新幹線

10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その3 空き地にたたずみ歴史を振り返る

元善光寺駅の駅名標

※訪問は2024年10月26日

元善光寺駅から徒歩20分

元善光寺からリニア駅予定地を目指して歩き始める

まだどこまで形になっているか分からないが、元善光寺駅からだと徒歩15~20分ほど。実際は元善光寺の参拝をしてからの訪問なので、県道229号で示された徒歩21分コースを行ったことになる

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美乃坂本駅との違い

元善光寺から歩を進めて踏切を渡る

名称は座光寺踏切。元善光寺駅は飯田線が戦時中に国有化された際、しばらく座光寺駅を名乗っていたのは前記事で記した。座光寺は地区名なので、そこから付けられたものなのか、駅名が座光寺だった際に設置されたためなのかは分からない

県道は地方都市ならではののどかな地域。県道を折れ、さらに進むと

空き地が現れ「中央新幹線長野駅県新設工事」の看板がある。発注者として東海旅客鉄道の文字もある

何か心躍る。しかし

付近は空き地が広がるのみ。周辺はそれなりに民家や店舗もある場所で、立ち退きもあって整地に着手したという感じだ

岐阜県駅の工事が進む美乃坂本駅付近とは状況が異なる。岐阜県駅は車庫も併設される予定なので工事の進ちょくが早いのかもしれない

空き地には残土処理場があった。ここで初めて「リニア」の文字を見る。先ほどの看板では中央新幹線という正式名称だったが、関連の文字はこの2カ所のみ。これを見落とすと、一体何の工事が行われている場所か分からないぐらいだ

中津川線そして中央自動車道

リニアの計画が発表されたころから長野県内はどこに駅が設置されるのか、当然ながら県内では大論争となった。周辺で最も大きな都市といえば松本となるが、そもそもが東京と名古屋を最短で結ぶことが使命の新線。松本まで回っていられないのなら岡谷、諏訪、まとまらないのなら複数の駅を、という声も出たが、結局はJR東海が推奨する飯田を通る案となった。地元がまとまらないと長野県内を通らないルートに変更されてしまうという危機感があったとされる。地元の希望は飯田駅での併設だったが、ビッシリ市街地ができているため、JR東海は無理と判断。現在の場所へ設置されることとなった。現在の案では高架駅となる予定。ちなみに地下駅の品川から発進するリニアは神奈川県駅は地下駅で山梨県、長野県、岐阜県はいずれも地上に姿を現わす高架駅、そして名古屋は再び地下駅となる予定だ

南アルプスを貫いて一気に岐阜県の中津川付近目指すリニアだが、実はこのルートは在来線の敷設が予定されていた。中津川線という名称で飯田駅と中津川を結ぶ。地図だけを見ると中央本線と飯田線は近い場所を走っているが、2つの路線を結ぶ鉄路はない。南アルプスの存在があるからだ

それでも何とかしようと計画されたのが中津川線。戦前から地元の要望が出ていたが、戦後に正式に建設が決定。中央本線と飯田線を接続するため、当初から電化路線として1960年代の終わりに工事が始まった。総距離36キロという短い距離だったが、予想以上の難工事に手間取っている間に、ほぼ同コースの中央自動車道が1975年に完成してしまい、建設は凍結となってしまった

ただし中央自動車道には県境に恵那山トンネルという8000メートル以上のトンネルがあり、5000メートルを超えると危険物を輸送できないという規定のため、石油の運搬ができない。そのため、名古屋方面から長野県への石油運搬は今も中央本線での鉄道貨物が使用されている。中津川線は石油輸送にも利用されることになっていて、もともと石油会社の専用線があった元善光寺駅は石油ターミナル駅となる予定だったが、もちろんその計画もなくなった(ただし元善光寺駅は今も臨時貨物駅として登録は残っている)

駅予定地では周辺の整備から先に進められているようだ。開業までは10年以上の歳月がある

長野県駅は一時、飯田線に新駅設置の話も出ていたが現時点では不明。現地に行ってみると線路とリニア駅の距離は徒歩で5分以上はある。単独駅になることが有力とされるが、幻の路線となった未成線がリニアに姿を変えて結ばれるとは、当時は思いもよらないことだろう

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10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その1 元善光寺はどんなところ?

元善光寺駅の駅名標

※訪問は2024年10月26日

思い出す2年前のグルグル回り

こちらの続きとなります

塩尻から岡谷へ。10分ほどで到着する

ちょっとだけ懐かしい。というのは

ちょうど2年前の10月にも、ここにやってきたから。フラリと立ち寄ったら、本当に沼にはまってしまった。新幹線も乗り放題のきっぷを手に一体、何を思ってこのような行動になったのか、理由が今も思い出せない。なんとなく、から急に点火したいつもの行動だろうけれど

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辰野をまたぎ飯田線へ

2年前と同じく切り欠きホーム0番線乗り場へ。当駅始発の飯田線は原則的にはここから出る。前回はJR東日本区間のフリーきっぷだったので、乗車は中央本線旧線の辰野までだったが、今回はJR東海の飯田線が目的なので辰野から先まで向かう。岡谷~辰野はJR東日本の中央本線区間だが、実際は飯田線の一部のような運用となっているため、この区間を走る電車はJR東海の車両が多い

今回は別会社をまたげるフリーきっぷの季節ではなかったため、乗車券を購入

芦屋から東海道本線に乗車し、新大阪から新幹線に乗って名古屋まで。中央本線を北上して塩尻から岡谷を経由して飯田へと向かう。JR西日本からスタートしてJR東海→JR東日本そして再びJR東海という経路。このコースのきっぷは初めて購入したが、経由の岡谷を入れるのではなく「川岸」を入れることで飯田線の文字はない。ちょっと感心。川岸というのは、沼にはまる前から気になっていた岡谷~辰野にある唯一の駅で

これはいろいろな意味で盛り上がった。JR東日本の駅にもかかわらず、やってくる列車はほとんどがJR東海の車両ばかり。大正期の開業以来の駅舎も素晴らしかった。そして訪問直後に駅舎の改築が発表され、簡素駅舎となった、という悲しい結末もあった

リニア駅を訪ねてみよう

今回の目的は「リニア中央新幹線の駅予定地を見に行こう」である。この景色が、その後にこうなった、という移ろいは、ある意味貴重。開業までは10年以上かかりそうで、かなり時間があるが、私は以前、後に北海道新幹線の新函館北斗駅となった渡島大野駅に2年続けて行ったことがある。とにかく今のうちに行ってみよう

ただしどこに設置されるのかぐらいは予習して旅立たなければならない。調べてみると既存の駅に併設、または駅名変更したり、既存の線路上に設置されるのではなく単独の新駅らしい。リニア新幹線の駅予定地としては、最初から飯田が挙がっていたが、飯田駅に併設ではなく、最も近い駅は元善光寺らしい

こちらも興味のあるところだ。長野市にある善光寺については誰もが知っているし、私も行ったことがあるが、同じ県内の元善光寺については知識はあるものの、訪れたことはない。ならば元善光寺から飯田で宿泊して、その後はトコトコ飯田線を南下、豊橋まで行ってみよう

ということで岡谷から元善光寺へ勇躍向かったのだが、12時29分岡谷発の列車に乗り込み、到着は14時41分と、なんと2時間超。この間の距離は76キロで、すぐご近所というわけではないが、とにかく駅数が多い。さすが元私鉄だけある、と感心するよりグッタリしてしまった。いつも言っていることだが、私は同じ乗り物に1時間以上続けて乗っているとイヤになってくる

中央本線である岡谷~辰野は9・5キロあって、その間にあるのは川岸だけだが、辰野から元善光寺の66・4キロは31駅目。駅間距離が1キロそこそこの区間がかなり出てくる

ちなみに全く同じ区間を車で走ると中央道経由で半分の時間で着いてしまう

最終的に飯田には16時ごろに着かなければならないので、途中駅での下車は断念(この区間の飯田線は、おおよそ1時間に1本の運行)

とにかくヤレヤレの到着である

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その6 やっぱり列車でゴールしなきゃ

糸魚川駅に到着

※訪問は2024年10月11日

2つの駅名板

中土駅の駅舎には2つの駅名板がある。ひとつは前記事のサムネで掲載したもの。そしてもうひとつは

年季が入ったもの。前者は駅舎の外に、そしてオールドバージョンは

駅舎の外側つまり列車で降り立つと、こちらが迎えてくれる

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シールを張って一路糸魚川へ

中土駅ともサヨナラの時間が来たようだ

南小谷駅でも同じものがあり、1カ月前に張った。今回ももちろん張る。来た全員が張り付けるとは思わないが、南小谷より利用者が圧倒的に少ない当駅なので、見かけたら思わず張ってしまうのではないか。首都圏や近畿圏は重ねて張るしかないのだが、遙か彼方からの人もいるようだ。対馬はビックリ。福岡からの方は「ネタじゃねぇぞ」との書き込みも

駅でともに降りた同業者の青年は、この後北小谷まで行き、増便バスの停留所まで歩き(徒歩10分ほど)、白馬から松本経由で東京に帰るという。前日からの旅程を聞いたが、若いとパワフルでいいな、と思った

中土から1区間、同乗してお別れである。私はこのまま糸魚川へと向かう。ふと顔を上げるとキハ120の車内は私を含め4人

そういえば中土駅ではこのような注意書きがあった

頭の中が鉄道だらけになると「通過」という意味が間違って脳内に伝わってしまうが、バスの世界では、ここには立ち寄らないという意味になる。今は国道から離れてしまうと、何かと不自由な時代である

大糸線の現状

私が乗車したのは中土を10時10分に出て11時3分糸魚川着のキハ120。10時4分に南小谷を出ているが

こちらの記事でも記したように白馬方面からの接続が極めて悪い列車で乗車が少ないのもうなづける。この後、根知で2人、姫川で1人の乗車があった

ここで糸魚川と南小谷をのぞく2022年度の非電化区間である大糸北線各駅の利用者数を記すと

中土 2人

北小谷 4人

平岩 4人

小滝 4人

根知 8人

頸城大野 16人

姫川 4人

この中には今回私が使用した秋の乗り放題パスや青春18きっぷなどのフリーきっぷの利用者は含まれていない。また中土で出会った同業の青年は途中下車を繰り返していたが、そちらも含まれないので実際に乗降した人の数とはかい離があるが、日常ということを考えると決して良い数字とは言えない

一方、増便バスについては長野県のHPに9月12日の記載があり、6~8月の利用状況について

6月 1日平均約25人(1便平均3人)

7月 1日平均約48人(1便平均6人)

8月 1日平均約112人(1便平均14人)

となっている。認知度が増して夏休みに入ると利用者が増えていることが分かる。現に9月に私が利用した日も18人の乗車があった。もっともこちらはあくまで白馬~糸魚川全体の利用者であって各駅の利用者数とは異なることに留意が必要。鉄道もそうだが白馬や信濃大町から大糸線を経由して糸魚川から新幹線に乗り換えると各駅利用者には入らない。また私見だが、バスの数字にはフリーきっぷ利用者も含まれている気もする

景色を眺めながら糸魚川へ

平岩駅を過ぎると姫川温泉が見えてきた。3年前に宿泊した際、部屋から「お~い」と手を振った。翌日、乗車すると車窓から部屋で手を振る浴衣の宿泊者がくっきり見え、私もそんな風に見えていたのかと、ちょっと恥ずかしくなったことを思い出す

12月から増便バスは冬季期間となり停留所が変更される。現在は白馬から南小谷までの各駅に停車しているが、南小谷までノンストップとなり、代わりにスキー客の利用が多い白馬八方バスターミナルが新たな停留所となる。また平岩、小滝の両駅は通過するが、駅とは離れた場所の温泉施設や道の駅が停留所となっている中土、北小谷の両駅は停車が続く

大糸線用となっている糸魚川の切り欠きホームに到着。やはり列車の到着は気分が落ち着く。大糸線については非電化区間であるJR西日本の大糸北線ばかりが何かとクローズアップされるが、JR東日本の区間も信濃大町から北上していくと、一定の乗客がある途中駅は白馬と神城ぐらいで、この後の記事でも出てくるだろうが、多くの駅で「ぼっち」を体験した。沿線には多くの温泉があるにもかかわらず、もったいない気もする

手元に1988年3月号の時刻表(復刻版)がある。すでにJRへの移管は行われていたが、南小谷をまたぐJR東日本、西日本の両線を走る列車がまだ1日2往復残っている。大阪から北陸本線、大糸線を経由してのシュプール号も健在。このシュプール号、いつも大阪駅で多くのスキー客が列車を待っていた光景は覚えているが、始発駅が西明石だということを知ってちょっと驚いている

増便バスを出すぐらいなら、大糸線そのものを増便すれば良いではないか、との声も聞こえてきそうだが、平岩、中土の両駅でも紹介したように大糸北線では駅の交換設備がなくなっていき、現在すれ違いができるのは根知駅のみで列車本数を簡単には増やせない状況にある。ただ白馬行きの増便バスで分かる通り、JR東日本と西日本をまたぐ列車があれば需要は少し増えるのではないか。それが無理なら、せめて接続の便を図るべきだと思えてならない

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大糸線の非電化区間を1日4往復補完する増便バスに乗車~その3(終)

南小谷駅の増便バス停留所

※訪問は2024年9月10日

14人で出発

まず前提として触れなければならないのは、私が乗車したのは青春18きっぷ期間ながら最終日の平日だったということ。夏休みの土日なども含め、何回か乗車したのであれば、標本数も増えるわけで、数字を比べたり分析することも可能だが、標本数はひとつで、しかも平日のお昼すぎだったというお断りを入れさせていただきます

定刻より3分ほど遅れて到着したバス。乗り込んだのは5人。そもそも大糸南線に乗車して終点南小谷で下車したのは2両編成の電車で全部で9人だったので、それ以上の乗車があることは考えにくい。もうひとつ触れておくと大糸南線も松本~信濃大町は通勤通学にも利用される区間で昼間も1時間に1本の運行は確保されているが、信濃大町~南小谷は乗客、本数ともにめっきり減る。特に観光地でもある白馬を過ぎると車内も閑散とする。営業係数はかなり苦しそうな区間である

バスに乗車すると白馬から乗車してきたと思われる先客9人がいて計14人で出発となった(この区間も3駅に停車するが、乗車はほぼないと予測)。乗車方法は列車とほぼ同じだが、青春18きっぷの場合は先にきっぷを見せて降りる駅を告げる。大糸北線の途中駅はすべて無人駅だが、途中の駅または停留所から乗車した場合は降車駅で現金で支払う。ただ結論を先に言うと途中での降車はゼロだった

乗車にちょっと驚き

前記事でも触れたが、駅と道路の位置関係で既存の駅近くに停留所が設けられない場所があり、それが中土、北小谷、小滝の3駅。平素から1日の乗車が限りなく0人に近づいている駅で道路からも離れている。3年前の9月に大糸北線の全駅訪問を行った時も、すべて「貸切」となった駅だけに最初からメモに「0」と書き込んでいたほどだったが、北小谷で2人の乗車があってビックリ。北小谷の停留所は750メートル離れた道の駅に設置されている

北小谷はホームからの姫川の眺めは美しいが、駅前に公民館のようなものがあるだけで何もない駅。シュプール号のために交換設備を設けたが、やがてまち単式ホームに戻ったという歴史を持つ。大糸北線が最後のにぎわいを見せたのがシュプール号だった。今にして思うと「私をスキーに連れてって」の映画とユーミンの歌で始まったスキーブームの一翼を担ったシュプール号。深夜近くの大阪駅ホームが大にぎわいを見せていた光景はいつから消えたのだろうか

話は少しそれたが、北小谷駅の川向こうにある道の駅小谷には温泉が併設されていて、北小谷駅の訪問時は時間があれば行ってみたいと思ったものだ。増便バスをうまく使えば、道の駅で約2時間過ごせる。温泉に入って食事をすれば、ちょうど良いかもしれない。列車の駅までも15分あれば歩けるので、組み合わせると良い訪問ができるかもしれない

2021年の大糸北線全駅訪問時は、55歳以上は3日間新幹線も含めJR西日本乗り放題でグリーンを含む指定席も6回まで乗車できるフリーきっぷを利用した。グリーン車もバンバン乗れるのに大糸北線へ越美北線の各駅訪問などをする人間は、圧倒的な少数派だろうから実態に近い乗車率を目の当たりにできたと思うが、キハ120に16人も乗車している場面は少なかったと思う

この後、バスは2021年に宿泊した姫川温泉の最寄りである平岩へと立ち寄る。駅は新潟県だが、宿まで数分歩くと長野県となる。山中の県境は何もない険しいところ、のイメージがあった私はビックリしたことを覚えている

その時に国道148号が旧道から現在のコースに変わった際、平岩の駅前を通らなくなったことを知ったが、確かにバスは国道から平岩駅へ1度下って、また国道へと戻るコースをとった

自分の車窓側の根知まで来ると糸魚川まで10キロ。街も開けてくる。ここ根知から糸魚川まではバスもそこそこの本数があり、私も利用した

姫川~糸魚川はJR西日本で最後の未乗車になった区間で昨年2月以来の訪問。その時の頸城大野駅は雪に埋もれていた。今とは対照的な光景で11時になろうというのに雪を踏みしめた跡が極めて少なかったことも覚えている

南小谷からここまで乗車は北小谷の2人だけ、降車はゼロという状態だったが、姫川から高校生が2人乗車(こちらもちょっと驚き)。結果的に糸魚川で下車したのは18人

おなじみの旧車庫をあしらった糸魚川のアルプス口

これで1時間のバス旅は終了。夏休みはもっと多くの乗車があったと聞くので、今日は少ない方だったのか。青春18きっぷの期間が終わると、さらに減ってしまうのかどうかは実際に乗車してみないと分からないので、機会があれば秋にもう1度訪れ姫川温泉に泊まりたいとも思っている

来年3月に結果が出た時、どのような数字が発表されるのかどうかは分からないが、青春18きっぷのようなフリーきっぷを乗車した利用者をどうカウントするかも大きく数字を左右するだろう。フリーきっぷは乗車駅と降車駅が把握できないため、通常は数に入れない。芸備線の青春18きっぷシーズンは、ここ数年1日1本の新見~三次間の列車は、押すな押すなの超満員となっているが、JR西日本にこの季節の数字を入れようという意識は感じないので、どのような数字を出るのだろうか?

少なくとも来年3月まではバスと列車を組み合わせると、なかなか楽しめることだけは間違いない。ただひとつの留意点は、ハイデッカータイプの使用バスは乗り心地はとても良い一方で、お手洗いはない。路線バスで旅する際、お手洗い問題は必ずあるのだが、増便バスでも注意していただきたい点である

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大糸線の非電化区間を1日4往復補完する増便バスに乗車~その2

南小谷駅の改札

※訪問は2024年9月10日

所要時間は列車と同じ

南小谷は1日1往復ではあるが、特急「あずさ」が新宿からやって来る。所在地は「小谷(おたり)村」で、なかなか初見では読めないが大糸線に乗車していると何度も繰り返しアナウンスされるので1度乗車すると読めるようになる。電車特急の終着駅が「村」というのも、ある意味凄いことだ

列車が到着すると構内に増便バスの案内アナウンスが流れる。青春18きっぷでも乗車できる旨も放送された。この日は2024夏の18きっぷ最終日である

時刻表によると南小谷から糸魚川まで約1時間。これは列車とほぼ変わらない。ただし必ずしも既存の駅前に停車するわけではなく交通新聞社の時刻表にも欄外に「北小谷駅のバス停留所は駅から約750メートル、中土駅のバス停留所は駅から約1200メートル離れています」と記されている。750メートルはギリギリ許容範囲だが、1200メートルはちょっと離れすぎだろう。大糸線の電化区間内は駅間が近い場所がいくつもあるが、おそらくそれよりも長い

定刻より3分ほど遅れてバスがやってきた。私はバスについては詳しくないが、空港のリムジンバスでよく見られる形式である

なにゆえ山中を通るのか

大糸線は松本と糸魚川を結ぶ105キロの路線。歴史をさかのぼると、元々は信濃鉄道という私鉄が松本~信濃大町に敷設したことに始まる。沿線には観光地も多く利用も好調。1916(大正5)に全通すると、わずか9年後には電化を完了させた

と同時に信濃大町から糸魚川に至る旧千国街道は、新潟から信濃に塩を運ぶ古来からの役割に加え、軍事面でも注目されるようになった。有事の輸送はもちろん、山中奥深くにあることが「敵の攻撃を受けにくい」となったのだ。有事に備えた山中の鉄路には現在の天浜線もあてはまるが、計画時はまだまだ航空機ではなく海上からの攻撃の時代。海沿いの線路よりも山中の線路が「いざ」という時に役立つという発想だった。元は鹿児島本線としてスタートした肥薩線も、海沿いルートを走る鹿児島本線に名称を譲りながらも有事の貴重なルートであり続けた

そのような経緯で昭和に入ると国の手によって糸魚川を目指す工事が始まった。1935年(昭和10)には南小谷を越えて中土まで開業。糸魚川からは小滝までが開業した。それぞれが大糸南線、大糸北線と名付けられた。間もなく信濃鉄道も国家買収。通常、両端の駅にちなんだ路線名は、それぞれの駅名から1文字ずつ取るものだが(水郡線のように事実上の始終着駅から1文字取ることもある)、途中駅の信濃大町から「大」の字をとった大糸線という名称は、国鉄が工事に着手した際に決められ、信濃鉄道の買収後もそのままにされたゆえのものである

ただ小滝~中土は冬季の積雪にも見舞われる山中の難工事で、全線開通となったのは戦後10年以上も過ぎた1957年。国防という当初の役割は終わっていた。そもそも人が少ないと分かっていた場所にあえて敷設した路線。戦後に行われた電化工事が南小谷までで終わったこと、国鉄民営化の際に電化、非電化区間で会社が変わったこと。北陸新幹線の開業で大糸線沿線の観光地へは新幹線利用の方が早くなったことなど、マイナス要素が積み重なった

現在、糸魚川から松本までの経路をグーグル先生に尋ねると北陸新幹線を利用した長野経由のコースが案内される。そちらの方が早い。黒部観光の入口となる信濃大町へも長野からのバスルートが優勢である。大糸線105キロのうち非電化区間はわずか35キロしかないが、糸魚川から白馬、信濃大町、安曇野といった観光地へ移動するのは本数も少なく直行列車もない。いわば負の積み重ねとなっているわけだが、今回の増便バスは今夏の青春18きっぷ期間中は、かなりのお客さんを乗せていたと聞く

18きっぷの最終日、1時間のバス旅を始めよう

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「十日天下」も新幹線の全駅利用を駆け込みで目指す~後編・駆け込み訪問にこそ意味がある

※訪問は2024年3月5日

美しい雪景色の車窓

一夜明けて十日町駅から飯山線で飯山駅を目指す

朝から雪が降り続いている。ただ十日町の中心部は歩道が屋根付きで、駅は徒歩だと5分以上離れたところにあるものの駅へも屋根はつながっている

交差点部分はさすがに屋根はないが、ちょっとした小走りを交えることで、ほぼ雪からは逃れる形で駅へと到着できた

列車が停車しない部分はすっかりホームも雪。上に見えるのが北越急行のホーム。十日町は接続駅で、北陸新幹線の金沢延伸前まで北陸から東京へのメインルートでもあった北越急行からの越後湯沢乗り換えで使用されていた特急「はくたか」の一部も停車していた

8時半に十日町発。飯山線のダイヤは決して本数の多いものではなく、2~3時間に1本の運行。以前の訪問時は、暑さの残る9月で、いくつかの駅で降りたりもしたが、今日は飯山駅が目的だし、列車本数や天候も考えると、線内は乗り鉄である。だが平素は同じ乗り物に1時間も乗ると飽きてしまう私が見とれてしまうほど車窓は素晴らしかった

雪の中のレール

雪化粧の信濃川。飯山線は信濃川・千曲川に沿って走る。戸狩野沢温泉までの1時間20分、ずっと見とれていた

この日の車両もおいこっとだったが、戸狩野沢温泉で乗り換えとなる。乗り換えといっても対面ホームの2分乗継ぎで、実際は車両の交換。すでに長野県に入っている。3駅目が飯山。このまま乗車していれば1時間で長野まで連れて行ってくれるが、さすがにそうはいかない

予想以上の人出

飯山駅に到着。戸狩野沢温泉から2両編成となったが、多くの人が下車した。こちらは一段落した後の写真。はっきり分かる通り、雪が舞っている。十日町より激しい

在来線の改札口を出てすぐ、きっぷ売り場を挟んで新幹線の改札口で長い列ができている。ほぼスキー客の様子で海外からのお客さんの姿も目につく。当駅は無人駅ではないが、2021年11月いっぱいでみどりの窓口を終了。2台の指定席券売機がその代わりを果たしている。旅慣れた人なら券売機の方が楽かもしれないが、ふだん使い慣れていない人は時間がかかるだろう。横で立つ駅員さんが案内しながらの発券。国際色豊かで駅員さんも大変そうだった

私はというと自由席特急券だけ買えばいいので、駅員さんに尋ねると、誰も並んでいない券売機を案内され

あっさり購入。その気になれば、特急券さえ買えば軽井沢まで乗車券は有効だが、新幹線自由席の1区間特例分のみを購入。飯山駅に特化しているので、これで十分

30分ほど時間ができたので駅舎の写真をと外に出てみたが

激しい雪に、撮り逃げするようにして駅舎に戻る

飯山駅は1921年(大正10)に飯山鉄道という地元設立の私鉄によって開業した。戦時買収で1944年(昭和19)に国有化。現在に至る。路線名にもなっている飯山駅は、もちろん主要駅で2015年の北陸新幹線金沢延伸の際に新幹線駅が併設された。その際、在来線のホームも300メートルほど移動。その跡地は留置線として現在も使用され、車窓からも見える。グーグル地図にも側線跡が描かれている。どこまで近づけるか分からないが、事前の計画では行ってみることにしていたが、天候により中止である

ただし飯山鉄道の開業に尽力した五島慶太をたたえる石碑は旧駅から新駅に引っ越しているので、そちらは撮った

三日天下だからこそ意義がある

10時39分のはくたかで1駅乗車である

通過線のない2面構造のホーム。ちょっと遅れたが、これで新幹線駅の全駅訪問を達成。といっても11日後に北陸新幹線の敦賀延伸があるので、10日間だけの至福感。新幹線の駅が廃業になるなんてことは基本的にないので、延伸後にあらためて新駅とともに訪れればいいだろう、という考え方はあるし、その方が合理的でもある(ただし新幹線駅をひとつずつ訪問するのは、お金がかかり、なおかつ飯山駅と新駅では会社が違うので、すべての駅を訪問できるフリーきっぷの発売は難しいと思われる)

ただ、まずは北海道から九州までの全駅訪問を新線開業までに終えたとという事実が私にとっては大切で、直前の滑り込みによる三日天下と分かっている達成にこそ意義があるのだと思っています

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「十日天下」も新幹線の全駅利用を駆け込みで目指す~前編・痛恨の通過列車乗車

※訪問は2024年3月5日

旅のスタートは新潟空港

この記事を書いている傍らのテレビのニュースでは北陸新幹線敦賀延伸で持ちきりとなっている。私のX(旧ツイッター)のフォロワーさんも訪れているようだ。という事実を百も承知で2週間ほど前のことについて触れてみたい

8時20分、新潟空港にいた。今日は新潟駅から信越本線、上越本線、飯山線と乗り継いで十日町へと至る。大阪から新潟へはJALタイムセールで。最大目的地は明日の飯山駅で、大阪からだと名古屋経由で長野まで行くのが、おそらくノーマルルートだろうが、それだと往復同じコースになってしまう上、新潟空港はこれまで利用したことがなかったので、新潟から十日町経由で向かうことにした

バスで30分揺られ新潟駅に到着。すっかり変わったな、という感慨に浸る間もなく

春の青春18きっぷを購入。信越本線を南下。道中、いろいろな駅を回りつつ、十日町を目指すが、新潟近辺の駅では少しの雪が道ばたに残っている程度で雪のことなど、この時点では考えてもいなかった。しかし長岡あたりまで来ると、風景は一変。車窓は雪一色となってきた

3月16日より前の訪問が絶対

話は昨年秋にさかのぼる。10月に九州新幹線の全駅訪問を目指していた。この旅で全国の新幹線駅訪問を達成することになっていたが、時刻表の路線図を眺めていた時、あることに気付いた

飯山駅が未訪問だ

それよりさらに1年前の2022年10月、JR東日本パスで東京から北陸新幹線→上越新幹線→北陸新幹線とグルリ回って新幹線各駅を回収。これで本州と北海道の新幹線全駅を利用したことになったと、すっかり満足していたのだが、私が上越妙高から乗車したのは飯山通過のはくたかだった

はくたかは基本的に昼間は金沢から長野までが各駅停車で、長野以降が速達運転となる。だが、その中の一部に「飯山のみ通過」という、全駅訪問の死角を狙った(?)列車があり、私はまんまと、それに乗車していたのだ

これはマズいと思ったが、飯山駅のみの訪問というのは、金銭的にも時間的にもなかなか辛いものがある。そのうち北陸新幹線の敦賀延伸の時が迫ってきた。その時期は3月の青春18きっぷの季節以外ないだろうと今回の旅となったのである

上越線に入り、小千谷駅では2台の除雪車が待機中。飯山線の乗り換えとなる越後川口でも雪一色

乗り換え時間2分という優秀すぎる接続で、単行のため駅名標の位置が車両から、かなり離れたところにあるため、写真を撮るだけでも必死だった。ちなみにこの足跡はすべて私のものである(笑)。地元の皆さんは雪に対応した靴だったが、当然私は違う

幸運だったのは、週末中心の観光列車「おいこっと」の定期運用車両に乗れたこと。JR東日本は観光列車を定期運用に使用することはほとんどないが、飯山線では使用されているようだ

ちなみに「OYKOT」とは東京(TOKYO)を逆さ読みしたもので、大都会とは対照的なふるさとを意識して名付けられた

フリーきっぷ購入が問題

さて今回の移動で課題となったのが、きっぷの購入である。新潟エリアには「えちごワンデーパス」「えちごツーデーパス」、信州エリアには「信州ワンデーパス」という、なかなか優秀なフリーきっぷがある。ただし「えちごー」についてはワンデーとツーデーでエリアが異なり、ワンデーは小千谷までしか行けず1570円。ツーデーはエリア拡大で2740円で十日町まで行けるので自分の行動エリアを考えるとツーデーを購入して1日だけ利用しても十分に元がとれるが、こちらは基本的に週末のみの販売。ということで18きっぷの登板となった。ただし飯山駅利用には信州ワンデーパスが必須である

というのも新潟エリアのパスにしてもそうだが、特急料金さえ払えば乗車券は有効なのだ。青春18きっぷだと飯山から新幹線に乗車した場合、乗車券も含めて当該区間は一から買わなければならないが、フリーパスだと特急券だけ買えば大丈夫。また明日は松本に宿泊することになっているので、長野から特急移動することになっても同じく特急券追加だけで済む。2680円で通年発売。こちらの方がお得となる

ただ、このフリーパスは購入が問題で、発売はエリア内のみどりの窓口または指定席券売機となっている。名古屋または東京から行く場合はそれほど苦労はしないだろうが、新潟から入る時はエリア内最初の駅は越後川口そして十日町となるが、両駅はみどりの窓口はあるものの、指定席券売機はない。みどりの窓口の営業時間はJR東日本のHPに記されているが、休憩時間などについて私的には現地に着いてみないと分からないと思っている。新幹線に乗るだけなら飯山まで行けば何とでもなるが、きっぷの購入については何ともならない時は何ともならない

という理由もあって本日の宿は十日町とした

十日町到着は15時前。そして

無事みどりの窓口は開いていた。結論としては私が乗車する翌日の朝から営業していたが、とにかくひと安心

これで明日に何の憂いもなくなった。十日町で宿をとったのは、へぎそばを食べる目的もあった。過去に2度ほど新潟駅近くのへぎそばのお店に行ったが、いずれも長蛇の列で断念。かねてより本場の十日町で食べたいと思っていただけに

大変満足。二人前でも食べられたかもしれない

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2年がかりの呉線全駅訪問~「単なる海」というわけではない「ただのうみ」

忠海駅の駅名標

※訪問は2022年10月1日

貴重な「ひかり」で出発

その日の朝は新神戸6時19分発の「ひかり591号」に乗車

そもそも岡山以西を走る「ひかり」は朝と夜にほんのわずかしか見られないが、中でもこの591号は新大阪~博多を走行して新尾道と厚狭の2駅のみ通過し他の15駅に停車。だったら全駅停車のこだまでもいいのではないか、と思えてしまうほど貴重な停車パターンを有する列車である

福山で山陽本線に乗り換え

独特の駅名板が鉄道ファンの心をつかむ糸崎で下車というか乗り換え

これもまた鉄道ファンには周知のことだが、糸崎駅はかつて機関区で栄え、今も留置線と乗務員の休憩所があるため、当駅始終着の列車が数多く設定されている。駅舎や駅近くにいると駅前に唯一の食料調達所とされるコンビニへと向かうJRの職員を多く見ることができる。もちろん私そして同業者もお世話になる鉄分の濃いコンビニである。だが今回は、悠長にしている時間はないので呉線直通の広行きに乗り換え。ちなみに最初に乗ったひかりは三原まで行くが、結局は同じ列車に乗ることになるので福山で乗り換え。なぜなら使用するきっぷは青春18きっぷと同じ機能の秋の乗り放題パスなので、少しでも経費を節約しなければならないのだ

かわいい駅名標がお出迎え

約30分、電車に揺られ

忠海駅で下車

実にかわいい駅名標がお出迎えしてくれる。「忠海」を「ただのうみ」と読む。「ただのうみ」を「忠海」と書くという表現が的確だろうか。

1958年(昭和33)に竹原町と合併して竹原市が誕生したが、それまでは忠海町の代表駅だった。地名については由来がはっきりしていて、平忠盛がこの地の海賊を平定した際、自分の名前から1文字をとって「忠海」と名付けた。平忠盛し平清盛の父であるが、自分の名前を地名にしてしまうとは、もしかすると「おごる平家の-」の萌芽はこのころからあったのか

立派な駅舎がある

こちらは駅名板。駅の開業は1932年(昭和7)。戦前からの駅舎も立派だったようだが、2004年に「ふれあいステーション」と合築の現駅舎となった。「福祉ステーションただのうみ」による簡易委託となっている。駅に隣接してコンビニがあり、実は沿線の各駅では貴重な存在

「ただのうみ」ではない歴史

冒頭のかわいい駅名標はうさぎの島、大久野島への最寄りに基づくもの。島内には千匹のウサギがいて観光客のお目当てとなっている。大久野島へは基本的に忠海の港からの船で向かうため、人の姿は多い。ただし広島市内からのバス便もあるため、必ずしも呉線の利用者とは限らない

駅の裏手から大久野島への船や大三島行きのフェリーが出ている。ちなみにフェリーの行先である盛港は平忠盛の「盛」をとって名付けた地名である

大久野島については、多くを説明する必要がないだろう。戦前は軍による毒ガスの製造工場があり、秘密裏にするため、地図にも記載がなかった島だった。戦後は進駐軍が10年にわたり占拠。除染が行われて観光地化されたが、休暇村はあるが島全体が国有地で定住者はいない。1990年代にヒ素による汚染が確認され、水質や海洋生物などへの影響はないことが調査で分かったが、念のために島内の水は現在、使用禁止となっていて船で運ばれている

1駅目から随分重たい話になってしまったが、ここからのべ2年をかけて呉線の全駅を巡ることになる

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城端線の全駅訪問を思いつく~終点の城端への再訪からあらためてスタート

城端駅の駅名標

※訪問は2023年10月18日

乗継割引使用で8年ぶりの訪問

1カ月ぶりに城端線にやって来た。今回は「秋の乗り放題パス」を使用。前回、未回収だった2駅を巡り、その後に氷見線の未回収駅を経た上で富山に移動して高山本線の全駅訪問を終了させる(高山本線については先に記事化済み)

ということで

6時30分発のサンダーバード1号で大阪駅を出発

3時間かけて新高岡までやって来た

1カ月前は逆コースで帰宅したが、これだけ来ているのだから、あいの風とやま鉄道にも貢献しようと新幹線ではなくあいの風とやま鉄道で金沢へ

IRいしかわ鉄道との直通に乗車した。料金は870円。この時の乗継割引利用については

この時の記事で。結論からすると新高岡~金沢の特急料金は880円だが、1区間新幹線に乗車しただけでサンダーバードの料金が2400円→1200円になる。通しで乗車券を買えることや、スピードの違いを考えると、この春までは圧倒的に新幹線利用に軍配が上がる。制度そのものもサンダーバードも既にカウントダウンに入っているので、今のうちの利用をおすすめしたい

新高岡から乗車して約40分。終点の城端線で下車。前回の訪問が2015年10月だったので、8年ぶりの訪問となった

あらためて訪問の意味

8年ぶりでも変化は分からなかったが、写真では分かりにくいが、観光用のものも含め、駅名標がズラリ並ぶこの角度はやはりいい

終着駅の風情は全国どこに行っても癒やされる

今回の再訪問は城端駅でじっくり時間をとるためのもの。前回は滞在数分ですぐ折り返してしまう列車に乗ってしまい、慌ただしすぎた

もうひとつ言うと、昨年の今ごろ放送されていたトレビドラマ「最愛」で最寄り駅として城端がいつも登場していたのを見て、また行きたくなった。吉高由里子さんと井浦新さんは、今年の大河ドラマでも共演しているが、最愛ほど接する場面は多くはないようだ

旧城端町の中心駅で観光拠点

途中下車はせず、乗り潰しの人も必然的に下車することになるので、この駅舎は有名だ

財産票によると明治31年。1897年(明治30)に福光駅から当駅まで延伸されて全線開業した際に設置されたが、財産票の情報を信じると駅舎は翌年竣工したことになる。なお城端線の最初の記事でも記したが、城端線の前身となる中越鉄道は最初から当駅を終着駅としたため、未成線ではない

駅の周辺は町の中心部でもある。城端は絹織物で知られ、その輸送も担っての開業だった

駅舎には観光案内所が入居している。窓口は観光協会への簡易委託で、みどりの窓口はないが駅員さんはいるが、こちらも近い将来、無人化されることとなっている

こちらは観光用の駅名標

週末を中心に運行される臨時の観光列車「べるもんた」の出発駅

駅舎内の待合室に掲げられている駅名板はかつて駅舎外に取り付けられていたもののようだ

地味ではあるが、見どころのひとつがホーム上屋にある「海抜123・4メートル」の板。1から4までが順番に並ぶ珍しい数字で、旧字体で書かれた歴史を感じさせる案内板も、わざわざ残されているようだ

城端野市街地を越えると地形は急峻な山々に入っていく。山を越える人々にとっては重要な地域で、この地を巡っては多数の争いが行われたが、数々の為政者がやって来たことで町には多様な文化が持ち込まれ、絹で栄えたこともあって越中の小京都と呼ばれる町が形成された

鉄道ができ、道路が充実すると白川郷を目指すバスの発着地となり、観光の拠点ともなった

ただ道路の充実やコロナ禍でバスで白川郷を目指す導線は高岡駅、新高岡駅が中心になっているようだ。それでもすべてのバスは城端駅を経由する。素通りせずに鉄路とのセットで世界遺産を目指してほしいものである

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天候に左右された2023年を振り返る(後編)

7月初日から足止め

7月は佐伯のホテルで迎え

早朝から名前シリーズを無事に全駅訪問。たった4駅ですが2日かかります。10月も同様の行動となるのですが、佐伯~延岡の超難関区間を訪ねる際は、必ず朝の6時台に活動を開始して7時台には強制終了となるので、ホテルに戻って改めて朝食というパターンが定着してしまいました。この日は蒸し風呂に入っているような気候だったので朝からあらためてシャワーを浴びたりする(笑)

ただ雨の方はというと最も活発な前線は九州を去ったようなので、すっかり安心

結果的に佐伯から延々と普通のみを乗り継いで日豊本線小倉に到着後、まだまだ明るいため、せっかくの旅名人きっぷなので小倉モノレールを堪能しているうちに前線が東に移動して山口県内のJRが全線ストップ。帰れなくなりました

もっとも足止め先が小倉という大都市だったので宿をとり、一度は残る1回の権利を持ち帰ろうとしていた旅名人きっぷは翌日に消化することにして事なきを得たのですが、山口県の鉄道網は、この時の雨で大きな爪痕を残しています

翌日は旅名人きっぷはフル活用して平成筑豊鉄道と

筑豊電気鉄道の両社に乗車。よく混同される両社ですが、全くの別会社。平成筑豊鉄道は元国鉄の第三セクター、筑豊電気鉄道は西鉄の子会社です

この月は四国バースデイきっぷを利用して

営業中の田井ノ浜駅で降車。コロナ禍が明けて久しぶりの営業となった海水浴用の臨時の当駅。訪問は青春18きっぷ利用初日の平日で、さすがにまだ人の姿は少なかった。自分の誕生日が7月で良かったと思える瞬間。この旅では香川県内の駅はほとんどいかなかったにもかかわらず、高松で2泊もしてしまい、どちらかというと「高松での飲み」が中心でした

雨のおかげでライトレール

この後は酷暑のおかげで行動は停止。急な葬儀で横浜に出かけることはありましたが、この後の1カ月間、猛暑の中で何をしていたのか、ほとんど思い出せません。活動再開は8月後半からで、残る4回の青春18きっぷをそろそろ使い切らないとマズいとなり、広島へ。当初は呉線方面へと出かける予定でしたが、三原で新幹線を降りると激しい雨のため呉線は遅延。山陽本線も遅延していましたが、しばらく経つとダイヤも復活しそうだったので、思いつきで瀬野で下車

久しぶりのライトレールは。おそらく私にとっては最後の乗車になりそうです

そして31日からは月またぎで北海道へ。これは私にとっては一生忘れられない体験になることは、ほぼ間違いありません

トラブル続出の北海道

到着の当日は天候にも恵まれ、旭川空港から順調に稚内へ到達

折り返しで抜海で降り立ち、地元の宿で楽しいひとときを過ごしたまでは良かったのですが、翌日に宗谷本線が全線でストップ。旅人宿「ばっかす」のご主人の機転で稚内→(バス)→札幌→(JR)→旭川というルートを教えてくださり、無事に旭川にたどり着くことができましたが、大回りをしての500キロもの移動はかなり大変でした

そして、これはあまり書いてこなかったのですが、北海道上陸とともにカードのトラブルが発生していました。カード会社も電話をくださるのですが、旅先の移動中ばかりで、うまく通話がつながらない。稚内でバスのチケットを確保してから出発まで2時間近い時間があったため、これは良い時間だと、こちらから電話。ただカード会社でよくあることで、オペレーターとの電話が全くつながらず

稚内に行ったことのある方なら、距離感が分かると思いますが、駅で電話をかけ、つなぎ放しにしたまま防波堤ドームまで歩き、探索して駅へ戻ったころに、ようやくつながった。感覚的には稚内から札幌までのバス6時間より、長かったです

カード会社との話はまだ終わらず、今度は向こうから電話をくれることになったのですが、当日は移動だけで電話に出る時間がなさそうなので

翌日に廃線予定の根室本線各駅を回って一度富良野に戻ってくるタイミングの、おそらく富良野カレー店の前で並んでいるであろう時間帯を指定したところ、ピッタリその時間に電話をいただき、電話を切った直後に入店の順番が来てトラブルは解決しました

北海道から帰ると今度は青春18きっぷの残る2回を消化すべく高山本線へ。あまり世の中で話題にならないのですが、廃ホーム上に神社がある角川駅が路線すべてで最も印象に残る駅となりました

9月は

珍しく観光で長野県の戸隠神社で戸隠そばを食べたりして

広島県の庄原で芸備線・木次線のイベントに参加

岡山での乗継ぎ割引もなくなっているので、岡山まではおとなび割引で新幹線を利用。岡山からは普通を乗り継いで備後庄原まで行ったのですが。3080円という運賃にビックリ。考えてみると、このあたりの区間って青春18きっぷのようなフリーきっぷか、神戸市内からの通し運賃でしか乗車したことがないので、こんなに距離があるとは実感できていませんでした

平日にもかかわらず、備後落合駅は件の1日1本の集合便に乗車する人でいっぱい。18きっぷの季節はもっと凄いのでしょうね

イベントを夕刻に終えると、バスで広島駅まで行き新幹線で帰宅。考えてみると、この日は一切、芸備線には乗車していない。この時間帯なら、このコースが最速なのでやむを得ませんが、芸備線のイベントに来て芸備線に乗らずに帰るというのは、ちょっと複雑な気持ちでした

完全制覇…とはならず

10月はハロー自由時間きっぷで九州新幹線の全駅訪問を達成。これで全国各地の新幹線駅すべてを訪問したと喜んでいたら、北陸新幹線の飯山駅という乗り残しがあったことに後で気付く。昨秋、JR東日本パスで上越新幹線と北陸新幹線の各駅を訪問した際に乗車した新幹線が飯山駅通過だったのです。わずか1駅だけ残して、これは痛恨。来春の敦賀延伸以降の課題となりそうです

この旅では再び宗太郎ルートにチャレンジして市棚駅訪問。またもや訪問後、延岡駅のホテルで朝食となりました

この後、鉄道の日記念パスでようやく高山本線の全駅訪問を達成

その足で名鉄訪問となりましたが

名鉄275駅で最も利用者の少ないこどもの国駅に寄ったり

信号の赤↔青だけで飽きない西枇杷島のデルタ線が楽しかったです

急な「主役」に驚き

11月は降り鉄にとっては、徒歩も苦にならない最も良いシーズンなんですが、歯科医の自費治療で会社員時代の1カ月分の手取りに近いお金が消えていったので、どこにもでかけず。12月の声を聞いて青春18きっぷによる外房線の全駅訪問を行いましたが、その後、大きなニュースになって驚きました

こちらが浪花駅時刻表。6時36分発の青文字となっているのが、話題となっている勝浦6時25発の1日1本の東京行き通勤快速です。この時は貴重な1日1本だなぁ、としか思っていなかったのですが、まさか県知事や市長、町長が正式抗議する事態になるとは考えてもいませんでした

前編より長くなってしまいましたが、おそらくそれは後半の方がアクシデントが多かったからだと思われます。年明けは青春18きっぷの残り2回分を使用すべくスタートするつもりです

皆さま、よいお年をお迎えください

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