私鉄

衝動的に船に乗ってしまった話

6月18日11時40分

港の雰囲気が懐かしかった

島原港にやって来ました。島原港駅からは坂道を降りる形で徒歩5分ぐらい。見えています

ターミナルの中。いい雰囲気です。熊本行きの船が出ているので、ここは長崎県の島原ですが熊本の観光協会が入っているのですね。妙に納得しました。島原港に来るのは昭和以来(笑)。もう会社員になっていて仕事で訪れ、慌ただしく三角行きの船に乗りました。その三角行き航路はありません。当時、かなりのお客さんで、過去の宇高連絡線(宇野~高松)でのダッシュ(港に着くと列車の座席確保のため全力で走る)を思い出すほどギリギリ座れたという記憶があるのですが、その後、熊本港行きの航路が開設されると、お客さんがそちらに流れて10年以上前に廃止になったそうです。確かに地図で見ると三角経由はかなり遠回りですね

「そうか、熊本まで行けるのか」などと思っているうちに無性に船に乗りたくなってしまいました。本日は旅の最終日で、まだ乗ったことのない甘木鉄道に乗車した後、博多に向かい新幹線で帰る予定

当初の予定では島原鉄道を折り返し、いくつかの駅を巡って諫早に戻って鳥栖から鹿児島本線に乗る予定でした。これだとお金は要りません(厳密に言うとタダではありませんが、旅名人の九州満喫きっぷを持っています)

ここは「乗っちゃえ」

しかし熊本行きというのには当然、乗ったことがありません。かなり迷ったのですが、ここは熊本から大牟田経由で行ってみる? となって気付いたら乗船券を買っていました

一応、大牟田行き(こちらは以前からあります)も考慮したのですが、6月は運休中とのこと(桟橋の工事をしていたようです)。熊本港行きは2つの会社があり、ひとつは所要30分の高速フェリー、もうことつは60分のフェリー。もちろん高速フェリーの方が料金は高めです。時間には余裕があり、どちらでも良かったのですが先に出る高速フェリーに乗りました。1400円というのは熊本港から熊本駅までのバス代も含んだものですが、実はその後の8月に燃料費の高騰などによる値上げがあり、船代だけで1500円という料金となっているようです。同じ行程だと400円ほど高くなっています。乗っておいて良かったというべきなんでしょうか

心地よい景色と風に癒やされる

今回の唯一の後悔は

島原そうめんを食べそこなったこと

きっぷを買ったのは出発の10分前。乗ろうかどうか逡巡していた分、食べる時間がありませんでした。残念。しかも私のようなローカル線専門のような旅をするタイプは、荷物が増えるのでお土産も、なかなか買いにくいのです

なかなか快適な船内でした

景色も風も心地いい

到着してバスで熊本駅へ。バスの所要は約30分。船もバスも初めての光景ばかりで楽しかったです

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島原鉄道、現在の終着駅から

6月18日11時半

※西九州新幹線開業前の時刻表で動いています

「終点」は島原港駅

大三東駅から約20分。終点の島原港に到着しました

元々は2面2線でしたが今は1面1線。かつては駅舎がありましたが火事のため、今は簡素な構造

逆側から見たもの。道路からすぐ入れるため、バリアフリーは万全です。明治生まれの島原鉄道としては若い戦後の設置(海に近い大三東駅は大正生まれ)。長らく「島原外港」という名称で親しまれてきましたが、3年前に現駅名となりました

駅名通り、島原港はすぐそこです。地図でも分かりますね。そして線路を見ると何か不自然な形で終わっていることも分かります

50年ぶりに乗りました

これまても書いている通り、島原鉄道は明治に敷設がスタートした古い路線です。「旧国鉄」というのではなく、ずっと独立した私鉄(国鉄への乗り入れをしていた時期もあり、今も諫早で線路はつながっているはずです)。徐々に鉄路は延びて現在の島原船津まで到達しました。島原港まですぐの島原外港駅の開業が戦後だというのに疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、ひとつお隣の島原船津がかつて「湊新地」「島原湊」という駅名だったように、当時の島原港の最寄りはそちらだったようです。大正期に、その湊新地まで到達して島原鉄道は42キロの路線としていったん完結。その後、別会社が、さらに30キロ以上を敷設。戦時中の合併により約80キロもの路線となりました

実は私が島原鉄道に乗車するのは50年ぶりか、それ以上。父の里帰りに伴う家族旅行でした。ちなみに島原地方には「高木」という名字が多い。大阪から島原へのアクセスは今もいくつかありますが、当時のルートのひとつは飛行機で長崎空港へと飛び、諫早から島原鉄道に乗車するもの。もうひとつは列車と航路の組み合わせで大牟田からの船便、または熊本経由で三角まで行っての船便。ただ今でこそ飛行は気軽に乗れる交通手段ですが、半世紀前は高価な乗り物で、なおかつ小さなプロペラ機しか飛んでいません。親子4人分の価格そして座席確保の両面で、里帰りはほぼ三角ルートでした。ですから子供のころの「随分と古い車両が走っているなぁ」という記憶ぐらいしか残っていないのです

そんな島原鉄道は91年の雲仙普賢岳の噴火活動により、大きな被害を受けました。多くの区間で運休と復旧を繰り返し島原外港からの一部区間は93年4月から4年間も運休。高架工事を行い、完成したのは97年。ただその後は利用者減に伴う赤字問題で08年に島原外港からの35キロは廃線となり、高架施設は11年しか使用されませんでした

先にも線路があるようですが、しばらく行くと終わっています。当初は車庫施設もある島原船津までを残して以遠が廃線予定だったそうですが、島原港へのアクセス駅ということで当駅が終点となりました

ちょっと付近の散策を

島原といえばそうめんです。「世界初」の自販機に目を見張りますね

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島原鉄道で「あの駅」に行った 海に一番近い駅

6月18日10時20分

※西九州新幹線の開業でダイヤが大幅に改正されたようですが訪問当時は旧ダイヤです

降り立つとそこは

これは素晴らしいの一言でした。ちょうど列車交換のタイミングだったことも良さに拍車をかけました

島原鉄道の大三東駅。なにげに難読駅ですが、それよりも絶景に目を見張ります。今回は写真が主役です。訪問日は曇り気味のお天気で、有明海の向こうまで見える、というわけにはいきませんでしたが、その分、逆光にならず写真的には幸いしたかもしれません。さらに言うと前記事の写真にもチラリ写っていましたが、訪問当時の長崎は案外長袖を着ている方も多く、それほど暑くはなかった

クスッときてしまった

島原鉄道の運行は基本的に1時間に1本。ですから、ここに1時間いられる。ちょうどいい時間だと思います

ホームの下というか横はすぐ海。ですから

クスッときてしまいました。「先は海です」ではなく「先は有明海です」というセンスがいいですね

向かいのホームに映えスポットへの撮影ポイントも示されていて

こんな感じ。小道具の椅子が何とも言えません

あまり意味はないでしょう

さて海に一番近い駅としてよく知られるのが

青海川駅(2019年9月、信越本線・新潟県)と

海芝浦駅(2015年11月、鶴見線・神奈川県)です(こちらに関してはどこまで写真を載せて良いものか分からないため海の写真だけにしました)が、じゃあ実はどこが近いかというのは、あまり意味がないことだというのが私の考え。行った時にそこが一番近いと思えば、それで良いのです

他にも宝庫多数だがNG行為あり

駅舎はこんなに渋い感じ

無骨で渋い。駅前にお店があってドリンクなどを売っているのでアイスコーヒーを買って、お店の方としばし歓談。景色がいい時は本当に向かいまでクッキリ見える一方で台風の時などは自然の猛威を感じられるという。駅では

幸せの黄色いハンカチもあり、メッセージが風にたなびいています。また

CMでも有名になりました。そんな素晴らしい大三東駅ですが、NGがひとつあり「車を停めるところはほとんどありません」。先述した通り、島原鉄道は1時間に1本の運行と、それなりの本数が確保されています。列車で訪れてホームに降り立ってみてくださいね

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島原鉄道で「あの駅」に行った 長崎~諫早

6月18日8時

長崎駅の今しか見られない光景からスタート

この記事は実質的に

超難読駅で感慨に浸る(大村線・南風崎)

の続きとなります

前日、大村線から長崎本線を経て長崎に到着した私は長崎電気軌道つまり長崎市内の路面電車を完乗。旅の3日目で最終日。「旅名人の九州満喫きっぷ」(もちろん長崎市の路面電車も乗り放題です)を手に長崎駅へ。長崎新幹線開業を3カ月後に控え、前夜感が漂います

長崎駅に来たのは14年ぶり。当時走っていた寝台特急「あかつき」が3月いっぱいで廃止になるというので2月に乗って訪れました。今では信じられないことですが、廃止まで2カ月を切っているにもかかわらず、乗車の1週間ほど前にみどりの窓口に行くと「どの部屋にしますか?」なんて窓口の職員さんとの会話があって早い話が選びたい放題。ある意味、当時の寝台特急の状況を物語っていますが、当時は地上櫛形ホームで終着駅の風情が漂っていました

今は高架駅

特急列車しかも電車特急が並んでいて、これはまさに今しか見られない光景です。並行在来線となって優等列車がなくなるのは全国で見られる光景ですが、架線も外して電化→非電化になるというのは驚きでした。経費がかかるので電化部分は貨物に任せ旅客運搬は気動車で、というのは各地で見られますが、せっかく張った架線を外すという例はなかなかありません

諫早へと向かう

ただ私のきっぷでは特急には乗れないので

奥の切り欠きホームから普通列車に乗り

30分ほどで諫早に到着です(写真は前日17日のもの)

こちらも前夜感いっぱいです(写真は17日のもの)

島原鉄道へ乗車

ただ私はJRの改札口から駅ビルを降りる形で別の改札となっている島原鉄道へと向かいます

ホームはJRと並んでいて直通運転をしていたなごりからか番号も順番に振り当てられています。島原鉄道は0番線の切り欠きホーム

明治以来という歴史を持つ島原鉄道の歴史パネルも展示されています

約1時間揺られ

到着です

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ぬれ煎餅と初対面(思わず調べてしまう命名権)

6月22日11時半

勉強までさせてくれる駅

犬吠駅に到着しました。急に雨足が強くなってきました。6月の水曜日ということで観光客は少ないようですが、明らかにそうだと分かる方々を含め、ゾロゾロ下車

当駅は犬吠埼の最寄りで観光拠点でもあるため、銚子電鉄では駅舎が最も大きいものとなっています。平成になって現在の姿に

初日の出といえば、というほど有名ですよね

ちなみに

ネーミングライツによる副駅名はOTS沖縄ツーリスト犬吠埼温泉

なにゆえ沖縄の会社かというと同社のキャッチコピーが「One Two Smile」で犬吠は犬、犬の鳴き声が「ワン」ということでコラボが実現したとか。ここまで来るとレベルが上がりすぎているというか奥が深いというか。髪毛黒生については何となく分かりましたが、こちらはなんでだろう、ということで東京への車中で延々と調べてしまいました。銚子電鉄というのは還暦のおじさんに今さら勉強までさせてくれるのです

念願かなう

最大の駅とあって、もちろん駅員さんはいて構内は規模の大きなグッズショップも入っています。そして

念願のぬれ煎餅を購入。いろいろな味があるのですが、最も売れ行きの良いという赤の濃い口味を購入。この後、東京に宿泊してから帰るので、そう大きな荷物は持てない。せんべいを大量購入して割れては悲しすぎるので

こちらはビールのあてにちょうど良さそう

せんべいは帰ってから食べました。表現は難しいのですが、ふわりとした感じ。おそらく世間が思うせんべいのイメージとは異なるはずなので、ぜひ食べてみてください

ちなみにお店の方が私の持っているフリーきっぷを見て「1000円買い物をすると割引があります」とおっしゃるので缶コーヒーを買い足して条件を満たしました。今回は利用しませんでしたがホームページを見ると、いろいろな割引があるようです

心残りは

たい焼きを食べられなかったこと。今日は水曜日で、そもそも時間も全然違う。これは調べてこなかった私が悪いのですが、ちょっと残念でした

さて今日は夜に都内で用件がある(まぁ、呑むだけなんですが)ので、そろそろここで銚子を離れなければなりません

銚子駅で最後の買い物

帰りは成田線経由とします。自分ではJR東日本の路線は北上線を除いて全部乗ったと思い込んでいたのですが、よーく考えてみると銚子に来たのが初めてということは成田線も完乗していないことになる。このように虫食いのように未乗車となっている区間が私には、かなりあります

そして聞いたところによると銚子駅の窓口が10月いっぱいで閉鎖になるとか。ここは窓口できっぷも買いましょう

アプリもあるのですが、あえて窓口で普通車グリーン券も購入

都内で途中下車できるきっぷって、何か優越感に浸れますね。余談になりますが、以前船橋から大阪までのきっぷを買った時も、用もない駅も含め、3カ所の駅で途中下車してみて自動改札機から出てくるのを喜んだりしていました

乗車券だけなら1万340円ですよ。東京~大阪は8910円です。東京から銚子まで120キロもあるのに1430円しか変わりません。ちなみに東京~銚子だけだと2310円。遠距離運賃逓減制のパワーってすごいですね。きっぷは目的地まで通しで買いましょう

銚子といえば私の世代では高校野球の銚子商業のイメージが強く、あの江川投手が雨中の延長戦の末、サヨナラ押し出しで敗れた試合の相手として強く印象に残っています。その時、2年生エースだった土屋投手が翌年に全国制覇(その時の2年生の4番が篠塚選手でした)。小学生の5、6年の時でしたが、それこそテレビに釘付けとなっていました

その銚子商業の生徒さんが銚子電鉄の施設などの復旧に大きくかかわっているそうで、久しぶりにいたるところで銚子商業の名前を見ました(地元なんで当たり前といえば当たり前ですが)

またゆっくり来ます

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ネーミングライツの妙に一見するとどちらがどちらか

6月22日11時

シブい駅名標がお出迎え

やってきたのは笠上黒生駅です

銚子から4駅目、外川から5駅目。全10駅の真ん中あたりになります。一見、難読です

渋い駅名標が教えてくれます

「かさがみくろはえ」と読みます。後半が難しいですね

「い」か「え」か

どちらも付近の地名です。銚子市笠上町と銚子市黒生町。2つの町名を合わせた駅名のようですが、黒生の正式な読み方は「くろはい」です。ただ町名にちなんだ場所には「くろはえ」と付いているものもあります。「米原」(滋賀県)、「佐用」(兵庫県)のように地名と駅名が微妙に異なることはあるのですが、こちらはどうなんでしょう

以前、茨城県出身の友人から「茨城や千葉では『い』と『え』の発音が同じようになっている」という話を聞いたことがあります。学校の職員室を「しょくえんしつ」と読む人がいるとか。それを聞いたのは昭和時代のことなので、今はどうなっているか分かりませんが、駅が設置されたのは大正時代なので、いろいろ勝手に推測してしまいました

一見で通り過ぎると気づかないかも

さて、しかしこの駅にはもうひとつの駅名標があります

事情を知らないと「こちらに新しいのがあるじゃない」とスーッと通り過ぎてしまいそうですが、よく見ると明らかに違います

駅舎ごしに見ると、その違いは明白です

駅舎に掲げられているのが「髪毛黒生」で向かいの待合所にあるのは「笠上黒生」

実はスカルプケアの会社が当駅のネーミングライツを取得していて、このような愛称となっています

それにしても数ある駅の中から、よくこちらにたどり着いたものだと感心してしまいます

当駅は銚子電鉄唯一の列車すれ違い可能駅。かなり古いと思われる駅舎の中もレトロ感が漂っています

列車交換があるからでしょうか。駅員さんもいらっしゃいます

ワンちゃん元気でした

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銚子電鉄で懐かしい朝ドラを思い出す

6月22日10時

フリーきっぷを購入

車掌さんからフリーきっぷを購入しました

料金は700円。終点の外川までが片道350円なので、単純往復と同じ料金。1カ所でも立ち寄れば「元がとれる」ことになります。また観光や買い物での割引もできます。じっくり楽しむには、なかなか良心的なお値段

ダイヤの関係で、まず終点の外川を目指します。終点を目指すといっても路線はわずか6・4キロ。20分程度の旅です。きゃりーぱみゅぱみゅさんのアナウンスで出発進行

銚子電鉄とは

日本のローカル私鉄では最も有名かもしれない銚子電鉄ですが、前述した通り

6・4キロのミニ路線。勾配については分かりませんが、歩いても終点まで行けそうです。元々は犬吠埼など付近の観光を目的として大正期に敷設された歴史ある路線です。電鉄なので、もちろん電化されています。銚子駅を入れても10駅と細かく駅を設置。運行は朝の通勤通学帯は30分に1本ほどで昼間は1時間に1本。基本的に総武本線との接続が図られているため、毎時決まった時間に出発とはなっていません(一時期決まった時間にしていたこともあった)

ただ最高の料金が350円しかないということは、儲けを出すためには、それだけ多くの旅客を運ばなければならない。沿線は人口密集地というわけでもなく、モータリゼーション云々以前から、慢性的な赤字に悩んでいました

一躍有名になったのは、経営サイドの問題で廃線危機を迎えてから。メディアで大きく取り上げられました。しかし本当に有名になったのは、あの手この手の生き残り策。ネットでも大いに話題となり、「ぬれ煎餅」がネット通販を含めて大ヒット。路線維持となった話がクローズアップされました。ある意味、ネット社会が大いに寄与したともいえます

外川駅に到着

外川に到着しました

大正時代から残る木造駅舎

駅舎内ではきっぷの他、グッズ販売もしています。ちなみに終点ではありますが、元日の日の出で知られる犬吠埼の最寄りは、ひとつ手前の犬吠なので、お間違えないように

ネーミングライツをしているので、駅名標は愛称も含めて2つあります

構内をウロウロしていると懐かしいものに出会いました

朝ドラの澪つくしは、こちらがロケ地だったんですね。ちょうど大学4年の春から秋にかけての放送で、放送中に就職が決まったりで何かと思い出は多い作品です。沢口靖子さんのデビュー作ですよ。最近の朝ドラは、それなりに知名度のある方がヒロインを務めることが多いようですが、このころは「誰?」というヒロインが多かった気がします。なぜか銚子で関西弁を操る(当時はテレビで今ほど関西弁はあふれていませんでした)さんまさんのラッパの弥太郎が印象に残っています

澪つくし号というものがあったことも初めて知ったし、その後調べると、かなり最近まで運行されていたことも知りました

折り返して他の駅も回ります

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「問題がある」という初めての銚子電鉄に戸惑う(もんだいガール)

6月22日10時

かつて四国で乗っていた電車との対面に感動

銚子電鉄はJRのホームの一部が切り欠きとなっていて、そこから出発する。駅そのものはJRの管理なのでJRの改札を抜けなければなりません。地図だと離れているように見えますがホームは共有されています

JRの駅舎内では、もちろん銚子電鉄の乗車券を券売機で買えますが、私が求める1日フリーきっぷの販売が見当たりません。どうすりゃいいんだ、とJRの入り口で尋ねたところ「車内で車掌さんから買ってください」

てっきりワンマン運転だと思っていたし、こんな立派な改札口を手ぶらで通ることなど、めったにないのでちょっと首をかしげつつ再び改札内へ

跨線橋を上がると

見えてきました。よくメディアで見かけます

元々は風車が付いていたのですが老朽化して外されてから、そのままになっているのは有名な話です

折り返しの電車がやってきました

懐かしいですね。かつて京王で走り、伊予鉄へと移籍。そして銚子電鉄にやって来た車両。おそらく東京で学生生活を送っていたころ、東京で走っていたはずですが、その記憶はありません。しかし伊予鉄時代は、ちょうど四国各地を回っていたころなので松山に行くとよく乗っていました。はるばるやって来た甲斐がありました。この日は雨模様でそれほど暑くなかったため気づかなかったのですが、冷房は付いているものの変電所の容量の関係で走行中は冷房が使えないそうです

ただこの時、私はヘッドマークのことなど、ほとんど気にかけていませんでした

おじさん、大いに照れる

勇躍、乗り込みます

するとそこで待っていたのは

何でしょうか?これは??

私はニュースでも取り上げられていたものを見落としていたのですが

この春からきゃりーぱみゅぱみゅさんとのコラボが行われていて、きゃりーさんの曲である「もんだいガール」から

問題だらけの「銚子電鉄」と「問題がある」がコラボして「問題だらけの“もんだいがある”きゃりー電車」(舌がついていきません…汗)が運行されています

車両のコラボや内装だけでなく、老朽化した駅の施設がきゃりーさんのコンサートの際に販売された銚子電鉄グッズそして現地や通販でも販売された収益で修繕されたとか

車内アナウンスもきゃりーさん

予備知識なく飛び込んだおじさんは大いに照れてしまいましたが、いつも利用されている地元の方は何事もない様子でシートに揺られていました。まぁ、当たり前ですけど

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銚子電鉄に乗るため初の銚子。良い時も悪い時も(JRの駅でほっこり)

6月22日7時半

千葉でさぬきうどんを食べてから特急で銚子に向かう

前夜は千葉駅近くに宿泊しました。千葉県には仕事もプライベートも含めてよく来ていますが、成田から飛行機に乗るため前泊したのと、かつて現在のジェフ千葉が市原という名前で五井の球技場を本拠地にしていたころ、帰れなくなって習志野に宿泊した2回ぐらいしか泊った記憶がありません。東京までの終電も結構あって、都内まで行ってしまうことが多いのでしょうね。いずれにせよ千葉駅近くに宿泊したのも初めて

千葉駅で降りたのは久しぶり。いつも通るだけのことが多く20年を軽く超えているかもしれません。そして変貌ぶりにビックリ。駅から徒歩10分もかからないホテルでしたがウロウロして結構迷ってしまいました

朝食を千葉で摂ります

構内にさぬきうどんのお店があります。前夜、市内で一杯やった千葉在住の友人によると評判のお店で人気があるそうです

私は今から20年以上前、高松に赴任して2年半ほど暮らしたため、日々現地のうどんのお世話になっていました。その後、さぬきうどんブームがあって各地で食べられるようになりましたが、まさか千葉の駅構内で食べられる日が来るとは思ってもみませんでした

卵かけご飯とセットの朝食メニュー。美味しかったです。出汁ももちろんさぬきうどんです。私が東京で学生生活を送っていた昭和時代、東京の人から「関西のうどんの、あの澄んだ出汁って醤油をかけるの?」と真顔で言われたことがあります。あれでは味なんかしないだろう、という意味です。もっともこちらから言わせると、その逆になるのですが…

そんな話は最近聞きませんね

さて、ここから向かうのは銚子です。特急で向かいます。初めて行くのですが

遠いですね

時刻表によると特急で約80分。かなりの時間です。距離にして約80キロ。しかし考えてみると、それよりもう少し長い大阪~姫路を昼間も15分おきに運行されている新快速は63分で走るのですから、いかに速いか分かります(もっとも佐倉~銚子の60キロ以上は単線なので速度に制約はあり、列車によって所要時間は多少変わる)

ただし

特急料金はお安い。このほどB特急券の規模縮小がJR西日本などから発表されましたが、利用者にとっては痛い実質的な値上げです。私に言われると特急の停車駅を増やすのと引き替えにB特急券が登場しと歴史があるため、首をかしげざるを得ない部分があるのですが体力がある部分は、ぜひこの制度を残してほしいものです

私は私鉄の有料特急も含め、通勤通学帯の在来線特急が大好きです。通過駅も含めホームで待つ人々の姿を見ると、ちょっとエグゼクティブな気分になれるから。専用軌道の新幹線にないものです

初めての銚子でほっこり

銚子駅に到着。総武本線の終着駅。終着駅の雰囲気も好きです。片方にしか隣駅の表示がない駅名標いいですね

4年前に新駅舎ができたばかり。もちろん旧駅舎の姿は全く知らないわけですが

旧駅舎の一部も残してあるようです

さて私が向かうのはこちらなのですが駅の改札外で

手書きなのがいい。銚子(調子)が良い時も悪い時も。ほっこりした気分になれました

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早すぎた姫路モノレールの廃線跡を歩く

1月10日訪問

手柄山中央公園から廃線跡をたどる

モノレール展示室を出て徒歩で姫路駅を目指します

実際のコースは少し西側の川沿いをできるだけ歩き(川沿いに廃線跡があるが必ずしも道路が並行しているわけではない)、新幹線の交差部分を越えたあたりは、やや北側に進路をとっています

川というのは船場川でモノレールはこの川に沿って敷設されました。住宅地を通るわけにはいかなかったのでしょう

すぐに橋脚がお出迎え。ただし「解体工事中」とあって、ここから先には行けません。他に解体されるものは見当たらないので対象は橋桁でしょう

川沿いにはまだいくつも遺構が残っています

グーグル地図の徒歩ルートは当然のように県道が選ばれていて(これはグーグル先生が極めて正しい)、大きな県道の向かいには巨大なイオン。目と鼻の先なんですが、まるで別世界のようです

いくつか残る遺構を見ながらどんどん進みます。遠くに遺構が見える部分もあるのでナビは必要ありません

かなりリアルな光景も見られます

 

なにゆえモノレールだったのか

モノレールの開業は1966年。昭和だと41年で半世紀以上前のこと。工事が始まったのは東海道新幹線の開業間1年後。橋桁を設置する手間や費用などを考えても、他に手段はないものかと思ってしまいますが「すべて高架なので踏切の必要がない」「急カーブに対応しやすい」など、今にして思えば画期的な理由が挙げられています。特に立体交差については将来の車社会を予期したもの。おそらく今ほど車は一般市民に浸透していないころで、これは先見の明があると感じます

もっとも当時の市長がアメリカで見たモノレールに大いに関心を持ったことがきっかけとい説もあり。東京五輪が開催され、高度経済成長をまい進する最中。東京モノレールの開業もあり「画期的な交通機関」に世の中の興味が集まっていた時期なのかもしれません

ちなみにJRとの交差部分にこのような説明板がありました

JRが地上を走っていたころ、踏切をやめて道路が線路をまたぐべく造られた大将軍橋の説明。モノレールより10年前に既にそのような予想があったのですね。結局は「ここだけ立体交差していても他の部分の線路がじゃまだ」ということになり、JRは高架化。この近辺では山陽電車とJRの上下が逆になるという大工事となり、山陽電車が1日だけ姫路乗り入れを中止して手柄を1日だけの終着駅にするという歴史的な日もありました

大将軍駅から姫路駅へ

その大将軍駅跡を目指します。橋の名前にもなったように大将軍というのは地元ではなじみやすい名前だったようです。由来の大将軍神社は今も健在。今回は立ち寄りませんでしたが、グーグル地図の通り歩くとローソンがあり、その裏手あたりにあります

ただモノレールは、やや北側から回り込む形となっていて地図では、道路がやや波打つ形となっている場所にあります。現在の姿は

空き地です。今から6年前に解体されてしまいましたが、10階建てのアパートの1、2階がテナント、3、4階部分が吹き抜けとなっていてモノレールがその中を貫通して駅が設置されるという、これまた画期的なもの。モノレールの廃線後も他の部分は使用されていましたが、阪神淡路大震災で建物そのものが弱っていることが判明。21世紀からは、ほぼ幽霊ビルのようになっていました。10年ほど前に姫路を訪れた際、写真を撮ったのですが、今回のブログ記事を書くにあたって、いろいろ探したものの見当たりませんでした

このあたりまで来れば姫路駅は間近。人も多くなり、遺構も目を見張るものになっていきます

 

 

屋根の上をモノレールが走るなんてすごいですね

この先はもう姫路駅です。山陽電車の姫路駅の脇に出ます

 

話はややそれますが、山陽電車の姫路駅は昔のターミナル駅の風情が強く残ります。姫路を訪れる際はJRや新幹線利用の方が圧倒的に多いかもしれませんが、ぜひこちらにもお立ち寄りください

姫路モノレールの遺構は2年前、土木学会の選奨土木遺産に選ばれました。「全国に先駆けた自治体経営のモノレールで、戦後姫路の躍進と大志の結集体」という評価。ただし選ばれたのはあくまで手柄山の展示場。橋脚の遺構については撤去作業中で危険性もある、との理由で選ばれませんでした。とても残念

今回紹介したものは1月時点でのもので、それからさらに撤去、解体が進んでいると思われます。これから気候もよくなっていきます。地歩にして30分ほどと手頃で、しかも姫路の町の真ん中。ある意味「アクセス抜群の廃線跡」といえます。ぜひ、訪れてみてください

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