秋の乗り放題パス

高山本線全駅訪問のシメ行脚~閑散区間で最後に残った駅には沿線唯一のスノーシェッド

打保駅の駅名標

※訪問は2023年10月19日

震える寒さにちょっと後悔

打保駅に到着。ダイヤが薄い(本数が少ない)上に他の交通機関もなく、坂が多かったり、駅間距離が長かったりして(お隣の坂上までは10キロもある)徒歩移動も困難な岐阜県と富山県の県境4駅(角川、坂上、打保、杉原)を、これでようやく訪問完了となった

そして朝からの実情として

「めちゃくちゃ寒い」

私の服装は夏からのズボンに長袖の薄いシャツ1枚。昨年は夏が終わってもいつまでも暑かったのはご存じの通りで、前日の私はというと城端線や氷見線を乗り、駅間徒歩では汗をダラダラかいていた。朝5時の富山駅周辺でもそれほど寒いと思わなかったが、猪谷駅で寒気を感じ始め、7時26分に飛騨細江に到着して外に出ると震え上がった。猪谷から飛騨細江に至る列車には途中駅から通学の高校生が次々乗り込んできたが、皆真冬の格好。コートを着ている生徒さんもいる。車内で私の服装は完全に浮いていた。こんなに気候が違うものなのか。これは全くの予想外で上着も持ち合わせていない私はシャツを2枚重ね着して何とか寒さをしのぐことにした。そして最後の駅に打保を選んだことを後悔し始めていた

1カ月前、まだ気候は夏の9月上旬、訪問は打保か坂上の二択となった。どちらか一方は次回へ持ち越し。その時に選んだのは坂上駅である

選択の理由は「駅舎内にエアコンが完備されているから」。90分も過ごすのだからと当時は自画自賛的なチョイスだったが、それについては完全に後悔

なぜなら

打保駅は簡易型の駅舎なのである。写真を見ただけではどのぐらい寒さを防いでくれるのか分からない。当駅には8時34分に到着して9時26分の高山行きで折り返す。つまり約1時間。寒さと暑さのどちらを我慢するかとなると、駅間徒歩ならともかく、周辺の散策だけで終わるこのシチュエーションとなると、避けるべきは寒さである

難読にしてさまざまな語源

「うつぼ」と読む。意表を突かれるというか、なかなか難読である。そう言われると、この4駅のうち3駅は「つのがわ」「さかかみ」と、意表を突かれる読みが並ぶ

駅名、自治体名については順番に遡る必要があり、現在当駅は岐阜県飛騨市にあるが、飛騨市が誕生したのは2004年。それまでは宮川村にあった。その宮川村の誕生は戦後の1956年(昭和31)で、坂上村と坂下村が合併したもの。坂上村の駅が坂上、坂下村の駅が打保である。坂下村は明治初期の1889年(明治22)から1956年まで存在。ちなみに読みは「さかしも」だ。さらにその前に打保村、杉原村と現在の駅名の村名が見られる

「打保」の「保」は集落の意味で「山の内側にある集落」の「内保」が「打保」になったという説や、岩などにできた空洞を意味する「うつほ」が語源という説などがあるようだが、江戸時代にはすでに名前が見られる地名だったという

写真としては順番が逆になってしまうが、駅舎は猪谷方面ホームと直結している。対面式の2面2線ホーム

駅の開設は1933年(昭和8)。線路が富山との県境を越え、猪谷からお隣の杉原まで来たのが1932年で、当駅を挟んで坂上まで延伸された際に開業した。現在の駅舎は20年前からのもの。簡易型となるのは早かった。手前から3つの扉が並ぶが一番奥が出入口。駅舎は倉庫も兼ねているようで手前2つはロックされている。駅舎内は小さな待合室となっていて、つまりお手洗いはない

これは覚悟していたことで列車内でお手洗いは済ませ、持参の水にも一切手をつけないことを決め、周辺の散策を行う

駅の周辺は小さな集落となっていて

立派な郵便局もある。こうやって地図を見ると公営のトイレがあるようだが、訪問時は全く気付かなかった

スノーシェッドに守られる

宮川に沿ったカーブ状にある駅の前後の分岐はスノーシェッドに守られている。176・4キロのポストが岐阜からの距離を感じさせ旅情を誘う。降雪に見舞われる高山本線沿線だが、ここが唯一のスノーシェッド設置なのは少し意外

こちらは逆サイドつまり猪谷方面

解けたナゾ

前回の訪問時前から当地のバス路線については何とかならないかと随分調べたが、デマンド制(予約制)かどうか分からず結局断念したのだが、待合室内の張り紙でようやく解決

デマンド制と路線バス扱いの2種で構成されていた。「お出かけレシピ」とは分かりやすい表現で高山本線との接続時間も明記されている。しばらく訪問の機会はなさそうだが、すっきりしたと同時に役に立つ情報だった

かつては貨物の入線もあったようでヤードが残る。待合室はかなりの密閉状態で保温も良かった。これで無事に県境の4駅を訪問。ちなみにグーグル地図で打保駅を検索すると以前の木造時代の駅舎を見ることができる。また私のX(旧ツイッター)のプロフィール写真は杉原駅のものです

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

高山本線全駅訪問のシメ行脚~開業以来の棒状駅への道中で現状を知る

杉崎駅の駅名標

※訪問は2023年10月19日

1区間分は路線バスで

飛騨細江から杉崎は線路に沿った平坦な直線コースを徒歩30分と前記事で書いたが、実際はというとちょうどよい時間に路線バスがあったので、その方が圧倒的に楽なのでバスに乗車すことに

ただバス停が見つからず、とても焦る。地方のバス停については片側にしか停留所が設置されていなかったり、結局その場所が正しいのかどうか分からず乗せてもらったりと、過去いろいろな経験をしているが、ここはかなりの町中で、困ることはないと思っていただけに焦燥感が募ったが、これでは行き過ぎだろうと来た道を振り返ると

あった

写真だと駅は奥側にあり、そこから歩いてきたのだが、器用に商店の軒下に設置されているため、気付かず行き過ぎてしまったのだ

バスはほぼ定刻にやってきた

この路線は1年前にもお世話になった

上枝駅から飛騨古川駅に移動の際に乗車。高山から飛騨古川までは1時間に1本の運行があり、そのうち約半数が神岡まで至る。つまりその半数に今回乗車した。1年前はほとんど下調べもせずの旅だったが、今回はさすがに入念に調べている

杉崎までは徒歩30分、2キロしかないのでバスだと5分も経たずに到着。バスは1年前と同じで観光バスを使用したもの。その時は30分近くバスに揺られ、座席で携帯の充電もできてとても快適だったが、その時と大きく異なることがあった

ほぼ満員なのである

乗客はほとんどが高校生。すぐに降りることが分かっていたので、できるだけ前の方に座りたかったが、奥の方にようやく空席を見つけたと思ったら降車の時間。「降りま~す」と声を出しての下車となった。もちろん降りたのは私だけ。入れ替わって数人の高校生が乗車した

猪谷から飛騨細江までの道中でも通学の高校生はそれなりにいたが、ここまで多くはなかった

2022年の3月の芸備線でも同じような経験をしている。この時はもっと極端で小奴可駅と備後八幡駅を訪問した時のことだ

朝の7時2分小奴可発の新見行きに乗車すると旅客は私と高校生の2人のみ。2つ隣の備後八幡駅で降り、次の列車は8時間後なのでバスで東城へと向かったところ、バスはスクールバスかと思ったほどの超満員だった。その高校生は芸備線で通学する貴重な生徒ということで、後にテレビの取材を受けていた

またひとつ地方における公共交通機関の現状を知ることになり、ようやく駅の話となる

戦後生まれの棒状駅

杉崎の駅舎。年季が入っているように見えるが、戦後生まれである

駅名板は飛騨細江駅と同じ系列のもののようだが、傷みが激しい

開業は1952年。仮乗降場としてスタートして3年後に駅に昇格した。現在も駅を含めた周辺の住所は飛騨市古川町杉崎

前記事でも記したが、明治初期にあった杉崎村はその後の合併で細江村となり1956年に古川町となるまで存続した(平成の合併で飛騨市となる)。どちらかというと飛騨細江駅より当駅の方が細江村の中心部にあたる

駅にあった周辺の案内図

ただし戦後生まれの仮乗降場ということもあって当初から棒状の単式ホーム。全国各地で元々2面あったホームが単式になるという事案が見られるが、岐阜県内における高山本線今も設置当初からホームが2面だった駅は、そのまま2面で開業から単式で今も同様の構造の駅は当駅と、こちらも戦後生まれの飛騨宮田の2駅しかない(禅昌寺駅は単式で戦前にスタートし、現在は通過線のみ付け加えた変則型)

仮乗降場なので貨物設備もない

ホームと駅舎は屋根付きの小さな階段で結ばれている

今から富山方面へと後戻りする形になるが、乗客は私ともう一人

今から乗車するのは8時6分の猪谷行き。猪谷から乗車し、飛騨細江で下車したのは当駅7時29分発となる高山行きだが、通勤通学にはほぼその一択のようだ

まだ猪谷方面で未回収の駅があるので、再び山中に分け入ろう

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

高山本線全駅訪問のシメ行脚~山深い区間を越え市街地へ到着

飛騨細江駅の駅名標

※訪問は2023年10月19日

富山から約2時間

猪谷からJR東海区間に入り、飛騨細江に到着。富山を出発したのが5時38分、当駅に着いたのが7時26分なので70キロの移動で所要時間1時間48分と結構な道程となった。本来なら宿も多い高山あたりに宿泊した方が効率が良いのは分かっているず、この区間の本数の少なさから富山泊になってしまった。富山から普通のみで高山まで行こうとすると富山発15時58分を逃すと、次は19時50分と4時間も運行がない。この間に17時14分発の特急があるが、所持する「秋の乗り放題パス」では一から課金になってしまうので今回はハナから選択肢になかった。19時50分に乗ると高山着が21時45分となるので、ちょっと遅すぎる。そもそも猪谷の乗継ぎ(わずか2分)以外、ひたすら夜の車窓を眺めながら4時間揺られるというのは私にはちょっと無理である

それほど飛騨古川~猪谷は、ダイヤ的には「薄い」区間で(飛騨古川~高山は区間運転が行われている)、1日8往復(もう1本、夜の下り最終として高山始発の坂上止まりがある)。昼間は3~4時間運行がない時間帯もあるなど全駅訪問の難所だが、飛騨細江まで来ると山岳地域というより市街地となって開けている。神岡からの路線バスが当駅付近を通るため、比較的訪問は容易となる

また飛騨細江~杉崎は線路に沿った国道を行けば、ほぼ平坦コースで徒歩移動も可能な距離

同様のことは杉崎~飛騨古川にも言えるため、全駅訪問を決めてから、最後までとっておいた

旧細江村に基づく

なかなか渋い駅舎が現存する

駅舎入口に掲げられている駅名板にも歴史を感じる

JR東海は待合所やトイレ、倉庫に至るまで、こまめに財産票を張ってくれる。高山本線が一気に飛騨小坂から坂上まで延伸された1934年(昭和9)の開業。もちろん駅舎は当時からのもの

駅名は1956年まで存在した細江村に基づく。ただ駅を出るとすぐ宮川が迫っていて村としての中心部は国道に沿った杉崎駅寄りだったようだ。明治初期に杉崎村などが合併して細江村が誕生したが、鉄路ができた時、すでに細江村の中心は飛騨細江駅と杉崎駅のどちらかというと杉崎駅に近い場所だったようだ。上記の地図だとファミリーマートや杉崎公園のあたり。今も残る付近の町名は飛騨市古川町杉崎で細江という住所は残っていない(駅近くの飛騨細江郵便局にその名を残す)。そのあたりが考慮されたのか、杉崎駅の設置は戦後になってからである

もちろん、といっては何だが無人駅。それでもきっぷ販売の窓口だけでなく手荷物、小荷物扱い扱い窓口も残る

2面2線のホームに加え、行き止まり形式となっている貨物ヤードも残る

こちらは貨物ヤード裏側の様子。あまりにも国道が近すぎるためか、本数の少なさからか、周辺の町の規模を考えると利用者は少なく1日30人程度にとどまっているが、以前は規模の大きな駅だったことがうかがえる

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

高山本線全駅訪問のシメ行脚~猪谷駅「大きな変化あり」の報に驚く

猪谷駅に到着

※訪問は2023年10月19日

まだ暗い富山駅から出発

富山駅は青春18きっぷの最終日となった9月10日以来。1カ月以上が経過して季節も秋へと移り変わり、いつまでも暑い2023年だったが、朝の5時過ぎはまだ暗い上に肌寒い

今日明日で、ようやく高山本線の全駅訪問を終えるつもりである

昨年の18きっぷ最後の2日間でフラリ高山本線に乗ってみたのがことの起こり。当時は主要駅や気になった駅だけを訪問するつもりだったが、妙に気持ちに火がついてしまい、その後

2月 西日本グリーンきっぷで北陸新幹線の各駅訪問をした際にJR西日本管内の2駅訪問

4月 青空フリーパスで岐阜~下呂の8駅を訪問

9月 青春18きっぷでJR西日本&JR東海の7駅を訪問

のべ5日もかけている。2月は西富山から日本で最も長い駅名となった「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)停留場」まで歩くという目的もあったが、それでも2駅を訪れている。4月と9月はそれなりに「ガチ」で早朝から臨んだつもりだが、1日では意外と回れていない。なぜこのようなことになったのかというと、最初につまみ食いのように回ってしまったため、相互に訪問しづらい駅ばかりが残ったためだ。当初から計画的に回っていれば、もっと早く終わったと思われるが、終わったものはしょうがない

本来なら9月の青春18きっぷで終わらせるつもりだったが、どう考えても2日では終わらないことに気付いた。そこで高山本線は1日で終え、18きっぷの残る1日は城端線に充てることに。城端線と氷見線の三セク化ニュースが出たばかりで、こういうのはまとまり始めると早いと高岡へ

そして今回は秋の乗り放題パスを使用。城端線、氷見線の未回収駅を訪れた後に富山で宿泊。さすがに今日明日の2日間で回り終えることになる。その後は名古屋方面へと向かい、名鉄を2日間、満喫する予定となっている

駅数が増えた高山本線

新幹線は6時を回ってからということで、まだシャッターが降りているが

あいの風とやま鉄道と高山本線の改札はすでに営業を始めている

高山本線については、北陸新幹線の開業で「新駅が開業したわけではないのに駅数が増える」という現象が起きている。これは富山駅の所属によるもの。2015年の北陸新幹線延伸まで駅としては北陸本線の所属だったが、同線が三セクのあいの風とやま鉄道に移管されたため、必然的に残る高山本線の所属になった。だから高山本線は現在45駅で所属は44駅(岐阜駅の所属が東海道本線となるため)。44という数字を見ると、なかなかの数だが、とにかく今日と明日で終わらせよう

2両編成のキハ120で降りた衝撃

高山本線のJR西日本区間である富山~猪谷はキハ120が担当する。同じ富山県の氷見線、城端線はいわゆるタラコのキハ40の運行だが、こちらはキハ120。キハ120というと山中を走る単行のイメージが強いが、こちらは常に2両編成で通勤通学の時間帯は多くの人であふれる。また直線部分では、かなりの猛スピードを見せてくれるなど、他地域とは違う姿を見せてくれる

猪谷駅の衝撃ニュース

列車は50分で猪谷に到着

乗車しているうちに、すっかり夜は明けた

ここまでが富山県、ここまでがJR西日本で両社をまたぐ普通列車は現在、運行されていないので必ず乗り換えとなる。乗り換え時間は列車によってさまざまで、すぐに乗継ぎ列車が出発するパターンもあれば、しばらく待機、さらには数時間にわたって普通がないこともある。私の乗車列車は18分の接続。昨年から何度となく降り立つことになったこのホームもしばらくは来なくなるかもしれない、とこれまた何度も撮った駅舎を記念撮影

やがてやって来たJR東海の車両に乗り継ぐ

同一ホームで前後の乗り換え。このパターンに出会うのは初めて。これまでは島式の向かいホームへの乗り換えばかりだった。頻度は分からないが、私にとっては貴重な体験。この後、JR区間を目指して山中に入っていったが、つい先日、X(旧ツイッター)のフォロワーさんから年明け訪問した際、特徴ある駅名板が変わっていたとの投稿があってビックリ

これは9月のものだが、猪谷駅の存在感を際立たせていたこの駅名板が普通の「JR 猪谷駅」という板に付け替えられていたという。猪谷で降りて、まず目に飛び込んでくるのはこれだろうという存在感を放っていたものがなくなったとは。新年から衝撃のニュースだった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります