フリーきっぷ

終日の沼にはまる~車窓を含め見どころの多い小野駅だった

小野駅の駅名標

10月23日14時30分

信号場跡と盆地の一望は必見

電車のダイヤの悪さなど諸条件が重なって、たった4キロお隣の信濃川島訪問が2時間後になってしまいました。実際の私の行動は、ここにいてもしゃーない、と40分後の塩尻行きで1時塩尻に戻ってしまうのですが、中央本線旧線の見どころなどもお伝えしたいと思います

東京方面からやって来た線路は松本盆地を目指す上で、いずれにせよどこかの峠を越えなければなりません。明治期に選ばれたのは善知鳥峠でした。「うとう」は海鳥(PCで入力すると一発変換できました)で山中に迷い込んだヒナを追って親鳥がここまでやってきたという言い伝えによるものですが、当時の敷設技術なのでできるだけトンネルを造らないように線路は行きます。峠越えのため、塩尻と小野の間は駅間が10キロもありますが塩尻から来ると車窓左手に盆地が一望できます。盆地が一望というと松本から篠ノ井線を北に行った姨捨駅が有名ですが、それに似た感覚があります。少し残念なのは森の木が多すぎて全面展望とはいかないところですが、それでも一見の価値はあります

そして姨捨といえばスイッチバックですが、ここにもスイッチバックがありました。単線区間で駅間が10キロもあるため、どこかに信号場(すれ違う場所)を設置しないと列車本数が増やせないと昭和になって設置されたのが東塩尻信号場。そしてせっかくだからと戦後は臨時駅(国鉄では仮乗降場と呼んで北海道にはかなりあった)のようにして付近の住民が旅客利用もできるようにしていました

ここで以前記事にしたみどり湖駅近辺の地図をもう一度

かつて信号所があったあたりは旧線と新線が接近していることが分かります。みどり湖駅の設置は信号場廃止による利用者救済の意味もあったようです

塩尻からの車窓では右手となりますが、その跡は廃止から40年が経ってもしっかり残っています。ホーム跡も残ります

ホーム跡は明確には写っていませんでした(謝)。ぜひ乗車して確認してください

小野宿で栄える

さてようやく小野駅です

かつては小野宿として栄え、明治期の線路敷設とともに駅も設置されました。駅前は国道です。屋根の文字が国鉄ぽい

入口の駅名板の雰囲気は縦と横で異なりますが川岸駅で見たものと同じ。同時期に付けられたものなのでしょう

簡易委託できっぷを発売していますが15時までのようで、駅でボーッとしていると「閉めますがきっぷはよろしいでしょうか?」と声をかけてくださりました

こんな文字がありました

さて実際の私は訪ねていないのですが、行けば良かったと激しく悔いたことを紹介しておきます。当駅から徒歩10分のところに神社があります

小野神社と矢彦神社という2つの別の神社が並んでいるのです。しかも矢彦神社については神社だけが辰野町の飛び地になっていて、なかなか興味深い。私は寺社仏閣については詳しくないし、実際に訪問もしていないのでこれ以上のことは語れませんが、40分後の電車でわざわざ塩尻まで戻って、そこで1時間の時間つぶしをするのなら参拝してみたかった。帰宅してから知っても遅い。思いつき旅で駅と線路の点と線ばかりだけ見ていると、こんなこともあります

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終日の沼にはまる~アジフライが導き出した答えは?

塩尻駅の3方向駅名標

2022年10月23日13時30分

18きっぷでも行けるんじゃない?

みどり湖から1駅。塩尻に戻ってきました。みどり湖駅にあった料金表が残像として残っています

新線と旧線の「環状線」7駅のうち5駅は訪問しました。今回はここで打ち止めにして塩尻以北の駅を訪問する手もあるし、せっかく特急も乗り放題のチケットを持っているのだから、先ほどはたった7分で終わったあずさにもう少し乗ってみたい気もします。ただあと2駅かぁ、となるとここで終わるのもハンパな気がする。そもそも残る2駅へのダイヤが薄いのです。なかなか悩む。いずれにせよ次の旧線は14時19分なので腹ごしらえ

アジフライ定食のお供に時刻表という、いかにもオタクな行動に店員さんに「どこに行かれるのですか?」と話しかけられるほど(笑)

そもそも「環状線回りは青春18きっぷで十分では?」という前提がある。いっぱい新幹線に乗ったので既にきっぷの元はとっていますが、目一杯優等列車に乗るのが普通の思考というもの

しかし一昨年にはグリーン車も含めて乗り放題というJR西日本のきっぷ(グリーン車は回数制限あり)で大糸線のJR西日本区間の全駅訪問や越美北線の駅巡りという、意味不明な行動を行った私としてはここで決断

残る2駅を訪問することになりました

悩ましいダイヤ

ただ問題は前述したダイヤです。この時間帯は2時間に1本程度の運行しかありません。岡谷から回り込もうとも、途中駅はたった2つで結局は、このダイヤに巻き込まれるのですから、あまり意味はない。唯一の希望は小野と信濃川島の駅間が4キロと徒歩でも何とかなりそうなこと。こちらも峠越えとなっている旧線は塩尻~小野間は10キロもあるものの、小野~信濃川島は比較的短い。こういう可能性もあるかと先ほど辰野から塩尻を目指した際、車窓を凝らしていたのですが、線路にほぼ並行して国道が走る理想のコース。それほど急勾配は感じず、特に小野から信濃川島を目指すと緩い下り坂になっていました。季節的には歩くのも、そう苦にはなりません

線路と国道が一体していて歩いてください、今日のような秋晴れの日はウォーキングしてください、と言わんばかりのコースですよね

しかし塩尻から辰野へ行って折り返してくる列車は20分ほどの滞在で戻ってくるため、これから乗車しようとしている列車は小野に14時32分着。辰野から折り返し塩尻行きとなる列車は信濃川島発15時10分なので38分後の発車。小野駅で写真を撮ったりしていると、少なくとも3分程度は消費するので30分ちょっとしか残らない計算です。4キロを30分ちょっとは相当なダッシュが求められるので、この案は却下。となると2時間以上のロスタイムが出てしまいますが残る希望は比較的大きな町である小野駅にタクシーがいること。だったら余裕です。自分のルールとしてタクシーは最後の手段ですが、これはやむを得ない。たいした料金にはならないはず

ということで

小野駅に到着。かなりの方がゾロゾロ降りました。簡易委託で駅員さんもいるようですがフリーきっぷなので出入りも自由だとばかりに、まずは駅を出てタクシーの存在を確認

××ハイ、いませんでした(泣)

駅前にかつてのタクシー会社の建物らしきものはありましたが、現在は営業していないようで辰野から呼ぶ必要があるようです

ということでじっくり小野駅を観察することができる時間が与えられました(苦笑するしかない)

かつては2面3線だったことが分かります

その先には立派な保線車両が停まっていました。こんなに間近で見るのは初めてです。時間もあることだし動くところも見られないかなぁ

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終日の沼にはまる~時刻表では1日7本?の駅

2022年10月23日11時30分

時刻表を開いて絶句

辰野駅訪問を終え、さて次はどうしようというこの時点でも、まだノープラン状態。ただ時刻表から行動は縛られています。辰野からは3方面の列車が出ていますが所持しているきっぷは飯田線には行けないわけで、中央本線旧線しかない。となると塩尻行きか岡谷行きに限られるわけで岡谷行きは11時48分、塩尻行きは12時43分。そりゃあ早い方に乗ります。そして私は岡谷と辰野の間にポツンと1駅だけある川岸という駅に大いに興味を持っていました。優等列車の停車駅に挟まれた、たったひとつの駅はどんなものだろう?というものです

実は最初に時刻表を広げた時に絶句したのです。この川岸駅、停車する列車が1日で下り7本、上り8本しかない。なんだこれは

しかしよく見ると違うのです。私が持っているのは交通新聞社のコンパス時刻表ですが、岡谷始発、終着の飯田線列車は飯田線のページに記されているのです。時刻表をよく見る人は分かると思いますが中央本線の欄外ページにしっかり「岡谷~辰野間は飯田線のページと併せてご覧ください」と書かれている。中央本線の路線でありながら飯田線のページの方に記されている列車が圧倒的に多いのは、この区間の特性を表しています

ホームで待っていると乗務員の方がやってきました。私が乗車したのは上諏訪まで乗り入れる電車でしたが、たった2区間、10キロにも満たない距離ですが、JR東海とJR東日本で、しっかり交代するようです

ワクワクしながら下車

ということで川岸に到着。飯田始発の電車。当然ですがJR東海の車両です。ワンマンにはない、この出発シーン。いつ見てもいいですね

駅に残るのは旧式の駅名標。字体はもちろん、両隣の駅をきっちり端に寄せているのがいい

1面2線のホームから見た駅舎の風情も期待にたがわぬもの。ワクワク感が大きくなります

そして跨線橋

おおっ、そう来ますか

勝手に「スタンプ駅名標」と名付けていますが、高山本線の笹津駅の訪問記でも紹介した写真です。笹津駅は危ない感じですが、こちらはしっかりと残りそうな気がします

来て良かったと思わせる駅

川岸は以前の自治体名で川岸村が戦後、岡谷市に編入されています。当駅の設置は大正期で明治期に中央本線が敷設された後、新たに設置。川岸村に対する駅だったのでしょう。まさに天竜川の川岸で住居表示は駅がある方が川岸東、川の向こうが川岸西。町は川の西側に広がっていて線路がある側は道路と中央道があるだけで、あまり何もありません。ただ川岸村の中心で旧村役場などがある町は、もう少し岡谷寄りの場所。なぜそこに近い所に駅を設置しなかったのかは分かりませんが、駅を造るスペースがほど良かったのか、よくある話で駅間距離が短くなるからかもしれません。ちなみに当駅と辰野は6キロ、岡谷までは3・5キロと現状でもかなり偏っています

駅舎は

基本的には開業時のものだそうで、屋根の色に合わせた緑色の「川岸駅」の文字が映えます

入口の駅名板にも風格があります

その一方でかわいいポストがあり

50周年に設置されたものでしょうか、駅の記念碑があって、その下には

国鉄とD51のプレートが埋め込まれていました

古い駅舎ならではの悩みもあるようです

ホームの待合室は新しいもので、こちらは冬場も大丈夫

訪問時は秋の穏やかな日でしたが天竜川沿いにあるため、集落は過去には何度も被害に遭っているそうです。その度に復旧してきました

来て良かったと思わせるに十分な駅でした

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終日の沼にはまる~上りと下りが交差する辰野駅

辰野駅の観光式駅名標

2022年10月23日10時50分

両社の車両が並ぶ

岡谷から約10分で辰野に到着しました。私が乗ってきたのは左側のJR東海車両。このまま飯田線に入り中部天竜が終点です。右は旧線を塩尻へと向かうJR東日本車両。旧線は本数は多くはありません。昼間は1時間半に1本程度の運行。一応、接続が考慮されているようです

塩尻でも見た感じの駅名標。緑がJR東日本でオレンジがJR東海。川岸は岡谷方面で信濃川島は塩尻方面、宮木が中部天竜(豊橋)方面

ここに至る道中で時刻表をパラパラとめくっているうち、自分の中で上りと下りの感覚がおかしくなっていることに気付きました

大回りにも意義はあった?

塩尻~岡谷間を路線図で見ると、こんな感じです

右の新宿方面からやって来た線路は現在、岡谷から真っ直ぐ塩尻へと向かいます。途中にはみどり湖という駅が1駅だけある。ですが40年前までは辰野経由で向かっていました

今見ると「なんちゅー遠回りをしとるんや」と思うかもしれませんが、以前は普通の感覚でした。私も新線がないころに乗ったことがありますが別に何とも思わなかった。しかし客観的に地図を見ると明らかにおかしいですよね

これにはいろいろな説があり、ひとつは政治的圧力、もうひとつは単なる技術の問題です

明治時代に中央本線が敷設される際、現在の路線を行くか、今の飯田線がたどっているコースを行くかで激しい争いが繰り広げられた末、現行路線となりましたが、伊藤大八という飯田出身の政治家が「できるだけこちらも通せ」と命じて辰野回りになったいう説です。確かに地図を見るとわざわざ塩尻まで行ってからUターンするようになっている

技術的な問題とは岡谷~塩尻間の峠を通れなかったというもの。諏訪盆地と松本盆地の間にある塩尻峠は古くから交通の難所とされ、とてもじゃないが蒸気機関車では登れない。現在、ここは6キロものトンネルでつながれていますが、明治の技術ではトンネルを掘るのは無理。現に戦後でも8年もかけてトンネル工事が行われています

私的には後者のような気がしますが、平面的な地図を見た感じだと説得力があるのは前者で、また話としておもしろというか伝説時になりやすいですね

ただ辰野回りになったからこそ現在の飯田線が敷設されることにもなったわけで、その意味では意義があった遠回りになったことも事実です

紙の時刻表のおもしろさ

そんな経緯もあってこの区間では上りと下りが交錯しています

東京に向かうコースが上り、もっと広義にして平べったくすると田舎から都会へ向かうのが上り、というイメージがあり、確かにそれは正しいのですが、感覚的にあてはまらないケースもあります。例えば三重県の亀山からグルリと紀伊半島を回って和歌山へと至る紀勢本線。和歌山から大阪府内へは阪和線で結ばれ、両方を通る特急も運行されていますが正式に言うと和歌山までが下りで和歌山から大阪は上りです。起点から終点に向かうのが下りで終点から起点に向かうのが上りというルールがあるからです。阪和線は後から国鉄になったという歴史的経緯もあるのですが、天王寺を起点に和歌山と結ばれ、紀勢本線は亀山を起点に和歌山市まで結ばれるので、このようになりました。ですから時刻表は普通、下りページがあって次に上りページとなるのですが、この区間については上りが先に書かれていたりします。

北陸本線も途中で変更があり金沢が起点で米原が終点というのが正式ですが、冊子の時刻表では肌感覚に合わないとされたのか、昔からそうなっているという意味なのか、上りと下りは昔式となっています

話を戻して中央本線ですが、私が来たコースは塩尻から岡谷経由での辰野行き。塩尻から岡谷にかけてはもちん上りですが、岡谷から辰野にかけては下りとなります。線路上は同じコースを引き返しているわけではないのにそうなります

また飯田線は豊橋が起点で辰野が終点ですから辰野から豊橋へと向かう列車は、上りとなるのですがほとんどの列車が岡谷始発なので岡谷から辰野は中央本線の下りを走り、同じ列車が飯田線の上り列車となる運行です。時刻表では飯田線については岡谷→豊橋が上り、豊橋→岡谷が下りのページとひとつになっていますが、そのため、おもしろいことに途中の川岸については中央本線と飯田線で同方向の列車が上りと下り、それぞれのページで別になっています

ちょっと長くなってしまいました。これから辰野駅のウォッチングとなります

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終日の沼にはまる~7分で終わったデビュー戦

岡谷駅の観光式駅名標

10月23日10時10分

旧線を辰野へ向かおう

ふと目についたICカードの利用注意。いろいろな駅名が書いてありますが、私の目にとまったのは辰野でした。岡谷から辰野を経由して塩尻に至るルートは「辰野支線」と呼ばれる中央本線の旧線で、10年以上前にやって来た際、塩尻から旧線で辰野へと向かい飯田線に乗車。飯田で宿泊して飯田線をひたすら南下しました。自宅で乗りつぶし手帳を確認しないと分かりませんが、もしかすると岡谷~川岸~辰野の2区間って未乗区間ではないのか?という疑問がわいてきました

だったら良い機会ではないですか。もし過去に乗っていたとしても別に問題はない。辰野は通ったことはあるけど降りたことはないので、とにかく行ってみましょう

さっそく改札で確認。案内表示は左から中央西線(名古屋方面)、篠ノ井線(松本方面)、中央東線(新宿方面)。右下にぶら下がっているのが辰野へ直接向かう旧線。本数も少ないし優等列車もないので、このようなかわいい表示になっています。現に次の電車まで2時間以上あります。このダイヤに悩まされるなんて、このときは思ってもみませんでした

今の私に用事があるのは右端の中央東線です。このタイミングでは時刻が出ていませんが、10時18分発。もう数分しかないので急いでホームに向かう

これはきっぷに助けられました。次の普通はご覧の通り、11時3分で1時間後。青春18きっぷだったら乗れないし、そうでなくても短い区間に特急課金するのはためらったでしょう。それがこの「鉄道開業150周年記念 JR東日本きっぷ」ならバンバン乗れる。そして実は私、いわゆるあずさ車両のE353系には乗ったことがなかったのです。いろいろな意味で助かります。今回のきっぷで特急の乗車率が上がっていますが、この時間なら大丈夫だろうと乗り込むと、予想をはるかに超えるガラガラぶりで頭上のランプを見ても、先の区間でもまだ指定はかなり残っているよう。きっと夕方には混雑するのでしょう

なかなか座り心地の良いシートです…などと感想を述べたいところですが、そんなわけにはいかなかった。たった7分で到着なのですから。そりゃそうです。たったの12キロしかないんだもの

そして結果として、今回のパスを利用した優等列車はこれが最後になってしまいました。もちろんこの時点では、そんなことは思ってもいません

0番線大好きです

岡谷の駅舎を見て「あれ?」と思いました。10年以上前に降りたことがあるのですが、いかにも国鉄という雰囲気の駅だった記憶があるのですが、すっかりリニューアルされている。ビックリしました

ただ柱の方向案内のホーローは健在のようです

この駅名標を元に説明すると川岸方面つまり辰野へ向かうルートが旧線で長らく中央本線だったのですが40年前にみどり湖経由の短絡線つまり新線が開通して旧線は辰野支線とも呼ばれる支線扱いになってしまいました。ただこのルートは中央本線というより、むしろ飯田線のメインルートになっていて、それは乗り換える電車で分かります

旧線は切り欠きホームとなっている0番線から発車します。基本的にホームというのは駅の事務室である駅長室から順番に1、2、3…と番号をふっていきます。ただ何らかの事情で後から1番線と事務室の間にホームを設ける必要が生じた際に0番線とします。それゆえ切り欠きの行き止まりとなっていることが多い1からホームの番号をふり直すのは作業的にも経費的にも面倒なので、いわば苦肉の策なのですが、当駅も中央本線の新線ができた後に辰野方面への専用ホームとして0番線ができました

当駅も切り欠きホーム。この部分だけ本来のホームと思われる部分が極端に狭くなっているので、後から造ったことが分かります

ただ、この0番線も駅のリニューアルが行われる際、0は不自然ということで1からふり直すことも多く、徐々に姿を消しています。でも、その不自然な「レイ」「ゼロ」という響きがいいですね。私は大好きです

ご覧になってお分かりのように岡谷はJR東海との境界駅でもないのにJR東海の車両が停まっています。中央本線ではありながら、飯田線の運行に組み込まれていて岡谷から辰野方面に向かう電車は辰野止まりは朝の1本のみ。辰野での乗り換えなしに塩尻に向かう本来の中央本線の電車もまた朝の1本だけ。他はすべてが飯田線に乗り入れます。ともかく特急に乗ったおかげで15分ほどの短い乗り継ぎで辰野に行けることになりました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~なにごとも公平に

燕三条駅の駅名標

2022年10月21日10時30分

※単独駅の紹介は終わりましたが同行程なので同タイトルで続けます

徹底されています

燕三条駅で降りて外に出ようとすると「燕口」「三条口」の明確な区分に目を見張ります。駅の出口は東西南北で付けられることが多い。地名の出口があっても、それは通称にされていたりします。なぜなら初めて降りた人、旅人には東西南北の方が分かりやすいからです。しかし、あくまでも燕口と三条口

というか

こんなに大きくて、なおかつピカピカ光っている出口案内には、なかなか出会えません

というか徹底されていますね

2つの都市の市境が駅を通る

もう誰もが分かっていると思いますが、燕市と三条市の名前をひとつにした駅名です

ただ現在はよく見かける駅名ですが、当時は全国ニュースとして大きく取り上げられました。前記事の浦佐駅でも取り上げましたが新幹線の駅というのは夢の架け橋で、今でもそんな空気があります。40年前のことなので、なおさら

新幹線のコース決定時点から両都市で激しい誘致合戦が繰り広げられました。こういうのって鉄道会社が困ります。当時は鉄道会社というより国鉄です。結果的に両都市の境界にまたがって駅を設けることで決着。このあたりが町の中心に近いから、という視点ではありません。とにかく「公平に」です

なぜ私がそんなことまで知っているかというと前述した通り、全国ニュースだったからです。上越新幹線の開業は私が大学に入った年なので、それ以前にテレビのニュースを見ていました。そして、なぜ全国ニュースになっていたかというと、やはり田中角栄さんの存在

駅の設置は決まったものの、では駅名はどうするか、燕が先か三条が先かと、これももめることになりましたが、種々のトラブルは角栄さんの仲裁で現駅名に決定。その代わりに高速道路のインターチェンジは三条燕となりました。また駅名の最初に燕が入ったためかどうかは分かりませんが、駅長室は三条市にあるため、駅の所在地は三条市となっています

駅の中を市境が通っています

訪問当日はお知らせの案内で隠れてしまっていましたが、改札を入る時も燕と三条が並列

当時は単なる駅名を巡る争いというより、角栄さん絡みだからこそ、ニュースとして取り上げられていた気がします。それほど大きな存在だったのです。ただ地元の皆さんには誠に申し訳ないのですが、当時の取り上げられ方は「田中角栄のおひざ元で何やらケンカしている」というものだった印象です

もっとも全国ニュースになった効果は抜群で、おそらく三条市や燕市を知らなかった関西の人も両都市の地名はしっかり刻み込まれることになりました。私もその一人

大きな駅です

さて駅舎の方は当時の他の新幹線駅と同じく

とても大きい。コンコースも広い

当駅は弥彦線との接続駅となっていて単独駅ではありません。新幹線と同時に弥彦線の駅も開業しました。今日は長岡泊の予定につき、乗り換えのためそちらに向かいます

彌彦神社は大鳥居で有名ですが在来線へと向かうコースにも鳥居があります。在来線は無人となっていて、そのままホームに入っていくと何やら電車音

行ってしまった…

時刻表を10分ほど読み間違えたらしい。よくやらかして、いつものことながらショック。電化されている弥彦線ですが、昼間のダイヤは薄い(本数が少ない)のです。次の東三条行きは2時間後。東三条まではたった2駅で信越本線の駅巡りなどをしながら長岡へ向かう予定でしたが予定は崩壊。ただこの日は強い武器がありました。フリーパスなので再び新幹線の改札をくぐり、長岡までの1区間、わずか10分を新幹線利用するというぜいたくな手段で長岡へと向かいました

そんな燕三条駅で実は私が一番感激したこと

三条市の名誉市民であるジャイアント馬場さんのお出迎えでした

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東日本の新幹線単独駅を巡る~新幹線は夢への架け橋、銅像は何思う

浦佐駅の西口

10月21日12時

浦佐駅の位置は

西口から東口へ向かいます。こちらの入口も広大なスペースがあります。新幹線駅は高架なのでエスカレーターで向かいます

ただ昭和時代、国鉄時代の新幹線駅のコンコースが広いことに、そこまで大きな驚きはありません。小さいスペースに強引に設置した場合は別ですが、当時の新幹線駅というのは夢の原点。そこから街には無限の可能性があると誰もが思い描いていました。将来は地域の中心となってテナントも多数入る。だったらできるだけ大きく造れ、となるのも無理はありません。他にもスペースをもてあましている駅はあります

メインとなる東口(八海山口)へ向かう通路。跨線橋の形で降りていきますが文字はなかなか年季が入っている。ふと振り返ると

改札口へと向かう階段には、さらに古典文字。階段の向こうとこちらが別世界のように感じてしまいます

その浦佐駅ですが

記事のテーマにもなるので小出駅との位置関係も入れてみました。ここに新幹線駅の設置が決まった時は意外と受け止められました。浦佐をはさんで東京寄りに2駅行くと六日町という大きな街があります。ただし駅としては北越急行の乗り入れはずっと後だし、こちらは越後湯沢に近すぎる。だったら新潟寄りに2駅で只見線の乗り換えもある小出が適切ではないか、そもそも浦佐には優等列車もあまり停まっていないのではないか、との議論です。ははーん、これはきっとあの人だろう、となるのも当時の世論を思うと無理もありません

予想を大きく上回る大きな銅像

東口を出てロータリーを右に折れたところに田中角栄元首相の銅像があります

写真で見たことはありましたが、こんな大きいというか高くて立派なものとは知らなかった。駅のコンコースの広さよりも驚きました

私が小学校の高学年の時に総理の座につき、総理在任はわずか2年でしたが、それ以上の存在感を持っていた。亡くなって30年近くが経過しているので若い方には歴史上の人物でしょうが、歴代総理大臣で、今もこれだけ語られる人はなかなかいません。政治のブログではないので、これ以上は書きませんが、存命中は功罪の「罪」が、亡くなってからは「功」が多く語られている気がします。最近語られていることは伝説の部類に入ることばかりです

廃線と建設が同時進行

鉄道についての部分だけ取り上げると総理になる前から日本列島の強じん化を掲げ鉄道網発展を推進しました。総理の座についた1972年は国鉄の赤字額のすごさがクローズアップされたころで、既に赤字路線の整理・廃線が始められたころでしたが、田中首相誕生と同時に待ったがかかり、廃線の動きがある一方で、将来の赤字が心配される新路線の建設が進められるという不思議な現象が起きている時代となりました

そのように力があった人なので浦佐に新幹線駅が設置されることが決まった時は強引に駅を設置したに違いない、と言われたもものです。ただ銅像を見て間違える方も多いのですが、元首相は浦佐の出身ではありません。こちらは選挙区です。それがかえって、いろいろな憶測を呼ぶことにもなりました

もっとも地図を見ていただければ分かるのですが、新幹線を小出経由にすると線路も弧を描くように遠回りになってしまいます。次の駅は長岡なので、そこに向かって真っ直ぐ敷設して越後湯沢との間に駅を設置するのなら浦佐が最適ともいえ、それも一理あります

私が降りてきた東口です。跨線橋の構造を見ていただければ分かる通り、バスやタクシー、乗用車といった具合に区別してそれぞれの乗り場に向かうもので、バス路線が増えれば、そこに向かう階段になるのでしょうが、こちらもまた見ての通り、その役割としては機能していません。真ん中のシマで車を降りた方も階段を昇ることなく、駅舎に近いところにあるエレベーターまで道路部分を横切って歩いていきます

上越新幹線の開業40年り大きなパネルがありました

在来線を除いた新幹線部分だけを取り出すと、上越新幹線内では単独駅の上毛高原より乗降客が少ない年もあります。ただ、それを今どうこう言ってもしょうがない。前述した通り、当時、新幹線は夢への架け橋だったのです。駅の設置についての想像よりも、北陸新幹線よりずっと前の国鉄時代に上越新幹線を敷設できたことが田中角栄さんの最大功績だと思います

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東日本の新幹線単独駅を巡る~語ることと見ることが多すぎる浦佐駅

浦佐駅の駅名標

10月21日11時50分

水飲み場がお出迎え

メインテーマである「新幹線単独駅」について、今回の旅では厳密に言うと上毛高原駅で終了です。ただ興味深い新幹線駅も訪れているので、この表題のまま続けていきます

浦佐駅に到着しました。こちらも1982年の開業時からのものでホームに降りた瞬間、40年の歳月を感じます。いや正確に言うと「あまり変化していないような印象を受ける」なのかもしれません。それ以前に開業している東海道・山陽新幹線はどこか変化を感じるものが多いからです

いきなり水飲み場などが登場すれば、そう思ってしまいます。若い方は、感覚が分からないかもしれませんが、上越新幹線が開業した82年ごろ、水なんて買うものではなかったのです。当時、私は貧乏学生をしていましたが、ペットボトル入りのウーロン茶や水が登場し始めたころで、テレビCMも始まり、周囲では買う人もいましたが「水なんて蛇口をひねれば出てくるし、お茶なんて湧かして冷蔵庫に入れておけばタダ同然の値段。わざわざ買うものではないでしょう。というかそもそもウーロン茶って何?」。そんな感覚が主流でした。ただ逆に言うと自販機のボタンを押して水を買うこともできないし、コンビニなんて都市部中心。夏場は駅の水飲み場はありがたい存在だったのです

とにかく広い

コンコースに出てみます

浦佐から2駅新潟寄りとなる小出駅を発着する只見線が復活したばかり

かなり大きなスペースで復旧を祝う写真展が開催されていました

四季の沿線の様子が写し出されています

私もかなりの時間、見入ってしまいましたが、そのうち気付いていくことがありました

「とにかくデカい」

のです

広大な空間に今は使用していない待合室。こちらは超特大。大々的に写真展を開催しても、まだまだ余裕があります。浦佐駅には八海山口と呼ばれる東口と毘沙門天口と呼ばれる西口があります。メインは東口のようですが、まずは西口へ出てみます

こちらは改修された感があります。ただロータリーはあるものの寂しい。メインの出口ではないので、こんな感じでしょうか。実はこの東口にはスキー場があって先ほどの写真の特大待合室はスキーの団体客用のものだったとか。ならば納得ですが、それでも広い。次の新幹線まで1時間半とどまる予定なので、こちらで昼食とするつもりですが、そのうち見ることも語ることも多い駅だということが分かってきました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~寄り道した在来線駅は新旧同居、地域文字も

後閑駅の駅名標

10月21日10時10分

停車中のバスに乗ってみる

上毛高原駅。ここでは1時間以上の待ち時間となりました。ちょっと長いなぁ、と思っていたら路線バスが2台。と思う間もなく1台は出発してしまいました。残る1台は後閑駅に向かうようです。こちらも間もなく出発ということで、エイヤとわけの分からないまま乗ってしまいました

本庄早稲田の本庄と同様、上越線の後閑駅が上毛高原駅の運賃計算の当該駅となっていることぐらいは知っています。どのぐらい離れているのかは分からないけど、運賃計算の対象なのでそんなに遠くはないだろう、後閑駅にタクシーがいるのかどうかは分かりませんが、いれば帰りはタクシーに乗ればいい、ぐらいの軽い考えで乗車。そこから調べると

所要わずか10分。川を渡らなければならないので直線コースというわけにはいきませんが近道にあたるコースなら3キロ。時間があれば徒歩でも行けそうな距離です。ただし上毛高原駅は高台にあるので後閑駅から上毛高原駅に向かうのはしんどそうですが

基調はSL色

後閑駅に到着しました。まずバスの時刻表を確認。本数はかなりある。上毛高原にもバスで戻れそうです

後閑駅は旧月夜野町の中心駅。その町役場が現在、みなかみ町の役場となっています。周辺には町が広がる。ただしかつてあったみどりの窓口は既になく、現在は無人駅

それでも以前からの駅舎を基にリニューアルされた美しいものとなっています

新幹線が開通して以来、かつての大動脈だった上越線からは優等列車が消えました。当駅も昼間は1時間から1時間半に1本ぐらいの運行。新潟県との県境にはモグラ駅で有名な土合がありますが土合を通る県境越えの電車は1日5~6往復の閑散路線としても知られます。それでも貨物路線としては重要で、その閑散区間では貨物列車の運行の方が多い現象が起きています

この後閑駅を有名にしたのはSLで、かつて当駅で静態保存されていたD51の状態が良いということで観光列車用に現役復帰。今も臨時列車として人気の「SLぐんまみなかみ」は、ふるさとということで無人駅である当駅に停車します。駅舎の黒色はSLの色をイメージしているそうです

あちらこちらに新旧。文字にしびれる

駅に入ると新旧が共存しています

駅名板は真新しい

駅名標もSL停車駅に敬意を表したものとなっています。その一方

こちらの案内の文字は歴史を感じるもの。そしてなんといってもこちら

柱にある、いわゆる第三種と言われる駅名標は新しいものですが、かなり年季の入ったホーローの方面案内と並んでいます。これは貴重な光景。特に「新潟」の「潟」の文字。初めて見た私は長岡と並んでいなければ、おそらく新潟と読めなかった

サンズイに「写」は地域文字と呼ばれるもので「潟」の文字を正確に書くのが難しいことで生まれた、新潟独自文字ではなく各地、各文献で見られた文字が残っているそうです。確かに「潟」という文字を日常的に見ることはないし、書いてみろ、と言われると一瞬手が止まってしまうかもしれません

ただワープロそしてPCなどが生まれ、「潟」が常用漢字になったことで今は、ある一定の世代以上しか分からなくなっているとか。ここは群馬県ですが、きっと珍しい文字だということで今も残してくれているのだと思います

帰りには見事なワンマン運転のバスの独自転回にみとれてバスに乗り込み上毛高原に戻りました。なかなか中身の濃い寄り道。行って良かった

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東日本の新幹線単独駅を巡る~仮名称のまま40年

上毛高原の駅名標

2022年10月21日10時

いきなりテンションが上がる

上毛高原駅の柱の案内

本庄早稲田から25分。上毛高原に到着です。いきなりこのようなものを見せられるとテンション上がりすぎるではないか

もちろん初めてやってきました。元々、関西の人間にとって栃木、群馬というのはなかなか行けそうで行けないところで、私的な感想ですが関西の人が行ったことのない県、となると両県がワンツーを占める。では東京で同じような質問をすると鳥取、島根がワンツーとなります(繰り返しますが個人の感想です)。必ず乗り換えが生じるので、なかなか腰が重い

もっとも鉄オタは、そんな事情はむしろプラスにとらえて逆に積極的に行きたくなるのですが、新幹線駅というのは、なかなか気合いとお金が必要となります

40年の歳月を感じるものがあちこちにあります。ベートーベンの第九のようにどんどん盛り上がります

一見、普通の階段ですが左側のスペースはエスカレーター設置を予定していたように感じます。ただしその後に奥に見えるエレベーターが造られたことでエスカレーターの設置は不可能な構造となっています。というか「エレベーターを造るからエスカレーターは要らないんじゃない」となった感が強い

実在しない高原

改札を抜けて駅の外に出ます

いかにも国鉄時代の新幹線駅です。派手さはない代わりに大きく目立つように造る、あくまでも機能重視

当駅は高崎~新潟で唯一の新幹線単独駅です

利根川を見下ろすような高台に設けられています。1982年、上越新幹線の開業と同時に駅も開業しました

さて、この駅名。事情を知らないと同名の観光地というか高原があるのだと誰もが思ってしまうのですが、上毛高原は実在しません

「県北観光地の玄関口の機能があり、その範囲は、日光、尾瀬、沼田、谷川、四万、草津まで及んでいる。その広域性を意味するために上毛高原が最適だった」と案内されていますが、客観的に見て日光はかなり遠い気がします。そもそも栃木県。つまり最適という駅名は国鉄が仮名称として付けたものです

仮名称がそのまま駅名になっていても問題はないのですが、その駅名は「もっと適正な名前はないのか」と、ずっと議論の的となっています

現在はみなかみ町にありますが駅の発足時は平成の合併前で月夜野町にありました。当時から駅名については、いろいろな意見があったようですが、全国各地の例で分かる通り、こういうのはなかなかまとまらない。2つの町(自治体)なら組み合わせればいいのですが、前述した通り、地域が広くすべて入れ込むわけにはいきません

有名なのは駅でも観光案内があるように

沼田城を巡る攻防で真田家の物語に必ず出てくる沼田ですが、所在は月夜野町で現在も沼田市にはない。ということで仮名称が正式駅名となり、そのまま40年が過ぎています。もちろん変更の要望は定期的に行われていて、昨年にもみなかみ町と町商工会、町観光協会が要望書を提出しています。ただし駅名変更には、かなりの費用が必要で誰がどのような理由で捻出するかという問題もあります

駅では、さまざまなキャラがお出迎えしてくれます。東京までの所要時間は列車によって異なりますが60~80分で1時間に1本の列車が確保されています。次に訪れるのはいつになるか分かりませんが、その時の駅名にも注目です。そんなことを思いながら、ふと向かいの上りホームを見ると

こちらにもテンションが上がるものがありました

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