フリーきっぷ

青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~国鉄末期に誕生した難読駅

上道駅の駅名標

※訪問は4月6日、状況が変化している可能性があります

同名駅があるだけに

答え合わせからスタートしますが、なかなかこうは読めない駅です。「じょうどう」なら急激に普通の読みになってしまいますが、1文字濁音が外れただけで難読駅の仲間入りです

難しさを増しているのは同じ「上道駅」が同じJR西日本管内にあるため。鳥取県の境線にも「上道駅」が存在しますが、こちらは「あがりみち」と読む。同じ文字でありながら、カナにすると似ても似つかないというあたりが、おもしろい。開業は鳥取県が1952年に対し、岡山県は1986年。山陽本線の駅の方がかなり後輩になりますが、元々あった自治体名「上道町」に基づくものなので、別名とはいかなかったのでしょう

駅を降りたところに解説がありました

難読駅については由来を知りたくなる。こういうかゆい所に手が届くのは、とてもうれしい。解説によると元々は「かみつみち」と呼ばれ、後に「じょうとう」に変化。「上東」の文字が充てられることもあったという。「上東」が定着していれば、境線との区別も必要なかったし、難読駅になることもなかったのかと思うと、なかなか興味深い

周辺は新興住宅街と重要国道

駅の開業は1986年11月ですから、国鉄末期というか翌年3月の民営化へのカウントダウンの時期。駅の南側に新たな住宅街が誕生したため、新規開業となりました。「国鉄のうちにやっておくことはやっておこう」と新設された駅が各地で見られますが、おそらくそうした案件だと思われます

こちらも駅前の地図で詳しい

駅があるのは地図の左端。兵庫県側からやって来た山陽本線と山陽新幹線が合流した地点にあり、駅に近い新興住宅街は「城東台」と、難読を避けたかのように命名されています。そしてこの地図でも分かるのは、元々の上島町(1971年に岡山市に編入)の中心からは若干離れているということ

この上道地域センターがかつての町役場の場所。車で10分とは、かなりの距離ですが、こちらにはそもそも新幹線以外の線路が通っておらず、城東台を造成した会社が駅の設置費用を負担したこともあって、駅は現在の場所となりました

ただ駅の南側を通る国道250号は山陽本線、山陽新幹線とともにそのまま岡山市内に入るルートで、交通量も多く、ロードサイド店が並ぶ道路です

橋上の無人駅

上道駅は橋上駅舎。1日2000人以上が利用しますが4年前に無人化されています

現在は簡易式のICOCA改札機がポツンと置かれているだけですが、4年前まではみどりの窓口設置駅でした

比較的新しい駅ですが、なぜ並べて案内をしているのか微妙な感じがする手洗所の文字は独特

ホームは2面2線。1986年開業ですので、もとより貨物の扱いはありません。新幹線の高架直下が北口となりますが、南口に比べると北口は静かです。ここから新幹線と寄り添いながら岡山を目指します

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~山中の「瀬戸町」から列車は増える

瀬戸駅の駅名標

※訪問は4月6日、状況が変化している可能性があります

旧瀬戸町の代表駅

瀬戸駅です。当駅折り返しの電車が頻発しており、ここから岡山に向けては昼間も30分に1本と本数が多くなります。2面3線で駅の規模も大きく、少し前までは管理駅でした

現在の住所は岡山市東区瀬戸町ですが、16年前までは単独の自治体「瀬戸町」でした。瀬戸駅は同町の代表駅

駅の周辺に役場などの公的施設や学校などが集まり、町の中心部を形成しています。また熊山駅の記事でも説明した通り、岡山市内にありながら赤磐市の市役所最寄り駅でもあります

その瀬戸町ですが、町名のイメージとは異なり、瀬戸内海には面していない内陸の町。地名のできた古代には瀬戸内海に面していたそうです

駅舎は昭和13年生まれ

駅の開業は1891年(明治24)と、こちらも沿線の他駅と同様、歴史がある。現在の駅舎は1938年からのもの。少しずつ手を加えられているようですが

ホームの柱と上屋には年輪を感じさせます

こちらも駅舎と同年齢のよう

駅入口の駅名板。こちらも年季を感じる。駅舎の屋根に設置されたものと2つ縦に並べるように掲げられています

南口も設置

瀬戸から岡山までは25キロ。電車でも20分ほどの距離

ホームに立つと駅舎とは逆側に住宅街ができています。これだけ岡山市内の中心部まで近いのですから当然といえば当然

ということで2011年に南口が設置されました。岡山県内に入って簡易式のICOCA改札機ばかり見てきましたが当駅は開閉式。ただ過去何度か書いている通り、青春18きっぷの使用時、JR西日本の無人開閉式改札はなかなか難敵なのですが

駅舎側の改札は本来、改札機に入らないきっぷのために駅員さんがチェックするスペースが空けられています。地区によって異なるのでしょうが、岡山地区では青春18きっぷのシーズンは「自由にお通りください」と案内されている場合があります

こちらは当駅訪問の前日に金光駅で見たもの

なお瀬戸駅は窓口は閉鎖されていてみどりの券売機が設置されていますが無人駅ではありません

「窓口に誰もいない有人駅」こちらも最近多く目にするようになってきました

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~片鉄ロマンの駅

和気駅の駅名標

※訪問は2023年4月6日。状況が変化している可能性があります

昭和コンクリート駅舎

和気駅です。兵庫県から岡山県に入って岡山市内までは戦前からの木造駅舎が多いのですが、こちらは「ザ・国鉄」のコンクリート駅舎

1962年に現在の建物になったようですが、それでも60歳超。JR西日本の社員が研修、訓練を行うことで有名岡山総合実設訓練センターがあることでも知られています

構造は2面3線。1日に3往復、当駅を始発着する電車が設定されています

周辺は和気町の中心部

和気駅周辺は和気町の中心部。町役場のほか、吉永駅の項でも紹介した閑谷学校をルーツに持ち350年以上の歴史を持つ県立和気閑谷高校の最寄り駅でもあり、当駅から岡山市内へ通学する生徒も含め、朝夕はにぎわいます

駅前のロータリーにはタクシーも常駐していて駅としての規模も大きい。駅前の観光協会はかつて銀行だった建物に入居しているようです

そして地図を見て分かるのは、駅舎側だけでなく駅舎と逆側にも町が広がっていること。それは片上鉄道の駅があったから

片上鉄道との接続駅

ホームから駅舎と逆側に「片鉄ロマン街道」の文字とホーム跡のようなものが見えます。1991年に廃線となった「同和鉱業片上鉄道」との接続駅でした

柵原鉱山の硫化鉄鉱を瀬戸内海の片上港に運搬することが目的で大正期に敷設された片上鉄道。片上駅は赤穂線の西片上駅の近くで現在はスーパーとなっていますが、0キロポストが残り、今も「片鉄片上」というバス停に名前を残しています

旅客運輸も行っていた片上鉄道はJR(国鉄)との接続駅は、ここ和気のみで利用者は最も多かった

駅舎と逆側へは地下通路で結ばれていて

その通路は片上鉄道とJRのホームを結ぶための通路を転用したもの

線路跡はサイクリングコースとなっています

自転車道は「片鉄ロマン街道」と名付けられ詳細な地図があります

こちらは駅前の和気町の地図。山陽本線をまたぐ点線で描かれているのが片鉄ロマン鉄道つまり片上鉄道跡です。片上鉄道の廃線によって和気駅が町内で唯一の鉄道駅となりました

訪問時は無人

駅舎に戻ります。ガラス張りでターミナル駅の雰囲気が漂う

楷書体の駅名板は駅舎内に。いつからのものでしょうか

古典的な番線案内もあります

みどりの券売機が設置されています。直営駅で無人駅ではないはずですが、訪問時は窓口は閉まっていました。簡易式のICOCA改札機が設置されています

訪問時は青春18きっぷ期間。岡山県内の山陽本線の駅では開閉式の改札機を設置している駅でも「青春18きっぷ利用の方は通ってください」とフリーで通れる部分を設けている姿も目にします

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~原風景の駅とオサルさん

伊勢竹原駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢川口13時39分→伊勢竹原14時06分

再び家城をまたいで山中に入ってきました。何度も繰り返していますが、名松線は家城を境に雰囲気が一変します。家城からたった1駅で周辺は山に囲まれます。そして

素晴らしい木造駅舎が残る伊勢竹原駅

財産票によると1935年12月。開業時の駅舎がそのまま

駅名も右から左に書かれている。これだけでグッときてしまいます。駅舎そのものが少ない名松線ですが開業時からの駅舎は家城とこちらだけです(一志は駅の場所が変わって駅名変更された際に建てられたもの)

周辺も懐かしい景色が連なる

かつては貨物の取り扱いもあり、ヤードが残ります。おそらく材木輸送でしょう

到着時の写真で側線が写っていますが、こちらはすれ違い用のレール跡ではなく、単式ホーム+貨物側線で開業時から列車交換の設備はなかったようです

駅前は、そのまま映画の一場面になりそうな風景

地図にある県道15号と雲出川(くもずがわ)は名松線の「お友達」。県道は久居美杉線と言って、名松線の存続理由となった「道路状況困難」から徐々に改良され、まだ細い部分は残りますが伊勢奥津までつながっています。雲出川は奈良県の県境付近の源流から伊勢湾へと向かい、それぞれ県道は伊勢奥津から一志あたりまで、雲出川は伊勢大井あたりまでずっと寄り添います。特に雲出川については渓谷を生かした川沿いにレールが敷かれたことがよく分かる

ちなみに、県道と川はこの日の私にもお友達(笑)。駅間徒歩の間は多くの時間を共有しました

駅前広場の突き当たりでバスの時刻を確認。結局、この日1回だけの利用となるバスです

駅の方向を振り返ってみると、駅に最も近い民家は、かつて駅前旅館だったような雰囲気でした

予期せぬ来客

バスの待ち時間が40分ほどあるため、貴重な駅舎でランチタイムとすることに

国鉄末期の1986年まで有人駅として頑張っていた伊勢竹原。木造で統一された駅舎の中で窓口のみシャッターとなっていることが、それを証明しています

現在の利用者は1日に十数人のようで、私の訪問時は「貸切」。ランチといっても上ノ庄駅近くのコンビニで購入したおにぎりです。ムシャムシャ食べ始めると何か目の前を横切った。というか、一度立ち止まってこちらがのぞかれたような感覚がある

オサルさん!

目があってしまった。比津駅付近で見た鹿については、まぁいるだろうな、という感覚でしたが、サルがいるとの情報は知らなかったのでビックリしてしまいました。しかもちょうどおにぎりを手に立ち上がった状態。「強盗」に遭ったらどうしよう。正直ビビッた。入口の木戸は閉まるのか、などと身構えると

どうやら目的は別にあったようで、ひとつを手にして素早く去っていきました。ホッと一安心

とはいえUターンされるとマズいので、猛烈なスピードでおにぎりを食べ、ゴミごとバッグにしまい込みました。思わぬ珍客でしたが、ずっとここに住んでいる向こうにとっては私の方が予期せぬ来客だったのかもしれません

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満員の代行バスで旅を締める

酒田駅の特急いなほパネル

3月4日11時10分

特急いなほに乗車

いなほは秋田~新潟を結ぶ特急ですが、1日7往復の運行のうち、秋田と新潟を直接結ぶのは2往復のみ。多客期は一部延長運転が行われますが、5往復は酒田~新潟の運行となっています。酒田駅が新潟支社と秋田支社の境界となっているため、普通の運行は酒田で分断され、特急を利用しない場合は乗り換えが発生します

とはいえ

秋田~余目間は未乗車区間のため、酒田で下車。すでに山形県に入っています。ここでランチタイムと。昭和30年代に建てられた典型的な国鉄コンクリート駅舎ですが、2年前にリニューアルされました

美しい余目駅

酒田からは普通に乗車。15分ほどで

余目に到着。駅名標で分かる通り乗り換え駅

駅名標は新しいものですが、ホーム上の乗り換え案内はクラシックなものが残ります。新庄へ向かう陸羽西線の乗り換え駅

来るのは2度目ですが、黄色の文字が美しい。階段もその色に準じていて離れたところからも目立ちます

陸羽西線はバス代行中

時間的には東京に向かうことになっていて、本当は特急で新潟まで行き、上越新幹線で東京に行く方が圧倒的に早く、新幹線も乗れるJR東日本パスを有効利用できるのですが、この日はちょっと違うことを考えていました

余目駅の跨線橋ですが、新庄へ向かう陸羽西線ホームへの通路は塞がれています。現在、陸羽西線と交差する道路のトンネル工事に伴い、バス代行が2024年度中までの予定で行われています

この代行バスに乗ってみたくなりました。最上川に沿って走る陸羽西線ですが、バスからだと以前乗車した鉄道とはまた異なる景色が見られるはず

こちらは前日、古川駅に張られていたバスの時刻表。陸羽西線は酒田から直接乗り入れる運行があったため、バスで酒田からも行けるようになっていますが本数は圧倒的に余目からが多く、また久しぶりに美しい余目駅を見たい願望もありました

余裕の行動だったが…

積み上げられた雪の向こうですでにバスは待機しています。しかし過去に陸羽西線に乗車した記憶は大してお客さんはいなかったものなので

たまたまやって来た観光用の快速「海里」を眺めるなどして余裕の行動

バス出発の15分前もこんな感じで、まぁ大丈夫だろうと、この後に乗る山形新幹線の発券を行うなどして駅舎内にいました。そもそも寒いので並びたくない

ところが発車10分を切った時点で再び駅舎外に出ると、一体どこから集まってきたのかと思うほどの並びになっていました。考えてみれば、前日、川部駅で実感したように、今は東日本パスと青春18きっぷが重なる時期。人が多いのも当然。慌てて並びに参加しましたが窓際席は確保できない、どちらかといえばギリギリセーフの状況。実はバスはもう1台待機していて、運転手さんが並びの人数を何度も数えていましたが、もしかすると予備車両だったのかも。そんな理由でバスの車窓からの写真はなしとなりました

雪の車窓をながめながら旅を終える

鉄道の時刻表の感覚では大いに余裕があった新庄からの山形新幹線の乗り継ぎですが、バスは若干の遅れが発生。新庄からの新幹線は2時間に1本しかないためヒヤヒヤしましたが、無事間に合いました

こんな機会はめったにないため、指定券は余目で発券。4回まで利用できる指定席ですが、前回と同じくほぼ自由席だったため、今回の旅で唯一の指定席となりました

山形と福島の県境の雪景色を見ながら旅は事実上、終了。東北新幹線の各駅訪問、長年の念願だった羽後亀田駅も訪問できて充実の旅でした

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新幹線単独駅巡り再び~切り離し見学の注意点

盛岡駅のSL銀河の予告

※今回は特記事項の記事となっています

2023年3月2日14時50分

楽しいステップ

盛岡までやってきました。今回のシリーズとは少しテーマがずれますが、盛岡駅での注意点について簡単に触れたいと思います。駅名標でお分かりのように盛岡は新幹線の分岐駅です。真っ直ぐ進む東北新幹線と田沢湖線経由で秋田に向かう秋田新幹線とに分かれます

構内には楽しいSL銀河の告知がありました

そして秋田新幹線といえば

これはくりこま高原駅での写真ですが、停車時にプルルンと出てくるステップですよね。在来線を走る形になる秋田新幹線と山形新幹線は車幅が小さいのでホームとのすき間が広くなるため、このようなステップが設けられています。私のような関西の人間は乗車する機会が少ないので、ステップが出る場面を必ず凝視してしまいます

いつもにぎわう

盛岡で列車が到着する度に多くの見物でにぎわうのが

こちらの結合部。もちろん、この時もかなりの方が周囲に集まっていて、人が写らないよう写真を撮るのが大変でした

東京から盛岡まで、仲良く併結されてやってきた東北新幹線と秋田新幹線は、ここでお別れ。結合されていた列車同士が切り離され、ツルンと先端部が復活するシーンは、ひとつのみどころとなっています。こちらもまた平素利用の少ない私のような人間は見たい場面で、特に子供さんには大変人気のアトラクション化されているともいえます

そして分かっている方には分かりすぎていることですが、注意点をひとつ

秋田新幹線で秋田に向かう方は、この場面を見学に行ってはいけません

なぜかというと進行方向に向け前の部分にある秋田新幹線は東北新幹線と分離すると、そのままスーッと発車してしまうから。つまり切り離し作業の場面ではすでにドアは閉められているのです。数分間の停車時間はありますが、それはあくまで東北新幹線のものと思っていただいた方がいい。この点は車内アナウンスでも喚起されますが「被害者」は意外と多いと聞きます

では東北新幹線で、そのまま盛岡以北に向かう人は見物していてもいいのか、ということになりますが、確かにわずかながら時間はあります。ただ駆け込むことになるであろう先頭部分はグランクラスで、その次の車両はグリーン車。両車両ともルール上はチケットを持っていないと立ち入ることができないエリア。特にグランクラスには入口でアテンダントの方が待機しています。こちらもおすすめはできません。グランクラスを利用しているのならともかく(それでも時間はさほど与えられてはいない)、こちらも避けるべき事案です

切り離しの場面を見たいのであれば、盛岡で下車する時の一択でお願いします

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新幹線単独駅巡り再び~キャラに圧倒されっぱなし

一ノ関駅の在来線と新幹線の乗り換え改札

※単独駅ではありませんが初訪問なので記事に加えます

2023年3月2日13時50分

誰もが知る有名駅

水沢江刺から1駅戻って一ノ関駅に到着しました。誰もが知る有名都市の有名駅。ちなみに都市名は「ノ」が入りません

もちろん東北新幹線開業時の設置で在来線も東北本線、大船渡線が交差。東北本線の列車は当駅で運行が分断され、またぐ運行もありません。交通の要衝でもあります。乗り換え口も、これでもかというほど大きな表示で分かりやすくなっています

新幹線と在来線ホームの間には留置線があります

駅の西側が駅舎側で街が広がっています

こちらは西口で駅としての機能はすべてこちらに集中しています

東口はおそらく駅舎と逆側からの通行に配慮したもので簡易な構造。一ノ関駅は明治以来の古い駅ですが、東口はできてまだ20年ほどです。地図や写真で分かる通り、在来線と新幹線の間は結構な距離があるので西口から新幹線に乗車する場合は余裕を持って駅に着く必要があります。在来線改札から新幹線改札まで5分は見ておいた方がいい

在来線ホームの駅名標にて

在来線ホームにやってきました。案内表示はかなり古典的なものが、使用されています。2面3線構造。緑が東北本線、オレンジが大船渡線のラインカラー。前述したように東北本線も含め、すべて当駅が始発となります

こういう分岐駅の駅名標が好きなんですよ。ともにJR東日本の路線のため、会社別の色分けはないでしょうが、JR東日本の駅名標はこのあたりにしっかり対応します

早速、上を見上げると

ア、アレ???

分岐よりも楽しげなポケモンに目が行ってしまいます。一ノ関がポケモントレイン気仙沼号の発着地であることを思い出しました

跨線橋への階段付近でもお出迎えがあり

西口改札手前にはズラズラと圧巻のヘッドマーク集合。ポケモントレインは週末の運行で、平日のこの日は姿はありませんでしたが、親子連れが熱心に記念撮影をしていました。週末となると凄いのでしょうね

この顔出しパネルは昨秋訪れた気仙沼駅でも出会いましたね

私がポケモンの存在感を知ったのは20年以上前。休暇をとってベルギーを訪れた時のこと。ちょうど週末で街の中心部を歩いていると、出会う子供たちの「ポケモン率」の高いこと高いこと。キャラクターの服を身にまとったり、風船を手にしたりで、とにかくポケモンが目立っていました。もちろんポケモンの存在は知っていましたが、海外で人気を目の当たりにして存在感の凄さをあらためて知ることになりました

20年以上経過しても人気は健在です。ポケモントレインは運行開始から10年以上が経過していますが、今ももちろん人気車両です

外に出ました。駅の開設は1890年の明治23年でまだ19世紀と長い歴史を持ちます。現駅舎は1970年に改築されたもので、国鉄らしい重厚なコンクリート駅舎。ひらがなの「いちのせき駅」がいいですね。もちろんポケモントレインも世界遺産のふもとでしっかり存在をアピールしています

再び新幹線ホームに向かうと「待合室」の古い文字を発見。もっとも正確に言うとポケモンの写真を撮ろうとしたら同居していたということです

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ゆいレールに初乗車~基礎知識ときっぷ

ゆいレールの車両

空港から那覇市内に向かう必需アクセス

GWの直前、沖縄に行ってきました。私にとって沖縄は37年ぶり。つまり最後に訪れたのが「昭和」だったわけで、初めて訪れたに等しい。で、そこで行ったのが「ゆいレールの全駅訪問」(笑)

沖縄に行ってまで鉄オタ活動かと思われるかもしれませんが、初乗車ゆえに感じたことをつづっていきたいと思います

まずゆいレールとは何か?ですが、正式名称は「沖縄都市モノレール」

那覇市の「那覇空港駅」から市内中心部を抜け、浦添市の「てだこ浦西駅」までの17キロを37分で結ぶモノレールです。駅数は19。開業は2003年8月で「首里駅」からてだこ浦西の4・1キロが2019年4月に延伸開業しました。言うまでもなく、日本で最も南そして西を走る鉄道路線

地図を見て分かる通り、モノレールの特性を生かした急カーブが特徴。そのおかげで那覇市内の主な場所を網羅しています

そしてもうひとつの特徴は急勾配。こちらは前面展望を楽しめます

沖縄を訪れるほとんどの方は飛行機利用でしょうから、那覇市内に向かう際は、かなりの確率でお世話になると思います

紙のきっぷもIC乗車

入退場はすべて自動改札。そして私も最初、一瞬戸惑ったのですが

自動改札には紙のきっぷを投入する場所がありません。長年IC乗車ときっぷによる乗車ばかりに慣らされていて「えっ?」と思いますが、紙のきっぷもICタッチによる入退場です

便利なフリーきっぷは時間制ただし暑さには注意

私が利用したのはフリー乗車券。通年販売しています

私の旅程は初日に北谷まで行き、バスで那覇市内まで戻ってきたため、購入はバスターミナルとつながっている「旭橋駅」での発券となりましたが、もちろん、どの駅の券売機でも当日その場で購入できます

1日乗車券は800円、2日乗車券は1400円。私のような全駅訪問してやろうという特殊な人間にとっては、もちろん必須アイテム(ありがとうございます)ですが、那覇空港から那覇市内の主要駅までの運賃が270~300円、最低運賃が230円ですので滞在ホテルへのチェックインや荷物を預けてから市内に繰り出したり、首里城観光を行ったりすると、すぐ元が取れてしまいます

最も有名な繁華街である国際通りの端から端には県庁前駅と牧志駅があり、その中間には那覇港に近い「美栄橋駅」もあります。私のホテルは美栄橋の近くでしたから、駅訪問以外でも食事に行く際など、栄町市場の最寄りである「安里駅」も含め何度も利用しました

フリー乗車券のポイントは「時間制」だということ。こういうきっぷは日で区切るものが多いのですが、名古屋市と同じく時間制。つまり1日乗車券だと購入から24時間利用できるということ

私の例だと4月25日の12時27分に購入したので27日の12時27分まで利用できました。全くの偶然でしたが私は27日正午発の飛行機に乗ることになっていたので、最後に那覇空港に向かう際まで、ちょうど利用でき、事実上3日間利用できることになりました

ただ、こういう磁気ICというのは乱暴な使い方をすると磁気が弱っていきます。私は他路線で何度か失敗しているのですが、夏場に胸ポケットやお尻のポケットに突っ込んでいると汗を吸ったりして反応が悪くなっていきます。これからの沖縄はもちろん暑いので、その点には留意ください

施設への割引と他のIC乗車

多くの駅で、このような告知がありました。3年前からSuicaが利用できるようになり、Suicaと連携するIC乗車券も利用できます。JR各社のIC乗車券のほかPASMO、manaca、PiTaPa、はやかけんの利用が可能

主要駅にはチャージ機もあります

首里城公園などフリー乗車券の提示によって割引が適用される施設もあります

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リベンジ岩徳線最終項~錦帯橋を眺めながらゴールへ

バス車窓からの錦帯橋

2022年12月28日12時20分

全駅訪問は分岐駅で

両端(岩国と櫛ヶ浜)を除く岩徳線の全駅、13駅目となった川西に到着しました。1日約1000人の乗降があり、13駅の中では最も利用者の多い駅(正確には岩徳線の単独駅ではなく錦川鉄道との共同駅ですが、管轄はJRです)。大きく寄与しているのは駅からすぐの岩国高校で、イメージ的にはいつも高校生でにぎわっています。学校は冬休みのはずなのに、お昼過ぎのこの時間、降りた私と入れ違いに多くの高校生が乗っていきました

ここから錦川鉄道と分岐するので0キロポストがホームに設置されています。当駅と柱野駅の間の山中にある信号所が正式な分岐点

駅名標は分岐駅のものとなっていますが「清流新岩国」が補強された形となっているのは駅名が御庄から変更されたため

ホームの名所案内。錦帯橋の最寄りは西岩国のようなイメージがありますが近いのはこちらで十分に徒歩圏内。今日は錦帯橋には行かないのでゴールの西岩国を目指します

川西~西岩国は1・9キロしかないのですが、錦川を渡らなければならないので歩くと遠回りする必要がある。ただ次の列車までは1時間あるので余裕もあるし、この時間帯は気温12度という天気予報通りのポカポカ気候になっていたので30分の徒歩は苦痛でも何でもありません。ちなみに錦川を渡った所のコンビニを西岩国駅とは逆方向に行くと錦帯橋はすぐ

最多利用者で錦帯橋の最寄りとは、とても思えない川西駅の全景。バリアフリーもなく山の斜面に設けられた単式ホームに階段で上がります。駅舎もありません

メインストリートである県道までは車がなんとか通れる細い道で結ばれていて駅前ロータリーもありません

幸運のち不運

西岩国を目指し歩き始めます。すると幸運が舞い降りました

バス!

実は事前に調べて川西駅から歩いていく道中のバス停で列車到着から6分後に西岩国駅近くを通って岩国駅に行くバスがあることは分かっていたのですが、駅からバス停まで5分ほどかかる上、駅で写真など撮っていたら、とても無理だとあきらめていたのですが、バスに遅れがあった様子。駅到着から10分以上経っていましたが、もしかして遅れがあるかな、とチラチラ振り向きつつ歩いていました。これはラッキー。もちろん乗ります

バスは一度錦帯橋に向かい、そこからUターンするような形で岩国駅へと向かいます。観光需要もあるのでしょうが、錦帯橋付近が旧岩国町の中心部だということも大きい。私も思い違いをしていたのですが、川と橋の写真だけを見て山中の秘境にある橋だと信じ込んでいる人は多い。考えてみれば岩国城はすぐそこだし、誰もいない山中にこんな立派な橋を造る必要はないですよね。錦帯橋の住所は岩国市岩国1丁目です

とにかく10月の経験が生きました

コースの逆を進んでいるのですから東錦見の停留所で降りればいいのです。バス停から5分も歩けばゴールです。これでこそリベンジだ、と意気込んで歩いていくと、屋根部分が先に見えて結果を知りました

あ然

今日は12月28日ですよ。工期はとうに終了していますが…

ふれあい交流館は開館日だったので話を聞くと、工事が遅れているとのこと。これだけはどうしようもないですが、結論からすると西岩国駅の立派な姿を見るというリベンジは達成できずに終わりました

中の部分の写真だけ撮って帰るとします。ただ全駅訪問というミッションは果たせたので、そちらについては良かったとしておきましょう

岩国までは錦川鉄道で。たった1区間ですが同社の観光仕様の列車に乗れて良かったです

岩徳線で惜しいのは、西岩国から川西に至る際、錦川の蛇行のおかげでギリギリ錦帯橋の姿が見えないこと。ほんの少しでいいので北側を走れば車窓から錦帯橋の勇姿が見られるし、駅から徒歩10分圏内で観光利用者も多かっただろうな、と思います。現状では錦帯橋観光は岩国駅からのバス一択に近い状況となっています

山陽新幹線の新岩国駅を設置する際、西岩国駅を通るルートも検討されましたが、すでに街ができていて工事が難しい上、遠回りになるとの理由で案は消滅したそうです

いろいろな意味で悲運だった岩徳線ですが、全駅訪問を終えた今は、いろいろな歴史を体感できた有意義なものだったと感じています

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リベンジ岩徳線その7~ハイライトは思わぬ形で

柱野駅の駅名標

2022年12月28日12時

無人駅中の無人駅での問い合わせ

柱野駅からの側道?かどうか分からない。真っ直ぐ行くと、かつては貨物ヤードだったかもしれない場所に行き着いて終わります。そんな雰囲気たっぷりの駅近くで写真を撮っていると、背後から「ちょっと聞きたいんだけど」との声。振り向くと明らかに70代以上と思われる男性。「どうしました?」と言うと

「ここで新幹線の切符は売っているんかな?」

絶句してしまいました

前回の記事でも紹介しましたが、いわば「無人駅中の無人駅」。駅舎もない。こんなところで新幹線のきっぷはおろか、きっぷなんて販売しているはずもない。そもそも「無人」なんですから

大変申し訳ないのですが、一瞬「大丈夫か?この人」と思ってしまいました

だが、ゆっくり話を聞いていくと、そうではないことが分かりました

この方、もともとは地元の出身なのですが数十年前に町を出て、今ははるか離れた都市に住んでいます。本当に久しぶりに里帰りをしたため、変わりすぎた沿線の様子が分かっていないのだとか

個人情報になるので詳細は記しませんが、車のナンバーを見ると、この付近では絶対見ることのないものです。車があるのに、なぜ新幹線のきっぷなのかというと、あまりにも遠いので業者に依頼して車だけを別に運んでもらい、帰りもそのようにする、という。確かにこのナンバープレートの所まで車で行こうとすると現在正午の今、出発しても日付変更線前に到着できるかどうか怪しい

ようやく会話の中身を理解した私。「玖珂は大きな駅だから売っているかな」と尋ねてくるので「いや、ちょっと確実ではないですね」とスマホを取り出す。土地勘がないので、この山中では何も分かりません。すると意外なことが分かりました

山陽新幹線の新岩国駅まで車で5分。そんなに近いとは知りませんでした。過去、新岩国には何度か訪れ、錦川鉄道の清流新岩国駅との乗り換えもしてきましたが、柱野駅との距離間は知らなかった。ただ考えてみれば柱野からすぐ東側に錦川鉄道との分岐となる信号所があり、柱野駅の前を流れているのは御庄川。清流新岩国の元の駅名は御庄なので、そのように思考回路を働かせれば納得です

「車にカーナビはありますか?」と尋ねると、ないというのでスマホの地図を見せ「川の向こうの道を真っ直ぐ行くと、すぐ新岩国に着きますから」と言って無事に道案内をすることができました

それにしても新岩国駅の開業は1975年と50年近く前。車を運転する年齢ではなかったことを考慮しても一体、故郷を離れたのは、いつのことなのかと思ってしまいました。ご本人は「大昔」と言うので、詳しくは聞きませんでしたが

散策で思いにふける

車が去った後、あらためて周辺を散策。川の向こう側まで行ってみます

駅の階段の屋根がかすかに見えます。ここにもバス停があって新岩国駅から錦帯橋を経由して岩国駅に行くバスがありますが、1日2本の運行しかない。逆方向は山中に入って行くので玖珂には行かないようです

どちらかというと駅側ではなく、川の反対側に民家は多いようです

御庄川を渡る橋梁が見えます。2つの橋梁を経て、さらに3キロものトンネルは昭和初期では難工事だったと容易に察しがつきます。あそこを渡るキハ40の赤い姿を写真に収めてダッシュしてもギリギリ間に合うかな、と一瞬頭をよぎりましたが、さすがにギャンブルはやめて駅に戻ります。それにしても、ここから5分で新幹線の駅に着くとは、ちょっと想像できません

あらためて駅を見ると無骨な駅名板に屋根付き階段、わずかに顔を出す構内踏切に駅名標と、なかなかの勇姿です

構内踏切の入口。警察官は来るのでしょうか?

再び構内踏切を渡る。融雪剤がここでもまかれていますが、もうそれが必要な気温ではありません

列車到着を告げる音がしました。ちゃんと機能しています。山陽本線のままだったら、通過列車もバンバンあったんだろうな、と思いながら列車に乗り込みます。柱野がいろいろな意味で岩徳線のハイライトになるとは予想していませんでした。全駅訪問まで、あと一駅

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