きっぷ

酷暑の激闘・久留里線3駅その2

8月19日14時11分

上総亀山にやって来た

13時53分に久留里を出発した列車は終点の上総亀山に到着しました。11年越しの悲願ともいえるわけで、ちょっと感無量です。当時、久留里線では手渡しによるタブレット交換が見られていました

青春18きっぷのシーズンです。金曜日の平日でしたが、一見それと分かるお客さんの姿もかなり見られ、中には夏休みの部活を終えて帰宅する生徒さんもいて座席は8割は埋まっていました。駅舎をじっくり見て写真を撮るとか(早い話、私もその一人です)、あきらかに鉄道ファンでしょう

駅舎は1936年にレールがここまで到達した際のものに手を加えながら使われているようです。利用者云々よりもタブレット交換のための駅員さんは必要なのでずっと駅員さんはいました。自動閉塞になった際、無人化されています

歴史に阻まれ終点まで行かず

久留里線の歴史は古く大正期に木更津から久留里までが開業しています。久留里という町の重要性からでしょう。昭和になってさらに上総亀山まで進んだのですが、そこから先が延伸されることはありませんでした

元々は現在のいすみ鉄道である国鉄木原線と上総中野で接続し、大原まで行く予定でした。山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡線が数多く敷設されたように房総半島を横断するのも鉄道黎明期には重要なことで県営、民営と工事が行われました。久留里線は元は県営で、その後国鉄となり上総中野を目指します。元々「木原線」の「木」は木更津で「原」は大原です。また五井発の小湊鐵道はずっと私鉄ですが「小湊」は今の安房小湊で、小湊を目指していたことが会社名に残ります

それが昭和初期に現在も小湊鐵道といすみ鉄道の接点である上総中野駅で接続が可能となり、資金面、その後の戦時体制などで両線の延伸計画は中止。小湊まで至らなかった私鉄の小湊鐵道と木更津まで至らなかった木原線が路線名にそれぞれの地名を入れたままで戦後もずっと走り続け、木原線はJR移管時に三セクいすみ鉄道へ。木更津を示す「木」の文字はなくなりましたが同じ体制が続いています

無人化と同時に1面2線だったホームは単式化されています

山中の駅周辺は住宅街ともなっていますが、生活路線というよりダム湖である亀山湖への拠点の側面が強くなっています

後から設置された久留里からの3駅は、本来は房総半島横断を目指した途中駅という性格が強く、当初から利用者は少なかったのか、戦時中には不要不急路線として休止の扱いも受けています

線路はこの先で終わっています。70年以上前、上総亀山までの工事にあたっていた方は、どんな思いだったのでしょうか

列車はわずか15分の滞在で折り返します。この駅で次に列車が見られるのは約3時間後。備後落合にでも来ているような感覚になりますね。私も短い滞在を終えて乗り込みます

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酷暑の激闘・久留里線3駅その1

8月19日11時

のどかで涼しい午前

この夏から、かなり時間をとれるようになったので、今夏の青春18きっぷは2回消化(つまり10日分)できるのではないかと考えていました

早速7月21日に初回使用。ところが直後にコロナの第7波とかで出番がなく、結局8月19日の時点で残り4回と、いつもの期間終了間際にバタバタと使用することになりました

前夜は都内でちょっと(いや、かなり)飲んでしまい、山手線某駅で入場。当日の午前のうちに木更津までたどり着きました。所要時間2時間。結構遠いですね

目的は久留里線です。11年ぶりの乗車ですが、その時は久留里までしか行っておらず、その先の上総亀山までが未乗車地域になっています。その距離わずか9・6キロ。久留里線全体でも32キロしかありませんが、なぜ未乗車になったのかというと、そこから先のダイヤが薄いからです。この微妙な区間を埋めつつ、3駅すべてを訪問しようというのが今回の目的。せっかく東京まで来る機会があったのだから、この空白を埋めつつ青春18きっぷを使おうというわけ

11時12分発の久留里行きが出発を待っています。東京から長大編成(15両だったと思います)の総武線に乗り込んでから2時間で、随分とかわいい非電化単行列車となりました

ただ問題がありまして東京から木更津まではご存知のようにホイホイ来られるわけですが、その先がなかなか困難です。久留里まではホイホイとはいかなくてもホイぐらいで行ける。ただその先の3駅は前述した通りダイヤが薄く、しかも前回来た時よりもさらに本数が削減されています

木更津から久留里までは昼間も1時間に1本ぐらいが運行されていますが上総亀山に到達する列車は1日わずか8本しかありません。しかも木更津発7時24分を逃すと、その次は13時1分と5時間半も運行がないのです。つまり東京で前夜に酒なんて飲んで都内に宿泊している時点で13時1分発の一択となってしまうのです。ちなみに、お次の上総亀山行きも3時間後です。運行形態としては終点の上総亀山で10~20分停まって折り返すという形ですから、上総亀山で降り、折り返し列車で残る2駅のどちらかでは降りられますが、もう1駅への手段がなく、さらにそこからどうするんだという問題が残ります

しかし行くと決めたからには多少の二日酔いであろうと何であろうと行くのです。一応、作戦を考えて出発しました。ちなみに朝の天気予報では

この夏では珍しく涼しくて過ごしやい日になりそうです

と連呼していました

久留里でのんびりと過ごす

途中駅で降りたりしながら久留里着は12時52分。おそらく大正期の開業時期の駅舎がそのまま使用されています。久留里線の運行にとって重要駅で管理駅となっていて駅員さんもいます

運行頻度からすると、かなり大きめの構内を持ちます

これでもまだ1時間あります

かつては久留里藩があった城下町。名水が知られ、お酒造りで有名。歴史を感じる町並みが並んでいます

私も一杯といきたいところですが、午後からは乗り鉄だけではなく降り鉄なのでアルコールは控えは11年前にも来たお蕎麦屋さんで

天ざるを優雅にいただく

お城をモチーフにしたベンチもかわいい。確かに言われてみると、今日は猛暑という感じではありません。のんびりした後、上総亀山に出発です

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乗継割引、今のうちに有効に利用を

影響大の岡山乗り換え

来年3月いっぱいで新幹線+在来線特急の乗継割引の一部が一部の駅でなくなることが発表されました

乗継割引とは新幹線と在来線特急を乗り継いだ際に特急料金が半額になるという制度

 

元々は東海道新幹線が開業した際、これまで通し料金で利用できていた特急・急行料金を新幹線と別々に徴収する(特急はひとつの列車について1料金が原則です)のは実質的な値上げになる、とのことで開始されました。元々、東京駅をまたいで運行されていた列車はなかったわけですから、東京駅での乗り換えには適応されませんでしたが、西側は大阪をまたいでさらに西へ向かう優等列車が数多く運行されていたので影響は大きく、この制度は東北新幹線など全国に広がりました

発表によると全廃ではなく、下関~岡山間の適用がなくなるとのこと。九州の小倉、博多については九州新幹線が一部開業した際にこの制度はなくなっています(JR九州は博多~新八代の在来線特急と新八代~鹿児島中央の新幹線を一本の料金にしたため矛盾が生じるとの理由。別の角度から見るとJR九州に入るはずの特急収入が大幅に減るからとも言われる)。それが岡山まで延長されたということ。定期運行の列車では新山口からの「スーパーおき」そして岡山からの伯備線「やくも」と瀬戸大橋を渡っての四国各方面への特急が対象となるため、乗り換えの多さから見ると岡山乗り換えは影響がかなり大きい

私もかなりお世話になっています

こちらは今春、岡山乗り換えで伯備線でやくもに乗車した時のもの。乗継割引を使用するときっぷにその旨が明示されます。本来2000円近くするものが930円。破壊力抜群なのは新幹線の乗車が短い場合で

新幹線はおなじみの1区間自由席料金ながら大阪~金沢で2時間半以上も乗車するサンダーバードが当然半額です。ただし乗継割引にはルがあって、きっぷを買う時に必ずセットで求めなければなりません

そしてこの制度、意外と知られていないのは新幹線に先に乗る時は当日中の乗り換えが必要だが在来線特急に先に乗る時は新幹線乗車は翌日でもOKというルール

これは東海道新幹線から九州方面へと向かう際に新大阪で寝台列車に乗り換えることを想定したもので、寝台列車に乗るのはもちろん新幹線乗車日ですが、九州から寝台列車に乗り新大阪で新幹線に乗り換える場合は必然的に前日の出発になるために設けられたルールです

今は定期寝台列車はサンライズしかありませんが(鉄道ファンにはおなじみのサンライズと新幹線の組み合わせによる乗継割引も岡山や坂出、高松では使えなくなります)、半世紀以上も前のルールが実態と乖離した今も生きています

この制度を利用すれば旅の幅がグッと広がりますよ。乗り換え駅で宿泊する旅行が可能になります

考えてみれば東京をまたぐ優等列車がなかったため制度が対象外となったと記しましたが、静岡から名古屋経由で長野に向かう列車があったのかと言われれば疑問(名古屋駅の乗継割引は継続します)だし、四国方面への特急も宇野~高松のフェリーが廃止されたための代替という位置づけでしたが、現行制度では岡山から快速で1時間もかかる高松での乗り換えにも適用されるという奇妙な形になっています(これは高松~徳島間の「うずしお」が今も1日1本、岡山まで乗り入れているからだと思われます)

とにかく四国方面、岡山を経由しての山陰本線へのお出かけを考えていらっしゃる方は、今のうちに是非利用してほしい制度です

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その10~忘れ物

欠けていた駅のちょっと貴重な光景

JRのうちに北陸本線の各駅を巡る旅。3月24日の行程はこれまでお伝えした通りですが、この間にある2つの駅が欠けていることをお分かりの方もいらっしゃると思います。福井駅と越前花堂駅です。過去に訪れているので旅報告からは外しましたが、改めて付け加えさせていただきす。まず福井駅

数え切れないほど訪れていますが意外と写真がない。すぐ乗り換えるか飲みに行ってしまうからでしょうか。これは2018年6月のもの。JRの駅ではありませんが

えちぜん鉄道が暫定的に北陸新幹線のホームを間借りして時の時のもの。間もなく新駅に移動するというので2度と見られない光景だということで慌てて撮りに行きました

難読かつユニークな駅

福井から1駅南にあるのが越前花堂です

なかなか難読です。こちらから越美北線が分岐しています。越美北線全駅制覇を目指した(できませんでした)昨年9月19日に訪れました

分岐駅ですが戸籍上は越美北線の起点駅です

ただ越前花堂を始終着とする列車は設定されておらず、すべての列車が福井まで乗り入れます

ただ、ややこしいのですが先に越美北線の駅が設置され、その後に北陸本線上に駅ができたため、これまた戸籍上は北陸本線の駅ではなく越美北線の駅となっています

北陸本線側にある駅舎。昭和40年代生まれとあって堂々のコンクリート駅舎です。背後に見える高架は北陸新幹線

今は無人駅ですが立派な大理石の改札口が残ります。これはなかなか貴重なものだと思います。1960年代で、鉄道全盛期は多少過ぎたとはいえ、まだまだ国鉄にも余力があったのか

さて地図でお分かりのように越美北線のホームはやや離れたところにあって西側の下りホーム側にある駅舎からだと東側にある越美北線ホームへは跨線橋を上り降りして上りホームに移動した後

上りホームの一番後ろ(福井駅側)から通路で移動する必要があります。この時は工事中で暫定通路のようになっていて現在の形は分かりませんが導線は新幹線開通後もあまり代わらないと思われます

向こうに見えるのが越美北線のホーム

ムニャムニャと進んで行きます

北陸本線の線路とはかなり離れています。そして越美北線のホーム

北陸本線ホームと比べると随分ノスタルジック

実際の私の行動は逆で越美北線に乗ってきたわけですから、越美北線を降りて北陸本線ホームと駅舎に進んでいます

福井へ向けて去っていくキハ120を見送ります

1面ホームと待合所だけの写真を見ると、とても北陸本線の駅とは思えません

まだ暑い季節でしたのて゜福井行きの電車(列車ではありません)を待っているとお客さんがゾロゾロと集まり始めました。この時間帯の北陸本線の福井行きは1時間に2本。電車の時刻に合わせてお客さんが駅にやって来る、よく見られる光景

ちなみに市販の時刻表には「越前花堂~福井間は越美北線と併せてご覧ください」と記されていますが、そちらの時間に合わせて駅に来られる方は少なくとも私の乗車列車にはいなかったようです。1日7本しかない上、北陸本線ホームと離れていて階段の上り降りまであるので、そちらに合わせる行動は、あまりないのでしょう

来春から三セク移管となる北陸本線ですが、越美北線はJRがそのまま運行予定。となると福井~越前花堂はJRの路線ではなくなるわけですが、青春18きっぷの利用についてはどうなるのか。金沢駅からの七尾線のように特例区間となる可能性が高いと思いますが

そして鳥居型のこれまた貴重な駅名標はどうなるのでしょう。越美北線ホームはJRということで、このままでいてくれればうれしいです

夏の青春18きっぷで芦原温泉~金沢の全駅訪問も行いました。しばらく間を置いて記事にします

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その9~今も印象に残るお酒のCM

3月24日16時20分

本日最後の下車

いつの間にか夕暮れが迫っています。本日の旅最後の訪問は大土呂

「おおどろ」と読みます。私はこの日まで「おおとろ」だと思い込んでいました。日本語の濁点というのも、なかなか難しくて、このシリーズで紹介した「今庄」も「いましょう」ではなく「いまじょう」。こんな有名な駅でも間違えられることが結構ある。「橋」「崎」とか他にもありますね。その意味ではワープロからスタートしたPCや携帯のワープロ機能というのは貢献度が大きく読みを間違うと変換しないので「なるほど」と気づいたりするわけです

駅舎は線路の東側にあって、ずいぶん前からの無人駅ながら西側への「救済」はなく東側に出るしかないようです。元々は2面3線だったようですが、中の1線が消されて2面2線となっています

 

私の写真が下手でコンクリ駅舎のように見えるかもしれませんが木造駅舎。こちらも福井地震の後に建て替えられました

今日見てきた駅名板は特徴あるものばかりでしたので、こういう無機質なものが新鮮。字体はどんなゴシックか分かりませんが

 

地図に注目

写真の駅舎内は閑散としていますが乗車した電車からは、多くの高校生が降り、また乗ってきました。今日は終業式ですかね。それでも夕方まで学校にいたのでしょう。写真は生徒さんが駅を去ってから撮りました

駅舎内には

文殊山までのデマンドタクシーの時刻表そして6年前の地元紙が貼られています

記事によると昭和20年代から30年代にかけては19人もの駅員さんがいて貨物列車も多く運行。駅前にはパチンコ店もあったとか。今は文殊山への登山口の役割も大きいそうです。文殊山は福井県のハイキングコースとして有名で、いろいろなアプローチがある中でも当駅からが最もメジャーなコースのようです

外に出てみます

ハイキングコースの地図とは別に周辺地図。開業前の北陸新幹線が既にイラスト入りで描かれているので新しいものですね

寺社仏閣が多い古い町なんだな、と眺めていると「宇野重吉生誕の地」がありました。名前を言っても分からない方が多いかもしれませんが、昭和の名優です。寺尾聰さんのお父さんと言えば分かりやすいかも。宇野重吉さんで私が思い起こすのは石原裕次郎さんとのお酒のCM。お寺の境内で裕次郎さんが和尚さんに分した宇野さんと酒を飲み交わす。当時私は中学生で日本酒なんてまだまだでしたず「しからば問う。裕次郎」が印象に残っています。今もCM動画は、何らかの形でどこかにある。私も久しぶりに見て細部を思い出しました。途中でお銚子のお酒が切れてしまい、ちょっとお茶目な裕次郎さんが格好いい

ちょっとノスタルジックな気持ちで帰路につきました。実は私が乗った敦賀行きは敦賀でほとんど時間なく姫路方面へと向かう新快速に乗り継ぐダイヤになっていて始発なんで、もちろん十分座れたのですが、さすがに朝6時半のサンダーバードでやってきただけに疲れました

本日分の18きっぷの元は十分にとったでしょう。いつも概算で2500円ぐらい使用したことが分かれば、すぐ特急課金をしてしまいます。敦賀駅でちょっと休憩。サンダーバード課金で帰路につきました。いつの間にか陽が長くなっていて春の訪れを感じました

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その8~高校野球とアクセス駅

3月24日15時20分

高校野球の快進撃で大いに話題

森田駅から再び北上して春江駅で下車

木造駅舎が残ります

改札部分。旧来の改札は使用されていませんが「改札口」の文字がいいですね

丸岡駅のところでも触れましたが、北陸本線の福井県内の駅は1948年の福井地震で甚大な被害を受け、その翌年あたりに改めて竣工したものが多く、こちらも

元々は春江町の中心駅。今は市町村合併で坂井市です

財産票は1949年。地方の駅はまだ木造で建てられていたんだなぁ、と感じます。私は「ザ・国鉄」のコンクリート平面駅舎が好きでこのシリーズでも武生や鯖江で紹介してきましたが、コンクリート駅舎が各地に姿を見せるのには、まだ10年の月日が必要だったようです

春江といえば、私が真っ先に思い浮かべるのは高校野球の春江工業です。いつも高校野球や高校サッカーからの発想で申し訳ないのですが2012年の福井県秋季大会で準優勝。初めて進出した北信越大会では決勝に駒を進め、県大会で惨敗した敦賀気比に雪辱。初優勝を果たすと神宮大会では浦和学院に勝って4強進出して大いに話題を呼びました。「春江ってどこ?」がずいぶんとホットワードになりました

初出場のセンバツ甲子園では惜しくも初戦敗退となりましたが、春江という町の知名度アップには大いに貢献しました

残念ながら当駅が最寄りだった春江工業は、その後の学校統合により名前は消えてしまいましたが、2年生ながら4番を打っていた栗原選手は、ソフトバンクで(今年は開幕直後に不運なけががありましたが)活躍中です

では、その春江駅はどこ?という話ですが

空港アクセス駅だった

地図をご覧になれば、お分かりのように福井空港の最寄り駅なんです。約2キロ。車なら数分で着いてしまいます

ただ空港のアクセス駅としては静かな駅前。なぜかというと、もう40年以上、定期旅客便が就航していないから。高度経済成長期に開港しましたが、滑走路が小さくジェット便が飛べずに客足が減少。定期便がなくなった後も何度か空港拡張の動きはありましたが、駅も国道も近いという便利な場所にあるのがかえってよくなく、騒音などの反対の声が強く実現には至りませんでした。今も空港はありますがドクターヘリや自家用プロペラ機が主流となっています

空港の所在地はもちろん春江町。「もしも」があれば、町の歴史も含め、ずいぶんと違う光景になっていたかもしれません

島式ホーム1面2線

玄関の文字が格好いい

ちょっと古い駅では定番の温度計も駅舎内には残っています

ちょっとレトロな雰囲気ですが福井から、たった2駅ということで新しい住宅もでき、通勤や通学で利用者は多い

それでも

こちらは昨年で終わっていました。「現役」を見ることができず、ちょっと残念でした

今日最後の駅へと向かいます

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その7~需要がありそうな窓口だったけど

北陸本線各駅の紹介に戻ります

3月24日15時

福井市街に位置

丸岡から再南下。森田駅で降りました。福井から北へひとつ目とあって周辺は福井市の市街地が広がります

福井駅から九頭竜川を渡ると当駅

おしゃれな駅舎です

車寄せ部分の短い階段。玄関部分の柱は近年強化れたようです

独特の字体と青い文字が印象に残ります

しかし、こちらも「う~ん」。何かこの張り紙ばかりを紹介しているような。ちょっと寂しい

簡易委託で改札業務は行わないようですが、駅舎内の窓口ではきっぷの発券中。後ろで聞こえてくる感じでは、ずいぶん先の東京方面へのきっぷを頼んでいる様子。かなり時間を要していたので単純往復ではなかったのかもしれません。3月後半のこの時期、いろいろな駅で大きな荷物を持つお客さんの姿をかなり見ました。大きなスーツケースを持って駅から降りてくる若い女性を見て「故郷に帰ってきたのかな」などと勝手に思ったりしていました。異動と移動の季節。春の鉄道旅行でよく見かける光景。新幹線へ飛行機ではゾロゾロ目にしますが、どこかで新幹線や特急、もしくは高速バスを乗り継いでローカル線の駅で降り立つのは、大概ひとり。季節ならではの光景

きっぷも、そんな一環で買っている気がしました。再来年には三セクとなってしまうので、どうしようもないことですが、窓口できっぷを買うなら、おそらく福井駅まで足を運ばなければならなくなるのでしょう。スマホで予約してターミナル駅で発券というのが、もう主流になりつつある。ターミナル駅では車を止めるのも大変なので、これは面倒だけど券売機に慣れきってしまうと別の困ったことも起きてしまう可能性もあります

実は先日、JR東日本の乗り放題きっふで旅をした時、みどりの窓口だけしかなく指定券券売機のない駅で発券しなければならなくなり、私は逆に戸惑ってしまいました。スマホに表示されたQRコードをピッとかざすだけの行程に慣れてしまうと、こんなことになります。なかなか難しい

なお、三セク移管後、森田と福井の間に新駅が設置される予定です

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その6~今旅の北限の駅へ

3月24日12時20分

発展する西側に対応

鯖江からひとつお隣の北鯖江で下車しました

島式ホームです。今回訪問した各駅では珍しい構造。どの駅でも見た雪メーターがあります

駅舎は線路の東側にあります

瓦屋根の駅舎。北陸本線の福井県内の駅は1948年の福井地震で大きな被害を受け、それに伴う改築、新築が多いのですが、こちらは1955年の開業で当時から同じ姿です。島式ホームなので駅舎からは跨線橋で向かいます

無人化されていて駅舎内だけでなくホームにも待合室が設けられています。跨線橋を慌てて渡るリスクを考えると冬場にはありがたい。そして跨線橋からは西側にも出られるようになっていてICリーダーが設けられています。前回の鯖江駅の項でも記しましたが、後から駅舎と反対側がにぎやかになってくると、どうやってそちらに出るかで利便性が大きく変わるのですが無人駅だと対処しやすいですね。駅の西側は国道8号を挟んで福井鉄道が走っていて、国道沿いにあるショッピングモール、アル・プラザの最寄りにもなっているようで週末は西口がにぎわうそうです

大いに勘違いしていた私

北鯖江から再び武生まで戻り昼食を摂り(私の探し方が悪いのかもしれませんがランチは鯖江より武生が目につきやすかったです)、またもや福井方面行きに乗車。前に行ったり後ろに行ったりでややこしい。福井を通り過ぎ、福井から3つ目の丸岡で降ります。今日は日帰りで、ここから敦賀方面のいくつかの駅に行けていないので日没を考えると、こちらが北限

丸岡といえば有名なのは丸岡城。私なんかは高校サッカーの強豪、丸岡高校を思い浮かべますが、丸岡の駅そのものは旧丸岡町ではなく旧坂井町にあり、丸岡の町の中心部はかなり離れています。恥ずかしながら訪れて初めて知りました。今は三国町、春江町とも合併して坂井市となっていて市役所は丸岡駅が最寄り。つまり坂井町の中心駅が丸岡駅だったんですね。50年以上前は当駅には京福電鉄の丸岡線というのが走っていて終点というか起点の本丸岡駅が丸岡町の中心地。今は本丸岡駅跡のバスターミナルが中心の役割を担っています

結構遠いですね。バスで検索すると「こちらの方が早い」と言わんばかりに徒歩が出てきました。考えてみると古くからの城下町の真ん中に旧国鉄の線路が敷かれたということは多くはありません。丸岡駅と丸岡バスターミナルを結ぶバス路線は、本数も多くないようで今は、旧丸岡町から福井市内へは直接バスで向かうのがメーンルート。ただし丸岡駅は坂井高校の最寄りでもあるので、多くの高校生が利用します

駅舎は12年前にリニューアルしたばかり。前述した福井地震は丸岡町が震源で、丸岡城も倒壊し丸岡駅も全壊。その後に復旧した駅がリニューアルされ、駅には多目的ホールも設置されました。私が訪れた時は

ひな人形のお出迎えがありました。地元の有志の方が毎年展示しているようです。これは良いものを見ました。その一方で駅舎の中は

1カ月ほど間に合いませんでした。残念

次の駅へと向かいます

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その5~特急が連続停車

3月24日11時半

連続停車は画期的なことでした

武生の次は北へひとつお隣の鯖江で下車します

現在、鯖江駅を走る特急の主力は大阪行きのサンダーバードと米原or名古屋行きのしらさぎの2種類。もうひとつ朝夕に通勤者用の特急があります。サンダーバードの停車パターンは両駅を通過するか、両駅とも停車するかの主に2パターン。しらさぎは東京からの新幹線乗り継ぎ要素が強いのですべて停車します。通勤特急は当然停車

この2駅連続停車は、国鉄時代の特急では、ある意味御法度でした。急行と特急では料金が大いに異なり(その規定は今も残っていますが定期急行がないので有名無実状態です)、高いカネを払っている(取っている)のだから停車駅は限りなく少なくしないと意味がない、差別化できないとの考えがあり、近い場所に有力な駅が2つある場合は交互にどちらか停車させる千鳥パターンをとっていました。私が実際に体験したものでは神戸市の神戸と三ノ宮、広島県の福山と尾道などがそうでした。そもそも特急は原則全車指定席です

しかし国鉄の最後の方に「エル特急」が出現。お高いイメージの特急にもっと乗ってもらおうと、自由席を設けて停車駅も増やした「エル特急」は大いに受けました。今では信じられないことですが昔の急行というのはグリーン車以外は冷房が付いていないことも普通にあったのです。おまけに座席は4人BOXの背中直角シート。これまで停まらなかった駅にも停まるようになったし、少々高いカネを払っても特急車両で気持ちよく行こうという方が多かったのでしょうね。「でしょう」と書いたのは貧乏学生だった私には特急なんて高嶺の花。帰省の際に新幹線に乗るのが目一杯のぜいたく(半分ぐらいは大垣夜行でした)で、平素の旅行では急行を探して乗っていましたら

ただエル特急の効果は抜群で、主要路線の急行があっという間に衰退してしまいました。やはり自由席の採用が画期的なことだったと思います。別の角度から見れば、体のいい値上げだったわけで、コロンブスの卵というか、これを考えた人は凄い

めがねの街とコンクリ駅舎

鯖江は国鉄式の平面コンクリートです。私はこの「ザ・国鉄」駅舎が大好きなんです。近年、急速に姿を消していますが日本海側はかなり残っているイメージがあります

姿を消している理由としては老朽化ももちろんありますが、このようにコンクリートで固めた駅舎を規模の大きな駅に造ると、線路を挟んで駅舎の反対側にいる人は「駅前にいながら駅までが果てしなく遠い」状態になってしまいます。規模が大きければ大きいほど、線路の本数は多く踏切を設ける場所もどんどん遠くなります。駅ができた当時は街の中心部に向けて駅舎があり、それほど問題にならなかったことが時代が進むにつれて問題になっていきます。それを解決するのが橋上駅舎化や高架化で片方だけの古い駅舎は各地で姿を消していっています

解決策のひとつは歩行者のための地下歩道を造ることで、ここ鯖江も

地下の自由通路ができています。「めがねのまち」のシルエットが、さすが鯖江という感じがします

戦前に既にメガネの製造で東京や大阪を上回り、現在はメードインジャパンのメガネの95%を誇るメガネの街

こうやってメガネストリートを歩くこともできるようです

さて駅に戻ります

「きっぷ売場」の文字がいいですね。明らかに国鉄時代からのものと思われますが、いつまでも残ってほしいです

今も残る「特急」

さて手元に1988年3月の時刻表があります。JR移管後1年。既に昼間の急行は姿を消しています

サンダーバードもスーパー雷鳥もまだなく、エル特急雷鳥がずらり並んでいます。まだ昼行で大阪と青森を結んだ特急・白鳥は健在ですが、こちらはエル特急ではなく武生と鯖江は通過です。他はしらさぎと加越。しらさぎが名古屋行き、加越が米原行きなので、夜行を除くと今とほとんど同じ特急パターン。既に両駅停車が多くなっていますが、武生のみというダイヤが多い。しかし鯖江のみというのもチラホラ。昔の特急の名残が残っています。実は今も数少ないながらも存在していてサンダーバード上りで武生のみ停車が4本、鯖江のみ停車が1本、下りでは武生のみ停車が3本あります(鯖江のみはありません)。停車パタンの基準については分かりませんが、こうやって時刻表を眺めていると私は楽しくなってしまいます

 

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その4~昔は日本中あった光景

3月24日10時20分

数字のないバス停

湯尾駅に到着しました

北陸路は峠が多く、旅人の行く手を阻んだだけではなく、戦国時代までは自然の砦としてそれぞれが重要な戦略拠点となっていました。湯尾峠もそのひとつ。日野川沿いに小さな街ができています

ホームには降雪メーター

ログハウス風の駅舎があります

駅前のバス停。地元の方向けへのコミュニティーバスのようで、私も全国各地でお世話になりましたが、たまにこのような時刻表の数字が入っていない停留所に出会って絶句することがあります。もちろん地元の皆さんはご存知のようで、時間になると停留所前にやって来られるのですが

普通列車を探せ!

続けて

武生に到着です。敦賀を出てから3時間かけ、初めてみどりの窓口設置駅に来ました。まぁ真っ直ぐ来れば30分ほど。特急なら20分ですが

3分ほど歩けば福井鉄道のターミナル駅である越前武生駅があって接続駅ともなっています。かなりの本数の特急が停車します

駅舎内も広くて立派なみどりの窓口があります。最近、ターミナル駅でもみどりの窓口のスペースがどんどん小さくなっていますが、これだけ大きいと「偉い駅」という感じがしますね

北陸本線の特急停車駅では、このような案内板があります。何両でやって来るのか、自由席がどこかが一目瞭然で大変分かりやすい

北陸本線というのは在来線の特急天国で、北陸新幹線の金沢延伸前までは本当にいろいろな特急が走っていました。今でも時刻表は

こんな感じ。まるで「普通列車を探せ」のクイズです

優等列車ごとの乗車位置を示すヒラヒラの案内。いくつも並んでいるので自分のきっぷと照らし合わせながら、その前に並びました。以前は全国各地に普通にありましたが、もはや絶滅危惧種

北陸新幹線にも武生駅は設置されますが、少し離れたところに「越前たけふ」として新幹線単独駅として設置されるため、同駅での接続はありません。こうした光景も1年半ほどで見られなくなるので、何十年もありふれた景色だったものが、なくなってしまいます

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