ただ町として栄えているのは圧倒的に近鉄沿線である。もちろか駅の利用者数も近鉄が圧倒している

手前の電話ボックスに隣接する小径を行くと駅なのだが、県道を車で走っていると気付かず通り過ぎてしまうかもしれない。だが立派な高架だけはすぐ分かる

近鉄に対抗すべく建設したものの

名松線の項でも触れたが、私は小学校の4年生まで三重県の名張で過ごした。そんなある日、先生が「もうすぐ国鉄も便利になります」と説明し始めた。先生は黒板に今にして思うと路線図を書きながら「名古屋から伊勢神宮へは国鉄では不便だけど、近鉄と並んで線路ができる」と話ながら、四日市と津の間に真っ直ぐ線を引く。当時は「ふーん」で終わっていたが、国鉄伊勢線のことだった

名古屋から国鉄で津以南の三重県各地に行こうとすると一度関西本線で亀山まで行き、方向的にはスイッチバックで紀勢本線に入り直さなければならない。それに対し、近鉄は四日市から真っ直ぐ南下している。なんでわざわざこんな面倒な作業をしなければならないのかというと、国鉄の前身となる会社が京都からのお伊勢参りを目指して、今の草津線、関西本線、紀勢本線と敷設したため。名古屋からのお伊勢参りはこの時点では眼中になかったのだ

その回り道が近鉄と国鉄に大きな差をつけることになる。伊勢だけでなく、紀勢本線の沿線には県庁所在地の津、松阪と大きな都市があり、沿線需要もある。国鉄も名古屋からの直通を走らせていたが、亀山での遠回りとスイッチバックがネックとなって近鉄に劣っていた

そこで考え出されたのが四日市と津を結ぶ短絡線、つまり国鉄伊勢線である。近鉄のスピードに対抗すべく、全線を複線化する予定で路盤も高架を中心とした高規格で建設された。小学校の先生が熱弁をふるうのも無理はない

そんな期待を受け、まずは単線で1973年(昭和48)に開業した国鉄伊勢線だが、ふたを開けると、多くの列車は亀山経由のスイッチバック、伊勢線内を走る普通の運行は数えるほどで、つまり「戦力」は与えられなかった。当然、利用者も低迷。特定地方交通線に指定され、民営化とともに三セク以降。国鉄としての歴史はわずか14年だった

戦力外のかつてのドラフト1位が

流れが変わったのは三セク移管後、伊勢鉄道が行った輸送力強化だった。元々、複線化できるように造られていたので、起点駅(JRとの分岐駅)となる河原田から中瀬古までを複線化。この後、JR東海が近鉄に対抗するため、別料金不要の快速「みえ」が90年に登場。特急「南紀」とともに、すべて伊勢鉄道経由となった。また路線内の最高速度も引き上げられた。三セク転換後、わずかな期間で路線の営業収益は爆発的に伸びた

現在、1時間に1本の運行で1日13往復、別料金も要らないため、名古屋で新幹線から乗り換えて伊勢方面に向かうには名古屋の到着時間によってはJRが近鉄に勝る。そもそも桑名、津、松阪、伊勢、鳥羽ではJRと近鉄の駅が同じ場所にある。もちろん特急の4往復もすべて伊勢鉄道経由。そんな理由から、伊勢鉄道の収支は安定している。JRからの三セク転換路線では超優等生だ

となると「なんで国鉄は手放したのか」という疑問が生じるのは当然だ。プロ野球に例えるなら、大きな期待を背負ってドラフト1位入団した選手を早々に戦力外としたら、他チームで大活躍。「アイツを呼び戻せ」と言っているようなものである。路線の潜在能力を見極めることもなく「赤字の他路線同様、即止めます」とした国鉄末期の混乱を思わせる

坂を登ったところが伊勢上野駅。きっと桜の季節は美しいのだろう

ひとつ手前の中瀬古から単線区間に入っているが、ご覧の通り複線の用地は確保されている。ただ三セク転換後に開業した伊勢上野駅は大赤字路線だった国鉄伊勢線を知らない

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問~JRの特急と別れを惜しむ

鈴鹿駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日、音声注意

名古屋から南紀に乗車

5月20日の朝8時前、私は名古屋駅にいた

手元には週末に発売される青空フリーパス、そして鈴鹿までの自由席特急券

JR東海の気動車特急として活躍してきたキハ85が6月で卒業を迎える。残念ながら6月に来る予定はなさそうなので、一足先に「お別れ」するのと同時に伊勢鉄道の全駅訪問を行うというのが、この日の趣旨である

1両だけの自由席は発車の10分前で大にぎわい。どこからどう見ても同業者(鉄道ファン)だらけ、という車内。何とか通路側の座席に着席。津方面へ向かう際、自由席は最後部の車両となる。つまり名古屋へのお帰りは先頭車両でパノラマビューとなる。私も10年ほど前、わざわざ紀伊勝浦から乗り込んだことがある。さすがに最前列は確保できなかったが、それでも前から3列目に座れた記憶がある

紀伊勝浦までは4時間の道程だが、多数の方が折り返してのパノラマビューを目指しているようだ。そんな中、私は40分ほどの乗車で鈴鹿下車。私一人。この前後に普通も快速「みえ」もやって来る。鈴鹿が目的なら、追加料金を支払う必要はない

私も当初は四日市でのサヨナラを考えていたが、ここはあえてJRの駅ではない鈴鹿を選んだ。今回の旅の主旨に合っているような気がしたからだ

私にとっては最後なので勇姿は動画で見送ることに

18きっぷは使えません

両端でJRと接続し、JRの列車がバンバン走る伊勢鉄道は三セクのため、河原田~津の同線区間は青春18きっぷは使えない。ただし青空フリーパスは使える。在来線特急は特急券だけ買えば乗車できるという青空フリーパスのルール通り、特急も乗れる。1日4往復の特急に13往復もの快速が走るのだから、この特例がなければ面倒でしょうがないし、伊勢や鳥羽方面へと向かう人の利用はなくなってしまうだろう。また、後の記事で触れるが、この特例が伊勢鉄道の歴史そのものでもある

鈴鹿駅は高架駅。というか、伊勢鉄道そのものが、国鉄伊勢線時代から、ほとんど高架の高規格路線となっている。こちらもまとめて後の記事で触れるが、簡単に説明すると、近鉄に対抗する路線として大いに期待されて建設されたものの、国鉄が使いこなせず、三セク転換後に重要度が理解された、ということ

高架駅ではあるものの、階段しかない。「鈴鹿」を名乗り、鈴鹿市の代表駅のようでもあるが、周辺は普通の住宅街で、ちょっと寂しさも漂う

近鉄鈴鹿線の鈴鹿市駅から終点の平田町にかけてが、あえて言えば町の中心地。当駅から鈴鹿市駅までは徒歩で10分以上かかり、市役所も鈴鹿市駅の方が近い。ホンダの町でもあるのでホテル需要も多いが、ホテルや商業施設、飲食店は近鉄鈴鹿線沿線に集まる

「あえて言えば」と記したのは、鈴鹿市が多くの自治体が集まってできた都市のため。軍事関連の工場や施設が多く、戦時中に軍の強い要請で鈴鹿市が誕生した。だから市役所から離れている近鉄名古屋線の白子駅付近も町の中心部のひとつとなる。ちなみに国鉄伊勢線ができるまで、国鉄の鈴鹿駅は現在の河曲(かわの)駅(関西本線)が名乗っていたが、今だったら「鈴鹿駅で降りたけど川があるだけ」と別の話題になりそうなところにある

それでも「鈴鹿」を名乗るだけに有人駅できっぷ販売の窓口もある。というか伊勢鉄道唯一の有人駅(接続駅の津はのぞく)だ

渋い入口を入ると

同線ゆかりのものが陳列されている

これはなかなか貴重

よく見ると国鉄伊勢線関連のものもあるようだ

すっかり癒やされて、後は伊勢鉄道の各駅8駅を巡るべく、同社の単行車両に乗り込むことにする

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牟岐線の木造駅舎紹介12~DMV導入で思いがけず終着に

阿波海南駅の駅名標

※訪問は2023年7月20日、音声注意

唐突に終わる鉄路

牟岐線の終着駅である阿波海南駅に到着。ご覧のように単式ホームの先でレールは唐突に終わっている

2019年10月にも現地を訪問したが、同じような角度で撮影したものがこちら

間違い探しのクイズにもならないぐらい分かりやすい。鉄路ははるか先まで伸びていたし、そもそも駅名標には隣駅が記されている

当駅は2020年11月1日に牟岐線の終着駅となった。元々は牟岐線の終点だったお隣の海部までの区間が廃線となったからだ。廃線といっても鉄道路線がなくなったわけではない-と書くとなんだかややこしいが、この区間はJRから切り離される代わりに阿佐海岸鉄道に編入される形となったからだ

阿佐海岸鉄道に鉄道兼バスのデュアル・モード・ビークル(DMV)が導入されたための措置

こちらは海部駅(2019年10月撮影)。ご覧の通りの高架駅で道路上から線路へと入る切り替えポイントとしては不適切だ。そのため地上駅である阿波海南が接点に選ばれ、と同時にこの1区間はJRではなくなった

戦後に国鉄の新路線となるはずも

牟岐駅の項でも触れたが、1942年に鉄路が牟岐まで到達した時点で延伸工事はストップしている。その先は「国鉄阿佐線」として高知県に入り、室戸岬をグルリと回って奈半利を経由。後免で土讃線と合流して高知駅に向かう計画だった。壮大な計画すぎて戦時中に工事が一度終わったのは当然のこと

機運が再び高まったのは戦後10年以上が経ってから。工事が再開され、1973年に阿波海南を含む海部までが開通。この時点では新線は、わずか11キロだったことで牟岐線に組み込まれた

その後も工事は続けられたが、おりから国鉄の赤字が問題となっている時期で国鉄再建法により、工事は1980年に中断。ただ工事はほぼ完了しており、せっかくの設備がもったいないと海部から先のすでに出来上がっている区間については1988年に新たに設立された阿佐海岸鉄道によって工事が続けられることになり、1992年に海部~甲浦8・5キロが開業。甲浦は高知県に入ってすぐの場所にある

牟岐以南は鉄建公団によって工事が行われたため高規格。特に海部~甲浦はすべて立派な高架線となっている

時を同じく土佐くろしお鉄道によって後免から室戸岬を目指す鉄路もでき、2002年に後免~奈半利が開業。しかし工事はそこまで。奈半利と甲浦の間はバスで結ばれたまま現在に至る。そしてDMVの登場である

海陽町の中心駅、数奇な運命

途中駅時代から阿波海南は海陽町の中心駅。駅前にはコンビニなど商業施設も多い。駅にはタクシーも常駐している

かつては駅舎もあり、駅員さんもいたが撤去。代わりに駅前に建てられた海陽町海南駅前交流館が事実上の駅舎となっている。ちなみに旧国名の「阿波」が冠せられる駅は当駅までである

こちらがDMVの停留所。ここでバス↔鉄道に変換するため、正式には「信号場」と呼ぶそうだ。牟岐線との連絡も図られたダイヤとなっている

DMVに乗車するのは別の機会にするとして、私はここで折り返し。ただ乗車すると撮影できないバスから鉄道への変換は動画で撮影

何かレールとしっくりこなかったのか一度チェックが入った

無事にさっそうと去っていった

DMVについては改めて時間を作ってじっくり乗ってみたい

それにしても単式ホームの途中駅から終着駅になった阿波海南駅については数奇な運命を感じてしまう

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~エピローグは坂道

伊勢石橋駅の駅名標

2023年3月15日

全駅訪問完了はいいものの

井関駅で名松線全14駅(松阪駅のぞく)訪問を終えたのはいいものの、大きな問題があります

当然ですが帰宅しなければならないのです。別の言い方をすれば、ここ井関駅からの脱出。とにかく近鉄の駅へと向かわなければ大阪方面へは帰れない。逆に言うと近鉄のどこかの駅へ行ければ、後は何とでもなります

名松線は路線そのものが行き止まり構造で、家城~伊勢奥津の山中の駅から近鉄の駅へはつながりようがない。家城~松阪間の平野部の駅と近鉄の駅とは、車だとすぐの場所にあるのですが、両者を結ぶバスというのがほとんどないのです

そもそもゴール方法に問題があって、伊勢奥津から松阪行きに乗車して井関で降りた以上、次の松阪行きは2時間後でさすがにそれは待っていられません。ということで乗り継ぎが便利な一志そして松阪での乗り換えは不可能。もっとも逆方向の伊勢奥津行きですら1時間半後ですから、現在の時刻が16時過ぎということもあって、それも待っていられないし、乗ったところで先のアテがありません

道中からどうしようと迷っていたのですが、ひとつ薄いながらアテがあったのは、井関駅だからこそあるバスです。山中から、ここ井関を経て近鉄の川合高岡駅を経由、最後は久居駅に行くバスが1時間に1本ある。これは貴重な存在なのですが、下調べでは、なぜかこの時間だけ2時間空いている。ただバスについては下調べと現実が微妙に異なっていることも過去にかなりあって、それに期待したのですが駅前のバス停でチェックすると、当然のように下調べの通りでした

ということで

またもや徒歩

結局は最後も徒歩ということになりました。最も簡単なのは川合高岡まで行くことでバス道に沿って歩けば30分ちょっとで歩けるはず。しかし調べると、もうひとつ伊勢石橋という駅の方が距離的には近いようです。川合高岡は何度か行ったので、ここは一度も行ったことのない伊勢石橋まで歩いてみることにしましょう

こんな感じの行程となります

井関駅から西へ歩き踏切を渡ると、あとはほぽ一本道のようですが、なかなかの茂みが待ち構えていますね。当然のように難問を突きつけられました

凄い坂が待っていました…泣

地図ではそこまでは分かりません。ただここまで歩いてきた以上、引き返すことはもう無理。今日はかなり歩きましたが上り坂は初めて。携帯アプリがない時代だったら、絶対にあり得ないコース

小さい峠のようになっていて、そこを下って雲出川が見えると川に沿って大きめの集落がありました。ただここから近鉄の駅へはまだかなりの距離があって、珍しい光景だな、と思いつつ

夕陽を眺めながら、今日のお友達である雲出川を渡りましたが、後で調べると伊勢川口の項で触れた中勢鉄道は川沿いにこの集落付近を抜けていて途中には駅跡に駅名標のレプリカも建てられているとか。もっとも、この時の私は疲労困憊、先を目指すことばかりを考えていて、そんな余裕はありませんでした

近鉄大阪線の駅とは思えず

その後、再び農村地帯に入り、進んでいくと架線が見えてきました。これで終わりだと思うとドッと疲れが出てきます。電化区間の駅というのは、写真撮影で架線がじゃまになることも多いですが、遠方から見つける時は便利ですね

その伊勢石橋駅。着いて驚いたのですが

全くのホームだけの駅でした。どうもかつてあった駅舎は撤去されたらしい。中勢鉄道との乗り換え駅の役割も果たしていたようですが、そんな雰囲気はありません

もちろん近鉄大阪線の駅なので複線。両側にホームと待合所があるのみ

こちらが時刻表。少し前まではもっと本数があったのですが、コロナ禍で昼間の運行が1時間に1本となりました。私の到着は17時前でしたので30分間隔の時間帯。名松線と比べると夢のような本数です

ちなみに私が滞在する間、17時という帰宅時間帯だつたにもかかわらず、ホームは私の貸切でした

電車がやって来たので、これで全駅訪問の旅は終了です

ホームはずっと貸切でしたが降りる人も誰もいませんでした。なお、この付近の近鉄の駅では当駅のみ極端に利用者が少なくなっています。他の駅では名松線の1日の乗客より多いのではないか、というほど利用者がいるのですが、事前知識なしで訪れた近鉄の駅がピンポイントで「駅舎なし」「貸切」と名松線の駅と同じワードだったことが、何かこの日を物語っているようでした

なお、気になる名松線の将来についてですが、JR東海の社長は昨年の記者会見でJR各社が軒並み路線ごとの収支を発表する中、東海のみが発表していないことについて「収支という形で発表する予定はない」「(JR東海管内でバス転換や廃線についての)予定は当面ない」と話しています

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日本唯一の直交ダイヤモンドクロスは今が「旬」

ダイアモンドクロスを横切る名鉄築港線

2022年6月11日17時50分

※時刻表は当時のものです

1年前の話を書く意味

ちょうど1年前の17時半すぎ

名古屋鉄道の大江駅にいました。大江は名鉄常滑線の駅で今から乗車する築港線の分岐駅。築港線は1区間1・5キロのミニ路線。出発するとすぐ着いてしまいます

単純往復するだけなので、方向幕はLED表示は必要なく「室内サボ」が掲げられています。もちろん列車種別は「普通」のみです

さて1年前の話をわざわざ今する意味は時刻表にあります

大江駅の築港線時刻表。ご覧のように朝と夕刻にしか電車は走りません。先日、103系の引退で話題になった神戸の和田岬線と同じです

当ブログをスタートしたのは昨年の9月で、その時はすでに17時を過ぎると、かなり薄暗い季節となっていたため、次に日が長くなるのを待っていたら1年が経過したという次第

目的地は駅から徒歩数分

電車は瞬時に終点の東名古屋港に到着

改札口すらない無人駅ですが、駅員さんはいる駅です(後述します)

線路に沿って道路を歩いていくと、すぐ目的地に到着です

今や日本で唯一

踏切から中を見ると写真の左右を走るのが乗車してきた名鉄で、中に入れないように鎖が張られているのが名古屋臨海鉄道の貨物線。ご覧のように線路同士が90度直角に交差しています。線路同士が平面で交差する際、交差の間がダイヤモンドのような形になることから、ダイヤモンドクロス(ダイヤモンドクロッシング)と呼びます。ターミナル駅で見られるように、ほとんどは斜交となっているのですが、このように直角で交差するものは、今や日本で3カ所のみ。他は松山市の伊予鉄道と高知市の土佐電鉄ですが、前者は路面電車と普通鉄道、後者は路面電車同士となっていて、普通鉄道同士は当地が唯一のものとなっています

私の世代だと阪急の西宮北口駅における今津線と神戸本線の直交をいつも見ていて、珍しいものだという認識は当時は全くなかったのですが、今となっては貴重な体験をしたことになります

その音をお聴きください

直角に交差している分、レールの継ぎ目の音が独特で、その部分が目視できるので分かりやすいですね

写真ではこのようになります

貨物運行は不定期

さて、見るとホームも何もありませんが、こちらは「名電築港」という名鉄と名古屋臨海鉄道の貨物駅

ただ普通にイメージする貨物列車は現在は走っていません。では何のための貨物線かというと、車両や資材を運搬するためのものです。名鉄に新車両が運搬される場合、JRの笠寺から写真で言うと手前側からやって来ます。写真の奥でスイッチバックする形で東名古屋港駅方面で折り返し、名鉄に入っていきます。廃車回送の場合は、その逆コースとなり、資材運搬にも使用されていますが、特殊な運搬任務にあたるため運行は不定期です

列車に見とれているうちに18時を軽く回ってしまいましたが、もちろんまだまだ明るい

築港線の乗車方法

大江駅で築港線に乗下車する際は必ず中間改札を通る必要があります。1区間だけの路線なので東名古屋港駅に向かう場合は、先に旅程を終える形となっています。これは和田岬線や東武の大師前(東京都)と同じシステム

ただ微妙に異なるのは東名古屋港駅には列車運行時には駅員さんがいるということ。1区間のみの築港線ですが、単線のためスタフ通票による運行が行われているため、その係の人員が必要なわけです。スタフ受け渡しの場面ももちろん見られます

何気に私の気を引いたのはホーローによる注意案内。なかなかいい感じです。現地にはバス路線も走っていますが、大江駅をはじめ、名古屋中心部へのスピードが圧倒的に違うため、築港線は需要の多い路線で1日に約5000人もの利用があります

現地を訪れる際の注意点としては、週末の運行が少なくなる点。時刻表を見ていただければ分かりますが、土曜日はまだそれなりの運行がありますが、日曜は朝5往復、夕方3往復のみの運行しかないので、ご注意ください

今年の夏至は6月21日。1日の日照時間が最も長い季節になりますので、ダイヤモンドクロス訪問は今が旬です

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